ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

タグ:日本学士院賞

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 今日は、昭和時代前期の1927年(昭和2)に、化学者井口洋夫が生まれた日です。
 井口洋夫(いのくち ひろお)は、広島県広島市段原(現在の南区段原)において、広島高等工業学校教授を務めた父・井口豊八郎の子として生まれました。東京府立第一中学、旧制第一高等学校を経て、東京帝国大学理学部化学科で学びます。
 1948年(昭和23)に卒業後、1950年(昭和25)に東京大学理学部助手となり、有機半導体を発見しました。1954年(昭和29)に、有機物質にシリコンなどと同じ電気的性質をもたせられるとして有機半導体の概念を提唱、1956年(昭和31)には、学位論文「有機化合物の半導体的性質の研究」で、東京大学より理学博士を得ます。
 1959年(昭和34)に東京大学理学部助教授、1960年(昭和35)には、同大学物性研究所助教授となりました。1965年(昭和40)に、赤松秀雄との共同研究で、日本学士院賞を受賞、1967年(昭和42)に東京大学物性研究所教授、1975年(昭和50)には、分子科学研究所教授となります。
 1978年(昭和53)に日本化学会賞を受賞、1987年(昭和62)に岡崎国立共同研究機構分子科学研究所所長となり、1988年(昭和63)には、豊田理化学研究所理事ともなりました。1989年(平成元)に藤原賞を受賞、1993年(平成5)に岡崎国立共同研究機構長となり、1994年(平成6)には、文化功労者ともなります。
 1995年(平成7)に退官、1996年(平成8)に日本学士院会員、国際高等研究所副所長、宇宙開発事業団(NASDA)宇宙環境利用研究システム長となりました。2001年(平成13)に‎文化勲章を受章、広島県名誉県民となり、2003年(平成15)には、宇宙航空研究開発機構(JAXA) 顧問となります。
 2007年(平成19)に京都賞先端技術部門を受賞、2009年(平成21)には、豊田理化学研究所所長となったものの、2014年(平成26)3月20日に、東京都内の病院において、脳出血のため87歳で亡くなり、従三位を追贈されました。

〇井口洋夫の主要な著作

・『金属の話』培風館
・『物質(もの)とは何か』国際高等研究所
・中田、籏野との共著『有機半導体』(1966年)共立出版
・木下實との共著『新版化学』(1990年)実教出版

☆井口洋夫関係略年表

・1927年(昭和2)2月3日 広島県広島市段原(現在の南区段原)において、広島高等工業学校教授を務めた父・井口豊八郎の子として生まれる
・1948年(昭和23) 東京大学理学部化学科を卒業する
・1950年(昭和25) 東京大学理学部助手となり、有機半導体を発見する
・1954年(昭和29) 有機物質にシリコンなどと同じ電気的性質をもたせられるとして有機半導体の概念を提唱する
・1956年(昭和31) 学位論文「有機化合物の半導体的性質の研究」で、東京大学より理学博士を得る
・1959年(昭和34) 東京大学理学部助教授となる
・1960年(昭和35) 東京大学物性研究所助教授となる
・1965年(昭和40) 赤松秀雄との共同研究で、日本学士院賞を受賞する
・1967年(昭和42) 東京大学物性研究所教授となる
・1975年(昭和50) 分子科学研究所教授となる
・1978年(昭和53) 日本化学会賞を受賞する
・1987年(昭和62) 岡崎国立共同研究機構分子科学研究所所長となる
・1988年(昭和63) 豊田理化学研究所の理事となる
・1989年(平成元) 藤原賞を受賞する
・1993年(平成5) 岡崎国立共同研究機構長となる
・1994年(平成6) 文化功労者となる
・1995年(平成7) 退官する
・1996年(平成8) 日本学士院会員、国際高等研究所副所長、宇宙開発事業団(NASDA)宇宙環境利用研究システム長となる
・2001年(平成13) 文化勲章を受章、広島県名誉県民となる
・2003年(平成15) 宇宙航空研究開発機構(JAXA) 顧問となる
・2007年(平成19) 京都賞先端技術部門を受賞する
・2009年(平成21) 豊田理化学研究所所長となる
・2014年(平成26)3月20日 東京都内の病院において、脳出血のため87歳で亡くなり、従三位を追贈される
・2018年(平成30) 日本の科学技術や豊田理化学研究所の発展に大きく貢献したとして、同研究所敷地内に井口洋夫記念ホールが開設される

