ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

タグ:日本文芸家協会理事長

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 今日は、平成時代の2016年(平成28)に、小説家高井有一の亡くなった日です。
 高井有一(たかい ゆういち)は、1932年(昭和7)4月27日に、東京府北豊島郡長崎町(現在の東京都豊島区)において、画家の父・田口省吾と母・信子の長男として生まれましたが、本名は田口掬汀(たぐち きくてい)と言いました。1943年(昭和8)に祖父、父があいついで亡くなり、1945年(昭和20)には、太平洋戦争下において、母・妹と共に秋田県へ疎開しています。
 成蹊高等学校へ入学して、中村草田男の授業を受け、1951年(昭和26)に成蹊大学に進学したものの、翌年に早稲田大学第二文学部英文学科に編入しました。文学サークル「現代文学会」で活動、かたわら大学の広報誌「早稲田学報」の編集助手を務め、1955年(昭和30)に卒業し、共同通信社文化部記者となります。
 1964年(昭和39)に同人雑誌「犀」の創刊に参加、翌年に『夏の日の影』を発表、1966年(昭和41)に発表した『北の河』で、第54回芥川龍之介賞を受賞しました。1975年(昭和50) 共同通信社を退社し、作家専業となり、1977年(昭和52)には、季刊誌『文体』(平凡社)で、古井由吉、坂上弘、後藤明生とともに責任編集者を務め、祖父の田口掬汀の生涯を描いた『夢の碑』で芸術選奨文部大臣賞を受賞します。
 1984年(昭和59)に共同通信社の同僚だった中村輝子と結婚、『この国の空』で谷崎潤一郎賞、1990年(平成2)には、『夜の蟻』で読売文学賞を受賞しました。1992年(平成4)に立原正秋の生涯を描いた『立原正秋(せいしゅう)』で毎日芸術賞を受賞、1996年(平成8)には、日本芸術院会員となります。
 1999年(平成11)に『高らかな挽歌』で大佛次郎賞を受賞、2000年(平成12)には、日本文芸家協会理事長(~2002年)となりました。2015年(平成27)には、『この国の空』が映画化されたものの、2016年(平成28)10月26日に、東京都内の病院において、心不全のため84歳で亡くなっています。

<高井有一の主要な著作>

・『北の河』(1964年)第54回芥川賞受賞
・『少年たちの戦場』(1968年)
・『雪の涯(はて)の風葬』(1970年)
・『蟲たちの棲家』(1973年)
・『夢の碑』(1976年)芸術選奨文部大臣賞受賞
・『真実の学校』(1980年)
・『青梅』(1980年)
・『この国の空』(1983年)谷崎潤一郎賞受賞
・『俄瀧』(1984年)
・『塵の都に』(1988年)
・『夜の蟻』(1989年)読売文学賞受賞
・評伝『立原正秋』(1991年)毎日芸術賞受賞
・『愛日』(1994年)
・エッセイ集『作家の生き死(しに)』(1997年)
・『高らかな挽歌』(1999年)大佛次郎賞受賞
・『時の潮』(2002年)野間文芸賞受賞

