ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

タグ:日本学士院会員

nishizawajyunichi01
 今日は、大正時代の1926年(大正15)に、半導体工学者西澤潤一が生まれた日です。
 西澤 潤一(にしざわ じゅんいち)は、大正時代の1926年(大正15)9月12日に、宮城県仙台市において、東北帝国大学教授だった、父・西澤恭助の長男として生まれました。宮城県仙台第二中学校、第二高等学校を経て、1945年(昭和20)に東北大学工学部電気工学科へ入学します。
 渡辺寧に師事して、半導体の研究を開始し、1948年(昭和23)に卒業後、同大学大学院特別研究生となり、1953年(昭和28)に修了後、同大学電気通信研究所助手となりました。1954年(昭和29)に助教授に昇任し、1960年(昭和35)に東北大学より工学博士を得て、1962年(昭和37)には、教授に昇任します。
 1965年(昭和40)に、「不純物不均一半導体」で科学技術庁長官奨励賞、翌年には、恩賜発明賞を受賞しました。1968年(昭和43)に財団法人半導体研究振興会半導体研究所長となり、1969年(昭和44)に「半導体デバイスの研究」で松永賞、翌年には、「半導体メーサー」で科学技術庁長官奨励賞を受賞します。
 1974年(昭和49)に「半導体及びトランジスタの研究」で日本学士院賞、1980年(昭和55)に「高輝度発光ダイオードの連続成長技術の開発について」で大河内記念技術賞を受賞、1983年(昭和58)に東北大学電気通信研究所長(~1986年3月)、文化功労者となりました。1989年(平成元)に文化勲章を受章、1990年(平成2)に東北大学名誉教授、東北大学総長に就任し、宮城県名誉県民、1995年(平成7)には、日本学士院会員となります。
 1997年(平成9)に東北自治総合研修センター館長、宮城大学名誉学長、1998年(平成10)に岩手県立大学学長、2000年(平成12)には、日本人初のIEEEエジソンメダルを得ました。2002年(平成14)に勲一等瑞宝章を受章、西澤の業績を記念してIEEE Jun-ichi Nishizawa Medalが創設され、2005年(平成17)には、首都大学東京学長、岩手県立大学名誉学長、上智大学特任教授となったものの、2018年(平成30)10月21日に、宮城県仙台市において、92歳で亡くなっています。

<西澤潤一の主要な著作>

・『闘う独創技術』(1981年)
・『愚直一徹 - 私の履歴書 -』(1985年) 
・『独創は闘いにあり』(1986年)
・『「十年先を読む」発想法』(1986年)
・『西澤潤一の独創開発論』(1986年) 
・『「技術大国・日本」の未来を読む』(1989年)
・『私のロマンと科学』(1990年)
・『独創教育が日本を救う』(1991年)
・『人類は滅亡に向かっている』(1993年)
・『東北の時代 - もはや一極集中の時代ではない』(1995年) 
・『教育の目的再考』(岩1996年) 
・『新学問のすすめ - 21世紀をどう生きるか』(1997年) 
・『背筋を伸ばせ日本人』(1999年) 
・『人類は80年で滅亡する』(2000年) 
・『教育亡国を救う』(2000年) 
・『赤の発見 青の発見』(2001年)
・『日本人よロマンを』(2002年)
・『戦略的独創開発』(2006年)
・『生み出す力』(2010年) 
・『わたしが探究について語るなら』(2010年)

