ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

タグ:湯川秀樹

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 今日は、昭和時代中期の1955年(昭和30)に、下中弥三郎・植村環・茅誠司・上代たの・平塚らいてう・前田多門・湯川秀樹によって、世界平和アピール七人委員会が結成された日です。
 世界平和アピール七人委員会(せかいへいわあぴーるしちにんいいんかい)は、知識人による平和問題に関する意識表明の会でした。1955年(昭和30)11月11日に、世界連邦建設同盟理事長で平凡社社長の下中弥三郎の提唱によって結成されましたが、最初のメンバーは、下中弥三郎、植村環、茅誠司、上代たの、平塚らいてう、前田多門、湯川秀樹で、当日に「国連第十回総会にむけてのアピール」を発表します。
 その後、メンバーの死去などによる委員の交代で、川端康成、朝永振一郎、井上靖、平山郁夫、井上ひさし、小柴昌俊などが名を連ねたものの、1996年(平成8)から活動を停止し、8年後の2004年(平成16)に再開しました。メンバーの条件は、実際の政治にタッチしていない人(政治家でないこと)、自由人で民主主義陣営の人、世界的に平和運動を行い得る人のの3つとされています。
 現在の委員は、武者小路公秀、大石芳野、小沼通二、池内了、池辺晋一郎、髙村薫、島薗進の7名となりました。近年は、ホームページ上で「今月のことば」を発表、年に数回アッピールを出したり、講演会を開催するなどしています。
 以下に、結成時の「国連第十回総会にむけてのアピール」を掲載しておきましたので、ご参照下さい。

〇最近出したアピール

<2019年(平成31・令和元)>
・2月26日「朝鮮半島・アジア・全世界の平和と安定を求め、第2回米朝会談に期待する」
・4月26日「日米地位協定の根本的改定を沖縄県とともに求める」
・7月1日「不誠実な外交・内政との決別を―参議院選挙を前にして―」
・11月30日「ローマ教皇の長崎・広島でのメッセージに賛同する」
・12月12日「自衛隊の海外派遣を常態化してはいけない」

<2020年(令和2)>
・1月6日「米国によるイラン革命防衛隊司令官殺害を非難し、すべての関係者がこの危機を悪化させないよう求める」
・2月10日「米国原子力潜水艦への低出力核弾頭の初めての実戦配備に反対する」
・4月13日「ウイルス禍とのグローバルな闘いを通じて平和を」
・8月1日「核兵器と戦争の廃絶に向けて今こそ行動を ―広島・長崎被爆75周年―」
・10月7日「日本学術会議会員の任命拒否は許容できない」

<2021年(令和3)>
・1月20日「核兵器禁止条約批准50か国達成を祝す」
・2月8日「ミャンマーのクーデタ―に抗議し、原状回復・民主化促進を求める」
・4月20日「今夏の東京オリンピック・パラリンピックは開催すべきでない」
・6月8日「人権尊重を! 出入国管理政策の抜本的改革を求める」
・8月28日「人命尊重のコロナ政策最優先への根本的転換を」を発表
・10月18日「『民主主義の危機』を克服するために」
・12月27日「2022年を日本政府が核兵器廃絶に踏み出す年に!」

<2022年(令和4)>
・2月28日「ロシアによるウクライナへの軍事侵攻即時中止を求める」
・5月2日「今こそ核戦争回避に向けて結束した行動を」
・6月24日「平和国家として歩む――軍事力増強とは異なる道を――」
・8月3日「搾取・収奪常習を問われる集団に寄生する政治家の即退場を求める」

☆「国連第十回総会にむけてのアピール」世界平和アピール七人委員会 1955年11月11日

 1946年11月3日、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を希求して、戦争を放棄した。それは平和を愛する諸国民の公正と、正義に信頼したからである。しかるに世界は、依然として戦争の脅威にさらされ、原子力戦争は破滅を予想させつつある。
 本年になってAA会議、四国巨頭会議を契機として冷たい対立は一層雪どけの春をおもわせているにもかかわらず日本は再軍備が迫りつつある。
 われわれはここに、あくまでも日本の平和憲法を擁護するとともに、世界の諸国民がひとしく恐怖と欠乏から免かれ、皮膚の色にかかわりなく人類各員の基本人権を尊重し、人類協同の平和のうちに生存する権利を有することを確認し、国家の存在するかぎり戦争の脅威を避け得ない現実にかんがみ、戦争を絶滅し真の恒久平和を実現するためには今日の国家単位の国連を、世界連邦にまで発展せしめるほかないことを確信し原爆の被害者として世界人類の平和を希う日本民族の悲願を表明して、茲に、現に開催中の国連第十回総会に対し次の三項の早期実現を勧告する。

