ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

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 今日は、昭和時代後期の1982年(昭和57)に、長沼ナイキ訴訟で、第3審の最高裁が住民の上告を棄却し、訴訟が終結した日です。
 長沼ナイキ訴訟(ながぬまないきそしょう)は、航空自衛隊のミサイル基地建設をめぐる行政訴訟で、自衛隊の合憲性が争われた訴訟です。防衛庁は、第三次防衛力整備計画の一環で、北海道夕張郡長沼町に航空自衛隊のナイキJ地対空ミサイルの発射基地を設置するため、1968年(昭和43)6月に、同町所在の馬追山保安林について保安林指定解除を申請し、農林大臣は、翌年7月に、この申請を認める処分を行ないました。
 これに対して、地元住民が国を相手取り、指定解除処分の停止・取り消しを求める訴訟を起こします。住民側は、違憲な自衛隊の基地建設のために保安林の指定解除処分を行うことは、「森林法」26条2項が保安林指定解除処分の要件として定めた「公益上の理由」を欠き違法であるとして、処分取消しを求める訴えを提起しました。
 これについて、1973年(昭和48)9月7日に、第一審の札幌地裁は、自衛隊違憲判決を出して注目されます。しかし、1976年(昭和51)8月5日の第二審の札幌高裁では、自衛隊問題を統治行為として司法判断を避け、原判決を取消して、原告の請求を棄却しましたが、その理由は、防衛施設庁が保安林に代わる代替施設を完備させ、洪水等の危険性がなくなったので、原告らには訴えの具体的な利益がなくなったとするものでした。
 その後、1982年(昭和56)9月9日の第三審の最高裁第一小法廷では、違憲審査権の行使を控え、原告の上告を棄却して、裁判は終結しています。
  以下に、「長沼ナイキ訴訟の最高裁判決文」を掲載しておきますので、ご参照下さい。

