ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

タグ:日本海軍

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 今日は、大正時代の1923年(大正12)に、「ワシントン海軍軍縮条約」に基づき、日本海軍の戦艦「三笠」「薩摩」「安芸」「香取」「鹿島」、巡洋戦艦「生駒」「鞍馬」「伊吹」が除籍された日です。
 「ワシントン海軍軍縮条約(わしんとんかいぐんぐんしゅくじょうやく)」は、第一次世界大戦後のワシントン会議(アメリカ合衆国のワシントンD.C.で、1921年11月12日~翌年2月6日まで開催)で、最終日に締結された、史上最初の軍備制限条約で、正式には、「海軍軍備制限に関する条約」と言いました。日本・イギリス・アメリカ・フランス・イタリアが調印しましたが、主力艦(戦艦)建造を10年間停止し、保有比率を英・米各5、日3、仏・伊各1.67と定め、日本の保有量は31.5万トン、航空母艦も同様に制限されます。
 例外として、艦齢20年以上の艦を退役させる代替としてのみ建造を許されたものの、いかなる新造艦も、主砲口径は16インチ(406mm)以下、排水量は35,000トン以下に制限されました。日本は同年8月5日に批准しましたが、6割比率に対する海軍部内の反発は強く、1930年(昭和5)のロンドン海軍軍縮会議で 1936年(昭和11)まで延長されたものの、日本は1934年(昭和9)に単独廃棄しています。
 以下に、「海軍軍備制限に關する條約」(ワシントン海軍軍縮条約)の抄文を掲載しておきますので、ご参照下さい。

〇「海軍軍備制限に關する條約」(抄文) 1922年(大正11)2月6日締結 8月5日批准 

亜米利加合衆国、英帝国、仏蘭西国、伊太利国及日本国ハ 一般ノ平和ノ維持ニ貢獻シ且軍備競争ノ負担ヲ軽減セムコトヲ望ミ 右目的ヲ達成スル為各自ノ海軍軍備ヲ制限スルノ条約ヲ締結スルコトニ決シ之カ為左ノ如ク其全権委員ヲ任命セリ 

亜米利加合衆国大統領 

合衆国人民「チァールス、エヴァンス、ヒューズ」 同    「ヘンリー、カボット、ロッジ」 同    「オスカー、ダブリュー、アンダウッド」 同    「エリヒュー、ルート」 

大不列顚愛蘭合王国及大不列顚海外領土皇帝印度皇帝陛下 

枢密委員議長国会議員「アーサー、ジェームス、バルフォア」 海軍大臣男爵「リー、オヴ、フェアラム」 亜米利加合衆国駐箚特命全権大使「サー、オークランド、キァンブル、ゲデス」 

加奈陀 

「ロバート、レアド、ボーデン」 

濠太利連邦 

内務大臣上院議員「ジョージ、フォスター、ピアス」 

新西蘭 

新西蘭最高法院判事「サー、ジョン、ウィリアム、サルモンド」 

南阿弗利加連邦 

国会議員「アーサー、ジェームス、バルフォア」 

印度 

印度参議院議員「ヴァリングマン、サンカラナラヤナ、スリニヴァサ、サストリ」 

仏蘭西共和国大統領 

植民大臣下院議院「アルベール、サロー」 亜米利加合衆国駐箚特命全権大使「ジュール、ジー、ジュスラン」 

伊太利亜国皇帝陛下 

参議院議員「カルロ、シァンツェル」 亜米利加合衆国駐箚特命全権大使「ヴィットリオ、ロランディ、リッチ」 参議院議員「ルイジ・アルベルチィニ」 

日本国皇帝陛下 

海軍大臣男爵加藤友三郞 亜米利加合衆国駐箚特命全権大使幣原善重郞 外務次官埴原正直 

右各委員ハ互ニ其ノ全権委任状ヲ示シ之カ良好妥当ナルヲ認メタル後左ノ如ク協定セリ 

第一章
海軍軍備ノ制限ニ関スル一般規定

第一条 
締約国ハ本条約ノ規定ニ従ヒ各自ノ海軍軍備ヲ制限スヘキコトヲ約定ス 

第二条 
締約国ハ第二章第一節ニ軽視せクル主力艦ヲ各自保有スルコトヲ得本条約実施ノ上ハ合衆国、英帝国及日本国ノ既成又ハ建造中ノ他ノ一切ノ主力艦ハ第二章第二節ノ規定ニ従ヒ之ヲ処分スヘシ但シ本条中ノ左ノ諸規定ヲ留保ス 合衆国ハ第二章第一節ニ掲クル主力艦ノ外現ニ建造中ノ「ウェストー、ヴァージーニア」級二隻ヲ完成シ之ヲ保有スルコトヲ得右二隻完成ノ上ハ「ノース、ダコータ」及「デラウェーア」ハ第二章第二節ノ規定ニ従ヒ之ヲ処分スヘシ 英帝国ハ第二章第三節ノ第換表ニ従ヒ基準排水量各三萬五千噸(三萬五千五百六十「メートル」式噸)ヲ超エサル新主力艦二隻ヲ建造スルコトヲ得右二隻完成ノ上ハ「サンダラー」、「キング、ジョージ」五世、「エージァックス」及「センチューリオン」ハ第二章第二節ノ規定ニ従ヒ之ヲ処分スヘシ 


第三条 
第二条ノ規定ヲ留保シ締約国ハ各自ノ主力艦建造計画ヲ廃止スヘク又締約国ハ第二章第三節ニ掲クル所ニ従ヒ建造シ又ハ取得スルコトヲ得ヘキ代換噸数以外ニ新主力艦ヲ建造シ又ハ取得スルコトヲ得ス 
第二章第三節ニ従ヒ代換セラレタル軍艦ハ同章第二節ノ規定ニ従ヒ之ヲ処分スヘシ 

第四条 
各締約国ノ主力艦合計代換噸数ハ基準排水量ニ於テ合衆国五十二万五千噸(五十三万三千四百「メートル」式噸)、英帝国 五十二万五千噸(五十三万三千四百「メートル」式噸)、仏蘭西国十七五千噸(十七萬七千八百「メートル」式噸)、伊太利国十七万五千噸(十七万七千八百「メートル」式噸)日本国三十一万五千噸「三十二万四十「メートル」式噸」ヲ超ユルコトヲ得ス 

第五条 
基準排水量三万五千噸(三萬五千五百六十「メートル」式噸)ヲ超ユル主力艦ハ何レノ締約国モ之ヲ取得シ又ハ之ヲ建造シ、建造セシメ若ハ其ノ法域内ニ於テ之カ建造ヲ許スコトヲ得ス 

第六条 
何レノ締約国ノ主力艦モ口径十六吋(四百六「ミリメートル」)ヲ超ユル砲ヲ裝備スルコトヲ得ス 

第七条 
各締約国ノ航空母艦合計噸数ハ基準排水量ニ於テ合衆国十三万五千噸(十三万七千百六十「メートル」式噸)、英帝国十三万五千噸(十三万七千百六十「メートル」式噸)、仏蘭西国六万噸(六万九百六十「メートル」式噸)、伊太利国六万噸(六万九百六十「メートル」式噸)日本国八万一千噸(八万二千二百九十六「メートル」式噸)ヲ超ユルコトヲ得ス 

第八条 
航空母艦ノ代換ハ第二章第三節ノ規定ニ従フノ外之ヲ行フコトヲ得ス但シ千九百二十一年十一月十二日ニ現存シ又ハ建設中ノ一切ノ航空母艦ハ之ヲ試験的ノモノト看做スヘク且其ノ艦齡ノ如何ニ拘ラス第七条ニ規定スル合計噸数ノ範囲內ニ於テ之ヲ代換スルコトヲ得 

第九条 
基準排水量二万七千噸(二万七千四百三十二「メートル」式噸)ヲ超ユル航空母艦ハ何レノ締約国モ之ヲ取得シ又ハ之ヲ建造シ、建造セシメ若ハ其ノ法域內ニ於テ之カ建造ヲ許スコトヲ得ス 
尤モ各締約国ハ其ノ航空母艦ノ割当合計噸数ヲ超エサル限リ基準排水量各三万三千噸(三万三千五百二十八「メートル」式噸)ヲ超エサル航空母艦二隻以內ヲ建造スルコトヲ得ヘク又経費節約ノ為各締約国ハ第二条ノ規定ニ依リ廃棄スヘキ規制又ハ建造中ノ主力艦中ノ二隻ヲ右目的ニ利用スルコトヲ得基準排水量二万七千噸(二万七千四百三十二「メートル」式噸)ヲ超ユル航空母艦ノ武裝ハ第十条ノ規定ニ準拠スヘシ但シ備砲中ニ口径六吋(百五十二「ミリメートル」)ヲ超ユルモノアルトキハ航空機防禦砲及口径五吋(百二十七「ミリメートル」)以下ノ砲ヲ除クノ外備砲ノ数ハ合計八問ヲ超ユルコトヲ得ス 