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1637年(寛永14)書家・陶芸家・芸術家本阿弥光悦の命日(新暦2月27日)詳細
1943年(昭和18)長生炭鉱(山口県)で海水流入事故がおこり、死者・行方不明者183人を出す詳細
1946年(昭和21)皇典講究所、大日本神祇会、神宮奉斎会を母体に神社本庁が設立される詳細
1972年(昭和47)札幌オリンピック(第11回冬季オリンピック・札幌大会)が開幕する詳細
2006年(平成18)農林水産省と「疏水百選」実施事務局が合同で、「疏水百選」を決定する詳細
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 今日は、平成時代の2004年(平成16)に、医学者・生化学者西塚泰美が亡くなった日です。
 西塚泰美(にしづか やすとみ)は、1932年(昭和7)7月12日に、兵庫県芦屋市において生まれましたが、愛知県名古屋市で育ちました。1951年(昭和26)に愛知県立瑞陵高校を卒業して京都大学医学部へ入学し、1957年(昭和32)には卒業します。
 1962年(昭和37)に京都大学医学部助手となり、翌年に博士号を取得、1964年(昭和39)には助教授に昇任し、ロックフェラー大学客員研究員ともなりました。1968年(昭和43)に神戸大学医学部教授となり、1975年(昭和50)には、「ホルモンによる代謝の調節機構に関する研究」により、松永賞を受賞します。
 1977年(昭和52)に、細胞の外から内へ情報を伝える物質を牛の脳細胞から取り出すことに成功、「蛋白質リン酸化酵素C (プロテインキナーゼC) 」と命名されたこの酵素が情報を伝えるだけでなく情報のあと始末役もすることを解明しました。1982年(昭和57)に、「ホルモン及び神経伝達物質の受容機構に関する研究」で、武田医学賞を受賞、1984年(昭和59)には、ハーバード大学医学部客員教授となります。
 1986年(昭和61)に、「ホルモンおよび神経伝達物質の作用機構に関する研究」で、朝日賞、「ホルモン作用における情報の受容伝達機構に関する研究」で日本学士院賞を受賞、翌年には、文化功労者にもなりました。1988年(昭和63)に、スローン賞(米国)、アルフレッド賞、ガードナー国際賞を受賞、文化勲章も受章します。
 1989年(平成元)に、アメリカ医学会の最高賞であるアルバート・ラスカー基礎医学研究賞を受賞、1990年(平成2)には、タンフォード大学客員教授となり、ロンドン王立協会外国人会員に選出されました。1991年(平成3)にバレンシア細胞研究所(スペイン)客員研究員、1992年(平成4)にワシントン大学客員教授ともなり、国際的に活躍します。
 これにより、1992年(平成4)にブレメンダル賞(オランダ)、1994年(平成6)にウルフ賞医学部門、デールメダル(英国内分泌学会)、1995年(平成7)にディアズ賞(スペイン)、エルンスト・シエーリング賞を受賞するなど、国際的に評価されました。1995年(平成7)~2001年(平成13)まで神戸大学長も務め、退官後は名誉教授ともなります。
 2001年(平成13)に兵庫県成人病センター総長となったものの、2004年(平成16)11月4日に、兵庫県神戸市において、72歳で亡くなり、従三位と銀杯一組を追贈されました。