一、未加盟国を残りなく国連に加盟させること

(註)未加盟国のうちスイスを除く他の二十数カ国はすべて加盟を望んでいる。平和機構の世界性を願うわれらはこの際未加盟国全部の加盟を求める。
一、1956年9月に国連憲章再審議会議を開き、それを世界憲章起草会議とすること

(註)世界憲章の内容については、世界連邦世界運動及び世界連邦国会委員会にて研究された素案を討議題とすればよい。
一、1957年に国連総会と併行して第1回世界人民会議を招集すること

(註)世界人民会議に於ては、次の諸問題が議せられるべきであろう。
   Ⅰ 軍備を如何に撤廃すべきか
   Ⅱ 資源と人口を如何に調節すべきか
   Ⅲ 経済交流を如何に自由にすべきか
   Ⅳ 人類平等、人権尊重を如何に実行すべきか
   Ⅴ 世界諸国民の出入国管理等如何にあるべきか
右方式により平和を護持し、専制と隷属、圧迫と偏狭を地上から永遠に排除し得る世界社会の建設を要望する。
右勧告する。

 1955年11月11日

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1348年(貞和4)第95代の天皇とされる花園天皇(持明院統)の命日(新暦12月2日)詳細
1477年(文明9)大内軍が京から撤収し、応仁の乱が終結する(新暦12月16日)詳細
1890年(明治23)浅草に12階建ての凌雲閣が完成し、日本初の電動式エレベーターが一般公開される詳細
1911年(明治44)新派俳優・興行師川上音二郎の命日詳細
1944年(昭和19)太平洋戦争末期の本土決戦に備えて、松代大本営が着工される 詳細
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Mainau-Declaration01

 今日は、昭和時代中期の1955年(昭和30)に、西ドイツのマイナウにおいて、核兵器の使用に反対する「マイナウ宣言(Mainau Declaration)」が発表された日です。
 「マイナウ宣言(まいなうせんげん)」は、ドイツの核科学者オットー・ハーンとマックス・ボルンによって開始および起草され、第5回リンダウノーベル賞受賞者会議(1955年7月11~15日)で回覧され、同年7月15日にマイナウ島で発表された、核兵器の使用に反対するアピールでした。当初は、会議の参加者である日本の湯川秀樹博士を含む18人のノーベル賞受賞者によって署名されましたが、1年以内に、支持者の数は52人のノーベル賞受賞者に増加しています。
 太平洋戦争後の東西対立が強まる中、1950年~1953年に起きた朝鮮戦争を経て、米ソの水爆実験競争が始まり、核兵器使用の危険性が高まる中で、科学者の中に、核兵器使用による惨禍を繰り返させてはならないという考え方が広まりました。その中で、1955年(昭和30)7月9日に、イギリスのロンドンにおいて、イギリスの哲学者・バートランド・ラッセル卿とアメリカの物理学者・アルベルト・アインシュタイン博士が中心となり、日本の湯川秀樹博士他8名も加わった、「ラッセル・アインシュタイン宣言」が出され、核兵器廃絶・科学技術の平和利用をが訴えられます。
 それに続いたのがこの「マイナウ宣言」では、「今日、軍事利用することのできる全ての兵器によって、全ての人類を滅ぼすほどに地球を放射能で汚染することができる。」とし、「全ての国が、政治の最後の手段として暴力に訴えることをやめることを自主的に決意しなければならない。もしそうしなければ、その国は消滅することになる。」と警告しました。その後、1957年(昭和32)より、科学者による科学と世界の諸問題に関するパグウォッシュ会議(第1回をカナダのパグウォッシュ村で開催したので)が開催されることとなり、日本からはも、湯川秀樹、朝永振一郎等が参加しています。
 以下に、「マイナウ宣言」の英語版原文と日本語訳を掲載しておきますので、ご参照下さい。

