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 今日は、平成時代の2005年(平成17)に、書家村上三島の亡くなった日です。
 村上三島(むらかみ さんとう)は、大正時代の1912年(大正元)8月25日に、愛媛県越智郡瀬戸崎村大原(現在の今治市上浦町大字甘崎)で生まれましたが、本名は正一(まさかず)と言いました。1915年(大正4)の3歳の時、両親と共に大阪府三島郡吹田町(現在の吹田市)に転居し、大阪府吹田第一小学校を経て、大阪市立泉尾工業学校応用化学科へ入学しましたが、1年生の時体操で怪我をし、股関節カリエスに罹り、約半年間入院、これが書道へのきっかけとなります。
 1927年(昭和2)の15歳の時、片山万年に師事、書道の道に入り、1931年(昭和6)に工業学校卒業後は、山中月山にも師事、漢詩・漢文を学び始めました。1932年(昭和7)に平安書道会で優等賞を受賞(以後3年連続)、1943年(昭和18)の31歳の時、大日本書道報国会近畿支部展で漢字部門最高賞(第一席)を受賞します。
 1945年(昭和20)から、辻本史邑に師事、1948年(昭和23)に日本芸術院が発足すると審査員となり、1948年(昭和23)の第1回毎日書道展には審査員として出品しました。また、この年第4回日展に書の部門が初めて設置され、「杜甫九日詩」を出品し初入選を果たします。
 翌年の第5回日展で「杜甫寄弟詩」が特選となり、1952年(昭和27)の第8回日展では、「陸放翁<暁歎>」が特選朝倉賞を受賞しました。一方、1955年(昭和30)に書道研究集団「長興会」会長、1957年(昭和32)に第9回毎日書道展運営会委員、審査部長、1958年(昭和33)に第1回訪中書道代表団参加、1960年(昭和35)に社団法人日展評議員、1961年(昭和36)には日本芸術院理事長など要職に就いています。
 さらに、1964年(昭和39)の第7回新日展で「柴静儀<秋分日憶子用濟>」が文部大臣賞、1968年(昭和43)の第10回新日展で「杜甫贈高式顔詩」が日本芸術院賞を受賞、翌年には社団法人日展理事ともなりました。1982年(昭和57)に「村上三島記念館」(愛媛県上浦町)が開館、1985年に日本芸術院会員、1988年(昭和63)に勲三等旭日中綬章、1993年(平成5)に文化功労者、1998年(平成10)には文化勲章と数々の栄誉にも輝いています。
 中国の王羲之や王鐸を研究し、独特の解釈を加えて、流麗で躍動感に富んだ独自の書風を確立、また篆書・隷書・楷書・行書・草書・かなを書き分けることのできる書家としてはもちろん、読める書「調和体」を提唱したことでも知られたものの、2005年(平成17)11月20日に、大阪府吹田市において、93歳で亡くなりました。

<代表的な書>

・「杜甫九日詩(とほきゅうじつし)」(1948年)第4回日展入選
・「杜甫寄弟詩」(1949年)第4回日展特選
・「陸放翁<暁歎>」(1952年)第8回日展特選朝倉賞受賞
・「柴静儀<秋分日憶子用濟>」(1964年)第7回新日展文部大臣賞受賞
・「杜甫贈高式顔詩(とほこうしきがんにおくるし)」(1968年)第10回新日展日本芸術院賞受賞

