ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

タグ:法令

kyuuseidai5koutougattkou01

 今日は、明治時代中頃の1894年(明治27)に、「(第1次)高等学校令」が公布(施行は同年9月11日)された日です。
 「高等学校令(こうとうがっこうれい)」は、近代日本の旧制高等学校について定めた勅令(明治27年6月25日勅令第75号)でしたが、1918年(大正7)12月6日にも「高等学校令」(大正7年12月6日勅令第389号)が出されていますので、こちらを「第1次高等学校令」と通称されてきました。当時の文部大臣であった井上毅の主導により制定されたもので、それまでに設立されていた第一高等中学校(東京)、第二高等中学校(京都)、第三高等中学校(仙台)、第四高等中学校(金沢)、第五高等中学校(熊本)を高等学校と改称する(第1条)ものです。
 そして、「高等学校ハ専門学科ヲ教授スル所トス但帝国大学ニ入学スル者ノ為メ予科ヲ設クルコトヲ得」(第2条)と定められ、専門学科は法学部、工学部、医学部などで4年制とされ、予科は3年制とされました。その後、「高等中学校令」により廃止されることになっていましたが、それは施行されずに廃止され、本令が存続します。
 さらに、同年の「明治27年9月27日文部省告示第8号」により山口高等学校(1904年に山口高等商業学校と改称)、1899年の「明治33年勅令第84号」により第六高等学校(岡山)、1900年の「明治34年勅令第24号」により第七高等学校造士館(鹿児島)、1907年の「明治41年勅令第68号」により第八高等学校(名古屋)が設立されました。しかし、1918年(大正7)12月6日に公布された「(第2次)高等学校令」が翌年4月1日に施行されるに至って、本令は廃止されています。
 尚、「(第2次)高等学校令」は、太平洋戦争後の1947年(昭和22)4月1日に施行された「学校教育法」(昭和22年法律第26号)により廃止され、六・三・三・四制の教育制度に替わりました。
 以下に、「(第1次)高等学校令」(明治27年6月25日勅令第75号)と「(第2次)高等学校令」(大正7年12月6日勅令第369号)を掲載しておきますので、ご参照下さい。

〇「(第1次)高等学校令」(明治27年6月25日勅令第75号)

第一条 第一高等中学校、第二高等中学校、第三高等中学校、第四高等中学校及第五高等中学校ヲ高等学校ト改称ス

第二条 高等学校ハ専門学科ヲ教授スル所トス但帝国大学ニ入学スル者ノ為メ予科ヲ設クルコトヲ得

第三条 高等学校ハ其ノ附属トシテ低度ナル特別学科ヲ設クルコトヲ得

第四条 高等学校ニ於テ設クル所ノ学科及講座ノ数ハ文部大臣之ヲ定ム

附則

第五条 本令ハ明治二十七年九月十一日ヨリ施行ス但各高等学校ニ於テ学科ヲ設置スルノ時期ハ文部大臣之ヲ指定スヘシ

本令ヲ施行シ又一部ヲ施行スル所ノ高等学校ニ於テ高等中学校ノ学科ヲ履修スル年期内ニ在ル生徒ノ為ニ旧学科ヲ存スルコトヲ得

〇「(第2次)高等学校令」(大正7年12月6日勅令第369号)

第一条 高等学校ハ男子ノ高等普通教育ヲ完成スルヲ以テ目的トシ特ニ国民道徳ノ充実ニ力ムヘキモノトス

第二条 高等学校ハ官立、公立又ハ私立トス

第三条 高等学校ヲ設立スルコトヲ得ル公共団体ハ北海道及府県トス

第四条 私立高等学校ハ財団法人タルコトヲ要ス但シ特別ノ必要ニ因リ学校経営ノミヲ目的トスル財団法人カ其ノ事業トシテ之ヲ設立スル場合ハ此ノ限ニ在ラス

第五条 前条ノ財団法人ハ高等学校ニ必要ナル設備又ハ之ニ要スル資金及少クトモ高等学校ヲ維持スルニ足ルヘキ収入ヲ生スル基本財産ヲ有スルコトヲ要ス但シ其ノ基本財産ノ額ハ五十万円ヲ下ルコトヲ得ス
 基本財産中前項ニ該当スルモノハ現金又ハ国債証券其ノ他文部大臣ノ定ムル有価証券トシ之ヲ供託スヘシ

