ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

タグ:日本レコード大賞

kogamasaodouzou01
 今日は、明治時代後期の1904年(明治37)に、作曲家古賀政男の生まれた日です。
 古賀政男(こが まさお)は、福岡県三瀦郡田口村三丸(現在の大川市)において、父・喜太郎、母・セツの五男として生まれました。1911年(明治44)に田口尋常小学校に入学しましたが、翌年には、母、姉、弟と供に仁川に住む長兄を頼りに朝鮮へ渡り、仁川公立尋常高等小学校へ転校します。
 1923年(大正12)に上京し、明治大学予科へ入学、直ちにマンドリン倶楽部を創設したものの、翌年夏に旅先の青根温泉付近の山中で剃刀自殺を図りましたが未遂に終わりました。1929年(昭和4)に明治大学商学部を卒業し、明治大学マンドリン倶楽部の第14回定期演奏会で「影を慕いて」(ギター合奏曲)を発表、佐藤千夜子が特別出演しています。
 1931年(昭和6)に日本コロムビアレコードと契約、「酒は涙か溜息か」、「丘を越えて」を発表、1933年(昭和8)には、松平晃が歌唱した「サーカスの唄」がヒットしたものの、体調を崩し伊東で静養しました。1934年(唱和9)にコロムビアレコードからテイチクレコードに移籍しましたが、1938年(昭和13)には、コロムビアレコードに復帰、外務省音楽親善使節として渡米し、一年間にわたりハワイ、南北アメリカを視察旅行します。
 翌年にアメリカNBC放送で古賀の作品が取り上げられ、全世界に向けて15分間にわたって放送され、視察旅行から帰国しました。その後は、「誰か故郷を想わざる」、「目ン無い千鳥」、「新妻鏡」、「なつかしの歌声」などがヒット曲となります。
 太平洋戦争後は、1948年(昭和23)に、「三百六十五夜」、「湯の町エレジー」を発表し、空前の大ヒットとなりました。1959年(唱和34)に日本作曲家協会を設立して会長となり、日本レコード大賞を制定し、1960年(昭和35)には、島倉千代子唄の「白い小指の歌」で、第2回日本レコード大賞作曲賞を受賞します。
 1964年(唱和39)に日本音楽著作権協会会長となり、1965年(昭和40)に美空ひばり唄の「柔」がミリオンセラーとなり、第7回日本レコード大賞を受賞、翌年の美空ひばり唄の「悲しい酒」もミリオンセラーとなりました。1968年(昭和43)に第10回日本レコード大賞(10周年記念賞)を受賞、1974年(昭和49)には、平和への祈りを込め、広島平和音楽祭の実行委員長を引き受けています。
 1975年(昭和50)に勲三等瑞宝章を受賞、1977年(昭和52)には、第19回日本レコード大賞(審査委員会顕彰)を受賞しました。古賀メロディーと呼ばれる約4,000曲の作品を作りましたが、1978年(昭和53)7月25日に、東京・代々木の自宅において、急性心不全により73歳で亡くなり、従四位に叙せられ銀杯を下賜され、国民栄誉賞を受賞、明治大学より名誉博士号を贈られ、故郷・大川市より名誉市民の称号を受け、日本歌謡大賞(放送音楽特別功労賞)を受賞しています。
 尚、1982年(昭和57)に郷里の福岡県大川市に「古賀政男記念館」、1997年(平成9)には、東京都渋谷区の私邸が「古賀政男音楽博物館」としてオープンしました。

〇古賀政男の主要な作曲歌

・「影を慕いて」(1930年)
・「日本橋から」(1930年)
・「酒は涙か溜息か」(1931年)
・「丘を越えて」(1931年)
・「サーカスの唄」(1933年)
・「緑の地平線」(1935年)
・「二人は若い」(1935年)
・「東京ラプソディ」(1936年)
・「あゝそれなのに」(1936年)
・「青い背広で」(1937年)
・「人生の並木路」(1937年)
・「誰か故郷を想わざる」(1940年)
・「目ン無い千鳥」(1940年)
・「新妻鏡」(1940年)
・「なつかしの歌声」(1940年)
・「悲しき竹笛」(1946年)
・「三百六十五夜」(1948年)
・「湯の町エレジー」(1948年)
・「トンコ節」(1949年)
・「無法松の一生」(1958年)
・「白い小指の歌」(1960年)第2回日本レコード大賞作曲賞受賞
・「東京五輪音頭」(1963年)
・「柔」(1965年)第7回日本レコード大賞受賞
・「悲しい酒」(1966年)