〇「長沼ナイキ訴訟の最高裁判決文」 1982年(昭和57)9月9日

      主  文
   本件上告を棄却する。
   上告費用は上告人らの負担とする。
      理  由
 上告代理人佐伯静治、同新井章、同池田真規、同今永博彬、同五十嵐義三、同岩崎修、同猪狩久一、同猪狩康代、同榎本信行、同尾崎陞、同大森典子、同風早八十二、同川村俊紀、同郷路征記、同後藤徹、同今重一、同今瞭美、同佐藤文彦、同佐藤太勝、同佐藤義雄、同斎藤了一、同鈴木悦郎、同田村徹、同田中宏、同内藤功、同中村仁、同彦坂敏尚、同林信一、同広谷陸男、同牧雅俊、同三津橋彬、同吉原正八郎、同渡辺良夫、同中島達敬の上告理由について 上告人らが上告理由第二部第一点ないし第四点(第一部中これに関連する部分を含む。)において主張するところは、要するに、本件保安林指定解除処分取消訴訟における本案前の問題としての上告人らの原告適格及び訴えの利益の有無に関して原審が示した認定判断には法令の解釈適用の誤りや理由齟齬、事実誤認、審理不尽、理由不備の違法があるというにあるが、上告人らの主張と原審の認定判断の間には原告適格ないし訴えの利益についての基本的な見解の相違が存在し、それが上告理由の各論点の底流をなしていると考えられるので、以下においては、右の基本的問題との関連において各上告理由を本件における原告適格、訴えの利益の消滅、いわゆる跡地利用と原告適格ないし訴えの利益との関係の各項目に区分し、そのそれぞれにつき順を追つて当裁判所の見解と判断を示すこととする。
 一 原告適格について(上告理由第二部第一点関係)
 森林法(以下「法」という。)上、農林水産大臣は、水源のかん養その他法二五条一項各号に掲げられている目的を達成するため必要があるときは、森林を保安林として指定することができるとされており、いつたん保安林の指定があると、当該森林における立木竹の伐採、立木の損傷、家畜の放牧、下草・落葉・落枝の採取又は土石・樹根の採掘、開懇その他の土地の形質を変更する行為が原則として禁止され、当該森林の所有者等が立木の伐採跡地につき植栽義務を負うなど、種々の制限が課せられるほか(法三四条、三四条の二)、違反者に対しては、都道府県知事の監督処分が規定されており(法三八条)、また、罰則による制裁も設けられている(法二〇六条三号ないし五号、二〇九条等)。このように、保安林指定処分は、森林所有者等その直接の名宛人に対しては、私権の制限を伴う不利益処分の性格を有するものであるが、他方、右処分によつて達成しようとする目的として法二五条一項各号が掲げるところを通覧すると、それらはおおむね、当該森林の存続によつて周辺住民その他の不特定多数者が受ける生活上の利益とみられるものであつて、法は、これらの利益を自然災害の防止、環境の保全、風致の保存などの一般的公益としてとらえ、かかる公益の保護、増進を目的として保安林指定という私権制限処分を定めたものと考えられるのである。
 ところで、一般に法律が対立する利益の調整として一方の利益のために他方の利益に制約を課する場合において、それが個々の利益主体間の利害の調整を図るというよりもむしろ、一方の利益が現在及び将来における不特定多数者の顕在的又は潜在的な利益の全体を包含するものであることに鑑み、これを個別的利益を超えた抽象的・一般的な公益としてとらえ、かかる公益保護の見地からこれと対立する他方の利益に制限を課したものとみられるときには、通常、当該公益に包含される不特定多数者の個々人に帰属する具体的利益は、直接的には右法律の保護する個別的利益としての地位を有せず、いわば右の一般的公益の保護を通じて附随的、反射的に保護される利益たる地位を有するにすぎないとされているものと解されるから、そうである限りは、かかる公益保護のための私権制限に関する措置についての行政庁の処分が法律の規定に違反し、法の保護する公益を違法に侵害するものであつても、そこに包含される不特定多数者の個別的利益の侵害は単なる法の反射的利益の侵害にとどまり、かかる侵害を受けたにすぎない者は、右処分の取消しを求めるについて行政事件訴訟法九条に定める法律上の利益を有する者には該当しないものと解すべきである。しかしながら、他方、法律が、これらの利益を専ら右のような一般的公益の中に吸収解消せしめるにとどめず、これと並んで、それらの利益の全部又は一部につきそれが帰属する個々人の個別的利益としてもこれを保護すべきものとすることももとより可能であつて、特定の法律の規定がこのような趣旨を含むものと解されるときは、右法律の規定に違反してされた行政庁の処分に対し、これらの利益を害されたとする個々人においてその処分の取消しを訴求する原告適格を有するものと解することに、なんら妨げはないというべきである。
