
『自由学校』(じゆうがっこう)は、獅子文六著の長編小説で、「朝日新聞」において、1950年(昭和25)5月26日~12月11日まで連載され、翌年に朝日新聞社から刊行されました。太平洋戦争敗戦後の混迷の中で、どの世代も自由な生き方を模索している世相をおとぎ話風に描いて、社会や道徳のゆがみを風刺した作品とされています。
有能で活動的な妻駒子に支配されていたでくの坊の南村五百助が、家を叩き出されるところから物語は展開し、防空壕やバラックでの寝泊まりと生活、上流社会の若者や隠居連中の暮らし、戦死者として戸籍が無くなった敗残兵の目線など様々な人々と交流・交際を通じて、自由主義や男女同権思想を戦後風俗を巧みに取り入れながら痛烈に風刺し、「とんでもハップン」、「ネバー好き」の流行語を生みました。
尚、1951年(昭和26)に松竹(渋谷実監督)と大映(吉村公三郎監督)の凶作によって映画化され、評判となっています。
有能で活動的な妻駒子に支配されていたでくの坊の南村五百助が、家を叩き出されるところから物語は展開し、防空壕やバラックでの寝泊まりと生活、上流社会の若者や隠居連中の暮らし、戦死者として戸籍が無くなった敗残兵の目線など様々な人々と交流・交際を通じて、自由主義や男女同権思想を戦後風俗を巧みに取り入れながら痛烈に風刺し、「とんでもハップン」、「ネバー好き」の流行語を生みました。
尚、1951年(昭和26)に松竹(渋谷実監督)と大映(吉村公三郎監督)の凶作によって映画化され、評判となっています。
〇獅子文六(しし ぶんろく)とは?
昭和時代に活躍した小説家・演出家です。1893年(明治26)7月1日に、横浜市中区月岡町(現在の横浜市西区老松町)で、絹織物商「岩田商会」を営んでいた父・岩田茂穂、母・あさじの長男として生まれましたが、本名は岩田豊雄と言いました。
9歳で父を亡くし、慶應義塾普通部を経て、慶應義塾大学理財科予科に進みます。1913年(大正2)に中退し、1920年(大正9)に母が亡くなり、一人暮らしを始めました。1922年(大正11)に渡仏し、パリ滞在中にJ.コポーらの近代演劇運動に触発されて、演劇の道を志します。1925年(大正14)に帰国、「近代劇全集」などの翻訳を行うかたわら、1927年(昭和2)に新劇協会に入会して演出家となりました。
1933年(昭和8)に明治大学講師となり、同年『東は東』、翌年『朝日屋絹物店』などの戯曲を発表ししつつ、獅子文六の筆名で『新青年』に長編小説『金色青春譜』を執筆します。1937年(昭和12)に久保田万太郎、岸田国士とともに劇団「文学座」を創立して以来、同座幹事として発展に尽力しました。
一方で、小説『悦ちゃん』(1936~37年)、『信子』(1938~40年)、『南の風』(1941年)など、ユーモアと風刺に富む健康な作品を発表して流行作家となります。太平洋戦争中の小説『海軍』で朝日文化賞を受賞しましたが、戦後に「戦争協力作家」として、追放の仮指定されたものの、1ヶ月半後に解除されました。
以後小説『てんやわんや』(1948~49年)、『自由学校』(1950年)、『大番』全3巻(1956~58年)など戦後風俗を軽妙な筆致で描いた小説で人気を得ます。また、『娘と私』は1961年(昭和36)にNHKで『連続テレビ小説・娘と私』としてテレビドラマ化され、話題となりました。
1963年(昭和38)に日本芸術院賞受賞、1964年(昭和39)に芸術院会員、1969年(昭和44)に文化勲章受章と数々の栄誉に輝きましたが、1969年(昭和44)12月13日に、東京の自宅において、76歳で亡くなっています。
9歳で父を亡くし、慶應義塾普通部を経て、慶應義塾大学理財科予科に進みます。1913年(大正2)に中退し、1920年(大正9)に母が亡くなり、一人暮らしを始めました。1922年(大正11)に渡仏し、パリ滞在中にJ.コポーらの近代演劇運動に触発されて、演劇の道を志します。1925年(大正14)に帰国、「近代劇全集」などの翻訳を行うかたわら、1927年(昭和2)に新劇協会に入会して演出家となりました。
1933年(昭和8)に明治大学講師となり、同年『東は東』、翌年『朝日屋絹物店』などの戯曲を発表ししつつ、獅子文六の筆名で『新青年』に長編小説『金色青春譜』を執筆します。1937年(昭和12)に久保田万太郎、岸田国士とともに劇団「文学座」を創立して以来、同座幹事として発展に尽力しました。
一方で、小説『悦ちゃん』(1936~37年)、『信子』(1938~40年)、『南の風』(1941年)など、ユーモアと風刺に富む健康な作品を発表して流行作家となります。太平洋戦争中の小説『海軍』で朝日文化賞を受賞しましたが、戦後に「戦争協力作家」として、追放の仮指定されたものの、1ヶ月半後に解除されました。
以後小説『てんやわんや』(1948~49年)、『自由学校』(1950年)、『大番』全3巻(1956~58年)など戦後風俗を軽妙な筆致で描いた小説で人気を得ます。また、『娘と私』は1961年(昭和36)にNHKで『連続テレビ小説・娘と私』としてテレビドラマ化され、話題となりました。
1963年(昭和38)に日本芸術院賞受賞、1964年(昭和39)に芸術院会員、1969年(昭和44)に文化勲章受章と数々の栄誉に輝きましたが、1969年(昭和44)12月13日に、東京の自宅において、76歳で亡くなっています。
<主要な著作>
・戯曲『東は東』(1933年)
・戯曲『朝日屋絹物店』(1934年)
・小説『金色(こんじき)青春譜』(1934年)
・小説『悦ちゃん』(1936~37年)
・小説『達磨(だるま)町七番地』(1937年)
・小説『胡椒(こしょう)息子』(1937~38年)
・小説『信子(のぶこ)』(1938~40年)
・小説『南の風』(1941年)
・小説『海軍』(1942年)
・小説『てんやわんや』(1948~49年)
・小説『自由学校』(1950年)
・小説『娘と私』(1953~56年)
・小説『大番』全3巻(1956~58年)
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
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