〇西塚泰美関係略年表

・1932年(昭和7)7月12日 兵庫県芦屋市において、生まれる
・1951年(昭和26) 愛知県立瑞陵高校を卒業し、京都大学医学部へ入学する
・1957年(昭和32) 京都大学医学部を卒業する
・1962年(昭和37) 京都大学医学部助手となる
・1963年(昭和38) 京都大学大学院医学研究科博士課程を修了する
・1964年(昭和39) 京都大学医学部助教授となり、ロックフェラー大学客員研究員ともなる
・1968年(昭和43) 神戸大学医学部教授となる
・1975年(昭和50) 「ホルモンによる代謝の調節機構に関する研究」により、松永賞を受賞する
・1977年(昭和52) 細胞の外から内へ情報を伝える物質を牛の脳細胞から取り出すことに成功、「蛋白質リン酸化酵素C (プロテインキナーゼC) 」と命名されたこの酵素が情報を伝えるだけでなく情報のあと始末役もすることを解明する
・1980年(昭和55) 生物科学総合研究機構基礎生物学研究所教授を併任(1981年4月まで)
・1981年(昭和56) 岡崎国立共同研究機構基礎生物学研究所教授を併任(1985年3月まで)
・1982年(昭和57) 「ホルモン及び神経伝達物質の受容機構に関する研究」で、武田医学賞を受賞する
・1984年(昭和59) ハーバード大学医学部客員教授となる
・1986年(昭和61) 「ホルモンおよび神経伝達物質の作用機構に関する研究」で、朝日賞、「ホルモン作用における情報の受容伝達機構に関する研究」で日本学士院賞を受賞する
・1987年(昭和62) 文化功労者に選出される
・1988年(昭和63) スローン賞(米国)、アルフレッド賞、ガードナー国際賞を受賞、文化勲章も受章する
・1989年(平成元) 神戸大学理学部教授併任(1992年3月まで)、アルバート・ラスカー基礎医学研究賞を受賞する
・1990年(平成2) スタンフォード大学客員教授となり、ロンドン王立協会外国人会員に選出される
・1991年(平成3) バレンシア細胞研究所(スペイン)客員研究員となる
・1992年(平成4) ワシントン大学客員教授となり、神戸大学バイオシグナル研究センター長ともなる(1995年2月まで)、京都賞基礎科学部門、ブレメンダル賞(オランダ)を受賞する
・1994年(平成6) 京都大学ウイルス研究所教授を併任(1995年2月まで)、ウルフ賞医学部門、デールメダル(英国内分泌学会)を受賞する
・1995年(平成7) 神戸大学学長となる(2001年2月まで、医療技術短期大学部学長兼務(1998年3月まで))、ディアズ賞(スペイン)、エルンスト・シエーリング賞を受賞する
・1996年(平成8) バナジーメダル(インド・カルカッタ大学学術賞)を受賞する
・2001年(平成13) 神戸大学を退官して名誉教授となり、兵庫県成人病センター総長となる
・2003年~2004年 トムソン・ロイター引用栄誉賞を受賞する
・2004年(平成16)11月4日 兵庫県神戸市において、72歳で亡くなり、従三位と銀杯一組を追贈される

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1591年(天正19)武将・戦国大名・後北条氏5代目当主北条氏直の命日(新暦12月19日)詳細
1854年(嘉永7)安政東海地震が起き、甚大な被害が出る(新暦12月23日)詳細
