ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

タグ:東条英機内閣

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 今日は、昭和時代前期の1941年(昭和16)に、東条英機内閣時の第7回御前会議において、「帝国国策遂行要領」で対米交渉の甲・乙二案を決定、交渉決裂の場合は12月初旬に武力行使と決められた日です。
 「帝国国策遂行要領(ていこくこくさくすいこうようりょう)」 は、日本が対米英戦争へ向かう国策を定めた御前会議の決定文書で、1941年(昭和16)9月6日(第6回御前会議)と11月5日(第7回御前会議)のものとがありました。
 9月6日のものは、「戦争ヲ辞セザル決意ノ下ニ概ネ十月下旬ヲ目途トシ戦争準備ヲ完整ス」、対米(英)交渉により「十月上旬頃ニ至ルモ尚我要求ヲ貫徹シ得ル目途ナキ場合ニ於テハ直チニ対米(英蘭)開戦ヲ決意ス」となっています。つまり、英米開戦が不可避であるとの認識により、10月末を目処として戦争の準備を進めること、それと並行して米国との交渉は続け、これが日本の要望する方向で決着しない場合には直ちに開戦に踏み切るという方針が確立されたということでした。しかし、10月上旬になっても日米交渉が考えているようには進展せず、開戦を決意できない第3次近衛内閣は10月18日に総辞職し、この要領の白紙化を条件に東條内閣が成立します。
 その後の11月5日の第7回御前会議では、対米交渉の甲・乙二案を定めるとともに、「武力発動ノ時機ヲ十二月初頭ト定メ陸海軍ハ作戦準備ヲ完整ス」としています。つまり、米国に対する日本の提案として、具体的な点について異なる2種類の案「甲案」と「乙案」が決定され、まず「甲案」を提示して交渉を進め、これがうまくいかない場合は、より譲歩した「乙案」を提示して交渉しますが、12月1日までに決着しないときは武力発動をするという方針が確定したということでした。
 この時の甲案では、(1)日本は、通商の無差別原則が全世界に適用されるという前提の下に、太平洋全域及び中国における通商の無差別原則の適用を求めること、(2)日独伊三国同盟の解釈については、「自衛権」のみだりな拡大をしないことを明確化するとともに、従来通り日本政府独自の解釈に基づくこと、(3)撤兵問題については、中国からの撤退では華北及びモンゴルの一部と海南島に関しては日本・中国間の平和条約成立後およそ25年を目処として駐屯するが、それ以外の地では2年以内の完全撤退を目指し、仏領インドシナからは日中戦争が解決するか極東の平和が確立ししだい直ちに撤退すること、が示されます。また、乙案では、(1)日米両国は仏領インドシナ以外の東南アジア及び南太平洋地域に武力的進出を行なわないこと、(2)両国は蘭領インドシナにおいて物資獲得が保障されるように相互協力すること、(3)両国は通商関係を在米国の日本資産凍結以前の状態に復帰させること、(4)米国は日本・中国の和平の努力に支障を与える行動をしないこと、の4点が成立すれば必要に応じて南部仏領インドシナに駐屯する日本軍は北部仏領インドシナに引き揚げることが示されていました。しかし、対米交渉は進展せず、同年12月8日の大平洋戦争の開戦を迎えることになります。
 以下に、「帝国国策遂行要領」(9月6日と11月5日)の全文を掲載しておきますので、ご参照ください。

〇「帝国国策遂行要領」(全文) 1941年(昭和16)9月6日と11月5日 御前会議決定

<1941年(昭和16)9月6日 第3次近衛内閣時の第6回御前会議決定>

 帝国は現下の急迫せる情勢特に米英蘭各国の執れる対日攻勢、ソ連の情勢および帝国国力の弾撥性に鑑み、「情勢の推移に伴う帝国国策要綱」中南方に対する施策を左記に拠り遂行す
帝国は自存自衛を全うする為対米、(英、蘭)戦争を辞せざる決意の下に、概ね十月下旬を目途とし戦争準備を完整す
帝国は右に平行して米、英に対し外交の手段を尽して帝国の要求貫徹に努む
対米(英)交渉に於て帝国の達成すべき最少限度の要求事項ならびに之に関連し帝国の約諾し得る限度は別紙の如し
前号外交交渉に依り十月上旬頃に至るも尚我要求を貫徹し得る目途なき場合に於ては、直ちに対米(英蘭)開戦を決意す
対南方以外の施策は既定国策に基き之を行ひ、特に米「ソ」の対日連合戦線を結成せしめざるに勉む

別紙

 対米(英)交渉に於て帝国の達成すべき最少限度の要求事項ならびに之に関連し帝国の約諾し得る限度

 第一 対米(英)交渉に於て帝国の達成すべき最少限度の要求事項
一、 米英は帝国の支那事変処理に容喙し又は之を妨害せざること
(イ) 帝国の日支基本条約および日満支三国共同宣言に準拠し事変を解決せんとする企図を妨害せざること
(ロ) 「ビルマ」公路を閉鎖し、かつ蒋政権に対し軍事的ならびに経済的援助をなさざること
(註) 右はN工作に於ける支那事変処理に関する帝国従来の主張を妨ぐるものにあらず 而して特に日支間新政権に依る帝国軍隊の駐屯に関しては之を固守するものとす
但し、事変解決に伴ひ支那事変遂行の為支那に派遣せる右以外の軍隊は、原則として撤退するの用意あることを確言すること支障なし
支那に於ける米英の経済活動は、公正なる基礎に於て行はるる限り制限せらるるものにあらざる旨、確言すること支障なし
ニ、 米英は極東に於て帝国の国防を脅威するが如き行動に出でざること
(イ) 泰、蘭印、支那および極東「ソ」領内に軍事的権益を設定せざること
(ロ) 極東に於ける兵備を現状以上に増強せざること
(註) 日仏間の約定に基く日仏印間特殊関係の解消を要求せらるる場合は、之を容認せざること
三、 米英は帝国の所要物資獲得に協力すること
(イ) 帝国との通商を恢復し、かつ南西太平洋に於ける両国領土より帝国の自存上緊要なる物資を帝国に供給すること
(ロ) 帝国と泰および蘭印との間の経済提携に付友好的に協力すること

第二 帝国の約諾し得る限度
第一に示す帝国の要求が応諾せらるるに於ては
一、 帝国は仏印を基地として支那を除く其の近接地域に武力進出をなさざること
(註) 「ソ」連に対する帝国の態度に関し質疑し来る場合、「ソ」側に於て日「ソ」中立条約を遵守し、かつ日満に対し脅威を与ふる等、同条約の精神に反するが如き行動無き限り、我より進んで武力行使に出づることなき旨応酬す
ニ、 帝国は公正なる極東平和確立後、仏領印度支那より撤兵する用意あること
三、 帝国は比島の中立を保証する用意あること

<1941年(昭和16)11月5日 東條内閣時の第7回御前会議決定>

一、 帝国は現下の危局を打開して自存自衛を完うし大東亜の新秩序を建設する為、比の際対米英蘭戦争を決意し左記処置を採る
1 武力発動の時機を十二月初旬と定め、陸海軍は作戦準備を完整す
2 対米交渉は別紙要領に依り之を行う
3 独伊との提携強化を図る
4 武力発動の直前、泰との間に軍事的緊密関係を樹立す

ニ、 対米交渉が十二月一日午前零時迄に成功せば武力発動を中止す 
別紙 対米交渉要領
対米交渉は、従来懸案となれる重要事項の表現方式を緩和修正する別記甲案あるいは別記乙案を以て交渉に臨み、之が妥結を計るものとす 

 甲案
日米交渉懸案中最重要なる事項は(一)支那および仏印に於ける駐兵および撤兵問題、(ニ)支那に於ける通商差別問題、(三)三国条約の解釈および履行問題および(四)四原則問題なる所、之等諸項に付ては左記の程度に之を緩和す

