ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

タグ:東京都

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 今日は、大正時代の1914年(大正3)に、東京駅が完成し、開業式が行われた日です。(東京駅完成記念日)
 東京駅建設は、1889年(明治22)に新橋~神戸間が全通した官設の東海道線と私設の日本鉄道上野駅を結ぶ鉄道線(高架)の建設が東京市区改正計画によって立案され、1896年(明治29)の第9回帝国議会でこの新設路線の途中に中央停車場を建設することが可決されたことに始まれます。
 駅舎は、当時東京帝国大学工学科教授だった辰野金吾の設計により、現在の東京都千代田区丸の内で1908年(明治41)に起工し、1914年(大正3)に現在の名称とすることに決まり、同年に完成して、12月18日に開業式が行われ、20日から実際に使用されるようになりました。
 ルネサンス風の西洋建築を模した、地上3階建て煉瓦造りの大正初期の代表的建築物でしが、太平洋戦争中の1945年(昭和20)5月25日、アメリカ軍のボーイングB-29の焼夷弾を受けて被災し、丸の内駅舎のドーム部分と 3階部分を焼失します。
 戦後の1947年(昭和22)に、旧観を残して復興されましたが、屋根は寄棟造で地上2階建てとなりました。翌年には、八重洲口駅舎が落成しましたが、1949年(昭和24)に失火で焼失し、1954年(昭和29)に新駅舎の鉄道会館ビルが完成しています。
 1964年(昭和39)に八重洲口側に東海道新幹線の発着ホームが完成し、1972年(昭和47)には、丸の内口側に地下5階の総武線・横須賀線などのホームが完成、1991年(平成3)には、東北・上越新幹線ホームができるなど次第に拡張されていきました。
 現在では、東海道本線、東海道・東北・上越・北陸新幹線のほか横須賀・山手・中央・京浜東北・総武・京葉などの各線が発着(1日当たりの列車発着本数は約3,000本)し、JR関係だけで1日約61万人が利用する一大ターミナルとなっています。
 また、2003年(平成15)には、「東京駅丸ノ内本屋」として国の重要文化財に指定され、2007年(平成19)から総事業費は約500億円をかけて、丸の内駅舎の復元工事が行われ、2012年(平成24)10月に創建当時の外観となって、供用開始されました。

〇東京駅の歴史年表
・1888年(明治21)8月16日 - 東京市区改正条例で新橋と上野を結ぶ高架鉄道敷設と中央停車場建設決定。
・1896年(明治29) 2月4日 - 第9回帝国議会において中央停車場に関する予算が可決成立する。
・1908年(明治41)3月25日 - 駅舎基礎工事に着手する。
・1914年(大正3)12月5日 - 鉄道院総裁達第113号により中央停車場の正式駅名が東京駅と告示される。
・1914年(大正3)12月18日 - 開業記念式典を挙行。
・1914年(大正3)12月20日 - 東京駅開業(旅客駅)。
・1915年(大正4)11月2日 - 東京ステーションホテルが丸の内駅舎内に開業。
・1924年(大正13)9月1日 - 関東大震災により被災する。
・1925年(大正14)11月1日 - 東北本線が乗り入れてその起点となる、山手線環状運転開始。
・1945年(昭和20) 5月25日 - 東京空襲による爆撃で焼夷弾にて炎上、ホーム上屋などとともに焼失。
・1947年(昭和22) 3月15日 - 丸の内口駅舎復旧工事完了。
・1948年(昭和23)11月16日 - 八重洲口駅舎完成、使用開始。
・1949年(昭和24) 4月29日 - 八重洲口駅舎本屋が失火により焼失。
・1954年(昭和29) 10月14日 - 八重洲口新駅舎使用開始(6階建て)。
・1960年(昭和35)11月12日 - 東海道新幹線工事着手。
・1964年(昭和39)10月1日 - 東海道新幹線の当駅 - 新大阪間が開業し、同時に新幹線の駅が完成。
・1972年(昭和47) 7月15日 - 総武本線地下ホームが開業、東京駅が総武本線の起点となる。
・1987年(昭和62) 4月1日 - 国鉄分割民営化で東海道新幹線の駅はJR東海が他の駅はJR東日本が継承。
・1990年(平成2) 3月10日 - 京葉線地下ホームが開業し、南口新通路供用開始。
・1991年(平成3) 6月20日 - 東北新幹線が上野から乗り入れ、第6プラットホームを新幹線用に供用開始。
・1997年(平成9)10月1日 - 北陸新幹線(高崎~長野)営業開始で上越・北陸新幹線用20・21番線使用開始。
・2003年(平成15)5月30日 - 丸の内駅舎を「東京駅丸ノ内本屋」として国の重要文化財に指定される。
・2007年(平成19) 5月30日 - 丸の内側の赤レンガ駅舎を開業当時の3階建てに復原する工事に着工。
・2012年(平成24) 10月1日 - 復原された丸の内駅舎が全面開業。
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 今日は、昭和時代中期の1957年(昭和32)に、恩賜上野動物園内に現存最古のモノレールが開業した日です。
 日本で最初のモノレールは、大阪市で行われていた交通電気博覧会で、1928年(昭和3)に運用された懸垂式のものでした。太平洋戦争後は、1951年(昭和26)に、豊島園で遊戯施設として運行され、1957年(昭和32)には、恩賜上野動物園内に懸垂式モノレールが開業し、これが現存する最古のものとなっています。
 その後も、1961年(昭和36)に奈良ドリームランド、1962年(昭和37)に犬山のラインパークに、遊覧用のものが開業しましたが、いずれも廃止されました。
 1964年(昭和39)には、東京モノレールが浜松町~羽田(現、天空橋)間13.1kmを15分で結ぶ本格的都市交通機関として営業運転を開始し、その後は、都市交通機関として建設されるようにもなります。
 そして、1996年3月末時点で、モノレールは6事業者(総延長31.4km)でしたが、消長を経て、現在では、10事業者(総延長111.9km)によって運行されています。

