ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

タグ:本土空襲

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 今日は、昭和時代前期の太平洋戦争末期、1945年(昭和20)に、小磯国昭内閣により、「空襲対策緊急強化要綱」が閣議決定された日です。
 「空襲対策緊急強化要綱」(くうしゅうたいさくきんきゅうきょうかようこう)は、1944年(昭和19)のアメリカ軍によるマリアナ諸島攻略により、本土空襲が強化される中で、それに対処するためにの小磯国昭内閣による閣議決定でした。同年11月に、第21爆撃集団司令官ヘイウッド・ハンセル准将は、同月23日からマリアナ諸島からの出撃命令を出し、そこからの初空襲は翌24日となります。
 当初は東京、名古屋の工業地帯を主目標としましたが、徐々に市街地にも拡大し、太平洋岸の各都市に広がっていきました。その中で、空襲がますます熾烈化しようとする情勢に鑑みて、国土防衛の強化を期し既定の諸方策を完遂徹底すると共に、この緊急施策措置が出されます。
 その内容は、①都市疎開の強化、②戦時緊要人員の残留確保、③堅牢建築物の利用統制、④防空消防力の強化、⑤防空土木施設の追加整備、⑥罹災者対策の強化などとなっていました。しかし、1945年(昭和20)3月10日の東京大空襲、同月12日の名古屋大空襲などいっそう空襲が強まり、同月17日の硫黄島陥落により、4月7日以降は硫黄島配備の飛行機も空襲に加わるようになって頻繁化し、主要都市は焦土と化すことになります。
 以下に、「空襲対策緊急強化要綱」を全文掲載しておきますので、ご参照下さい。

〇「空襲対策緊急強化要綱」1945年(昭和20)1月19日閣議決定

空襲ノ愈々熾烈化セントスル情勢ニ鑑ミ国土防衛ノ一段ノ強化ヲ期シ既定諸方策ヲ完遂徹底スルト共ニ昭和二十年一月十二日閣議決定ニ係ル緊急施策措置ノ一環トシテ左ノ諸施策ヲ緊急ニ実施セントス

第一、都市疎開ノ強化
(一)人員疎開ノ強化促進
帝都其ノ他重要都市ニ於ケル人員疎開ハ老幼者姙婦等ニ重点ヲ置キ更ニ帝都ヨリ百五十万人(其ノ他ノ都市ヲ含メ三百二十万人)ノ地方転出ヲ目途トシ之ガ促進ヲ図ルト共ニ戦時緊要人員ノ転出ヲ抑制セントス
本件実施ニ当リ受入態勢ニ付一段ノ整備強化ヲ図ルト共ニ疎開残留者ノ生活ヲ確保スル為各職域又ハ地域ニ於ケル合宿ノ設備、下宿業ノ奨励等格段ノ方策ヲ講ズルモノトス
(二)衣料等ノ分散疎開保全措置ノ強化
衣料其ノ他生活必需品ノ保全措置ニ関シ之ガ縁故疎開公共団体其ノ他各職域及地域ニ於ケル受託保管竝ニ倉庫業者等ノ業務拡張等ニ付所要ノ便宜ヲ供与シ又ハ助成ヲ加フル等之ガ勧奨指導ヲ強化セントス
本件実施ニ関連シ重要都市ニ於ケル堅牢建築物ノ利用統制(後出)ヲ実施シ又重要都市ニ於ケル隣組共同格納庫整備助成ヲ実施セントス
(三)建物疎開ノ追加実施
帝都其ノ他重要都市ニ於ケル建物疎開ハ更ニ強力ニ之ヲ実施シ空地帯消防道路水利接近施設簡易貯水槽防空壕等ノ防空施設ノ造成ニ資スルト共ニ特ニ間引疎開ニ依ル空家対策ニ遺憾ナキヲ期シ帝都ニ於テ差当リ十万五千戸(其ノ他ノ地域ヲ含メ二十万戸)ノ疎開ヲ可及的速ニ完了セシムル如ク追加実施セントス

