
江上不二夫(えがみ ふじお)は、1910年(明治43)11月21日に東京において生まれ、1933年(昭和8)には、東京帝国大学理学部化学科を卒業しました。1934年(昭和9)にフランス政府の招聘留学生としてストラスブール大学、パリ生物物理化学研究所に学びましたが、1937年(昭和12)には帰国し、東京帝国大学理学部助手となります。
1942年(昭和17)に、名古屋帝国大学理学部化学科第三講座(有機化学)助教授となり、東京大学より「スルファターゼ模型に関する研究」で理学博士を得ました。1943年(昭和18)に同大学理学部教授に昇進し、1953年(昭和28)には、「生体酸化環元の研究」で中日文化賞、翌年には、日本化学会賞を受賞しています。
1957年(昭和32)にタカジアスターゼから核酸分解酵素の1種であるリボヌクレアーゼ T1を分離・精製に成功し、国際的に知名度を高め、1958年(昭和33)には、東京大学理学部教授となりました。1961年(昭和36)に国際生化学連合の評議員(~1970年)となり、1966年(昭和41)に「リボヌクレアーゼT1に関する研究」で、朝日賞、1967年(昭和42)には、『生命を探る』で、毎日出版文化賞を受賞、国際生化学会議を日本に誘致して事務局長を務めています。
1968年(昭和43)に埼玉大学理工学部教授を併任、日本生化学会会長となり、1969年(昭和44)には、日本学術会議会長(~1972年)となりました。1971年(昭和46)に三菱化成生命科学研究所初代所長となって、“生命の起源”の研究に打ち込み、「リボヌクレアーゼに関する研究」で日本学士院賞を受賞、レジオン・ドヌール勲章も受章し、1977年(昭和52)には、国際生命の起源学会会長に就任します。
1980年(昭和55)には、三菱化成生命科学研究所名誉所長となりましたが、1982年(昭和57)7月17日に、東京において、71歳で亡くなりました。尚、兄は東洋史学・考古学者で「騎馬民族説」を唱えた江上波夫です。
1942年(昭和17)に、名古屋帝国大学理学部化学科第三講座(有機化学)助教授となり、東京大学より「スルファターゼ模型に関する研究」で理学博士を得ました。1943年(昭和18)に同大学理学部教授に昇進し、1953年(昭和28)には、「生体酸化環元の研究」で中日文化賞、翌年には、日本化学会賞を受賞しています。
1957年(昭和32)にタカジアスターゼから核酸分解酵素の1種であるリボヌクレアーゼ T1を分離・精製に成功し、国際的に知名度を高め、1958年(昭和33)には、東京大学理学部教授となりました。1961年(昭和36)に国際生化学連合の評議員(~1970年)となり、1966年(昭和41)に「リボヌクレアーゼT1に関する研究」で、朝日賞、1967年(昭和42)には、『生命を探る』で、毎日出版文化賞を受賞、国際生化学会議を日本に誘致して事務局長を務めています。
1968年(昭和43)に埼玉大学理工学部教授を併任、日本生化学会会長となり、1969年(昭和44)には、日本学術会議会長(~1972年)となりました。1971年(昭和46)に三菱化成生命科学研究所初代所長となって、“生命の起源”の研究に打ち込み、「リボヌクレアーゼに関する研究」で日本学士院賞を受賞、レジオン・ドヌール勲章も受章し、1977年(昭和52)には、国際生命の起源学会会長に就任します。
1980年(昭和55)には、三菱化成生命科学研究所名誉所長となりましたが、1982年(昭和57)7月17日に、東京において、71歳で亡くなりました。尚、兄は東洋史学・考古学者で「騎馬民族説」を唱えた江上波夫です。
〇江上不二夫の主要な著作
・『生体の化学』(1946年)
・『生化学研究の進み方』(1950年)
・『核酸および核蛋白質』(1951年)
・『生命を探る』(1967年)
・『生物化学概説』(1975年)
☆江上不二夫関係略年表
・1910年(明治43)11月21日 東京において、生まれる
・1933年(昭和8) 東京帝国大学理学部化学科を卒業する
・1934年(昭和9) フランス政府の招聘(しょうへい)留学生としてストラスブール大学、パリ生物物理化学研究所に学ぶ
・1937年(昭和12) 帰国し、東京帝国大学理学部助手となる
・1942年(昭和17) 名古屋帝国大学理学部化学科第三講座(有機化学)助教授となり、東京大学より「スルファターゼ模型に関する研究」で理学博士を得る
・1943年(昭和18) 名古屋帝国大学理学部教授となる
・1953年(昭和28) 「生体酸化環元の研究」で、中日文化賞を受賞する
・1954年(昭和29) 日本化学会賞を受賞する
・1957年(昭和32) タカジアスターゼから核酸分解酵素の1種であるリボヌクレアーゼ T1を分離・精製に成功し、国際的に知名度を高める
・1958年(昭和33) 東京大学理学部教授となる
・1961年(昭和36) 国際生化学連合の評議員となる(~1970年)
・1966年(昭和41) 「リボヌクレアーゼT1に関する研究」で、朝日賞を受賞する
・1967年(昭和42) 『生命を探る』で、毎日出版文化賞を受賞、国際生化学会議を日本に誘致して事務局長を務める
・1968年(昭和43) 埼玉大学理工学部教授併任となり、日本生化学会会長となる
・1969年(昭和44) 日本学術会議会長(~1972年)となる
・1971年(昭和46) 三菱化成生命科学研究所初代所長となり、「リボヌクレアーゼに関する研究」で日本学士院賞を受賞、レジオン・ドヌール勲章を受章する
・1977年(昭和52) オパーソン博士の後を継いで、国際生命の起源学会会長となる
・1980年(昭和55) 三菱化成生命科学研究所名誉所長となる