
条約14ヵ条と貿易章程7則からなり、内容は、「日米和親条約」で既に開かれていた箱館の他、神奈川・長崎・新潟・兵庫の開港(ただし下田は鎖港)、公使(首都)・領事(開港場)の駐在、江戸・大坂の開市、開港場の外国人居留地の設定、内外貨幣の同種同量通用、アメリカ人の信教の自由、自由貿易の原則を認めましたが、領事裁判権を規定し、片務的関税協定(関税自主権の否定)など、日本側に不利な不平等条約だったのです。引き続き、幕府は同年中に、オランダ、ロシア、イギリス、フランスとも同様な修好通商条約の締結を余儀なくされました。
この条約を結ぶ際に、朝廷の許しを得なかったので朝廷と幕府の対立を激化させ、幕府の対応を非難する人々が現れるようになります。
以下に、「日米修好通商条約」の英語版、日本語版、現代語訳を掲載しておきますので、ご参照下さい。
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
1587年(天正15) | 豊臣秀吉によって、「バテレン追放令」が出される(新暦7月24日) | 詳細 |
1666年(寛文6) | 伊万里焼の陶工初代酒井田柿右衛門の命日(新暦7月20日) | 詳細 |
1877年(明治10) | 動物学者モースが列車の中から大森貝塚を発見 | 詳細 |
1909年(明治42) | 小説家太宰治の誕生日ならびに遺体の発見された日(桜桃忌) | 詳細 |
1945年(昭和20) | 翌日未明にかけて静岡大空襲が行われ、死者1,952人、負傷者5,000余人、焼失戸数26,891戸を出す | 詳細 |
福岡大空襲が行われ、死者・行方不明者1,146人、負傷者1,078人、罹災戸数12,693戸を出す | 詳細 | |
1954年(昭和29) | 名古屋テレビ塔が竣工する | 詳細 |