
開成学校(かいせいがっこう)は、明治初期の官立学校で、江戸幕府が設立していた開成所が、明治新政府に接収されて改称されたもので、洋学教育、翻訳・出版認可等の役割が課されました。翌年(明治2年12月17日)に、大学南校(現在の東京大学法学部・文学部・理学部の前身)となり、南校,第一大学区第一番中学を経て、1873年(明治)に専門学校として開成学校が設置されます。
翌年に東京開成学校と改称され、外国人教師指導の下で、英語で法学・理学・工業学、フランス語で諸芸学、ドイツ語で鉱山学の専門教育が行われると共に、予科の語学教育と普通教育にも力点が置かれました。1877年(明治10年)には、東京医学校と統合されて、東京大学が設立されます。
翌年に東京開成学校と改称され、外国人教師指導の下で、英語で法学・理学・工業学、フランス語で諸芸学、ドイツ語で鉱山学の専門教育が行われると共に、予科の語学教育と普通教育にも力点が置かれました。1877年(明治10年)には、東京医学校と統合されて、東京大学が設立されます。
〇開成学校関係略年表(日付は旧暦です)
・1744年(延享元年) 徳川吉宗が外神田に天文台を建てる
・1811年(文化8年) 天文方から新しく蕃書和解(ばんしょわげ)御用方が設けられる
・1853年(嘉永6年6月) 黒船(ペリー艦隊)が来航する
・1854年(安政元年3月) 「日米和親条約」締結の中で、蕃書和解御用方が多忙となる
・1855年(安政2年8月30日) 御用方は「洋学所」と改めて独立する
・1855年(安政2年10月2日) 安政江戸地震で全壊焼失する
・1856年(安政3年2月11日) 幕府は洋学所を「蕃書調所」と改称する
・1856年(安政3年2月13日) 江戸飯田町九段坂下の竹本正雅(図書頭、中奥小姓)屋敷地に設立する
・1857年(安政4年1月18日) 開場し、幕府旗本・御家人等の子弟も洋学教育を受けられるようになる
・1858年(安政5年) 藩士の入学も認められるようになる
・1860年(万延元年) 小川町に移転する
・1860年(万延元年7月) プロシア東洋遠征艦隊来航の際、蕃書調所の市川斎宮が「独逸学」を学ぶ公命を受ける
・1862年(文久2年) 学問所奉行および林大学頭の管轄下に入り、幕府官立学校となる
・1862年(文久2年) 洋書調所に独逸学科が開設される
・1862年(文久2年5月18日) 一橋門外護持院原(神田一ツ橋通り)に移転する
・1862年(文久2年5月23日) 「洋書調所」と改称してに開校する
・1863年(文久3年8月29日) 洋書調所を「開成所」に改称する
・1864年(元治元年) 「開成所規則」が制定され、オランダ語、英語、フランス語、ドイツ語、ロシア語の5ヶ国語のほか、天文学、地理学、窮理学、数学、物産学、化学、器械学、画学、活字術の9学科が定められる
・1868年(明治元年9月12日) 幕府が倒れ、開成所は明治新政府に接収され、官立の開成学校と改称される
・1869年(明治2年12月17日) 大学南校(現在の東京大学法学部・文学部・理学部の前身)となる(医学校が大学東校)
・1871年(明治4年) 南校と改称される、
・1872年(明治5年) 第一大学区第一番中学と改称される
・1873年(明治6年) 専門学校として開成学校が設置される
・1874年(明治7年) 東京開成学校と改称される