
これに対して、日本は、1月16日に、芳沢謙吉外相が、「支那不統一の現状を斟酌されたし」と回答しています。3月11日には、国際連盟総会決議によって連盟加盟国の義務として確認され、同年の「チャコ宣言」、1933年(昭和8)の「ラテンアメリカ不戦条約」などにも採用されました。
以下に、「スティムソン・ドクトリン」の日本語訳を掲載しておきますから、ご参照ください。
その中で、関東軍が奉天郊外の柳条湖で満鉄を爆破し、これを中国軍の行為であるとして「自衛のため」と称して満鉄沿線一帯で軍事行動(柳条湖事件)を起します。若槻礼次郎内閣は、ただちに不拡大方針を取りましたが、現地軍は政府の方針を無視して、同年10月の錦州爆撃などにより南満州を占領、さらに北部満州の占領を企図し、11月チチハル占領、翌年2月にはハルビンを占領、以後北満の主要都市を占領して、東三省(奉天・吉林・黒竜江の3省)におよぶ満州全域を支配下におさめました。
そして、1932年(昭和7)3月9日に、清朝最後の皇帝溥儀(ふぎ)を執政に就任させて傀儡国家「満州国」を建国させます。日本国内では、若槻礼次郎内閣が倒れて、犬養毅内閣が成立していましたが、五・一五事件によって犬養毅首相が暗殺され、斎藤実内閣に取って代られました。
そして、9月15日に斎藤実内閣は「日満議定書」に調印して正式に満州国を承認します。そこで、国際連盟は中国の提訴により満州事変に関して、リットン調査団を派遣し、柳条湖事件は日本の自衛行動と認めず、満州国も否定する報告書を採択、日本軍の東北撤退を勧告することとなりました。
しかし、日本はこれを拒否し、1933年(昭和8)2月からの熱河作戦で熱河省を占領、3月に国際連盟を脱退、5月31日には、中国との間で「塘沽協定」を結び停戦して、中国東北部での権益を確保し、「満州国」を既成事実化させることで満州事変は一応終わります。これらのことにより、国際連盟やアメリカとの対立を深め、この後、1937年(昭和12)7月7日の蘆溝橋事件による日中戦争全面化から、1941年(昭和16)12月8日の太平洋戦争開戦へと進んでいくこととなりました。
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