ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

タグ:東北本線

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 今日は、明治時代前期の1883年(明治16)に、日本初の私設鉄道(馬車鉄道を除く)として、日本鉄道会社の上野駅~熊谷駅間(現在の東北本線・高崎線)が開業した日です。
 日本鉄道会社(にっぽんてつどうかいしゃ)は、日本最初の私設鉄道会社(馬車鉄道を除く)でした。1881年(明治14)に岩倉具視らの主唱により、主として旧大名、公卿華族が出資しての創立が決定され、11月11日に設立特許条約書が下付され、初代社長に吉井友実を選出して会社が設立されます。
 同年に東京~青森間などの鉄道路線の免許を申請、1882年(明治15)に川口~熊谷間から鉄道建設を開始、1883年(明治16)7月28日に、日本初の私設鉄道として、上野駅~熊谷駅間の営業運転を開始しました。翌年に高崎駅まで延伸、1885年(明治18)には、品川~新宿~赤羽間が開業、生糸の横浜への輸送で鉄道の経済効果を実証します。
 その後、北に向かって順次延伸開業させていき、1891年(明治24)には、日光線と共に、上野駅~青森駅間(東北線)が全通しました。1892年(明治25)に水戸鉄道、1897年(明治30)には、両毛鉄道を譲り受けて、路線を拡大します。1898年(明治31)には、常磐線の大部分(上野駅~岩沼駅間)が全通しました。しかし、1906年(明治39)11月1日に「鉄道国有法」により国有化されます。解散時の資本金は6,600万円、路線延長1388.8kmで、明治時代最大の私鉄でした。

〇日本鉄道会社関係略年表

・1881年(明治14)8月1日 岩倉具視らの主唱により、主として旧大名、公卿華族が出資しての創立が決定される
・1881年(明治14)11月11日 設立特許条約書が下付され、初代社長に吉井友実を選出して会社が設立される 
・1881年(明治14) 東京~青森間などの鉄道路線の免許を申請する
・1882年(明治15) 川口~熊谷間から鉄道建設を開始する
・1883年(明治16)7月28日 日本初の私設鉄道として、上野駅~熊谷駅間の営業運転を開始する
・1884年(明治17)5月1日 高崎駅まで延伸される
・1885年(明治18)3月1日 品川~新宿~赤羽間が開業する
・1885年(明治18)7月16日 大宮~宇都宮間が開業する
・1887年(明治20)7月16日 郡山まで開業する
・1887年(明治20)12月15日 仙台を経て塩釜まで開業する
・1890年(明治23)4月16日 一ノ関駅まで開業する
・1890年(明治23)11月1日 盛岡駅まで開業する
・1890年(明治23)6月1日 宇都宮駅~今市駅間が開業する
・1890年(明治23)8月1日 今市駅~日光駅間が開業し、日光線が全通する 
・1891年(明治24)9月1日 上野~青森間が全通する
・1892年(明治25)3月1日 水戸鉄道を譲り受ける
・1897年(明治30)1月1日 両毛鉄道を譲り受ける
・1898年(明治31)8月23日 常磐線の大部分(上野駅~岩沼駅間)が全通する
・1906年(明治39)11月1日 「鉄道国有法」により国有化される

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1873年(明治6)「太政官布告第272号(地租改正)」と付属の「地租改正条例」が公布される詳細
1907年(明治41)ロシアのサンクトペテルブルクにおいて、「日露漁業協約」が調印される詳細
1941年(昭和16)日本軍が南部仏印進駐を開始する詳細
1945年(昭和20)青森大空襲において、焼失家屋18,045戸、被災者70,166人、死者1,018人、重軽傷者は255人を出す詳細
1965年(昭和40)推理小説家江戸川乱歩の命日(乱歩忌)詳細
1989年(平成元)「緑の文明学会」・「社団法人日本公園緑地協会」が日本の都市公園100選を選ぶ詳細
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houkigawarettshyatenrakujik

 今日は、明治時代後期の1899年(明治32)に、明治期最大の鉄道事故である箒川鉄橋列車転落事故が起きた日です。
 箒川鉄橋列車転落事故(ほうきがわてっきょうれっしゃてんらくじこ)は、当日17時頃に日本鉄道(現在のJR東北本線)の矢板駅~野崎駅間の箒川鉄橋から上野発福島行きの貨車客車混合第375列車が転落した事故でした。この日は台風のため朝から大雨が続き、風が強まっていました。東京の上野駅を11時に発車した福島行第375列車(機関車2両・貨車11両・客車7両編成)は、約1時間ほど遅れて17時頃に栃木県の矢板駅を発車し、箒川の鉄橋を通過しようとした時、猛烈な北西からの突風(瞬間最大風速27~28m/秒と推定)にあおられ、機関車と貨車の連結器がはずれ、増水した川の中へ転落、客車も貨車も激流の中に砕かれて押し流されます。
 この結果、死者19名、負傷者38名が確認され、一部の遺体は下流の烏山町まで流されましたが、川に押し流された行方不明の遺体もあったのではないかと言われてきました。当時は、強風の中で、軽い客車を後部に配置した編成が問題とされています。
 尚、事故後慰霊のために、箒川の左岸(野崎駅側)の東北本線の線路沿いに3つの慰霊碑が建立され、法要が行われてきました。

〇33年忌法要時建立碑の碑文 [1931年(昭和6)10月7日建立]

<碑文>
明治三十二年十月七日箒川鐡橋ニ於テ汽車顛覆即死者十九名ヲ出ス是レ未曽有ノ惨事ニシテ悲歎ヲ極ム昭和六年十月七日三十三年忌ニ相當スルヲ以テ吾等相謀リ供養大法會ヲ營ミ恭ク其霊ヲ弔フ
昭和六年十月七日  田代黒瀧誌

☆明治時代の重大鉄道事故一覧(死者1名以上)

・1877年(明治10)10月1日 東海道線西ノ宮列車正面衝突事故[死者3名(内乗員3名)] ※初めての鉄道死亡事故
・1885年(明治18)10月13日 東海道線大森駅構内列車脱線事故[死者1名、負傷者1名]
・1889年(明治22)4月11日 東海道線工事列車正面衝突事故[死者4名、負傷者7名]
・1895年(明治28)7月25日 山陽鉄道軍用列車海中転落事故[死者11名(内乗員3名)、負傷者98名]
・1897年(明治30)10月3日 東海道本線工事列車転落事故[死者9名(内乗員3名、作業員6名)、負傷者16名]
・1898年(明治31)4月8日 九州鉄道幸袋線機関車ボイラー破裂事故[死者3名(内乗員2名、駅員1名)、負傷者5名]
・1899年(明治32)10月7日 日本鉄道箒川鉄橋列車転落事故[死者19名、負傷者38名] ※明治時代最大の鉄道事故
・1900年(明治33)8月4日 東海道線山崎駅~高槻駅間列車脱線事故[死者1名、負傷者2名]
・1901年(明治34)7月13日 信越線横川駅~軽井沢駅間乗務員乗客転落事故[死者2名、負傷者2名]
・1907年(明治40)5月31日 大阪駅踏切鉄道人身障害事故[死者1名、負傷者1名]
・1908年(明治41)5月17日 九州線中原駅構内列車衝突事故[死者2名、負傷者6名]
・1908年(明治41)9月2日 東海道線蒲郡駅構内列車衝突事故[死者6名(内職員1名)、負傷者8名]
・1909年(明治42)6月12日 奥羽線赤岩信号所構内列車転覆事故[死者4名(内職員3名)、負傷者27名(内職員3名)]


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