ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

タグ:松竹少女歌劇団

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 今日は、平成時代の1996年(平成8)に、松竹歌劇団(SKD)が解散した日です。
 松竹歌劇団(しょうちくかげきだん)の創立は、松竹によって創設された少女歌劇団(通称:SKD)でした。大正時代の1922年(大正11)に、宝塚歌劇団に対抗して、大阪の松竹分室に「松竹楽劇部生徒養成所」が開設されたのを前身とし、1928年(昭和3)には、東京の浅草松竹座にも楽劇部が生まれます。
 その後、「東京おどり」の成功と男役の水の江滝子(愛称:ターキー)の断髪姿で急速に人気を高めました。1931年(昭和6)に松竹少女歌劇部(SSK)と改称し、1933年(昭和8)には、楽団員による待遇改善要求に端を発し、水の江瀧子を組織委員長とする労働争議・通称「桃色争議」が起き、その解決を機に松竹少女歌劇団(SSKD)となります。
 1937年(昭和12)に、浅草芝崎町に東洋一の規模を誇る国際劇場が竣工、ここを本拠に隆盛を誇こったものの、太平洋戦争下の1944年(昭和19)3月31日に、解散され、松竹芸能本部女子挺身隊がを結成されました。戦後、1946年(昭和21)の復活公演を機に、「少女」の2字をやめて松竹歌劇団(SKD)と改められて再出発します。
 1982年(昭和57)の国際劇場が廃館からは、各地を巡演しましたが、1990年(平成2)2月25日に、東京厚生年金会館において最後の「東京踊り」が上演され、これをもってレビュー劇団としての歴史に終止符を打ちました。1992年3月10日、ミュージカル転向後の初公演「賢い女の愚かな選択」を池袋サンシャイン劇場で上演後、定期的に公演を行ったものの、1996年(平成8)6月30日をもって、解散することになります。

〇松竹歌劇団(松竹少女歌劇団)関係略年表

・1922年(大正11) 大阪の松竹分室に「松竹楽劇部生徒養成所」が開設され、中之島公会堂で第1回試演会を行なう
・1923年(大正12) 「松竹楽劇部生徒養成所」が大阪松竹座の専属となる
・1926年(大正15) 上演した「春のおどり」の好評が発展の動機になる
・1928年(昭和3) 東京の浅草松竹座にも楽劇部が生まれる
・1930年(昭和5) 「東京おどり」の成功と男役の水の江滝子(愛称ターキー)の断髪姿で急速に人気を高める
・1931年(昭和6) 松竹少女歌劇部(SSK)と改称する
・1933年(昭和8) 楽団員による待遇改善要求に端を発し、水の江瀧子を組織委員長とする労働争議・通称「桃色争議」が起き、その解決を機に松竹少女歌劇団(SSKD)とする
・1937年(昭和12) 浅草芝崎町に東洋一の規模を誇る国際劇場が竣工、ここを本拠に隆盛を誇こる
・1944年(昭和19)3月31日 解散する
・1946年(昭和21) 「松竹歌劇団」として再出発する
・1982年(昭和57) 国際劇場が廃館となり、各地を巡演するようになる
・1990年(平成2)2月25日 東京厚生年金会館において最後の『東京踊り』が上演され、これをもってレビュー劇団としての歴史に終止符を打つ
・1992年(平成4) ミュージカル転向後の初公演「賢い女の愚かな選択」を池袋サンシャイン劇場で上演後、定期的に公演を行なうようになる
・1996年(平成8)6月30日 解散することになる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

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 今日は、昭和時代前期の太平洋戦争下、1944年(昭和19)に、松竹少女歌劇団が解散し、松竹芸能本部女子挺身隊を結成した日です。
 女子挺身隊(じょしていしんたい)は、太平洋戦争下で、日本政府が軍需工場の労働力不足を補うために創設した女子勤労動員組織でした。1943年(昭和18)9月に、国内態勢強化方策が閣議決定されたのを受け、まず14~25歳の未婚・無職・不在学の女子を居住地で女子挺身隊に組織することになります。翌年3月から強制的になり、6月からは12歳にまで引き下げられました。その法令上の措置として、1944年(昭和19)8月23日に公布・施行されたのが「女子挺身隊勤労令」で、「学徒勤労令」と同じ日の公布・施行でした。同令により、1年間の勤労動員が義務づけられ、違反者には「国家総動員法」により、1年以下の懲役または1,000円以下の罰金が科せられるようになって、14歳から40歳までの女性が軍需工場などの戦争遂行体制に動員されたのです。しかし、戦局が悪化したため本土決戦に備え、1945年(昭和20年)3月6日に公布・施行された「国民勤労動員令」に、労務関係の他の4勅令(国民徴用令、労務調整令、学校卒業者使用制限令、国民勤労報国協力令)と共に、一本化されて廃止されました。

〇松竹少女歌劇団(しょうちくしょうじょかげきだん)とは?