〇西澤潤一関係略年表

・1926年(大正15)9月12日 宮城県仙台市において、東北帝国大学教授だって父・西澤恭助の長男として生まれる
・1943年(昭和18) 宮城県仙台第二中学校を卒業する
・1945年(昭和20) 第二高等学校を卒業する
・1948年(昭和23) 東北大学工学部電気工学科を卒業する
・1953年(昭和28) 東北大学大学院特別研究生修了、東北大学電気通信研究所助手となる
・1954年(昭和29) 東北大学電気通信研究所助教授となる
・1960年(昭和35) 東北大学より、工学博士を得る
・1962年(昭和37) 東北大学電気通信研究所教授となる
・1965年(昭和40) 「不純物不均一半導体」で科学技術庁長官奨励賞を受賞する
・1966年(昭和41) 「不純物不均一半導体」恩賜発明賞を受賞する
・1968年(昭和43) 財団法人半導体研究振興会半導体研究所長となる
・1969年(昭和44) 「半導体デバイスの研究」で松永賞を受賞する
・1970年(昭和45) 「半導体メーサー」で科学技術庁長官奨励賞を受賞する
・1971年(昭和46) 「合金拡散法によるシリコン可変容量ダイオードの開発」で大河内記念技術賞を受賞する
・1974年(昭和49) 「半導体及びトランジスタの研究」で日本学士院賞を受賞する
・1975年4月15日、「静電誘導電界効果トランジスタの開発」で科学技術功労賞、「新しい三極管特性を有する高性能トランジスタ」で電子通信学会業績賞、「位置の制御装置」で東北地方発明賞宮城県支部長賞を受賞、「完全結晶と静電誘導トランジスタ」で紫綬褒章を受章する
・1980年(昭和55) 「高輝度発光ダイオードの連続成長技術の開発について」で大河内記念技術賞、「連続液相成長による半導体デバイスの製造方法及び製造装置」で特許庁長官奨励賞を受賞する
・1982年(昭和57) 「高輝度発光ダイオードの連続製造技術」で井上春成賞を受賞する
・1983年(昭和58) 東北大学電気通信研究所長(~1986年3月)、文化功労者(半導体工学)となり、「SIT(静電誘導トランジスタ)の開発と光通信の基本3要素」でIEEEジャック・A・モートン賞を受賞する
・1984年(昭和58) 「光通信と半導体の研究」で朝日賞を受賞する
・1986年(昭和58) 「pinダイオード、静電誘導トランジスタなどを発明したほか光通信技術の応用発展に寄与」で本田賞を受賞する
・1989年(平成元) 再び、東北大学電気通信研究所長(~1990年3月)となる
・1989年(平成元) IOCG(国際結晶成長機構)ローディス賞を受賞する
・1989年(平成元) 文化勲章を受章する
・1990年(平成2) 東北大学名誉教授、東北大学総長に就任し、宮城県名誉県民となる
・1995年(平成7) 日本学士院会員となる
・1996年(平成8) 「材料科学の独創的研究と半導体工学の発展および光通信の先駆的業績と多大な貢献」で大川賞を受賞する
・1997年(平成9) 東北自治総合研修センター館長、宮城大学名誉学長となる
・1998年(平成10) 岩手県立大学学長となる
・1999年(平成11) 東北大学電気系同窓会会長となる
・2000年(平成12) IEEE エジソンメダルを得る
・2002年(平成14) 勲一等瑞宝章を受章、西澤の業績を記念してIEEE Jun-ichi Nishizawa Medalが創設される
・2005年(平成17) 首都大学東京学長、岩手県立大学名誉学長、上智大学特任教授となる
・2018年(平成30)10月21日 宮城県仙台市において、92歳で亡くなる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1242年(仁治3)第84代の天皇とされる順徳天皇の命日(新暦10月7日)詳細
1571年(元亀2)織田信長による比叡山の焼き討ちが起きる(新暦9月30日)詳細
1821年(文政4)国学者塙保己一の命日(新暦10月7日)詳細
1868年(明治元)明治新政府が江戸幕府の洋学教育研究機関「開成所」を「開成学校」として復興する(新暦10月27日)詳細
1872年(明治5)新橋駅~ 横浜駅間で日本最初の鉄道が完成し、鉄道開業式典が行われる(新暦10月14日)詳細
1887年(明治20)日本画家堅山南風の誕生日詳細
1913年(大正2)「都新聞」で中里介山の長編時代小説『大菩薩峠』の連載が開始される詳細
1963年(昭和38)松川事件で、最高裁が検察側による再上告を棄却し、被告17名全員の無罪が確定する詳細
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

