ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

タグ:日本考古学発祥の地

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 今日は、明治時代前期の1877年(明治10)に、エドワード・シルベスター・モースが大森貝塚の1回目の調査を実施した日です。
 大森貝塚(おおもりかいづか)は、東京都品川区・大田区にまたがる縄文時代後期~晩期の貝塚です。アメリカの動物学者エドワード・シルベスター・モースが1877年(明治10)6月19日に、横浜から東京へ向かう汽車の車窓から発見し、9月16日から第1回目の発掘が行われ、1879年(明治12)には日本初の発掘報告書が出版されました。
 この発掘は、日本初の学術的なものとして、大森貝塚は「日本考古学発祥の地」と呼ばれています。これらのことから、 1955年(昭和30)に国の史跡に指定され、1986年(昭和61)には追加指定を受けています。出土物は、各種の貝殻をはじめ、縄文式土器、土偶、石斧、石鏃、人骨片、鹿やクジラの骨などで、「東京大学総合研究資料館」に保存され、1975年(昭和50)に、一括して大森貝塚出土品として国の重要文化財の指定を受けました。
 その後、1984年(昭和59)と1993年(平成5)に、大森貝塚遺跡庭園整備などの発掘調査が行われ、住居址や土器・装身具・魚や動物の骨などが大量に見つかっています。この時の発掘資料の一部は、「品川歴史館」に展示されていますし、品川区大井六丁目と大田区山王一丁目には記念碑が建てられ、大森貝塚遺跡庭園も整備され、大森貝塚貝層断面やモース博士像もあります。

〇エドワード・シルベスター・モース(えどわーど・しるべすたー・もーす)とは?

 明治時代前期に日本に招かれたお雇い外国人の一人で、アメリカ人動物学者ですが、大森貝塚を発掘し、日本の人類学、考古学の基礎をつくったことで知られています。1838年(天保9)6月18日に、アメリカ合衆国メイン州ポートランドで生まれ、ハーバード大学のJ.L.R.アガシの助手として動物学を学び、腕足類の研究に携わりました。
 1867年(慶応3)から、ピーボディ科学アカデミーの所員として研究を続け、1871年(明治4)から3年ほどボードウィン大学教授として教鞭をとったのです。1877年(明治10)6月18日に、39歳で腕足類研究のため来日し、翌日横浜から東京へ向かう汽車の車窓から大森貝塚を発見しました。
 その後、請われて東京大学理学部動物学生理学教授に就任、大森貝塚の発掘、近代動物学とダーウィンの進化論の紹介に努め、教育施設の充実のためにも活躍したのです。そして、1879年(明治12)に東京大学を退職し、9月3日に離日しました。
 1882年(明治15)に44歳で再来日し、日本陶器の収集に専念、日本各地で収集した陶器はモース・コレクションとしてボストン美術館に収蔵されています。帰国後はピーボディー博物館長、同名誉館長を務めましたが、1925年(大正14)12月20日に、アメリカ合衆国マサチューセッツ州セイラムにおいて、87歳で死去しました。
 日本に関する主な著書としては、『大森貝墟古物編』(1879年)、『日本のすまい・内と外』(1885年)、『モース日本陶器コレクション』(1901年)、『日本その日その日』(1917年)があります。