☆古賀政男関係略年表

・1904年(明治37)11月18日 福岡県三瀦郡田口村三丸(現在の大川市)において、父・喜太郎、母・セツの五男として生まれる
・1911年(明治44) 田口尋常小学校に入学する
・1912年(大正元) 母、姉、弟と供に仁川に住む長兄を頼りに朝鮮へ渡り、仁川公立尋常高等小学校へ転校する
・1923年(大正12) 上京し、明治大学予科へ入学、直ちにマンドリン倶楽部を創設する
・1928年(昭和3) 夏に旅先の青根温泉付近の山中で剃刀自殺を図るが、同行していた友人の発見により未遂に終わる
・1929年(昭和4) 明治大学商学部を卒業し、明治大学マンドリン倶楽部の第14回定期演奏会で「影を慕いて」(ギター合奏曲)を発表、佐藤千夜子が特別出演する
・1931年(昭和6) 日本コロムビアレコードと契約、「酒は涙か溜息か」、「丘を越えて」を発表する
・1933年(昭和8) 松平晃が歌唱した「サーカスの唄」がヒットするが、体調を崩し伊東で静養する
・1934年(唱和9) コロムビアレコードからテイチクレコードに移籍する
・1938年(昭和13) コロムビアレコードに復帰、外務省音楽親善使節として渡米し、一年間にわたりハワイ、南北アメリカを視察旅行する
・1939年(昭和14) アメリカNBC放送で古賀の作品が取り上げられ、全世界に向けて15分間にわたって放送され、視察旅行から帰国する
・1948年(昭和23) 「三百六十五夜」、「湯の町エレジー」を発表、空前の大ヒットとなる
・1959年(唱和34) 日本作曲家協会を設立して会長となり、日本レコード大賞を制定する
・1960年(昭和35) 島倉千代子唄の「白い小指の歌」で、第2回日本レコード大賞作曲賞を受賞する
・1964年(唱和39) 日本音楽著作権協会会長となる
・1965年(昭和40) 美空ひばり唄の「柔」がミリオンセラーとなり、第7回日本レコード大賞を受賞する
・1966年(昭和41) 美空ひばり唄の「悲しい酒」がミリオンセラーとなる
・1968年(昭和43) 第10回日本レコード大賞(10周年記念賞)を受賞する
・1974年(昭和49) 平和への祈りを込め、広島平和音楽祭の実行委員長を引き受ける
・1975年(昭和50) 勲三等瑞宝章を受賞する
・1977年(昭和52) 第19回日本レコード大賞(審査委員会顕彰)を受賞する
・1978年(昭和53)7月25日 東京・代々木の自宅において、急性心不全により73歳で亡くなり、従四位に叙せられ銀杯を下賜され、国民栄誉賞を受賞、明治大学より名誉博士号を贈られ、故郷・大川市より名誉市民の称号を受け、日本歌謡大賞(放送音楽特別功労賞)を受賞する
・1982年(昭和57) 郷里の福岡県大川市に「古賀政男記念館」が開館する
・1997年(平成9) 東京都渋谷区の私邸が「古賀政男音楽博物館」としてオープンする

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1840年(天保11)第119代の天皇とされる光格天皇の命日(新暦12月11日)詳細
1901年(明治34)官営八幡製鉄所が操業を開始する詳細
1937年(昭和12)「大本営令」(昭和12年軍令第1号)が公布・施行される詳細
1943年(昭和18)小説家徳田秋声の命日詳細
1966年(昭和41)陶芸家・随筆家河井寛次郎の命日詳細
2001年(平成13)JR東日本の東京近郊区間で、ICカード式自動出改札システム「Suica」の使用が開始される詳細
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