kodairakunihiko01
 今日は、平成時代の1997年(平成9)に、数学者小平邦彦の亡くなった日です。
 小平邦彦(こだいら くにひこ)は、大正時代の1915年(大正4)3月16日に、東京市において、農政官僚だった小平権一の長男として生まれました。東京府立第五中学(現在の都立小石川中等教育学校)、(旧制第一高等学校を経て、1935年(昭和10)に、東京帝国大学理学部数学科へ入学します。
 1938年(昭和13)に数学科卒業後、同大学物理学科へ再入学し、1941年(昭和16)に物理学科を卒業後、同学科講師となりました。1942年(昭和17)に東京文理大学理学部数学科助教授、1944年(昭和19)には、東京帝国大学理学部物理学科助教授となります。
 1949年(昭和24)に、論文:「Harmonic fields in Riemannian manifolds(リーマン空間に於ける調和場)」で、東京大学より理学博士号を得、プリンストン高等研究所研究員となり、1952年(昭和27)には、プリンストン大学数学科准教授となりました。1954年(昭和29)に国際数学者会議において、「調和積分論」で、フィールズ賞を受賞、1955年(昭和30)に、プリンストン大学数学科教授となり、1957年(昭和32)には、日本学士院賞を受賞、文化勲章を受章しています。
 1962年(昭和37)に、ジョンズ・ホプキンズ大学数学科教授となり、1965年(昭和40)には、スタンフォード大学数学科教授、日本学士院会員となりました。1967年(昭和42)に日本へ帰国し、翌年には、東京大学理学部数学科教授となり、1975年(昭和50)には、東京大学を定年退官し、学習院大学理学部教授となり、「複素多様体の理論特に変形理論と複素解析曲面論の研究」で、藤原賞を受賞しています。
 1984年(昭和59)に、イスラエルのウルフ財団よりウルフ賞数学部門を受賞、1985年(昭和60)に学習院大学理学部教授を辞め、1987年(昭和62)には、勲一等瑞宝章を受章しました。1990年(平成2)らに、京都市開催の国際数学者会議で組織委員長を務め、固有値問題、代数幾何学、群論など広範囲にわたる業績を上げてきたものの、1997年(平成9)7月26日に、山梨県の病院において、82歳で亡くなっています。
 尚、2019年(平成31)には、日本数学会が小平邦彦賞を設立し、第1回授賞式が行われました。

〇小平邦彦の主要著作

・『解析入門 I-IV』(1976年、1977年、1979年)
・『複素解析 I-III』(1977年、1978年)
・『複素多様体論 I-III』(1979年、1981年)
・『幾何のおもしろさ』(1985年)
・『幾何への誘い』(1991年)
・『怠け数学者の記』(1986年)
・『ボクは算数しか出来なかった―小平邦彦・私の履歴書』(1987年)

