
1915年(大正4)に明治神宮外苑造営のために「明治神宮奉賛会」が結成され、1917年(大正6)には、明治神宮造営局に外苑の設計・施工を依頼しました。1922年(大正11)に定礎式が行われたものの、1923年(大正12)の関東大震災により一時工事が中止され、ようやく1924年(大正13)10月25日に、竣功式が行われ、第1回明治神宮競技大会(10月30日~11月3日)が開催されています。
1930年(昭和5)に第9回極東選手権大会(5月24日~31日)が開催され、1931年(昭和6)の第六回明治神宮体育大会においては、織田幹雄(三段跳び)と南部忠平(走り幅跳び)が世界新記録を樹立しました。1934年(昭和9)に日本で初めてのアメリカンフットボールの公式試合(日本学生選抜対横浜外国人チーム)が行われ、1936年(昭和11)には、ベルリンでのIOC総会で1940年国際オリンピック大会の東京開催が決定したものの、戦争の為に中止となっています。
1937年(昭和12)に明治神宮奉賛会が解散、1940年(昭和15)に、紀元二千六百年奉祝東亜競技大会(6月5日~9日)、1943年(昭和18)には、出陣学徒壮行会(10月21日)が開催されました。太平洋戦争後の1945年(昭和20)に進駐軍により接収され、「ナイルキニック・スタジアム」と呼称され、1952年(昭和27)の接収解除後は、明治神宮が神宮外苑とあわせ宗教法人となっています。
同年に、保安隊が発足すると観閲式が行われ、大改修され、日本で初めてアンツーカー舗装が行なわれました。1954年(昭和29)にアジア大会の東京開催決定をうけ、衆議院で国立競技場建設が決議され、1956年(昭和31)には、外苑競技場惜別奉告祭(11月25日)、国立競技場起工式(12月28日)が行われます。
1957年(昭和32)に明治神宮外苑競技場が解体され、翌年には、国立競技場(国立霞ヶ丘陸上競技場)が完成(3月30日)しました。
1918年(大正7)6月1日に明治神宮外苑地鎮祭で着工されたものの、当初計画では聖徳記念絵画館、葬場殿址記念物、憲法記念館、陸上競技場の4施設のみとするものでした。1923年(大正12)の関東大震災により、造営作業は中断し、敷地を被災者に開放 救護施設を建設、翌年には計画が変更され、野球場、水泳場、相撲場も設けられることになります。
1924年(大正13)10月25日に、先行して明治神宮競技場が竣功(戦後に国立競技場として建替)、第1回明治神宮競技大会(内務省主催)が開催されました。1926年(大正15)10月22日には、絵画館、野球場、相撲場、児童遊園が完成して、外苑完成奉献式が行われます。
翌日から野球場開場記念試合として東京六大学紅白試合が行われ、その後は東京六大学リーグ戦の会場となりました。1931年(昭和6)に水泳場、1933年(昭和8)に相撲場併用バスケットボール場設備が出来、1936年(昭和11)には絵画館壁画が完成しています。
太平洋戦争末期の1945年(昭和20)の東京大空襲の際に、野球場をはじめ、苑内樹木が被災、戦後はGHQによって接収され、メイジパークとして米将兵の運動場ともなりました。1952年(昭和27)にGHQの接収が解除され、米軍施設を引き継ぎ、中央広場は軟式球場として公開されます。
1952年(昭和27)に「宗教法人法」の施行に伴い明治神宮外苑は宗教法人となりましたが、1956年(昭和31)に1964年の東京オリンピック開催のため、外苑競技場は国(文部省)に譲渡され、国立競技場に建て替えられました。その後、諸施設が設けられ、洋風庭園としても整備され、現在は面積約30万㎡で、聖徳記念絵画館、明治記念館、明治神宮野球場、明治神宮外苑アイススケート場、日本青年館などのスポーツ、文化施設があります。
絵画館前へ通ずるイチョウ並木は、東京におけるもっとも美しい街路樹の一つとされ、1982年(昭和57)には「新東京百景」にも選定されました。
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
1637年(寛永14) | 島原の乱(島原・天草一揆)が起きる(新暦12月11日) | 詳細 |
1907年(明治40) | 第1回文部省美術展覧会(通称:文展)が東京上野で開催される | 詳細 |
1909年(明治42) | 写真家土門拳の誕生日 | 詳細 |
1946年(昭和21) | GHQが「石油製品の配給に関する覚書」(SCAPIN-1294)を出す | 詳細 |
1951年(昭和26) | 戦後初の国内民間航空会社日本航空が、東京~大阪~福岡間で運航開始する(民間航空記念日) | 詳細 |
1991年(平成4) | 「再生資源の利用の促進に関する法律」(リサイクル法)が施行(公布は前年4月26日)される | 詳細 |