(一) 支那に於ける駐兵および撤兵問題
本件に付ては米国側は駐兵の理由は暫く之を別とし、(イ)不確定期間の駐兵を重視し、(ロ)平和解決条件中に之を包含せしむることに異議を有し、(ハ)撤兵に関し更に明確なる意思表示を要望し居るに鑑み、次の諸案程度に緩和す
日支事変の為支那に派遣せられたる日本国軍隊は、北支および蒙彊の一定地域および海南島に関しては日支間平和成立後所要期間駐屯すべく、爾余の軍隊は平和成立と同時に日支間に別に定めらるる所に従ひ撤去を開始し、二年以内に之を完了すべし
(註) 所要時間に付米側より質問ありたる場合は概ね二十五年を目途とするものなる旨を以て応酬するものとす
(ニ) 仏印に於ける駐兵および撤兵
本件に付ては、米側は日本は仏印に対し領土的野心を有し、かつ近接地方に対する武力進出の基地たらしめんとするものなりとの危惧の念を有すと認めらるるを以て、次の案程度に緩和す
日本国政府は仏領印度支那の領土主権を尊重す、現に仏領印度支那に派遣せられ居る日本国軍隊は支那事変にして解決するか又は公正なる極東平和の確立するに於ては直に之を撤去すべし
(三) 支那に於ける通商無差別待遇問題
本件に付ては既提出の九月二十五日案にて到底妥結の見込みなき場合には次の案を以て対処するものとす
日本国政府は無差別原則が全世界に適用せらるるものなるに於ては太平洋全地域すなわち支那に於ても本原則の行わるることを承認す
(四) 三国条約の解釈及履行問題
本件に付ては、我方としては自衛権の解釈を濫に拡大する意図なきことを更に明瞭にすると共に、三国条約の解釈および履行に関しては我方は従来屢々説明せる如く日本国政府の自ら決定する所に依りて行動する次第にして、此点は既に米国側の了承を得たるものなりと思考する旨を以て応酬す
(五) 米側の所謂四原則に付ては、之を日米間の正式妥結事項(了解案たると又は其他の声明たるとを問はず)中に包含せしむることは極力回避す 

 乙案
一、 日米両国は孰れも仏印以外の南東亜細亜および南太平洋地域に武力的進出を行わざることを約すべし
ニ、 日米両国政府は蘭領印度に於て其の必要とする物資の獲得が保障せらるる様相互に協力すべし
三、 日米両国政府は相互に通商関係を資産凍結前の状態に復帰せしむべし
米国は所要の石油の対日供給を約すべし
四、 米国政府は日支両国の和平に関する努力に支障を与うるが如き行動に出でざるべし
  備考
一、 必要に応じ、本取極成立せば南部仏印駐屯中の日本軍は仏国政府の諒解を得て北部仏印に移駐するの用意あること、ならびに支那事変解決するか又は太平洋地域に於ける公正なる平和確立の上は前記日本国軍隊を仏印より撤退すべきことを約束し差支無し
ニ、 なお必要に応じては、従来の提案(最後案)中にありたる通商無差別待遇に関する規定および三国条約の解釈および履行に関する既定を追加挿入するものとす

      「国立公文書館アジア歴史資料センター」資料より

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 今日は、昭和時代前期の1942年(昭和17)、太平洋戦争下において、拓務省の興亜院等、外務省の東亜局・南洋局などを廃止・統合して、大東亜省が設置された日です。
 大東亜省(だいとうあしょう)は、太平洋戦争による占領地域の拡大に伴い、東条英機内閣のもとで、いわゆる大東亜共栄圏内の「純外交ヲ除ク」政務にあたるために設置された行政機関(省)でした。
 1942年(昭和17)6月16日の「行政簡素化実施要領」において、時局に適応した行政各庁の組織簡素化が求められ、官吏削減を含む新官制案が各省庁で検討され、7月26日に「行政簡素化実施案」が閣議決定されます。各省庁等における簡素化案は9月にまとまり、これらをもとに内閣や各省庁等の官吏削減とそれに伴う省務の調整、改組が進められ、9月15日に「大東亜省設置案」と外務省行政簡素化実施案等が一括決定されました。
 これをもとに、11月1日に「大東亜省官制」が出され、拓務省の対満事務局、興亜院、興亜院連絡部、外務省の東亜局・南洋局などを廃止、統合して、満州・中国、東南アジア占領地における一元的行政を目ざす、大東亜省が設置されます。これにより、内地、朝鮮、台湾、樺太を除く地における、日本の権益の保護、在留日本人に関する事務、移民、文化事業などを管理しました。
 部局には大臣官房のほか、総務局、満州事務局、支那事務局、南方事務局の四局が置かれ、南方事務局の管轄には、タイ、インドシナも含まれます。青木一男が初代大東亜相となりましたが、敗戦後の東久邇稔彦内閣のもと、1945年(昭和20年)8月26日の勅令「大東亜省廃止ニ伴フ外務部内臨時職員設置制中改正等ノ件」(昭和20年8月26日勅令第491号)により、即日廃止され、外務省に吸収されました。
 以下に、「大東亜省官制」(抄文)を掲載しておきますので、ご参照下さい。

〇「大東亜省官制」(抄文)1942年(昭和17)11月1日

   (昭和十七年十一月一日官報所載)

第一條 大東亞大臣ハ大東亞地域(内地、朝鮮、臺灣及樺太ヲ除ク以下同シ)ニ關スル諸般ノ政務ノ施行(純外交ヲ除ク)、同地域內諸外國ニ於ケル帝國商事ノ保護及同地域內諸外國在留帝國臣民ニ關スル事務竝ニ同地域ニ係ル移植民、海外拓殖事業及對外文化事業ニ關スル事務ヲ管理ス
 大東亞大臣ハ關東局及南洋廰ニ關スル事務ヲ統理ス
 大東亞大臣ハ第一項ニ規定スル事務ニ付大東亞地域ニ駐在スル
 外交官及領事官ヲ指揮監督ス

第二條 大東亞省ニ左ノ四局ヲ置ク
 總務局
 滿洲事務局
 支那事務局
 南方事務局

第三條 總務局ニ於テハ左ノ事務ヲ掌ル
 一 大東亞地域ニ關スル重要政策ノ企畫及省務ノ綜合調整ニ關スル事項
 二 大東亞地域ニ關スル調査及資料整備竝ニ情報ニ關スル事項
 三 大東亞地域ニ於ケル邦人要員ノ錬成ニ關スル事項
 四 所管行政ノ考査一般ニ關スル事項
 五 他局ノ所管ニ屬セサル事項

第四條 滿洲事務局ニ於テハ左ノ事務ヲ掌ル
 一 關東局ニ關スル事項
 二 滿洲國ニ關スル外政事項
 三 滿洲國ニ於テ事業ヲ爲スヲ目的トシテ特別ノ法令ニ依リ設立セラレタル法人ノ業務ノ監督ニ關スル事項
 四 滿洲移植民及滿洲拓殖事業ニ關スル事項
 五 對滿文化事業ニ關スル事項
 六 其ノ他關東州及滿洲國ニ關スル事項

第五條 支那事務局ニ於テハ左ノ事務ヲ掌ル
 一 支那ニ關スル外政事項
 二 支那ニ於テ事業ヲ爲スヲ目的トシテ特別ノ法令ニ依リ設立セラレタル法人ノ業務ノ監督ニ關スル事項
 三 對支文化事業ニ關スル事項
 四 其ノ他支那ニ關スル事項

第六條 南方事務局ニ於テハ左ノ事務ヲ掌ル
 一 南洋廰ニ關スル事項
 二 タイ國及印度支那ニ關スル外政事項
 三 南方諸地域ニ於テ事業ヲ爲スヲ目的トシテ特別ノ法令ニ依リ設立セラレタル法人ノ業務ノ監督ニ關スル事項
 四 南方諸地域ニ係ル文化事業ニ關スル事項
 五 其ノ他南方諸地域ニ關スル事項

第七條 大東亞省ニ參事官專任六人ヲ置ク勅任トス大東亞大臣ノ命ヲ承ケ調査及審議立案ヲ掌ル

  (中略)