〇マイナウ宣言(Mainau Declaration) 1955年(昭和30)7月15日

Mainau Declaration 1955​

We, the undersigned, are scientists of different countries, different creeds, different political persuasions. Outwardly, we are bound together only by the Nobel Prize, which we have been favored to receive. With pleasure we have devoted our lives to the service of science. It is, we believe, a path to a happier life for people. We see with horror that this very science is giving mankind the means to destroy itself. By total military use of weapons feasible today, the earth can be contaminated with radioactivity to such an extent that whole peoples can be annihilated. Neutrals may die thus as well as belligerents.
If war broke out among the great powers, who could guarantee that it would not develop into a deadly conflict? A nation that engages in a total war thus signals its own destruction and imperils the whole world.
We do not deny that perhaps peace is being preserved precisely by the fear of these weapons. Nevertheless, we think it is a delusion if governments believe that they can avoid war for a long time through the fear of these weapons. Fear and tension have often engendered wars. Similarly it seems to us a delusion to believe that small conflicts could in the future always be decided by traditional weapons. In extreme danger no nation will deny itself the use of any weapon that scientific technology can produce.
All nations must come to the decision to renounce force as a final resort. If they are not prepared to do this, they will cease to exist.

— Mainau, Lake Constance, 15 July 1955

The initial 18 signatories were:

Kurt Alder
Max Born
Adolf Butenandt
Arthur H. Compton
Gerhard Domagk
Hans von Euler-Chelpin
Otto Hahn
Werner Heisenberg
George Hevesy
Richard Kuhn
Fritz Lipmann
Hermann Joseph Muller
Paul Hermann Müller
Leopold Ruzicka
Frederick Soddy
Wendell M. Stanley
Hermann Staudinger
Hideki Yukawa

<日本語訳>

マイナウ宣言1955

署名者の我々は、異なる国家、異なる教義、異なる政治的信念を持つ科学者である。外見上、我々は、かつてノーベル賞を受賞したということだけで結びつけられている。我々は喜んで人生を科学のために捧げてきた。我々は、それが人々の幸せな生活につながる道であると信ずる。我々は、この科学が人類に自身を破滅させる手段を与えてしまったことに慄然としている。今日、軍事利用することのできる全ての兵器によって、全ての人類を滅ぼすほどに地球を放射能で汚染することができる。中立国も交戦国と同じように滅びてしまうだろう。
もし大国の間で戦争が勃発すれば、双方命懸けの衝突に発展しないと誰が保証できるだろうか?戦争に参加する国は、自身の破滅のきっかけとなり、さらに全世界を危険にさらす。我々は、これらの兵器への恐怖感によって平和が正しく保持されるかもしれないということは否定しない。しかし、我々は、政府がそれらの兵器への恐怖によって長い間戦争を避けることができると信じているとすれば、それは妄想であると考える。恐怖と緊張は、しばしば戦争を引き起こしてきた。同様に、将来起こる小さな紛争が常に伝統的な兵器によって決着がつくと信じることは妄想であると思われる。非常に危険な時には、科学技術が生み出したあらゆる兵器の使用を否定する国はない。
全ての国が、政治の最後の手段として暴力に訴えることをやめることを自主的に決意しなければならない。もしそうしなければ、その国は消滅することになる。

—マイナウ、ボーデン湖、1955年7月15日

最初の署名者​は次の通りです

クルト・アルダー
マックス・ボルン
アドルフ・ブーテナント
アーサーH.コンプトン
ゲルハルト・ドーマク
ハンス・フォン・オイラー=ケルピン
オットー・ハーン
ヴェルナー・ハイゼンベルク
ゲオルク・ド・ヘヴェシー
リヒャルト・クーン
フリッツ・リップマン
ハーマン・ジョセフ・ミュラー
パウル・ヘルマン・ミュラー
レオポルト・ルジカ
フレデリック・ソディ
ウェンデルM.スタンリー
ヘルマン・シュタウディンガー
湯川秀樹

   「ウィキペディア」より

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

842年(承和9)第52代の天皇とされる嵯峨天皇の命日(新暦8月24日)詳細
1878年(明治11)箱根の富士屋ホテルが外国人専用ホテルとして開業する詳細
1888年(明治21)会津の磐梯山が大噴火(磐梯山1888年噴火)し、死者444人の被害が出る詳細
1948年(昭和23)教育委員会法」(昭和23年法律170号)が公布・施行される詳細
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RussellEinsteinsengen01