〇村上三島の主要な著作

・『元好問詩』
・『連綿草草枕抄 三島書』
・『書とともに』
・『三島條幅百選』
・『現代書道教室』
・『王鐸の書法』

☆村上三島関係略年表

・1912年(大正元)8月25日 愛媛県越智郡瀬戸崎村大原(現今治市上浦町大字甘崎)生まれる
・1915年(大正4)4月 3歳の時 大阪府三島郡吹田町(現吹田市)に移る
・1919年(大正8)4月 7歳の時、大阪府吹田第一小学校へ入学する
・1926年(大正15)3月 14歳の時、大阪市立泉尾工業学校応用化学科1年の時体操で怪我をし約半年の入院、これが書道へのきっかけとなる
・1927年(昭和2)8月 15歳の時、片山万年に師事、書を学び始める
・1931年(昭和6)3月 19歳の時、 大阪市立泉尾工業学校応用化学科を卒業する
・1931年(昭和6)3月 19歳の時、山中月山に師事、漢詩・漢文を学び始める
・1931年(昭和6)5月 19歳の時、京都・平安書道会に隷書作品を初出品する
・1932年(昭和7)5月 20歳の時、平安書道会で優等賞を受賞(以後3年連続)
・1940年(昭和15) 28歳の時、第1回冰心会に王鐸調の草書連綿作品を出品する
・1943年(昭和18)4月 31歳の時、大日本書道報国会近畿支部展で漢字部門最高賞(第一席)を受賞する
・1945年(昭和20)4月 33歳の時、辻本史邑に師事する
・1948年(昭和23)4月 36歳の時、日本芸術院が発足、審査員となる
・1948年(昭和23)8月 36歳の時、毎日書道展(第1回)に審査員として出品する
・1948年(昭和23)10月 36歳の時、第4回日展で「杜甫九日詩」が入選する
・1949年(昭和24)10月 37歳の時、第5回日展で「杜甫寄弟詩」が特選となる
・1952年(昭和27)10月 40歳の時、第8回日展で「陸放翁<暁歎>」が特選朝倉賞を受賞する
・1955年(昭和30) 43歳の時、書道研究集団「長興会」会長となる
・1956年(昭和31)6月 44歳の時、日展会員となる
・1957年(昭和32) 45歳の時、第9回毎日書道展運営会委員、審査部長となる
・1957年(昭和32)1月 45歳の時、第9回現代書道二十人展に出品する
・1957年(昭和32)12月 45歳の時、日中交換書道展に出品する
・1958年(昭和33)5月 46歳の時、第1回訪中書道代表団に参加、中国各地を巡る
・1960年(昭和35)6月 48歳の時、社団法人日展評議員となる
・1961年(昭和36)2月 49歳の時、日本芸術院理事長となる 
・1964年(昭和39) 52歳の時、第7回新日展において「柴静儀<秋分日憶子用濟>」が文部大臣賞を受賞する
・1965年(昭和40) 53歳の時、日本芸術院理事長を辞める
・1968年(昭和43)2月 56歳の時、第10回新日展において「杜甫贈高式顔詩」が日本芸術院賞を受賞する
・1969年(昭和44)6月 57歳の時、社団法人日展理事となる
・1971年(昭和46) 59歳の時、第23回毎日書道展総務部長となる
・1972年(昭和47) 60歳 このころ岡山美術館・良寛展の「君看雙眼色、不語似無憂」に衝撃を受ける
・1973年(昭和48)2月 社団法人日本書芸院理事長に再任される
・1977年(昭和52)3月 65歳の時、「書業五十年記念 村上三島展」愛媛県立美術館を開催する
・1979年(昭和54) 67歳の時、社団法人日本書芸院理事長を辞める
・1981年(昭和56)10月 69歳の時、中国河南省を旅行する
・1982年(昭和57)4月25日 70歳の時、村上三島記念館(愛媛県上浦町)が開館する
・1982年(昭和57)6月 70歳の時、「村上三島古稀記念書展」大阪大丸が開催される
・1982年(昭和57)10月 70歳の時、「生誕三九〇年記念王鐸書法展」、河南省博物館・大阪が開催される
・1983年(昭和58) 71歳の時、読売書法会が創立され総務に就任する
・1983年(昭和58) 71歳の時、毎日書道会を退会する
・1984年(昭和59) 72歳の時、読売書法会、総務・企画委員、審査部長、関西展実行委員長となる
・1984年(昭和59) 72歳の時、「村上三島学習王鐸書法展覧」を河南省博物館で開催する
・1985年(昭和60)11月 73歳の時、日本芸術院会員となる
・1986年(昭和61)4月 74歳の時、「日本芸術院会員就任記念 村上三島書展」を村上三島記念館で開催する
・1987年(昭和62)9月 75歳の時、「日中国交回復十五周年記念 村上三島書業六十年書法展」を上海博物館で開催する
・1988年(昭和63)11月 76歳の時、勲三等旭日中綬章を受章する
・1989年(平成元)5月 77歳の時、「書画巨匠 董寿平・村上三島展」を大阪で開催する
・1991年(平成3)6月 79歳の時、「書業六十五年記念 村上三島展」を東京・大阪で開催する
・1993年(平成5)11月 81歳の時、文化功労者となる
・1994年(平成6)6月 82歳の時、「川端文学を書く 村上三島展」を茨木市立川端康成文学館で開催する
・1994年(平成6)8月 82歳の時、「文化功労者顕彰記念 村上三島展」を大阪市立美術館で開催する
・1995年(平成7)8月 83歳の時、読売書法展に調和体部門を新設し「漱石の言葉」を出品する
・1996年(平成8)11月 84歳の時、「書業七十年記念 村上三島展」を東京で開催する
・1997年(平成9)1月 85歳の時、「書業七十年記念 村上三島展」を大阪で開催する
・1998年(平成10)11月 86歳の時、文化勲章を受章する
・2001年(平成13) 89歳の時、読売書法展最高顧問となる
・2002年(平成14)5月 90歳の時、「村上三島展」を愛媛県美術館で開催する
・2005年(平成17)11月20日 大阪府吹田市において93歳で亡くなる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

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