☆小平邦彦関係略年表

・1915年(大正4)3月16日 東京市において、農政官僚だった小平権一の長男として生まれる
・1935年(昭和10) 東京帝国大学数学科へ入学する
・1938年(昭和13) 東京帝国大学数学科卒業後、同大学物理学科へ入学する
・1941年(昭和16) 東京帝国大学物理学科を卒業後、同学科講師となる
・1942年(昭和17) 東京文理大学理学部数学科助教授となる
・1944年(昭和19) 東京帝国大学理学部物理学科助教授となる
・1949年(昭和24) 論文:「Harmonic fields in Riemannian manifolds(リーマン空間に於ける調和場)」で、東京大学より理学博士号を得、プリンストン高等研究所研究員となる
・1952年(昭和27) プリンストン大学数学科准教授となる
・1954年(昭和29) 国際数学者会議において、「調和積分論」で、フィールズ賞を受賞する
・1955年(昭和30) プリンストン大学数学科教授となる
・1957年(昭和32) 日本学士院賞を受賞、文化勲章を受章する
・1962年(昭和37) ジョンズ・ホプキンズ大学数学科教授となる
・1965年(昭和40) スタンフォード大学数学科教授となり、日本学士院会員となる
・1967年(昭和42) 日本へ帰国する
・1968年(昭和43) 東京大学理学部数学科教授となる
・1975年(昭和50) 東京大学を定年退官し、学習院大学理学部教授となり、「複素多様体の理論特に変形理論と複素解析曲面論の研究」で、藤原賞を受賞する
・1984年(昭和59) イスラエルのウルフ財団よりウルフ賞数学部門を受賞する
・1985年(昭和60) 学習院大学理学部教授を辞める
・1987年(昭和62) 勲一等瑞宝章を受章する
・1990年(平成2) 京都市開催の国際数学者会議で組織委員長を務める
・1997年(平成9)7月26日 山梨県の病院において、82歳で亡くなる
・2019年(平成31) 日本数学会が小平邦彦賞を設立し、第1回授賞式が行われる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1651年(慶安4)軍学者・慶安の変の首謀者由比正雪が自害する(新暦9月10日)詳細
1825年(文政8)江戸中村座で鶴屋南北(四代目)作の『東海道四谷怪』が初演さされる(新暦9月8日)詳細
1881年(明治14)劇作家・演出家小山内薫の誕生日詳細
1940年(昭和15)第2次近衛内閣によって国家の政策の基本方針である「基本国策要綱」が閣議決定される詳細
1945年(昭和20)ポツダム会談(ドイツのポツダムで開催)で協議の上、ポツダム宣言が出される詳細
1963年(昭和38)経済協力開発機構(OECD)が日本の加盟を承認(正式加盟は翌年4月28日)する詳細
1981年(昭和56)全国8番目の地下鉄として、福岡市地下鉄初の天神駅~室見駅間(1号線)が開業する詳細
1992年(平成4)将棋棋士・15世永世名人大山康晴の命日詳細
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

yamagatamasaochyo01
 今日は、明治時代後期の1898年(明治31)に、船舶工学者山県昌夫が生まれた日です。
 山県昌夫(やまがた まさお)は、明治時代後期の1898年(明治31)1月4日に、東京において生まれ、東京府立第一中学、旧制第一高校を経て、東京帝国大学工学部船舶工学科へ入学し、船型学を専攻しました。1921年(大正10)に卒業し、逓信省に入って、逓信技師となります。
 運輸省に移り、1933年(昭和8)に日本造船学会論文賞を受賞、1937年(昭和12)に『船型試験法』を刊行し、1941年(昭和16)には、船舶試験所所長となりました。1943年(昭和18)に、運輸通信省船舶局長となり、『戦争と造船』を刊行し、太平洋戦争後の1947年(昭和22)にらは、東京大学工学部教授に就任します。
 1950年(昭和25) 運輸技術研究所の設立に携わり、1952年(昭和27)に『船型学 推進編』を刊行、1953年(昭和28)には、社団法人日本造船研究協会を設立に関わり、『船型学 抵抗編』を刊行するなど、船舶の設計に新分野を開き、日本の造船技術の進歩に大きな貢献をしました。1958年(昭和33)に東京大学工学部教授を辞め、名誉教授となり、1961年(昭和36)に日本学士院会員となり、1963年(昭和38)には、船舶技術研究所の設立に携わります。
 造船協会長、原子力委員会参与、日本海事協会長、日本造船技術センター会長などを歴任し、1967年(昭和42)には、造船工学界では初めての文化勲章を受章しました。1972年(昭和47)に勲一等旭日大綬章を受章、日本の学術、技術、行政面へも寄与してきたものの、1981年(昭和56)3月3日に、東京都内の東京大学附属病院において、83歳で亡くなり、従三位を追贈されました。

〇山県昌夫の主要な著作

・『船型試験法』(1937年)
・『戦争と造船』(1943年)
・『船型学 推進編』(1952年)
・『船型学 抵抗編』(1953年)