第十九條 大東亞省ニ於テハ陸海軍ニ策應協力スル爲大東亞地域內占領地行政ニ關聯スル事務ヲ行フモノトス

大東亞省連絡委員會設置制

第一條 大東亞省所管事務ニ關スル重要事項ニ付關係各廰間ニ於ケル事務連絡處理ノ爲大東亞省ニ連絡委員會ヲ置ク

第二條 連絡委員會ハ委員長及委員若干人ヲ以テ之ヲ組織ス
 委員長ハ大東亞大臣ヲ以テ之ニ充テ委員ハ大東亞大臣ノ奏請ニ依リ關係各廰高等官ノ中ヨリ內閣ニ於テ之ヲ命ス

第三條 連絡委員會ニ幹事ヲ置ク大東亞大臣ノ奏請ニ依リ關係各廰高等官ノ中ヨリ內閣ニ於テ之ヲ命ス上司ノ指揮ヲ承ケ庶務ヲ整理ス

外務省官制中左ノ通改正ス

第一條 外務大臣ハ外國ニ關スル政務ノ施行外國ニ於ケル帝國商事ノ保護及外國在留帝國臣民ニ關スル事務竝ニ移植民及海外拓殖事業ニ關スル事務ヲ管理ス但シ大東亞大臣ノ管理ニ屬スルモノヲ除ク

 外務大臣ハ前項ニ規定スル事務ニ付外交官及領事官ヲ指揮監督ス

第三條中 「二十七人」ヲ「二十人」ニ改ム

第四條 外務省ニ左ノ四局ヲ置ク
 政務局
 通商局
 條約局
 調査局

第五條 政務局ニ於テハ外交ニ關スル事務及他局ノ所管ニ屬セサル事務ヲ掌ル

(參照)

  明治三十一年十月二十二日公布勅令第二百五十八號外務省官制抄錄

第一條 外務大臣ハ外國ニ關スル政務ノ施行、外國ニ於ケル帝國商事ノ保護及外國在留帝國臣民ニ關スル事務ヲ管理シ外交官及領事官ヲ指揮監督ス
 外務大臣ハ關東局ノ事務ニシテ涉外事項ニ關スルモノニ付滿洲國駐箚全權大使ヲ指揮監督ス

第四條 外務省ニ左ノ六局ヲ置ク

(左記略ス)

第五條 東亞局ニ於テハ滿洲國、支那國、香港及澳門ニ關スル外交事務ヲ掌ル

第六條 歐亞局ニ於テハ東亞局、亞米利加局及南洋局ノ掌ラサル外交事務ヲ掌ル

第六條ノ二 亞米利加局ニ於テハ亞米利加ニ於テル諸國(「カナダ」ヲ含ム)及其ノ屬地(「フイリツピン」群島ヲ除ク)ニ關スル外交事務竝ニ移民及旅劵ニ關スル事務ヲ掌ル

第六條ノ三 南洋局ニ於テハ「タイ」國、「フイリツピン」群島印度支那、「ビルマ」、「マレー」、北「ボルネオ」、東印度諸島、濠洲及「ニユー、ジランド」其ノ他ノ大洋洲諸島竝ニ南極地方ニ關スル外交事務ヲ掌ル

第七條 通商局ニ於テハ通商航海ニ關スル事務ヲ掌ル

    「日本外交年表竝主要文書 下巻」外務省編より

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 今日は、昭和時代前期の1943年(昭和18)に、東条英機内閣において、「現情勢下ニ於ケル国政運営要綱」が閣議決定された日です。
 「現情勢下ニ於ケル国政運営要綱」は、太平洋戦争開戦後1年半を過ぎても戦局がはかばかしくない中で、航空機生産最優先、食糧自給態勢確立など国内態勢強化方策を閣議決定したものでした。その内容は、「内外ノ現時局ニ鑑ミ悠久ナル国体観念ニ徹シ愈々必勝ノ信念ヲ堅ウシ、各種ノ施策ヲ完勝ノ一点ニ集中シ、以テ、聖戦目的ヲ完遂」するとし、①「統帥ト国務トノ関係ヲ更ニ緊密化シ、其ノ間ニ寸隙ナカラシメ、雄渾活発ナル戦争指導ノ遂行ヲ期ス」、②「雄渾活発ナル作戦ニ即応シ国内諸般ノ態勢ヲ徹底的ニ強化ス」、③「戦争完遂ノ一翼トシテ機敏溌剌タル外交ヲ行フ」とした方針の下で、国内態勢強化方策を打ち出したものです。
 その中で特に注目されるのは、学生・生徒の卒業までの徴兵猶予を停止することとされ、同年10月2日に「在学徴集延期臨時特例」(勅令第755号)が公布され、学徒出陣へと至ったこと、また、12月21日に「帝都其ノ他ノ重要都市ニ付キ強力ナjレ防空都市ヲ構成スル知ク人員・施設及建築物ノ疎開ヲ実施スjと「都市疎開実施要綱Jを決定し、都市部からの疎開が促進されることとなったことなどです。
 以下に、「現情勢下ニ於ケル国政運営要綱」を全文掲載しておきますので、ご参照下さい。

〇「現情勢下ニ於ケル国政運営要綱」1943年(昭和18)9月21日閣議決定

現情勢下ニ於ケル国政運営要綱
 昭和18年9月21日 閣議決定

方針

内外ノ現時局ニ鑑ミ悠久ナル国体観念ニ徹シ愈々必勝ノ信念ヲ堅ウシ、各種ノ施策ヲ完勝ノ一点ニ集中シ、以テ、聖戦目的ヲ完遂セントス 之ガ為
一、統帥ト国務トノ関係ヲ更ニ緊密化シ、其ノ間ニ寸隙ナカラシメ、雄渾活発ナル戦争指導ノ遂行ヲ期ス
二、雄渾活発ナル作戦ニ即応シ国内諸般ノ態勢ヲ徹底的ニ強化ス
三、戦争完遂ノ一翼トシテ機敏溌剌タル外交ヲ行フ

国内態勢強化方策

第一、国内態勢強化ノ目標ヲ左ノ諸点ニ置ク
一、官民ヲ挙ゲテ常ニ今次聖戦ノ本義ニ徹セシムルト共ニ、其ノ容易ナラザル大業ナルコトヲ覚悟セシメ、愈々必勝ノ信念ヲ以テ、不屈不撓、尽忠報国ノ誠ヲ致サシム
二、国力ヲ挙ゲテ軍需生産ノ急速増強ヲ図リ、特ニ航空戦力ノ躍進的拡充ヲ図ル
三、日満ヲ通ズル食糧ノ絶対的自給態勢ヲ確立ス
四、国内防衛態勢ノ徹底強化ヲ図ル

