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 今日は、平成時代の2018年(平成30)に、推理作家内田康夫が亡くなった日です。
 内田康夫(うちだ やすお)は、昭和時代前期の1934年(昭和9)11月15日に、東京府東京市滝野川区(現在の東京都北区)において、医師の家庭に生まれました。実家が太平洋戦争の戦災に遭い、長野市を皮切りに戸隠山麓の村、秋田県羽後町、雄勝町、埼玉県、静岡県沼津市などを転々とし、秋田県秋の宮(現湯沢市、旧雄勝町)に疎開もしています。
 戦後の1950年(昭和25)に、埼玉県立川越高校へ入学、翌年に東京都内の高校へ転学し、東洋大学文学部へ進んだものの、中退しました。その後、日本テレビジョン、一光社でCMアニメの制作スタッフとして働いてから、コピーライター、CM製作会社の社長を経験しています。
 1980年(昭和55)に第一作『死者の木霊』、翌年には、第二作『本因坊殺人事件』を続けて栄光出版社より自費出版しました。1982年(昭和57)に、作家業に専念、『後鳥羽伝説殺人事件』が廣済堂出版より発刊されて商業ベースのデビュー作となります。
 1983年(昭和58)には、長野県北佐久郡軽井沢町へ転居し、フリーのルポライター・浅見光彦が事件の謎を解くミステリーシリーズなどを発表して、人気作家となりました。1996年(平成8)に東京都北区アンバサダーに就任、1999年(平成11)に沖縄県を舞台にした『ユタが愛した探偵』で浅見光彦の全国制覇を達成、2006年(平成18)には、『棄霊島』で浅見光彦100事件も達成します。
 多くの作品がテレビドラマ化されて人気を博し、2007年(平成19)には、著作累計部数1億冊を突破しました。2008年(平成20)に、それまでの功績により第11回日本ミステリー文学大賞を受賞、趣味の碁では、第2回「文人碁会」で優勝もしています。
 2015年(平成27)に、脳梗塞で倒れたものの、一般財団法人内田康夫財団が設立され、翌年には、長野県北佐久郡軽井沢町長倉に「浅見光彦記念館」が開館しました。2017年(平成29)に、小説の休筆を宣言し、短歌を発表しながら療養を続けていましたが、2018年(平成30)3月13日に、東京都内において、83歳で亡くなっています。

<内田康夫の代表的な著作>

・推理小説『死者の木霊』(1980年)
・推理小説『本因坊殺人事件』(1981年)
・推理小説『後鳥羽伝説殺人事件』(1982年)
・推理小説『「萩原朔太郎」の亡霊』(1982年)
・推理小説『戸隠伝説殺人事件』(1983年)
・推理小説『天河伝説殺人事件』(1988年)
・戦争小説『靖国への帰還』(2007年)
・歴史小説『地の日 天の海』(2008年)

☆内田康夫関係略年表

・1934年(昭和9)11月15日 東京府東京市滝野川区(現在の東京都北区)において、生まれる
・1950年(昭和25) 埼玉県立川越高校へ入学する
・1951年(昭和26) 東京都内の高校へ転学する
・1980年(昭和55) 第一作『死者の木霊』を栄光出版社より自費出版する
・1981年(昭和56) 第二作『本因坊殺人事件』を栄光出版社より自費出版する
・1982年(昭和57) 作家業に専念、『後鳥羽伝説殺人事件』が廣済堂出版より発刊されて商業ベースのデビュー作となる
・1983年(昭和58) 長野県北佐久郡軽井沢町へ転居する
・1996年(平成8) 東京都北区アンバサダーに就任する
・1999年(平成11) 沖縄県を舞台にした『ユタが愛した探偵』で全国制覇を達成する
・2006年(平成18) 『棄霊島』で浅見光彦100事件を達成する
・2007年(平成19) 著作累計部数1億冊突破する
・2008年(平成20) 功績により第11回日本ミステリー文学大賞を受賞、第2回「文人碁会」で優勝する
・2015年(平成27) 脳梗塞で倒れる、一般財団法人内田康夫財団が設立される
・2016年(平成32) 長野県北佐久郡軽井沢町長倉に「浅見光彦記念館」が開館する
・2017年(平成29) 小説の休筆を宣言する
・2018年(平成30)3月13日 83歳で亡くなる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

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