 松竹によって創設された少女歌劇団(通称:SKD)です。大正時代の1922年(大正11)に、宝塚歌劇団に対抗して、大阪の松竹分室に「松竹楽劇部生徒養成所」が開設されたのを前身とし、1928年(昭和3)には、東京の浅草松竹座にも楽劇部が生まれました。
 その後、「東京おどり」の成功と男役の水の江滝子(愛称:ターキー)の断髪姿で急速に人気を高めます。1931年(昭和6)に松竹少女歌劇部(SSK)と改称し、1933年(昭和8)には、楽団員による待遇改善要求に端を発し、水の江瀧子を組織委員長とする労働争議・通称「桃色争議」が起き、その解決を機に松竹少女歌劇団(SSKD)となりました。
 1937年(昭和12)に、浅草芝崎町に東洋一の規模を誇る国際劇場が竣工、ここを本拠に隆盛を誇こったものの、太平洋戦争下の1944年(昭和19)3月31日に、解散され、松竹芸能本部女子挺身隊がを結成されます。戦後、1946年(昭和21)の復活公演を機に、「少女」の2字をやめて松竹歌劇団(SKD)と改められました。
 1982年(昭和57)の国際劇場が廃館からは、各地を巡演しましたが、1990年2月25日に、東京厚生年金会館において最後の「東京踊り」が上演され、これをもってレビュー劇団としての歴史に終止符を打ちます。1992年3月10日、ミュージカル転向後の初公演「賢い女の愚かな選択」を池袋サンシャイン劇場で上演後、定期的に公演を行ったものの、1996年(平成8)をもって、解散することになりました。

☆松竹少女歌劇団(松竹歌劇団)関係略年表

・1922年(大正11) 大阪の松竹分室に「松竹楽劇部生徒養成所」が開設され、中之島公会堂で第1回試演会を行なう
・1923年(大正12) 「松竹楽劇部生徒養成所」が大阪松竹座の専属となる
・1926年(大正15) 上演した「春のおどり」の好評が発展の動機になる
・1928年(昭和3) 東京の浅草松竹座にも楽劇部が生まれる
・1930年(昭和5) 「東京おどり」の成功と男役の水の江滝子(愛称ターキー)の断髪姿で急速に人気を高める
・1931年(昭和6) 松竹少女歌劇部(SSK)と改称する
・1933年(昭和8) 楽団員による待遇改善要求に端を発し、水の江瀧子を組織委員長とする労働争議・通称「桃色争議」が起き、その解決を機に松竹少女歌劇団(SSKD)とする
・1937年(昭和12) 浅草芝崎町に東洋一の規模を誇る国際劇場が竣工、ここを本拠に隆盛を誇こる
・1944年(昭和19)3月31日 解散する
・1946年(昭和21) 「松竹歌劇団」として再出発する
・1982年(昭和57) 国際劇場が廃館となり、各地を巡演するようになる
・1990年(平成2)2月25日 東京厚生年金会館において最後の『東京踊り』が上演され、これをもってレビュー劇団としての歴史に終止符を打つ
・1992年(平成4) ミュージカル転向後の初公演「賢い女の愚かな選択」を池袋サンシャイン劇場で上演後、定期的に公演を行なうようになる
・1996年(平成8) 解散することになる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1906年(明治39)政府が全国17の私鉄を買収することを定めた「鉄道国有法」を公布する詳細
物理学者朝永振一郎の誕生日詳細
1939年(昭和14) 「国家総動員法」第6条に基づいて、「賃金統制令」(昭和14年勅令第128号)が公布される詳細
「国家総動員法」第6条に基づいて、「従業者雇入制限令」(昭和14年勅令第126号)が公布される詳細
「国家総動員法」第6条に基づいて、「工場就業時間制限令」(昭和14年勅令第127号)が公布される詳細
1947年(昭和22)旧「教育基本法」が公布・施行される詳細
1987年(昭和62)日本国有鉄道(国鉄)が115年の歴史に幕を下ろす(翌日から分割・民営化)詳細
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