第二、国内態勢強化ノ為特ニ執ルベキ方途左ノ如シ
一、今次聖戦ニ対スル思想ヲ確立シ、民心ノ作興ヲ期シ国内言論ノ指導ヲ強化スルト共ニ諸般ノ取締ヲ強化シ、苟モ国論分裂ノ虞アル者ニ対シテハ徹底的ノ措置ヲ講ズ
二、行政運営ノ決戦化ヲ図ル
之ガ為
 (括弧内ハ立案分担ヲ示ス)
(イ)政務執行ノ敏速化ノ徹底ヲ図ル
(ロ)中央各庁業務ヲ徹底的ニ地方庁ニ移譲スルト共ニ地方行政ノ簡素敏速ヲ計リ尚地方行政協議会ノ機能ヲ強化ス(企)
(ハ)予算ノ徹底的単純化(蔵)
(ニ)官庁事務ノ徹底的簡素化就中許可認可事項ノ整理特ニ重要企業ニ対スル書類監督制ノ廃止、監督系統ノ簡易化、決戦ニ不必要ナル行政事務ノ廃止ヲ徹底的ニ行フ(企、各省)
(ホ)行政機構ヲ整理シ、其ノ徹底的簡素化ヲ図ルト共ニ決戦行政遂行ノ態勢ヲ整へシム(企、各省)
(ヘ)作業庁ノ施設並ニ人員ノ能率ノ徹底向上ヲ図ル(関係各省)
(ト)前各号関連シ、再ビ官庁人員ノ大巾縮減ヲ行フ(各省)
(チ)重要生産ニ対スル軍官発注ノ統一ヲ図ル(企、陸、海、商)
(リ)一層官紀ノ粛正ヲ図リ之カ為必要ナル措置ヲ講ス(内閣)
(ヌ)官庁執務ノ決戦化ヲ図ル(内閣)
 (註)時間ノ絶対的励行、土曜半休制ノ廃止ヲ行ヒ、且昼夜ヲ通ジ、又体日ト雖モ、官庁ノ機能ヲシテ断続ナク運行セシムル如ク措置ス
三、国民動員ノ徹底ヲ図ル
之ガ為
(イ)一般ノ徴集猶予ヲ停止シ、理工科系統学生ノ入営延期ノ制ヲ設ク
理工科系統学校ノ拡充整備ヲ計ルト共ニ法文科系統ノ大学、専門学校ノ統合整理ヲ行フ(企、文)
(ロ)徴集徴用ノ範囲ヲ拡大普遍化シ、特種技術ヲ掌ル者以外ノ除外例ヲ撤廃スル(陸、海、厚)
 普通教育ノ為ノ必要最少限ノ要員ヲ養成スルト共ニ広ク適材ヲ得ルノ措置ヲ講ス
(ハ)女子ノ動員ヲ強化ス
(ニ)速ニ勤労配置ノ適正ヲ図ル
(ホ)停年制ヲ撤廃スル等各職域ニ於ケル年齢ノ制限ヲ撤廃シ高齢者ノ活用ヲ図ル
(ヘ)第二、七、八、項ニ基ク官庁等ノ整理ニ依リテ、生ズル所ノ人員ハ、総合的計画ノ下ニ、悉ク、之ヲ戦争遂行ニ参与セシム(文)
(ト)義務教育八年制ノ施行ヲ引続キ延期ス
四、国内防衛態勢ノ徹底強化ノ為、特ニ左ノ方途ヲ執ル
(イ)国内防衛行政ノ統一的運営ヲ図ル(企、内)
(ロ)国家重要ノ地区、軍事上重要ナル施設並ニ軍事上重要ナル工場鉱山ニ対シ、極力防空ヲ強化ス
(ハ)帝都及重要都市ノ防衛ヲ全クスル為ニ之等ノ都市ニ於ケル官庁工場、家屋等ニ対シ必要ナル整理ヲ行フ
之ガ為官庁ハ率先シテ措置ヲ講ズ、細目ハ別紙ノ如シ
公共団体、各種外郭団体、各種統制機関、統制会社等ハ官庁ニ準ジ、所要ノ整理ヲ行フモノトス(企、内)
(ニ)前号ニ関連シ、速ニ官庁其ノ他ノ機構並ニ人員ノ地方分散ノ綜合的計画ヲ樹立実行ス(企、内)
(ホ)民間ノ企業整備ヲ促進シ、官庁ノ整理ニ準ジテ、帝都及重要都市ニ於ケル家屋店舗ノ整理ヲ行フ
五、重要企業ノ国家性ヲ更ニ明確ナラシメ生産ノ責任性ヲ確立スル如ク諸般ノ措置ヲ講ス(商)
六、海陸輸送ノ一貫的強化ヲ図ル(企)
七、租税及国民貯蓄ヲ更ニ強化シ徹底的ニ資金ノ戦力集中ヲ図リ其ノ効果ヲ最大限ニ発揮セシム(蔵)
八、価格及配給制度ノ徹底的簡素化ヲ図ル(企、商、農)
九、各種外郭団体ハ官庁ニ準ジ之ヲ整理シ及業務ノ運営ニ徹底的刷新ヲ図ル(関係各省)
十、各種統制機関並ニ統制会社等生産第二線部面ニ対シ徹底的整理ヲ行フト共ニ其ノ業務及事務ニ付キ、官庁ニ準ジテ徹底的刷新ヲ行ヒ、其ノ人員ヲ縮減ス(関係各省)

備考

方針一及三、ニ関スル方策ニ付テハ別途考究ス

(別紙)

帝都及重要都市ノ防衛ニ関シ官庁ノ措置スベキ細目案
一、官設工場ニ付テハ其ノ業務ヲ地方工場ニ移管シ、之ヲ廃止ス
二、要綱第三項ノ(イ)号ノ措置ニ即応シ、学校校舎ノ整理ヲ行フ
三、官庁事務ノ徹底簡素化ニ即応シ官庁庁舎ノ整理ヲ行フ
四、帝都並ニ重要都市ニ存在スルコトヲ必要トセザル各種官庁施設ノ地方移転ヲ行ヒ、其ノ庁舎ヲ整理ス
之等ニ関連シテ官庁庁舎ノ再配置ヲ行ヒ防空設備良好ナルモノニ集中シ、脆弱ナル庁舎ハ、之ヲ撤去疎開ス

   「国立国会図書館リサーチナビ」より

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 今日は、昭和時代前期の太平洋戦争末期、1944年(昭和19)に、初の集団学童疎開列車が東京の上野駅を出発した日です。
 太平洋戦争も後期になるとアメリカ軍の反撃・侵攻が著しくなり、爆撃機による直接的な本土攻撃の危機が増大した1943年(昭和18)12月「都市疎開実施要綱」が閣議決定されて都市施設の地方分散がはかられ、東京都での学童疎開も始まっていました。ついには、1944年(昭和19)6月15日に、アメリカ軍がサイパン島に上陸しましたが、この島が陥落しアメリカ軍の手に渡ると、B-29爆撃機による直接的な本土攻撃の危機が迫ります。
 そこで、6月30日に、東条英機内閣は、「学童疎開促進要綱」、「帝都学童集団疎開実施要領」を閣議決定し、「縁故疎開」を「強力ニ勧奨スル」とともに、縁故のない児童について「集団疎開」を実施することになりました。7月10日には、「帝都学童集団疎開実施細目」が発表され、文部省は、国民学校初等科第3~6学年児童約47万人中20万人の集団疎開計画を示すこととなります。
 そして、20万人規模の学校単位の集団疎開が実施されることとなり、8月4日には第1陣として、東京の国民学校初等科3年以上の児童が上野駅から群馬県に出発しました。その後も、続々と実施され、8月~9月には、約35万人の児童が、地方の約7,000ヶ所の公会堂、社寺、旅館などに集団疎開することとなります。
 そこで授業等も行われましたが、戦争末期の食糧不足、物資の欠乏により、その調達に追われる日々で、まとも教育はあまり行われなかったものの、1945年(昭和20)の疎開児童数は約45万人に達しました。そんな中で、1944年(昭和19)8月22日、沖縄県の児童、教員、保護者を乗せた疎開船「対馬丸」が、アメリカ軍潜水艦に撃沈され、犠牲者数1,476名(内、疎開学童780名)を出すという、いたましい対馬丸事件も発生しています。
 ポツダム宣言を受諾し、1945年8月15日に「大東亜戦争終結ノ詔書」(玉音放送)が流されて戦争が終わると翌日に、東京都は学童集団疎開を翌年3月まで継続する方針を明示しましたが、10月10日に東京都の学童集団疎開引揚げ第一陣が東京へ着き、11月には、集団疎開からの大部分の復帰が完了しました。
 以下に、学童疎開の根拠となった「学童疎開促進要綱」、「帝都学童集団疎開実施要領」、「帝都学童集団疎開実施細目」を全文掲載しておきますので、ご参照下さい。

〇「学童疎開促進要綱」1944年(昭和19)6月30日閣議決定

 防空上ノ必要ニ鑑ミ一般疎開ノ促進ヲ図ルノ外特ニ国民学校初等科児童(以下学童ト称ス)ノ疎開ヲ左記ニ依リ強度ニ促進スルモノトス

一、学童ノ疎開ハ縁故疎開ニ依ルヲ原則トシ学童ヲ含ム世帯ノ全部若ハ一部ノ疎開又ハ親戚其ノ他縁故者アル学童ノ単身疎開ヲ一層強力ニ勧奨スルモノトス
二、縁故疎開ニ依リ難キ帝都ノ学童ニ付テハ左ノ帝都学童集団疎開実施要領ニ依リ勧奨ニ依ル集団疎開ヲ実施スルモノトス他ノ疎開区域ニ於テモ各区域ノ実情ヲ加味シツツ概ネ之ニ準シ措置スルモノトス
三、本件ノ実施ニ当リテハ疎開、受入両者ノ間ニ於テ共同防衛ノ精神ニ基ク有機一体的ノ協力ヲ為スモノトス
四、地方庁ハ疎開者ノ的確ナル数及疎開先ヲ予メ農商省ニ通知スルモノトス