 これを前記森林法所定の保安林指定処分についてみるのに、右処分が一般的公益の保護を目的とする処分とみられることは前記のとおりであるが、法は他方において、利害関係を有する地方公共団体の長のほかに、保安林の指定に「直接の利害関係を有する者」において、森林を保安林として指定すべき旨を農林水産大臣に申請することができるものとし(法二七条一項)、また、農林水産大臣が保安林の指定を解除しようとする場合に、右の「直接の利害関係を有する者」がこれに異議があるときは、意見書を提出し、公開の聴聞手続に参加することができるものとしており(法二九条、三〇条、三二条)、これらの規定と、旧森林法(明治四〇年法律第四三号)二四条においては「直接利害ノ関係ヲ有スル者」に対して保安林の指定及び解除の処分に対する訴願及び行政訴訟の提起が認められていた沿革とをあわせ考えると、法は、森林の存続によつて不特定多数者の受ける生活利益のうち一定範囲のものを公益と並んで保護すべき個人の個別的利益としてとらえ、かかる利益の帰属者に対し保安林の指定につき「直接の利害関係を有する者」としてその利益主張をすることができる地位を法律上付与しているものと解するのが相当である。そうすると、かかる「直接の利害関係を有する者」は、保安林の指定が違法に解除され、それによつて自己の利益を害された場合には、右解除処分に対する取消しの訴えを提起する原告適格を有する者ということができるけれども、その反面、それ以外の者は、たといこれによつてなんらかの事実上の利益を害されることがあつても、右のような取消訴訟の原告適格を有するものとすることはできないというべきである。
 そこで進んで法二七条一項にいう「直接の利害関係を有する者」の意義ないし範囲について考えるのに、法二五条一項各号に掲げる目的に含まれる不特定多数者の生活利益は極めて多種多様であるから、結局、そのそれぞれの生活利益の具体的内容と性質、その重要性、森林の存続との具体的な関連の内容及び程度等に照らし、「直接の利害関係を有する者」として前記のような法的地位を付与するのが相当であるかどうかによつて、これを決するほかはないと考えられる。原審は、特定の保安林の指定に際して、具体的な地形、地質、気象条件、受益主体との関連等から、処分に伴う直接的影響が及ぶものとして配慮されたものと認めうる個々人の生活利益をもつて、当該処分による個別的・具体的な法的利益と認めるべきものとし、本件保安林は、a町一円の農業用水確保目的を動機として、水源かん養保安林として指定されたものであり、その指定に当たつては、右農業用水の確保のほか、洪水予防、飲料水の確保という効果も配慮され、右処分によるその実現が期待されていたものと認め、これらの利益を右の個別的・具体的な法的利益とし、進んで右の見地から、本件保安林の有する理水機能が直接重要に作用する一定範囲の地域、すなわち保安林の伐採による理水機能の低下により洪水緩和、渇水予防の点において直接に影響を被る一定範囲の地域に居住する住民についてのみ原告適格を認めるべきものとしているのであるが、原審の右見解は、おおむね前記「直接の利害関係を有する者」に相当するものを限定指示しているものということができるのであつて、の限りにおいて原審の右見解は、結論において正当というべきである。ところで、原審の認定によれば、本件保安林のうち原判決添付図面一表示の(イ)斜線部分(以下「本件保安林部分」という。)の伐採により農業用水及び飲料水の不足の影響を受ける範囲はそれぞれ右図面表示の(ロ)斜線部分及び破線内の範囲に限られるものと認められ、また、b川の本支流から東四線排水路、零号排水路を経由してc運河に至る流域は、本件保安林部分からの流水による直接的水害のおそれが認められ、その水害対策が講ぜられるべき地帯であるが、c運河排水機場は、右水害防止対策として流水排出のために設置された設備であるところ、c運河排水機場流域(右図面における実線表示の範囲。以下「排水機場流域」という。)はその機械排水能力の及ぶ範囲として地形上予定されているものであると認められ、本件保安林の指定に際し、本件保安林部分に関しては、排水機場流域が水害防止必要地域として直接の影響の及ぶ範囲として考慮されたものと解するのが相当である、というのであり、原審は、これらの認定に基づいて排水機場流域(農業用水及び飲料水の不足の影響を受ける地域はこの中に含まれている。)内に居住する者のみが本件保安林部分の伐採による理水機能の低下によつて直接の影響を受ける者に当たるとしている。所論は、排水機場流域は本件保安林部分の伐採によつて洪水の危険が生ずる地域に含まれるといいうるとしても、後者の範囲は当然には前者の範囲に限られるとはいえない旨主張するが、原審の上記認定判断は原判決挙示の証拠関係に照らして是認することができないではなく、その過程に右所論の違法があるということはできない。そうすると、上告人らのうち本件記録上排水機場流域内に居住する者でないことが明らかな原判決添付別紙当事者目録中に甲と表示のある者は、いずれも前記「直接の利害関係を有する者」に当たらないものというべく、したがつて、右上告人らの本件訴えは原告適格を欠く不適法のものであるとした原審の判断は、結局、正当として是認することができる。(仮に所論のように本件保安林部分の伐採による理水機能の低下によつて洪水の危険が生ずる地域が排水機場流域よりも広く、したがつて、排水機場流域外に居住する上告人らについても原告適格を肯定する余地があるとしても、後記「二」において判示するように、排水機場流域内に居住する上告人らについても訴えの利益が消滅するに至つたとされる関係にある以上、右地域外に居住する上告人らについても同様に考えられるから、右の点に関する認定判断の違法は、結局、原判決の結論に影響を及ぼす瑕疵とはならないというべきである。)
