ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

タグ:歌舞伎

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 今日は、江戸時代中期の1720年(享保5)に、紙屋治兵衛と紀伊国屋小春とが心中した日(新暦11月13日)で、近松門左衞門が『心中天網島』として脚色し、同年人形浄瑠璃として初演されました。
 心中天網島(しんじゅう てんの あみじま)は、近松門左衛門作の世話物浄瑠璃で3巻から成っています。1720年(享保5年10月14日)に、大坂天満の紙屋治兵衛と曽根崎新地の遊女小春が、恋と義理のために網島大長寺で、夜明けの鐘とともに心中をとげた当時の事件を脚色した世話物でした。
 同年12月6日に、大坂竹本座で人形浄瑠璃として初演となり、大きく成功し、近松世話物の最高傑作とされています。翌年からは、歌舞伎でも上演され、以後浄瑠璃・歌舞伎ともに影響しあって、近松半二ら合作「心中紙屋治兵衛」やその増補「天網島時雨炬燵(しぐれのこたつ)」などの改作物が生まれ、上演されました。
 その中で、治兵衛の女房おさんの頼みで、小春が泣く泣く縁を切ろうとする「河庄」の場が有名となっています。

〇近松門左衛門】(ちかまつ もんざえもん)とは?

 江戸時代の浄瑠璃・歌舞伎作者です。江戸時代前期の1653年(承応2)に、越前国において、吉江藩士の父・杉森信義(のぶよし)の二男として生まれましたが、名は信盛(通称は平馬)と言いました。
 父が浪人となったため、15、16歳の頃に家族と共に京都に移り、堂上貴族の一条恵観、正親町公通らに仕えます。後に近江の近松寺に遊学し、近松の姓の由来になったともされてきました。
 京都の宇治加賀掾のもとで修業、1685年(貞享2)に竹本義太夫(筑後掾)のために『出世景清』を書いて名声を博し、以後二人の協力関係が始まったとされます。1693年(元禄6)から歌舞伎の坂田藤十郎に作品を提供、『傾城仏の原』(1699年)、『傾城壬生大念仏』(1702年)などの傑作を書き、その名演技と相まって上方歌舞伎の全盛を招きましたが、1709年(宝永6)の藤十郎没後は歌舞伎を離れました。
 一方、1703年(元禄16)に義太夫のために執筆した『曾根崎心中』で世話浄瑠璃を確立し、宝永2年(1705年)には竹本座座付作者となり、『冥途の飛脚』(1711年)を書きました。1714年(正徳4)に義太夫が没した後も、『国性爺合戦』(1715年)、『心中天の網島』(1720年)、『女殺油地獄』(1721年)などの代表作を書きます。時代物、世話物ともに優れ、従来の古浄瑠璃と一線を画した功績は大きかったのですが、1725年1月6日(享保9年11月22日)に、大坂において、数え年72歳で亡くなりました。
 後世には、井原西鶴、松尾芭蕉と並ぶ江戸文学界の巨頭とされるようになります。

<近松門左衛門の主要な作品>

・『出世景清』(1685年・大坂竹本座初演)
・『傾城阿波の鳴門』(1695年・京の早雲座初演)
・『傾城仏の原』(1699年・京の都万太夫座上演)
・『傾城壬生大念仏』(1702年・京の都万太夫座上演)
・『曾根崎心中』(1703年初演)
・『薩摩歌』(1704年・大坂竹本座初演?)
・『用明天王職人鑑』(1705年・大坂竹本座初演)
・『心中重井筒』(1707年・大坂竹本座初演)
・『丹波与作待夜の小室節』(1707年・大坂竹本座初演)
・『けいせい反魂香 (はんごんこう) 』(1708年・大坂竹本座初演)
・『心中刃は氷の朔日』(1709年・大坂竹本座初演)
・『心中万年草』(1710年・大坂竹本座初演)
・『堀川波鼓』(1711年以前・大坂竹本座初演)
・『冥途の飛脚』(1711年初演?)
・『長町女腹切』(1712年秋・大坂竹本座初演)
・『嫗山姥』(1712年・大坂竹本座初演)
・『阿波鳴門物』(1712年・大坂竹本座初演)
・『国性爺合戦』(1715年・大坂竹本座初演)
・『大経師昔暦』(1715年・大坂竹本座初演)
・『生玉心中』(1715年・大坂竹本座初演)
・『鑓の権三重帷子』(1717年・大坂竹本座初演)
・『山崎与次兵衛寿の門松』(1718年・大坂竹本座初演)
・『日本振袖始』(1718年・大坂竹本座初演)
・『博多小女郎波枕』(1718年・大坂竹本座初演)
・『平家女護島』(1719年・大坂竹本座初演)
・『双生隅田川』(1720年・大坂竹本座初演)
・『心中天の網島』(1720年・大坂竹本座初演)
・『女殺油地獄』(1721年・大坂竹本座初演)
・『信州川中島合戦』(1721年・大坂竹本座初演)
・『心中宵庚申(しんじゅうよいごうしん)』(1722年・大坂竹本座初演)
・『関八州繫馬』(1724年・大坂竹本座初演)