〇「モノレール」とは?
 1本の走行軌条(走行桁)を用いて車両を走行させる鉄道(単軌鉄道ともいう)のことで、日本の法令上では、鉄道事業法に基づく「鉄道(懸垂式鉄道/跨座式鉄道)」と軌道法に基づく「軌道(懸垂式モノレール/跨座式モノレール)」が存在しています。形式によって分類すると、地上数mの高さに架設された1本の桁に吊下がって走る懸垂(けんすい)式と、桁の上にまたがって走る跨座 (こざ) 式に大別され、さらに下記のように区分されました。
<懸垂式>
(1)ランゲン式:鉄骨で空中に支えられた鉄のレールに鉄の車輪がのり、車輪の車軸は逆L字型に曲がって車両を懸垂するもので、日本には現在ありません。
(2)日本車両式:レールは鋼板製箱型でゴムタイヤ車輪がレールに乗り、タイヤが外れないように補助車輪が左右からレールを挟んでいて、車両は片側補助車輪の車軸に懸垂されるもので、東京都交通局の上野懸垂線に採用されています。
(3)サフェージュ式:レールは鋼板製箱型の筒状で、車両を懸垂するために箱の下面中央部は開いていて、その開口部両側を、車両の屋根上の支柱につけられたゴムタイヤ車輪が走行するもので、千葉都市モノレールや湘南モノレールで採用されています。
<跨座式>
(1)アルウェグ式:レールは太いI字型の鉄筋コンクリートで、走行用ゴムタイヤがレールの上にのり、補助車輪が左右からレールを挟んで安定を保つもので、東京モノレールで採用されています。
(2)日本跨座式:アルウェグ式の改良型で、軌道桁を太くし、ゴムタイヤを使用するが、現在日本の跨座式モノレールの主流になっています。
(3)ロッキード式:コンクリート製の桁の上に鉄のレールを乗せ、その上を鉄の車輪が走るもので、姫路市営モノレールと向ヶ丘遊園モノレール線に採用されましたが、現在は廃止されて存在しません。

