ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

タグ:東京都

0926da3c.jpg
 今日は、昭和時代後期の1986年(昭和61)に、東京都の清流復活事業により、玉川上水が21年ぶりに通水され、小平地点より下流部分の清流が復活した日です。
 玉川上水(たまがわじょうすい)は、江戸時代前期から明治時代にかけて、江戸市中へ飲料水を供給していた用水路で、神田上水、千川上水と共に江戸三上水の一つとされています。江戸幕府第4代将軍徳川家綱の時代の1653年 (承応2) に、町人・清右衛門の建議を受けて、同年4月4日に庄右衛門・清右衛門兄弟が、多摩川中流羽村と四谷大木戸間の水路を着工しました。
 2度の失敗を経て、総奉行松平信綱のもとに1654年(承応3年6月20日)に、この区間が竣工し、翌年に四谷大木戸から江戸城虎ノ門前までが完成します。これ以後は、配水路が次々に延長されていって、江戸の南部方面に配水されました。
 多摩川の水を羽村(現在の東京都羽村市)で取水し、拝島-立川-武蔵境-下高井戸-四谷大木戸 (現在の東京都新宿区)間の約43kmは、自然流下により導水する開渠で、ここからは、石樋や木管で江戸城・武家屋敷・庶民の居住地等に給水されます。その後、野火止(のびどめ)、青山、三田、千川の各分水が設けられ、飲料水あるいは灌漑用水として利用されました。
 庄右衛門・清右衛門は、この功績により玉川姓を許され、玉川上水役のお役目を命じられ、その経営を請け負って、玉川両家で世襲されます。しかし、1739年(元文4)両家とも役を罷免され、以後同上水は幕府の直営となりました。
 明治時代になっても使用され、1898年(明治31)に東京に改良水道が完成した後も、1965年(昭和40)まで淀橋浄水場への導水路として利用され、現在は立川市砂川から東村山市浄水場へ送水されるようになります。これに伴い、小平地点より下流部分は流水がとだえましたが、東京都の施策により、1986年(昭和61)8月27日に清流が復活し、開渠部分の約30.4kmが、2003年(平成15)に国の史跡に指定されました。

〇玉川上水関係略年表(明治5年以前の日付は旧暦です)

・1653年 (承応2年4月4日) 庄右衛門・清右衛門兄弟が多摩川中流羽村と四谷大木戸間の水路を着工する
・1654年(承応3年6月20日) 総奉行松平信綱のもとにに、羽村~四谷大木戸間が竣工する
・1655年(明暦元) 四谷大木戸から江戸城虎ノ門前までが完成する
・1655年(明暦元) 分水の一つ、野火止用水が開削される
・1659年(万治2) 維持管理費用として水上修復料銀の徴収が始まる
・1660年(万治3) 分水の一つ、青山上水が開設される
・1664年(寛文4) 分水の一つ、三田上水が開削される
・1696年(元禄9) 分水の一つ、千川上水が完工する
・1739年(元文4) 玉川両家が共に玉川上水役を罷免され、以後同上水は幕府の直営となる
・1898年(明治31) 東京に改良水道が完成する
・1901年(明治34) 東京の上水用としては廃止される
・1965年(昭和40) 淀橋浄水場廃止まで、導水路として利用される
・1986年(昭和61)8月27日 東京都の施策により、小平地点より下流部分の清流が復活する
・2003年(平成15) 開渠部分の約30.4kmが国の史跡に指定される

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

663年(天智天皇2) 百済再興をめざす日本軍と唐・新羅連合軍との間で白村江の戦いが始まる(新暦10月4日) 詳細
858年(天安2) 第55代の天皇とされる文徳天皇の命日(新暦10月7日) 詳細
1714年(正徳4) 本草学者・儒学者・教育者貝原益軒の命日(新暦10月5日) 詳細
1896年(明治29) 詩人・童話作家宮沢賢治の誕生日 詳細
1899年(明治32) 東武鉄道初の路線である北千住駅~久喜駅間が開業する 詳細
1928年(昭和3) フランスのパリにおいて、15ヶ国によって、「不戦条約」が調印される 詳細
1949年(昭和24) GHQによって「第一次税制改革勧告文概要」(シャウプ勧告)が出される 詳細
1969年(昭和44) 山田洋二監督の映画『男はつらいよ』(渥美清主演)第一作が公開される 詳細
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