☆山県昌夫関係略年表

・1898年(明治31)1月4日 東京において生まれる
・1921年(大正10) 東京帝国大学工学部船舶工学科を卒業し、逓信省に入る
・1933年(昭和8) 日本造船学会論文賞を受賞する
・1937年(昭和12) 『船型試験法』を刊行する
・1941年(昭和16) 船舶試験所所長となる
・1943年(昭和18) 運輸通信省船舶局長となり、『戦争と造船』を刊行する
・1947年(昭和22) 東京大学工学部教授となる
・1950年(昭和25) 運輸技術研究所の設立に携わる
・1952年(昭和27) 『船型学 推進編』を刊行する
・1953年(昭和28) 社団法人日本造船研究協会を設立、『船型学 抵抗編』を刊行する
・1958年(昭和33) 東京大学工学部教授を辞め、名誉教授となる
・1961年(昭和36) 日本学士院会員となる
・1963年(昭和38) 船舶技術研究所の設立に携わる
・1967年(昭和42) 文化勲章を受章する
・1972年(昭和47) 勲一等旭日大綬章を受章する
・1981年(昭和56)3月3日 東京都内の東京大学附属病院において、83歳で亡くなり、従三位を追贈される

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1877年(明治10)地租軽減運動としての一揆頻発により、税率を地価の3%から2.5%に引き下げる詳細
1882年(明治15)「陸海軍軍人ニ賜ハリタル勅諭」(軍人勅諭)が発布される詳細
1888年(明治21)三井財閥、藤田伝三郎などの出資により、山陽鉄道会社(現在の山陽本線)が設立される詳細
1912年(明治45)公家・政治家・伯爵東久世通禧の命日詳細
1922年(大正11)小説家山田風太郎の誕生日詳細
1946年(昭和21)GHQが「超国家主義団体の解体の指令」(SCAPIN-548)を出す詳細
GHQが「公務従事ニ適シナイ者ノ公職カラノ除去ニ関スル件」(SCAPIN-550)を出す詳細
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

tsuboichyuuji01
 今日は、昭和時代後期の1982年(昭和57)に、地球物理学者・随筆家坪井忠二の亡くなった日です。
 坪井忠二(つぼい ちゅうじ)は、明治時代後期の1902年(明治35)9月9日に、東京府において、人類学者だった父・坪井正五郎、母・直子の次男として生まれました。東京高等師範学校附属小学校・中学校、旧制第一高等学校を経て、1923年(大正12)に、東京帝国大学理学部物理学科に入学します。寺田寅彦に師事し、1926年(大正15)に卒業後、同大学地震研究所の助手となりました。1929年(昭和4)に東京帝国大学理学部助教授に昇任し、「地震は重力異常の場所で起こる」との新説を発表します。1933年(昭和18)に理学部地球物理学教室へ移り、翌年には、「精密測量に依りて見出サレタル地殻変動の研究」で、東京帝国大学より理学博士号を取得しました。1935年(昭和10)から翌年にかけて、欧米各国へ出張し、1941年(昭和16)には、東京帝国大学理学部教授に昇任します。1943年(昭和18)に理学部地球物理学第二講座を担当、1947年(昭和22)に測地審議会会長となり、1951年(昭和26)から日本全国約4500地点の重力測定を開始(~1954年)しました。1952年(昭和27)に「地殻の物理的性状に関する研究」で、日本学士院賞、1954年(昭和30)には、「重力測定に基く地下構造の研究」で、朝日文化賞を受賞しています。1960年(昭和35)に地震予知計画研究グループを結成、日本学士院会員となり、1961年(昭和36)には、東京大学理学部長(~1963年)となりました。1962年(昭和37)に和達清夫、萩原尊禮らと「地震予知研究計画」を取りまとめましたが、1963年(昭和38)には、東京大学を退官しています。その後、岩波新書『新・地震の話』(1967年)、岩波書店『数理のめがね』(1968年)、岩波書店『力学物語』(1970年)などの啓蒙書を刊行しました。1972年(昭和47)に勲二等授旭日重光章を受章したものの、1982年(昭和57)11月19日に、東京都において、80歳で亡くなり、従三位を追贈されています。