〇高井有一関係略年表

・1932年(昭和7)4月27日 東京府北豊島郡長崎町(現在の東京都豊島区)において、画家の父・田口省吾と母・信子の長男として生まれる
・1943年(昭和8) 祖父、父があいついで亡くなる
・1945年(昭和20) 母・妹と共に秋田県へ疎開する
・1951年(昭和26) 成蹊高等学校から成蹊大学に進学する
・1952年(昭和27) 早稲田大学第二文学部英文学科に編入する
・1955年(昭和30) 早稲田大学第二文学部英文学科を卒業し、共同通信社文化部記者となる
・1964年(昭和39) 同人雑誌「犀」の創刊に参加する
・1965年(昭和40) 同人雑誌「犀」に『夏の日の影』を発表する
・1966年(昭和41) 同人雑誌「犀」に発表した『北の河』で、第54回芥川龍之介賞を受賞する
・1975年(昭和50) 共同通信社を退社し、作家専業となる
・1977年(昭和52) 季刊誌『文体』(平凡社)で、古井由吉、坂上弘、後藤明生とともに責任編集者を務め、祖父の田口掬汀の生涯を描いた『夢の碑』で芸術選奨文部大臣賞を受賞する
・1984年(昭和59) 共同通信社の同僚だった中村輝子と結婚、『この国の空』で谷崎潤一郎賞を受賞する
・1990年(平成2) 『夜の蟻』で読売文学賞を受賞する
・1992年(平成4) 立原正秋の生涯を描いた『立原正秋(せいしゅう)』で毎日芸術賞を受賞する
・1996年(平成8) 日本芸術院会員となる
・1999年(平成11) 『高らかな挽歌』で大佛次郎賞を受賞する
・2000年(平成12) 日本文芸家協会理事長(~2002年)となる
・2002年(平成14) 『時の潮』で野間文芸賞を受賞する
・2008年(平成20) 日本近代文学館理事長となる
・2015年(平成27) 『この国の空』が映画化される
・2016年(平成28)10月26日 東京都内の病院において、心不全のため84歳で亡くなる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

968年(安和元)第65代の天皇とされる花山天皇の誕生日(新暦11月29日)詳細
1311年(応長元)鎌倉幕府第9代執権北条貞時の命日(新暦12月6日)詳細
1867年(慶応3)建築家・建築史学者伊東忠太の誕生日(新暦11月21日)詳細
1868年(明治元)戊辰戦争の箱館の戦いにおいて、榎本武揚軍が北海道・箱館の五稜郭を占領する詳細
1908年(明治41)幕臣・外交官・政治家榎本武揚の命日詳細
1909年(明治42)政治家伊藤博文がハルビンで、韓国の独立運動家安重根に暗殺される詳細
1919年(大正8)経済学者篠原三代平の誕生日詳細
1983年(昭和58)国営公園の一つとして東京の米軍立川基地跡地に国営昭和記念公園が開園する詳細
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 今日は、大正時代の1926年(大正15)に、小説家・文化庁長官だった三浦朱門が生まれた日です。
 三浦 朱門(みうら しゅもん)は、大正時代の1926年(大正15)1月12日に、東京府豊多摩郡(現在の東京都中野区)において、イタリア文学者だった父・三浦逸雄の子として生まれました。東京府立第二中学校(現在の都立立川高等学校)から旧制高知高等学校へ入学しましたが、1945年(昭和20)に陸軍二等兵として千葉県我孫子で入隊、千葉県の仮兵舎で敗戦を迎えます。
 復学後、1948年(昭和23)に東京大学文学部言語学科を卒業、日本大学芸術学部非常勤講師となりました。1950年(昭和25)に第17次『新思潮』に参加、1951年(昭和26)に『画鬼』(のちに『冥府(めいふ)山水図』)を発表し、「芥川龍之介の再来」と呼ばれるようになり、1952年(昭和27)には、日本大学芸術学部助教授となり、『斧と馬丁』で芥川賞候補となり、「第三の新人」の一人として活躍します。
 1953年(昭和28)に同人仲間だった曾野綾子と結婚、1967年(昭和42)には、日本大学芸術学部教授となり、『箱庭』で、第14回新潮社文学賞を受賞しました。しかし、1969年(昭和44)の日大闘争で学生からも孤立し、赤塚行雄とともに辞職したものの、翌年には、聖シルベストロ教皇騎士団勲章を受章しています。
 1983年(昭和58)に『武蔵野インディアン』で、第33回芸術選奨文部科学大臣賞を受賞、1985年(昭和60)には文化庁長官(~1986年)となりました。1987年(昭和62)に日本芸術院賞・恩賜賞を受賞し、日本芸術院会員となり、1988年(昭和63)には、日本文芸家協会理事長(~1994年)となります。
 1991年(平成3)に中部大学女子短期大学学長(~1995年)となり、1999年〈平成11〉には、第14回産経正論大賞を受賞し、文化功労者ともなりました。2004年(平成16)に日本芸術院の院長(~2014年)となりましたが、2017年(平成29)2月3日に、東京都において、間質性肺炎のため91歳で亡くなっています。