yoyogikouen01
 今日は、昭和時代後期の1967年(昭和42)に、東京都渋谷区に、代々木公園が開園した日です。
 代々木公園(よよぎこうえん)は、東京都渋谷区北部にあり、明治神宮の南に接する都立公園で、東京都公園協会が管理してきました。前身は、1909年(明治42)に陸軍が買収して設置した代々木練兵場で、太平洋戦争後に、連合国軍に接収され、1946年(昭和21)に米軍の宿舎・ワシントンハイツとなります。
 それが、1964年(昭和39)の東京オリンピックを機に返還され、選手村と国立代々木競技場、さらに国際放送センターとして後のNHK放送センターが建設され、東京オリンピックに一部が使用された後に再整備され、1967年(昭和42)に都市公園として開園しました。敷地は、54ha(およそ東京ドーム11個分)あり、東京23区内の公園としては、5番目の面積を誇り、林公園としてのA地区と、陸上競技場、サッカー・ホッケー場、野外ステージなどを備えたB地区とに分かれています。
 園内には、震災対策用応急給水施設、サイクリングコース、噴水広場、ドッグラン、、バードサンクチュアリなどがつくられてきました。1989年(平成元)には、緑の文明学会と日本公園緑地協会によって、日本の都市公園100選に選定されています。

〇代々木公園関係略年表

・1909年(明治42) 陸軍が買収して代々木練兵場となる
・1910年(明治43) 日本最初の飛行が徳川、日野両大尉によってなされる
・1920年(大正9) 代々木練兵場に隣接する御料地(明治神宮)の一部が併合される
・1936年(昭和11)11月 二・二六事件の主謀者15名の死刑(銃殺)がここで執行される
・1927年(昭和2)10月 練兵場の移転を求める住民大会が開催される
・1945年(昭和20) 日本占領軍である連合国軍に接収される
・1946年(昭和21) 米軍の宿舎・ワシントンハイツとなる
・1952年(昭和27)7月26日 「日米安保条約」に基づく無期限使用施設「ワシントンハイツ住宅地区」(施設番号3009、旧JPNR4036、旧代々木練兵場)の指定を受ける
・1955年(昭和30) ワシントンハイツ住宅地区に独身将校用宿舎が建設される
・1961年(昭和36)11月 3年後に開催される東京オリンピックのための選手村・競技場用地としてワシントンハイツを利用することが決定し、同地は日本国に全面返還されることとなる
・1964年(昭和39) 東京オリンピックを機に返還され、選手村と国立代々木競技場、さらに国際放送センターとして後のNHK放送センターが建設される
・1965年(昭和40)4月 選手村跡地をオリンピック記念青少年総合センターとして利用することが決定し、に運営する特殊法人が文部省の所管として発足する
・1967年(昭和42)10月1日 オリンピック記念青少年総合センターの一部に東京代々木ユースホステルがオープンする
・1967年(昭和42)10月20日 都市公園として、開園する
・1989年(平成元)7月28日 緑の文明学会と日本公園緑地協会によって、日本の都市公園100選に選定される
・1990年(平成2)5月 高さ15m~30mに及ぶ大小3基の噴水や水回廊を持つ水景施設が設定される
・2012年(平成24)3月15日 東京代々木ユースホステルが閉館する
・2014年(平成26)9月5日 デング熱の国内感染が同行園内に生息するウイルスを保有する蚊に刺されて発生したと推定されたため、東京都はA地区が閉鎖される
・2021年(令和3) 国立代々木競技場が、2020年東京オリンピックのハンドボール、東京パラリンピックのバドミントンと車いすラグビーの競技会場となる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1180年(治承4)源平合戦の富士川の戦いが行われる(新暦11月9日)詳細
1856年(安政3)農政家・思想家二宮尊徳の命日(新暦11月17日)詳細
1879年(明治12)経済学者・社会思想家河上肇の誕生日詳細
1900年(明治33)生化学者赤堀四郎の誕生日詳細
1937年(昭和12)第1次近衛文麿内閣が「九国条約国会議不参加に関する政府声明」を出す詳細
2009年(平成21)小説家原田康子の命日詳細
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

