ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

タグ:渋沢栄一

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 今日は、明治時代後期の1911年(明治44)に、日本初の純洋式大劇場となる(初代)帝国劇場が落成(開館は3月1日)した日です。
 帝国劇場(ていこくげきじょう)は、東京都千代田区丸の内3丁目にある劇場で、通称「帝劇(ていげき)」と呼ばれています。1906年(明治39)に、劇場新設のための委員会(委員長は渋沢栄一)が発足し、1907年(明治40)3月9日には、帝国劇場株式会社が正式に成立して、建設が始まりました。
 1911年(明治44)2月10日に落成しましたが、ルネサンス風のフランス様式を模した劇場で、建坪約2,000㎡、観客席は4階まですべて椅子席(1,700席)で、オーケストラ・ボックスを持つ新しい劇場機構、観劇制度が評判を呼びます。同年3月1日に開館し、6世尾上梅幸、7世松本幸四郎が専属となり歌舞伎を上演する一方、翻訳劇や創作劇を並行して取り上げ、帝国劇場付属技芸学校を設立して女優の養成にも乗り出しました。
 大正時代には、エルマン、クライスラー、パブロワら海外の一流音楽家、舞踊家を招くなど文化交流にも尽くします。しかし、1923年(大正12)9月1日の関東大震災で、隣接する警視庁から出た火災により外郭を残して焼け落ちたものの、翌年には、横河民輔により改修されて再開しました。
 1930年(昭和5)に松竹の経営となり、間もなく洋画封切館に転用、SYチェーン(松竹洋画系)の基幹劇場となりましたが、1939年(昭和14)には、運営会社を東宝が合併します。翌年に、松竹の賃借期限が切れると共に、東宝の手により元の演劇主体の興行形態に戻されたものの、内閣情報部が庁舎として利用することとなり、9月15日の新国劇の上演をもって休演となりました。
 1945年(昭和20)の太平洋戦争敗戦後、初公演として、六世尾上菊五郎一座の「銀座復興」が行われ、て復活します。1955年(昭和30)には、舞台に巨大映画スクリーン・シネラマが設置され、再びシネラマ主体の洋画ロードショー用の映画館に転じました。1964年(昭和39)に映画「アラビアのロレンス」が上映されましたが、翌年には、都市高層化の波で建物が取り壊され、解体されています。しかし、1966年(昭和41)に敷地内(丸の内3丁目)に新築されたビルの中の1,900の客席をもつ、2代目の大劇場となり、廻り舞台は大小4つの迫りが内部に設置されており、直径16.4m・高さ22mあって、地上1階から地下6階までを貫く構造となりました。
 開場記念公演の「風と共に去りぬ」は6ヶ月のロングランでヒットし、その後ミュージカルや大型娯楽劇を柱に東宝演劇の中心的劇場となります。1969年(昭和44)に「日本レコード大賞」の発表会会場として使用開始(~1984年)され、1989年(平成元)には、「レ・ミゼラブル」が初演され、以後の看板公演になりました。
 2022年(令和4)9月27日に、竣工から約56年を経過したことなどにより、一体的に建て替えることが発表され、2025年(令和7)には、建て替えのために、一時休館の予定(2030年度の開館見込)となっています。

