ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

タグ:歴史学者

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 今日は、昭和時代前期の1943年(昭和18)に、政治学者・歴史学者五百籏頭眞の生まれた日です。
 五百籏頭眞(いおきべ まこと)は、昭和時代前期の1943年(昭和18)12月16日に、兵庫県西宮市において、神戸大学教授・五百籏頭眞治郎の5男(8人兄弟の6番目)として生まれました。私立六甲学院中学校・高等学校わ経て、1962年(昭和37)に、京都大学法学部に入学します。
 1967年(昭和42)に同大学を卒業し、大学院修士課程へ進み、1969年(昭和44)に修士課程(政治学専攻)を修了し、広島大学政経学部助手(政治史・外交史)となりました。1972年(昭和47)に講師、1976年(昭和51)に助教授、1977年(昭和52)に教授に昇任し、ハーバード大学客員研究員(~1979年)ともなっています。
 1981年(昭和56)に神戸大学法学部教授(日本政治史・政策過程論)に転じ、1985年(昭和60)に『米国の日本占領政策』で、サントリー学芸賞を受賞、1987年(昭和62)には、学位論文『米国の日本占領政策 : 戦後日本の設計図』を京都大学に提出して、法学博士の学位を取得しました。1990年(平成2)に『日米戦争と戦後日本』で第19回吉田茂賞を受賞、ロンドン大学客員研究員となり、1998年(平成10)に『占領期―首相たちの新日本』で、第16回吉野作造賞、1999年(平成11)には、共著『戦後日本外交史』で、第29回吉田茂賞を受賞しています。
 2000年(平成12)に神戸大学法学研究科・国際協力研究科教授となり、2002年(平成14)にハーバード大学客員研究員(~2003年)、2003年(平成15)には、日本学術会議会員となりました。2006年(平成12)に神戸大学法学研究科・国際協力研究科教授を辞め、防衛大学校長に就任、2009年(平成21)には、『歴史としての現代日本 五百旗頭真書評集成』で、第7回毎日書評賞を受賞しています。
 2011年(平成23)に「東日本大震災復興構想会議」議長となり、文化功労者に選ばれ、2012年(平成24)には、防衛大学校長を退任し、熊本県立大学理事長、公益財団法人ひょうご震災記念21世紀研究機構理事長に就任しました。2020年(令和2)には、宮内庁参与に任じられたものの、2024年(令和6)3月6日に、兵庫県神戸市内の病院において、急性大動脈解離のため80歳で亡くなり、従三位、瑞宝大綬章を追贈されています。

<五百籏頭眞の主要な著作>

・『政治史 2』(1984年)
・『米国の日本占領政策 戦後日本の設計図(上・下)』(1985年)サントリー学芸賞受賞
・『日米戦争と戦後日本』(1989年)第19回吉田茂賞受賞
・『秩序変革期の日本の選択「米・欧・日」三極システムのすすめ』(1991年)
・『占領期 首相たちの新日本』(1997年)第16回吉野作造賞受賞
・共著『戦後日本外交史』(1999年)第29回吉田茂賞受賞
・『戦争・占領・講和 1941~1955』(2001年)
・『歴史としての現代日本 五百旗頭真書評集成』(2008年)第7回毎日書評賞受賞
・『NHKさかのぼり日本史』 1巻(2011年)
・『日本は衰退するのか』(2014年)
・『大災害の時代』(2016年)