第十条 
何レノ締約国ノ航空母艦モ口径八吋(二百三「ミリメートル」)ヲ超ユル砲ヲ裝備スルコトヲ得ス備砲中二口径六吋(百五十二「ミリメートル」)ヲ超ユルモノアルトキハ航空機防禦砲及口径五吋(百二十七「ミリメートル」)以下ノ砲ヲ除クノ外備砲ノ数ハ合計十問ヲ超ユルコトヲ得ス但シ第九条ノ規定ノ適用ヲ妨クルコトナシ又備砲中ニ口径六吋(百五十二「ミリメートル」)ヲ超ユルモノナキトキハ砲ノ数ハ制限セラルルコトナシ右何レノ場合ニ於テモ航空機防禦砲及口径五吋(百二十七「ミリメートル」)ヲ超エサル砲ノ数ハ制限セラルルコトナシ 

第十一条 
主力艦又ハ航空母艦以外ノ軍艦ニシテ基準排水量一万噸(一万百六十「メートル」式噸)ヲ超ユルモノハ何レノ締約国モ之ヲ取得シ又ハ之ヲ建造シ、建造セシメ若ハ其ノ法域內ニ於テ之カ建造ヲ許スコトヲ得ス特ニ戰鬪用艦船トシテ建造セラレタルモノニ非サル船舶ニシテ艦隊用務又ハ軍隊輸送ノ為其ノ他戰鬪用船舶トシテ為ス以外ニ於テ敵對行為ノ遂行ヲ幇助スル為使用セラルルモノハ本条ノ制限ヲ受ケサルモノトス 

第十二条 
將來起工セラルヘキ何レノ締約国ノ軍艦モ主力艦ヲ除クノ外口径八吋(二百三「ミリメートル」)ヲ超ユル砲ヲ裝備スルコトヲ得ス 

第十三条 
第九条ニ規定スル場合ヲ除クノ外本条約中ニ廃棄スヘキモノトシテ指定セラレタル軍艦ハ再ヒ之ヲ軍艦ニ変更スルコトヲ得ス 

第十四条 
商船ハ軍艦ニ変更スルノ目的ヲ以テ平時之ニ武裝ヲ施スノ準備ヲ為スコトヲ得ス但シ口径六吋(百五十二「ミリメートル」)ヲ超エサル砲ヲ裝備スル為必要ナル甲板ノ補強設備ハ之ノ限ニ在ラス 

第十五条
何レノ締約国ノ法域內ニ於テ非締約国ノ為ニ建造スル軍艦モ締約国ノ建造シ又ハ建造セシムル同型ノ軍艦ニ付本条約ニ規定スル排水量及武裝ニ関スル制限ヲ超ユルコトヲ得ス但シ非締約国ノ為ニ建造スル航空母艦ノ排水量ハ如何ナル場合ニ於テモ基準排水量二万七千噸(二万七千四百三十二「メートル」式噸)ヲ超ユル事ヲ得ス 

第十六条 
締約国ノ法域內ニ於テ非締約国ノ為ニ軍艦ヲ建造スルトキハ該締約国ハ他ノ締約国ニ対シ契約締結ノ日及軍艦ノ龍骨据附ノ日ヲ速ニ通報シ且第二章第三節第一款(ロ)ノ(四)及(五)ニ規定スル軍艦ニ関スル細目ヲ通知スヘシ 

第十七条 
締約国ハ戦争ニ従事スル場合ニ於テハ其ノ法域內ニ於テ他国ノ為ニ建造中ノ軍艦又ハ其ノ法域內ニ於テ他国ノ為ニ建造シタルモ引渡ヲ了セサル軍艦ヲ軍艦トシテ使用スルコトヲ得ス 

第十八条 
各締約国ハ贈与、売却又ハ如何ナル讓渡ノ型式ニ依ルヲ問ハス外国海軍ニ於テ軍艦ト為スヲ得ルカ如キ方法ニ依リ其ノ軍艦ヲ処分セサルヘキコトヲ約ス 

第十九条 
合衆国、英帝国及日本国ハ左ニ掲クル各自ノ領土及属地ニ於テ要塞及海軍根拠地ニ関シ本条約署名ノ時ニ於ケル現状ヲ維持スヘキコトヲ約定ス 
(一) 合衆国カ太平洋ニ於テ現ニ領有シ又ハ将来取得スルコトアルヘキ島嶼タル属地但シ(イ)合衆国、「アラスカ」及巴奈馬運河地帯ノ海岸ニ近接スル島嶼(「アリューシアン」諸島ヲ包含セス)竝(ロ)布哇諸島ヲ除ク 
(二) 香港及英帝国カ東経百十度以東ノ太平洋ニ於テ現ニ領有シ又ハ将来取得スルコトアルヘキ島嶼タル属地但シ(イ)加奈陀海岸ニ近接スル島嶼(ロ)濠太利連邦及其ノ領土竝(ハ)新西蘭ヲ除ク 
(三) 太平洋ニ於ケル日本国ノ下記ノ島嶼タル領土及属地即チ千島諸島、小笠原諸島、奄美大島、琉球諸島、臺灣及澎湖諸島並日本国カ将来取得スルコトアルヘキ太平洋ニ於ケル島嶼タル領土及属地 
前記ノ現状維持トハ右ニ掲クル領土及属地ニ於テ新ナル要塞又ハ海軍根拠地ヲ建設セサルヘキコト、海軍力ノ修理及維持ノ為現存スル海軍諸設備ヲ増大スルノ処置ヲ執ラサルヘキコト並右ニ掲クル領土及属地ノ沿岸防禦ヲ増大セサルヘキコトヲ謂フ但シ右制限ハ海軍及陸軍ノ設備ニ於テ平時慣行スルカ如キ磨損セル武器及裝備ノ修理及取替ヲ妨クルコトナシ 

第二十条 
第二章第四節ニ規定スル排水量噸数算定ノ規則ハ各締約国ノ軍艦ニ之ヲ適要ス 

第二章
本条約実施ニ関スル規則及用語ノ定義

第一節
締約国ノ保有シ得ヘキ主力艦
各締約国ハ第二条ノ規定ニ従ヒ本節ニ掲クル軍艦ヲ保有スルコトヲ得 

合衆国ノ保有シ得ヘキ軍艦 

 艦 名       噸 数
 
「メーリンド」 三二、六〇〇  
「カリフォルニア」 三二、三〇〇  
「テネシー」 三二、三〇〇  
「アイダホー」 三二、〇〇〇  
「ニュー、メキシコ」 三二、〇〇〇  
「ミシシッピー」 三二、〇〇〇  
「アリゾーナ」 三一、四〇〇  
「ペンシルヴァーニア」 三一、四〇〇  
「オクラホーマ」 二七、五〇〇  
「ネヴァーダ」 二七、五〇〇  
「ニュー、ヨーク」 二七、〇〇〇  
「テキサス」 二七、〇〇〇  
「アーカンソー」 二六、〇〇〇  
「ワイオーミング」 二六、〇〇〇  
「フロリダ」 二一、八二五  
「ユター」 二一、八二五  
「ノース、ダコータ」 二〇、〇〇〇  
「デラウェーア」 二〇、〇〇〇  
合計噸数  五〇〇、六五〇  

第二条ノ規定ニ従ヒ「ウェスト、ヴァージーニア」級二隻ヲ完成シ且「ノース、ダコータ」及「デラウェーア」ヲ廃棄シタル上ハ合衆国ノ保有スル合計噸数ハ五十二万五千八百五十噸ナリ 