hamaguchikuranosuke01
 今日は、大正時代の1917年(大正6)に、作曲家・作詞家浜口庫之助の生まれた日です。
 浜口庫之助(はまぐち くらのすけ)は、兵庫県神戸市において、建設会社を経営する実業家の家に生まれましたが、幼い頃から音楽に親しみ、小学校2年生の時に一家で東京へ引っ越しました。東京府立第四中学校(現在の東京都立戸山高等学校)を経て、1935年(昭和10)に早稲田大学高等予科(現在の早稲田大学高等学院)に入学したものの、翌年に中退し、新宿にあった帝都ダンスホールのバンドボーイとなり、ギタリストとして活動します。
 1939年(昭和14)に青山学院高等商学部(現在の青山学院大学経営学部)に入学、1942年(昭和17)には、戦時下で繰り上げ卒業し、ジャワ島で農園を委託経営する会社に就職し、同島のマランへ赴任しました。戦後、1946年(昭和21)にインドネシアから帰国、友人とハワイアンバンドを組んで、進駐軍めぐりを行います。
 1953年(昭和28)に「浜口庫之助とアフロ・クバーノ」としてNHK紅白歌合戦に出場(3年連続)したものの、1957年(昭和32)には、バンドを解散して作詩・作曲家としての活動を開始しました。1958年(昭和33)にコロムビア専属作曲家となり、1959年(昭和34)にスリーキャッツの「黄色いさくらんぼ」の作曲や守屋浩「僕は泣いちっち」を作詞・作曲して大ヒットさせます。
 1965年(昭和40)に和田弘とマヒナスターズの「愛して愛して愛しちゃったのよ」を作詞・作曲して大ヒットさせ、翌年には、「恍惚のブルース」「星のフラメンコ」「バラが咲いた」で第8回日本レコード大賞作曲賞を受賞しました。その後、1967年(昭和42)に石原裕次郎の「夜霧よ今夜も有難う」、1968年(昭和43)に島倉千代子の「愛のさざなみ」、1971年(昭和46)ににしきのあきらの「空に太陽がある限り」、1972年(昭和47)には、石原裕次郎の「恋の町札幌」を作詞・作曲してヒットさせます。
 1973年(昭和48)に女優の渚まゆみと再婚、1985年(昭和60)にのどの腫瘍で療養後復帰し、1987年(昭和62)には、島倉千代子に楽曲提供した「人生いろいろ」(作詞:中山大三郎)が大ヒットしました。1989年(平成元)にテレビ北海道開局記念番組「北海道はオーケストラ」の音楽を担当、生涯で四千曲余を作曲しましたが、1990年(平成2)12月2日に、東京都豊島区の病院において、喉頭癌のため73歳で亡くなっています。

〇浜口庫之助の主要な作詞・作曲作品

<作詞・作曲>
・「僕は泣いちっち」(1959年)
・「涙くんさよなら」(1965年)
・「愛して愛して愛しちゃったのよ」(1965年)
・「恍惚のブルース」(1966年)
・「星のフラメンコ」(1966年)
・「夕陽が泣いている」(1966年)
・「バラが咲いた」(1966年)
・「夜霧よ今夜も有難う」(1967年)
・「愛のさざなみ」(1968年)
・「空に太陽がある限り」(1971年)
・「恋の町札幌」(1972年)

<作詞>
・「有難や節」(1960年)

<作曲>
・「黄色いさくらんぼ」(1959年)
・「人生いろいろ」(1987年)