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1712年(正徳2)江戸幕府第6代将軍徳川家宣の命日(新暦11月12日)詳細
1867年(慶応3)第15代将軍徳川慶喜が朝廷に政権返上し、大政奉還される(新暦11月9日)詳細
1873年(明治6)祝祭日を定める太政官布告「年中祭日祝日ノ休暇日ヲ定ム」が発布される詳細
1951年(昭和26)ルース台風(昭和26年台風第15号)が九州に上陸し、大きな被害をもたらす詳細
1970年(昭和45)国鉄が「ディスカバー・ジャパン」キャンペーンを開始する詳細
1986年(昭和61)洋画家荻須高徳の命日詳細
2007年(平成19)埼玉県さいたま市大宮区に鉄道博物館が開館する詳細
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 今日は、昭和時代後期の1966年(昭和41)に、国立劇場(東京都千代田区隼町)の開場式が催された日です。
 国立劇場(こくりつげきじょう)は、国家が財政的な援助を与えて設立し、その国の舞台芸術の保存・継承・振興のために運営する劇場とされてきました。日本では、1966年(昭和41)に、「国立劇場法」が公布されて、特殊法人国立劇場が設立され、1966年(昭和41)11月1日に国立劇場(東京都千代田区隼町)が開場しています。
 その後、1979年(昭和54)3月22日に、落語、講談等の大衆芸能のための国立演芸資料館(国立演芸場)が開場(東京都千代田区隼町)、1983年(昭和58)9月15日に、能楽(能、狂言)を上演する国立能楽堂が開場(東京都渋谷区千駄ヶ谷)、1984年(昭和59)3月20日にはね、文楽を中心に広く上方芸能を上演する国立文楽劇場が開場(大阪府大阪市中央区日本橋)しました。さらに、1997年(平成9)10月10日に、オペラ、舞踊(バレエ、現代舞踊)、演劇等の現代舞台芸術を上演する新国立劇場が開場(東京都渋谷区本町)、同年11月1日に、新国立劇場舞台美術センター資料館が開館(千葉県銚子市豊里台)、2004年(平成16)1月18日には、組踊等の沖縄伝統芸能を上演する国立劇場おきなわが開場(沖縄県浦添市勢理客)しています。
 日本の伝統芸能の公開のほか、調査研究・資料収集・後継者養成などを目的として活動してきました。

〇日本の国立劇場関係施設

・国立劇場本館(1966年11月1日開場・東京都千代田区隼町) - 主に歌舞伎の公演
・国立演芸場(1979年3月22日開場・東京都千代田区隼町) - 落語、講談、浪曲、漫才、太神楽などの演芸公演
・国立能楽堂(1983年9月15日開場・東京都渋谷区千駄ヶ谷) - 能や狂言の公演
・国立文楽劇場(1984年3月20日開場・大阪府大阪市日本橋) - 文楽、日本舞踊、邦楽、大衆芸能の公演
・新国立劇場(1997年10月10日開場・東京都渋谷区) - オペラ、バレエ、現代舞踊、演劇などの公演
・新国立劇場舞台美術センター資料館(1997年11月1日会館・千葉県銚子市豊里台) - 舞台模型、舞台衣装、小道具などや映像資料の展示公開
・国立劇場おきなわ(2004年1月18日開場・沖縄県浦添市) - 組踊など組踊、琉球舞踊、琉球音楽、民俗芸能、沖縄芝居などの公演

