今日は、幕末明治維新期の1868年(慶応4)に、「暗殺禁止令」が、明治新政府より太政官布告された日ですが、新暦では2月16日となります。
「暗殺禁止令」(あんさつきんしれい)は、幕末明治維新期の1868年(慶応4年1月23日)に、明治新政府より、太政官布告された「暗殺ヲ爲スヲ嚴禁ス」のことです。幕末明治維新期には、佐幕派と尊王攘夷派の対立などにより、江戸や京都などで、多くの人々が暗殺されましたが、新政府の誕生を機に、暗殺を戒め、法によって裁くものとしたものでした。
以下に、「暗殺ヲ爲スヲ嚴禁ス」(暗殺禁止令)を掲載紙ておきますので、ご参照下さい。
以下に、「暗殺ヲ爲スヲ嚴禁ス」(暗殺禁止令)を掲載紙ておきますので、ご参照下さい。
〇「暗殺ヲ爲スヲ嚴禁ス」(暗殺禁止令)1868年2月16日(明治元年1月23日)発布
<原文>
近來於所々致暗殺候內ニ者罪狀相認死骸ニ添有之候モ不少何レモ陰惡陰謀等ヲ憤リ候而之所業ニ可有之全體不埒之者共ハ得ト吟味之上刑典ヲ以嚴重之御裁許被 仰付事ニ付太政御一新之折柄猶更御爲筋ヲ心掛公然ト可申出之處其儀無之私ニ致殺害候ハ 朝廷ヲ不憚致方ニ付右等之者有之ニ於テハ吟味之上屹度嚴刑ニ可被處候問心得違無之樣可致事
「ウィキソース」より
<現代語訳>
最近いろいろなところで起きている暗殺事件の中には、罪状を書いて死体に添えているものも多い。どれも悪業や陰謀を憤ってのことであろう。もともと悪人はきちんと調査したうえで法律をもとに裁かれるものであるし、政治が変わったのだからなおのこと道理を守り、公に訴えなければいけないというのに、それをせず自分で殺害するのは、朝廷をおそれないやりかたである。よって、そういったことを行う者は調査したうえで間違いなく厳刑に処せられるので、間違った考えを抱かないようにすること。
☆幕末に暗殺された主要な人物
・1860年(安政7年3月3日) 江戸幕府大老・井伊直弼(桜田門外の変)
・1861年(安政7年12月4日) アメリカ人通訳・ヘンリー・ヒュースケン
・1862年(文久2年1月15日) 江戸幕府老中・安藤信正負傷(坂下門外の変)
・1862年(文久2年4月8日) 土佐藩参政・吉田東洋
・1862年(文久2年7月20日) 九条家の家士・島田正辰
・1862年(文久2年7月25日) 対馬藩江戸家老・佐須伊織
・1862年(文久2年9月2日) フランス士官・カミュ(井土ヶ谷事件)
・1863年(文久2年12月22日) 壬生藩家老・鳥居志摩
・1863年(文久3年1月22日) 儒学者・池内大学
・1863年(文久3年4月13日) 清河八郎
・1863年(文久3年5月18日) 儒学者・家里新太郎
・1863年(文久3年5月20日) 尊攘派公卿・姉小路公知(朔平門外の変)
・1863年(文久3年9月18日) 新選組局長・芹沢鴨
・1864年(元治元年7月11日) 佐久間象山
・1865年(元治元年12月8日) 尊攘派公卿・中山忠光
・1866年(慶応2年5月2日) 対馬藩佐幕派の巨頭・勝井五八郎
・1867年(慶応3年9月3日) 赤松小三郎
・1867年(慶応3年11月15日) 坂本龍馬と中岡慎太郎(近江屋事件)
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
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