第六条 公立及私立ノ高等学校ノ設立廃止ハ文部大臣ノ認可ヲ受クヘシ

第七条 高等学校ノ修業年限ハ七年トシ高等科三年尋常科四年トス
 高等学校ハ高等科ノミヲ置クコトヲ得

第八条 高等学校高等科ヲ分チテ文科及理科トス

第九条 高等学校ニハ高等科ヲ卒リタル者ノ為ニ専攻科ヲ置クコトヲ得其ノ修業年限ハ一年トス
 専攻科ヲ卒リタル者ハ得業士ト称スルコトヲ得
 専攻科ニ関スル規程ハ文部大臣之ヲ定ム

第十条 高等学校ニハ特別ノ必要アル場合ニ於テ予科ヲ置クコトヲ得但シ第七条第二項ノ高等学校ニ付テハ此ノ限ニ在ラス
 高等学校予科ニ関スル規程ハ文部大臣之ヲ定ム

第十一条 高等学校尋常科ニ入学スルコトヲ得ル者ハ当該学校予科ヲ修了シタル者、尋常小学校ヲ卒業シタル者又ハ文部大臣ノ定ムル所ニ依リ之ト同等以上ノ学力アリト認メラレタル者トス

第十二条 高等学校高等科ニ入学スルコトヲ得ル者ハ当該学校尋常科ヲ修了シタル者、中学校第四学年ヲ修了シタル者又ハ文部大臣ノ定ムル所ニ依リ之ト同等以上ノ学力アリト認メラレタル者トス

第十三条 高等学校ノ生徒定数ハ高等科四百八十人尋常科三百二十人以内トシ第七条第二項ノ高等学校ニ在リテハ専攻科ヲ除キ六百人以内トス

第十四条 高等学校ニ於テハ同科同学年ノ生徒ヲ以テ学級ヲ編制スヘシ
 一学級ノ生徒定数ハ四十人以内トス

第十五条 高等学校ニ於テハ文部大臣ノ定ムル所ニ依リ学科目ノ種類ニ従ヒ学級ノ異ナル生徒ヲ合シテ同時ニ之ヲ教授スルコトヲ得

第十六条 高等学校ノ教員ハ文部大臣ノ授与シタル高等学校教員免許状ヲ有スル者タルコトヲ要ス但シ文部大臣ノ定ムル所ニ依リ免許状ヲ有セサル者ヲ以テ之ニ充ツルコトヲ得
 高等学校教員免許状ニ関スル規程ハ文部大臣之ヲ定ム

第十七条 高等学校ノ設備、編制、学科目及其ノ程度、教科書並生徒ノ入学及懲戒、授業料入学料等ニ関スル規程ハ文部大臣之ヲ定ム

第十八条 公立及私立ノ高等学校ハ文部大臣ノ監督ニ属ス

第十九条 文部大臣ハ公立及私立ノ高等学校ニ対シ報告ヲ徴シ検閲ヲ行ヒ其ノ他監督上必要ナル命令ヲ為スコトヲ得

第二十条 本令ニ依ラサル学校ハ勅定規程ニ別段ノ定アル場合ヲ除クノ外高等学校ト称シ又ハ其ノ名称ニ高等学校タルコトヲ示スヘキ文字ヲ用ウルコトヲ得ス

附則

本令ハ大正八年四月一日ヨリ之ヲ施行ス
明治二十七年勅令第七十五号高等学校令及高等中学校令ハ之ヲ廃止ス
旧令ニ依ル高等学校ハ之ヲ本令ニ依ル高等学校トス
前項ノ高等学校ニハ当分ノ内第十三条ノ規定ヲ適用セス
高等学校大学予科ハ大正十八年八月三十一日マテ之ヲ存置ス

     「文部科学省ホームページ」より

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1734年(享保19)読本作者・歌人・国学者上田秋成の誕生日(新暦7月25日)詳細
1884年(明治17)岡倉天心とフェノロサが法隆寺夢殿の救世観音を調査詳細
1943年(昭和18)学徒戦時動員体制確立要綱」が閣議決定される詳細


このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

giyuutai001

 今日は、昭和時代前期の1945年(昭和20)に、「義勇兵役法」(昭和20年法律第39号)が公布・施行された日です。
 「義勇兵役法(ぎゆうへいえきほう」は、それまでの「兵役法」の徴兵対象を拡大して新たな兵役義務を課すした法律(昭和20年法律第39号)でした。太平洋戦争の末期に戦局が悪化し、本土決戦に備えるため、防空、警防、空襲被害の復旧などに全国民を動員するために、1945年(昭和20)3月23日に、小磯国昭内閣が「国民義勇隊組織ニ関スル件」として閣議決定し、まず国民義勇隊が組織されることとなり、同年6月には、既存の「大政翼賛会」、「大日本婦人会」、「大日本翼賛壮年団」、「大日本青少年団」などを解散のうえ統合します。地域では、町内会・部落会を単位小隊とする市町村国民義勇隊となり、職場では、官公署・工場・会社などを単位小隊とする職域国民義勇隊とされました。
 さらに6月23日には、この法律を公布・施行、「大東亞戰爭ニ際シ帝國臣民ハ兵役法ノ定ムル所ニ依ルノ外本法ノ定ムル所ニ依リ兵役ニ服ス」(第1条)とされ、16~61歳の男子、17~41歳の女子をもって「国民義勇戦闘隊」が編成され、「義勇召集ヲ免ルル爲逃亡シ若ハ潛匿シ又ハ身體ヲ毀傷シ若ハ疾病ヲ作爲シ其ノ他詐僞ノ行爲ヲ爲シタル者ハ二年以下ノ懲役ニ處ス」(第7条)されます。そして、軍との協力、施設防護、情報通信連絡、軍道路補修等の支援に当たらされました。
 しかし、敗戦後の8月21日に閣議で義勇隊の廃止が決定され、9月2日に解散することになり、10月24日には、「軍事特別措置法廃止等ニ関スル件」(昭和20年勅令第604号)により、法律も廃止されています。
 以下に、「義勇兵役法」(昭和20年法律第39号)の全文を掲載しておきますので、ご参照下さい。

〇「義勇兵役法」(昭和20年法律第39号)1945年(昭和20)6月23日公布・施行

第一條 大東亞戰爭ニ際シ帝國臣民ハ兵役法ノ定ムル所ニ依ルノ外本法ノ定ムル所ニ依リ兵役ニ服ス

 本法ニ依ル兵役ハ之ヲ義勇兵役ト稱ス

 本法ハ兵役法ノ適用ヲ妨グルコトナシ

第二條 義勇兵役ハ男子ニ在リテハ年齡十五年ニ達スル年ノ一月一日ヨリ年齡六十年ニ達スル年ノ十二月三十一日迄ノ者(敕令ヲ以テ定ムル者ヲ除ク)、女子ニ在リテハ年齡十七年ニ達スル年ノ一月一日ヨリ年齡四十年ニ達スル年ノ十二月三十一日迄ノ者之ニ服ス

 前項ニ規定スル服役ノ期閒ハ敕令ノ定ムル所ニ依リ必要ニ應ジ之ヲ變更スルコトヲ得

第三條 前條ニ揭グル者ヲ除クノ外義勇兵役ニ服スルコトヲ志願スル者ハ敕令ノ定ムル所ニ依リ之ヲ義勇兵ニ採用スルコトヲ得

 前項ノ規定ニ係ル義勇兵ノ服役ニ關シテハ敕令ノ定ムル所ニ依ル

第四條 六年ノ懲役又ハ禁錮以上ノ刑ニ處セラレタル者ハ義勇兵役ニ服スルコトヲ得ズ但シ刑ノ執行ヲ終リ又ハ執行ヲ受クルコトナキニ至リタル者ニシテ敕令ヲ以テ定ムルモノハ此ノ限ニ在ラズ

第五條 義勇兵ハ必要ニ應ジ敕令ノ定ムル所ニ依リ之ヲ召集シ國民義勇戰闘隊ニ編入ス

 本法ニ依ル召集ハ之ヲ義勇召集ト稱ス

第六條 義勇兵役ニ關シ必要ナル調査及屆出ニ付テハ命令ノ定ムル所ニ依ル

第七條 義勇召集ヲ免ルル爲逃亡シ若ハ潛匿シ又ハ身體ヲ毀傷シ若ハ疾病ヲ作爲シ其ノ他詐僞ノ行爲ヲ爲シタル者ハ二年以下ノ懲役ニ處ス

 故ナク義勇召集ノ期限ニ後レタル者ハ一年以下ノ禁錮ニ處ス

第八條 前條ノ規定ハ何人ヲ問ハズ帝國外ニ於テ其ノ罪ヲ犯シタル者ニモ亦之ヲ適用ス

第九條 國家總動員法第四條但書中兵役法トアルハ義勇兵役法ヲ含ムモノトス

附則

本法ハ公布ノ日ヨリ之ヲ施行ス

       「ウィキソース」より

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1794年(寛政6)大名・老中で天保の改革の主導者水野忠邦の誕生日(新暦7月19日)詳細
1908年(明治41)詩人・小説家国木田独歩の命日(独歩忌)詳細
1967年(昭和42)小説家壺井栄の命日詳細


このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

kankoukihonhou01

 今日は、昭和時代中期の1963年(昭和38)に、旧「観光基本法」が公布・施行された日です。
 旧「観光基本法(かんこうきほんほう)」は、国の観光政策に関する基本方針を示した法律でした。その目標として、①国際観光の発展と国民の健全な観光旅行の普及発達を図り、②国際収支の改善や国際親善の増進と、国民の保健の増進、勤労意欲の増進、教養の向上などに貢献し、③)ひいては国民経済の発展、国民生活の安定向上に寄与し、④あわせて地域格差の是正に資する(第1条)としています。
 その国の施策として、①外国人観光旅客の来訪の促進及び外国人観光旅客に対する接遇の向上を図ること。②国際観光地及び国際観光ルートの総合的形成を図ること。③観光旅行の安全の確保及び観光旅行者の利便の増進を図ること。④家族旅行その他健全な国民大衆の観光旅行の容易化を図ること。⑤観光旅行者の一の観光地への過度の集中の緩和を図ること。⑥低開発地域につき観光のための開発を図ること。⑦観光資源の保護、育成及び開発を図ること。⑧観光地における美観風致の維持を図ること。(第2条)を掲げていました。また、観光に関する年次報告書 (観光白書) の国会への提出 (第5条)、観光政策審議会の設置(第18条)なども規定しています。
 この法律は、何度か部分改正された後、2006年(平成18)12月20日に改題し、全面的に改正され、「観光立国推進基本法」(平成18年12月20日法律第117号)として受け継がれ、翌年1月1日に施行されました。
 以下に、旧「観光基本法」の制定当初の条文を掲載しておきますので、ご参照ください。

〇旧「観光基本法」(昭和38年6月20日法律第107号)制定当初のもの

 観光は、国際平和と国民生活の安定を象徴するものであつて、その発達は、恒久の平和と国際社会の相互理解の増進を念願し、健康で文化的な生活を亨受しようとするわれらの理想とするところである。また、観光は、国際親善の増進のみならず、国際収支の改善、国民生活の緊張の緩和等国民経済の発展と国民生活の安定向上に寄与するものである。
 われらは、このような観光の使命が今後においても変わることなく、民主的で文化的な国家の建設と国際社会における名誉ある地位の保持にとつてきわめて重要な意義を持ち続けると確信する。
 しかるに、現状をみるに、観光がその使命を達成できるような基盤の整備及び環境の形成はきわめて不十分な状態である。これに加え、近時、所得水準の向上と生活の複雑化を背景とする観光旅行者の著しい増加は、観光に関する国際競争の激化等の事情と相まつて、観光の経済的社会的存立基盤を大きく変化させようとしている。
 このような事態に対処して、特に観光旅行者の利便の増進について適切な配慮を加えつつ、観光に関する諸条件の不備を補正するとともに、わが国の観光の国際競争力を強化することは、国際親善の増進、国民経済の発展及び国民生活の安定向上を図ろうとするわれら国民の解決しなければならない課題である。
 ここに、観光の向かうベき新たなみちを明らかにし、観光に関する政策の目標を示すため、この法律を制定する。

   第一章 総則

 (国の観光に関する政策の目標)

第一条 国の観光に関する政策の目標は、観光が、国際収支の改善及び外国との経済文化の交流の促進と、国民の保健の増進、勤労意欲の増進及び教養の向上とに貢献することにかんがみ、外国人観光旅客の来訪の促進、観光旅行の安全の確保、観光資源の保護、育成及び開発、観光に関する施設の整備等のための施策を講ずることにより、国際観光の発展及び国民の健全な観光旅行の普及発達を図り、もつて国際親善の増進、国民経済の発展及び国民生活の安定向上に寄与し、あわせて地域格差の是正に資することにあるものとする。

 (国の施策)

第二条 国は、前条の目標を達成するため、次の各号に掲げる事項につき、その政策全般にわたり、必要な施策を総合的に講じなければならない。
 一 外国人観光旅客の来訪の促進及び外国人観光旅客に対する接遇の向上を図ること。
 二 国際観光地及び国際観光ルートの総合的形成を図ること。
 三 観光旅行の安全の確保及び観光旅行者の利便の増進を図ること。
 四 家族旅行その他健全な国民大衆の観光旅行の容易化を図ること。
 五 観光旅行者の一の観光地への過度の集中の緩和を図ること。
 六 低開発地域につき観光のための開発を図ること。
 七 観光資源の保護、育成及び開発を図ること。
 八 観光地における美観風致の維持を図ること。

 (地方公共団体の施策)

第三条 地方公共団体は、国の施策に準じて施策を講ずるように努めなければならない。

 (法制上の措置等)

第四条 政府は、第二条の施策を実施するため必要な法制上、財政上及び金融上の措置を講じなければならない。

 (年次報告等)