帝都学童集団疎開実施要領

第一 集団疎開セシムベキ学童ノ範囲
 区部ノ国民学校初等科三年以上六年迄ノ児童ニシテ親戚縁故先等ニ疎開シ難キモノトシ保護者ノ申請ニ基キ計画的ニ之ヲ定ムルモノトス

第二 疎開先
 疎開先ハ差当り関東地方(神奈川県ヲ除ク)及其ノ近接県トス

第三 疎開先ノ宿含
一、宿舎ハ受入地方ニ於ケル余裕アル旅館、集会所、寺院、教会所、錬成所、別荘等ヲ借上ゲ之ニ充テ集団的ニ収容スルモノトス
二、都ノ教職員モ学童ト共ニ共同生活ヲ行フモノトス
三、寝具、食器其ノ他ノ身廻品ハ最小限度ニ於テ携行セシムルモノトス

第四 疎開先ノ教育
一、疎開先ノ教育ハ必要ナル教職員ヲ都ヨリ附随セシメ疎開先国民学校又ハ宿舎等ニ於テ之ヲ行フモトス
二、疎開先ノ地元国民学校ハ教育上必要ナル協力援助ヲ為スモノトス
三、疎開先ニ於テハ地元トノ緊密ナル連絡ノ下ニ学童ヲシテ適当ナル勤労作業ニ従事セシムルモノトス
四、宿舎ニ於ケル学童ノ生活指導ハ都ノ教職員之ニ当ルモノトス
五、疎開先ニ於ケル学童ノ養護及医療ニ関シテハ充分準備ヲ為シ支障ナキヲ期スルモノトス

第五 物資ノ配給
 疎開先ニ於ケル食糧、燃料其ノ他ノ生活必需物資ニ付テハ農商省其ノ他関係省ニ於テ所要量ヲ用途ヲ指定シ特別ニ配給ヲ為スモノトス

第六 輸送
 本件実施ニ伴フ輸送ニ関シテハ他ノ輸送ニ優先シ特別ノ措置ヲ講ズルモノトス

第七 経費ノ負担
一、本件実施ニ伴フ経費ハ保護者ニ於テ児童ノ生活費ノ一部トシテ月十円ヲ負担スルノ外凡テ都ノ負担トス
尚前項ノ負担ヲ為シ得ズト認メラルルモノニ付テハ特別ノ措置ヲ講ズ
二、国庫ハ都ノ負担スル経費ニ対シ其ノ八割ヲ補助スルモノトス

第八 其ノ他
一 本件実施ニ伴ヒ出来得ル限リ残存学級ノ整理統合ヲ行フモノトス
二 本件実施ニ当リテハ都ニ於テ疎開先ノ地元府県、市町村ト緊密ナル連絡ヲ図ルモノトス

   「国立国会図書館リサーチナビ」より

〇「帝都学童集団疎開実施細目」1944年(昭和19)7月10日発表

第一 集団疎開ノ希望調査
 一、区長、学校長ヲ通ジテ適切ナル方法ニ依リ本措置ノ趣旨ヲ学童ノ保護者ニ徹底セシメ其ノ自発的申出ヲ指導勧奨スルコト
 二、勧奨ニ当リテハ時節柄言辞ニ注意シ無用ノ紛乱誤解ヲ惹起セザル様留意スルコト
 三、集団疎開ノ希望ヲ調査スル際併セテ縁故疎開ヲ希望スル学童ノ疎開先府県名、疎開予定期日等ヲモ調査シ、縁故疎開ノ円滑ナル遂行ニ資スルコト
 四、虚弱児童等ノ集団疎開ニ適セザル者ハ努メテ縁故疎開ニ依ラシムル如ク措置スルコト

第二 疎開先ノ決定
 一、帝都学童ノ疎開先ハ東京都郡部、埼玉県、群馬県、千葉県、茨城県、栃木県、山梨県、新潟県、宮城県、静岡県(一部ヲ横浜市、川崎市、横須賀市ノ疎開先ニ充ツ)長野県、福島県、山形県トシ必要ニ応ジ其ノ範囲ヲ拡張スルコト
 二、疎開先ハ努メテ罹災者避難ノ連結県又ハ其ノ近接県ニ選定スルコト
 三、集団疎開学童数ハ一応二十萬ト概定シ之ノ概数ヲ送出区及受入県ニ仮割当ヲ為シ計画準備ヲ進ムルコト
 四、都ニ於テ区別ノ受入県ヲ、区ニ於テ学校別ノ疎開先ヲ決定スルモノトシ、具体的宿舎割当ハ受入県、市町村当局ト都、区、学校当局ニ於テ
   協議下検分ノ上最終的決定ヲ為スコト

第三 疎開先ノ宿舎
 一、宿舎ハ一箇所(同一管理者ノ管理シ得ル範囲)ニ於ケル収容学童数百名程度ヲ標準トシテ選定スルコト
 二、宿舎借上契約ノ当事者ハ都タルベキモ、地元当局ニ於テ借上及借上条件ノ決定等ニ付強度ノ援助ヲ為スコト
 三、必要ナル寝具、炊事用具、机等ノ借入ニ付テモ同様援助ヲ為スコト
 四、地元ニ於テ採用スルヲ要スル寮母、作業員等ノ詮衡ニ付テモ同様援助ヲ為スコト
 五、宿舎ノ附属設備等ニシテ改善手入等ヲ要スルモノハ予メ地元ノ協力ニ依リ相当ノ手配ヲ講ジ置クコト
 六、借上ゲタル宿舎ノ建具、器物等ノ破損ニ対シテハ使用終了後ニ於テ之ガ損失補償ヲ為スコト
 七、宿舎ニ於ケル賄ハ宿舎ノ経営主等ヲシテ請負ハシメ又ハ地元ノ協力ヲ得テ直営スルコト

第四 疎開先ニ於ケル教育 養護
 一、疎開先ニ於ケル教育ヲ都立国民学校ノ分教場ノ形式ニ依ルカ或ハ地元委託ニ依ルカハ都ト受入県トノ協議ニ依ルコト
 二、教育ヲ地元ニ委託シタル場合ハ経営ヲ都ニ於テ支弁シ、都ヨリ附随セシメル教職員ヲ地元国民学校兼務トスルコト
 三、地元国民学校ニ於テハ事情ノ許ス限リ二部授業ノ採用等ニ依リ疎開学童ノ収容ヲ図ルコト
 四、右ニ依リ難キ場合ハ付近近在ノ公会堂、寺院、錬成所、大農場等ニシテ教場ニ充テ得ベキ建物又ハ宿舎ニ於テ授業ヲ行フモノトス之ガ為メ必要ナル机、腰掛等ハ地元調達ヲ図ルノ外努メテ都内ヨリモ送付スルコト
 五、集団疎開学童ハ都内上級学校ヘノ進学ヲ認ムルト共ニ本人ノ希望ニ依リ地元ノ収容力ヲ勘案シテ地元ニ於ケル進学ヲモ認ムルコト
 六、勤労作業ハ児童ノ環境順応ノ程度ニ応ジ且ツ地元トノ融和促進、食糧自給等ヲ目途トシテ之ヲ施スコト
 七、医師、看護婦ノ嘱託等ニ付地元ニ於テモ協力スルコト
 八、送出学校ヨリ若干ノ救急医療材料ヲ携行セシメルコト
 九、児童衣類等ノ洗濯修理等ニ付テハ能フ限リ地元婦人団体等ノ協力奉仕ヲ促スコト