〇五百籏頭眞関係略略年表

・1943年(昭和18)12月16日 兵庫県西宮市において、神戸大学教授・五百籏頭眞治郎の5男(8人兄弟の6番目)として生まれる
・1962年(昭和37) 六甲高等学校を卒業し、京都大学法学部に入学する
・1967年(昭和42) 京都大学法学部を卒業し、大学院修士課程へ進む
・1969年(昭和44) 京都大学法学研究科修士課程(政治学専攻)を修了し、広島大学政経学部助手(政治史・外交史)となる
・1972年(昭和47) 広島大学政経学部講師(政治史・外交史)となる
・1976年(昭和51) 広島大学政経学部助教授(政治史・外交史)となる
・1977年(昭和52) 広島大学法学部教授となり、ハーバード大学客員研究員となる
・1979年(昭和54) ハーバード大学客員研究員を辞める
・1981年(昭和56) 神戸大学法学部教授(日本政治史・政策過程論)となる
・1985年(昭和60) 『米国の日本占領政策』で、サントリー学芸賞を受賞する
・1987年(昭和62) 学位論文『米国の日本占領政策 : 戦後日本の設計図』を京都大学に提出して、法学博士の学位を取得する
・1990年(平成2) 『日米戦争と戦後日本』で第19回吉田茂賞を受賞、ロンドン大学客員研究員となる
・1998年(平成10) 『占領期―首相たちの新日本』で、第16回吉野作造賞を受賞する
・1999年(平成11) 『戦後日本外交史』で、第29回吉田茂賞を受賞する
・2000年(平成12) 神戸大学法学研究科・国際協力研究科教授を務める
・2002年(平成14) ハーバード大学客員研究員となる
・2003年(平成15) ハーバード大学客員研究員を辞め、日本学術会議会員となる
・2006年(平成12) 神戸大学法学研究科・国際協力研究科教授を辞め、防衛大学校長に就任する
・2009年(平成21) 『歴史としての現代日本 五百旗頭真書評集成』で、第7回毎日書評賞を受賞する
・2011年(平成23) 「東日本大震災復興構想会議」議長となり、文化功労者に選ばれる
・2012年(平成24) 防衛大学校長を退任し、熊本県立大学理事長、公益財団法人ひょうご震災記念21世紀研究機構理事長に就任する
・2020年(令和2) 宮内庁参与に任じられる
・2024年(令和6)3月6日 兵庫県神戸市内の病院において、急性大動脈解離のため80歳で亡くなり、従三位、瑞宝大綬章を追贈される

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1884年(明治17)彫刻家北村西望の誕生日詳細
1890年(明治23)東京市内と横浜市内の間で日本初の電話事業が開始する(電話創業の日)詳細
1907年(明治40)洋画家浅井忠の命日詳細
1932年(昭和7)東京市日本橋で白木屋大火災が起きる詳細
1966年(昭和41)国際連合総会で「国際人権規約」が採択される詳細
1971年(昭和46)全国4番目の地下鉄の札幌市営地下鉄初の北二四条駅~真駒内駅間(南北線)が開業する詳細
1972年(昭和47)全国5番目の地下鉄の横浜市営地下鉄初の伊勢佐木長者町駅~上大岡駅間(1号線)が開業する詳細
1988年(昭和63)洋画家小磯良平の命日詳細
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inouemitsusada01
 今日は、昭和時代後期の1983年(昭和58)に、歴史学者・文学博士井上光貞の亡くなった日です。
 井上光貞(いのうえ みつさだ)は、大正時代の1917年(大正6)9月19日に、東京市麻布区宮村町(現在の東京都港区)において、侯爵だった父・井上三郎(桂太郎三男)と母・千代子(井上馨長女)の長男として生まれました。成蹊高等学校を経て、1940年(昭和15)に、東京帝国大学文学部国史学科へ入学し、坂本太郎、和辻哲郎に師事します。
 1942年(昭和17)に卒業論文「奈良遷都以前の社会と仏教」を書いて、東京帝国大学文学部国史学科を卒業、同大学院へ入学、帝国学士院に勤務(『帝室制度史』編纂のため)しました。1946年(昭和21)に東京帝国大学文学部助手となり、1949年(昭和24)に教養学部講師、1950年(昭和25)に同学部助教授に昇任します。
 1957年(昭和32)にデリー大学附属国際問題研究所にて講義のためインドを訪問(~1958年6月)、1958年(昭和33)には、インドを発ち、イラン・イラク・レバノン・エジプト・トルコ・ギリシア・イタリア・スイス・フランス・イギリス・アメリカを訪問して11月帰国しました。1959年(昭和34)に「日本浄土教成立史の研究」により、東京大学から文学博士の学位を取得、1961年(昭和36)には、東京大学文学部助教授となり、大学院人文科学研究科国史学課程を担任、ハーバード大学教授エドウィン・ライシャワーの日本大使就任に伴い、同教授の代行としてハーバード大学の臨時講師に就任し、翌年帰国します。
 1964年(昭和39)に、平城宮跡発掘調査指導員(~1974年)となり、1967年(昭和42)には、東京大学文学部教授に昇任し、国史学第一講座を担当しました。1968年(昭和43)に東大紛争が始まり、東京大学学生委員会副委員長となり、紛争に取り組み、平城宮跡保存整備準備委員会基本計画部会長、1969年(昭和44)に多賀城跡調査研究指導委員会委員、東京大学評議員となり、1974年(昭和49)には、東京大学文学部長に就任しています。
 1978年(昭和53)に東京大学文学部教授を定年退官し、文化庁国立歴史民俗博物館設立準備室長に就任、東京大学名誉教授の称号を受け、国立民族学博物館評議員となり、1980年(昭和55)に紫綬褒章を受章、1981年(昭和56)には、国立歴史民俗博物館初代館長に就任しました。戦後の日本古代史の研究をリードし、古代国家の形成や律令継受の過程などの解明に努めたものの、1983年(昭和58)2月27日に、順天堂大学病院において、肺炎により、65歳で亡くなり、従三位・勲二等旭日重光章を追贈されています。尚、学生時代から短歌を詠み、没後一周忌に歌集『冬の海』が編まれました。

