ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

タグ:東日本高速道路

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 今日は、昭和時代後期の1988年(昭和63)に、北陸自動車道の朝日IC~名立谷浜ICが開通し、新潟黒埼IC~米原JCTが全通した日です。
 北陸自動車道(ほくりくじどうしゃどう)は、新潟県新潟市江南区の新潟中央ジャンクション (JCT) から滋賀県米原市の米原JCTへ至る、全長476.5km(国内3位の長さ)の高速道路(高速自動車国道)で、全線を日本道路公団が建設しました。2005年(平成17)10月1日の道路関係四公団民営化後は、朝日インターチェンジ (IC) を境に東側を東日本高速道路(NEXCO東日本)が、西側を中日本高速道路(NEXCO中日本)が管理しています。
 1961年(昭和36)に新潟市~大津市が路線の基準として定められ、1966年(昭和41)には新潟市~滋賀県坂田郡米原町(現在の米原市)が、国土開発幹線自動車道の予定路線とされ、富山~武生間より着工されました。そして、1972年(昭和47)10月18日に、金沢西IC~小松ICの23.2kmが初めて開通し、順次開通区間が延ばされていきます。
 1988年(昭和63)に朝日~名立谷浜間の開通により、米原~新潟間が繋がり、第1回目の全線開通となりました。しかし、その後部分的に路線を改編し、1997年(平成9)11月13日の新潟亀田~新潟空港間の開通を以って、北陸自動車道の全通とされています。
 それから、2002年(平成14)の新潟空港以北の路線の開業に伴い、新潟中央JCT以北を日本海東北自動車道の区間と改められました。現在、新潟中央JCTで日本海東北自動車道と磐越自動車道、長岡JCTで関越自動車道、上越JCTで上信越自動車道、小矢部砺波JCTで東海北陸自動車道と能越自動車道、福井北JCTで中部縦貫自動車道、敦賀JCTで舞鶴若狭自動車道、米原JCTで名神高速道路に接続しています。
 この完成によって、北陸地方の主要都市相互および阪神・中京圏との時間距離を短縮して諸産業の振興に大きな役割を果たし、観光面でもアッピールして、北陸経済圏の拡大に寄与してきました。

〇北陸自動車道関係略年表

・1961年(昭和36)11月15日 新潟市~大津市が路線の基準として定められる
・1966年(昭和41)7月1日 新潟市~滋賀県坂田郡米原町(現:米原市)が国土開発幹線自動車道の予定路線とされる
・1972年(昭和47)10月18日 金沢西IC~小松IC開通する
・1973年(昭和48)10月16日 小杉IC~砺波IC開通する
・1973年(昭和48)10月17日 小松IC~丸岡IC開通する
・1974年(昭和49)10月29日 砺波IC~金沢東IC開通する
・1975年(昭和50)9月9日 丸岡IC~福井IC開通する
・1975年(昭和50)10月4日 富山IC~小杉IC開通する
・1976年(昭和51)11月2日 福井IC~武生IC開通する
・1977年(昭和52)12月8日 武生IC~敦賀IC開通(ただし今庄IC - 敦賀IC間は暫定2車線)する
・1978年(昭和53)9月21日 新潟黒埼IC(当時)~長岡ICが開通する
・1978年(昭和53)10月12日 金沢東IC~金沢西IC開通する
・1980年(昭和55)4月7日 敦賀IC~米原JCT開通する
・1980年(昭和55)6月13日 今庄IC~敦賀ICの4車線化工事完了する
・1980年(昭和55)9月27日 長岡JCT~西山IC開通、同時に長岡JCT - 長岡ICを関越自動車道に改称する
・1980年(昭和55)12月19日 滑川IC~富山IC開通する
・1980年(昭和55)10月29日 西山IC~柏崎IC開通する
・1982年(昭和57)11月17日 柏崎IC~米山IC開通、黒埼PA開設する
・1983年(昭和58)11月9日 米山IC~上越IC開通する
・1983年(昭和58)12月13日 朝日IC~滑川IC開通する
・1987年(昭和62)7月21日 名立谷浜IC~上越IC開通(暫定2車線)する
・1988年(昭和63)7月20日 朝日IC~名立谷浜IC開通(暫定2車線)し、新潟黒埼IC~米原JCTが全通する
・1994年(平成6)7月28日 新潟西IC~新潟亀田IC開通と同時に磐越自動車道と接続する
・1996年(平成8)3月28日 小矢部砺波JCTで能越自動車道と接続する
・1997年(平成9)11月13日 新潟亀田IC~新潟空港IC開通により、全線開通する
・1999年(平成11)10月30日 上越JCT開通により上信越道と接続、同時に名立谷浜IC~上越IC4車線化する
・2000年(平成12)4月25日 能生IC~名立谷浜IC4車線化する
・2000年(平成12)9月5日 越中境PA~親不知IC4車線化する
・2000年(平成12)9月19日 糸魚川IC~能生IC4車線化する
・2000年(平成12)10月3日 親不知IC~糸魚川IC4車線化により、全線が4車線で完成する
・2002年(平成14)5月26日 日本海東北自動車道新潟空港IC~聖籠新発田IC開通と同時に新潟中央JCT ~新潟空港IC間を北陸自動車道から日本海東北自動車道に改称する