〇三浦朱門の主要な著作

・『斧と馬丁』(1952年)芥川賞候補
・『聖陵勲章』(1953年)
・『冥府(めいふ)山水図』(1955年)
・『礁湖』(1957年)
・『不肖の父』(1958年)
・『セルロイドの塔』(1960年)
・『神話』(1966年)
・『箱庭』(1967年)新潮文学賞受賞
・『教えの庭』(1969年)
・『竹馬の友』(1969年)
・『道の半ばに』(1969年)
・『鴉(からす)』(1971年)
・『武蔵野(むさしの)インディアン』(1982年)第33回芸術選奨文部科学大臣賞受賞
・『望郷』(1987年)
・『ささやかな不仕合わせ』(1987年)

☆三浦朱門関係略年表

・1926年(大正15)1月12日 東京府豊多摩郡(現在の東京都中野区)において、イタリア文学者だった父・三浦逸雄の子として生まれる
・1945年(昭和20) 陸軍二等兵として千葉県我孫子で入隊、千葉県の仮兵舎で敗戦を迎える
・1948年(昭和23) 東京大学文学部言語学科を卒業、日本大学芸術学部非常勤講師となる
・1950年(昭和25) 第17次『新思潮』に参加する
・1951年(昭和26) 『画鬼』(のちに『冥府(めいふ)山水図』)を発表し、「芥川龍之介の再来」と呼ばれるようになる
・1952年(昭和27) 日本大学芸術学部助教授となり、『斧と馬丁』で芥川賞候補となる
・1953年(昭和28) 同人仲間だった曾野綾子と結婚する
・1967年(昭和42) 日本大学芸術学部教授となり、『箱庭』で、第14回新潮社文学賞を受賞する
・1969年(昭和44) 日大闘争で学生からも孤立し、赤塚行雄とともに辞職する
・1970年(昭和45) 聖シルベストロ教皇騎士団勲章を受章する
・1983年(昭和58) 『武蔵野インディアン』で、第33回芸術選奨文部科学大臣賞を受賞する
・1985年(昭和60) 文化庁長官となる
・1986年(昭和61) 文化庁長官を辞める
・1987年(昭和62) 日本芸術院賞・恩賜賞を受賞し、日本芸術院会員となる
・1988年(昭和63) 日本文芸家協会理事長となる
・1991年(平成3) 中部大学女子短期大学学長となる
・1994年(平成6) 日本文芸家協会理事長を辞める
・1995年(平成7) 中部大学女子短期大学学長を辞める
・1999年〈平成11〉 第14回産経正論大賞を受賞し、文化功労者となる
・2004年(平成16) 日本芸術院の院長となる
・2014年(平成26) 日本芸術院の院長を辞める
・2017年(平成29)2月3日 東京都において、間質性肺炎のため91歳で亡くなる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

866年(慶応2)仏教学者・チベット探検家河口慧海の誕生日(新暦2月26日)詳細
1869年(明治2)洋画家岡田三郎助の誕生日(新暦1月22日)詳細
1874年(明治7)板垣退助らが日本初の政党となる愛国公党を結成する詳細
1903年(明治36)日本画家岩橋英遠の誕生日詳細
1914年(大正3)桜島大正大噴火が始まる詳細
1954年(昭和29)文化財保護委員会が奈良市・大和郡山市の平城京跡の発掘を開始する詳細
2019年(平成31)哲学者梅原猛の命日詳細
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