〇井上光貞の主要な著作

・『日本古代史の諸問題 大化前代の国家と社会』(1949年)
・『日本史』(1952年)
・『大化改新』(1954年)
・『日本史の人びと 1 とおい昔花の都』(1956年)
・『日本浄土教成立史の研究』(1956年)
・『日本国家の起源』(1960年)
・『日本史提要』(1961年)
・『日本古代国家の研究』(1965年)
・『日本古代の国家と仏教』(1971年)
・『日本の歴史3 飛鳥の朝廷』(1974年)
・『古代史研究の世界』(1975年)
・『日本古代仏教の展開』(1975年)
・『東大三十余年』(1978年)
・『日本古代思想史の研究』(1982年)
・『わたくしの古代史学』(1982年)
・『日本古代の王権と祭祀』(1984年)
・『天皇と古代王権』(2000年)

☆井上光貞関係略年表

・1917年(大正6)9月19日 東京市麻布区宮村町(現在の東京都港区)において、侯爵だった父・井上三郎(桂太郎三男)と母・千代子(井上馨長女)の長男として生まれる
・1924年(大正13) 学習院初等科に入学する
・1930年(昭和5) 成蹊高等学校尋常科へ入学する
・1934年(昭和9) 成蹊高校高等科(のちの成蹊大学)理科乙類へ入学する
・1935年(昭和10) 腎臓炎に罹る
・1937年(昭和12) 成蹊高校高等科文科乙類2年に編入、夏に再び腎臓炎に罹る
・1940年(昭和15) 成蹊高校高等科文科乙類を卒業し、東京帝国大学文学部国史学科へ入学する
・1942年(昭和17) 卒業論文「奈良遷都以前の社会と仏教」を書いて、東京帝国大学文学部国史学科を卒業、同大学院へ入学、帝国学士院に勤務(『帝室制度史』編纂のため)する
・1946年(昭和21) 東京帝国大学文学部助手となる
・1948年(昭和23) 教員適格判定審査に合格する
・1949年(昭和24) 東京大学教養学部講師となる
・1950年(昭和25) 東京大学教養学部助教授に昇任する
・1957年(昭和32) デリー大学附属国際問題研究所にて講義のためインド訪問(~1958年6月)する
・1958年(昭和33) インドを発ち、イラン・イラク・レバノン・エジプト・トルコ・ギリシア・イタリア・スイス・フランス・イギリス・アメリカを訪問して11月帰国する
・1959年(昭和34) 「日本浄土教成立史の研究」により、東京大学から文学博士の学位を取得する
・1961年(昭和36) 東京大学文学部助教授となり、大学院人文科学研究科国史学課程を担任。 8月 ハーバード大学教授エドウィン・ライシャワーの日本大使就任に伴い、同教授の代行としてハーバード大学の臨時講師に就任(1962年7月帰国)する
・1964年(昭和39) 平城宮跡発掘調査指導員(~1974年)となる
・1967年(昭和42) 東京大学文学部教授に昇任し、国史学第一講座を担当する
・1968年(昭和43) 東大紛争が始まり、東京大学学生委員会副委員長となり、紛争に取り組む、平城宮跡保存整備準備委員会基本計画部会長となる
・1969年(昭和44) 多賀城跡調査研究指導委員会委員、東京大学評議員となる
・1974年(昭和49) 東京大学文学部長に就任する
・1976年(昭和51) 心臓発作に倒れ、順天堂大学附属病院に入院(3月退院)する
・1977年(昭和52) 順天堂大学病院再入院、心臓バイパス手術を受け、4月退院する
・1978年(昭和53) 東京大学文学部教授を定年退官し、文化庁国立歴史民俗博物館設立準備室長に就任、東京大学名誉教授の称号を受け、国立民族学博物館評議員となる
・1980年(昭和55) 紫綬褒章を受章する
・1981年(昭和56) 国立歴史民俗博物館初代館長に就任する
・1983年(昭和58)2月27日 順天堂大学病院において、肺炎により、65歳て゜亡くなり、従三位・勲二等旭日重光章を追贈される

