
翌年に、同校を中退し、内務省防空研究所に務めたものの、1947年(昭和22)には、文化学院文科に入学し、世阿弥を研究しました。1949年(昭和24)に文化学院文科を卒業、1951年(昭和26)に、初めて書いた小説『申楽新記』がサンデー毎日百万円懸賞の3席入賞、翌年に『燐の譜』で第42回サンデー毎日大衆文芸賞に入選した時の審査委員吉川英治に弟子入りします。
その下で、文学修業に励みましたが、師の指示により10年間は作品を一切発表しませんでした。1961年(昭和36)に、師の許可を得て、初めて商業誌「別冊週刊朝日」に『柿の木の下』を発表、処女創作集『船と将軍』を刊行します。
翌年には、江戸幕府が薩摩藩に命じた濃尾平野の治水事業をめぐる悲劇を描いた『孤愁の岸』で第48回直木賞を受賞しました。古典の素養と構成力の確かさで、幅広い時代を扱った歴史小説に取り組み、1977年(昭和52)に『滝沢馬琴』で第12回吉川英治文学賞を受賞、1985年(昭和60)には、『マダム貞奴』および『冥府回廊』を原作とするNHK大河ドラマ『春の波濤』が放映されます。
さらに、1986年(昭和61)に『穢土荘厳』で第25回女流文学賞を受賞、1987年(昭和62)に紫綬褒章を受章、1995年(平成7)に文化功労者となりました。続いて、1997年(平成9)に熱海市名誉市民、1999年(平成11)にNHK放送文化賞、2002年(平成14)に第50回菊池寛賞、文化勲章と数々の栄誉に輝きます。