〇坪井忠二の主要な著作

・『地球』(鉄塔書院 鉄塔科学叢書 1933年)
・『重力』(岩波書店 岩波全書 1935年)
・『地球の形』(日本数学物理学会 最新科学叢書1 1936年)
・『岩波講座 物理学及ビ化学・重力の測定』(岩波書店 1939年)
・『物理学実験12・地球物理及び天文学』(河出書房 1940年)
・『地震の話』(岩波新書 1941年)
・『新 地震の話』(岩波新書 1967年)
・『数理のめがね』(岩波書店 1968年/ちくま学芸文庫 2020年)
・『自然地理学・重力の測定』(地人書館 1970年)
・『力学物語』(岩波書店 1970年)
・『右と左』(サイエンス社 サイエンス叢書 1980年)

☆坪井忠二関係略年表

・1902年(明治35)9月9日 東京府において、人類学者だった父・坪井正五郎、母・直子の次男として生まれる
・1915年(大正4) 東京高等師範学校附属小学校(現在の筑波大学附属小学校)を卒業する
・1920年(大正9) 東京高等師範学校附属中学校(現在の筑波大学附属中学校・高等学校)を卒業し、旧制第一高等学校に入学する
・1923年(大正12) 旧制第一高等学校を卒業し、東京帝国大学理学部物理学科に入学する
・1926年(大正15) 東京帝国大学理学部物理学科を卒業し、同大学地震研究所の助手となる
・1929年(昭和4) 東京帝国大学理学部助教授となり、「地震は重力異常の場所で起こる」との新説を発表する
・1933年(昭和18) 理学部地球物理学教室へ移る
・1934年(昭和19) 「精密測量に依りて見出サレタル地殻変動の研究」で、東京帝国大学より理学博士を得る
・1935年(昭和10) 欧米各国の出張に出発する
・1936年(昭和11) 欧米各国より帰国する
・1941年(昭和16) 東京帝国大学理学部教授となる
・1943年(昭和18) 理学部地球物理学第二講座を担当する
・1947年(昭和22) 測地審議会会長となる
・1951年(昭和26) 日本全国約4500地点の重力測定を開始する(~1954年)
・1952年(昭和27) 「地殻の物理的性状に関する研究」で、日本学士院賞を受賞する
・1954年(昭和30) 「重力測定に基く地下構造の研究」で、朝日文化賞を受賞する
・1960年(昭和35) 地震予知計画研究グループを結成、日本学士院会員となる
・1961年(昭和36) 東京大学理学部長(~1963年)となる
・1962年(昭和37) 和達清夫・萩原尊禮らと「地震予知研究計画」を取りまとめる
・1963年(昭和38) 東京大学を退官する
・1967年(昭和42) 岩波新書『新・地震の話』を刊行する
・1968年(昭和43) 岩波書店『数理のめがね』を刊行する
・1970年(昭和45) 岩波書店『力学物語』を刊行する
・1972年(昭和47) 勲二等授旭日重光章を受章する
・1982年(昭和57)11月19日 東京都において、80歳で亡くなり、従三位を追贈される

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1906年(明治39)京阪電気鉄道株式会社が設立される詳細
1947年(昭和22)「農業協同組合法」が公布される詳細
1956年(昭和31)米原~京都の電化により東海道本線の全線電化が完成する詳細
東京駅~博多駅間の夜行特急あさかぜが運行開始される詳細
1975年(昭和50)MK鋼を発明した冶金学者三島徳七の命日詳細
1993年(平成5)「環境基本法」が公布・施行される詳細
1998年(平成10)気象学者藤田哲也の命日詳細
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