第五条 政府は、毎年、国会に、観光の状況及び政府が観光に関して講じた施策に関する報告書を提出しなければならない。
2 政府は、毎年、観光政策審議会の意見をきいて、前項の報告に係る観光の状況を考慮して講じようとする政策を明らかにした文書を作成し、これを国会に提出しなければならない。

   第二章 国際観光の振興

 (外国人観光旅客の来訪の促進)

第六条 国は、外国人観光旅客の来訪の促進を図るため、海外における観光宣伝活動の充実強化、国際交通機関及びこれに関連する施設の整備、外国人観光旅客の出入国に関する措置の改善等に必要な施策を講ずるものとする。

 (外国人観光旅客に対する接遇の向上)

第七条 国は、外国人観光旅客に対する接遇の向上を図るため、宿泊施設、食事施設、休憩施設、案内施設その他旅行に関する施設(以下「旅行関係施設」という。)で外国人観光旅客の利用に適するものの整備、通訳案内、旅行あつせんその他国際観光に関する事業を営む者のサービスの向上、観光みやげ品等の品質の改善、わが国の産業、文化及び家庭生活の紹介の強化等に必要な施策を講ずるものとする。

 (国際観光地及び国際観光ルートの総合的形成)

第八条 国は、国際観光地及び国際観光ルートの総合的形成を図るため、外国人観光旅客の観光に適する観光地及びその観光地間を連絡する経路につき、空港、港湾、鉄道、道路、駐車場、旅客船その他の観光の基盤となる施設(以下「観光基盤施設」という。)及び外国人観光旅客の利用に適する旅行関係施設の総合的整備等に必要な施策を講ずるものとする。

   第三章 観光旅行者の保護及び観光に関する施設の整備等

 (観光旅行の安全の確保)

第九条 国は、観光旅行の安全の確保を図るため、観光旅行における事故の発生の防止、観光に関する事業を営む者の不当な営利行為の防止等に必要な施策を講ずるものとする。

 (観光旅行者の利便の増進)

第十条 国は、観光旅行者の利便の増進を図るため、公共的旅行関係施設の整備、観光に関する事業を営む者のサービスの向上、観光に関する事業の健全な育成、旅行知識の普及等に必要な施策を講ずるものとする。

 (家族旅行その他健全な国民大衆の観光旅行の容易化)

第十一条 国は、家族旅行その他健全な国民大衆の観光旅行の容易化を図るため、家族旅行その他健全な国民大衆の観光旅行に適する旅行関係施設の整備等に必要な施策を講ずるものとする。

 (観光旅行者の過度の集中の緩和)

第十二条 国は、観光旅行者の一の観光地への過度の集中の緩和に資するため、観光旅行者が利用することが少ない観光地又は観光地として開発するのに適する地域で、その観光地の利用の促進又はその地域の観光地としての開発が観光旅行者の一の観光地への過度の集中の緩和に効果があると認められるものにつき、観光基盤施設及び旅行関係施設の整備等に必要な施策を講ずるものとする。

 (低開発地域の観光開発)

第十三条 国は、低開発地域でその地域内に観光地として開発するのに適する地域を含むものの開発を図るため、当該観光地として開発するのに適する地域につき、観光基盤施設及び旅行関係施設の整備等に必要な施策を講ずるものとする。

 (観光資源の保護、育成及び開発)

第十四条 国は、史跡、名勝、天然記念物等の文化財、すぐれた自然の風景地、温泉その他産業、文化等に関する観光資源の保護、育成及び開発を図るため必要な施策を講ずるものとする。

 (国土の美化)

第十五条 国は、観光地における美観風致の維持を図るため、屋外広告物等に関する規制その他国土の美化に必要な施策を講ずるものとする。

   第四章 行政機関及び観光関係団体

 (観光行政に関する組織の整備及び運営の改善)

第十六条 国及び地方公共団体は、第二条又は第三条の施策を講ずるにつき、相協力するとともに、行政組織の整備及び行政運営の改善に努めるものとする。

 (観光関係団体の整備)

第十七条 国は、国際観光の発展、観光地の開発の円滑な推進、観光旅行者の利便の増進及び観光に関する事業の健全な発達を図ることができるよう観光に関する団体の整備に必要な施策を講ずるものとする。

   第五章 観光政策審議会

 (設置)

第十八条 総理府に、附属機関として、観光政策審議会(以下「審議会」という。)を置く。

 (権限)

第十九条 審議会は、この法律の規定によりその権限に属させられた事項を処理するほか、内閣総理大臣又は関係各大臣の諮問に応じ、この法律の施行に関する重要事項を調査審議する。
2 審議会は、前項に規定する事項に関し、内閣総理大臣又は関係各大臣に意見を述べることができる。

 (組織)