 今日は、昭和時代中期の1955年(昭和30)に、イギリスのロンドンにおいて、イギリスの哲学者・バートランド・ラッセル卿とアメリカの物理学者・アルベルト・アインシュタイン博士が中心となり、日本の湯川秀樹博士他8名も加わった、「ラッセル・アインシュタイン宣言」が出された日です。
 「ラッセル・アインシュタイン宣言(らっせる・あいんしゅたいんせんげん)」は、イギリスの哲学者であるラッセルとアメリカの物理学者であるアインシュタインが中心になって、当時の第一級の科学者ら11人の連名で、米ソの水爆実験競争という世界情勢に対して提示された核兵器廃絶・科学技術の平和利用を訴えた宣言文でした。
 1955年(昭和30)4月11日に、哲学者ラッセルと物理学者アインシュタインの二人は、核戦争絶滅を訴える呼びかけを行ないます。しかし、アインシュタインは同月18日に死去したものの、同年7月9日。イギリスのロンドンにおいて、マックス・ボルン、P・W・ブリッジマン、L・インフェルト、F・ジョリオ・キュリー、H・J・ムラー、ライナス・ポーリング、C・F・パウエル、J・ロートブラットのノーベル賞受賞者を含む9名も連名で署名し、発表されたものです。
 宣言では、「世界の諸政府に対して、世界戦争が起これば、かならず核兵器が使用されるであろうから、あらゆる紛争問題の解決に対して平和的手段をみいだすよう」に勧告しました。これを受けて、1957年(昭和32)より、科学者による科学と世界の諸問題に関するパグウォッシュ会議(第1回をカナダのパグウォッシュ村で開催したので)が開催されることとなり、日本からはも、湯川秀樹、朝永振一郎等が参加しています。
 以下に、「ラッセル・アインシュタイン宣言」の英語版と日本語訳を掲載しておきますので、ご参照下さい。

〇「ラッセル・アインシュタイン宣言」 1955年(昭和30)7月9日

<英語版>

The Russell-Einstein Manifesto
9 July 1955

In the tragic situation which confronts humanity, we feel that scientists should assemble in conference to appraise the perils that have arisen as a result of the development of weapons of mass destruction, and to discuss a resolution in the spirit of the appended draft.
We are speaking on this occasion, not as members of this or that nation, continent, or creed, but as human beings, members of the species Man, whose continued existence is in doubt. The world is full of conflicts; and, overshadowing all minor conflicts, the titanic struggle between Communism and anti-Communism. 
Almost everybody who is politically conscious has strong feelings about one or more of these issues; but we want you, if you can, to set aside such feelings and consider yourselves only as members of a biological species which has had a remarkable history, and whose disappearance none of us can desire.
We shall try to say no single word which should appeal to one group rather than to another. All, equally, are in peril, and, if the peril is understood, there is hope that they may collectively avert it.
We have to learn to think in a new way. We have to learn to ask ourselves, not what steps can be taken to give military victory to whatever group we prefer, for there no longer are such steps; the question we have to ask ourselves is: what steps can be taken to prevent a military contest of which the issue must be disastrous to all parties?
The general public, and even many men in positions of authority, have not realized what would be involved in a war with nuclear bombs. The general public still thinks in terms of the obliteration of cities. It is understood that the new bombs are more powerful than the old, and that, while one A-bomb could obliterate Hiroshima, one H-bomb could obliterate the largest cities, such as London, New York, and Moscow.
No doubt in an H-bomb war great cities would be obliterated. But this is one of the minor disasters that would have to be faced. If everybody in London, New York, and Moscow were exterminated, the world might, in the course of a few centuries, recover from the blow. But we now know, especially since the Bikini test, that nuclear bombs can gradually spread destruction over a very much wider area than had been supposed.
It is stated on very good authority that a bomb can now be manufactured which will be 2,500 times as powerful as that which destroyed Hiroshima.
Such a bomb, if exploded near the ground or under water, sends radio-active particles into the upper air. They sink gradually and reach the surface of the earth in the form of a deadly dust or rain. It was this dust which infected the Japanese fishermen and their catch of fish.
No one knows how widely such lethal radio-active particles might be diffused, but the best authorities are unanimous in saying that a war with H-bombs might possibly put an end to the human race. It is feared that if many H-bombs are used there will be universal death, sudden only for a minority, but for the majority a slow torture of disease and disintegration.
Many warnings have been uttered by eminent men of science and by authorities in military strategy. None of them will say that the worst results are certain. What they do say is that these results are possible, and no one can be sure that they will not be realized. We have not yet found that the views of experts on this question depend in any degree upon their politics or prejudices. They depend only, so far as our researches have revealed, upon the extent of the particular expert’s knowledge. We have found that the men who know most are the most gloomy.
Here, then, is the problem which we present to you, stark and dreadful and inescapable: Shall we put an end to the human race; or shall mankind renounce war?1 People will not face this alternative because it is so difficult to abolish war.
The abolition of war will demand distasteful limitations of national sovereignty.2 But what perhaps impedes understanding of the situation more than anything else is that the term “mankind” feels vague and abstract. People scarcely realize in imagination that the danger is to themselves and their children and their grandchildren, and not only to a dimly apprehended humanity. They can scarcely bring themselves to grasp that they, individually, and those whom they love are in imminent danger of perishing agonizingly. And so they hope that perhaps war may be allowed to continue provided modern weapons are prohibited.
This hope is illusory. Whatever agreements not to use H-bombs had been reached in time of peace, they would no longer be considered binding in time of war, and both sides would set to work to manufacture H-bombs as soon as war broke out, for, if one side manufactured the bombs and the other did not, the side that manufactured them would inevitably be victorious.
Although an agreement to renounce nuclear weapons as part of a general reduction of armaments3 would not afford an ultimate solution, it would serve certain important purposes.
First, any agreement between East and West is to the good in so far as it tends to diminish tension. Second, the abolition of thermo-nuclear weapons, if each side believed that the other had carried it out sincerely, would lessen the fear of a sudden attack in the style of Pearl Harbour, which at present keeps both sides in a state of nervous apprehension. We should, therefore, welcome such an agreement though only as a first step.
Most of us are not neutral in feeling, but, as human beings, we have to remember that, if the issues between East and West are to be decided in any manner that can give any possible satisfaction to anybody, whether Communist or anti-Communist, whether Asian or European or American, whether White or Black, then these issues must not be decided by war. We should wish this to be understood, both in the East and in the West.
There lies before us, if we choose, continual progress in happiness, knowledge, and wisdom. Shall we, instead, choose death, because we cannot forget our quarrels? We appeal as human beings to human beings: Remember your humanity, and forget the rest. If you can do so, the way lies open to a new Paradise; if you cannot, there lies before you the risk of universal death.