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1502年(文亀2)連歌師・古典学者宗祇の命日(新暦9月1日)詳細
1907年(明治40)日本とロシアとの間で、「第一次日露協約」が締結される詳細
1913年(大正2)歌人・小説家伊藤左千夫の命日(左千夫忌)詳細
1965年(昭和40)小説家谷崎潤一郎の命日(潤一郎忌)詳細
1971年(昭和46)全日空機雫石衝突事故が起き、乗員乗客162人全員が死亡する詳細
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 今日は、平成時代の1997年(平成9)に、磐越自動車道が西会津IC~津川IC間の供用を開始により、全線開通した日です。
 磐越自動車道(ばんえつじどうしゃどう)は、福島県いわき市から郡山市、会津若松市などを経て新潟県新潟市へ至る高速自動車国道で、略称は磐越道、東日本高速道路が管理してきました。1985年(昭和60)に工事に着手し、1990年(平成2)10月31日に、磐梯熱海IC~猪苗代磐梯高原IC間が開通し、磐越自動車道の最初の開通区間となります。
 その後、1992年(平成4)に猪苗代磐梯高原IC~会津坂下IC間、1994年(平成6)に安田IC~新潟中央IC間、1995年(平成7)にいわきJCT~郡山JCT間、1996年(平成8)に会津坂下IC~西会津IC間と順次開通区間を伸ばしていき、1996年(平成8)11月14日の津川IC~安田IC間の供用開始により、磐越自動車道(いわきJCT~新潟中央IC)が全通しました。総延長は約213kmで、いわきJCTで常磐自動車道、郡山JCTで東北自動車道、新潟中央JCTで北陸自動車道・日本海東北自動車道とそれぞれ接続していて、日本海側と太平洋側とを直結する重要な道路となっています。
 尚、「国土開発幹線自動車建設法」による路線名としては、全線が東北横断自動車道いわき新潟線とされてきました。