第二十条 審議会は、委員三十人以内で組織する。
2 委員は、前条第一項に規定する事項に関し学識経験のある者のうちから、内閣総理大臣が任命する。
3 委員は、非常勤とする。

 (資料の提出等の要求)

第二十一条 審議会は、その所掌事務を遂行するため必要があると認めるときは、関係行政機関の長に対し、資料の提出、意見の開陳、説明その他必要な協力を求めることができる。

 (庶務)

第二十二条 審議会の庶務は、内閣総理大臣官房において処理する。

 (委任規定)

第二十三条 この法律に定めるもののほか、審議会の組織及び運営に関し必要な事項は、政令で定める。

   附 則

 (施行期日)

1 この法律は、公布の日から施行する。

 (総理府設置法の一部改正)

2 総理府設置法(昭和二十四年法律第百二十七号)の一部を次のように改正する。

  第十五条第一項の表中
「観光事業審議会 観光事業に関する基本的計画及びその他重要事業を調査審議すること。」を「観光政策審議会 観光基本法(昭和三十八年法律第百七号)の規定によりその権限に属せしめられた事項を行なうこと。」に改める。

                   「官報」より

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1495年(明応4)飯尾宗祇ら編集による『新撰菟玖波集』が完成する(新暦7月12日)詳細
1654年(承応3)江戸市中に水を供給する玉川上水が完成する(新暦7月21日)詳細
1887年(明治20)二葉亭四迷著の小説『浮雲』の第一篇が刊行される詳細
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

rokumeikan0001

 今日は、幕末明治維新期の1869年(明治2)に、「公卿諸侯ノ稱ヲ廢シ改テ華族ト稱ス」(明治2年6月17日太政官達)が出された日ですが、新暦では7月25日となります。
 「公卿諸侯ノ稱ヲ廢シ改テ華族ト稱ス(くぎょうしょこうのしょうをはいしあらためてかぞくとしょうす)」は、従来の身分制度の公卿・諸侯の呼称を廃止し、華族とすることが定められた太政官達で、「版籍奉還」の布告と同時に出されました。明治維新以前は清華家(摂関家に次いで大臣家の上に位し、大臣・大将を兼ねて太政大臣になることのできる家柄)の別称でしたが、従来の公家と諸侯を合わせて華族と称し、士族の上位におかれて、天皇より四民の範となるよう諭され、家禄も政府から支給されることになります。
 この時、公家137家、諸侯270家、明治維新後に公家となった家5家、維新後に諸侯となった家15家の合計427家が華族とされました。その後、1884年(明治17)の「華族令」(明治17年宮内省達)によって公・侯・伯・子・男の5爵が設けられ、従来の公卿、諸侯のほか明治維新およびその後国家に勲功のあった政治家、軍人などにも与えられるようになります。
 そして、華族は世襲で貴族院議員となったり、これを互選する権利、家督相続人の爵位の世襲制、「華族世襲財産法」や華族銀行たる第十五国立銀行の創立による華族財産の特別保護と管理などの特権が伴い、皇族と並ぶ特殊な身分を形成しました。しかし、太平洋戦争後の1947年(昭和22)5月3日の「日本国憲法」施行によって華族制度は廃止されています。
 以下に、「公卿諸侯ノ稱ヲ廢シ改テ華族ト稱ス」(明治2年6月17日太政官達)などの資料を掲載しておきますので、ご参照下さい。

〇「公卿諸侯ノ稱ヲ廢シ改テ華族ト稱ス」(明治2年6月17日太政官達)

官武一途上下共同の思召をもって自今、公卿諸侯の称、被廃改て華族と可称旨、被仰出候事

 但官位は、可為これまでの通事

〇「岩倉公実記」下巻1の明治2年6月17日の記述

 公卿諸侯ヲ華族ト稱シ知藩事ヲ置ク事

六月十七日公卿諸侯ノ稱ヲ廢シ改テ華族ト稱ス其達書ニ曰ク
 官武一途上下協同之思食ヲ以テ自今公卿諸侯之稱ヲ被廢改テ家族ト可稱旨被仰出候事
  但官位ハ可爲是迄之通候事

    「国立国会図書館デジタルコレクション」より

〇「華族令」(明治17年宮内省達) 1884年(明治17)7月7日布達

第一條 凡ソ爵ヲ授クルハ 勅旨ヲ以テシ宮內卿之ヲ奉行ス

第二條 爵ヲ分テ公侯伯子男ノ五等トス

第三條 爵ハ男子嫡長ノ順序ニ依リ之ヲ襲カシム女子ハ爵ヲ襲クコトヲ得ス但現在女戶主ノ華族ハ將來相續ノ男子ヲ定ムルトキニ於テ親戚中同族ノ者ノ連署ヲ以テ宮內卿ヲ經由シ授爵ヲ請願スヘシ