第五 食糧其ノ他生活必需物資、学童用品ノ調達
 一、主要食糧、調味食品等ノ配給統制物資ハ疎開計画ノ進捗ニ即応シテ東京都分ヨリ受入県分ニ割当転換ヲ為シ、集団疎開学童用トシテ指定シ受入県ニ割当ツルコト
 二、燃料其ノ他ノ統制物資ニ付テモ右ニ準ジ取扱フコト
 三、惣菜、生鮮魚介等ノ副食物ニ付テハ極力地元ニ於テ調達ニ付斡旋スルコト
 四、生鮮魚介類ノ入手困難ナル地方ニ対シテハ塩干魚、介藻類、佃煮等代替物ノ配給ヲ考慮スルコト
 五、計画配給ノ単位量ニ付テハ努メテ東京都ニ於ケル現行標準ヲ尊重スルコト
 六、食糧、燃料其ノ他生活必需物資ノ調達運搬等ニ付テハ地元当局、諸団体等ニ於テ能フ限リノ協力ヲ為スコト
 七、疎開学童ヲシテ極力食糧燃料等ノ自給生産ニ当ラシムルコト
 八、学童用品ノ配給ハ都ト受入県トノ協議ニ依リ夫々責任区分ヲ定メ配給ノ適正ヲ期スルコト
   此ノ際特ニ地元学童トノ調和ニ留意スルコト
 九、 食糧、燃料等生活必需物資ハ学童ノ転入以前ニ調達準備ニ遺漏ナキヲ期スルモノトシ、非常用トシテ食糧数日分ヲ児童ヲシテ携行セシムルコト

第六 輸送
 一、疎開児童数及出発日時ハ可及的速ニ区長ヨリ疎開輸送支部ニ申告セシムルコトトシ、必要ニ応ジ臨時列車ノ特発、車両ノ指定其ノ他特別ノ措置ヲ考慮スルコト
 二、見廻物品ノ携行ハ寝具、食器、着換ヘ其ノ他当座ノ必需品ニ止メ他ハ取纏メ追送ノ方途ニ依ルコト
 三、見廻物品ハ車内持込ヲ除キ児童一人当リ二十キロ以内一個(蒲団ヲ含ム)程度トスルコト
 四、炊事道具、校具等ハ必要最小限度ノモノヲ輸送スルコト
 五、発着地ニ於ケル小運送ハ小運送業者ニ依ルノ外輸送挺身隊、勤労報国隊、地元諸団体ノ協力ヲ促スコト

第七 経済
 一、経済負担ノ減免ヲ受クル児童保護者ハ貧困者トシ申請ニ依リ都ニ於テ決定スルコト
 二、本件実施ニ要スル受入県、市町村ノ費用ニ対シ国庫ヨリ若干ノ補助ヲ為スコト

第八 都内ヘノ復帰、父兄ノ面会
 一、疎開児童ニシテ止ムヲ得ザル事情ニ依リ都内ヘノ復帰等ヲ希望スル場合ハ学校長ノ詮議ニ依リ之ヲ承認シ得ルコト
 二、父兄ノ面会ニ付テハ成ルベク便宜ヲ図ルモ極力自制セシムルコト
   尚 必要アルトキハ疎開先責任者ヨリ連絡シ父兄ヲ呼寄スルコト

第九 其ノ他
 一、本件実施ノ期間ハ差当リ一年トスルコト
 二、父兄、教職員、学童、受入側官民ニ対シ本件実施ノ本義ヲ徹底セシムル様特別ノ措置ヲ講ズルコト
 三、本件実施ニ当リテハ地元当局ノ外警防団、婦人会、青少年団、在郷軍人会、翼賛壮年団其ノ他諸団体、篤志家等ノ協力ヲ促スコト
 四、都庁内ニ疎開先トノ緊密ナル連絡ニ資スル為連絡協議会ヲ設置スルコト
 五、都ノ職員ヲ受入県庁内又ハ適当ナル場所ニ派遣シ必要ニ依リ受入県ニ兼務セシムルコト
 六、受入県庁ニ於テハ各部課トモ其ノ所管ニ応ジ協力スルト共ニ本件主管ノ部課ヲ特定シ事務連絡ニ資スルコト

☆学童疎開関係略年表

<1941年(昭和16)>
・11月20日 芦田均議員が空襲の危険がある東京・大阪で子供を事前に避難させることを推奨する
・12月16日 勅令「防空法施行令」で国民学校初等科児童は、病人、妊婦、老人などと共に事前避難の対象とされる

<1943年(昭和18)>
・10月25日 次官会議決定で、重要都市人口疎開に対する当面の啓発宣伝方針で、「任意の人口疎開」をうたう
・10月31日 「防空法改正」(第三次防空法)で、「疎開」の言葉が登場する
・12月10日 文部省により縁故による学童疎開促進が発表される
・12月21日 東條内閣により「都市疎開実施要綱」が閣議決定され、東京都区部、横浜、川崎、名古屋、大阪、神戸などを疎開地区とする

<1944年(昭和19)>
・3月3日  「一般疎開促進要綱」が閣議決定され、縁故疎開促進の原則が出される 
・3月10日 東京都は「学童疎開奨励ニ関スル件」を通牒し、縁故・養護学園を利用する疎開実施につき指示する
・4月 東京都では縁故のない児童のための疎開学園設置が進められる
・4月2日 学童疎開の内務省案が示される
・4月5日 東京都は、縁故のない学童のため施設を利用する「戦時疎開学園設置要綱」を発表する
・6月30日 東条英機内閣が「学童疎開促進要綱」「帝都学童集団疎開実施要領」を閣議決定し、集団的な学童疎開が促進される
・7月5日 防空総本部は「帝都学童疎開実施細目」を定め、実施が勧奨される
・7月7日 緊急閣議により沖縄の疎開が決定される
・7月10日 「帝都学童集団疎開実施細目」が発表される
・7月12日 文部省は「帝都学童集団疎開実施細目」により、国民学校初等科第3~6学年児童約47万人中20万人の集団疎開計画を示す
・7月19日 沖縄県は「学童集団疎開準備ニ関スル件」を通牒し、疎開を準備するよう命じる
・7月22日 文部省は「帝都学童集団疎開実施要領」「同実施細目」に準じ、疎開都市として、横浜、川崎、横須賀、大阪、神戸、尼崎、名古屋、門司、小倉、戸畑、若松、八幡の12都市を追加指定する
・8月4日 20万人規模の疎開の第1陣の児童が東京の上野駅を出発する
・8月16日 沖縄県の九州などへの疎開が開始される
・8月22日 沖縄から本土への学童疎開のための「対馬丸」が米軍潜水艦により撃沈され、死者1,418人(うち学童775人)が出る(対馬丸事件)
・9月25日 全国で子供の集団疎開が41万6,946人となる
・8月~9月 約35万人の児童が、約7,000ヶ所の旅館、寺院などに集団疎開する
・9月 文部省は指令を改め、旅館を宿舎とする場合は一ヶ月25円、その他は23円以内とし、特別の事情ある場合は文部大臣の承認を受けることとする
・9月29日 「疎開学童対策協議会規程」と「疎開学童ニ関スル措置要領」が閣議決定される

<1945年(昭和20)>
・1月12日 「昭和20年度学童集団疎開継続ニ関スル措置要領」を閣議決定し、学童集団疎開期間を当初の予定より1年間延長する
・3月9日 「学童疎開強化要綱」を閣議決定し、初等科3年以上の児童は全員を疎開させ、1、2年の児童は、縁故疎開を強力に勧奨するとともに、集団疎開の対象にも加える
・3月15日 空襲に対処するため「大都市における疎開強化要綱」が閣議決定される(学童、母子など続々緊急疎開)
・3月16日 「学童疎開強化要綱(追加)」を再度閣議決定し、高等科の児童についても可能なかぎり縁故疎開をすすめるとする
・3月26日 東京都は千葉・茨城・静岡県の集団疎開学童に青森・岩手・秋田へ再疎開命令を出す
・4月 疎開都市に京都、舞鶴、広島、呉の4都市を追加指定する
・5月1日 集団疎開学童への主要食糧の配給量が減少する
・7月11日 集団疎開学童への主食の配給さらに1割減少、3年生まで252g(1合8勺)、4年生以上354g(2合5勺)となる
・8月16日 東京都は学童集団疎開を昭和21年3月まで継続する方針を明示する
・10月10日 東京都の学童集団疎開引揚げ第一陣が東京へ着く
・11月 集団疎開からの大部分の復帰が完了する

