今日は、平成時代の1993年(平成5)に、演劇評論家・小説家・随筆家戸板康二の亡くなった日です。
戸板康二(といた やすじ)は、1915年(大正4)12月14日 東京市芝三田四国町(現在の東京都港区)で、藤倉電線に勤める父・三郎、母・ひさの長男として生まれ、1923年(大正12)に母方の祖母戸板関子の養子になり「康二」と改めました。同年母が関東大震災で亡くなり、1929年(昭和4)の14歳の時、祖母も亡くしています。
暁星中学校卒業後、慶応予科を経て、慶應義塾大学文学部国文学科へ進み、折口信夫に師事しました。1938年(昭和13)に大学卒業後、明治製菓の宣伝部でPR誌「スヰート」の編集に携わり、翌年頃から、内田水中亭の句会に出席して作句するようになります。
1943年(昭和18)に山水高等女学校に国語教師として勤務しましたが、翌年には日本演劇社に入社して「日本演劇」編集に従事するようになりました。1948年(昭和23)の33歳の時、『歌舞伎の周囲』を刊行、翌年には、『丸本歌舞伎』、『わが歌舞伎』正続で、第1回戸川秋骨賞を受賞します。
1950年(昭和25)に日本演劇社を退社して演劇評論家となり、1952年(昭和27)には、『劇場の椅子』、『今日の歌舞伎』で、第3回芸術選奨文部大臣賞(文学評論部門)を受賞しました。44歳の時江戸川乱歩の熱心な勧めによって執筆した『車引殺人事件』で推理作家としてデビュー、1960年(昭和35)に推理小説『団十郎切腹事件』で、第42回直木三十五賞を受賞、1969年(昭和44)には、劇作『マリー・アントワネット』も発表しています。
1976年(昭和51)に推理小説『グリーン車の子供』で第29回日本推理作家協会賞(短篇部門)を受賞、同年に第24回菊池寛賞も受賞、1977年(昭和52)には評論活動で、第33回日本芸術院賞(文芸部門)を受賞しました。1978年(昭和53)に随筆『ちょっといい話』を刊行し、ベストセラーとなり、1985年(昭和60)に句集『花すこし』を刊行、1987年(昭和62)には第3回東京都文化賞を受賞しています。
1991年(平成3)に第17回明治村賞を受賞、日本芸術院会員ともなりましたが、1993年(平成5)1月23日に、東京都品川区旗の台の昭和大学病院において、脳血栓のため93歳で亡くなりました。
〇戸板康二の主要な著作
・『丸本歌舞伎』(1949年)第1回戸川秋骨賞受賞
・『演劇五十年』(1950年)
・『今日の歌舞伎』(1952年)
・『劇場の椅子(いす)』(1952年)第3回芸術選奨文部大臣賞(文学評論部門)受賞
・『今日の歌舞伎』(1952年)第3回芸術選奨文部大臣賞(文学評論部門)受賞
・『新劇史の人々』(1953年)
・『忠臣蔵』(1957年)
・推理小説『車引殺人事件』(1959年)
・推理小説『団十郎切腹事件』(1959年)直木賞受賞
・『久保田万太郎』(1967年)
・戯曲『マリー・アントワネット』(1969年)
・『尾上菊五郎』(1973年)
・推理小説『グリーン車の子供』(1975年)第29回日本推理作家協会賞受賞
・随筆『ちょっといい話』(1978年)
・句集『花すこし』(1985年)
・随筆『句会で会った人』(1987年)
・句集『袖机』(1989年)
☆戸板康二関係略年表
・1915年(大正4)12月14日 東京市芝三田四国町(現在の東京都港区)で、藤倉電線に勤める父・三郎、母・ひさの長男として生まれる
・1923年(大正12)7月9日 母方の祖母戸板関子の養子になり「康二」と改める
・1923年(大正12)9月1日 関東大震災のとき、鎌倉材木座の別荘にいた母親が幼い次男をかばって圧死する
・1929年(昭和4) 14歳の時、祖母を亡くす
・1938年(昭和13) 慶応義塾大学文学部国文科を卒業する
・1939年(昭和14)頃 内田水中亭の句会に出席して作句するようになる
・1943年(昭和18) 山水高等女学校に国語教師として勤務する
・1944年(昭和19) 日本演劇社に入社して「日本演劇」編集に従事する
・1948年(昭和23) 33歳の時、『歌舞伎の周囲』を刊行する
・1949年(昭和24) 『丸本歌舞伎』、『わが歌舞伎』正続で、第1回戸川秋骨賞を受賞する
・1950年(昭和25) 日本演劇社を退社して演劇評論家となる
・1952年(昭和27) 『劇場の椅子』、『今日の歌舞伎』で、第3回芸術選奨文部大臣賞(文学評論部門)を受賞する
・1960年(昭和35) 推理小説『団十郎切腹事件』で、第42回直木三十五賞を受賞する
・1969年(昭和44) 劇作『マリー・アントワネット』を発表する
・1976年(昭和51) 推理小説『グリーン車の子供』で第29回日本推理作家協会賞(短篇部門)を受賞する
・1976年(昭和51) 第24回菊池寛賞を受賞する
・1977年(昭和52) 評論活動で、第33回日本芸術院賞(文芸部門)を受賞する
・1978年(昭和53) 随筆『ちょっといい話』を刊行し、ベストセラーとなる
・1985年(昭和60) 句集『花すこし』を刊行する
・1987年(昭和62) 第3回東京都文化賞を受賞する
・1989年(平成元) 句集『袖机』を刊行する
・1991年(平成3) 第17回明治村賞を受賞する
・1991年(平成3) 日本芸術院会員となる
・1993年(平成5)1月23日 東京都品川区旗の台の昭和大学病院において、脳血栓のため93歳で亡くなる
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
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