doubutsuireihi01

 今日は、昭和時代前期の1943年(昭和18)の太平洋戦争下において、 東京都が上野動物園に戦時猛獣処分を指令した日です。
 戦時猛獣処分(せんじもうじゅうしょぶん)は、戦争下で動物園において猛獣が逃亡し、被害を出すのを未然に防止するために、殺処分したことでした。太平洋戦争時には、1941年(昭和16)7月に、陸軍東部軍司令部より要請があって、東京上野動物園は同年8月11日に、『動物園非常処置要綱』を作成して提出します。
 これは、万が一空襲があった場合の非常処置をこと細かく記載したもので、猛獣危険度により、「第一種」であるライオン・虎・熊・象等から、一番危険度の低い「第四種」カナリア・亀などに分類されて記されていました。そして、動物の処置の時期について、「第一期の防空下令・第二期の空襲の時に処置の準備を完了させ、 第三期の空襲による爆撃火災の危険近接したる時、近接の程度に応じて第一・第二種動物を順次処置し、更に危険のおよぶ時は第三種動物も順次処置す」と定められます。
 1942年(昭和17)4月18日には、ドーリットル空襲(日本本土に対する初空襲)があり、その後もアメリカ軍の攻勢が続き、首都圏への空襲の危険が増大していきました。その中で、1943年(昭和18)8月16日に東京都は、『動物園非常処置要綱』に基づき、空襲で壊れた獣舎から逃げ出した動物が人間を襲うおそれや食糧難を理由に、上野動物園に対して飼育動物の殺処分命令を出します。
 これによって、翌17日~9月23日の間に猛獣処分が行われ、ライオンやトラ、ヒョウ、クマ、ゾウなど14種27頭が薬殺や餓死により殺処分されました。他にも、天王寺動物園・京都市動物園・仙台市動物園・福岡市記念動物園などで多くの動物が殺処分されています。

〇東京都恩賜上野動物園で動物の非常処置により殺処分された動物一覧

・ホクマンヒグマ雌(3歳以上)─ 薬殺
・ホクマンヒグマ雄(推定6歳)─ 服薬,槍で刺殺
・ニホンツキノワグマ雄(9歳以上)─ 薬殺
・ニホンツキノワグマ雌(推定20歳)─ 絶食後,ロープで絞殺
・チョウセンクロクマ雄(推定15歳)─ 薬殺
・チョウセンクロクマ雌(3歳)─ 服薬,刺殺
・マレーグマ雄(推定9歳)─ 薬殺
・ホッキョクグマ雌(推定20歳)─ 飢餓死
・ホッキョクグマ雄(推定20歳)─ 絶食後,絞殺
・ライオン雌(8歳)─ 薬殺
・ライオン雌「カテリーナ」(推定16歳)─ 絶食,服薬,槍で刺殺
・ライオン雄「アリ」(16歳)─ 絶食後,薬殺
・ヒョウ雄「八紘」(1歳以上)─ 薬殺
・ヒョウ雌(推定11歳)─ 服薬失敗,ロープで絞殺
・ヒョウ雄(推定11歳)─ 薬殺
・クロヒョウ雄(推定12歳)─ 薬殺
・クロヒョウ雌(推定12歳)─ 服薬失敗,ロープで絞殺
・トラ雄(推定20歳)─ 薬殺
・チーター雌(推定15歳)─ 薬殺
・アメリカヤギュウ雌(19歳以上)─ ツルハシで撲殺
・アメリカヤギュウ雌(4歳)─ 撲殺
・ゾウ雄(9歳以上)─ 絶食後,餓死
・ゾウ雌「花子(ワンリー)」(年齢不明) ─ 絶食後,餓死
・ゾウ雄「トンキー」(年齢不明) ─ 絶食後,餓死
・ガラガラヘビ(年齢不明)─ 刺・絞殺,埋没
・ニシキヘビ雌(4歳以上)─ 絞・斬殺

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1552年(天文21)萱津の戦いが行われる(新暦9月4日)詳細
1622年(元和8)儒学者・軍学者・山鹿流兵法及び古学派の祖山鹿素行の誕生日(新暦9月21日)詳細
1868年(慶応4)長岡藩家老河井継之助の命日(新暦10月1日)詳細
1938年(昭和13)ナチの青年団であるヒトラー・ユーゲント訪日団が横浜港に到着する詳細
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

イメージ 1

 今日は、明治時代前期の1882年(明治15)に、日本最初の動物園として、東京の上野公園に農商務省博物局付属動物園(現在の恩賜上野動物園)が開園した日です。
 これは、東京府下谷区(現在の東京都台東区)に開園したもので、同時に博物館(現在の東京国立博物館)も開館しました。
 その後宮内省の管轄を経て、1924年(大正13)には、東京市に下賜され、現在は、東京都立の動物園となりました。
 総面積は14万2898平方mで、東園と西園に分かれ、こども動物園、動物園ホールなどもあり、約500種、3000点余の動物が飼育展示されています。
 現在、日本一の入園者数を記録する動物園となっていて、愛らしいパンダの姿が人気となっています。