〇帝国劇場関係略年表

・1906年(明治39) 劇場新設のための委員会(委員長は渋沢栄一)が発足する
・1907年(明治40)3月9日 帝国劇場株式会社が正式に成立する
・1911年(明治44) 2月10日に落成し、3月1日に開館する
・1912年(大正元) イタリア人のジョヴァンニ・ヴィットーリオ・ローシーを招いて歌劇・バレエを上演する
・1915年(大正4) ローシー振付 「夢幻的バレエ」が上演される
・1916年(大正5) ロシアの舞踊が上演される
・1922年(大正11) パヴロワ婦人露国舞踊劇一座の上演が行われる
・1923年(大正12) 関東大震災では隣接する警視庁から出た火災により外郭を残して焼け落ちる
・1924年(大正13) 横河民輔により改修されて再開する
・1929年(昭和4) スペイン舞踏家ラ・アルヘンティーナの来日公演が行われる
・1930年(昭和5) 松竹の経営となり、間もなく洋画封切館に転用、SYチェーン(松竹洋画系)の基幹劇場となる
・1938年(昭和13) 「江口・宮舞踊研究所」旗揚げ公演「麦と兵隊」が行われる
・1939年(昭和14) 運営会社を東宝が合併する
・1940年(昭和15) 松竹の賃借期限が切れると共に、東宝の手により元の演劇主体の興行形態に戻されたものの、内閣情報部が庁舎として利用することとなり、9月15日の新国劇の上演をもって休演となる
・1944年(昭和19) 地下食堂が一般人でも利用できる雑炊食堂として供される
・1945年(昭和20) 太平洋戦争敗戦後の初公演として、六世尾上菊五郎一座の「銀座復興」が行われる
・1946年(昭和21) 東京バレエ団の白鳥の湖(8月9日〜30日、日本初演)が行われる
・1947年(昭和21) 「江口・宮舞踊研究所」伊福部昭作曲「イゴザイダー」が上演される
・1948年(昭和21) 貝谷八百子振付「サロメ」伊福部昭作曲が上演される
・1948年(昭和21) 石井漠振付『さまよえる群像』 伊福部昭作曲が上演される
・1949年(昭和21) 貝谷八百子振付「パスカーナ(憑かれたる城)」伊福部昭作曲が上演される
・1950年(昭和21) 「江口・宮舞踊研究所」 伊福部昭作曲「プロメテの火」が上演される
・1955年(昭和30) 舞台に巨大映画スクリーン・シネラマが設置され、再びシネラマ主体の洋画ロードショー用の映画館に転じる
・1964年(昭和39) 映画「アラビアのロレンス」が上映される
・1965年(昭和40) 都市高層化の波で建物が取り壊され、解体される
・1966年(昭和41) 敷地内(丸の内3丁目)に新築されたビルの中の1,900の客席をもつ大劇場となり、「風と共に去りぬ」が上演される
・1967年(昭和42) 「屋根の上のバイオリン弾き」が上演される
・1969年(昭和44) 「日本レコード大賞」の発表会会場として使用開始される(~1984年)
・1989年(平成元) 「レ・ミゼラブル」が初演され、以後帝劇の看板公演になる
・1992年(平成4) 「ミス・サイゴン」が上演される
・1999年(平成11) オリジナル・ミュージカル「ローマの休日」を上演する
・2022年(令和4)9月27日 竣工から約56年を経過したことなどにより、一体的に建て替えることが発表される
・2025年(令和7) 建て替えのために、一時休館の予定(2030年度の開館見込)となっている

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1439年(永享11)鎌倉永安寺で第4代鎌倉公方足利持氏が叔父満貞と共に自害し、鎌倉府が滅亡する(新暦3月24日)詳細
1657年(明暦3)儒学者・政治家新井白石の誕生日(新暦3月24日)詳細
1903年(明治36)病理学者吉田富三の誕生日詳細
1904年(明治37)「露国に対する宣戦の詔勅」が発せられて、日露戦争に対して正式に宣戦が布告される詳細
1907年(明治40) 薬学者・有機化学者津田恭介の誕生日詳細
1929年(昭和4)日本プロレタリア作家同盟(ナルプ)の創立大会が開かれる詳細
1940年(昭和15)「津田事件」により、津田左右吉の『古事記及び日本書紀の研究』等の著書4冊が発禁となる詳細
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 今日は、明治時代中頃の1890年(明治23)に、木骨煉瓦造り3階建て約60室の初代帝国ホテルが完成し、竣工式が行われた日です。
 帝国ホテル(ていこくほてる)は、東京都千代田区内幸町にあるホテルで、日本を代表するホテルの一つとされてきました。1888年(明治21)に、井上馨の発議により、渋沢栄一と大倉喜八郎が有限責任東京ホテル会社を設立し、1890年(明治23)に木骨煉瓦造、3階建、客室数約60の帝国ホテルが落成し、11月20日に竣工式が行われます。
 1893年(明治26)に帝国ホテル株式会社に改称し、1907年(明治40)には、株式会社メトロポールホテルと合併し、株式会社帝国ホテルとなりました。1920年(大正9)にアメリカ合衆国の建築家フランク・ロイド・ライトの設計による新館(ライト館)の工事に着工したものの、1922年(大正11)に本館が火災により焼失、翌年に完成した新館(ライト館)が本館となります。
 1933年(昭和8)には、上高地帝国ホテルも開業しました。太平洋戦争後の1945年(昭和20)に連合軍の将官およびGHQ高官用宿舎として接収されたものの、1952年(昭和27)に自由営業が再開されます。
 1953年(昭和28)に金井寛人が株式の多くを獲得して会長となり、1954年(昭和29)にライト館の裏手に客室数170の第一新館が完成、1958年(昭和33)には、その横に地上10階、地下5階、客室数450の第二新館が完成しました。1964年(昭和39)にライト館を取り壊し、その跡地に新たに鉄筋コンクリート造、地上17階、地下3階、客室数772の新本館を建設することが発表され、1967年(昭和42)にライト館が閉鎖され、翌年には取り壊し、一部を明治村に移築保存することとなります。
 1970年(昭和45)に地上17階の新本館が完成しましたが、1977年(昭和52)の金井の死後、その全持ち株が国際興業に譲渡され、2007年(平成19)には、その大半が三井不動産に売却され、三井不動産が筆頭株主となりました。その間、1996年(平成8)に帝国ホテル大阪が開業、その後、2016年(平成27)には、地下1階-地上4階のインペリアルタワー(現帝国ホテルタワー)が完成しています。

