ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

タグ:日本物理学会会長

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 今日は、平成時代の2019年(平成31)に、物理学者米沢富美子が亡くなった日です。
 米沢富美子(よねざわ ふみこ)は、昭和時代前期の1938年(昭和13)10月19日に、大阪府吹田市において、奥家に生まれましたが、5歳の時に父親がニューギニアで戦死しました。母の影響で数学に目覚め、1948年(昭和23)の小学校5年生の時、知能テストでIQ175と判明、1950年(昭和25)の小学校卒業に際して、成績優秀につき、大阪府知事賞を受けています。
 中学時代は数学部に所属し、高校課程の数学の多くを修得、1957年(昭和32)に大阪府立茨木高等学校を卒業後、京都大学理学部物理学科へ進学しました。1961年(昭和36)に卒業後、同大学大学院理学研究科物理学専攻に進学し、松原武生の指導を受け、山一證券に勤務していた米沢允晴と結婚します。
 1963年(昭和38)に夫がロンドン単身赴任、それを追いかけて渡英し、京都大学博士課程1年在学のまま、キール大学大学院に留学、ロイ・マクウィーニ(Roy McWeeny)に師事しました。1964年(昭和39)に英国留学を終えて日本に帰国し、博士課程2年に復学、1966年(昭和41)に京都大学大学院理学研究科物理学専攻博士課程修了し、理学博士となり、京都大学基礎物理学研究所助手となり、コヒーレントポテンシャル近似(CPA)に関する理論を発表します。
 1972年(昭和47)に夫のニューヨーク転勤に伴って渡米し、イェシヴァ大学客員研究員となり、1974年(昭和49)には、ニューヨーク市立大学大学院センター客員研究員となりました。1975年(昭和50)に日本に帰国し、翌年には、京都大学基礎物理学研究所助教授となり、手島工学研究賞を受賞しています。
 1981年(昭和56)に新設された慶應義塾大学理工学部に助教授として招聘され、1983年(昭和58)には教授に昇任しました。1984年(昭和59)に「非結晶物質基礎物性の理論的研究」で第4回猿橋賞を受賞しましたが、乳癌の宣告を受け、1996年(平成8)には夫・允晴が病死しています。
 同年に、女性として初の日本物理学会会長(~1997年)となり、エイボン女性大賞を受賞しました。1998年(平成10)に大佛次郎賞選考委員(~2000年)、2000年(平成12)には、日本学術会議第18期会員(~2003年)となります。
 2001年(平成13)に「複雑系・不規則系の基礎理論を確立、日本物理学会長を勤めるなど物理学研究に貢献」で第6回日本女性科学者の会・功労賞、2002年(平成14)には、福澤賞を受賞しました。2004年(平成16)に慶應義塾大学を定年退職し、名誉教授となり、2005年(平成17)には、ロレアル-ユネスコ女性科学賞、内閣総理大臣賞、大阪府知事賞、吹田市長賞を受賞します。
 2008年(平成20)に朝日賞選考委員(~2012年)となったものの、2018年(平成30)に脳梗塞で倒れ、一時は回復しましたが、2019年(平成31)1月17日に、東京都内の自宅において、心不全のため亡くなりました。尚、日本物理学会はその功績をたたえて、米沢富美子記念賞を設立しています。

〇米沢富美子の主要な著作

・『ブラウン運動』(1986年)
・『アモルファスな話』(1988年)
・『ランダムな構造に秩序をみる』(1990年)
・『人生は夢へのチャレンジ 女性科学者として』(1991年)
・『複雑さを科学する』(1995
・『科学する楽しさ 21世紀へのチャレンジ』(1996年)
・『科学の世界にあそぶ』オーム社 (1996年)
・『心が空を駆ける』(2000
・『真理への旅人たち 物理学の20世紀』(2003年)
・『人物で語る物理入門(上、下)』(2005~06年)
・『〈あいまいさ〉を科学する』(2007年)
・『猿橋勝子という生き方』(2009年)
・『まず歩きだそう 女性物理学者として生きる』(2009年)
・『朗朗介護』(2011年)
・『金属-非金属転移の物理』(2012年)
・『人生は、楽しんだ者が勝ちだ』(2014年)
・『不規則系の物理 コヒーレント・ポテンシャル近似とその周辺』(2015年)