英帝国ノ保有シ得ヘキ軍艦 

 艦 名      噸 数
「ローヤル、ソヴェレン」 二五、七五〇  
「ローヤル、オーク」 二五、七五〇  
「リヴェンジ」 二五、七五〇  
「レゾリューション」 二五、七五〇  
「ラミリース」 二五、七五〇  
「マラヤ」 二七、五〇〇  
「ヴァリアント」 二七、五〇〇  
「バーラム」 二七、五〇〇  
「クウィン、エリザベス」 二七、五〇〇  
「ウァースパイト」 二七、五〇〇  
「ベンホー」 二五、〇〇〇  
「エンペラー、オヴ、インディア」 二五、〇〇〇  
「アイアン、デューク」 二五、〇〇〇  
「マーバラ」 二五、〇〇〇  
「フッド」 四一、二〇〇  
「リナウン」 二六、五〇〇  
「リパルス」 二六、五〇〇  
「タイガー」 二八、五〇〇  
「サンダラー」 二二、五〇〇  
「キング、ジョージ」五世 二三、〇〇〇  
「エージァックス」 二三、〇〇〇  
「センチューリオン」 二三、〇〇〇  
合計噸数  五八〇、四五〇  

第二条ノ規定ニ従ヒ建造セラルヘキ新軍二隻ヲ完成シ且「サンダラー」、「キング、ジョージ」五世、「エージァックス」及「センチューリオン」ヲ廃棄シタル上ハ英帝国ノ保有スル合計噸数ハ五十五万八千九百五十噸ナリ 

仏蘭西国ノ保有シ得ヘキ軍艦 

 艦 名     噸 数
 
「ブルターニュ」 二三、五〇〇  
「ロレーヌ」 二三、五〇〇  
「プロヴァンス」 二三、五〇〇  
「パリー」 二三、五〇〇  
「フランス」 二三、五〇〇  
「ジァン、バール」 二三、五〇〇  
「クールベー」 二三、五〇〇  
「コンドルセー」 一八、八九〇  
「ディドロー」 一八、八九〇  
「ヴォルテール」 一八、八九〇  
合計噸数  二二一、一七〇  

仏蘭西国ハ第三節第二款ノ限定ニ従ヒ千九百二十七年、千九百二十九年及千九百三十一年ニ新艦ヲ起工スルコトヲ得 

伊太利国保有シ得ヘキ軍艦 

艦 名      噸数(「メートル」式噸)
 
「アンドレア、ドーリア」 二二、七〇〇  
「カイオ、デゥイリオ」 二二、七〇〇  
「コンテ、ディ、カヴール」 二二、五〇〇  
「ジュリオ、チェザーレ」 二二、五〇〇  
「レオナルド、ダ、ヴィンチ」 二二、五〇〇  
「ダンテ、アリギエーリ」 一九、五〇〇  
「ローマ」 一二、六〇〇  
「ナポリ」 一二、六〇〇  
「ヴィットーリオ、マヌエン」 一二、六〇〇  
「レジナ、エレーナ」 一二、六〇〇  
合計噸数  一八二、八〇〇  

伊太利国ハ第三節第二款ノ限定ニ従ヒ千九百二十七年、千九百二十九年及千九百三十一年ニ新艦ヲ起工スルコトヲ得 

日本国ノ保有シ得ヘキ軍艦 

 艦 名     噸 数
 
「陸   奧」 三三、八〇〇  
「長   門」 三三、八〇〇  
「日   向」 三一、二六〇  
「伊   勢」 三一、二六〇  
「山   城」 三〇、六〇〇  
「扶   桑」 三〇、六〇〇  
「霧   島」 二七、五〇〇  
「榛   名」 二七、五〇〇  
「比   叡」 二七、五〇〇  
「金   剛」 二七、五〇〇  
合計噸数  三〇一、三二〇  

第二節
軍艦廃棄ニ関スル規則
第二条及第三条ノ規定ニ従ヒ処分スヘキ軍艦ノ廃棄ニ関シテハ左ノ諸規則ヲ遵守スヘシ 
一 廃棄スル軍艦ハ之ヲ戦闘用ニ供シ得サル状態ニ置クコトヲ要ス 
二 右結果ハ左ノ方法ノ何レカノ一ニ依リ確定的ニ之ヲ実現スルコトヲ要ス 
(イ) 軍艦ヲ永久ニ沈沒セシムルコト 
(ロ) 軍艦ヲ解体スルコト 解体ハ必ス一切ノ機械汽罐及裝甲竝一切ノ甲板、舷側及船底ノ鈑ノ破壞又ハ撤去ヲ含ムヘキモノトス 
(ハ) 軍艦ヲ専ラ標的用ニ変更スルコト 此ノ場合ニ於テ本節第三号ノ一切ノ規定ハ予メ之ヲ遵守スルコトヲ要ス但シ(六)(軍艦ヲ移動標的トシテ使用スルニ必要ナル限度ニ於テ)及(七)ハ此ノ限ニ在ラス各締約国ハ右目的ノ為同時ニ一隻ヲ超ユル主力艦ヲ保有スルコトヲ得ス 
(ニ) 仏蘭西国及伊太利国ハ千九百三十一年又ハ其ノ以後ニ於テ本条約ニ依リテ廃棄スヘキ主力艦中ヨリ専ラ練習用ノ為即チ砲術学校又ハ水雷学校用トシテ航海可能ノモノ二隻ヲ各自保有スルコトヲ得仏蘭西国ノ保有スル右軍艦二隻ハ「ジァン、バール」級ノモノタルヘク又伊太利国ノ保有スルモノノ内一隻「ダンテ、アリギエーリ」ニシテ他ノ一隻「ジュリオ、チェザーレ」級ノモノタルヘシ仏蘭西国及伊太利国ハ前記目的ノ為右軍艦ヲ保有スルニ当リ其ノ司令塔ヲ撤去破壞シ且該軍艦ヲ軍艦トシテ使用セサルヘキコトヲ各自約定ス 
三 (イ) 第九条ニ揭クル例外ヲ留保シ軍艦カ廃棄ノ時期ニ到達シタルトキハ直ニ廃棄ノ第一期作業卽チ軍艦ヲ爾後戦闘任務ニ堪ヘサルモノト為スコトニ着手スヘシ 
(ロ) 軍艦ハ左ノ諸物件ヲ撤去陸揚シ又ハ艦內ニ於テ破壞シタルトキハ爾後戦闘任務ニ堪ヘサルモノト認メラルヘシ 
 (一) 一切ノ砲及砲ノ主要部分、砲火指揮所並一切ノ露砲塔及砲塔ノ旋回部 
 (二) 水壓又ハ電力ヲ以テ作動スル砲架ノ操作ニ必要ナル一切ノ機械 
 (三) 一切ノ砲火指揮用具及距離測定儀 
 (四) 一切ノ弾薬、爆藥及機雷 
 (五) 一切ノ魚雷、実用頭部及発射管 
 (六) 一切ノ無線電信裝置 
 (七) 司令塔及一切ノ舷側裝甲又ハ此等ノ代リニ一切ノ主要推進機械 
 (八) 一切ノ飛行機発着用甲板及其ノ他一切ノ航空用附属物件 
四 軍艦ノ廃棄ヲ実行スヘキ期間左ノ如シ 
(イ) 第二条第一項ニヨリ廃棄スヘキ軍艦ニ付テハ本節第三号ニ従ヒ爾後戦闘任務ニ堪ヘサルモノト為スノ作業ヲ本条約実施ノ時ヨリ六月內ニ完了シ且其ノ廃棄ヲ右実施ノ時ヨリ十八月以內ニ全部完了スヘシ 
(ロ) 第二条第二項及第三項ニ依リ又ハ第三条ニヨリ廃棄スヘキ軍艦ニ付テハ本節第三号ニ従ヒ爾後戦闘任務ニ堪ヘサルモノト為スノ作業ハ其ノ代艦完成ノ日以前ニ之ヲ開始シ右完成ノ日ヨリ六月內ニ之ヲ完了スヘシ諸軍艦ハ其ノ代艦完成ノ日ヨリ十八月内ニ本節第三号ニ従ヒ確定定期ニ之ヲ廃棄スヘシ但シ新艦ノ完成遲延スルトキハ本節第三号ニ従ヒ旧艦ヲ爾後戦闘任務ニ堪ヘサルモノト為スノ作業ハ新艦ノ龍骨据附後四年以內ニ之ヲ開始シ該作業開始ノ日ヨリ六月內ニ之ヲ完了スヘク且旧艦ハ爾後戦闘任務ニ堪エヘサルモノト為スノ作業開始ノ日ヨリ十八內日本節第二号ニ従ヒ確定的ニ之ヲ廃棄スヘシ 