☆日本で営業中の「モノレール」一覧

・東京モノレール(東京都) 跨座式:アルヴェーグ式 羽田空港線[17.8km] 1964年開業
・東京都交通局(東京都) 懸垂式:日本車両式 上野懸垂線[0.3km] 1957年開業
・多摩都市モノレール(東京都) 跨座式:日本跨座式 多摩都市モノレール線[16.0km] 1998年開業
・千葉都市モノレール(千葉県) 懸垂式:サフェージュ式 1号線[3.2km] 1995年開業
・千葉都市モノレール(千葉県) 懸垂式:サフェージュ式 2号線[12.0km] 1988年開業
・舞浜リゾートライン(千葉県) 跨座式:日本跨座式 ディズニーリゾートライン[5.0km] 2001年開業
・湘南モノレール(神奈川県) 懸垂式:サフェージュ式 江の島線[6.6km] 1970年開業
・大阪高速鉄道(大阪府) 跨座式:日本跨座式 大阪モノレール線[21.2km] 1990年開業 、
・大阪高速鉄道(大阪府) 跨座式:日本跨座式 国際文化公園都市モノレール線(彩都線)[6.8km] 1998年開業
・スカイレールサービス(広島県) 懸垂式:ロープ駆動懸垂式 広島短距離交通瀬野線[1.3km] 1998年開業
・北九州高速鉄道(福岡県) 跨座式:日本跨座式 小倉線[8.8km] 1985年開業
・沖縄都市モノレール(沖縄県) 跨座式:日本跨座式 沖縄都市モノレール線[12.9km] 2003年開業
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 今日は、明治時代前期の1883年(明治16)に、「鹿鳴館」が開館した日です。
 「鹿鳴館」は、東京府麹町区内幸町(現在の東京都千代田区内幸町)にあった西洋館で、官設の社交場でした。
 外務卿になった井上馨の提唱で、お雇い外国人のイギリス人建築家ジョサイア・コンドルが設計、1881年(明治14)に旧薩摩藩上屋敷跡で着工され、1883年(明治16)7月に落成、同年11月28日に盛大な開館式(1,200名招待)が行われました。
 ネオ・バロック様式を基調とした煉瓦造り二階建ての本館(1階に大食堂、談話室、書籍室など、2階が舞踏室)と付属施設とからなり、総建坪1,450平方m、総工費は18万円かかっています。
 条約改正の実現には内外人の交誼友好が必要であると考えられ、外務官を招いて舞踏会や園遊会などがしばしば開かれ、欧化主義の象徴とされた建物で、鹿鳴館時代とも呼ばれました。
 その後、1890年(明治23)に華族会館に貸与、1894年(明治27)に払い下げられ、1898年(明治31)には名称も華族会館と変わります。さらに、1933年(昭和8)以降、日本徴兵保険会社、内国貯金銀行などが使用し、1941年(昭和16)に取り壊されました。
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 今日は、昭和時代中期の1957年(昭和32)、東京都の奥多摩に小河内ダムが完成した日です。
 小河内ダムは、東京都西多摩郡奥多摩町の多摩川上流にある、多目的(上水道、洪水調節、発電、灌漑)の重力式コンクリートダムです。
 大正時代の1926年(大正15)に、ダム建設候補地として調査が開始され、1932年(昭和7)に認可申請されました。1936年(昭和11)に事業認可され、1938年(昭和13)に着工、太平洋戦争による中断をはさみ、19年の歳月をかけて、1957年(昭和32)11月26日に完成しました。
 高さ149m、基底幅131m、堤頂長 353m、頂標高は約530m、有効貯水量約1億9千万m3あり、下流4ヵ所に7万kWの発電所があります。
 この建設には、約200億円の経費がかかり、工事中に87名が犠牲となり、総数945世帯が移転を余儀なくされました。水没した旧小河内村は、石川達三の1937年(昭和12)発表の小説『日蔭の村』のモデルとなりました。
 このダムによってできた奥多摩湖の湖畔には、1万本の桜が植えられて桜の名所となり、ニジマス、ヤマメ、ハヤ釣りでも知られ、四季折々に楽しめる観光地となっています。尚、ダムサイトには「奥多摩 水と緑のふれあい館」という資料館も出来ました。
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 今日は、1890年(明治23)、東京浅草に12階建ての凌雲閣(りょううんかく)が完成し、日本初の電動式エレベーターが一般公開された日です。
 凌雲閣は、明治時代中頃から大正時代まで、東京市浅草区(現在の東京都台東区)にあった、八角形の12階建ての塔で、当時の日本で最も高い建築物(約52m)でした。
 起案者は長岡の豪商であった福原庄七、基本設計者は、お雇い外国人の英国人技師ウィリアム・K・バートンで、「雲を凌ぐほど高い」という意味で命名されたとのことです。
 構造は、10階までが煉瓦造り、11・12階は木造で、2階から7階は物品販売店が入り、8階は休憩室、10階から12階は眺望室となり、望遠鏡が置かれ、8階までは、日本最初の電動式エレベーターが設置されていました。
 開業後、眺望の良いことで知られて東京名所となり、連日見物客でにぎわいましたが、1923年(大正12)9月1日の関東大震災で、8階より上が崩落し、10数名の犠牲者を出し、9月23日に解体撤去されたのです。

〇明治時代に建てられた主要な高層建築
・五層楼眺望閣(大阪府)1888年(明治21)高さ約31m
・九層楼凌雲閣(大阪府)1889年(明治22)高さ約40m
・浅草凌雲閣(東京府)1890年(明治23)煉瓦造り高さ約52m
・岡山集成閣(岡山県)1891年(明治24)高さ約31m
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