〇磐越自動車道関係略年表

・1985年(昭和60) : 磐越自動車道建設工事に着工する
・1990年(平成2)10月31日 : 郡山JCT~磐梯熱海IC間の供用を開始する
・1991年(平成3)8月7日 : 磐梯熱海IC~猪苗代磐梯高原IC間の供用を開始する
・1992年(平成4)10月29日 : 猪苗代磐梯高原IC~会津坂下IC間の供用を開始する
・1994年(平成6)7月28日 : 安田IC~新潟中央IC間の供用を開始し、北陸自動車道と接続する
・1995年(平成7)8月2日 : いわきJCT~郡山JCT間の供用を開始し、常磐自動車道と接続する
・1996年(平成8)10月17日 : 会津坂下IC~西会津IC間の供用を開始する
・1996年(平成8)11月14日 : 津川IC~安田IC間の供用を開始する
・1997年(平成9)10月1日 : 西会津IC~津川IC間の供用を開始し、全線開通する
・1999年(平成11)4月27日 : 磐梯熱海IC~猪苗代磐梯高原IC間が両側4車線に拡幅される
・2001年(平成13)10月31日 : 磐梯山SA~磐梯河東IC間が両側4車線に拡幅される
・2004年(平成16)10月23日 : 新潟県中越地震が発生し、一時的に会津若松IC~津川IC間が通行止となる
・2004年(平成16)12月1日 : いわき三和IC~差塩PA間が両側4車線に拡幅される
・2005年(平成17)10月1日 : 日本道路公団の分割民営化により、道路の管理・運営が東日本高速道路(NEXCO東日本)に承継される
・2005年(平成17)12月26日 : 新鶴PAスマートICが社会実験として供用を開始する
・2006年(平成18)11月22日 : 小野IC~阿武隈高原SA間が両側4車線に拡幅される
・2007年(平成19)4月1日 : 新鶴スマートICの社会実験が前日をもって終了し、供用を開始する
・2007年(平成19)11月17日 : 阿武隈高原SA~船引三春IC間が両側4車線に拡幅される
・2008年(平成20)11月14日 : 船引三春IC~郡山東IC間が両側4車線に拡幅される
・2008年(平成20)11月30日 : いわきJCT~いわき三和IC間、差塩PA~小野IC間が両側4車線に拡幅され、これによりいわきJCT~会津若松ICの4車線化が完了する
・2009年(平成21)6月30日 : 新津西スマートICの連結が許可される
・2011年(平成23)6月20日 : 東日本大震災の被災者および福島第一原発事故の避難者、復旧・復興の物資等輸送のためのトラックおよび中型車以上のバスを対象とした無料開放を開始する
・2011年(平成23)12月17日 : 新津西スマートICの供用を開始する
・2014年(平成26)7月25日 : 田村スマートICが新規採択される
・2019年(平成31)3月17日 : 田村スマートIC供用開始される
・2019年(平成31)3月29日 : 三川IC~安田IC間の一部において、国土交通省より4車線化工事の事業許可を受ける
・2019年(令和元)9月4日:国土交通省が磐越道の暫定2車線区間のうち、会津若松IC~安田IC間を10~15年後を目処に4車線化する優先整備区間に選定する方針を発表する
・2020年(令和2)3月10日 : 国土交通省が磐越道の4車線化優先整備区間のうち、会津坂下IC~津川IC間の一部を2020年度に新たに着手する方針を発表する
・2020年(令和2)3月31日:会津坂下IC~津川IC間の一部において、国土交通省より4車線化工事の事業許可を受ける
・2021年(令和3)3月5日 : 国土交通省が磐越道の4車線化優先整備区間のうち、会津坂下IC~西会津IC間と三川IC~安田IC間を2021年度に新たに着手する方針を発表する
・2021年(令和3)3月30日:会津坂下IC~西会津IC間と三川IC~安田IC間において、国土交通省より4車線化工事の事業許可を受ける

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

684年(天武天皇13)八色の姓が制定される詳細
1555年(天文24)巌島の戦いで、毛利元就軍が陶晴賢軍を破る(新暦10月16日)詳細
1937年(昭和12)防空法」(昭和12年法律第47号)が施行(公布は同年4月5日)される詳細
1964年(昭和39)東海道新幹線の東京~新大阪が開業する詳細


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 今日は、平成時代の1999年(平成11)に、上信越自動車道の中郷IC~上越JCT間が開通し、藤岡JCTから長野県長野市を経て上越JCT間が全通した日です。
 上信越自動車道(じょうしんえつじどうしゃどう)は、群馬県の藤岡JCTから長野県長野市を経て新潟県上越JCTへ至る、全長204.3kmの高速道路(高速自動車国道)で、全線を日本道路公団が建設を進めましたが、2005年(平成17)に日本道路公団が分割民営化されてからは東日本高速道路に引き継がれました。1966年(昭和41)に東京都~新潟県直江津市(現在の上越市)間の予定路線が決定、1971年(昭和46)に長野県更埴市(現在の千曲市)~須坂市間の基本計画、1972年(昭和47)に群馬県藤岡市~長野県長野市間の基本計画が決定、1973年(昭和48)には、更埴市~須坂市間の整備計画・施行命令が出されます。
 1973年(昭和48)に長野県長野市~新潟県上越市間の基本計画が決定、1979年(昭和54)に藤岡市~佐久市間の整備計画・施行命令が出され、1980年(昭和55)7月17日には、最初に藤岡JCT~藤岡IC間が関越自動車道の一部として開通しました。その後も順次整備計画が決定して施行命令が出され、1993年(平成5)には更埴JCT~須坂長野東IC間が開通(長野IC~須坂長野東IC間は暫定2車線)しています。
 1993年(平成5)に藤岡IC~佐久IC間が開通、藤岡JCT~藤岡IC間が関越自動車道から上信越自動車道になりました。その後も、1995年(平成7)に佐久IC~小諸IC間、須坂長野東IC~信州中野IC間、1996年(平成8)に小諸IC~更埴JCT間、1997年(平成9)に信州中野IC~中郷IC間が開通と路線距離を伸ばしていき、1999年(平成11)10月30日の中郷IC~上越JCT間の開通により全線開通し、上越JCTで北陸自動車道と接続します。
 それからも4車線化工事が進められ、2005年(平成17)に日本道路公団が分割民営化されてからは東日本高速道路に引き継がれ、2019年(令和元)12月5日の信濃町IC~妙高SA、中郷IC~新井PA/スマートIC間の4車線化によって全線4車線化がなりました。現在、藤岡JCTで関越自動車道、佐久小諸JCTで中部横断自動車道、更埴JCTで長野自動車道、上越JCTで北陸自動車道に接続しています。
 尚、本州を縦断しているために、五里ヶ峰トンネル(上り線4518m)や八風山トンネル(4468m)、太郎山トンネル(下り線4303m)などの長大トンネルが多く、休憩施設を活用した地域拠点整備事業・ハイウェイオアシスも4ヶ所設置されました。今では、関越自動車道と共に、首都圏と北陸地方を結ぶ重要路線となっています。