1946年(昭和21)「国際連合教育科学文化機関憲章(ユネスコ憲章)」が発効する詳細
1974年(昭和49)薬学者・薬化学者落合英二の命日詳細
2000年(平成12)宮城県上高森遺蹟等で発見の前期旧石器が捏造と判明(旧石器捏造事件の発覚)詳細
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 今日は、明治時代後期の1900年(明治33)に、生化学者赤堀四郎が生まれた日です。
 赤堀四郎(あかほり しろう)は、静岡県小笠郡干浜村(現在の掛川市千浜)において、小学校教師だった父・赤堀秀雄の四男として生まれました。1913年(大正2)に千浜尋常小学校を卒業し、翌年には、大蔵省主税局関税課給仕となり、錦城尋常中学校夜間部へ入学します。
 1916年(大正5)に錦城尋常中学校昼間部4年へ編入、1918年(大正7)に同校を卒業、千葉医学専門学校薬学科へ入学しました。1921年(大正10)に同校薬学科を卒業、桃谷順天館入社して東京帝国大学(現・東京大学)理学部講師の西沢勇志智の助手として派遣されます。
 1922年(大正11)に東北帝国大学理学部へ入学、1924年(大正13)には眞島研究室に配属されました。1925年(大正14)に東北帝国大学理学部を卒業、同大学大学院に進学し、醤油の香り成分の抽出に取り組みます。
 1930年(昭和5)に東北帝国大学大学院を修了し、同大学理学部講師となり、翌年には、「アミノ酸及その誘導體に關する研究」で、理学博士を取得しました。1932年(昭和7)に欧米留学へ出発、ドイツ、チェコ、アメリカで学び、1935年(昭和10に帰国、大阪帝国大学理学部助教授となり、有機化学講座を担当します。
 1936年(昭和11)にしょうゆの香気成分メチオノールの合成に成功、1939年(昭和14)には、大阪帝国大学理学部教授に昇任しました。太平洋戦争後の1947年(昭和22)に大阪大学理学部学部長となり、1949年(昭和24)には、大阪大学一般教養部部長となります。
 1950年(昭和25)に「酵素およびアミノ酸に関する研究」で、日本化学会賞を受賞、翌年には、タカアミラーゼの結晶化に成功、1952年(昭和27)には、タンパク質をヒドラジン分解することによりカルボキシ(カルボキシル)末端アミノ酸残基を決定する方法を創始しました。1953年(昭和28)に大阪大学理学部学部長となり、東京大学応用微生物研究所教授も兼任、1955年(昭和30)には、「たんぱく質を構成するアミノ酸の結合状態に関する研究」で、日本学士院賞を受賞します。
 1958年(昭和33)に大阪大学蛋白質研究所所長、1960年(昭和35)に大阪大学総長、1964年(昭和39)には、日本学士院会員となりました。1965年(昭和40)に文化勲章を受章、翌年に退官して大阪大学名誉教授、理化学研究所理事長となり、大浜町名誉市民ともなり、1967年(昭和42)には、国際生化学会議(東京)会長を務めます。
 1968年(昭和43)に大阪府教育委員会委員長、1969年(昭和44)に日本化学会会長、1975年(昭和50)には、勲一等瑞宝章を受章しました。1983年(昭和58)に夫妻そろってカトリックの洗礼を受けたものの、1992年(平成4)11月3日に、兵庫県において、92歳で亡くなっています。

