
江戸幕府(えどばくふ)は、徳川家康が、1603年(慶長8年2月12日)に、征夷大将軍の宣下を受けて、江戸に開いた武家政権です。1867年(慶応3)に第15代将軍徳川慶喜が大政奉還するまで、265年にわたって継続し、江戸時代と呼ばれました。
家康以来続いた徳川の宗家は、第7代将軍家継の死で途絶えたのですが、御三家から将軍を迎え継続することになります。その後、将軍継嗣問題が起きたり、三大改革(享保の改革、寛政の改革、天保の改革)を中心とした諸改革も行われましたが、幕府を立て直すことはたいへんでした。
1853年(嘉永6)にペリーが浦賀に来航して開国を要求し、攘夷運動から倒幕運動へと進み、1867年(慶応3)の大政奉還によって、江戸幕府の終わりを告げています。
家康以来続いた徳川の宗家は、第7代将軍家継の死で途絶えたのですが、御三家から将軍を迎え継続することになります。その後、将軍継嗣問題が起きたり、三大改革(享保の改革、寛政の改革、天保の改革)を中心とした諸改革も行われましたが、幕府を立て直すことはたいへんでした。
1853年(嘉永6)にペリーが浦賀に来航して開国を要求し、攘夷運動から倒幕運動へと進み、1867年(慶応3)の大政奉還によって、江戸幕府の終わりを告げています。
〇徳川家康(とくがわ いえやす)とは?
戦国時代から江戸時代前期の武将・江戸幕府初代将軍です。1542年(天文11年12月26日)に、三河国岡崎(現在の愛知県岡崎市)で、岡崎城主だった父・松平広忠の長男(母は於大の方)として生まれましたが、幼名は竹千代と言いました。
6歳のとき、人質として駿府(現在の静岡県静岡市)の今川義元のもとへ行く途中を織田方に捕らえられて尾張に送られ、広忠の死後、今川・織田間の捕虜交換協定によって駿府に赴きます。1555年(弘治元)に義元の館で元服し、義元に偏諱をもらい元信(もとのぶ)と名のりますますが、1558年(永禄元)に初陣し、この頃元康と改名しました。
1560年(永禄3)の桶狭間の戦いでは、大高城兵糧入で武名を挙げたものの、義元が敗死すると、岡崎城に帰り、今川氏から自立します。翌年に織田信長と同盟、1563年(永禄6)に名を家康と改めますが、三河一向一揆に悩まされました。
翌年これを鎮圧、同年三河一国を平定し、1567年(永禄9)に松平を徳川と改姓、東方への進出を図り、1570年(元亀元)には浜松に本拠を移します。同年の姉川の戦いで信長とともに浅井・朝倉連合軍を撃破し、その後、武田信玄と絶って上杉謙信と同盟したものの、1572年(元亀3)の三方原の戦いで信玄に大敗しました。
しかし、1575年(天正3)の長篠の戦で家康・信長連合軍は武田勝頼の軍に大勝し、1582年(天正10)に信長が武田氏を滅ぼすと家康は駿河を手に入れます。同年に本能寺の変において信長が死亡すると、天正壬午の乱を制して甲斐・信濃を手中に収め、5ヶ国を領有する大大名となりました。
1584年(天正12)には、羽柴(のち豊臣)秀吉と小牧・長久手の戦いで対峙しましたが、和睦して臣下となり、駿府に本拠を移します。1590年(天正18)に秀吉の小田原征伐に従軍、後北条氏滅亡後はその旧領(関八州)に移封されて江戸城に入りました。
1596年(慶長元)に正二位内大臣となり、五大老の筆頭として、秀吉政権下で重きをなします。秀吉の死後は朝鮮からの諸大名の撤兵を指揮、石田三成と反目して、1600年(慶長5)の関ヶ原の戦いに至ったものの、これに勝利し、1603年(慶長8)に征夷大将軍となって江戸幕府を開きました。
1605年(慶長10)に将軍職を秀忠に譲りましたが、大御所として実権を握りつづけます。1614年(慶長19)から翌年にかけての大坂冬・夏の陣で豊臣氏を滅ぼし、名実共に天下を統一して幕府の基礎を固めたものの、1616年(元和2年4月17日)に、駿府において、数え年75歳で亡くなりました。
☆江戸幕府の歴代将軍(徳川家)一覧
【初代】家康(いえやす)[1603年(慶長8)~1605年(慶長10)]
・1603年 徳川家康が征夷大将軍となり江戸幕府を開く
・1605年 将軍職を秀忠にゆずる(将軍職の世襲制を示す)
【2代】秀忠(ひでただ)[1605年(慶長10)~1623年(元和9)]
・1612年 幕府が直轄領に禁教令を出す