第二、戦時緊要人員ノ残留確保
帝都其ノ他重要都市ニ残留ヲ要スル戦時緊要人員ハ其ノ範囲ヲ明定シ之ガ地方転出防止ニ関シ強力ナル指導ヲ加へ職域死守ノ敢闘精神ヲ昂揚セシムルト共ニ所要ニ応ジ防空法又ハ国家総動員法ニ依リ之ガ残留ヲ確保セントス

第三、堅牢建築物ノ利用統制
帝都其ノ他重要都市ニ在ル堅牢建築物(地下施設ヲ含ム)ニシテ一定規模以上ノモノニ付其ノ利用ヲ統制シ軍需工場防空施設官公衙其ノ他戦争遂行上緊要ナル用途ニ限リ之ヲ使用セシムルコトトシ然ラザル利用者ニ対シテハ強力ナル勧奨ニ依リ又ハ所要ニ応ジ防空法又ハ国家総動員法ヲ発動シテ之ガ転用ヲ図ラントス

第四、防空消防力ノ強化
(一)消防機関ノ要員確保
消防機関ノ完全ナル初動態勢ノ確立ヲ期スル為消防官吏特ニ消防機関要員及警防団消防部員ノ確保充実ニ付万全ノ措置ヲ講ゼントス
(二)消防器材ノ整備
焼夷弾ニ対スル隣組初期防火ノ万全ヲ期スル為四大地域等特ニ重要ナル都市ニ在リテハ一隣組ニ対シ小型腕用喞筒一台ノ目標ヲ以テ拡充整備ヲ図ラントス
更ニ反覆大空襲ニ際シ消防力ノ運用ト相俟ツテ破壊消防ノ充実強化ノ要アリ之ガ為特設消防隊竝ニ警備隊ニ対シ所要破壊器材ノ整備ヲ図ラントス

第五、防空土木施設ノ追加整備
(一)消防道路及貯水槽ノ増設
帝都其ノ他重要都市ニ於テ消防道路延長十五万米ヲ追加整備シ又今後情勢ノ推移ニ応ジ新ニ整備ヲ必要トスル都市ニ於テ小型簡易貯水槽五万個ヲ整備セントス
(二)横穴式及掩蓋式防空壕ノ増設
帝都其ノ他重要都市ニ於テ横穴式防空壕十万米及掩蓋式防空壕七万個ヲ増設シ又今後情勢ノ推移ニ応ジ新ニ整備ヲ必要トスル都市ニ於、横穴式防空壕十五万個ヲ整備セントス
右ノ外帝都ニ於テ重要施設ノ収容人員ノ収容物資ノ貯蔵等ニ充ツベキ隧道式防空施設延長八千五百米ヲ構築セントス
尚帝都以外ノ重要都市ニ付テモ情勢ノ推移ニ依リ帝都ニ準ジ之ヲ整備スルモノトス

第六、罹災者対策ノ強化
(一)罹災者避難及収容計画ノ強化
罹災者ニ対シテハ罹災地ニ於テ一応仮収容ノ上戦時災害保護法ニ依リ所要ノ応急救助ヲ為シタル後業務ノ関係上罹災地ニ残留スルヲ要スル者ヲ除クノ外努メテ短期間内ニ於テ縁故先又ハ予メ計画準備セル避難先ニ移転セシムベク指導スルモノトシ罹災者ノ収容ニ遺憾ナカラシムル為重要都市ノ存スル都府県ヲシテ空家其ノ他ノ民家ヲ予メ借上ゲ確保シ置カシムルト共ニ罹災地ニ残留ヲ要スル者ニ付テハ空家遊休建物ノ利用斡旋或ハ合宿施設ノ整備等所要ノ措置ヲ講ズルモノトス
(二)罹災者ニ対スル保護ノ強化
戦時災害保護法ニ依ル保護費ノ限度引上ゲ竝ニ保護ノ迅速化ヲ図ル為必要ナル措置ヲ講ズルト共ニ各種法外援護事業ヲ実施シ以テ罹災保護ノ徹底強化ヲ図ルモノトス
(三)防空医療対策ノ強化
救護所及救護病院ハ防護施設ノ強化ヲ図リ医療救護ニ支障ナカラシムルト共ニ大規模空襲ニ因リ救護所、救護病院、予備救護所等ノ喪失又ハ機能ノ減退アリタル場合ニ於テハ公共団体又ハ日本医療団ニ於テ救護施設ヲ設置シ之ガ要員ハ災害ヲ蒙リタル救護機関ノ要員又ハ応援救護班ヲ活用充当スルモノトス
尚帝都其ノ他重要都市ニ開設スル救護所、救護病院ハ出来得ル限リ堅牢ナル建物又ハ地下室ニ設置セシムルモノトス
(四)生活必需物資ノ備蓄、配給ノ整備強化
(イ)政府ニ於テ現ニ実施セル生活必需備蓄物資ノ分散防護ノ徹底ヲ促進スルト共ニ出来得ル限リ備蓄物費ノ増強ニ努ムルモノトス
(ロ)非常ノ際ニ於ケル物資配給ノ円滑迅速ヲ期スル為機構要員ノ整備確保ヲ図ルモノトス