☆浜口庫之助関係略年表

・1917年(大正6)7月22日 兵庫県神戸市において、建設会社を経営する実業家の家に生まれる
・1935年(昭和10) 早稲田大学高等予科(現在の早稲田大学高等学院)に入学する
・1936年(昭和11) 早稲田大学高等予科を中退、新宿にあった帝都ダンスホールのバンドボーイとなり、ギタリストとして活動する
・1939年(昭和14) 青山学院高等商学部(現在の青山学院大学経営学部)に入学する
・1942年(昭和17) 青山学院高等商学部を繰り上げ卒業し、ジャワ島で農園を委託経営する会社に就職し、同島のマランへ赴任する
・1946年(昭和21) インドネシアから帰国、友人とハワイアンバンドを組んで、進駐軍めぐりを行う
・1953年(昭和28) 「浜口庫之助とアフロ・クバーノ」としてNHK紅白歌合戦に出場(3年連続)する
・1957年(昭和32) バンドを解散して作詩・作曲家としての活動を開始する
・1958年(昭和33) コロムビア専属作曲家となる
・1959年(昭和34) スリーキャッツの「黄色いさくらんぼ」の作曲や守屋浩「僕は泣いちっち」を作詞・作曲して大ヒットさせる
・1960年(昭和35) 「有難や節」を作詞しヒットさせる
・1963年(昭和38) 妻の邦子と死別する
・1965年(昭和40) 和田弘とマヒナスターズの「愛して愛して愛しちゃったのよ」を作詞・作曲して大ヒットさせる
・1966年(昭和41) 「恍惚のブルース」「星のフラメンコ」「バラが咲いた」で第8回日本レコード大賞作曲賞を受賞する
・1967年(昭和42) 石原裕次郎の「夜霧よ今夜も有難う」を作詞・作曲して大ヒットさせる
・1968年(昭和43) 島倉千代子の「愛のさざなみ」を作詞・作曲してヒットさせる
・1971年(昭和46) にしきのあきらの「空に太陽がある限り」を作詞・作曲してヒットさせる
・1972年(昭和47) 石原裕次郎の「恋の町札幌」を作詞・作曲してヒットさせる
・1973年(昭和48) 女優の渚まゆみと再婚する
・1985年(昭和60) のどの腫瘍で療養後復帰する
・1987年(昭和62) 島倉千代子に楽曲提供した「人生いろいろ」(作詞:中山大三郎)が大ヒットする
・1989年(平成元) テレビ北海道開局記念番組「北海道はオーケストラ」の音楽を担当する
・1990年(平成2)12月2日 東京都豊島区の病院において、喉頭癌のため73歳で亡くなる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1549年(天文18)イエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸する(新暦8月15日)詳細
1878年(明治11)「郡区町村編成法」、「府県会規則」、「地方税規則」(地方三新法)が制定される詳細
1922年(大正11)応用化学者・企業家高峰讓吉の命日詳細
1924年(大正13)「小作調停法」が公布(施行は同年12月1日)される詳細
1953年(昭和28)「離島振興法」が公布・施行される詳細
1974年(昭和49)国営公園の最初の一つとして、国営武蔵丘陵森林公園(埼玉県滑川町・熊谷市)が開園する詳細
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

mizuharahiroshi01
 今日は、昭和時代中期の1959年(昭和34)に、文京公会堂で第1回日本レコード大賞が開催された日です。
 「日本レコード大賞」(にほんれこーどたいしょう)は、社団法人日本作曲家協会と日本レコード大賞制定委員会が主催し、TBSが後援する、1年間の優秀レコードに与える音楽賞でした。1958年(昭和33)に設けられた米国のグラミー賞を受けて、その翌年に作曲家の古賀政男と服部良一、音楽評論家の平井賢が創設したもので、第1回は水原弘の歌う「黒い花びら」(作詞永六輔、作曲中村八大)が受賞します。
 現在では、日本レコード大賞の他に、最優秀歌唱賞、優秀作品賞、最優秀新人賞、作詩賞、作曲賞、編曲賞、優秀アルバム賞、企画賞、特別功労賞などが設けられるようになりました。授賞式の様子は、1969年(昭和44)の第11回から、東京放送(TBS)の番組『輝く!日本レコード大賞』で全国に生中継されるようになりました。
 しかし、受賞を辞退したり、大賞の受賞者が授賞式に出席しないなどの事態もあって権威が低下してきています。