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1594年(文禄3)豊臣秀吉による吉野の花見が開宴される(新暦4月17日)詳細
1657年(明暦3)徳川光圀が『大日本史』の編纂に着手する(新暦4月10日)詳細
1754年(宝暦4)江戸幕府の命で薩摩藩が木曾川の治水工事(宝暦治水)に着手(新暦3月20日)詳細
1875年(明治8)日本初の近代的植物園・小石川植物園が開園する詳細
1890年(明治23)東京の明治浅草大火が起き、死者1名、負傷者7名、全勝1,469戸を出す詳細
1946年(昭和21)GHQより「社会救済に関する覚書」(SCAPIN-775)が出される詳細
1987年(昭和62)東京で開催された環境と開発に関する世界委員会(WCED)で、「東京宣言」が採択される詳細
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 今日は、昭和時代前期の1928年(昭和3)に、歴史学者網野善彦が生まれた日です。
 網野善彦(あみの よしひこ)は、山梨県東八代郡御坂町(現在の笛吹市御坂町)において、江戸時代から続く地主網野家の父・勝丸の末男として生まれました。幼少期に東京市麻布区桜田町(現在の東京都港区西麻布)へ転居し、白金小学校卒業後、1940年(昭和15)に旧制東京高等学校尋常科(現:東京大学教育学部附属中等教育学校)へ入学します。
 1947年(昭和22)に東京大学文学部国史学科へ入学し、学生時代は石母田正に私淑すると共に学生運動にも参加しました。1950年(昭和25)に卒業後、財団法人日本常民文化研究所の月島分室に勤務しましたが、1954年(昭和29)に水産庁からの予算打ち切りが決まると研究所を辞めます。
 1955年(昭和30)に永原慶二の世話で東京都立北園高等学校の非常勤講師(日本史)として勤務、1956年(昭和31)には正式の教諭となり、日本史の授業以外にも社会科学研究会や部落解放研究会などの顧問を務めました。1966年(昭和41)に『中世荘園の様相』を著し、1967年(昭和42)には、東京都立北園高等学校を退職し、名古屋大学文学部助教授に就任、名古屋に転居します。
 1973年(昭和48)に中世史研究会発足に参加、1978年(昭和53)には、『無縁・公界・楽――日本中世の自由と平和』が学術書としては異例のヒットを記録しました。1979年(昭和54)に神奈川大学が日本常民文化研究所を招致することが決まり、名古屋大学を辞任、1980年(昭和55)には、神奈川大学短期大学部教授に就任します。
 1984年(昭和59)に『日本中世の非農業民と天皇』を刊行、1989年(平成元)には、絵本『河原にできた中世の町 へんれきする人びとの集まるところ』で第36回産経児童出版文化賞美術賞、絵本『瓜と龍蛇 いまは昔 むかしは今』で第43回毎日出版文化賞を受賞しました。1992年(平成4)にビデオブック『大系日本歴史と芸能 全14巻』で、第46回毎日出版文化賞特別賞を受賞、1993年(平成5)に神奈川大学大学院歴史民俗資料学研究科を開設、1995年(平成7)には、神奈川大学経済学部特任教授となります。
 1998年(平成10) 神奈川大学を定年退職し、2000年(平成12)には、『日本の歴史〈』(講談社刊)の第1回配本、『日本とは何か』が10万部を超えたものの、肺癌だと分かり闘病生活に入りました。“網野史学”と呼ばれる民衆史の観点からの新たな日本史像を作り上げましたが、2004年(平成16)2月27日に、東京都内の病院において、76歳で亡くなっています。