kawashimatakeyoshi01
 今日は。明治時代後期の1909年(明治42)に、法学者川島武宜が生まれた日です。
 川島武宜(かわしま たけよし)は、1909年(明治42)10月17日に、岐阜県岐阜市において、生まれましたが、旧姓は高木でした。大阪府立北野中学校(現在の府立北野高等学校)を経て、1928年(昭和3)に大阪高等学校(現在の大阪大学)を卒業し、東京帝国大学(現在の東京大学)法学部へ進みます。
 我妻栄の下で学び、1932年(昭和7)に卒業後、東京帝国大学法学部助手(民法)となりました。1933年(昭和8)に高等文官試験司法科に合格し、翌年には、東京帝国大学法学部助教授に昇進します。
 1945年(昭和20)に東京帝国大学法学部教授となり、1947年(昭和22)には、日本法社会学会の設立に尽力しました。1948年(昭和23)に『日本社会の家族的構成』で、毎日出版文化賞を受賞、翌年には、『所有権法の理論』、『民法解釈学の諸問題』を刊行し、民法学に新しい視点を導入しています。
 1950年(昭和25)に『法社会学における法の存在構造』、1955年(昭和30)に『科学としての法律学』、1959年(昭和34)に『近代社会と法』、1960年(昭和35)に『民法総論』を刊行し、科学としての法律学を提唱しました。1969年(昭和44)に学位論文「所有権法の理論」で東京大学より法学博士の学位を取得、1970年(昭和45)に定年退官し、東京大学名誉教授となり、弁護士登録をしています。
 1979年(昭和54)に日本学士院会員となり、1980年(昭和55)には、勲二等瑞宝章を受章しました。1991年(平成3)に文化功労者となりましたが、翌年5月21日に82歳で亡くなっています。

〇川島武宜の主要な著作

・『日本社会の家族的構成』(1948年)
・『債権法講義』(1948年)
・『所有権法の理論』(1949年)
・『債權法總則講義』(1949年)
・『民法解釈学の諸問題』(1949年)
・『法社会学に於ける法の存在構造』(1950年)
・『民法講義』(1951年)
・『民法』(1951年)
・『結婚』(1954年)
・『科学としての法律学』(1955年)
・『近代社会と法』(1959年)
・『総論・物権』(1960年)
・『民法総則』(1965年)
・『日本人の法意識』(1978年)
・『ある法学者の軌跡』(1979年)
・『川島武宜著作集』第1巻~第11巻(1982~1986年)
・『「科学としての法律学」とその発展』(1987年)

☆川島武宜関係略年表

・1909年(明治42)10月17日 岐阜県岐阜市において、生まれる
・1925年(大正14) 大阪府立北野中学校(現在の府立北野高等学校)を卒業する
・1928年(昭和3) 大阪高等学校(現在の大阪大学)を卒業する
・1932年(昭和7) 東京帝国大学(現在の東京大学)法学部を卒業し、東京帝国大学法学部助手(民法)となる
・1933年(昭和8) 高等文官試験司法科に合格する
・1934年(昭和9) 東京帝国大学法学部助教授となる
・1945年(昭和20) 東京帝国大学法学部教授となる
・1947年(昭和22) 日本法社会学会の設立に尽力する
・1948年(昭和23) 『日本社会の家族的構成』で、毎日出版文化賞を受賞する
・1949年(昭和24) 『所有権法の理論』、『民法解釈学の諸問題』を刊行する
・1950年(昭和25) 『法社会学における法の存在構造』を刊行する
・1955年(昭和30) 『科学としての法律学』を刊行する
・1959年(昭和34) 『近代社会と法』を刊行する
・1960年(昭和35) 『民法総論』を刊行する
・1969年(昭和44) 学位論文「所有権法の理論」で東京大学より法学博士の学位を取得する
・1970年(昭和45) 定年退官し、東京大学名誉教授となり、弁護士登録をする
・1979年(昭和54) 日本学士院会員となる
・1980年(昭和55) 勲二等瑞宝章を受章する
・1991年(平成3) 文化功労者となる
・1992年(平成4)5月21日 82歳で亡くなる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1803年(享和3)蘭学者・医師前野良沢の命日(新暦11月30日)詳細
1877年(明治10)東京・神田に華族の子弟の教育機関・華族学校が開校、臨席の明治天皇が「学習院」と名附ける詳細
1887年(明治20)H・S パーマにより横浜の市街地へ日本初の近代的上水道が完成、給水が開始される(上水道の日)詳細
1903年(明治36)小説家・評論家立野信之の誕生日詳細
1956年(昭和31)財団法人日本モンキーセンターが設立される詳細
1968年(昭和43)川端康成のノーベル賞(文学賞)受賞が決定する詳細
1980年(昭和55)「ラムサール条約」が日本国内で発効する詳細
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

↑このページのトップヘ