☆米沢富美子関係略年表

・1938年(昭和13)10月19日 大阪府吹田市において、奥家に生まれる
・1943年(昭和18) 5歳の時に、元証券マンの父親がニューギニアで戦死する
・1948年(昭和23) 小学校5年生の時、知能テストでIQ175と判明する
・1950年(昭和25) 小学校卒業に際して、成績優秀につき、大阪府知事賞を受ける
・1957年(昭和32) 大阪府立茨木高等学校を卒業し、京都大学理学部物理学科へ進学する
・1961年(昭和36) 京都大学理学部物理学科卒業後、大学院理学研究科物理学専攻に進学し、松原武生の指導を受け、結婚する
・1963年(昭和38) 夫がロンドン単身赴任、それを追いかけて渡英し、京都大学博士課程1年在学のまま、キール大学大学院に留学、ロイ・マクウィーニ(Roy McWeeny)に師事する
・1964年(昭和39) 英国留学を終えて日本に帰国し、博士課程2年に復学する
・1966年(昭和41) 京都大学大学院理学研究科物理学専攻博士課程修了し、理学博士となり、京都大学基礎物理学研究所助手となり、コヒーレントポテンシャル近似(CPA)に関する理論を発表する
・1972年(昭和47) 夫のニューヨーク転勤に伴って渡米し、イェシヴァ大学客員研究員となる
・1974年(昭和49) ニューヨーク市立大学大学院センター客員研究員となる
・1975年(昭和50) 日本に帰国する
・1976年(昭和51) 京都大学基礎物理学研究所助教授となり、手島工学研究賞を受賞する
・1981年(昭和56) 新設された慶應義塾大学理工学部に助教授として招聘される
・1983年(昭和58) 慶應義塾大学理工学部教授となる
・1984年(昭和59) 「非結晶物質基礎物性の理論的研究」で第4回猿橋賞を受賞、乳癌の宣告を受ける
・1996年(平成8) 夫・允晴が病死、女性として初の日本物理学会会長(~1997年)となり、エイボン女性大賞を受賞する
・1998年(平成10) 大佛次郎賞選考委員(~2000年)となる
・2000年(平成12) 日本学術会議第18期会員(~2003年)となる
・2001年(平成13) 「複雑系・不規則系の基礎理論を確立、日本物理学会長を勤めるなど物理学研究に貢献」で第6回日本女性科学者の会・功労賞を受賞する
・2002年(平成14) 福澤賞を受賞する
・2004年(平成16) 慶應義塾大学を定年退職し、名誉教授となる
・2005年(平成17) ロレアル-ユネスコ女性科学賞、内閣総理大臣賞、大阪府知事賞、吹田市長賞を受賞する
・2008年(平成20) 朝日賞選考委員(~2012年)となる
・2018年(平成30) 脳梗塞で倒れるが、一時は回復する
・2019年(平成31)1月17日 東京都内の自宅において、心不全のため亡くなり、日本物理学会米沢富美子記念賞が設立される

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1874年(明治7)民撰議院設立建白書が出される詳細
1885年(明治18)思想家・作家・ジャーナリスト・社会運動家大杉栄の誕生日詳細
1943年(昭和18)戦費捻出目的でたばこが大幅値上げ(金鵄10銭→15銭、ひかり18銭→30銭、朝日25銭→45銭)される詳細
1944年(昭和19)「緊急国民勤労動員方策要綱」が閣議決定される詳細
1995年(平成7)兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)が起き、死者・行方不明者 6,437人を出す詳細
2017年(平成29)発生生物学者・生物科学の権威岡田節人の命日詳細
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 今日は、大正時代の1914年(大正3)に、物理学者(流体力学)今井功の生まれた日です。
 今井功(いまい いさお)は、中国関東州大連において、生まれましたが、兵庫県神戸市で育ち、幼少時より学業に秀で、第一神戸中学校、旧制第一高等学校を経て、東京帝国大学理学部物理学科に進みました。寺沢寛一教授に師事し、1936年(昭和11)に卒業後、大阪帝国大学理学部の友近晋研究室の助手となり、流体力学の研究に従事することになります。
 1938年(昭和13)に東京帝国大学に戻って、理学部講師となり、1942年(昭和17)には、助教授に昇任しました。1943年(昭和18)に、論文『一般ジュコフスキー (Joukowski) 翼型の周りの圧縮性流体の流れに就て(英文)』で、理学博士を取得、1950年(昭和25)には、教授(1975年3月まで)に昇任します。
 流体の流れる早さが音速に近い亜音速流、あるいは部分的に音速をこえる遷音速流について理論的に研究し、複素関数論などを駆使して世界的な成果を上げて、1951年(昭和26)に朝日文化賞、1959年(昭和34)には、日本学士院賞、恩賜賞を受賞し、日本物理学会会長(~1960年)となりました。1963年(昭和38)に再度、日本物理学会会長(~1964年)となり、1967年(昭和42)に『統計力学』、1970年(昭和45)に『流体力学』を岩波書店より刊行します。
 1975年(昭和50)に東京大学を定年退官し、東京大学名誉教授となり、大阪大学教授となりました。1978年(昭和53)に大阪大学教授を定年退官し、工学院大学教授となり、国際純粋応用物理学連合(IUPAP)副会長(~1984年)ともなります。
 1979年(昭和54)に文化功労者となり、1981年(昭和56)に『流体力学と複素解析』(日本評論社)、1982年(昭和57)には、『応用超関数論』(サイエンス社)を刊行しました。1984年(昭和59) 国際理論応用力学連合(IUTAM)理事(~1992年)となり、1987年(昭和62)には、工学院大学を退職して名誉教授、工学院大学顧問となります。
 1988年(昭和63)に文化勲章を受章、1990年(平成2)に『電磁気学を考える』を岩波書店より刊行、1992年(平成4)には、勲一等瑞宝章を受章しました。1994年(平成6)には、日本学士院会員となったものの、2004年(平成16)10月24日に、東京において、90歳で亡くなっています。