第三節
代換
主力艦及航空母艦ノ代換ハ本節第一款ノ規則及第二款ノ表ニ依リ之ヲ行フヘシ 

第一款
 代換ニ関スル規則
(イ) 主力艦及航空母艦ニシテ其ノ完成ノ日ヨリ二十年ヲ経過シタルモノハ第八条及本節第二款ノ表ニ別段ノ規定アル場合ヲ除クノ外代換セラルヘキ旧鑑ノ完成ノ日ヨリ十七年ヲ経過スルニ非サレハ之ヲ据附クルコトヲ得ス但シ主力艦ハ第二条第三項ニ揭クル軍艦及本節第二款ニ揭クル代換噸数ヲ除クノ外千九百二十一年十一月十二日ヨリ十年間ハ之ヲ起工スルコトヲ得ス 
(ロ) 各締約国ハ速ニ左ノ事項ヲ他ノ各締約国ニ通知スヘシ 
 (一) 新艦建造ニ依リ代換セラルヘキ主力艦及航空母艦ノ艦名 
 (二) 代艦建造ニ對スル政府公認ノ日 
 (三) 代艦ノ龍骨据附ノ日 
 (四) 起工スル各新艦ノ噸及「メートル」式噸ニ依ル基準排水量並主要寸法卽チ主水線、全長水線又ハ水線下ノ最大幅員及基準排水量ニ於ケル平均吃水 
 (五) 各新艦完成ノ日、完成ノ時ニ於ケル噸及「メートル」式噸ニ依ル基準排水量並完成ノ時ニ於ケル主要寸法即チ水線全長、水線又ハ水線下ノ最大幅員及基準排水量ニ於ケル平均平均吃水 
(ハ) 主力艦又ハ航空母艦亡失シ又ハ不慮ノ事変ニ依リ破壞セラレタルトキハ第四条及第七条ニ定ムル噸数ノ範囲內ニ於テ且 本条約ノ他ノ規定ニ従ヒ新艦建造ニ依リ直ニ之ヲ代換スルコトヲ得此ノ場合ニ於テハ正規ノ代換計画ハ該艦ノ関スル限リ之ヲ繰上ケタルモノト認ム 
(ニ) 保有スヘキ主力艦又ハ航空母艦ハ空中及水中ノ攻擊ニ対スル防禦裝置ヲ施スノ目的ヲ以テスル場合ニ限リ下記ノ規定ニ従ヒ之ヲ改造スルコトヲ得即チ締約国ハ右目的ノ為各現存艦ニ付其ノ增加スヘキ排水量三千噸(三千四十八「メートル」式噸)ヲ超エサル限リ「バルヂ」若ハ「ブリスター」又ハ空中攻擊ニ対スル防禦甲板ヲ之ニ裝備スルコトヲ得舷側裝甲又ハ主砲ノ口径、数若ハ一般裝備法ハ左ノ場合ヲ除クノ外之ヲ変更スルコトヲ得ス 
 (一) 仏蘭西国及伊太利国ハ「バルヂ」ニ関シ增加スルコトヲ得ル噸数ノ範囲內ニ於テ其ノ現存主力艦ノ裝甲ヲ增加シ且其ノ備砲ノ口径ヲ十六吋(四百六「ミリメートル」)ヲ超エサル限リ増大スルコトヲ得 
 (二) 英帝国ハ「リナウン」ニ付テハ既ニ開始シ一時中止シタル裝甲変更工事ヲ完了スルコトヲ得 

第二款
主力艦ノ代換及廃棄
合衆国  (表略)
英帝国  (表略)
仏蘭西国 (表略)
伊太利国 (表略)
日本国  (表略)

第二款ノ一切ノ表ニ適用スヘキ備考
前記ノ軍艦廃棄順序ハ艦齡ニ依ル尤モ前揭諸表ニ依リ代換ノ開始スルトキハ各締約国ハ其ノ軍艦廃棄順序ヲ任意ニ変更スルコトヲ得但シ各年度ニ付表中ニ規定スル關数ヲ廃棄スルコトヲ要ス 

第四節
定義

左ノ用語ハ本条約ノ適用ニ付テハ本節ニ定ムル意義ニ之ヲ解スヘキモノトス 

主力艦
主力艦トハ将来建造スル軍艦ニ関スル限リ基準排水量一万噸(一万百六十「メートル」式噸)ヲ超ユル軍艦又ハ口径八吋(二百三「ミリメートル」)ヲ超ユル砲ヲ裝備スル軍艦ニシテ航空母艦ニ非サルモノヲ謂フ 

航空母艦
航空母艦トハ特ニ且專ラ航空機ヲ搭載スル目的ヲ以テ設計シタル基準排水量一万噸(一万百六十「メートル」式噸)ヲ超ユル軍艦ヲ謂フ航空母艦ハ艦上ニ於テ航空機ノ発着シ得ヘキ構造ヲ有スヘク且第九条又ハ第十条ノ何レカニ依リ詐容セラレタルモノ以上ノ有力ナル砲ヲ裝備スルノ設計構造ヲ有セサルコトヲ要ス

基準排水量
軍艦ノ基準排水量トハ工事完成シ、委員ヲ充実シ、機関ヲ据付ケ且航海準備(一切ノ武器弾薬、齊備品、艤裝品、乘員用ノ糧食及淸水、各種需品並戦時ニ於テ裝備スヘキ各種ノ用具ノ搭載ヲ含ム)完成シ唯燃料及予備罐水ヲ搭載セサル軍艦ノ排水量ヲ謂フ 

本条約中「噸」ノ語ハ(「メートル」式噸)ノ語ヲ用ヰタル場合ヲ除クノ外外二千二百四十「ポンド」(千十六「キログラム」)ノ噸ヲ意味スルモトノス 
現ニ完成シタル軍艦ハ各自国ノ計量法ニ依リ算定シタル現排水量噸数ヲ引続キ有スルモノトス但シ「メートル」式噸ヲ以テ排水量ヲ表示スル国ハ本条約ノ適用ニ付テハ之ヲ二千二百四十「ポンド」ノ噸ヲ以テ算定シタル相当排水量ヲ有スルニ過キサルモノト看做ス 
今後完成スル軍艦ノ排水量噸數ハ右ニ定ムル基準排水量ニ付之ヲ算定スルモノトス 

第三章
雜則

第二十一条 
本条約ノ有効期間中何レカノ締約国ニ於テ海軍力ニ依ル防衞ニ関スル自国安全ノ要件カ四圍ノ状況ノ変化ニ依リ重大ナル影響ヲ受ケタリト認メタル場合ニ於テハ締約国ハ諸国ノ要求ニ基キ本条約ノ規定ヲ再議シ且相互ノ協定ニ依リ之カ修正ヲ為スノ目的ヲ以テ会議ヲ開催スヘシ 
技術上及科学上ノ将来ノ発達ヲ考量シ合衆国ハ、他ノ締約国ト協議ノ上、右発達ニ適応スル為本条約中如何ナル変更ヲ必要トスヘキカトヲ審議スルノ目的ヲ以テ本条約実施ノ時ヨリ八年ヲ経過シタル後成ルヘク速ニ会合スヘキ締約国全部ノ会議ノ開催ヲ準備スヘシ 

第二十二条 
何レカノ締約国カ海軍力ニ依ル自国安全ノ防衞ニ影響ヲ及ホスト認ムル戦争ニ従事スルニ至リタル場合ニ於テハ該締約国ハ他ノ締約国ニ通吿ヲ為シタル後第十三条及第十七条ニ規定スルモノヲ除クノ外本条約ニ定ムル自国ノ義務ヲ右敵対行為ノ期間中停止スルコトヲ得但シ該締約国ハ他ノ締約国ニ対シ該時局カ右停止ヲ必要トスル性質ノモノナルコトヲ通告スルコトヲ要ス 
前記ノ場合ニ於テ爾餘ノ締約国ハ本条約中相互ノ間ニ如何ナル一時的修正ヲ為スヘキカニ関シ協定ヲ為スノ目的ヲ以テ協議スヘシ該協議ノ結果各締約国ノ憲法上ノ手続ニ準拠シテ正当ニ成立スル協定ヲ得ルニ至ラサルトキハ右締約国ノ何レノ一国モ他ノ締約国ニ通告ヲ与ヘタル上第十三条及第十七条ニ規定スルモノヲ除クノ外本条約ニ定ムル自国ノ義務ヲ該敵対行為ノ期間中停止スルコトヲ得 
敵対行為終了ノ上ハ締約国ハ本条約ノ規定中如何ナル修正ヲ爲スヘキカニ付審議スル為会議ヲ開催スヘシ 