☆エドワード・S・モース関係略年表

・1838年6月18日 アメリカ合衆国メーン州ポートランドで生まれる
・1859年11月 ハーバード大学ルイ・アガシー (Louis Agassiz) 教授の学生助手となる
・1861年 ハーバード大学ルイ・アガシー (Louis Agassiz) 教授の学生助手を辞める
・1863年6月18日 エレン(Elen Elizabeth Owen)と結婚する
・1867年3月 モースを含むアガシーの弟子4人で「American naturalist」を創刊する
・1867年5月 アガシー門下とピーボディー科学アカデミー(現Peabody Museum of Salem)を創設し、学芸員(軟体動物担当)となる。(~
・1870年 学芸員(軟体動物担当)を辞める
・1871年 ボードイン大学教授となる
・1872年 ハーバード大学で講義を担当する
・1873年 ハーバード大学で講義を辞める
・1874年 ボードイン大学教授を辞める
・1876年 アメリカ科学振興協会(AAAS)副会長となる
・1877年(明治10)6月18日 第1回来日を果たす
・1877年(明治10)6月19日 汽車で横浜から東京へ移動の途中、大森付近で貝塚を発見する
・1877年(明治10)7月12日 東京大学教授(初代動物学教授)となる(2年間の契約で月俸は350円)
・1877年(明治10)9月12日 東京大学で最初の講義を行う
・1877年(明治10)9月16日 「大森貝塚」の発掘調査を開始する(1878年3月の発掘終了まで3次にわたり実施)
・1877年(明治10)11月 離日する
・1878年(明治11)4月 第2回来日を果たす
・1878年秋 日本陶器の収集を始め、蜷川式胤に師事する
・1879年1月5日 東京大学生物学会で「大森貝塚人食人説」を述べる
・1879年3月~4月 東大で「動物変遷論」連続9講を講義する
・1879年秋 "Shell mounds of Omori" を出版する(翻訳の「大森介墟古物編」は1879年末頃に出版)
・1879年(明治12)9月3日 東京大学を退職し、離日する
・1880年7月3日 ピーボディー科学アカデミー館長となる
・1882(明治15)6月 第3回来日を果たす
・1883(明治16)2月 離日する
・1886年(明治19) "Japanese homes and their surroundings" を出版。AAAS会長に選出される
・1887,88,89年 渡欧し、ヨーロッパに流出した日本陶器の研究と収集を行う
・1890年 収集した日本陶器コレクションをボストン美術館に売却。同館の日本陶器管理人を兼ねる
・1901年(明治34) "Catalogue of the Morse Collection of Japanese pottery" を出版する
・1902年(明治35) "Observations on living Brachiopoda" を発表する
・1917年(大正6) モース滞日中の記録 "Japan day by day" を出版する
・1923年(大正12) 関東大震災で東大図書館の壊滅を知り、遺言で全蔵書を東大に寄贈する
・1925年12月20日 アメリカ合衆国マサチューセッツ州セイラムにおいて、87歳で死去する

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1086年(応徳3)藤原通俊が『後拾遺和歌集』を完成し、奏上する(新暦10月26日)詳細
1789年(寛政元)江戸幕府が旗本・御家人救済の為の「棄捐令」を発布する(新暦11月3日)詳細
1793年(寛政5)武士・画家渡辺崋山の誕生日(新暦10月20日)詳細
1890年(明治23)和歌山県串本沖でオスマン帝国の軍艦エルトゥールル号遭難事件が起こる詳細
1927年(昭和2)野田醤油労働組合が全員参加無期限ストライキに突入する(第2次野田醤油労働争議)詳細
1948年(昭和23)アイオン台風が関東・東北に襲来し、死者・行方不明者838人を出す詳細
1961年(昭和36)第2室戸台風が近畿地方に上陸し、死者行方不明202人を出す詳細
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 今日は、明治時代前期の1877年(明治10)に、動物学者エドワード・S・モースが列車の中から大森貝塚を発見した日です。
 大森貝塚(おおもりかいづか)は、東京都品川区・大田区にまたがる縄文時代後期~晩期の貝塚でした。アメリカの動物学者エドワード・S・モースが1877年(明治10)、横浜から東京へ向かう汽車の車窓から発見し、発掘が行われ、1879年(明治12)には日本初の発掘報告書が出版されています。
 この発掘は、日本初の学術的なものとして、大森貝塚は「日本考古学発祥の地」と呼ばれてきました。これらのことから、 1955年(昭和30)に国の史跡に指定され、1986年(昭和61)には追加指定を受けています。
 出土物は、各種の貝殻をはじめ、縄文式土器、土偶、石斧、石鏃、人骨片、鹿やクジラの骨などで、「東京大学総合研究資料館」に保存され、1975年(昭和50)に、一括して大森貝塚出土品として国の重要文化財の指定を受けました。その後、1984年(昭和59)と1993年(平成5)に、大森貝塚遺跡庭園整備などの発掘調査が行われ、住居址や土器・装身具・魚や動物の骨などが大量に見つかっています。この時の発掘資料の一部は、「品川歴史館」に展示されていますし、品川区大井六丁目と大田区山王一丁目には記念碑が建てられ、大森貝塚遺跡庭園も整備され、大森貝塚貝層断面やモース博士像も造られました。

〇エドワード・S・モース(エドワード・シルベスター・モース)とは?