・1614年 大坂の役(~1615年)が起こる
・1615年 一国一城令が発布される
武家諸法度・禁中並公家諸法度が出される
【3代】家光(いえみつ)[1623年(元和9)~1651年(慶安4)]
・1625年 関所・駅伝の制を定める
・1635年 武家諸法度で参勤交代を制度化する
・1637年 島原の乱が起こる
・1639年 ポルトガル船の来航を禁止する(鎖国の完成)
・1641年 オランダ人を長崎の出島に移す
・1644年 宗門改めの制を定める
・1649年 慶安の御触書が出される
【4代】家綱(いえつな)[1651年(慶安4)~1680年(延宝8)]
・1651年 慶安事変(由井正雪の乱)が起こる
・1657年 江戸で明暦の大火が起こる
・1673年 分地制限令が制定される
【5代】綱吉(つなよし)[1680年(延宝8)~1709年(宝永6)]
・1685年 生類憐れみの令が出される
・1688年 柳沢吉保が側用人になる
・1690年 聖堂を湯島に移し、昌平坂学問所を付設する
・1702年 赤穂事件が起こる
・1707年 富士山宝永噴火が起こる
【6代】家宣(いえのぶ)[1709年(宝永6)~1712年(正徳2)]
・1709年 新井白石の改革(正徳の治)が行われる
・1711年 朝鮮通信使の待遇簡素化される
【7代】家継(いえつぐ)[1712年(正徳2)~1716年(享保元)]
・1714年 正徳金銀の改鋳が行われる
・1715年 海舶互市新令が出される
・1716年 家継が8歳で没する
【8代】吉宗(よしむね)[1716年(享保元)~1745年(寛保5)]
1721年 目安箱が設置される
・1722年 上げ米の制をもうけ、参勤交代をゆるめる
・1723年 足高の制を定め、人材を登用する
・1732年 享保の大飢饉が起こる
・1742年 公事方御定書を出し、裁判の基準を定める
【9代】家重(いえしげ)[1745年(寛保5)~1760年(宝暦10)]
・1753年 薩摩藩に木曽川改修を命じる(宝暦治水)
・1758年 宝暦事件が起こる
【10代】家治(いえはる)[1760年(宝暦10)~1786年(天明7)]
1772年 江戸で明和の大火が起こる
・1767年 田沼意次が側用人になる
・1782年 印旛沼・手賀沼の干拓工事
天明の大飢饉(~1787年)が起こる
・1783年 浅間山天明大噴火が起こる
【11代】家斉(いえなり)[1787年(天明7)~1837年(天保8)]
・1789年 棄捐令が出される
・1790年 朱子学以外の学問が禁止される(寛政異学の禁)
・1808年 フェートン号事件が起こる
・1825年 異国船打払令が出される
・1833年 天保の大飢饉が起こる
・1837年 大塩平八郎の乱が起こる
【12代】家慶(いえよし)[1837年(天保8)~1853年(嘉永6)]
・1839年 蛮社の獄(渡辺崋山、高野長英ら処罰)
・1841年 株仲間解散令が出される
・1843年 人返しの法が制定される
上知令が制定される
・1853年 ペリ-が浦賀に来航し、開国を要求
【13代】家定(いえさだ)[1853年(嘉永6)~1858年(安政5)]
・1854年 アメリカと日米和親条約を結ぶ
日露和親条約(国境画定)
・1855年 長崎に海軍伝習所が設置される
・1856年 ハリスが総領事として着任する
・1853年 アメリカと日米修好通商条約を結ぶ
【14代】家茂(いえもち)[1858年(安政5)~1866年(慶応2)]
・1858年 安政の大獄が起こる
・1860年 桜田門外の変で井伊直弼が殺される
・1862年 坂下門外の変が起こる
和宮が将軍家茂に降嫁する
生麦事件が起こる
・1863年 薩英戦争が起こる
・1864年 禁門の変が起こる
下関事件が起こる
長州征伐(第一次)が行われる
・1865年 長州征伐(第二次)が行われる
【15代】慶喜(よしのぶ)[1866年(慶応2)~1867年(慶応3)]
・1867年 兵庫開港の勅許が出される
大政奉還が行われる
王政復古の大号令が発せられる
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
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