第二十三条 
本条約ハ千九百三十六年十二月三十一日迄效力ヲ有ス締約国中何レノ一国ヨリモ右期日ノ二年前ニ本条約ヲ廃止スルノ意思ヲ通告セサルトキハ本条約ハ締約国ノ一国カ廃止ノ通告ヲ為シタル日ヨリ二年ヲ経過スル迄引続キ其ノ效力ヲ有スヘク爾後本条約ハ締約国全部ニ対し廃止セラルヘシ右通告ハ合衆国政府ニ対し書面ヲ以テ之ヲ為スヘク同政府ハ直ニ通告書ノ認證謄本ヲ爾余ノ締約国ニ送付シ且通告書ヲ受領シタル日ヲ之ニ通告スヘシ該通告ハ右受領ノ日ニ行ハレタルモノト看做シ且其ノ日ヨリ効力ヲ生スルモノトス合衆国政府自ラ廃止ノ通告ヲ為ス場合ニ於テハ其ノ通告ハ他ノ締約国ノ華盛頓駐箚外交代表者ニ対シテ之ヲ行フヘク該通告ハ右外交代表者ニ通牒ヲ為シタル日ニ行ハレタルモノト看做シ且其ノ日ヨリ效力ヲ生スルモノトス 
何レカノ一国ノ為シタル廃止通告カ効力ヲ生シタル日ヨリ一年內ニ締約国全部ハ会議ヲ開催スヘシ 

第二十四条 
本条約ハ締約国ニ依リ各自ノ憲法上ノ手続ニ従ヒ批准セラルヘク且批准書全部ノ審託ノ日ヨリ実施セラルヘシ右ノ審託ハ成ルヘク速ニ華盛頓ニ於テ之ヲ行フヘシ合衆国政府ハ批准書寄託ノ調書ノ認證謄本ハ同政府ヨリ他ノ締約国ニ之ヲ送付スヘシ 
右証拠トシテ前記各全権委員ハ本条約ニ署名ス 

千九百二十二年二月六日華盛頓市ニ於テ之ヲ作成ス 

チァールス、エヴァン、ヒューズ  (印)  
ヘンリー、カボット、ロッジ  (印)  
オスカー、ダブリュー、アンダウッド  (印)  
エリヒュー、ルート  (印)  
アーサー、ジェームス、バルフォア  (印)  
リー、オヴ、フェアラム  (印)  
エー、シー、ゲデス  (印)  
アール、エル、ボーデン  (印)  
ジー、エフ、ビアス  (印)  
ジョン、ダブリュー、サルモンド  (印)  
アーサー、ジェームス、バルフォア  (印)  
ヴィー、エス、スリニヴァサ、サストリ  (印)  
アー、サロー  (印)  
ジュスラン  (印)  
カルロ、シァンツェル  (印)  
ヴィー、ロランディ、リッチ  (印)  
ルイジ、アルベルティニ  (印)  
加藤友三郞  (印)  
幣原喜重郞  (印)  
埴原正直  (印)  

    「日本外交年表竝主要文書 下巻」外務省編より

 ※旧字を新字になおしてあります。

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1187年(文治3)藤原俊成が『千載和歌集』(第七番目の勅撰和歌集)を後白河法皇に撰進する(新暦10月23日)詳細
1806年(文化3)浮世絵師喜多川歌麿の命日(新暦10月31日)詳細
1852年(嘉永5)囲碁名人・17世および19世本因坊秀栄の誕生日(新暦11月1日)詳細
1903年(明治36)京都市の堀川中立売~七条~祇園で日本初の乗合自動車(バス)が運行される(バスの日)詳細
1943年(昭和18)農芸化学者・栄養化学者鈴木梅太郎の命日詳細
1945年(昭和20)「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件(勅令第542号)が公布・施行される(ポツダム命令)詳細
1948年(昭和23)花森安治が雑誌「美しい暮しの手帖」(「暮しの手帖」の前身)を創刊する詳細
1951年(昭和26)詩人峠三吉が『原爆詩集』をガリ版刷りにより発行する詳細
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nichirosensoufuushiga01
 今日は、明治時代後期の1904年(明治37)に、奇襲に出た日本海軍の主力艦隊が旅順港のロシア艦隊を包囲して、戦いの火ぶたが切られ、同日陸軍も朝鮮半島に上陸し、日露戦争が開始された日です。
 日露戦争(にちろせんそう)は、1904年(明治37)2月8日~1905年(明治38)9月17日まで、日本と露国の間で、朝鮮(大韓帝国)・満州の支配をめぐって行われた戦争でした。日本は、1894年(明治27)から翌年にかけての日清戦争の後、朝鮮支配の確立と満州進出をめざし、ロシアは、義和団事件に乗じて満州を占領し、さらに朝鮮進出を企てたため、両国の対立が激化します。
 日本はそれに対し、1902年(明治35)1月30日に、日英同盟を締結し、日本の朝鮮・中国における権益、英国の中国における権益を相互に認め、アジアにおけるロシアの膨張に備えることを共同の目的としました。翌年6月に元老・主要閣僚の御前会議で開戦覚悟の対露交渉方針を決め、8月以降数次にわたりロシアと交渉したものの、妥協点を見いだせないままに推移します。
 とうとう、1904年(明治37)2月8日に、奇襲に出た日本海軍の主力艦隊が旅順港のロシア艦隊を包囲して、戦いの火ぶたが切られ、同日陸軍も朝鮮半島に上陸し、まもなく完全に制圧、2月10日に正式に、「露国に対する宣戦の詔勅」が発せらて宣戦が布告されました。日本は、同年8月以降の旅順攻撃、翌年3月の奉天会戦などで有利に戦いを進めましたが、以後戦闘は膠着状態となり、5月の日本海海戦でも勝利を得たものの、戦力の消耗と大きな経済的負担に苦しむこととなります。
 ロシアもツァーリズムの矛盾激化に伴う革命勢力が増大、1905年(明治38)1月には、血の日曜日事件がおこり,国内の危機が急迫しました。そこで、米国大統領T.ローズベルトの講和勧告をもとに、8月10日からアメリカのポーツマスで講和会議が開催され、9月5日に「日露講和条約(ポーツマス条約)」調印に至ります。
 この結果、日本は朝鮮における優越権、旅順・大連の租借権と長春以南の鉄道に関する諸権利、南樺太を得て、大陸進出の地歩を固めました。しかし、賠償金が獲得できないなど講和内容に対する国民の不満が高まり、東京では、内相官邸焼打ちなどの暴動(日比谷焼打事件)が発生することとなります。
 この戦争に直接参加した総兵力は108万余人、艦船31.8万t、戦費は約20億円を要し、疾病をも含めた死傷者は37万余人、喪失艦船91隻と大きなものとなりました。
 以下に、「露国に対する宣戦の詔勅」を全文掲載しておきますので、ご参照下さい。

〇「露国に対する宣戦の詔勅」 1904年(明治37)2月10日

露国ニ対スル宣戦ノ詔勅

天佑[1]ヲ保有シ萬世一系[2]ノ皇祚[3]ヲ踐メル[4]大日本帝國皇帝ハ忠實[5]勇武[6]ナル汝有衆[7]ニ示ス

朕[8]茲ニ露國[10]ニ對シテ戰ヲ宣ス朕[8]カ陸海軍ハ宜ク全力ヲ極メテ露國[10]ト交戰ノ事ニ從フヘク朕[8]カ百僚[11]有司[12]ハ宜ク各々其ノ職務ニ率ヒ其ノ權能[13]ニ應シテ國家ノ目的ヲ達スルニ努力スヘシ凡ソ國際條規[14]ノ範圍ニ於テ一切ノ手段ヲ盡シ遺算[15]ナカラムコトヲ期セヨ