 明治時代前期に日本に招かれたお雇い外国人の一人で、アメリカ人動物学者ですが、大森貝塚を発掘し、日本の人類学、考古学の基礎をつくったことで知られています。1838年(天保9)6月18日に、アメリカ合衆国メイン州ポートランドで生まれ、ハーバード大学のJ.L.R.アガシの助手として動物学を学び、腕足類の研究に携わりました。
 1867年(慶応3)から、ピーボディ科学アカデミーの所員として研究を続け、1871年(明治4)から3年ほどボードウィン大学教授として教鞭をとります。1877年(明治10)6月18日に、39歳で腕足類研究のため来日し、翌日横浜から東京へ向かう汽車の車窓から大森貝塚を発見しました。
 その後、請われて東京大学理学部動物学生理学教授に就任、大森貝塚の発掘、近代動物学とダーウィンの進化論の紹介に努め、教育施設の充実のためにも活躍します。そして、1879年(明治12)に東京大学を退職し、9月3日に離日しました。
 1882年(明治15)に44歳で再来日し、日本陶器の収集に専念、日本各地で収集した陶器はモース・コレクションとしてボストン美術館に収蔵されています。帰国後はピーボディー博物館長、同名誉館長を務めましたが、1925年(大正14)12月20日に、アメリカ合衆国マサチューセッツ州セイラムにおいて、87歳で死去しました。
 日本に関する主な著書としては、『大森貝墟古物編』(1879年)、『日本のすまい・内と外』(1885年)、『モース日本陶器コレクション』(1901年)、『日本その日その日』(1917年)があります。

☆エドワード・S・モース関係略年表

・1838年6月18日 アメリカ合衆国メーン州ポートランドで生まれる
・1859年11月 ハーバード大学ルイ・アガシー (Louis Agassiz) 教授の学生助手となる
・1861年 ハーバード大学ルイ・アガシー (Louis Agassiz) 教授の学生助手を辞める
・1863年6月18日 エレン(Elen Elizabeth Owen)と結婚する
・1867年3月 モースを含むアガシーの弟子4人で「American naturalist」を創刊する
・1867年5月 アガシー門下とピーボディー科学アカデミー(現Peabody Museum of Salem)を創設し、学芸員(軟体動物担当)となる。(~
・1870年 学芸員(軟体動物担当)を辞める
・1871年 ボードイン大学教授となる
・1872年 ハーバード大学で講義を担当する
・1873年 ハーバード大学で講義を辞める
・1874年 ボードイン大学教授を辞める
・1876年 アメリカ科学振興協会(AAAS)副会長となる
・1877年(明治10)6月18日 第1回来日を果たす
・1877年(明治10)6月19日 汽車で横浜から東京へ移動の途中、大森付近で貝塚を発見する
・1877年(明治10)7月12日 東京大学教授(初代動物学教授)となる(2年間の契約で月俸は350円)
・1877年(明治10)9月12日 東京大学で最初の講義を行う
・1877年(明治10)9月16日 「大森貝塚」の発掘調査を開始する(1878年3月の発掘終了まで3次にわたり実施)
・1877年(明治10)11月 離日する
・1878年(明治11)4月 第2回来日を果たす
・1878年秋 日本陶器の収集を始め、蜷川式胤に師事する
・1879年1月5日 東京大学生物学会で「大森貝塚人食人説」を述べる
・1879年3月~4月 東大で「動物変遷論」連続9講を講義する
・1879年秋 "Shell mounds of Omori" を出版する(翻訳の「大森介墟古物編」は1879年末頃に出版)
・1879年(明治12)9月3日 東京大学を退職し、離日する
・1880年7月3日 ピーボディー科学アカデミー館長となる
・1882(明治15)6月 第3回来日を果たす
・1883(明治16)2月 離日する
・1886年(明治19) "Japanese homes and their surroundings" を出版。AAAS会長に選出される
・1887,88,89年 渡欧し、ヨーロッパに流出した日本陶器の研究と収集を行う
・1890年 収集した日本陶器コレクションをボストン美術館に売却。同館の日本陶器管理人を兼ねる
・1901年(明治34) "Catalogue of the Morse Collection of Japanese pottery" を出版する
・1902年(明治35) "Observations on living Brachiopoda" を発表する
・1917年(大正6) モース滞日中の記録 "Japan day by day" を出版する
・1923年(大正12) 関東大震災で東大図書館の壊滅を知り、遺言で全蔵書を東大に寄贈する
・1925年12月20日 アメリカ合衆国マサチューセッツ州セイラムにおいて、87歳で死去する

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1587年(天正15)豊臣秀吉によって、「バテレン追放令」が出される(新暦7月24日)詳細
1666年(寛文6)伊万里焼の陶工初代酒井田柿右衛門の命日(新暦7月20日)詳細
1909年(明治42)小説家太宰治の誕生日ならびに遺体の発見された日(桜桃忌)詳細
1945年(昭和20)翌日未明にかけて静岡大空襲が行われ、死者1,952人、負傷者5,000余人、焼失戸数26,891戸を出す詳細
1954年(昭和29)名古屋テレビ塔が竣工する詳細
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