〇網野善彦の主要な著作

・『中世荘園の様相』(1966年)
・『日本の歴史 第10巻 蒙古襲来』(1974年)
・『無縁・公界・楽-日本中世の自由と平和』(1978年)
・『中世東寺と東寺領荘園』(1978年)
・『日本中世の民衆像』(1980年)
・『日本中世の非農業民と天皇』(1984年)
・『異形の王権』(1986年)
・絵本『瓜と龍蛇 いまは昔 むかしは今』(1989年)第43回毎日出版文化賞受賞
・『日本の歴史をよみなおす』正・続(1991・1996年)
・『日本社会の歴史』(1997年)
・『日本社会の歴史』全3巻(1997年)
・『日本中世の百姓と職能民』(1998年)
・『日本の歴史〈00〉 『日本』とは何か』(2000年)

☆網野善彦関係略年表

・1928年(昭和3)1月22日 山梨県東八代郡御坂町(現在の笛吹市御坂町)において、江戸時代から続く地主網野家の父・勝丸の末男として生まれる
・1940年(昭和15) 旧制東京高等学校尋常科(現在の東京大学教育学部附属中等教育学校)へ入学する
・1947年(昭和22) 東京大学文学部国史学科へ入学する
・1950年(昭和25) 東京大学文学部史学科を卒業、財団法人日本常民文化研究所の月島分室に勤務する
・1954年(昭和29) 水産庁からの予算打ち切りが決まると日本常民文化研究所を辞める
・1955年(昭和30) 永原慶二の世話で東京都立北園高等学校の非常勤講師(日本史)として勤務する
・1956年(昭和31) 東京都立北園高等学校の教諭となり、日本史の授業以外にも社会科学研究会や部落解放研究会などの顧問を務める
・1966年(昭和41) 『中世荘園の様相』を著す
・1967年(昭和42) 東京都立北園高等学校を退職し、名古屋大学文学部助教授に就任、名古屋に転居する
・1973年(昭和48) 中世史研究会発足に参加する
・1978年(昭和53) 『無縁・公界・楽――日本中世の自由と平和』が学術書としては異例のヒットを記録する
・1979年(昭和54) 神奈川大学が日本常民文化研究所を招致することが決まり、名古屋大学を辞任する
・1980年(昭和55) 神奈川大学短期大学部教授に就任する
・1984年(昭和59) 『日本中世の非農業民と天皇』を刊行する
・1989年(平成元) 絵本『河原にできた中世の町 へんれきする人びとの集まるところ』で第36回産経児童出版文化賞美術賞受賞、絵本『瓜と龍蛇 いまは昔 むかしは今』で第43回毎日出版文化賞を受賞する
・1992年(平成4) ビデオブック『大系日本歴史と芸能 全14巻』で、第46回毎日出版文化賞特別賞を受賞する
・1993年(平成5) 神奈川大学大学院歴史民俗資料学研究科を開設する
・1995年(平成7) 神奈川大学経済学部特任教授となる
・1998年(平成10) 神奈川大学を定年退職する
・2000年(平成12) 『日本の歴史〈』(講談社刊)の第1回配本、『日本とは何か』が10万部を超え、肺癌だと分かり闘病生活に入る
・2004年(平成16)2月27日 東京都内の病院において、76歳で亡くなる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1887年(明治20)東京電燈会社が営業開始し、移動式発電機により鹿鳴館に日本初の電灯が灯る詳細
1893年(明治26)歌舞伎狂言作者河竹黙阿弥の命日詳細
1925年(大正14)第50回帝国議会で加藤高明首相の普通選挙法提案理由の説明がなされる詳細
1929年(昭和4)日本プロレタリア美術家同盟(AR)が結成される詳細
1941年(昭和16)「人口政策確立要綱」を閣議決定し、1夫婦の出産目標数を平均5児とする詳細
1993年(平成5)小説家・劇作家・演出家安部公房の命日詳細