<1946年(昭和21)
・3月 神田・日本橋・京橋区などの集団疎開学童が帰京する
・11月 沖縄の集団疎開学童が九州から沖縄へ帰還する 

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事) 

770年(神護景雲4)第46代・48代の天皇とされる孝謙天皇(称徳天皇)の命日(新暦8月28日)詳細
1830年(文政13)幕末の思想家・教育者吉田松陰の誕生日(新暦9月20日)詳細
1897年(明治30)幕末の土佐藩士・政治家後藤象二郎の命日詳細
1992年(平成4)小説家松本清張の命日詳細
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 今日は、昭和時代前期の太平洋戦争下の1942年(昭和17)に、逓信省によって戦時郵便貯金切手(通称:弾丸切手)の発行が開始された日です。
 戦時郵便貯金切手(せんじゆうびんちょきんきって)は、太平洋戦争下で、軍事費を補うため、逓信省が発行し全国の郵便局等で発売された、割増金付きの郵便貯金の債券(注:郵便切手として使用できない)でした。額面2円で、無利子でしたが、割増金(懸賞金)は1等1,000円、2等100円、3等5円、4等2円の4種類が、宝くじのように番号による抽選で当たり、切手の収入で弾丸(戦費)が増えること、弾丸のように速い当選金の支払い、弾丸のようによく当たるくじということから、通称「弾丸切手」と呼ばれています。
 太平洋戦争開戦直後の1941年(昭和16)12月22日に、東条英機内閣は「逓信緊急政策要綱」を閣議決定し、「割増金付き郵便貯金切手制度の実施」を盛り込みました。翌年、当時の大蔵省は「貯蓄総額230億円」という目標を立て貯蓄キャンペーンを行なっていましたが、この一環として発行が決まったものです。
 毎月1,000万円ずつ発売され、販売期間は毎月1日から15日まで、抽選は20日に行われ、その11日後から割増金(懸賞金)の払い戻しを行ないましたが、元金は無利息で、5年間は引き出しできない条件とされていました。売り出し広告には、兵器のイラストなどが使われ戦意高揚の役割も果たしています。
 尚、郵便局以外にも、銀行、証券会社、百貨店、煙草屋などでも購入でき、次第に地域(町内会までも)や職場に割り当てられ、半強制的に徴収されるようになっていきました。これらは、太平洋戦争後の強度のインフレーションによって、価値が大きく低下し紙屑同然になったとされます。
 以下に、戦時郵便貯金切手の発行の根拠となった、閣議決定「逓信緊急政策要綱」を全文掲載しておきますので、ご参照下さい。

〇「逓信緊急政策要綱」 1941年(昭和16)12月22日 閣議決定

第一 逓信部門ノ戦時体制強化ニ関スル方策
国民生活戦時体制ノ強化及戦争目的完遂ニ対スル国力ノ集中的発揚ヲ目的トシ交通、通信、電力、ニ関スル国民ノ利用態様ヲ必要最低限度ニ切下グルト共ニ之ヲ確保シ他面現存施設設備ヲ再編成シ生産力拡充上其ノ最高能率ノ発揚ヲ期スル為左記方策ヲ実施スルコトトシ所要法制ノ整備発動等諸般ノ措置ヲ講ズルモノトス。
(1)通信需要ノ徹底的規正及通信取扱制度ノ戦時編成
国民生活戦時化ニ即応シ既ニ実施シ来レル通信利用規正方策ヲ徹底シ不急不用通信ハ之ヲ停止セシムルコトトシ之カ為郵便、電信、電話、ノ通信制限ヲ実施スル等諸般ノ措置ヲ断行スルト共ニ通信業務ノ戦争経済ノ活発ナル進展ニ遺憾ナカラシムルコトトス。
(2)電気通信施設ノ統合整理
電気通信施設ハ其ノ大本ヲ国営ト為シアルモ特殊目的ニ専用セラルル各種施設ハ官民ヲ通ジ尚少カラズ。之ガ建設、保守及活用各般ニ亘リ資材労力ノ効率的使用又ハ通信能率ノ最高度発揚ノ為ニハ之ヲ逓信官署ニ統合整理スルヲ要スルモノナル処今日迄末ダ実行シ得ザル次第ナルガ此際至急之ガ実現ヲ図ルコトトス。
(3)電力利用ノ戦時再編成
電力需給関係ノ実情ニ鑑ミ既ニ電力調整令ニ基ク電力消費規正ヲ実施シアル処之ガ一般的強化ヲ図ルト共ニ電力消費ノ大宗タ(一行判読不能)興強行スルノ要緊切ナルモノアリ、尚電力ノ積極的合理的使用ニ依ル国民経済生産性ノ高揚特ニ農村電化、鉄道電化ノ促進ハ食糧、労力、燃料各対策ニモ重大ナル関連アリト認メラルルヲ以テ至急電力経済戦時編成ノ完成ヲ図ルコトトス。
(4)海上輸送物資ノ出荷統制
大東亜戦争ノ発展ニ対応シ今後愈々其ノ緊迫度ヲ加重スベキ海上輸送力ノ強化ハ海運国家管理ノ実施ニヨリ其ノ高能率ヲ確保セントスルモ之ニ対応スル強力ナル出荷統制ノ実行ハ切実ニ要請セラルル処ニシテ其ノ実施ナクンバ戦争遂行上極メテ憂慮スベキ事態ヲ招来スルコト明ナリ。
即チ全生産活動ノ計画的指導ニヨリ、完全強力ナル海上輸送物(一行判読不能)トス。
(5)海陸輸送連繋強化
今後愈々加重スベキ海上輸送力ノ逼迫或ハ戦時下港湾施設ニ対スル危険及被害発生等ノ事態ニ備ヘ海上輸送距離ノ短縮ヲ図リ海上輸送力ノ増強ヲ期スベク海上輸送物資ノ陸上輸送転嫁ノ方策ハ更ニ一層強化スルコトヲ要シ全面的出荷統制ノ実施ト照応シ海陸輸送連繋強化ヲ組織的計画的ニ実現スルコトトス。
(6)コンヴォイ制実施ニ要スル施設促進
コンヴォイ制実施ニヨル輸送能率ノ低下ヲ最少限度ニ防止シ且最モ安全ナル運航ヲ確保センガ為ニ港湾施設、荷役施設、港湾労働力ノ統制強化等諸般ノ措置ヲ講ズルコトトス。
(7)年金ノ最高制限額引上
国民生活ノ確保ト生産力拡充並ニ国債消化資金ノ蓄積ハ戦時下愈々其ノ重要度ヲ加ヘツツアル処両事業ノ使命達成上現在最高制限額ノ引上ハ緊急ノ要アルヲ以テ関係庁ト協力シ速ニ之ガ実施ヲ図ルコトトス。
(8)郵便小切手貯金法ノ制定
近時現金取引ノ旺盛トナレルニ伴ヒ民間ニ退蔵セラルル資金漸次増加シ種々ノ弊害ヲ醸成シツツアル実況ニ鑑ミ郵便小切手制度ヲ創始シ国民ヲシテ日常主要ナル取引ハ現金ニ代ヘ郵便小切手ヲ以テ決済セシメ以テ退蔵資金ヲ吸収スルト共ニ通貨ノ膨張ヲ抑制シ戦時財政政策ノ遂行ニ資スル為郵便小切手貯金法(仮称)ヲ制定セントス。
(9)郵便貯金切手及割増金付郵便貯金切手制度ノ創始
現下国内ニ横溢スル浮動購買力ノ急速ナル吸収ヲ図ルノ要アリト認メラルルヲ以テ郵便貯金制度ニ附帯スル施設トシテ郵便貯金切手制度及割増金付郵便貯金制度ヲ実施スルコトトス。