惟フニ文明ヲ平和ニ求メ列國ト友誼[16]ヲ篤クシテ以テ東洋ノ治安ヲ永遠ニ維持シ各國ノ權利利益ヲ損傷セスシテ永ク帝國ノ安全ヲ將來ニ保障スヘキ事態ヲ確立スルハ朕[8]夙ニ[12]以テ國交ノ要義[18]ト爲シ旦暮[19]敢テ違ハサラムコトヲ期ス朕[8]カ有司[12]モ亦能ク朕[8]カ意ヲ體シテ事ニ從ヒ列國トノ關係年ヲ逐フテ益々親厚[20]ニ赴クヲ見ル今不幸ニシテ露國[10]ト釁端[21]ヲ開クニ至ル豈朕[8]カ志ナラムヤ

帝國ノ重ヲ韓國[22]ノ保全ニ置クヤ一日ノ故ニ非ス是レ兩國累世[23]ノ關係ニ因ルノミナラス韓國[22]ノ存亡[24]ハ實ニ帝國安危[25]ノ繋ル所タレハナリ然ルニ露國[10]ハ其ノ淸國トノ明約[26]及列國ニ對スル累次[27]ノ宣言ニ拘ハラス依然滿洲[28]ニ占據シ益々其ノ地歩[29]ヲ鞏固[30]ニシテ終ニ之ヲ併呑[31]セムトス若シ滿洲[28]ニシテ露國[10]ノ領有ニ歸セン乎韓國[22]ノ保全ハ支持スルニ由ナク極東ノ平和亦素ヨリ望ムヘカラス故ニ朕[8]ハ此ノ機ニ際シ切ニ妥協ニ由テ時局ヲ解決シ以テ平和ヲ恆久ニ維持セムコトヲ期シ有司[12]ヲシテ露國[10]ニ提議[32]シ半歳ノ久シキニ亙リテ屡次[33]折衝ヲ重ネシメタルモ露國[10]ハ一モ交讓[34]ノ精神ヲ以テ之ヲ迎ヘス曠日[35]彌久[36]徒ニ時局ノ解決ヲ遷延[37]セシメ陽ニ平和ヲ唱道[38]シ陰ニ海陸ノ軍備ヲ増大シ以テ我ヲ屈從[39]セシメムトス凡ソ露國[10]カ始ヨリ平和ヲ好愛スルノ誠意ナルモノ毫モ[40]認ムルニ由ナシ露國[10]ハ既ニ帝國ノ提議[32]ヲ容レス韓國[22]ノ安全ハ方ニ危急[41]ニ瀕シ帝國ノ國利[42]ハ將ニ侵迫[43]セラレムトス事既ニ茲ニ[9]至ル帝國カ平和ノ交渉ニ依リ求メムトシタル將來ノ保障ハ今日之ヲ旗鼓[44]ノ間ニ求ムルノ外ナシ朕[8]ハ汝有衆[7]ノ忠實[5]勇武[6]ナルニ倚頼[45]シ速ニ平和ヲ永遠ニ克復シ以テ帝國ノ光榮ヲ保全セムコトヲ期ス

御名御璽

 明治三十七年二月十日

            內閣總理大臣兼
              內  務  大  臣 伯爵 桂  太 郞
              海  軍  大  臣 男爵 山本權兵衞
              農 商 務 大 臣 男爵 淸 浦 奎 吾
              大  藏  大  臣 男爵 曾 禰 荒 助
              外  務  大  臣 男爵 小村壽太郎
              陸  軍  大  臣 寺 內 正 毅
              司  法  大  臣 波田野敬直
              遞  信  大  臣 大 浦 兼 武
              文  部  大  臣 久 保 田 讓

   「ウイキソース」より

【注釈】

[1]天佑:てんゆう=天の加護。天のたすけ。天助。
[2]萬世一系:ばんせいいっけい=永久に一つの系統が続くこと。多くは皇室・皇統についていう。
[3]皇祚:こうそ=天皇の位。皇位。
[4]踐メル:ふめる=地位に就く。先人にしたがう。つらなる。
[5]忠實:ちゅうじつ=まごころをもってよくつとめること。誠実。
[6]勇武:ゆうぶ=勇ましくて強いこと。勇猛。
[7]有衆:ゆうしゅう=国民。 君主から人民を呼ぶときの語。
[8]朕:ちん=われ。天皇の自称。
[9]茲ニ:ここに=この点。この時。この場合。
[10]露國:ろこく=ロシア。
[11]百僚:ひゃくりょう=多くの官吏。もろもろのつかさ。官職にあるすべての人々。百官。
[12]有司:ゆうし=その職を行なうべき官司。また、そこに属する官人。官吏。
[13]權能:けんのう=ある事柄について権利を主張し、行使することができる能力。権限。職権。
[14]國際條規:こくさいじょうき=国際的な条約や規範。
[15]遺算:いさん=計算ちがい。 また、見込みちがい。
[16]友誼:ゆうぎ=友人としての情愛。友達のよしみ。友情。
[17]夙ニ:つとに=ずっと以前から。早くから。
[18]要義:ようぎ=重要な意義。物事の根本となることわり。大切な趣旨。
[19]旦暮:たんぼ=朝から暮までの時間。転じて、わずかの間。ちょっとの間。
[20]親厚:しんこう=きわめて親しくすること。また親切で手厚いこと。特に親しいこと。
[21]釁端:きんたん=不和のいとぐち。あらそいのもと。戦端。
[22]韓國:かんこく=ここでは大韓帝国のこと。
[23]累世:るいせい=世を重ねること。代々。累代。
[24]存亡:そんぼう=存在と滅亡。残ることとほろびること。
[25]安危:あんき=安全と危険。安全であるか、危険であるかということ。
[26]淸國トノ明約:しんこくとのめいやく=清国との条約。
[27]累次:るいじ=たびたび。
[28]滿洲:まんしゅう=中国東北地区の遼寧・吉林・黒竜江3省の旧称。
[29]地歩:ちほ=拠って立つ所。立脚地。地盤。また、自分の立場。位置。
[30]鞏固:きょうこ=かたく、丈夫なさま。確かなさま。かたく、丈夫にすること。堅固。確固。
[31]併呑:へいどん=あわせのむこと。他の勢力を自分の勢力下に入れること。
[32]提議:ていぎ=論議や議案を提出すること。また、その提出した論議や議案。
[33]屡次:るじ=しばしば。たびたび。
[34]交讓:こうじょう=互いに譲りあうこと。互譲。
[35]曠日:こうじつ=何もしないで、むなしく日を過ごすこと。
[36]彌久:びきゅう=行為・行事などが長い期間にわたること。久しく行なわれること。長引くこと。
[37]遷延:せんえん=のびのびになること。また、のびのびにすること。
[38]唱道:しょうどう=ある思想や主張を人に先立って唱えること。
[39]屈從:くつじゅう=権力や力の強い者に、自分の意志をまげて従うこと。屈伏。
[40]毫モ:ごうも=少しも。ちっとも。
[41]危急:ききゅう=危険な事態が目前に迫っていること。危難が近づくこと。また、そのさま。
[42]國利:こくり=国家の利益。国益。
[43]侵迫:しんはく=他国の領土や権利などを不法に侵すことがさしせまること。
[44]旗鼓:きこ=軍隊。軍事。武事。
[45]倚頼:いらい=あるものによりかかって、それを頼みにすること。また、頼みとするもの。

<現代語訳>

 天の加護をもって、永久に一つの系統が続く皇位に就いてきた大日本帝国の皇帝は忠実で勇猛である、おまえたち国民に以下の事を示す。

 われはここにロシアに対して宣戦を布告する、われの陸軍・海軍はぜひとも全力を尽くしてロシアとの戦いに従事せよ。わが諸々の官吏は、ぜひとも各々その職務を統率、その職権に応じて国家の目的を達するように努力せよ。およそ国際的な条約や規範の範囲において、一切の手段を尽くし、見込み違いがないよう決意せよ。

 考えるに文明を平和によって発展させ、諸国と友好関係を促進することによって、東洋の治安を永遠に維持し、各国の権利や利益を損傷しないようにし、永く日本帝国の安全を将来に渡って保障されるような状態を確立していくため、われはずっと以前から国交の根本として、少しでも違わないようにと心に誓ってきた。われが官吏もまたよくわれの真意を心に留めて守るようにし、諸国との関係も年を経るに従って、さらに特に親しくなっているように見ている。今、不幸にしてロシアと戦端を開くに至ってしまったが、決してわれの本意ではない。