〇赤堀四郎の主要な著作

・水島三一郎と共編『蛋白質化学』(1969年)
・『有機化学の進歩』
・『酵素化学の進歩』
・『生命とは何か』
・『タンパク質栄養』

☆赤堀四郎関係略年表

・1900年(明治33)10月20日 静岡県小笠郡干浜村(現在の掛川市千浜)において、小学校教師だった父・赤堀秀雄の四男として生まれる
・1913年(大正2) 千浜尋常小学校を卒業する
・1914年(大正3) 大蔵省主税局関税課給仕となり、錦城尋常中学校夜間部へ入学する
・1916年(大正5) 錦城尋常中学校昼間部4年へ編入する
・1918年(大正7) 錦城尋常中学校を卒業し、千葉医学専門学校薬学科へ入学する
・1921年(大正10) 千葉医学専門学校薬学科を卒業、桃谷順天館入社して東京帝国大学(現・東京大学)理学部講師の西沢勇志智の助手として派遣される
・1922年(大正11) 東北帝国大学理学部へ入学する
・1924年(大正13) 眞島研究室に配属される
・1925年(大正14) 東北帝国大学理学部を卒業、同大学大学院に入学する
・1930年(昭和5) 東北帝国大学大学院を修了し、同大学理学部講師となる
・1931年(昭和6) 「アミノ酸及その誘導體に關する研究」で、理学博士を取得する
・1932年(昭和7) 欧米留学へ出発する
・1935年(昭和10) 欧米留学から帰国し、大阪帝国大学理学部助教授となり、有機化学講座を担当する
・1936年(昭和11) しょうゆの香気成分メチオノールの合成に成功する
・1939年(昭和14) 大阪帝国大学理学部教授に昇任される
・1947年(昭和22) 大阪大学理学部学部長となる
・1949年(昭和24) 大阪大学一般教養部部長となる
・1950年(昭和25) 「酵素およびアミノ酸に関する研究」で、日本化学会賞を受賞する
・1951年(昭和26) タカアミラーゼの結晶化に成功する
・1952年(昭和27) タンパク質をヒドラジン分解することによりカルボキシ(カルボキシル)末端アミノ酸残基を決定する方法を創始する
・1953年(昭和28) 大阪大学理学部学部長となり、東京大学応用微生物研究所教授も兼任する
・1955年(昭和30) 「たんぱく質を構成するアミノ酸の結合状態に関する研究」で、日本学士院賞を受賞する
・1958年(昭和33) 大阪大学蛋白質研究所所長となる
・1960年(昭和35) 大阪大学総長となる
・1964年(昭和39) 日本学士院会員となる
・1965年(昭和40)11月 文化勲章を受章する
・1966年(昭和41) 退官して大阪大学名誉教授となり、理化学研究所理事長となり、大浜町名誉市民ともなる
・1967年(昭和42) 国際生化学会議(東京)会長を務める
・1968年(昭和43) 大阪府教育委員会委員長となる
・1969年(昭和44) 日本化学会会長となる
・1973年(昭和48) 大東町名誉市民となる
・1975年(昭和50)4月 勲一等瑞宝章を受章する
・1983年(昭和58) 夫妻そろってカトリックの洗礼を受ける
・1992年(平成4)11月3日 兵庫県において、92歳で亡くなる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1180年(治承4)源平合戦の富士川の戦いが行われる(新暦11月9日)詳細
1856年(安政3)農政家・思想家二宮尊徳の命日(新暦11月17日)詳細
1879年(明治12)経済学者・社会思想家河上肇の誕生日詳細
1937年(昭和12)第1次近衛文麿内閣が「九国条約国会議不参加に関する政府声明」を出す詳細
2009年(平成21)小説家原田康子の命日詳細
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morinoyonezou01
 今日は、明治時代後期の1908年(明治41)に、物理化学者森野米三の生まれた日です。
 森野米三(もりの よねぞう)は、大阪府大阪市において生まれ、今宮中学校(現在の府立今宮高校)、大阪高校を経て、東京帝国大学理学部に入学し、片山正夫に師事しました。1931年(昭和6)に同大学理学部化学科を卒業し、化学研究所の研究生(片山研究室)となり、1937年(昭和12)には、「液体及ビ液体混合物ノ界面自由エネルギーニ就テ」で理学博士を取得します。
 1940年(昭和15)に東京帝国大学助教授となり、翌年には、水島三一郎と共同でラマン分光法を使いエタン誘導体の回転異性体を発見しました。1942年(昭和17)に「分子の基準振動に関する研究」で日本化学会櫻井褒賞を受賞、翌年には、名古屋帝国大学教授となります。
 1945年(昭和20)に東京大学教授を兼任し、1948年(昭和23)に専任となり、1964年(昭和39)には、「気体電子線回折およびマイクロ波分光による分子構造の研究」で日本学士院賞を受賞しました。1969年(昭和44)に東京大学を定年退官し、名誉教授となり、翌年に相模中央化学研究所所長、1971年(昭和46)には社団法人日本化学会会長となります。
 1972年(昭和47)に財団法人相模中央化学研究所副理事長となり、1973年(昭和48)には、「分子構造の研究」で藤原賞を受賞しました。1976年(昭和51)に分子科学研究所評議員、財団法人東レ科学振興会評議員となり、1978年(昭和53)には、財団法人相模中央化学研究所最高顧問となります。
 構造化学分野の創始に貢献したことにより、1980年(昭和55)に勲二等瑞宝章を受章、翌年には、文化功労者顕彰を受けました。1982年(昭和57)に財団法人伊藤科学振興会評議員、財団法人東レ科学振興会理事、1984年(昭和59)に岡崎国立共同研究機構分子科学研究所研究顧問となり、1985年(昭和60)には、私財5千万円で「公益信託分子科学研究奨励森野基金」を設立します。
 1992年(平成4)に文化勲章を受章、1993年(平成5)には、財団法人相模中央化学研究所顧問となったものの、1995年(平成7)10月24日に、神奈川県において、87歳で亡くなりました。