 なお、所論は、原審が本件訴訟の原告適格につき排水機場流域内に居住する者のみに限つてこれを認め、非居住者でも洪水によつて生活上なんらかの態様で影響を受ける者についてこれを認めなかつたことは行政事件訴訟法九条の解釈を誤つたものであると主張するが、さきに説示したとおり、かかる非居住者の利益は前記一般的公益に包含され、これとは別個独立の保護法益としての存在をもつものではなく、たかだか地域住民の利益の代表者として関係地方公共団体の長がその利益主張の任に当たるものとされているにすぎないと解すべきであるから、右論旨も採用することができない。
 二 訴えの利益の消滅について(上告理由第二部第二点関係)
 前記の見解のもとに上告人らのうち原告適格を有するとされた排水機場流域内に居住する者(原判決添付別紙当事者目録中に乙と表示のある者。以下「乙と表示のある上告人ら」という。)についても、本件保安林指定解除処分後の事情の変化により、右原告適格の基礎とされている右処分による個別的・具体的な個人的利益の侵害状態が解消するに至つた場合には、もはや右被侵害利益の回復を目的とする訴えの利益は失われるに至つたものとせざるをえない。換言すれば、乙と表示のある上告人らの原告適格の基礎は、本件保安林指定解除処分に基づく立木竹の伐採に伴う理水機能の低下の影響を直接受ける点において右保安林の存在による洪水や渇水の防止上の利益を侵害されているところにあるのであるから、本件におけるいわゆる代替施設の設置によつて右の洪水や渇水の危険が解消され、その防止上からは本件保安林の存続の必要性がなくなつたと認められるに至つたときは、もはや乙と表示のある上告人らにおいて右指定解除処分の取消しを求める訴えの利益は失われるに至つたものといわざるをえないのである。
 そこで進んで所論が専ら問題とするいわゆる代替施設による洪水の危険の解消に関する原審の判断について検討する。
 原審は、まず、砂防施設に関し、砂防堰堤は、その建設による随伴的効果として、渓床勾配の緩化をもたらし、これによる流水の流速低下、山脚固定等により、洪水調節の機能をもたらすことが肯認されるところ、札幌防衛施設局がb川の本支流の沢部分に建設した七基の砂防堰堤は、合計二万三三〇立方メートルの計画貯砂能力を有し、完成後四年九か月を経た時点において、計算上向後なお少なくとも三〇年を越える期間土砂の流出防止の機能を発揮することが期待されうるものと認定判断している。
 次に、原審は、本件の主要な洪水防止施設であるb一号堰堤の余水吐が発揮しうる洪水調節能力について、本件保安林部分を含むb川の本支流の集水地域三・七六平方キロメートル(以下「本件流域」という。)における降雨量(確率日雨量)及び右降雨量から算出して得られるb一号堰堤への最大洪水流入量を推定し、右最大洪水流入量の流入に対する右余水吐の排出能力を測定するという方法を採用し、おおむね次のとおり認定判断している。すなわち、本件流域附近のD観測所の大正一四年から昭和四八年までの間の四六年(昭和一三年、同二三年、同二四年は欠測)の各年最大日雨量をもとにし、確率年として一〇〇年の長期を選択して、一〇〇年確率最大日雨量を算出した結果一五一・九ミリメートルの数値を得、これにさらに農林省農地局制定の「土地改良事業計画設計基準」(昭和四一年六月三〇日改定)による安全率一・二を乗じて一八二・三ミリメートルを本件流域における降雨量(確率日雨量)として採用した。そして、右日雨量一八二・三ミリメートルについての雨量分布(降雨量の時間配分)を推定し、単位流出量及び流出率を決定し、これを前記雨量分布に適用して、有効雨量、時間別流出量及び合成流出量を算出した結果、本件保安林部分を除いた本件流域からの最大洪水流出量を毎秒一六・四四八立方メートル、本件保安林部分からの最大洪水流出量を毎秒四・九三一立方メートルと算定し、その合計毎秒二一・三七九立方メートルを、本件流域からb一号堰堤に流入すると推定される最大洪水流入量であるとしている。次に、原審は、右最大洪水流入量毎秒二一・三七九立方メートルがb一号堰堤を通過し余水吐から流下するときは、その洪水調節機能によつて毎秒約一六・六〇立方メートルに減量され、十分な余裕高が残されるとし、しかも、右最大洪水流入量毎秒二一・三七九立方メートルに一・二を乗じた異常洪水量毎秒二五・六五五立方メートルがb一号堰堤に流入すると仮定した場合でも、右余水吐からの流下量は、毎秒約二〇・二〇立方メートルに減量されるのみならず、日雨量三二〇ミリメートルまでの降雨による洪水の場合でも、最大洪水流出量は毎秒約四六立方メートル、余水吐からの最大排出量は毎秒約三五・八立方メートルと計算されるが、堤頂との間に風波高〇・六メートルを残した堰堤水位標高二四・四〇メートルの状態のもとにおいて可能な右余水吐の最大排水量毎秒三六・一一立方メートルをもつてすれば、右の雨量までの降雨による洪水に対してもこれを調節することができ、したがつてまた、b一号堰堤の越流による決壊の蓋然性は無視しうる程度に低いものとみて誤りないとしている。