 日本帝国の重点を大韓帝国の保全に置いてきたのは、昨今の事ではない。これは両国の代々の関係によるだけでなく、大韓帝国の存亡は、実に日本帝国の安全に関わるところによるものである。ところが、ロシアはその清国との条約や諸国に対する度々の宣言にもかかわらず、依然として満洲を占拠し、ますますその立ち位置を強固にして、ついにはこれを自分の勢力下に入れようとしている。もし満洲がロシアの領有となってしまったなら、大韓帝国の保全は支持することができず、極東の平和もそもそも望むことができなくなってしまう。従って、われはこの機会に際し、心から妥協によって、時局を解決し、もって平和を恆久に維持することを期待し、官吏を遣わしてロシアに対して議論や提案をし、半年の永きに渡って、度々折衝を重ねさせてきた。しかし、ロシアは少しも互いに譲りあおうという精神でこれを迎えず、むなしく長引かせ、いたずらに時局の解決を延び延びにし、表では平和を唱えながら、裏では海軍・陸軍の軍備を増大し、それによって我国を屈伏させようとしてきた。そもそも、ロシアには最初から平和を好む誠意なるものを少しも認められない。ロシアは、もはや日本帝国の議論や提案に応じず、大韓帝国の安全は、間違いなく危険にさらされ、日本帝国の国益もまさに不法に侵されようとしている。事態がすでにここに至ってしまっては、日本帝国は平和的な交渉によって、希求しようとした将来の保障は、今日これを軍事によって求める外にない。われはおまえたち国民の忠実で勇猛なることを頼みとし、速やかに平和を永遠に取り戻し、それによって日本帝国の栄光を保つことを期待する。

☆日露戦争関係略年表

<1903年(明治36)>
・2月7日 ロシアが中国東北部からの撤兵を中止する
・4月21日 京都の山縣の別荘・無鄰菴で伊藤・山縣・桂・小村による「無鄰庵会議」が行われる
・4月 ロシア系企業の「朝鮮木商会社」が韓国側に鴨緑江山林事業の開始を通告する
・5月 ロシア軍は鴨緑江河口の龍岩浦(竜巌浦)に軍事拠点を築きはじめる(龍岩浦事件)
・6月10日 戸水寛人や国際法学者など7名の博士が、日露開戦を唱える意見書を桂内閣に提出する(七博士建白事件)
・6月12日 アレクセイ・クロパトキン陸軍大臣が訪日し、国賓として迎えられる
・6月23日 明治天皇臨席の御前会議に、「満韓交換論」とも言うべき対露方針が提出されて、対露交渉に臨むことが確認される
・6月24日 「日露開戦を唱える七博士意見書」の全文が「東京朝日新聞」紙上に掲載され、新聞「万朝報」紙上で幸徳秋水は「社会が学者を養っているのは開戦の建白を提出させるためではない」と批判する
・6月30日 新聞「万朝報」に、内村鑑三の非戦論が掲載される
・7月23日 林董駐イギリス公使、日露交渉開始についてイギリスの諒解を求める
・8月12日 栗野慎一郎駐ロシア公使、ロシア政府に、6ヵ条の日露協商基礎条項を提出、中国東北部・朝鮮半島に関する交渉を開始する
・10月3日 ロシアが日本の提出した日露協商基礎条項を拒絶、対案を提出とて交渉する
・12月30日 日本が戦争が勃発した際の清国・大韓帝国に対する方針を閣議で決定する

<1904年(明治37)>
・1月17日 週刊「平民新聞」第10号に、「吾人は飽くまで戦争を非認す」(日露戦争への反戦論)が掲載される
・1月24日 週刊「平民新聞」第11号に、幸徳秋水の「戦争と道徳」(日露戦争への反戦論)が掲載される
・2月4日 明治天皇臨席の御膳会議で、対露開戦が決定される  
・2月6日 日本の外務大臣小村寿太郎は当時のロシアのローゼン公使を外務省に呼び、国交断絶を言い渡す
・2月7日 週刊「平民新聞」第13号に、幸徳秋水の社説「和戦を決する者」が掲載される
・2月8日 日本陸軍先遣隊が仁川に上陸する
・2月8日 日本海軍、旅順港外のロシア艦隊を夜襲する
・2月9日 仁川沖海戦が行われる
・2月10日 日・露相互で宣戦布告が出される
・2月11日 大本営が設置される
・2月12日 清国が局外中立を宣言する
・2月14日 週刊「平民新聞」第14号に、幸徳秋水の「戦争来」・「兵士を送る」・「戦争の結果」(日露戦争への反戦論)が掲載される
・2月23日 大韓帝国と日韓議定書を結ぶ
・2月24日 第一次旅順口閉塞作戦実施
・3月13日 週刊「平民新聞」第18号に、幸徳秋水の社説「与露国社会党書」(手を携え共通の敵軍国主義とたたかうことを提言する) が掲載される
・3月20日 週刊「平民新聞」第19号に、幸徳秋水の「戦争と小学児童」(日露戦争への反戦論)が掲載される
・3月24日 週刊「平民新聞」第20号に、幸徳秋水の「嗚呼増税!」(日露戦争に反対し、軍国制度・資本制度・階級制度の変改を主張する)が掲載されるが、発禁処分を受ける 
・3月27日 第二次旅順口閉塞作戦実施
・4月1日 「非常特別税法」、「煙草専売法」が公布それる
・5月1日 鴨緑江会戦が行われる
・5月8日 日本軍が遼東半島に上陸開始する
・6月20日 満州軍総司令部を設置する
・7月28日 ロシア国内でヴャチェスラフ・プレーヴェ内務大臣が暗殺される
・8月10日 黄海海戦が行われる
・8月22日 大韓帝国と「第一次日韓協約」を結ぶ
・8月14日 蔚山沖海戦が行われる
・8月19日 第一回旅順総攻撃が行われる
・8月30日 遼陽会戦が行われる
・9月 文芸誌『明星』に、与謝野晶子の反戦詩「君死にたまふこと勿れ」が掲載される
・10月 雑誌『太陽』で、大町桂月が与謝野晶子を“国家的観念を藐視した危険な思想”だと非難する
・10月9日 沙河会戦が行われる
・10月15日 バルチック艦隊が出航する
・11月 文芸誌『明星』に与謝野晶子の「ひらきぶみ」が掲載され、“少女と申す者誰も戦争ぎらいに候”と大町桂月に反論する
・11月26日 第二回旅順総攻撃が行われる
・12月5日 日本軍が旅順口203高地を占領する
・12月31日 第三回旅順総攻撃が行われる

<1905年(明治36)>
・1月 雑誌『太陽』に、大塚楠緒子の厭戦詩「お百度詣」が掲載される
・1月1日 「非常特別税法」改正法、「塩専売法」、「相続税法」を公布する
・1月2日 旅順開城する
・1月22日 ロシア国内で血の日曜日事件が起き、各地でストライキが起きる
・1月25日 黒溝台会戦が行われる
・3月1日 奉天会戦が行われる
・5月27日 日本海海戦が行われる
・6月 ロシア国内各地で反乱・暴動が起きる(ロシア第一革命の始まり)
・6月9日 アメリカのセオドア・ルーズベルトが正式に日露両国へ講和勧告を行う
・6月14日 ロシア国内で戦艦ポチョムキンの反乱が起きる
・6月12日 ロシアが講和勧告を正式に受諾する
・7月7日 日本軍が樺太へ上陸(樺太作戦開始)する
・7月23日 ロシア国内でニコライ2世とドイツ帝国皇帝ヴィルヘルム2世とビヨルケ密約を結ぶ
・7月29日 日本とアメリカ間で「桂・タフト協定」が締結される
・7月31日 日本軍が樺太を占領する
・8月9日 アメリカのポーツマスで日露講和会議が始まる
・8月12日 「日英同盟」が改訂される
・8月28日 明治天皇臨席の御前会議で、日露講和成立方針が決定される
・9月1日 日露両国が休戦議定書に調印(休戦)する
・9月5日 日露両国が「日露講和条約(ポーツマス条約)」に調印、日本で講和に反対する日比谷焼き打ち事件が起きる
・9月6日 日本政府は東京市および府下5郡に戒厳令を敷く
・9月7日 神戸で講和反対の大会が開かれ暴動が起きる
・9月12日 横浜で講和反対の大会が開かれ暴動が起きる
・10月 ロシア国内でゼネラル・ストライキが起きる
・10月14日 日露両国が「日露講和条約(ポーツマス条約)」を批准(終戦)する
・10月17日 ロシアのニコライ2世が十月詔書に署名する
・12月20日 大本営を解散する