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takeuchirizou01
 今日は、平成時代の1997年(平成9)に、歴史学者竹内理三の亡くなった日です。
 竹内理三(たけうち りぞう)は、明治時代後期の1907年(明治40)12月20日に、愛知県知多郡岡田町(現在の知多市)において、機織工場の共同経営者である父・竹内仁重と母・志んの三男として生まれました。半田中学校(現在の愛知県立半田高等学校)、第八高等学校を経て、1927年(昭和2)に東京帝国大学文学部国史学科入学します。
 1930年(昭和5)に、卒業論文「奈良朝時代に於ける寺院経済の研究」を書いて卒業後、、東京帝国大学史料編纂所業務嘱託となり、『大日本史料』第一編部に配属されました。1935年(昭和10)に、東京帝国大学史料編纂所史料編纂官補となり、1945年(昭和20)には編纂官に昇任され、1948年(昭和23)には、九州大学法文学部教授、翌年には文学部教授となります。
 1956年(昭和31)に西日本文化賞、1958年(昭和33)に『律令制と貴族政権』で、朝日文化賞を受賞、1959年(昭和34)には、東京大学史料編纂所教授となりました。1961年(昭和36)に論文「日本に於ける貴族政権の成立」により、東京大学より文学博士の学位を取得、1965年(昭和40)には、東京大学史料編纂所所長となります。
 1968年(昭和43)に東京大学教授を定年退官、早稲田大学文学部教授となり、翌年には紫綬褒章を受章しました。1978年(昭和53)に早稲田大学教授定年退職、勲三等旭日中綬章を受章、1988年(昭和63)には、日本学士院会員、文化功労者となります。
 1991年(平成3)に『角川日本地名大辞典』編纂で、第45回毎日出版文化賞を受賞、1996年(平成8)には、文化勲章を受章しました。荘園史料集をまとめた『寧楽遺文 』(1943~44年) 、『平安遺文』 (1947~62年)などの実証的かつ緻密な研究で知られましたが、1997年(平成9)3月2日に、東京において、89歳で亡くなり、知多市名誉市民、叙従三位、賜銀杯一組を追贈されています。

〇竹内理三の主要な著作

・『奈良朝時代に於ける寺院経済の研究』(1931年)
・『日本上代寺院経済史の研究』(1934年)
・『寺領荘園の研究』(1942年)
・『寧楽遺文 (ならいぶん) 』(1943~44年)
・『平安遺文』全16巻 (1947~62年)
・『律令制と貴族政権』(1957年)
・『武士の登場』 (1965年)
・『鎌倉遺文』全46巻(1971~95年)

☆竹内理三関係略年表

・1907年(明治40)12月20日 愛知県知多郡岡田町(現在の知多市)において、機織工場の共同経営者である父・竹内仁重と母・志んの三男として生まれる
・1920年(大正9) 半田中学校(現在の愛知県立半田高等学校)へ入学する
・1924年(大正13) 半田中学校4年修了し、第八高等学校文科甲類入学する
・1927年(昭和2) 第八高等学校卒業し、東京帝国大学文学部国史学科入学する
・1930年(昭和5) 東京帝国大学文学部国史学科卒業、卒業論文は「奈良朝時代に於ける寺院経済の研究」、東京帝国大学史料編纂所業務嘱託となり、『大日本史料』第一編部に配属される
・1931年(昭和6) 大岡山書店から『奈良朝時代に於ける寺院経済の研究』が出版される
・1935年(昭和10) 東京帝国大学史料編纂所史料編纂官補となる
・1945年(昭和20) 東京帝国大学史料編纂所編纂官となる
・1948年(昭和23) 九州大学法文学部教授となる
・1949年(昭和24) 九州大学文学部教授となる
・1956年(昭和31) 西日本文化賞を受賞する
・1958年(昭和33) 『律令制と貴族政権』で、朝日文化賞を受賞する
・1959年(昭和34) 東京大学史料編纂所教授となる
・1961年(昭和36) 論文「日本に於ける貴族政権の成立」により東京大学より文学博士の学位を取得する
・1965年(昭和40) 東京大学史料編纂所所長となる
・1968年(昭和43) 東京大学教授定年退官、早稲田大学文学部教授となる
・1969年(昭和44) 紫綬褒章を受章する
・1978年(昭和53) 早稲田大学教授定年退職、勲三等旭日中綬章を受章する
・1988年(昭和63) 日本学士院会員、文化功労者となる
・1991年(平成3) 『角川日本地名大辞典』で、第45回毎日出版文化賞を受賞する
・1996年(平成8) 文化勲章を受章する
・1997年(平成9)3月2日 東京において、89歳で亡くなり、知多市名誉市民、叙従三位、賜銀杯一組を追贈される
・1992年(平成4) 早稲田大学名誉博士の称号を授与、東京大学名誉教授の称号を授与される

