
以下に、「第二次日露協約」の日本語版を全文掲載しておきますので、ご参照下さい。
次に、1910年(明治43)7月4日に、第二次日露協約によって、アメリカの南満州鉄道中立案(ノックス提案)に対抗して、満州の現状維持と鉄道利益確保に関する相互協力を約します。続いて、1912年(明治45)7月8日に、第三次日露協約によって、4国借款団の満州進出や辛亥革命などに対応して、内蒙古の西部をロシアが、東部を日本がそれぞれ利益を分割することを約しました。
さらに、1916年(大正5)7月3日に、第四次日露協約によって、第一次世界大戦における日露の関係強化と第三国の中国進出を防ぎ、戦争の場合の相互援助と単独不講和を協定します。これらは、アメリカやイギリスの中国進出に対応するために、領土保全・東アジアにおける両国の権益の相互承認などを決めたものでした。
いずれも、1917年(大正6)のロシア革命後、ソビエト政府が協定を公表し、破棄しています。
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