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 今日は、江戸時代後期の1820年(文政3)に、備中鴨方藩士・文人画家浦上玉堂の亡くなった日ですが、新暦では10月10日となります。
 浦上玉堂(うらかみ ぎょくどう)は、江戸時代中期の1745年(延享2)に、備前岡山藩の支藩鴨方藩士の家に生まれましたが、姓は紀、名は弼(ひつ)、字は君輔(きんすけ)、通称は兵右衛門と言いました。7歳のとき父を亡くし、家督を嗣ぎましたが、母一人子一人の孤独な境遇となります。
 9歳で『小学』を読み、10歳で藩校へ入学し、儒学を学び、16歳の年には藩学において大生となりました。この年に1歳年上の藩主池田政香の御側詰となりましたが、政香は1768年(明和5)に25歳で没します。
 1774年(安永3)から翌年にかけての江戸詰の際には、崎門学派の玉田黙翁に師事して朱子学を修め、多紀藍渓について琴を学び、また自宅を訪れた司馬江漢や春木南湖、海量ら文人墨客と交流、『玉堂琴譜』を出版しました。1779年(安永8)には、明の顧元昭作の琴を手に入れ、のちその銘「玉堂清韻」によって号を玉堂とします。
 武士としては、大目付にまで進みましたが、次第に好事の世界へ傾斜し、1787年(天明7)43歳のときには、大取次御小姓支配役へと左遷されました。48歳で妻を亡くし、自由な文人生活にあこがれて、1794年(寛政6)50歳のときには、春琴、秋琴の2児を連れて脱藩、画筆と琴を持って全国を遊歴しながら、詩情豊かな山水図を多く描くようになります。
 晩年は京都に落ち着いて、文人画家として風流三昧の生活を送り、詩人としての評価も得ましたが、1820年(文政3年9月4日)に、数え年76歳で亡くなりました。

〇浦上玉堂の主要な作品

・『凍雲篩雪図(とううんしせつず)』川端康成記念会所蔵 国宝
・『山中結廬図』(1792年)東京国立博物館蔵 国指定重要文化財
・『煙霞帖』(1811年)梅沢記念館蔵 国指定重要文化財
・『秋色半分図』(1818年)愛知県美術館蔵 国指定重要文化財
・『酔雲醒月図』(1818年)愛知県美術館蔵 国指定重要文化財
・『山水図(深山渡橋図)』(1818年)愛知県美術館蔵 国指定重要文化財
・『五言絶句』(1818年)愛知県美術館蔵 国指定重要文化財
・『山紅於染図(さんこうおせんず)』愛知県美術館蔵 国指定重要文化財
・『双峯挿雲図』出光美術館蔵 国指定重要文化財
・『籠煙惹滋図(ろうえんじゃくじず)』出光美術館蔵 国指定重要文化財
・『一晴一雨図』個人蔵 国指定重要文化財
・『山雨染衣図』個人蔵 国指定重要文化財
・『鼓琴余事帖』個人蔵 国指定重要文化財
・『野橋可立図』

〇浦上玉堂の主要な著作

・『玉堂琴譜』
・『玉堂詩集』