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

959年(天徳3)第64代の天皇とされる円融天皇の誕生日(新暦4月12日)詳細
1392年(元中9/明徳3)武将・守護大名・室町幕府管領細川頼之の命日(新暦3月25日)詳細
1886年(明治19)「帝国大学令」が公布される詳細
1899年(明治32)北海道アイヌの「保護」を名目として、「北海道旧土人保護法」が公布(同年4月1日施行)される詳細
1943年(昭和18)敵性語をやめ、野球用語も全面日本語化することを職業野球の理事会で決定する詳細
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sakamototarou01
 今日は、 昭和時代後期の1987年(昭和62)に、歴史学者・文学博士坂本太郎が亡くなった日です。
 坂本太郎(さかもと たろう)は、明治時代後期の1901年(明治34)10月7日に、静岡県浜名郡浜松町(現在の浜松市)において、小学校の教員だった父・坂本宗十郎、母・ちかの長男として生まれました。静岡県立浜松中学校、第八高等学校文科甲類を経て、1923年(大正12)に東京帝国大学文学部国史学科へ入学します。
 1926年(大正15)に卒業し、臨時東山御文庫取調掛(~1927年)となり、翌年には、東京帝国大学大学院へ入学、東京帝国大学文学部副手(~1929年)ともなりました。1932年(昭和7)に東京帝国大学大学院を修了し、1935年(昭和10)には、東京帝国大学文学部助教授となります。
 1936年(昭和11)に財団法人史学会評議員となり、1937年(昭和12)には、論文「大化の改新の研究」により、東京帝国大学から文学博士の学位を取得しました。太平洋戦争後の1945年(昭和20)に東京帝国大学文学部教授となり、国史学第二講座を担当、翌年には、國學院大學講師(~1962年)も兼任し、1949年(昭和24)には、史学会理事長(~1959年)ともなります。
 1951年(昭和26)に東京大学史料編纂所所長(~1962年)を兼任し、厳密な史料批判にもとづいた実証主義の立場から日本古代史の研究を推進しました。1958年(昭和33)に日本学士院会員(死去まで)となり、東京大学評議員(~1962年)も務めます。
 1962年(昭和37)に東京大学教授を定年退官して名誉教授となり、國學院大學教授となりました。1969年(昭和44)に日本歴史学会会長(死去まで)、1972年(昭和47)に文化功労者顕彰、1975年(昭和50)に国立歴史民俗博物館設立準備委員会委員長(~1981年)、1978年(昭和53)に文化財保護審議会会長(~1980年)と要職を歴任します。
 1981年(昭和56)に国立歴史民俗博物館評議員会議議長(死去まで)、1982年(昭和57)に文化勲章受章、1983年(昭和58)には、國學院大學教授を退職し、國學院大學名誉教授となりましたが、1987年(昭和62)2月16日に、東京において、85歳で亡くなり、従三位・勲一等瑞宝章を追贈されました。

〇坂本太郎の主要な著作

・『上代駅制の研究』(1928年)
・『大化改新の研究』(1938年)
・『日本古代史の基礎的研究』(1964年)
・『日本歴史の特性』(1967年)