〇上信越自動車道関係略年表

・1966年(昭和41)7月1日 東京都~直江津市(現・上越市)間の予定路線が決定する
・1971年(昭和46)6月8日 更埴市(現・千曲市)~須坂市間の基本計画が決定する
・1972年(昭和47)6月30日 藤岡市~長野市間の基本計画が決定する
・1973年(昭和48)10月19日 更埴市~須坂市間の整備計画・施行命令が出される
・1973年(昭和48)11月1日 長野市~上越市間の基本計画が決定する
・1979年(昭和54)3月2日 藤岡市~佐久市間の整備計画・施行命令が出される
・1980年(昭和55)7月17日 藤岡JCT~藤岡IC間が関越自動車道として開通する
・1982年(昭和57)1月20日 須坂市~中野市間の整備計画が決定する
・1985年(昭和60)5月16日 須坂市~中野市間の施行命令が出される
・1986年(昭和61)1月21日 佐久市~更埴市間・中野市~中郷村(現・上越市)間の整備計画が決定する
・1987年(昭和62)12月8日 佐久市~更埴市間の施行命令が出される
・1988年(昭和63)1月31日 中郷村~上越市間の整備計画が決定する
・1988年(昭和63)9月22日 中野市~中郷村間の施行命令が出される
・1992年(平成4)12月10日 佐久市~更埴市間の4車線化施行が出される
・1993年(平成5)3月25日 更埴JCT~須坂長野東IC間開通、長野IC~須坂長野東IC間は暫定2車線となる
・1993年(平成5)3月27日 藤岡IC~佐久IC間開通、藤岡JCT~藤岡IC間が関越自動車道から上信越自動車道になる
・1995年(平成7)11月7日 佐久IC~小諸IC間開通(当時は暫定2車線)する
・1995年(平成7)11月30日 須坂長野東IC~信州中野IC間開通、長野IC~須坂長野東IC間が4車線化する
・1996年(平成8)11月14日 小諸IC~更埴JCT間開通(当時は暫定2車線)する
・1997年(平成9)10月16日 信州中野IC~中郷IC間開通(当時は暫定2車線、妙高SA~中郷IC間は4車線)する
・1998年(平成10)12月25日 中野市~信濃町間4車線化の整備計画・施行命令が出される
・1999年(平成11)10月30日 中郷IC~上越JCT間開通により全線開通、上越JCTで北陸自動車道と接続する
・2000年(平成12)4月28日 藤岡PA(藤岡ハイウェイオアシス、関越自動車道方面)が開設する
・2002年(平成14)7月26日 佐久IC~小諸IC間が4車線化する
・2002年(平成14)12月18日 小諸IC~上田菅平IC間が4車線化する
・2003年(平成15)12月20日 碓氷軽井沢IC~佐久IC間が4車線化する
・2004年(平成16)7月17日 上田菅平IC~更埴JCT間が4車線化する
・2005年(平成17)4月29日 信州中野IC~豊田飯山IC間が4車線化する
・2005年(平成17)10月1日 日本道路公団が分割民営化され、東日本高速道路に引き継がれる
・2009年(平成21)4月27日 中野市~上越市間が4車線化整備に計画変更される
・2009年(平成21)11月19日 豊田飯山IC~信濃町IC間が4車線化する
・2011年(平成23)3月26日 佐久小諸JCT開通により中部横断自動車道と接続する
・2018年(平成30)12月7日 新井PA/スマートIC~上越JCT間が4車線化される
・2019年(令和元)12月5日 信濃町IC~妙高SA、中郷IC~新井PA/スマートIC間が4車線化され全線4車線化がなる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1850年(嘉永5)医師・蘭学者高野長英の命日詳細
1874年(明治7)評論家・イギリス文学者・翻訳家・詩人上田敏の誕生日詳細
1903年(明治36)小説家尾崎紅葉の命日(紅葉忌)詳細
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