〇今井功の主要な著作

・『統計力学』(1967年)
・『流体力学』(1970年)
・『等角写像とその応用』(1979年)
・『流体力学と複素解析』(1981年)
・『応用超関数論』(1982年)
・『電磁気学を考える』(1990年)
・『古典物理の数理』(2003年)
・『新感覚物理入門』(2003年)

☆今井功関係略年表

・1914年(大正3年)10月7日 中国関東州大連において、生まれる
・1933年(昭和8) 第一高等学校を卒業し、東京帝国大学理学部物理学科に入学する
・1936年(昭和11) 東京帝国大学理学部物理学科卒業後、大阪帝国大学理学部助手となる
・1938年(昭和13) 東京帝国大学理学部講師となる
・1942年(昭和17) 東京帝国大学助教授(理学部勤務)となる
・1943年(昭和18) 論文『一般ジュコフスキー (Joukowski) 翼型の周りの圧縮性流体の流れに就て(英文)』で、理学博士を取得する
・1950年(昭和25) 東京大学教授(~1975年)となる
・1951年(昭和26) 朝日文化賞 (1950年度)を受賞する
・1959年(昭和34) 日本学士院賞、恩賜賞を受賞、日本物理学会会長(~1960年)となる
・1963年(昭和38) 再度、日本物理学会会長(~1964年)となる
・1967年(昭和42) 『統計力学』が岩波書店より刊行される
・1970年(昭和45) 『流体力学』が岩波書店より刊行される
・1975年(昭和50) 東京大学を定年退官し、東京大学名誉教授となり、大阪大学教授(~1978年)となる
・1978年(昭和53) 大阪大学教授を定年退官し、工学院大学教授(~1987年)となり、国際純粋応用物理学連合(IUPAP)副会長(~1984年)ともなる
・1979年(昭和54) 文化功労者となる
・1981年(昭和56) 『流体力学と複素解析』が日本評論社より刊行される
・1982年(昭和57) 『応用超関数論』がサイエンス社より刊行される
・1984年(昭和59) 国際理論応用力学連合(IUTAM)理事(~1992年)となる
・1987年(昭和62) 工学院大学名誉教授、工学院大学顧問となる
・1988年(昭和63) 文化勲章を受章する
・1990年(平成2) 『電磁気学を考える』が岩波書店より刊行される
・1992年(平成4) 勲一等瑞宝章を受章する
・1994年(平成6) 日本学士院会員となる
・2004年(平成16)10月24日 東京において、90歳で亡くなる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

715年(霊亀元)元正天皇が「陸田での麦・粟を奨励する詔」を出す(新暦11月7日)詳細
1859年(安政6)安政の大獄で、橋下佐内、頼三樹三郎、飯泉喜内が斬首される(新暦11月1日)詳細
1899年(明治32)箒川鉄橋列車転落事故が起き、死者19人、負傷者38人が出る詳細
1948年(昭和23)芦田均内閣が「昭和電工事件」によって、総辞職に追い込まれる詳細
1949年(昭和24)弁護士・政治家斎藤隆夫の命日詳細
1986年(昭和61)小説家石坂洋二郎の命日詳細
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