ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

タグ:日本鉄道

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 今日は、明治時代後期の1898年(明治31)に、日本鉄道の小高~久ノ浜が延伸開業し、現在の常磐線が全通した日です。
 常磐線(じょうばんせん)は、東北本線日暮里駅から土浦・水戸・日立・いわきを経由して、東北本線岩沼駅(宮城県)に至るJRの鉄道線です。2支線(7.3km)を含み、営業キロは350.4kmで、現在は、JR東日本の営業線となりました。
 日本鉄道が、田端~岩沼間を1895~98年(明治28~31)に開業(友部~水戸間は1889年に水戸鉄道により開業、1892年に日本鉄道に合併)して全通し、1905年(明治38)に旅客列車専用の日暮里~三河島間を建設したものの、1906年(明治39)11月1日に国有化と共に現在の名称となっています。電化は東京近郊国電区間として、1949年(昭和24)から上野~取手間で電車運転が行われ、1961~1972年(昭和36~47)に取手以北が交流電化されました。
 1987年(昭和62)の日本国有鉄道(国鉄)の分割民営化に伴い、JR東日本に所属するようになります。2011年(平成23)3月11日の東日本大震災のにより大きな被害を受けて、不通となりましたが、2020年(令和2)3月14日に、富岡~浪江間が復旧したことで、全線で運転が再開されました。
 水戸、日立、いわきなどの諸都市を連ね、東北本線と共に、関東・東北地方の表日本縦貫線の一つで、東北地方と首都圏をつなぐ重要な役割を担っています。

〇常磐線関係略年表

・1889年(明治22)1月16日 水戸鉄道の水戸~小山間が開業、現在の常磐線にあたる区間に水戸駅、内原駅が開業する
・1890年(明治23)11月26日 水戸鉄道の貨物支線 水戸~那珂川間開業。那珂川貨物取扱所(後の那珂川駅)が開業する
・1892年(明治25)3月1日 水戸鉄道全線を日本鉄道に譲渡し、水戸線となる
・1894年(明治27)1月4日 水戸線の赤塚駅が開業する
・1895年(明治28)7月1日 水戸線の友部駅が開業する
・1895年(明治28)11月4日 日本鉄道土浦線の土浦~友部間開業。土浦駅、神立駅、高浜駅、石岡駅、岩間駅が開業する
・1895年(明治28)12月1日 土浦線の羽鳥駅が開業する
・1896年(明治29)12月25日 土浦線の田端~土浦間、隅田川線 田端~隅田川間が開業、南千住駅、北千住駅、松戸駅、柏駅、我孫子駅、取手駅、藤代駅、牛久駅、荒川沖駅、隅田川駅が開業する
・1897年(明治30)2月25日 磐城線の水戸~平間が開業、佐和駅、大甕駅、下孫駅(現在の常陸多賀駅)、助川駅(現在の日立駅)、川尻駅(現在の十王駅)、高萩駅、磯原駅、関本駅(現在の大津港駅)、勿来駅、植田駅、泉駅、湯本駅、綴駅(現在の内郷駅)、平駅(現在のいわき駅)が開業する
・1897年(明治30)5月17日 土浦線の亀有駅が開業する
・1897年(明治30)8月29日 磐城線の平~久ノ浜間が開業、草野駅、四ツ倉駅、久ノ浜駅が開業する
・1897年(明治30)11月10日 磐城線の中村~岩沼間が開業、中村駅(現在の相馬駅)、新地駅、坂元駅、吉田駅(現在の浜吉田駅)、亘理駅が開業する
・1897年(明治30)12月27日 土浦線の金町駅が開業する
・1898年(明治31)1月 北千住~隅田川間が開業する
・1898年(明治31)4月1日 石神駅(現在の東海駅)が開業する
・1898年(明治31)4月3日 磐城線の原ノ町~中村間が開業、原ノ町駅、鹿島駅が開業する
・1898年(明治31)5月11日 磐城線の小高~原ノ町間開業。小高駅、高駅(現在の磐城太田駅)が開業する
・1898年(明治31)8月6日 土浦線の馬橋駅が開業する
・1898年(明治31)8月23日 磐城線の久ノ浜~小高間が開業、田端~岩沼間が全通し、広野駅、木戸駅、富岡駅、長塚駅(現在の双葉駅)、浪江駅が開業する
・1898年(明治31)12月1日 高駅を磐城太田駅に改称する
・1900年(明治33)8月14日 佐貫駅(現在の龍ケ崎市駅)が開業する
・1901年(明治34)8月8日 土浦線・水戸線友部~水戸間および貨物支線・磐城線・隅田川線を統合し海岸線と改称する
・1904年(明治37)11月22日 大野駅が開業する
・1905年(明治38)4月1日 三河島~日暮里間が開通し、現在のルートが完成、日暮里駅、三河島駅開業、上野発着列車の田端駅でのスイッチバック運転解消する
・1906年(明治39)11月1日 日本鉄道が国有化され、那珂川貨物取扱所を那珂川駅に変更する