☆坂本太郎関係略年表

・1901年(明治34)10月7日 静岡県浜名郡浜松町(現在の浜松市)において、小学校の教員だった父・坂本宗十郎、母・ちかの長男として生まれる
・1908年(明治41) 元城尋常高等小学校へ入学する
・1914年(大正3) 元城尋常高等小学校を卒業し、静岡県立浜松中学校へ入学する
・1919年(大正8) 静岡県立浜松中学校を卒業し、第八高等学校文科甲類へ入学するも、病気により休学する
・1920年(大正9) 第八高等学校へ復学する
・1923年(大正12) 第八高等学校文科甲類を卒業し、東京帝国大学文学部国史学科へ入学する
・1926年(大正15) 東京帝国大学文学部国史学科を卒業し、臨時東山御文庫取調掛(~1927年)となる
・1927年(昭和2) 東京帝国大学大学院へ入学、東京帝国大学文学部副手(~1929年)、財団法人聖徳太子奉賛会研究給費生(~1929年)となる
・1929年(昭和4) 筑波侯爵家研究部調査事務(~1945年)となり、国史大系編纂刊行業務専任となる
・1932年(昭和7) 東京帝国大学大学院満期退学する
・1935年(昭和10) 東京帝国大学文学部助教授となる
・1936年(昭和11) 財団法人史学会評議員となる
・1937年(昭和12) 論文「大化の改新の研究」により、東京帝国大学から文学博士の学位を取得する
・1938年(昭和13) 史料編纂官、日本文化大観編纂嘱託、神武天皇聖蹟調査委員会委員となる
・1941年(昭和16) 浜松市史編纂顧問、「舒明天皇の御事蹟」を昭和天皇に進講、帝室制度史編纂委嘱、肇国聖蹟調査委員会委員となる
・1942年(昭和17) 國學院大學講師(~1944年)、昭和17年度中師範学校教科書編纂委員となる
・1943年(昭和18) 史学会常務理事となる
・1944年(昭和19) 広島文理科大学講師、文部省国史編修官(~1946年)となる
・1945年(昭和20) 東京帝国大学文学部教授、国史学第二講座を担当する
・1946年(昭和21) 國學院大學講師(~1962年)、昭和21年勅令第193号の2の規定により、適格と判定される
・1947年(昭和22) 昭和22年勅令第1号第7条第1項の規定により、適格と判定され、財団法人聖徳太子奉賛会理事(死去まで)となる
・1948年(昭和23) 東洋大学兼任教授(~1965年)となり、「元正天皇の御事蹟」を昭和天皇に進講する
・1949年(昭和24) 宮内庁書陵部委員、駒澤大学講師(~1950年)、史学会理事長(~1959年)となる
・1950年(昭和25) 大学設置審議会臨時委員(~1960年)、文化財専門審議会専門委員(~1970年)となる
・1951年(昭和26) 東京大学史料編纂所所長(~1962年)、信濃史料編纂委員(~1969年)、史料館評議会評議員(~1967年)、陽明文庫評議員(死去まで)となる
・1952年(昭和27) 大分県史料刊行会監修委員となる
・1953年(昭和28) 東京国立博物館評議員会評議員となる
・1954年(昭和29) 「孝徳天皇の御事蹟」を昭和天皇に進講する
・1957年(昭和32) 浜松市史編纂顧問、日本学術会議歴史学研究連絡委員会委員、正倉院評議会(正倉院懇談会)会員(死去まで)となる
・1958年(昭和33) 日本学士院会員(死去まで)、東京大学評議員(~1962年)、大学設置審議会臨時委員となる
・1959年(昭和34) 平城宮調査委員会委員(死去まで)となる
・1960年(昭和35) 浩宮徳仁親王浴湯の儀読書役、教材等調査研究会委員となる
・1961年(昭和36) 法隆寺文化財保存協議会協議員(死去まで)、ユネスコ東アジア文化研究センター運営委員、北海道史編集審議会顧問(~1966年)となる
・1962年(昭和37) 国際教育情報センター委員(~1969年)、東京大学教授定年退官し、國學院大學教授、学習院大学講師(~1972年)、東京大学名誉教授となる
・1963年(昭和38) 名古屋大学文学部講師(集中講義)となる
・1964年(昭和39) 中央大学講師(~1972年)となる
・1965年(昭和40) 国史大辞典編集委員会代表、礼宮文仁親王浴湯の儀読書役となる
・1966年(昭和41) 熊本大学講師(~1967年)、藤原宮調査指導委員(死去まで)となる
・1967年(昭和42) 講書始講師(題名は「日本書紀の歴史的意義」)、歴史博物館設立準備懇談会座長(~1970年)となる
・1969年(昭和44) 紀宮清子内親王浴湯の儀読書役奉仕、日本歴史学会会長(死去まで)となる
・1970年(昭和45) 文化財保護審議会委員(~1980年)となる
・1971年(昭和46) 国立歴史民俗博物館基本構想委員会委員長(~1975年)となり、秋の叙勲で勲二等瑞宝章を受章する
・1972年(昭和47) 文化功労者顕彰を受ける
・1975年(昭和50) 国立歴史民俗博物館設立準備委員会委員長(~1981年)となる
・1978年(昭和53) 文化財保護審議会会長を委嘱(~1980年)される
・1981年(昭和56) 国立歴史民俗博物館評議員会議議長(死去まで)となる
・1982年(昭和57) 文化勲章を受章する
・1983年(昭和58) 國學院大學教授を退職し、國學院大學名誉教授となる
・1987年(昭和62)2月16日 東京において、85歳で亡くなり、従三位・勲一等瑞宝章を追贈される

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1190年(文治6)武士・僧侶・歌人西行の命日(新暦3月31日)詳細
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1948年(昭和23)「当用漢字音訓表」と「当用漢字別表」が公布され、881字がいわゆる「教育漢字」とされる詳細
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