第二 逓信部門ノ拡充強化ニ関スル方策
交通、通信、電力等逓信事業ハ全国家経済活動ノ基礎条件トシテ常ニ先行的強化拡充ヲ必要トスルモノナル処計画経済ノ実現徹底未ダ尚充分ナラザルガ為ニ稍モスレバ反テ諸生産活動ニ後進シ、国家総力発揚上種々遺憾アリシコトヲ覆ヒ得ザル次第ナルガ、生産力拡充及生産活動最高効率ノ確保ヲ以テ戦時経済完遂ノ鍵鑰トスル将来ニ於テ万難ヲ排シ之ガ拡充強化ヲ期シ左記方策ヲ実施スルコトトシ各種国家経済計画等ニ於テ其ノ実現ニ必要ナル諸般ノ措置ヲ講ズルモノトス。
(1)電力設備ノ拡充強化
電力設備ハ之ガ建設ニ極メテ長大ナル年月ヲ必要トスルガ為ニ国民経済活動ノ昂揚期殊ニ戦時経済下ニ於テ極端ナル電力不足ヲ惹起セル事例少ナカラズ。科学工業、電気冶金工業等重化学工業ノ飛躍的活動ヲ予期セラルル今次戦争遂行上電力設備ノ拡充強化ニ特ニ配意ヲ為スト共ニ電力設備ノ効率ヲ増進スル為電力機器及電気用品ノ全般ニ亘リ之ガ規格ヲ急速ニ制定実施シ以テ之等機器及用品ノ製造配給使用ノ合理化ヲ期スルコトトス。
(2)通信施設拡充改良ノ促進
電信、電話需要ハ戦争経済進展ト併行シ飛躍的増加ヲ見ルコト明ナル処既ニ現有能力ヲ以テシテハ戦時体制下各種活動ニ相当支障ヲ来シアル次第ナルヲ以テ特ニ防衛通信、官用通信、生産活動等ニ即応スル通信施設ノ整備拡充ニ遺憾ナカラシムルコトトス。
尚郵便逓送機関ノ整備ハ燃料政策ニ照応シ焦眉ノ急務ナルヲ以テ、逓送事業ノ統合、各種逓送施設ノ整備確立等適切ナル処置ヲ講ジ、仍テ基礎的通信ノ安定ヲ期スルコトトス。
(3)船腹ノ急速拡充
戦時急造船トシテ戦時規格ヲ設定シ、急速ナル船腹ノ増強ヲ図ルト共ニ燃料政策ノ実情ニ鑑ミ之等船舶ハ総テ石炭ヲ使用スルモノトシテ其ノ焚炭装置ニモ極力石炭経済化ヲ図ルコトトス、尚船舶不足激化、燃料油ノ不足ニ対処シ国内石炭輸送ノ確保ヲ図ルタメ機帆船ノ活用ヲ図ルト共ニ石炭ヲ燃料トスル艀船曳船航路ヲ新造スルコトトス。
(4)航空工業ノ助長強化
航空機ノ大量確保並之ガ消耗ニ対スル補充ヲ急速且容易ナラシムル為航空機部分品ノ製造事業ニ対シテモ必要ナル保護統制ヲ加フルト共ニ滑空機製造事業ニ対スル助長ヲ強化スル如ク航空機製造事業法ヲ改正シ之ニ基キ適切妥当ナル保護統制ヲ加ヘ以テ航空機製造ノ量的質的発展ヲ図ルモノトス。
(5)特殊技能者養成施設ノ拡充強化
電気通信士、電気通信施設建設保守要員、航空機乗員、及海員等特殊技能者ノ養成ハ、軍要員ノ充足、大東亜共栄圏建設工作ノ発展ニ対処シ、飛躍的増強ヲ必要トスルヲ以テ之ガ養成施設ノ拡充ヲ図リ官民養成機関ノ整備強化ニ付特段ノ措置ヲ講ズルコトトス。
尚国民航空ノ振興ニ関シ青少年ヲ対象トスル飛行機及滑空機操縦及技術ノ訓練実施等所要ノ施設機構ヲ整備拡充スルコトトス。

第三 共栄圏逓信政策確立ニ関スル方策
広大ナル地域ニ亘ル大東亜共栄圏内諸邦ノ結帯トシテ相互間ニ存スル長大ナル時空間ノ短縮ヲ期スル交通、通信政策ハ敵性諸国家ノ既存勢力ト抗争シ着々実行シ来リタル所、今次大東亜戦争激発ニ際シ之ガ飛躍的展開ヲ敢行シ、新秩序建設ノ基礎工作ヲ急速完成スルコトヲ要スルヲ以テ之ガ為左記方策ヲ急速実施スルコトトシ所要外交、経済諸般ノ措置ヲ講ズルモノトス。
(1)交通、通信、電力ニ関スル敵性資本及技術ノ国家管理
我国ニ於ケル敵性資本及技術ノ国家管理ヲ急速ニ実施シ、科学技術ノ日本的転換及企業ノ日本的性格ノ確立ヲ図リ、将来ニ於テ外国技術及資本ニヨル経営、支配ヲ完全ニ此際脱却スベキ緊(一行判読不能)
(2)米、英勢力ノ徹底的駆逐
大東亜ニ存スル米、英交通通信、電力資本施設ノ完全ナル制圧及戦争遂行中敵ノ企図スベキ一切ノ交通通信工作ノ破粋ニ遺憾ナキヲ期スルト共ニ、共栄圏内諸邦ノ交通、通信電力事業ノ米英的要素ヲ絶滅シ我国ノ資本及技術ニヨル新建設ヲ確保スルガ為所要工作ヲ急速実施スルコトトス。
(3)共栄圏通信連合ノ結成
旧世界秩序ヲ基礎トシ成立シアル郵便電信ニ関スル万国条約等ノミニテハ大東亜共栄圏ノ建設及世界新秩序ノ確立上支障少カラザルヲ以テ共栄圏内諸邦相互間ニ於テ急速新事態ニ即応スベキ通信制度組織ヲ確立スルノ要アリ仍テ大東亜通信連合ヲ結成シ、之ガ急速ナル具体化ヲ図ルコトトス。
(4)通信連絡網及交通路網ノ整備
大東亜ヲ支配シアリタル米英交通通信勢力ノ駆逐ニ照応シ共栄圏内ニ於ケル交通通信網ノ急速ナル整備ハ戦争遂行及建設開発工作上絶対必要ナルヲ以テ、戦局ノ発展ニ追随シ適切ナル整備建設ニ遺憾ナカラシムルコトトス。
(5)共栄圏急速建設ニ必要ナル各種研究調査ノ実施
官民調査研究機関等ヲ動員シ、科学技術ノ集約的活用ヲ図ルコトトシ、速カニ具体的目標ノ定立及所要資材資金ノ供給確保ニ努メ、要スレバ現地調査ノ実施等活発ナル措置ヲ講ズルコトトス。

 第四 行政機構ノ整備調整ニ関スル方策
高度国防国家体制建設ニ当リ其ノ中核タル行政機構ノ整備調整ハ極メテ緊切ニシテ之ガ全面的実施ヲ促進スベキ要アリト認メラルルヲ以テ戦争遂行ニ障害ヲ与フルコトナキ万途ヲ以テ着々実施スルコトトシ差向左ノ方策ニ付具体的措置ヲ講ズルモノトス。
(1)内外地行政ノ総合強化
多年ノ懸案事項ナル処戦時下之ガ機構的統合ニ付テハ相当困難アリトスルモ交通通信ニ関スル行政ハ敏速ナル一体的運行ヲ要スルコト極メテ大ナルヲ以テ、内外地交通通信行政ノ総合性ヲ強化確保スル為必要ナル運用上ノ措置ヲ講ズルコトトス。
(2)行政監察制度ノ確立
(文字判読不能)図ルト共ニ内閣ニ総合的行政監察官庁ヲ創設シ政府全般ニ亘ル統一的監察事務ヲ実施セシムルコトトス。
尚現行官吏服務規律ノ再検討等官吏道ノ積極的本源的確立錬成ニ付所要ノ措置ヲ講ズルコトトス。
(3)官庁下級職員ノ厚生対策
官庁下級職員ハ最低生活ニ甘ンジツツモ尚生活費ノ欠損ヲ見ルモノ極メテ多ク之ガ生活確保ニ付急速対策ヲ講ズルコトトシ併セテ時局下重要ナル行政ノ実務ニ従事シツツアル之等下級職員ノ錬成保健等諸般ノ厚生施設ノ整備拡充ヲ急速実施スルコトトス。

   「国立国会図書館リサーチナビ」より

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