Resolution:

We invite this Congress, and through it the scientists of the world and the general public, to subscribe to the following resolution:
“In view of the fact that in any future world war nuclear weapons will certainly be employed, and that such weapons threaten the continued existence of mankind, we urge the governments of the world to realize, and to acknowledge publicly, that their purpose cannot be furthered by a world war, and we urge them, consequently, to find peaceful means for the settlement of all matters of dispute between them.”

Signatories:
     Max Born
     Percy W. Bridgman
     Albert Einstein
     Leopold Infeld
     Frederic Joliot-Curie
     Herman J. Muller
     Linus Pauling
     Cecil F. Powell
     Joseph Rotblat
     Bertrand Russell
     Hideki Yukawa

<日本語訳>

ラッセル・アインシュタイン宣言(1955年7月9日)

人類が直面している悲劇的な情勢の中、科学者による会議を召集し、大量破壊兵器開発によってどれほどの危機に陥るのかを予測し、この草案の精神において決議を討議すべきであると私たちは感じている。
私たちが今この機会に発言しているのは、特定の国民や大陸や信条の一員としてではなく、存続が危ぶまれている人類、いわば人という種の一員としてである。世界は紛争にみちみちている。そこでは諸々の小規模紛争は、共産主義と反共産主義との巨大な戦いのもとに、隠蔽されているのだ。
政治的な関心の高い人々のほとんどは、こうした問題に感情を強くゆすぶられている。しかしもしできるならば、皆ににそのような感情から離れて、すばらしい歴史を持ち、私たちのだれ一人としてその消滅を望むはずがない 生物学上の種の成員としてのみ反省してもらいたい。
私たちは、一つの陣営に対し、他の陣営に対するよりも強く訴えるような言葉は、一言も使わないようにこころがけよう。すべての人がひとしく危機にさらされており、もし皆がこの危機を理解することができれば、ともにそれを回避する望みがあるのだ。
私たちには新たな思考法が必要である。私たちは自らに問いかけることを学ばなくてはならない。それは、私たちが好むいづれかの陣営を軍事的勝利に導く為にとられる手段ではない。というのも、そうした手段はもはや存在しないのである。そうではなく、私たちが自らに問いかけるべき質問は、どんな手段をとれば双方に悲惨な結末をもたらすにちがいない軍事的な争いを防止できるかという問題である。
一般の人々、そして権威ある地位にある多くの人々でさえも、核戦争によって発生する事態を未だ自覚していない。一般の人々はいまでも都市が抹殺されるくらいにしか考えていない。新爆弾が旧爆弾よりも強力だということ、原子爆弾が1発で広島を抹殺できたのに対して水爆なら1発でロンドンやニューヨークやモスクワのような巨大都市を抹殺できるだろうことは明らかである。
水爆戦争になれば大都市が跡形もなく破壊されてしまうだろうことは疑問の余地がない。しかしこれは、私たちが直面することを余儀なくされている小さな悲惨事の1つである。たとえロンドンやニューヨークやモスクワのすべての市民が絶滅したとしても2、3世紀のあいだには世界は打撃から回復するかもしれない。しかしながら今や私たちは、とくにビキニの実験以来、核爆弾はこれまでの推測よりもはるかに広範囲にわたって徐々に破壊力を広げるであろうことを知っている。