〇帝国ホテル関係略年表

・1886年(明治19) 東京の官庁集中計画が練られた際に、外国人の接遇所を兼ねた国を代表する大型ホテルの設計が組み込まれる
・1887年(明治20) 井上馨の発議により、渋沢栄一と大倉喜八郎が、有限責任東京ホテル会社を設立する
・1888年(明治21) 有限責任帝国ホテル会社とする
・1890年(明治23)11月3日 木骨煉瓦造、3階建、客室数約60の帝国ホテルが落成する
・1890年(明治23)11月20日 帝国ホテルの竣工式が行われる
・1893年(明治26) 「帝国ホテル株式会社」に改称する
・1907年(明治40) 「株式会社メトロポールホテル」と合併し「株式会社帝国ホテル」となる
・1909年(明治42) 渋沢 栄一が帝国ホテル取締役会長を辞任し、大倉喜八郎が取締役会長に就任する
・1910年(明治43) 宮内省御用に指定される
・1916年(大正5) 臨時株主総会で新ホテル建設を決議する
・1920年(大正9) アメリカ合衆国の建築家フランク・ロイド・ライトの設計による新館(ライト館)の工事に着工する
・1922年(大正11) 本館が火災により焼失する
・1923年(大正12)8月 フランク・ロイド・ライトによる新館(ライト館)が落成する
・1933年(昭和8)10月 上高地帝国ホテルが開業する
・1945年(昭和20)9月 連合軍の将官およびGHQ高官用宿舎として接収される
・1950年(昭和25)9月 政府登録ホテル第一号となる
・1952年(昭和27)4月 自由営業が再開される
・1953年(昭和28) 金井寛人が株式の多くを獲得して会長となる
・1954年(昭和29) ライト館の裏手(現在インペリアル・タワーが建っている敷地)に客室数170の第一新館が完成する
・1958年(昭和33) 第一新館の横に地上10階、地下5階、客室数450の第二新館が完成する
・1964年(昭和39) ライト館を取り壊し、その跡地に新たに鉄筋コンクリート造、地上17階、地下3階、客室数772の新本館を建設することが発表される
・1967年(昭和42) ライト館が閉鎖される
・1968年(昭和43) ライト館の取りこわしのため、一部を明治村に移築保存する
・1970年(昭和45) 地上17階の新本館が完成する
・1977年(昭和52) 金井の死後、その全持ち株が小佐野賢治の国際興業に譲渡される
・1996年(平成8) 帝国ホテル大阪が開業する
・2004年(平成16) 国際興業がサーベラスに買収される
・2007年(平成19)10月 国際興業保有帝国ホテル株式の大半が三井不動産に売却され、三井不動産が筆頭株主となる
・2016年(平成27) 地下1階-地上4階のインペリアルタワー(現帝国ホテルタワー)が完成する

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1858年(安政5)政治家尾崎行雄の誕生日(新暦12月24日)詳細
1942年(昭和17)日本文学報国会が企画・選定した「愛国百人一首」が情報局より発表される詳細
1945年(昭和20)GHQが「無線通信の統制に関する覚書」 (SCAPIN-321)を出す詳細
1959年(昭和34)国連総会において「児童の権利に関する宣言」が採択される(世界こどもの日)詳細
2005年(平成17)書家村上三島の命日詳細

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