第四條 嗣今有爵者又ハ戶主死亡ノ後男子ノ相續スヘキ者ナキトキハ華族ノ榮典ヲ失フヘシ

第五條 有爵者ノ婦ハ其夫ニ均シキ禮遇及名稱ヲ享ク

第六條 華族戶主ノ戶籍ニ屬スル祖父母、父母及妻及嫡長子孫及其妻ハ俱ニ華族ノ禮遇ヲ享ク

第七條 本人生存中相續人ヲシテ爵ヲ襲カシムルコトヲ得ス

但刑法又ハ懲戒ノ處分ニ由リ爵ヲ奪ヒ又ハ族籍ヲ削ラレ更ニ特旨ヲ以テ相續人ニ授クル者ハ此例ニ在ラス

第八條 華族ノ戶籍及身分ハ宮內卿之ヲ管掌ス

第九條 華族及華族ノ子弟婚姻シ又ハ養子セントスル者ハ先ツ宮內卿ノ許可ヲ受クヘシ

第十條 華族ハ其子弟ヲシテ相當ノ敎育ヲ受ケシムルノ義務ヲ負フヘシ

      「ウィキソース」より

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1857年(安政4)江戸幕末の老中・備後福山藩主阿部正弘の命日(新暦8月6日)詳細
1869年(明治2)薩長土肥4藩が願い出た版籍奉還を許可し、藩主を知藩事に任命(新暦7月25日)詳細
1959年(昭和34)首都高速道路公団が設立される詳細


このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

koshyajihozonhou01

 今日は、明治時代後期の1897年(明治30)に、「古社寺保存法」(明治30年6月10日法律第49号)が公布された日です。
 「古社寺保存法(こしゃじほぞんほう)」は、古社寺の「特別保護建造物」や「国宝」の保存に関する事項を定めた法津でした。それまでは、「古器旧物保存方」(明治4年5月23日太政官布告第251号)があったのですが、岡倉天心や伊東忠太など及び、社寺等の関係者の運動もあって、さらなる古社寺保存の機運が高まり、1895年(明治28)の第9回帝国議会で貴族院・衆議院で、「古社寺保存会組織ニ関スル決議案」が可決され、内務省に古社寺保存会が設置されることになります。
 さらに、翌年の第10回帝国議会では「古社寺保存法案」が政府から提案され、一部修正のうえ成立し、1897年(明治30)6月10日に公布されました。内容は、古社寺の建造物および宝物類の保存を目的とし、社寺の建造物や宝物類の中から歴史の象徴または美術の模範となるものを「特別保護建造物」または「国宝」として指定、その保存経費について国が年5万円以上20万円以内の金額を補助することとしています。一方で、社寺等には宝物類の管理及び博物館展覧のための出品を義務付けました。
 この法律によって、毎年「特別保護建造物」と「国宝」の指定が進められていき、1919年(大正8)に、同法の一部改正がなされます。その後、1929年(昭和4)の「国宝保存法」(昭和4年3月28日法律第17号)の施行により、この法律は廃止され、「特別保護建造物」及び「国宝」は、「国宝保存法」の規定により指定された「国宝」とみなされました。ちなみに、「国宝保存法」施行時において、「国宝」とみなされた物件は、宝物類3,704件(絵画754件、彫刻1,856件、書跡479件、工芸347件、刀剣268件)、建造物845件、1,081棟となっています。
 以下に、「古社寺保存法」(明治30年6月10日法律第49号)の全文を掲載しておきますので、ご参照下さい。

〇「古社寺保存法」(明治三十年六月十日法律第四十九号)

第一条 古社寺ニシテ其ノ建造物及宝物類ヲ維持修理スルコト能ハサルモノハ保存金ノ下付ヲ内務大臣ニ出願スルコトヲ得

第二条 国費ヲ以テ補助保存スヘキ社寺ノ建造物及宝物類ハ歴史ノ証徴、由緒ノ特殊又ハ製作ノ優秀ニ就キ古社寺保存会ニ諮詢シテ内務大臣之ヲ定ム

第三条 前条ノ建造物及宝物類ノ修理ハ地方長官之ヲ指揮監督ス

第四条 社寺ノ建造物及宝物類ニシテ特ニ歴史ノ証徴又ハ美術ノ模範トナルヘキモノハ古社寺保存会ニ諮詢シ内務大臣ニ於テ特別保護建造物又ハ国宝ノ資格アルモノト定ムルコトヲ得