 そして原審は、以上認定の事実関係に基づき、各砂防堰堤の土砂流出防止機能とb一号堰堤の洪水調節能力とにより、乙と表示のある上告人の居住する地域における洪水の危険は社会通念上なくなつたものと認定判断しているものと解される。
 以上の原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし是認することができないではなく、その過程に所論の違法があるということはできない。所論は、また、原審は右の点につき適切な証拠資料の提出の機会を封じたまま、不完全・不十分な証拠資料のみに基づいて判断を下した点において審理不尽の違法を免れないというが、右はひつきよう原審の専権に属する証拠調の必要性に関する判断の不当をいうものにすぎないのみならず、かかる証拠資料の取調べが原審の前記認定判断の結論に明らかに影響を及ぼすと認めるべき根拠を見出すこともできないので、右論旨は、結局、採用することができない。
 してみると、本件保安林の指定解除に伴う乙と表示のある上告人らの利益侵害の状態はなくなつたと認められるのであるから、右上告人らが本件保安林指定解除処分の取消しを求める訴えの利益は失われたものというべきであり、本件訴えは不適法として却下を免れないとした原審の判断は、正当として是認することができる。なお、所論は、本件における訴えの利益の消滅というような本案前の問題については、その認定について慎重な態度をとるべきものであり、前記のように洪水の危険性が社会通念上なくなつたと認められるだけでは足りず、あらゆる科学的検証の結果に照らしてかかる危険がないと確実に断定することができる場合にのみ訴えの利益の消滅を肯定すべきであるというが、右は独自の見解であつて採用することができない。
 三 いわゆる跡地利用と原告適格ないし訴えの利益との関係について(上告理由第二部第三点及び第四点関係)
 論旨は、要するに、本件保安林指定解除処分が解除後の跡地利用に対する許可処分の一面をも有することを前提とし、右解除処分の目的である本件ミサイル基地設置に伴い上告人らの平和的生存権が侵害されるおそれがあるので、上告人らは被上告人の公益判断の誤りを理由として右処分を争う法律上の利益を有する、というのである。しかしながら、本件訴訟の原告適格は、本件保安林の指定について「直接の利害関係を有する者」に当たる乙と表示のある上告人らについてのみ認められるものであり、その原告適格の基礎となる訴えの利益も、専らその直接の利害関係を基礎づける立木竹の伐採等に伴う洪水や渇水の危険の防止の点に存するものであることは、上来説示したとおりであつて、伐採後のいわゆる跡地利用によつて生ずべき利益の侵害のごときは、指定解除処分の取消訴訟の原告適格を基礎づけるものには当たらないのである。もつとも、本件保安林の指定解除処分が取り消されれば、右保安林が伐採されることもなく、また、伐採されても非森林として自由に使用することができなくなる結果、所論のような跡地利用も事実上不可能となり、したがつてかかる利用によつて生ずる利益侵害の危険もなくなるという関係が存在することは確かであるが、このような関係があるからといつて、右跡地利用による利益侵害の危険をもつて右指定解除処分の取消訴訟の原告適格を基礎づける法律上の利益を構成するものと解することはできない。なお、所論は、法二六条二項による保安林指定解除処分はその理由となつた伐採後における特定の跡地利用に対する許可を含むものと解すべきであるというが、右指定解除処分がかかる許可を含み、ないしは許可の
効果を生ずると解すべき理由はない。また、かかる跡地利用の内容及び性質は本件保安林の指定解除処分を適法にすることができるかどうかの実体上の問題において重要な論点となりうるものであることは所論のとおりであるが、この点は本案前の訴訟要件の有無の問題に関する限り特段の意味をもつものとはいえない。それ故、乙と表示のある上告人ら以外の上告人らについて原審が本件訴訟の原告適格を認めなかつたこと、及び乙と表示のある上告人らについても、原審が、本件保安林の指定解除処分による前記洪水、渇水防止上の利益の侵害が解消した以上、本件訴えの利益は消滅したといわざるをえないとし、右利益の存否を判断するにつき、伐採後の跡地利用による利益侵害のおそれの有無を問わなかつたことは、いずれも、結局、正当として是認されるべきである。なお、所論中いわゆる平和的生存権に関する原審の判断の不当をいう部分は、原判決の右結論に影響のない点についてその判示の不当をいうものにすぎない。それ故、論旨は採用することができない。
 よつて、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官藤崎萬里の意見及び裁判官団藤重光の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
