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 今日は、昭和時代後期の1986年(昭和61)に、東京都の清流復活事業により、玉川上水が21年ぶりに通水され、小平地点より下流部分の清流が復活した日です。
 玉川上水(たまがわじょうすい)は、江戸時代前期から明治時代にかけて、江戸市中へ飲料水を供給していた用水路で、神田上水、千川上水と共に江戸三上水の一つとされています。江戸幕府第4代将軍徳川家綱の時代の1653年 (承応2) に、町人・清右衛門の建議を受けて、同年4月4日に庄右衛門・清右衛門兄弟が、多摩川中流羽村と四谷大木戸間の水路を着工しました。
 2度の失敗を経て、総奉行松平信綱のもとに1654年(承応3年6月20日)に、この区間が竣工し、翌年に四谷大木戸から江戸城虎ノ門前までが完成します。これ以後は、配水路が次々に延長されていって、江戸の南部方面に配水されました。
 多摩川の水を羽村(現在の東京都羽村市)で取水し、拝島-立川-武蔵境-下高井戸-四谷大木戸 (現在の東京都新宿区)間の約43kmは、自然流下により導水する開渠で、ここからは、石樋や木管で江戸城・武家屋敷・庶民の居住地等に給水されます。その後、野火止(のびどめ)、青山、三田、千川の各分水が設けられ、飲料水あるいは灌漑用水として利用されました。
 庄右衛門・清右衛門は、この功績により玉川姓を許され、玉川上水役のお役目を命じられ、その経営を請け負って、玉川両家で世襲されます。しかし、1739年(元文4)両家とも役を罷免され、以後同上水は幕府の直営となりました。
 明治時代になっても使用され、1898年(明治31)に東京に改良水道が完成した後も、1965年(昭和40)まで淀橋浄水場への導水路として利用され、現在は立川市砂川から東村山市浄水場へ送水されるようになります。これに伴い、小平地点より下流部分は流水がとだえましたが、東京都の施策により、1986年(昭和61)8月27日に清流が復活し、開渠部分の約30.4kmが、2003年(平成15)に国の史跡に指定されました。

〇玉川上水関係略年表(明治5年以前の日付は旧暦です)

・1653年 (承応2年4月4日) 庄右衛門・清右衛門兄弟が多摩川中流羽村と四谷大木戸間の水路を着工する
・1654年(承応3年6月20日) 総奉行松平信綱のもとにに、羽村~四谷大木戸間が竣工する
・1655年(明暦元) 四谷大木戸から江戸城虎ノ門前までが完成する
・1655年(明暦元) 分水の一つ、野火止用水が開削される
・1659年(万治2) 維持管理費用として水上修復料銀の徴収が始まる
・1660年(万治3) 分水の一つ、青山上水が開設される
・1664年(寛文4) 分水の一つ、三田上水が開削される
・1696年(元禄9) 分水の一つ、千川上水が完工する
・1739年(元文4) 玉川両家が共に玉川上水役を罷免され、以後同上水は幕府の直営となる
・1898年(明治31) 東京に改良水道が完成する
・1901年(明治34) 東京の上水用としては廃止される
・1965年(昭和40) 淀橋浄水場廃止まで、導水路として利用される
・1986年(昭和61)8月27日 東京都の施策により、小平地点より下流部分の清流が復活する
・2003年(平成15) 開渠部分の約30.4kmが国の史跡に指定される

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

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