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1180年(治承4)石橋山の戦いで、300騎の源頼朝が3,000余騎の大庭景親に敗れる(新暦9月14日)詳細
1854年(嘉永7)長崎において、「日英和親条約」が調印される(新暦10月14日)詳細
1914年(大正3)第一次世界大戦で、「日英同盟」を理由に日本がドイツに宣戦布告する詳細
1942年(昭和17)日本画家竹内栖鳳の命日詳細
1944年(昭和19)「学徒勤労令」が公布・施行される詳細
「女子挺身勤労令」が公布・施行される詳細
1975年(昭和50)中央自動車道の恵那山トンネル(当時日本最長の道路トンネル)が開通する詳細
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 今日は、明治時代後期の1899年(明治32)に、明治期最大の鉄道事故である箒川鉄橋列車転落事故が起きた日です。
 箒川鉄橋列車転落事故(ほうきがわてっきょうれっしゃてんらくじこ)は、当日17時頃に日本鉄道(現在のJR東北本線)の矢板駅~野崎駅間の箒川鉄橋から上野発福島行きの貨車客車混合第375列車が転落した事故でした。この日は台風のため朝から大雨が続き、風が強まっていました。東京の上野駅を11時に発車した福島行第375列車(機関車2両・貨車11両・客車7両編成)は、約1時間ほど遅れて17時頃に栃木県の矢板駅を発車し、箒川の鉄橋を通過しようとした時、猛烈な北西からの突風(瞬間最大風速27~28m/秒と推定)にあおられ、機関車と貨車の連結器がはずれ、増水した川の中へ転落、客車も貨車も激流の中に砕かれて押し流されます。
 この結果、死者19名、負傷者38名が確認され、一部の遺体は下流の烏山町まで流されましたが、川に押し流された行方不明の遺体もあったのではないかと言われてきました。当時は、強風の中で、軽い客車を後部に配置した編成が問題とされています。
 尚、事故後慰霊のために、箒川の左岸(野崎駅側)の東北本線の線路沿いに3つの慰霊碑が建立され、法要が行われてきました。

〇33年忌法要時建立碑の碑文 [1931年(昭和6)10月7日建立]

<碑文>
明治三十二年十月七日箒川鐡橋ニ於テ汽車顛覆即死者十九名ヲ出ス是レ未曽有ノ惨事ニシテ悲歎ヲ極ム昭和六年十月七日三十三年忌ニ相當スルヲ以テ吾等相謀リ供養大法會ヲ營ミ恭ク其霊ヲ弔フ
昭和六年十月七日  田代黒瀧誌

☆明治時代の重大鉄道事故一覧(死者1名以上)

・1877年(明治10)10月1日 東海道線西ノ宮列車正面衝突事故[死者3名(内乗員3名)] ※初めての鉄道死亡事故
・1885年(明治18)10月13日 東海道線大森駅構内列車脱線事故[死者1名、負傷者1名]
・1889年(明治22)4月11日 東海道線工事列車正面衝突事故[死者4名、負傷者7名]
・1895年(明治28)7月25日 山陽鉄道軍用列車海中転落事故[死者11名(内乗員3名)、負傷者98名]
・1897年(明治30)10月3日 東海道本線工事列車転落事故[死者9名(内乗員3名、作業員6名)、負傷者16名]
・1898年(明治31)4月8日 九州鉄道幸袋線機関車ボイラー破裂事故[死者3名(内乗員2名、駅員1名)、負傷者5名]
・1899年(明治32)10月7日 日本鉄道箒川鉄橋列車転落事故[死者19名、負傷者38名] ※明治時代最大の鉄道事故
・1900年(明治33)8月4日 東海道線山崎駅~高槻駅間列車脱線事故[死者1名、負傷者2名]
・1901年(明治34)7月13日 信越線横川駅~軽井沢駅間乗務員乗客転落事故[死者2名、負傷者2名]
・1907年(明治40)5月31日 大阪駅踏切鉄道人身障害事故[死者1名、負傷者1名]
・1908年(明治41)5月17日 九州線中原駅構内列車衝突事故[死者2名、負傷者6名]
・1908年(明治41)9月2日 東海道線蒲郡駅構内列車衝突事故[死者6名(内職員1名)、負傷者8名]
・1909年(明治42)6月12日 奥羽線赤岩信号所構内列車転覆事故[死者4名(内職員3名)、負傷者27名(内職員3名)]


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