 裁判官藤崎萬里の意見は、次のとおりである。
 本件訴えを却下すべきものとすることについては、私も多数意見と結論を同じくするものであるが、その理由については見解を異にする。
 多数意見は、結局において原判決と同様に、上告人らのうちの一部の者については原告適格を欠くことを理由に、その余の者については原告適格を有することを認めたうえ訴えの利益を喪失したことを理由に訴えを不適法とするものであるが、私は、上告人らはすべて原告適格を欠くことを理由に訴えを不適法であるとすべきものと考える。
 多数意見は、森林法二七条一項の規定を援用し、原審が原告適格を認めている者はおおむね右規定にいう「直接の利害関係を有する者」に相当するから、原審の見解は、その結論において正当であるとする。しかし、私には、右規定が行政事件訴訟法九条に基づく原告適格の問題についての判断を左右しうるような規定であるとは思われない。
 そうすると、本件の場合も、この種の問題における原則的な考え方によるべきことになるが、その原則的な考え方は、多数意見にもあるとおり、要するに、公益に包含される不特定多数者の個別的利益の侵害は単なる法の反射的利益の侵害にとどまり、かかる侵害を受けたにすぎない者は行政事件訴訟法九条に定める法律上の利益を有する者には該当しない、ということである。従つて、上告人らのうちの一部の者に原告適格を認めることは、右の原則に対する例外を認めることを意味する。しかも、それは法的に極めて重大な例外であるといわなければならない。なぜならば、一つには、この例外によつて侵される原則が行政法理論上の一つの基本的な原則であるからであり、二つには、例外の内容が一般的には原告適格を認められない者にこれを認めるという訴訟法上の重要問題にかかわるからである。これほど重大な例外を認める以上、そこには当然それを正当化するに足りる事由がなければならないが、それは、結局、当事者の有する利害関係の格別の重大さに求めるほかないであろう。ところが、本件において原告適格を認められた者の有する利害関係の実体にそれほど他から隔絶したものがあるとは思われないのである。
 裁判官団藤重光の反対意見は、次のとおりである。
 本件保安林指定解除処分取消訴訟における原告適格ないし訴えの利益の問題について多数意見が森林法の解釈として詳細に説示するところは、すべて、同時にわたくしの考えでもある。ただ、多数意見中、わずかに一点だけ、原判決の理解についてわたくしとしては同調に躊躇を感じる部分があり、そのわずかな理解の相違が多数意見とは反対の結論に導くのである。
 その一点とは、多数意見が、「二」の「訴えの利益の消滅について(上告理由第二部第二点関係)」の項の中で、「そして原審は、以上認定の事実関係に基づき、各砂防堰堤の土砂流出防止機能とb一号堰堤の洪水調節能力とにより、乙と表示のある上告人らの居住する地域における洪水の危険は社会通念上なくなつたものと認定判断しているものと解される」としている箇所に関する。原判決がはたしてそのように洪水の危険が社会通念上なくなつたものと認定判断しているものといえるかどうかについて、わたくしとしては、なお、不安を払拭し切れないのである。問題は、原審が訴えの利益の問題について、かならずしも多数意見(私見も同様)と同一の見解をとつてはいないのではないかとおもわれる点にある。原判決はもつぱら本件代替施設が「伐採前の本件保安林が果していた理水機能による洪水防止の機能に代る機能を十分に営み得るものである」かどうかの点に着眼して、これを肯定的に認定判断しているのである。つまり、多数意見や私見においては、端的に本件代替施設の設置によつて洪水や渇水の危険が解消されたと認められるにいたつたかどうかを問題としているのに対して、原審は、単に右施設の理水機能が伐採前の本件保安林のそれと同程度のものになつたかどうかを問うているにすぎない。なるほど、両見解の相違は、実際問題としては、特段の事情でもないかぎり、ほとんど無視されうる程度のものであろうし、また、原判決は、多数意見や私見のような見解を別に想定した上で、これと異なる見解を採る趣旨で前記のような認定判断をしたものではないかも知れないが、だからといつて、多数意見のように原判決を解釈して当該地域における洪水の危険がなくなつたものと認定判断している趣旨と解するのには、やや無理があるのではあるまいか。わたくしは、やはり、原審をして正しい理論的前提のもとに改めて訴えの利益の消滅の有無について審理を尽くさしめるのが本筋だとおもうのであり、原判決を破棄して事件を原審に差し戻すのが相当であると考える。
     最高裁判所第一小法廷
         裁判長裁判官    団藤重光
            裁判官    藤崎萬里
            裁判官    中村治朗
            裁判官    谷口正孝
 裁判官本山亨は、退官のため署名押印することができない。
         裁判長裁判官    団藤重光