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1716年(正徳6)画家伊藤若冲の誕生日(新暦3月1日)詳細
1869年(明治2)新聞発行に関する「新聞紙印行条例」(明治2年太政官布告第135号)が公布される(新暦3月20日)詳細
1882年(明治15)北海道の開拓使が廃止され、函館・札幌・根室の3県が設置される詳細
1899年(明治32)「高等女学校令」が公布される詳細
1915年(大正3)歌人・小説家長塚節の命日(節忌)詳細
1946年(昭和21)連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)へ「憲法改正要綱」(松本私案)が提出される詳細
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Siemensjikenfuushiga01
 今日は、大正時代の1914年(大正3)に、第31帝国議会の衆議院予算委員会で島田三郎議員がシーメンス社による日本海軍へのリベート供与を追及し、シーメンス事件が問題化された日です。
 シーメンス事件(しーめんすじけん)は、大正時代の1914年(大正3)1月に暴露された、海軍首脳とドイツのシーメンス社との大疑獄事件でした。1913年(大正2)10月17日に、シーメンス社の通信・電気装備品納入に対する、海軍将校への謝礼を示す秘密書類を会社から盗み出したシーメンス商会社員のカール・リヒテル(Karl Richter)が、東京支店長宛に買い取るように脅迫文書を送ったことから始まります。
 この後、カール・リヒテルは、この書類をロイター通信特派員のアンドルー・プーレー(Andrew M. Pooley)に売り渡して、ドイツへ帰国、11月27日に、シーメンス社が秘密書類を50,000円で買い取り横浜領事館で焼却して、一度事件は終結を見ました。しかし、翌年1月21日に、リヒテルが盗んだ書類には、シーメンス社が発注者である日本海軍将校に賄賂を贈ったとの記載があると、ベルリン発のロイター外電がこれを報じます。
 1月23日に、これを元に、第31帝国議会の衆議院予算委員会で島田三郎議員がシーメンス社による日本海軍へのリベート供与を追及したことから、重大問題化しました。その後、1月30日に、ロイター通信特派員のアンドルー・プーレーは司直からの家宅捜索を受け、リヒテルから秘密書類を購入したことが明らかになり拘置されます。
 2月5日に、憲政擁護会は時局有志大会を開き、薩閥根絶・海軍郭清を決議、翌日には、各派連合有志大会が国技館で開かれ、1万5,000人が参加しました。2月7日に藤井光五郎機関少将と沢崎寛猛大佐が検挙され、海軍軍法会議に付され、2月10日には、野党の立憲同志会・立憲国民党・中正会は衆議院に内閣弾劾決議案を上程、日比谷公園で内閣弾劾国民大会が開かれるに至ります。
 2月14日に倒閣国民大会に発展し、民衆、警官が衝突、数百人の逮捕者を出し、海軍には査問委員会が設けられ、司法当局が捜査に乗出し、ジーメンス社のみならずイギリスのビッカース社、三井物産と海軍首脳の贈収賄事実も判明しました。この結果、3月24日に予算案は両院協議会の不調となり、不成立となって、山本権兵衛内閣(第1次)は総辞職し、4月16日には、大隈重信内閣(第2次)が成立することとなります。
 5月19日に軍法会議は、松本和前艦政本部長に対し三井物産からの収賄の容疑で懲役3年、追徴金40万9800円を、また沢崎寛猛大佐に対し海軍無線電信所船橋送信所設置に絡みシーメンスから収賄した容疑で懲役1年、追徴金1万1500円の判決を下し、7月18日には、東京地方裁判所は山本条太郎ら5名全員に有罪判決(控訴審では全員が執行猶予となる)を下しました。そして、9月3日に軍法会議では、藤井光五郎はヴィッカース他数社から収賄したとして懲役4年6ヶ月、追徴金36万8000余円の判決を下されて、司法処分は完了しています。
 7月28日には、第一次世界大戦の勃発もあり、海軍軍人は3名が有罪となったのみで、事件は終結させられました。

〇シーメンス事件関係略年表

<1913年(大正2)>
・2月20日 桂太郎内閣(第3次)に代わって、山本権兵衛内閣(第1次)が成立する
・10月17日 シーメンス社の通信・電気装備品納入に対する、海軍将校への謝礼を示す秘密書類を会社から盗み出したシーメンス商会社員のカール・リヒテル(Karl Richter)が、東京支店長宛に買い取るように脅迫文書を送る
 この後、カール・リヒテルは、この書類をロイター通信特派員のアンドルー・プーレー(Andrew M. Pooley)に売り渡して、ドイツへ帰国する
・11月27日 シーメンス社が秘密書類を50,000円で買い取り横浜領事館で焼却し、一度事件は終結を見る

<1914年(大正3)>
・1月21日 リヒテルが盗んだ書類には、シーメンス社が発注者である日本海軍将校に賄賂を贈ったとの記載があると、ベルリン発のロイター外電がこれを報じる
・1月23日 第31帝国議会の衆議院予算委員会で島田三郎議員がシーメンス社による日本海軍へのリベート供与を追及する
・1月30日 ロイター通信特派員のアンドルー・プーレーは司直からの家宅捜索を受け、リヒテルから秘密書類を購入したことが明らかになり拘置される
・1月31日 プーレー夫人のアンは、取り調べの後、剃刀で自殺未遂を図る
・2月5日 憲政擁護会は時局有志大会を開き、薩閥根絶・海軍郭清を決議する
・2月6日 各派連合有志大会が国技館で開かれ、1万5000人が参加する
・2月7日 藤井光五郎機関少将と沢崎寛猛大佐が検挙され、海軍軍法会議に付される
・2月10日 野党の立憲同志会・立憲国民党・中正会は衆議院に内閣弾劾決議案を上程、日比谷公園で内閣弾劾国民大会が開かれる
・2月12日夜 警視庁は政友会系毎夕新聞社をとりまく民衆465人を検束する
・2月14日 倒閣国民大会が開催され、民衆、警官が衝突、数百人の逮捕者を出す
・2月15日 東京朝日の記者芳賀栄蔵は原敬内相私邸前で護衛中の壮士に襲撃され負傷する
・2月18日 呉鎮守府司令官松本和が家宅捜索を受ける
・2月23日 全国記者大会が開かれ、内相原敬の辞職を要求する
・3月12日 イギリスのヴィッカースの日本代理店である三井物産重役の岩原謙三が、巡洋戦艦「金剛」をヴィッカースに注文させるため、1910年(明治43年)に海軍高官に贈賄した容疑で拘禁される
・3月24日 予算案は両院協議会の不調となり、不成立となって、山本権兵衛内閣(第1次)は総辞職する
・3月26日 元老の山縣有朋の主導により、元老会議が行われる
・3月31日 呉鎮守府司令官松本和が収監される
・4月9日 大正天皇が山縣自らに組閣を求めたが、山縣は拒否する
・4月10日 組閣候補として、大隈重信と加藤高明が提案され、井上馨・大山・松方も賛成する
・4月16日 大隈重信内閣(第2次)が成立する
・5月11日 山本前首相及び斎藤実前海相を予備役に編入する
・5月19日 軍法会議は、松本和前艦政本部長に対し三井物産からの収賄の容疑で懲役3年、追徴金40万9800円を、また沢崎寛猛大佐に対し海軍無線電信所船橋送信所設置に絡みシーメンスから収賄した容疑で懲役1年、追徴金1万1500円の判決を下す
・7月18日 東京地方裁判所は山本条太郎ら5名全員に有罪判決を下す(控訴審では全員が執行猶予となる)
・7月28日 第一次世界大戦が勃発する
・8月 大隈内閣はイギリスなど連合国側での第一次世界大戦への参戦を決める
・9月3日 軍法会議では、藤井光五郎はヴィッカース他数社から収賄したとして懲役4年6ヶ月、追徴金36万8000余円の判決を下される(司法処分完了)

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

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1890年(明治23)教育者・キリスト教指導者新島襄の命日詳細
1928年(昭和3)「日ソ基本条約」の規定に従って、ソ連のモスクワにおいて、「日ソ漁業条約」が締結される詳細
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