内務大臣ニ於テ前項ノ資格ヲ付シタル物件ハ官報ヲ以テ之ヲ告示ス

第五条 特別保護建造物及国宝ハ之ヲ処分シ又ハ差押フルコトヲ得ス但シ内務大臣ノ許可ヲ得テ国宝ヲ公開ノ展覧場ニ出陳スルハ此ノ限ニ在ラス

第六条 前条ノ物件ハ神職(官国幣社ニ在テハ宮司、府県郷社ニ在テハ社司、村社以下ニ在テハ社掌、以下之ニ做フ)若ハ住職之ヲ監守シ内務大臣ノ監督ニ属スルモノトス但シ内務大臣ノ許可ヲ経テ別ニ監守者ヲ置クコトヲ得

第七条 社寺ハ内務大臣ノ命ニ依リ官立又ハ公立ノ博物館ニ国宝ヲ出陳スルノ義務アルモノトス但シ祭典法用ニ必要ナルモノハ此ノ限ニ在ラス

前項ノ命ニ対シテハ訴願ヲ為スコトヲ得

第八条 前条ニ依リ国宝ヲ出陳シタル社寺ニハ命令ニ定メタル標準ニ従ヒ国庫ヨリ補給金ヲ支給スルモノトス

第九条 神職住職其ノ他ノ監守者ニシテ内務大臣ノ命ニ違背シ国宝ヲ出陳セサルトキハ内務大臣ハ其ノ出陳ヲ強要スルコトヲ得

第十条 社寺ニ下付シタル保存金ハ地方長官之ヲ管理ス

保存金ハ予算額ヲ以テ之ヲ下付ス但シ精算ノ上剰余アルトキハ内務大臣ハ之ヲ還付セシムルコトヲ得

第十一条 社寺ニ下付シタル保存金ハ之ヲ差押フルコトヲ得ス

第十二条 第十条及第十一条ノ保存金ハ其ノ利子ヲ包含スルモノトス

第十三条 監守者其ノ監守スル所ノ国宝ヲ竊取シ、毀棄シ、隠匿シ若ハ他ノ物件ト変換シ又ハ第五条ノ規定ニ違背シタルトキハ二年以上五年以下ノ重禁錮ニ処ス

第五条ノ物件ナルコトヲ知リテ之ヲ譲受ケ、借受ケ、担保ニ取リ、寄蔵シ若ハ其ノ牙保ヲ為シタル者ハ六月以上三年以下ノ重禁錮ニ処シ五円以上五十円以下ノ罰金ヲ附加ス

第十四条 監守者怠慢ニ由リ国宝ヲ亡失若ハ毀損シタルトキハ五十円以上五百円以下ノ過料ニ処ス

過料ハ地方裁判所ノ命令ヲ以テ之ヲ料ス但シ其ノ命令ニ対シテハ即時抗告ヲ為スコトヲ得過料ハ検事ノ命令ニ依リ之ヲ徴収ス其ノ徴収ニ付テハ民事訴訟法第六編ノ規定ヲ準用ス但シ此ノ場合ニ於ケル検事ノ命令ハ執行文ノ効力ヲ有ス

第十五条 第七条ニ依リ出陳シタル国宝ノ監守者故意怠慢ニ由リ国宝ヲ亡失若ハ毀損シタルトキハ国庫ハ命令ニ定メタル評価ノ方法ニ従ヒ其ノ損害ヲ賠償スルモノトス但シ其ノ評価額ニ関シテハ裁判所ニ出訴スルコトヲ得ス

第十六条 本法ニ定メタル保存金及補給金トシテ国庫ヨリ支出スヘキ金額ハ一個年拾五万円乃至弐拾万円トス

附則

第十七条 本法施行前社寺ニ下付シタル保存金ニ関シ内務大臣ハ第十条乃至第十二条ヲ適用スルコトヲ得

第十八条 第四条ニ該当スル物件ハ社寺ニ属セサルモノト雖所有者ノ請求アルトキハ第七条第一項ニ掲ケタル博物館ニ出陳スルコトヲ許可シ之ニ補給金ヲ支給スルコトヲ得

第十九条 名所旧蹟ニ関シテハ社寺ニ属セサルモノト雖仍本法ヲ準用スルコトヲ得

第二十条 本法施行上必要ナル規程ハ命令ヲ以テ之ヲ定ム

       「文部科学省ホームページ」より

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1216年(建保4)歌人・随筆家鴨長明の命日(新暦7月26日)詳細
1870年(明治3)日本4番目の洋式灯台である樫野埼灯台初点灯する(新暦7月8日)詳細
1962年(昭和37)北陸本線の北陸トンネルが開通する詳細
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

↑このページのトップヘ