☆長沼ナイキ訴訟関係略年表

<1969年(昭和44)>
・7月7日 - 農林大臣、保安林指定解除を告示
・9月20日 - 高裁、平賀書簡問題で異例の厳重注意処分
・12月2日 - 衆議院解散(沖縄解散)

<1970年(昭和45)>
・1月14日 - 第3次佐藤内閣成立
・4月8日 - 最高裁、青法協問題で裁判官の政治的中立に関する公式見解を公表
・4月18日 - 被告・法務省、裁判長・福島重雄を忌避申立て
・6月23日 - 日米安保条約、自動延長
・7月10日 - 札幌高裁、忌避申立てを却下
・10月20日 - 初の防衛白書が出される
・12月19日 - 日弁連臨時総会、平賀・福島裁判官に対する訴追委員会決定に関する決議

<1971年(昭和46)>
・4月13日 - 最高裁、裁判官・宮本康昭の再任を拒否
・6月17日 - 沖縄返還協定調印

<1972年(昭和47)>
・5月15日 - 沖縄返還
・10月9日 - 第4次防衛力整備計画(総額4兆6300億円)

<1973年(昭和48)>
・9月7日 - 一審・札幌地裁(自衛隊違憲判決)

<1976年(昭和51)>
・8月5日 - 二審・札幌高裁、逆転判決
・10月29日 - 1977年度以降の「防衛計画の大綱」を閣議決定

<1977年(昭和52)>
・2月18日 - 読売新聞社説、一審の違憲立法審査権の存在意義を評価
・11月30日 - 米軍立川基地(立川飛行場)全面返還

<1981年(昭和56)>
・7月8日 - 読売新聞社説、二審の統治行為論を支持

<1982年(昭和57)>
・9月9日 - 三審・最高裁第一小法廷、上告棄却判決

<1994年(平成6)>
・ナイキミサイルの運用を終了

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

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 今日は、平成時代の1997年(平成9)に、家永教科書裁判の第3次訴訟で、最高裁が原告の主張を一部認め、国側に40万円の支払いを命ずる“一部勝訴”判決を出し、家永教科書裁判が終結した日です。
 家永教科書裁判(いえながきょうかしょさいばん)は、歴史学者家永三郎(当時は東京教育大学教授)が執筆した、高等学校用日本史教科書『新日本史』(三省堂発行)に対する教科書検定に関して、昭和時代後期に日本国政府を相手に起こした3つの裁判のことです。1965年(昭和40)提訴の第一次訴訟(教科書検定被害に対する国家賠償を請求)、1967年(昭和42)提訴の第二次訴訟(不当な教科書検定行政処分取り消しを請求)、1984年(昭和59)提訴の第三次訴訟(正誤訂正申請不受理処分を対象に国家賠償を請求)がありました。
 これに至る経緯は、1962年度の文部省教科書検定において、『新日本史』が不合格とされ、1963年度には条件つき合格となったものの大量の改善・修正意見がついたことによるものです。これは、「日本国憲法」 21条の表現の自由、検閲の禁止、23条の学問の自由、26条の教育を受ける権利に違反し、また、「教育基本法」 10条に定める教育行政の裁量権を逸脱した不当行為として、提訴したものでした。
 しかし、最高裁は「検閲にはあたらない」とし、教科書検定制度を合憲とした上で、原告の主張の大半を退け、原告の実質的敗訴が確定したのです。一方、検定内容の適否については、1993年(平成5)東京高裁は「草莽隊」、「南京大虐殺」、「南京戦における婦女暴行」の3ヶ所の記述削除を違法とし、1997年(平成9)最高裁はさらに「731部隊」を加えた計 4ヵ所の記述削除を「国の裁量権逸脱」として違法とし、計40万円の支払いを国に命じました。
 この一連の裁判は、教科書検定制度の問題点を世間に明らかにし、公教育の在り方を広く問うものとなったのです。