信頼できる権威ある筋から、現在では広島を破壊した爆弾の2500倍も強力な爆弾を製造できることが述べられている。もしそのような爆弾が地上近くまたは水中で爆発すれば、放射能をもった粒子が上空へ吹き上げられる。そしてこれらの粒子は死の灰または雨の形で徐々に落下してきて、地球の表面に降下する。日本の漁夫たちとその漁獲物を汚染したのは、この灰であった。そのような死をもたらす放射能をもった粒子がどれほど広く拡散するのかは誰にもわからない。しかし最も権威ある人々は一致して水爆による戦争は実際に人類に終末をもたらす可能性が十分にあることを指摘している。もし多数の水爆が使用されるならば、全面的な死滅がおこる恐れがある。――瞬間的に死ぬのはほんのわずかだが、多数のものはじりじりと病気の苦しみをなめ、肉体は崩壊してゆく。
著名な科学者や権威者たちによって軍事戦略上からの多くの警告が発せられている。にもかかわらず、最悪の結果が必ず起こるとは、だれも言おうとしていない。実際彼らが言っているのは、このような結果が起こる可能性があるということ、そしてだれもそういう結果が実際起こらないとは断言できないということである。この問題についての専門家の見解が彼らの政治上の立場や偏見に少しでも左右されたということは今まで見たことがない。私たちの調査で明らかになったかぎりでは、それらの見解はただ専門家のそれぞれの知識の範囲にもとづいているだけである。一番よく知っている人が一番暗い見通しをもっていることがわかった。
さて、ここに私たちが皆に提出する問題、きびしく、恐ろしく、おそらく、そして避けることのできない問題がある――私たちは人類に絶滅をもたらすか、それとも人類が戦争を放棄するか?人々はこの二者択一という問題を面と向かってとり上げようとしないであろう。というのは、戦争を廃絶することはあまりにもむずかしいからである。
戦争の廃絶は国家主権に不快な制限を要求するであろう。しかし、おそらく他のなにものにもまして事態の理解をさまたげているのは、「人類」という言葉が漠然としており、抽象的だと感じられる点にあろう。危険は単にぼんやり感知される人類に対してではなく、自分自身や子どもや孫たちに対して存在するのだが、人々はそれをはっきりと心に描くことがほとんどできないのだ。人々は個人としての自分たちめいめいと自分の愛する者たちが、苦しみながら死滅しようとする切迫した危険状態にあるということがほとんどつかめていない。そこで人々は、近代兵器さえ禁止されるなら、おそらく戦争はつづけてもかまわないと思っている。
この希望は幻想である。たとえ水爆を使用しないというどんな協定が平時にむすばれていたとしても、戦時にはそんな協定はもはや拘束とは考えられず、戦争が起こるやいなや双方とも水爆の製造にとりかかるであろう。なぜなら、もし一方がそれを製造して他方が製造しないとすれば、それを製造した側はかならず勝利するにちがいないからである。軍備の全面的削減の一環としての核兵器を放棄する協定は、最終的な解決に結びつくわけではないけれども、一定の重要な役割を果たすだろう。第一に、およそ東西間の協定は、緊張の緩和を目指すかぎり、どんなものでも有益である。第二に、熱核兵器の廃棄は、もし相手がこれを誠実に実行していることが双方に信じられるとすれば、現在双方を神経的な不安状態に落とし入れている真珠湾式の奇襲の恐怖を減らすことになるであろう。それゆえ私たちは、ほんの第一歩には違いないが、そのような協定を歓迎すべきなのである。
大部分の人間は感情的には中立ではない。しかし人類として、私たちは次のことを銘記しなければならない。すなわち、もし東西間の問題が何らかの方法で解決され、誰もが――共産主義者であろうと反共産主義者であろうと、アジア人であろうとヨーロッパ人であろうと、または、アメリカ人であろうとも、また白人であろうと黒人であろうと――、出来うる限りの満足を得られなくてはならないとすれば、これらの問題は戦争によって解決されてはならない。私たちは東側においても西側においても、このことが理解されることを望んでいる。
私たちの前には、もし私たちがそれを選ぶならば、幸福と知識の絶えまない進歩がある。私たちの争いを忘れることができぬからといって、そのかわりに、私たちは死を選ぶのであろうか?私たちは、人類として、人類に向かって訴える――あなたがたの人間性を心に止め、そしてその他のことを忘れよ、と。もしそれができるならば、道は新しい楽園へむかってひらけている。もしできないならば、あなたがたのまえには全面的な死の危険が横たわっている。
 