☆日本の国立劇場関係略年表

・1936年(昭和11) 早稲田演劇協会内に国立劇場設置委員会が設けられる
・1937年(昭和12)6月 国立劇場建設趣意書をもとにした建議案は帝国議会に上程され衆議院を通過したが、その後は戦時下となり実現は困難になる
・1955年(昭和30) 文化財保護委員会が芸能施設調査研究協議会を設置する
・1956年(昭和31)3月 芸能施設調査研究協議会が基本的構想の答申を行い国立劇場の計画が具体化する
・1963年(昭和38) 国立劇場設計案が、計307案のコンペティションから、校倉造の正倉院を模した外観とした竹中工務店の岩本博行ほか13名による案が選択される
・1966年(昭和41)6月27日 「国立劇場法」が公布される
・1966年(昭和41)7月1日 特殊法人国立劇場が設立される
・1966年(昭和41)10月 国立劇場が竣工する
・1966年(昭和41)11月1日 国立劇場(東京都千代田区隼町)の開場式が催される
・1966年(昭和41)11月3日 「菅原伝授手習鑑」が上演される
・1968年(昭和43) 国立劇場の建物が第9回BCS賞を受賞する
・1975年(昭和50) 第二国立劇場設立準備費が計上される
・1976年(昭和51) 第二国立劇場の基本構想案が第二国立劇場設立準備協議会で承認される
・1979年(昭和54)3月22日 落語、講談等の大衆芸能のための国立演芸資料館(国立演芸場)が開場(東京都千代田区隼町)する
・1983年(昭和58)9月15日 能楽(能、狂言)を上演する国立能楽堂が開場(東京都渋谷区千駄ヶ谷)する
・1984年(昭和59)3月20日 文楽を中心に広く上方芸能を上演する国立文楽劇場が開場(大阪府大阪市中央区日本橋)する
・1989年(平成元)4月1日 「国立劇場法の一部改正法」が施行(現代舞台芸術に関する業務の追加)される
・1990年(平成2)3月30日 「国立劇場法の一部改正法」が施行(文化芸術活動に対する助成業務の追加、芸術文化振興基金設置、特殊法人日本芸術文化振興会に名称変更)される
・1992年(平成4)8月 新国立劇場を着工する
・1997年(平成9)2月 新国立劇場が竣工する、
・1997年(平成9)10月10日 オペラ、舞踊(バレエ、現代舞踊)、演劇等の現代舞台芸術を上演する新国立劇場が開場(東京都渋谷区本町)する
・1997年(平成9)11月1日 新国立劇場舞台美術センター資料館開館(千葉県銚子市豊里台)
・1998年(平成10) 国立劇場が公共建築百選に選定される
・1999年(平成11)9月 アートギャラリーのオープンをもって、新国立劇場の全体が完成する
・2002年(平成14)12月13日 「独立行政法人日本芸術文化振興会法」が公布される
・2003年(平成15)3月19日 「伝統芸能情報館開館」(国立劇場敷地内)が開館する
・2003年(平成15)9月 国立劇場が、DOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築に選ばれる
・2003年(平成15)10月1日 日本芸術文化振興会が独立行政法人に組織形態を移行する
・2004年(平成16)1月18日 組踊等の沖縄伝統芸能を上演する国立劇場おきなわが開場(沖縄県浦添市勢理客)する
・2009年(平成21)4月1日 文化庁の文化芸術振興費補助金による事業のうち芸術団体を対象とするものが移管される
・2019年(平成31)4月1日 日本博事務局が設置される

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1847年(弘化4)自由民権思想家中江兆民の誕生日(新暦12月8日)詳細
1868年(明治元)灯台記念日(日本最初の洋式灯台である観音埼灯台起工日の新暦換算日)詳細
1892年(明治25)黒岩涙香が日刊新聞「萬朝報」を創刊する詳細
1897年(明治30)東武鉄道が設立される詳細
1942年(昭和17)拓務省の興亜院等、外務省の東亜局・南洋局などを廃止・統合して、大東亜省が設置される詳細
1961年(昭和36)国会議事堂わきの現在地に、国立国会図書館本館が開館する詳細
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 今日は、明治時代中頃の1889年(明治22)に、東京市京橋区木挽町(現在の東京都中央区銀座四丁目)に歌舞伎座が開場した日です。
 歌舞伎座(かぶきざ)は、演劇改良の実現を目的として東京市京橋区木挽町(現在の東京都中央区銀座四丁目)に設立され、近代的な歌舞伎専用の劇場となりました。1889年(明治22)11月21日に、ジャーナリストの福地源一郎(福地桜痴)と金融業者の千葉勝五郎の共同経営で、演劇改良運動の流れを受けて開設されます。
 外観は洋風、内部は日本風3階建ての檜造り、定員1,824名、舞台間口13間(約23.63m)、奥行16間(約28.96m)、回り舞台直径9間(約16.29m)と 7間(約12.67m)の蛇の目回し、本花道5尺(約1.52m)の機構を持ち、規模・設備共に、日本一の偉容を誇りました。しかし、経営に失敗し、何人かの人手に渡ったあと、1913年(大正2)に、松竹の大谷竹次郎が経営を握り、翌年には、松竹合名社(現在の松竹株式会社)が興行のすべてを担当するようになります。
 ところが、1921年(大正10)に漏電により焼失、再建途上の1923年(大正12)に、建物躯体が完成したところで関東大震災に遭って被害を受け、工事は中断、翌年に再建工事を再開し、竣工しました。これによって、良朝の上品な美しさと桃山様式を併せたデザインの新劇場になり、舞台間口(大尽通り)10間5尺(約19.69m)、桟敷のほかはすべて椅子席の4階建てとなります。
 さらに、太平洋戦争下の1945年(昭和20)5月の空襲で焼失し、外郭だけが残りました。1949年(昭和24)に、大谷竹次郎により新たに「株式会社歌舞伎座」が設立され、松竹から建物を譲り受けて復興工事を行ない、翌年に竣工します。
 その後、2008年(平成20)に老朽化による建て替えが正式に発表され、2010年(平成22)に閉場式が行われて建物は解体、2013年(平成25)に、オフィスビルと併設された歌舞伎座の建て替えが完了しました。新しい外観・内装などは、それまでの伝統的な意匠を踏襲し、座席数1,808、舞台間口15間余(約27.573m)、奥行11間余(約20.60m)、高さ3間半(約6.363m)、回り舞台直径10間(約18.18m)、花道10間(約18.18m)となります。