〇家永教科書裁判関係略年表

・1952年(昭和27) 家永三郎が高校教科書「新日本史」(三省堂)の執筆を始める
・1955年(昭和30) 自身が執筆した高校歴史教科書「新日本史」の再訂版の検定合格条件を巡り文部省と対立する
・1957年(昭和32) 第三版が検定不合格となり文部省に抗議書を提出する
・1963年(昭和38) 「新日本史」第五版が一旦検定不合格となる
・1964年(昭和39) 「新日本史」第五版が条件付きで合格、この際に300余りの修正意見が付され、教科用図書検定制度に対する反対意見を強める
・1965年(昭和40)6月12日 国を相手に教科書検定違憲訴訟(第1次)を提起する
・1967年(昭和42)6月23日 「新日本史」が再び不合格となると検定不合格の取り消しを求める訴訟(第2次)を提起する
・1970年(昭和45)7月17日 第2次訴訟で東京地裁が、「教科書検定は教育への国の不当な介入で違憲である」として、検定不合格取消の判決(杉本判決)を出す
・1984年(昭和59)1月19日 再び国家賠償請求訴訟(第3次)を提起する
・1989年(平成元)6月27日 第2次訴訟は、東京高等裁判所差し戻し審判決で最終的に却下される
・1993年(平成5)3月16日 第1次訴訟は、最高裁判所判決で原告全面敗訴の2審が支持される
・1997年(平成9)8月29日 第3次訴訟は、最高裁で1ヵ所の書き換え処分が違法とされ、国側に40万円の支払いを命ずる“一部勝訴”判決が出る(一連の教科書裁判終結)

☆家永三郎(いえなが さぶろう)とは?

 昭和から平成時代に活躍した歴史学者・一連の教科書裁判の原告です。大正時代の1913年(大正2)9月3日に、後に陸軍少将となった父・家永直太郎の子として、愛知県名古屋市に生まれましたが、1921年(大正10)に東京に転居しました。
 1934年(昭和9)に東京高等学校を卒業後、東京帝国大学文学部国史学科へ入学し、1937年(昭和12)に卒業します。教学局日本文化大観編纂助手を経て、1941年(昭和16)に新潟高等学校教授となり、1944年(昭和19)には、東京高等師範学校教授に転じました。
 太平洋戦争末期の1945年(昭和20)に仙台へ疎開したものの、戦後は東京に戻り、1946年(昭和21)には、文部省教科書編纂委員嘱託として、歴史教科書「くにのあゆみ」を執筆します。初めは実証主義の史家として知られ、やまと絵の研究に関わる『上代倭絵全史』、『上代倭絵年表』で、1948年(昭和23)に日本学士院恩賜賞を受賞しました。
 1949年(昭和24)に、学制改革により、東京教育大学文学部史学科教授となり、1950年(昭和25)には、学位論文『主として文献に拠る上代倭絵の文化史的研究』により、東京大学より文学博士を得ます。1952年(昭和27)に高校教科書「新日本史」(三省堂発行)の執筆を始め、1954年(昭和29)には、「教育二法」の制定などを「歴史教育の逆コース化」であるとして批判し、その反対運動に参加しました。
 1955年(昭和30)に高校教科書「新日本史」の再訂版の検定合格条件を巡り文部省と対立、1957年(昭和32)には、第三版が検定不合格となり文部省に抗議書を提出します。1959年(昭和34)の東京都教組勤務評価反対裁判に証人として出廷、東京教育大学への不法捜査に対しては警察庁に抗議をおこない、1963年(昭和38)に「新日本史」第五版が一旦検定不合格、翌1964年に条件付きで合格、この際に300余りの修正意見が付され、教科用図書検定制度に対する反対意見を強めました。
 1965年(昭和40)に国を相手に教科書検定違憲訴訟(第1次)を提起、1967年(昭和42)に「新日本史」が再び不合格となると検定不合格の取り消しを求める訴訟(第2次)を提起します。1977年(昭和52)に東京教育大学定年退官後、中央大学法学部教授に就任、1984年(昭和59)に中央大学を定年退職、再び1980年代の教科書検定を対象に国家賠償請求訴訟(第3次)を提起しました。
 1989年(平成元)に第2次訴訟は東京高等裁判所差し戻し審判決で最終的に却下され、1993年(平成5)に第1次訴訟は最高裁判所判決で原告全面敗訴の2審が支持されましたが、第3次訴訟では、検定制度自体は合憲としながらも1審で1ヶ所、控訴審理で3ヶ所、上告審で4ヶ所の検定意見の違法が認められ、国側に40万円の支払いを命ずる判決が、1997年(平成9)に最高裁で出され、“一部勝訴”となって、一連の教科書裁判は終結します。これによって、当時の文部省は検定制度見直しを迫られ、簡素化を中心にした1989年(平成元)の制度の全面改定につながりました。
 古代から近代にいたる日本思想史の研究、3次にわたる教科書裁判で注目を浴びたものの、2002年(平成14)11月29日に東京において、89歳で亡くなっています。

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