〇恩師上野動物園の略式年表

・1882年(明治15)3月20日 - 農商務省博物局付属の動物園として開園(面積約1万平方m)する
・1886年(明治19) - 所管が宮内省になる
・1890年(明治23) - この頃より園内に洋燈(ランプ)がつく
・1895年(明治18)7月 - 黒川義太郎、最初の動物園獣医として採用
・1895年(明治18) - フタコブラクダ2頭が皇太子に献上され飼育された
・1902年(明治25) - ドイツのハーゲンベック動物園からライオン、ダチョウ、ホッキョクグマなどが来園
・1907年(明治40) - キリンが2頭来園、この年入場者数が初めて100万人を超えた
・1911年(明治44) - カバを購入、初渡来。このころ動物園の面積は約3万平方mに広がる
・1924年(大正13)2月1日 - 東京市に下賜され、管理者が東京市となる
・1932年(昭和7)10月 - 「サル山」完成(現在のサル山)
・1935年(昭和10) - タイの少年団から親善のためゾウが寄贈され来園
・1936年(昭和11)7月25日 - クロヒョウ脱走事件おこる
・1937年(昭和12) - 日本で初めてキリンが繁殖する、「爬虫類室」完成
・1938年(昭和13) - 日本で初めてカバが繁殖する
・1940年(昭和15) - 年間入園者がはじめて300万人を超える
・1943年(昭和18)8-9月 - ゾウ、ヒグマ、ライオン、ヒョウなど14種27頭が戦時猛獣処分される
・1947年(昭和22) - 名称が、「東京都恩賜上野動物園」となる
・1948年(昭和23)9月23日 - 子ども動物園が開園し、お猿電車が開通
・1949年(昭和24)9月4日 - アジアゾウ“はな子”来園
・1949年(昭和24)9月25日 - アジアゾウ“インディラ”来園
・1950年(昭和25) - 国内で初めてノドジロオマキザルの繁殖に成功する
・1951年(昭和26) - 捕鯨団が持ち帰ったヒゲペンギンが来園
・1952年(昭和27)3月20日 - 「海水水族館」完成
・1957年(昭和32)12月17日 - 東京都交通局が上野動物園に330mの懸垂式モノレールを開通させる
・1959年(昭和34) - 「アフリカ生態園」完成(1979年まで)
・1960年(昭和35) - 2年前に来園したトラのワンとシュフが繁殖に成功、11年間で12回43頭を出産
・1961年(昭和36) - 国内で初めてオランウータン、カリフォルニアアシカの繁殖に成功
・1962年(昭和37) - 国内で初めてジャガー、コビトカバの繁殖に成功
・1964年(昭和39) - 「大水族館」が開設
・1967年(昭和42)3月14日 - アジアゾウの“インディラ”が運動場から脱走
・1972年(昭和47)10月28日 - ジャイアントパンダ“カンカン”と“ランラン”来園でパンダブーム起こる
・1973年(昭和48)3月31日 - 1972年度の入園者数は500万9.686人(初の500万人突破)を記録
・1975年(昭和50)3月31日 - 1974年度の入園者764万7,440人(過去最高)を記録
・1977年(昭和52) - 国内で初めてマナヅルの人工授精に成功する
・1980年(昭和55)1月29日 - ジャイアントパンダの新しいメス“ホァンホァン”来園
・1980年(昭和55)6月 - ジャイアントパンダのオス“カンカン”死亡
・1980年(昭和55)7月 - 西園改造工事が完成
・1982年(昭和57)3月20日 - 開園100周年記念式典を挙行
・1982年(昭和57)11月9日 - ジャイアントパンダのオス“フェイフェイ”来園
・1984年(昭和59) - アジアゾウのメス“アーシャー”と“ダヤー”来園
・1985年(昭和60) - 国内で初めてチンパンジーの人工授精に成功するが、出産2日後に死亡
・1986年(昭和61)6月1日 - ジャイアントパンダ“トントン”が誕生
・1988年(昭和63)6月23日 - ジャイアントパンダ“ユウユウ”が誕生
・1989年(平成元) - ズーストック計画実施
・1990年(平成2) - 国内で初めてアムールヤマネコ、ベルツノガエルの繁殖に成功
・1992年(平成4)11月5日 - ジャイアントパンダの“リンリン”が到着し、“ユウユウ”が北京動物園に行く
・1996年(平成8)4月 - 「ゴリラ・トラのすむ森」完成
・1997年(平成9) - 世界最高齢のゴリラの雄“ブルブル”が死亡
・1999年(平成11)7月20日 - 「両生爬虫類館」(ビバリウム)完成
・2001年(平成13) - アイアイ、オカピ来園
・2002年(平成14) - 国内で初めてアカガシラカラスバト、ハダカデバネズミなどの繁殖に成功
・2003年(平成15) - 国内で初めてアイアイ、タテガミオオカミの繁殖に成功
・2004年(平成16)4月30日 - 「ゾウのすむ森」完成、
・2004年(平成16) - 国内で初めてオグロヅルの繁殖に成功
・2006年(平成18)4月28日 - 「クマたちの丘」完成
・2008年(平成20)4月30日 - パンダ“リンリン”慢性心不全により死亡
・2009年(平成21)5月23日 - 「アイアイのすむ森」オープン
・2011年(平成23)2月21日 - 中国からの借り受けで、パンダの雄“ビーリー”と雌“シィエンニュ”が来日
・2011年(平成23)3月31日 - 2010年度の入園者数は267万7.372人(東日本大震災で休園の影響)を記録
・2011年(平成23)4月1日 - ジャイアントパンダを公開。「ホッキョクグマとアザラシの海」オープン
・2012年(平成24)3月31日 - 2011年度の入園者数は470万7,261人(パンダ効果)を記録
・2012年(平成24)7月5日 - パンダの“シンシン”が“リーリー”との間に第1子を出産するが6日後死亡
・2016年(平成28)10月21日 - 中華民国の新竹市立動物園と、友好交流協議書に調印
・2017年(平成29)6月12日 - パンダ“リーリー”の妻“シンシン”が第2子を出産
・2017年(平成29)9月25日 - パンダの名前が“シャンシャン(香香)”に決定
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