〇歌舞伎座関係略年表

・1889年(明治22)11月21日 ジャーナリストの福地源一郎(福地桜痴)と金融業者の千葉勝五郎の共同経営で、東京市京橋区木挽町に開設される
・1890年(明治23) 福地源一郎は経営に失敗し、自身は座付作者にとどまり、経営は12世守田勘弥に移る
・1896年(明治29)3月 歌舞伎座株式会社として株式組織化、皆川四郎が社長、井上竹次郎が副社長に就任する
・1907年(明治40) 大河内輝剛が社長を務めていた春に、内外を修繕改築する
・1911年(明治44) 開場した帝国劇場に対抗するため劇場の純和風化改修工事を行って再開する
・1913年(大正2) 田村成義が病気のためやむなく手を引き、松竹の大谷竹次郎が経営を握る
・1914年(大正3) 松竹合名社(現在の松竹株式会社)が興行のすべてを担当するようになる
・1921年(大正10)10月 漏電により焼失する
・1923年(大正12)9月 再建途上で、建物躯体が完成したところで関東大震災に遭い、積み上げてあった内装用の桧材が全焼、工事は中断する
・1924年(大正13) 再建工事を再開、竣工する
・1925年(大正14)1月 鉄筋コンクリート4階建ての桃山風として新築された大劇場で開場式が行われる
・1931年(昭和6) 歌舞伎座株式会社は明治座、新富座、松竹と合併し、松竹興行株式会社になる
・1945年(昭和20)5月 東京大空襲で全焼、大屋根も焼け落ちる
・1949年(昭和24) 大谷竹次郎により新たに「株式会社歌舞伎座」が設立され、松竹から建物を譲り受けて復興工事を行なう
・1950年(昭和25)12月 復興工事が竣工する
・1951年(昭和26)1月 歌舞伎などの演劇興行を再開する
・1993年(平成5) 松竹会長(当時)永山武臣の方針により「歌舞伎の本拠地」として原則通年で歌舞伎を興行することとなる
・2002年(平成14)2月 「国土の歴史的景観に寄与している」として、登録有形文化財となる
・2005年(平成17) 建て替えの検討に入る
・2008年(平成20)10月 建て替えが正式に発表される
・2009年(平成21)8月26日 松竹と歌舞伎座により、建て替えの具体的な計画が発表される
・2010年(平成22)4月30日 建て替えのため閉場式が行われ、登録有形文化財の登録抹消となる
・2013年(平成25)2月26日 オフィスビルと併設された歌舞伎座の建て替えが完了する
・2013年(平成25)3月27日・28日 2日に渡って開場式が行われる
・2013年(平成25)4月2日 1年間のこけら落とし興行が始まる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

734年(天平6)「得度・授戒の制」が定められる(新暦12月20日)詳細
1956年(昭和31)歌人・美術史家・書道家会津八一の命日(八一忌・秋艸忌)詳細
1903年(明治36)小説家伊藤永之介の誕生日詳細
1969年(昭和44)俳人石田波郷の命日詳細
1978年(昭和53)第20回ユネスコ総会で「体育およびスポーツに関する国際憲章」が採択される詳細
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