第七、其ノ他
(一)資材ノ割当
本件実施ニ伴フ資材ニ付テハ現下ノ情勢ニ鑑ミ努メテ早期ニ割当ヲ為スモノトス
(二)労務ノ確保
本件実施ニ伴フ労務ニ付テハ之ガ確保ニ関シ必要ナル措置ヲ講ズルモノトス
(三)地方団体防空対策費借入金ノ元利補給
地方防空対策費ニ付テハ事態ノ必要ニ応ジ単ニ直接国庫補助ヲ為スノ方法ノミニ依ルコトナク当該地方団体借入金ニ対スル元利補給ノ方途ヲモ講ジ得ルコトトシ防空対策実施ノ敏活ヲ期スルモノトス
(四)本件ハ各項目ニ付完成期間ヲ定メ急速実施ヲ図ルモノトス
備考
工場ノ分散疎開其ノ他生産防空ニ関シテハ別途策案スルモノトス

   「国立国会図書館リサーチナビ」より

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

823年(弘仁14)嵯峨天皇から空海が教王護国寺(東寺)を下賜される(新暦3月5日)詳細
1926年(大正15)共同印刷の労働組合がにストライキを決議し、争議に突入する(共同印刷争議)詳細
1946年(昭和21)GHQが極東国際軍事裁判所の設置を命令、「極東国際軍事裁判所条例」が制定される詳細
1960年(昭和35)「新日米安全保障条約」に調印する詳細
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 今日は、昭和時代前期の太平洋戦争末期の1945年(昭和20)に、横浜大空襲が行われ、死者3,650人、重軽傷者10,198人、行方不明309人、罹災者は311,218人を出した日です。
 横浜大空襲(よこはまだいくうしゅう)は、太平洋戦争末期に、マリアナ基地を発進した米軍のB-29爆撃機517機とP-51戦闘機101機による京浜地区に対する昼間の大規模な空襲でした。横浜市街地中心に、午前9時20分~10時半頃までの約1時間で、総数43万8,576個(2,569.6トン)の大量の焼夷弾が投下され、被害面積は17.8平方kmで市域臨海部の34%が壊滅します。
 これによる被害は、直後の公式発表によれば、死者3,650人、重軽傷者10,198人、行方不明309人、罹災者は311,218人とされますが、実際には死者8,000人から1万人に上るとも言われてきました。横浜市における空襲ではこの日に最大の被害が出ましたが、本格的な本土空襲が始まった1944年(昭和19)暮以降、横浜市を襲った空襲は29回にも及び、それ以前にも1942年(昭和17)4月18日のドゥリットル空襲でも、機銃掃射によるも死者1人が出ています。
 その内、B-29爆撃機による横浜市の空襲は、1944年(昭和19)12月25日を最初に計18回あり、艦載機および戦闘機P51による空襲は、1945年(昭和20)2月16日を最初として、計11回に及びました。5月29日に次ぐ被害を出したのが、同年4月15日の鶴見・川崎空襲で、死者972人(内横浜市345人)、罹災住宅5万2655戸(内横浜市1万9,189戸)で、次いで4月4日には、川崎の他鶴見・港北・神奈川・西各区が被害を受け、死者398人(内横浜市214人)、罹災戸数5,873戸(内横浜市4,103戸)とされています。
 その他の都市でも、3月12日名古屋、10日東京、14日大阪、17日神戸、19、20日名古屋、29日北九州、4月13日東京西部地域、15日東京・横浜・川崎と大都市への夜間空襲を続け、5月24日未明と5月25日-26日に再び東京と大都市が空襲されてきました。その後は、空襲は地方の中小都市へと移り、8月6日の広島原爆投下、8月9日の長崎原爆投下へと至って、日本全土が多大な被害を受け、8月15日の敗戦となっています。