〇森野米三関係略年表

・1908年(明治41)8月31日 大阪府大阪市において生まれる
・1931年(昭和6) 東京帝国大学理学部化学科を卒業し、化学研究所の研究生(片山研究室)となる
・1937年(昭和12) 東京帝国大学助手となり、「液体及ビ液体混合物ノ界面自由エネルギーニ就テ」で理学博士を得る
・1940年(昭和15) 東京帝国大学助教授となる
・1941年(昭和16) 水島三一郎と共同でラマン分光法を使いエタン誘導体の回転異性体を発見する
・1942年(昭和17) 「分子の基準振動に関する研究」で日本化学会櫻井褒賞を受賞、名古屋帝国大学講師となる
・1943年(昭和18) 名古屋帝国大学教授となる
・1945年(昭和20) 東京大学教授を兼任する
・1948年(昭和23) 東京大学教授専任となる
・1964年(昭和39) 「気体電子線回折およびマイクロ波分光による分子構造の研究」で日本学士院賞を受賞する
・1969年(昭和44) 東京大学を定年退官し、名誉教授となる
・1970年(昭和45) 相模中央化学研究所所長となる
・1971年(昭和46) 社団法人日本化学会会長となる
・1972年(昭和47) 財団法人相模中央化学研究所副理事長となる
・1973年(昭和48) 「分子構造の研究」で藤原賞を受賞する
・1976年(昭和51) 分子科学研究所評議員、財団法人東レ科学振興会評議員となる
・1978年(昭和53) 財団法人相模中央化学研究所最高顧問となる
・1980年(昭和55) 勲二等瑞宝章を受章する
・1981年(昭和56) 文化功労者顕彰を受ける
・1982年(昭和57) 財団法人伊藤科学振興会評議員、財団法人東レ科学振興会理事となる
・1984年(昭和59) 岡崎国立共同研究機構分子科学研究所研究顧問となる
・1985年(昭和60) 私財5千万円で「公益信託分子科学研究奨励森野基金」を設立する
・1992年(平成4) 文化勲章を受章する
・1993年(平成5) 財団法人相模中央化学研究所顧問となる
・1995年(平成7)10月24日 神奈川県において、87歳で亡くなる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1874年(明治7)日本画家、南画家小室翠雲の誕生日詳細
1878年(明治11)日本画家鏑木清方(かぶらき きよかた)の誕生日詳細
1896年(明治29)陸羽地震(マグニチュード7.2)が起こり、死者209人、負傷者779人を出す詳細
1913年(大正2)お雇い外国人であるドイツ人医師E・von ベルツの命日詳細
1970年(昭和45)小説家・検察官・弁護士佐賀潜の命日詳細
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kuwatayoshinari01
 今日は、昭和時代後期の1981年(昭和56)に、植物細胞学者桑田義備の亡くなった日です。
 桑田義備(くわだ よしなり)は、1882年(明治15)10月5日に、大阪府吹田で生まれ、旧制茨木中学校(現在の府立茨木高校)、旧制第六高等学校を経て、東京帝国大学理科大学へ入学しました。1908年(明治41)に、東京帝国大学理科大学植物学科を卒業後、欧米に留学し、アメリカのコロンビア大で細胞学者E.B.ウィルソンに師事、染色体や細胞核の分裂を研究します。
 1917年(大正6)に理学博士となり、1918年(大正7)には、徳川義親により東京府荏原郡平塚村小山に設立された私立の徳川生物学研究所の所長を務めました。1922年(大正11)に京都帝国大学教授となり、イネ、トウモロコシの研究を行い、染色体の構造と核分裂の分析や核分裂の進化について独自の学説を樹立、1937年(昭和12)には、『染色体の構造』を刊行します。
 1942年(昭和17)に京都帝国大学教授を辞め、翌年名誉教授となり、1950年(昭和25)には、国立遺伝学研究所客員教授となりました。1953年(昭和28)に、「染色体構造の研究」で、日本学士院賞を受賞、1954年(昭和29)に『核分裂の進化』、1956年(昭和31)に『細胞論』を刊行します。
 細胞学の発展に貢献したことにより、1952年(昭和37)に文化功労者となり、文化勲章も受章しましたが、1981年(昭和56)8月13日に、京都において、98歳で亡くなりました。

〇桑田義備の主要な著作

・『染色体の構造』(1937年)
・『細胞核の分裂』(1943年)
・『核分裂の進化』(1954年)
・『細胞論』(1956年)

☆桑田義備関係略年表

・1882年(明治15)10月5日 大阪府吹田において、生まれる 
・1908年(明治41) 東京帝国大学理科大学植物学科を卒業する
・1917年(大正6) 理学博士となる
・1918年(大正7) 徳川義親により東京府荏原郡平塚村小山に設立された私立の徳川生物学研究所の所長を務める
・1922年(大正11) 京都帝国大学教授となる
・1937年(昭和12) 『染色体の構造』を刊行する
・1942年(昭和17) 京都帝国大学教授を辞める
・1943年(昭和18) 京都帝国大学名誉教授となる
・1950年(昭和25) 国立遺伝学研究所客員教授となる
・1953年(昭和28) 「染色体構造の研究」で、日本学士院賞を受賞する
・1954年(昭和29) 『核分裂の進化』を刊行する
・1956年(昭和31) 『細胞論』を刊行する
・1952年(昭和37) 文化功労者となり、文化勲章も受章する
・1981年(昭和56)8月13日 京都において、98歳で亡くなる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

842年(承和9)貴族・官僚・書家橘逸勢の命日(新暦9月24日)詳細
1809年(文化6)幕末明治維新期の熊本藩士・思想家・政治家横井小楠の誕生日(新暦9月22日)詳細
1870年(明治3)日本5番目の洋式灯台である城ヶ島灯台が初点灯する(新暦9月8日)詳細
1952年(昭和27)日本が国際通貨基金(IMF)に加盟する詳細
日本が国際復興開発銀行(世界銀行)に加盟する詳細
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