決議

私たちは、この会議を招請し、それを通じて世界の科学者たちおよび一般大衆に、つぎの決議に署名するようすすめる。
「およそ将来の世界戦争においてはかならず核兵器が使用されるであろうし、そしてそのような兵器が人類の存続をおびやかしているという事実からみて、私たちは世界の諸政府に、彼らの目的が世界戦争によっては促進されないことを自覚し、このことを公然とみとめるよう勧告する。したがってまた、私たちは彼らに、彼らのあいだのあらゆる紛争問題の解決のための平和的な手段をみいだすよう勧告する。」

1955年7月9日 ロンドンにて
       マックス・ボルン教授(ノーベル物理学賞)
       P・W・ブリッジマン教授(ノーベル物理学賞)
       アルバート・アインシュタイン教授(ノーベル物理学賞)
       L・インフェルト教授
       F・ジョリオ・キュリー教授(ノーベル化学賞)
       H・J・ムラー教授(ノーベル生理学・医学賞)
       ライナス・ポーリング教授(ノーベル化学賞)
       C・F・パウエル教授(ノーベル物理学賞)
       J・ロートブラット教授
       バートランド・ラッセル卿(ノーベル文学賞)
       湯川秀樹教授(ノーベル物理学賞)

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

967年(康保4)律令政治の基本細則「延喜式」が施行される(新暦8月17日)詳細
1185年(元暦2)京都地方で文治地震が起こり、大きな被害が出る(新暦8月13日)詳細
1922年(大正11)小説家・医師森鴎外の命日(鴎外忌)詳細
1976年(昭和51)静岡県の大井川鐵道が、日本で初めて蒸気機関車の動態保存運転を開始する詳細
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 今日は、昭和時代中期の1949年(昭和24)に、湯川秀樹のノーベル物理学賞受賞が決定、日本人初のノーベル賞受賞となった日です。
 ノーベル賞(のーべるしょう)は、ダイナマイトを発明したアルフレッド・ノーベル(1833~96)の遺言と遺産によって、1901年(明治34)から始まった世界で最も権威のある賞で、毎年、物理学・化学・生理学および医学・文学・平和の5部門において、顕著な功績のあった人に授与されるようになりました。1969年(昭和44)からは、スウェーデン銀行創立300年を記念し、その寄付により経済学賞も同様に授与されるようになり、メダル・賞状・賞金がノーベルの命日に当たる12月10日に贈られています。
 賞の授与機関については、ノーベルの遺志により、物理学部門と化学部門はスウェーデン王立科学アカデミー、生理学・医学部門は王立カロリンスカ医学研究所、文学部門はスウェーデン・アカデミー、平和賞はノルウェー国会ノーベル委員会と定められ、経済学部門については、スウェーデン王立科学アカデミーが賞の授与にあたってきました。
 日本人の最初の受賞者は、1949年(昭和24)物理学賞の湯川秀樹「中間子の存在の予想」で、2020年(令和2)までに28名(日本出身の他国籍者含む)が、物理学賞(11名)、化学賞(8名)、生理学・医学賞(5名)、文学賞(3名)、平和賞(1名)にわたって受賞しています。
 以下に、日本人のノーベル物理学賞受賞者一覧を掲載しておきましたので、ご参照下さい。

〇湯川秀樹(ゆかわ ひでき)とは?

 昭和時代に活躍した理論物理学者で、1907年(明治40)1月23日に、東京府東京市麻布区市兵衛町(現在の東京都港区六本木)に地質学者小川琢治の三男として生まれています。1歳の時に京都市へ転居し、第三高等学校から京都帝国大学理学部物理学科に進み、1929年(昭和4)に卒業しました。
 その後、大学に残って研究者の道に進み、1932年(昭和7年)に京都帝国大学講師となり、湯川スミと結婚して湯川姓となります。1934年(昭和9)核力とβ崩壊を媒介する場の量子として新粒子(中間子)の存在を予言し、翌年には坂田昌一、武谷三男らと中間子論を展開、1939年(昭和14)には、京都帝国大学教授になりました。
 1948年(昭和23)に、プリンストン高等研究所客員教授に招かれ、翌年コロンビア大学教授となり、1949年(昭和24)日本人で初めてノーベル物理学賞を受賞することになります。
 1953年(昭和28)には、京都大学基礎物理研究所所長となり、核兵器廃絶、世界連邦建設などの平和運動に積極的にかかわりましたが、1981年(昭和56)9月8日に、74歳で亡くなりました。