〇太平洋戦争下の主要な空襲一覧

 <1942年(昭和17)>
・4月18日 東京、名古屋、神戸などが初空襲される(ドウリットル指揮の16機の米陸軍機B-25による)

 <1944年(昭和19)>
・11月24日 B-29による初めての東京空襲が行われる

<1945年(昭和20)>
・1月19日 阪神地方へ初の本格的空襲が行われる
・3月10日 東京大空襲か行われ、死傷10万人以上、焼失27万余戸、罹災100余万人が出る
・3月12日 名古屋大空襲で中心街が消失する(家屋25,734棟棟被災、105,093人罹災、死者519人、負傷者負傷者734人)
・3月13~14日 大阪へ初の大空襲が行われる
・3月17日 神戸大空襲が行われ神戸市西部が消失する(約65,000棟が全半焼、死者2,598人)
・3月19日 名古屋大空襲で名古屋駅が炎上する(家屋39,893棟被災、151,332人罹災、死者826人、負傷者2,728人)
・3月29日 北九州が空襲される
・4月4日 川崎の他鶴見・港北・神奈川・西各区が空襲を受ける(罹災戸数5,873戸、死者398人)
・4月13日 東京空襲(西部地域)が行われる
・4月15日 東京・横浜・川崎の空襲が行われる(罹災住宅5万2655戸、死者972人)
・5月14日 名古屋空襲で名古屋城が焼失する(家屋21,905棟被災、66,585人罹災、死者338人、負傷者783人)
・5月24日 東京へ250機来襲し、皇居が炎上する
・5月25~26日 東京空襲(山手地域)が行われる
・5月29日 京浜へ600機来襲し、川崎、横浜が被災(横浜大空襲)する(死者3,650人、重軽傷者10,198人、行方不明309人)
・6月1日 大阪、尼崎等へ400機来襲する
・6月5日 兵庫県神戸市へ350機来襲する(西部の神戸市垂水区から東部の西宮市まで広範囲が爆撃される)
・6月7日 大阪周辺へ250機来襲する
・6月29日 岡山空襲で岡山城が焼失する(家屋12,693棟被災、死者が1,737人)
・7月9日 和歌山大空襲で和歌山城が消失する(焼失家屋31,137戸、被災者113,548人、死者・行方不明者1,424人)
・7月14日 青函連絡船の翔鳳丸など9隻が米艦載機の攻撃を受けて沈没する
・8月5日 B-29爆撃機92機が前橋市・高崎市を空襲し、死傷者1,323人が出る
・8月6日 B-29が広島に原子爆弾を投下し、市街地は廃墟と化し、20万人以上の人命が喪われる
・8月7日 愛知県の豊川海軍工廠が爆撃され女子挺身隊員・国民学校児童ら2,477人の死者を出す
・8月8日 福山大空襲で福山城が消失する(焼失家屋数10,179戸、被災者数47,326人、死者354人)
・8月9日 B-29が長崎にも原子爆弾を投下し、市街地は廃墟と化し、8万人弱の人命が喪われる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1889年(明治22)小説家・随筆家・俳人内田百閒の誕生日詳細
1942年(昭和17)歌人・詩人与謝野晶子の命日(白櫻忌)詳細
1952年(昭和27)国際通貨基金(IMF)と世界銀行が日本の加盟を承認する詳細
1981年(昭和56)日本で7番目の地下鉄として、京都市営地下鉄が開業(烏丸線北大路駅~京都駅間)する詳細
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