イメージ 1

 今日は、昭和時代前期の1927年(昭和2)に、東京の上野駅~浅草駅に日本初の地下鉄(現在の東京地下鉄銀座線)が開通した日で、「地下鉄記念日」とも呼ばれています。
 日本最初の地下鉄は、1920年(大正9)に「東京地下鉄道株式会社」が設立され、1923年(大正12)に東京市の新橋~上野間の工事施行認可を受けるものの、その年に起きた関東大震災の影響で施行区間を上野~浅草に変更し、1925年(大正14)9月27日に着工されました。そして、オープンカット工法による2年余りの工事を経て、1927年(昭和2)12月30日に、上野駅~浅草駅間(2.2km)が開通します。
 この路線は、1939年(昭和14)までに延伸されて、浅草駅~渋谷駅間が全通しました。そして、1941年(昭和16)に設立された帝都高速度交通営団に引き継がれ、営団地下鉄銀座線となります。一方、大阪市では、1933年(昭和8)に、梅田(仮駅)~心斎橋駅間(3.1km)が開通しました。
 太平洋戦争後は、東京でも大阪でも新しい路線の建設や延伸が行われ、他の都市でも、1957年(昭和32)の名古屋市の名古屋駅~栄町駅間(2.4km)の開通を皮きりに広がって行きます。
 その後、札幌市(1971年)、横浜市(1972年)、神戸市(1977年)、京都市(1981年)、福岡市(1981年)、仙台市(1987年)などで開業し、2001年(平成13)時点の営業キロ数は672.9kmに達しました。
 それからも各地で新路線や延伸が進み、現在は、15事業者49路線で、営業キロ数は796.4kmとなっています。

☆日本で営業中の「地下鉄」(日本地下鉄協会の分類)一覧

・札幌市営地下鉄(札幌市交通局)3路線48.0km 46駅 日本唯一のゴムタイヤ式地下鉄
・仙台市地下鉄(仙台市交通局)2路線28.7km 29駅
・埼玉高速鉄道線(埼玉高速鉄道)1路線14.6km 8駅 総延長の97%が地下区間
・都営地下鉄(東京都交通局)4路線109.0km 98駅
・東京メトロ(東京地下鉄) 9路線195.1km 141駅
・りんかい線(東京臨海高速鉄道)1路線12.2km 8駅
・東葉高速線(東葉高速鉄道)1路線16.2km 9駅
・横浜市営地下鉄(横浜市交通局)3路線53.5km 40駅
・みなとみらい線(横浜高速鉄道)1路線4.1km 6駅
・名古屋市営地下鉄(名古屋市交通局)6路線93.2km 87駅
・京都市営地下鉄(京都市交通局)2路線31.2km 31駅
・大阪市営地下鉄(大阪市交通局)8路線129.9km 100駅
・神戸市営地下鉄(神戸市交通局)4路線30.6km 25駅
・アストラムライン(広島高速交通)1路線0.3km 2駅 総延長の10%が地下区間
・福岡市地下鉄(福岡市交通局)3路線29.8km 35駅
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

↑このページのトップヘ