☆日本人のノーベル物理学賞受賞者一覧(年度順で日本出身の他国籍者含む)

・1949年(昭和24)[物理学賞]湯川秀樹「中間子の存在の予想」 
・1965年(昭和40)[物理学賞]朝永振一郎「量子電気力学分野での基礎的研究」 
・1968年(昭和43)[文学賞]川端康成「『伊豆の踊子』『雪国』など、日本人の心情の本質を描いた、非常に繊細な表現による叙述の卓越さに対して」
・1973年(昭和48)[物理学賞]江崎玲於奈「半導体におけるトンネル効果の実験的発見」
・1974年(昭和49)[平和賞]佐藤栄作「非核三原則の提唱」
・1981年(昭和56)[化学賞]福井謙一「化学反応過程の理論的研究」
・1987年(昭和62)[生理学・医学賞]利根川進「多様な抗体を生成する遺伝的原理の解明」
・1994年(平成6)[文学賞]大江健三郎「『個人的な体験』『万延元年のフットボール』など、詩趣に富む表現力を持ち、現実と虚構が一体となった世界を創作して、読者の心に揺さぶりをかけるように現代人の苦境を浮き彫りにした功績に対して」
・2000年(平成12)[化学賞]白川英樹「導電性高分子の発見と発展」 
・2001年(平成13)[化学賞]野依良治「キラル触媒による不斉反応の研究」
・2002年(平成14)[物理学賞]小柴昌俊「天体物理学、特に宇宙ニュートリノの検出に対するパイオニア的貢献」
・2002年(平成14)[化学賞]田中耕一「生体高分子の同定および構造解析のための手法の開発」
・2008年(平成20)[物理学賞]小林誠「小林・益川理論とCP対称性の破れの起源の発見による素粒子物理学への貢献」
・2008年(平成20)[物理学賞]益川敏英「小林・益川理論とCP対称性の破れの起源の発見による素粒子物理学への貢献」
・2008年(平成20)[物理学賞]南部陽一郎「素粒子物理学における自発的対称性の破れの発見」(注:受章時はアメリカ国籍)
・2008年(平成20)[化学賞]下村脩「緑色蛍光タンパク質 (GFP) の発見と生命科学への貢献」
・2010年(平成22)[化学賞]根岸英一「クロスカップリングの開発」 
・2010年(平成22)[化学賞]鈴木章「クロスカップリングの開発」
・2012年(平成24)[生理学・医学賞]山中伸弥「様々な細胞に成長できる能力を持つiPS細胞の作製」
・2014年(平成26)[物理学賞]中村修二「高輝度で省電力の白色光源を可能にした青色発光ダイオードの発明」(注:受章時はアメリカ国籍) 
・2014年(平成26)[物理学賞]赤崎勇「高輝度で省電力の白色光源を可能にした青色発光ダイオードの発明」
・2014年(平成26)[物理学賞]天野浩「高輝度で省電力の白色光源を可能にした青色発光ダイオードの発明」
・2015年(平成29)[物理学賞]梶田隆章「ニュートリノが質量を持つことを示すニュートリノ振動の発見」
・2015年(平成27)[生理学・医学賞]大村智「線虫の寄生によって引き起こされる感染症に対する新たな治療法に関する発見」  
・2016年(平成28)[生理学・医学賞]大隅良典「オートファジーの仕組みの解明」
・2017年(平成29)[文学賞]カズオ・イシグロ「感情に強く訴える小説群により、世界とつながっているという我々の幻想に潜む深淵を明るみに出したことに対して」(注:受賞時はイギリス国籍)
・2018年(平成30)[生理学・医学賞]本庶佑「免疫チェックポイント阻害因子の発見とがん治療への応用」
・2019年(令和元)[化学賞]吉野彰「リチウムイオン二次電池の開発」 

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1901年(明治34)俳人山口誓子の誕生日詳細
1938年(昭和13)第1次近衛内閣が、「東亜新秩序の建設」(第二次近衛声明)を出す詳細
1946年(昭和21)日本国憲法」が公布される詳細
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