〇レコード大賞受賞曲一覧

・第1回(1959年)黒い花びら[東京芝浦電気]歌手水原弘、作詞永六輔、作曲中村八大、編曲中村八大
・第2回(1960年)誰よりも君を愛す[日本ビクター]歌手松尾和子と和田弘とマヒナスターズ、作詞川内康範、作曲吉田正、編曲和田弘
・第3回(1961年)君恋し[日本ビクター]歌手フランク永井、作詞時雨音羽、作曲佐々紅華、編曲寺岡真三
・第4回(1962年)いつでも夢を[日本ビクター]歌手橋幸夫・吉永小百合、作詞佐伯孝夫、作曲吉田正(2)、編曲吉田正
・第5回(1963年)こんにちは赤ちゃん[キングレコード]歌手梓みちよ、作詞永六輔(2)、作曲中村八大(2)、編曲中村八大(2)
・第6回(1964年)愛と死をみつめて[日本コロムビア]歌手青山和子、作詞大矢弘子、作曲土田啓四郎、編曲土田啓四郎
・第7回(1965年)柔[日本コロムビア]歌手美空ひばり、作詞関沢新一、作曲古賀政男、編曲佐伯亮
・第8回(1966年)霧氷[日本ビクター]歌手橋幸夫(2)、作詞宮川哲夫、作曲利根一郎、編曲一ノ瀬義孝
・第9回(1967年)ブルー・シャトウ[日本コロムビア]歌手ジャッキー吉川とブルー・コメッツ、作詞橋本淳、作曲井上忠夫、編曲森岡賢一郎
・第10回(1968年)天使の誘惑[東芝音楽工業]歌手黛ジュン、作詞なかにし礼、作曲鈴木邦彦、編曲鈴木邦彦
・第11回(1969年)いいじゃないの幸せならば[日本ビクター]歌手佐良直美、作詞岩谷時子、作曲いずみたく、編曲いずみたく
・第12回(1970年)今日でお別れ[日本グラモフォン]歌手菅原洋一、作詞なかにし礼(2)、作曲宇井あきら、編曲森岡賢一郎(2)
・第13回(1971年)また逢う日まで[日本フォノグラム]歌手尾崎紀世彦、作詞阿久悠、作曲筒美京平、編曲筒美京平
・第14回(1972年)喝采[日本コロムビア]歌手ちあきなおみ、作詞吉田旺、作曲中村泰士、編曲高田弘
・第15回(1973年)夜空[徳間音楽工業]歌手五木ひろし、作詞山口洋子、作曲平尾昌晃、編曲竜崎孝路
・第16回(1974年)襟裳岬[ビクター音楽産業]歌手森進一、作詞岡本おさみ、作曲吉田拓郎、編曲馬飼野俊一
・第17回(1975年)シクラメンのかほり[キングレコード]歌手布施明、作詞小椋佳、作曲小椋佳、編曲萩田光雄
・第18回(1976年)北の宿から[日本コロムビア]歌手都はるみ、作詞阿久悠(2)、作曲小林亜星、編曲竹村次郎
・第19回(1977年)勝手にしやがれ[ポリドール]歌手沢田研二、作詞阿久悠(3)、作曲大野克夫、編曲船山基紀
・第20回(1978年)UFO[ビクター音楽産業]歌手ピンク・レディー、作詞阿久悠(4)、作曲都倉俊一、編曲都倉俊一
・第21回(1979年)魅せられて[CBSソニー]歌手ジュディ・オング、作詞阿木燿子、作曲筒美京平(2)、編曲筒美京平(2)
・第22回(1980年)雨の慕情[テイチク]歌手八代亜紀、作詞阿久悠(5)、作曲浜圭介 竜崎孝路 (2)
・第23回(1981年)ルビーの指環[東芝EMI]歌手寺尾聰、作詞松本隆、作曲寺尾聰、編曲井上鑑
・第24回(1982年)北酒場[日本コロムビア]歌手細川たかし、作詞なかにし礼(3)、作曲中村泰士(2)、編曲馬飼野俊一(2)
・第25回(1983年)矢切の渡し[日本コロムビア]歌手細川たかし(2)、作詞石本美由起、作曲船村徹、編曲薗広昭
・第26回(1984年)長良川艶歌[徳間ジャパン]歌手五木ひろし(2)、作詞石本美由起(2)、作曲岡千秋、編曲斎藤恒夫
・第27回(1985年)ミ・アモーレ〔Meu amor é…〕[ワーナーパイオニア]歌手中森明菜、作詞康珍化、作曲松岡直也、編曲松岡直也
・第28回(1986年)DESIRE -情熱-[ワーナーパイオニア]歌手中森明菜(2)、作詞阿木燿子(2)、作曲鈴木キサブロー、編曲椎名和夫
・第29回(1987年)愚か者[CBSソニー]歌手近藤真彦、作詞伊達歩、作曲井上堯之、編曲戸塚修
・第30回(1988年)パラダイス銀河[ポニーキャニオン]歌手光GENJI、作詞飛鳥涼、作曲飛鳥涼、編曲佐藤準
・第31回(1989年)淋しい熱帯魚[ポリスター]歌手Wink、作詞及川眠子、作曲尾関昌也、編曲船山基紀(2)
・第32回(1990年)<演>恋唄綴り[ポリスター]歌手堀内孝雄、作詞荒木とよひさ、作曲堀内孝雄、編曲川村栄二
          <ポ おどるポンポコリン[BMGビクター]歌手B.B.クィーンズ、作詞さくらももこ、作曲織田哲郎、編曲織田哲郎
・第33回(1991年)<演>北の大地[日本クラウン]歌手北島三郎、作詞星野哲郎、作曲船村徹(2)、編曲南郷達也
          <ポ>愛は勝つ[ポリドール]歌手KAN、作詞KAN、作曲KAN KAN、編曲小林信吾
・第34回(1992年)<演>白い海峡[キングレコード]歌手大月みやこ、作詞池田充男、作曲伊藤雪彦、編曲池多孝春
          <ポ>君がいるだけで[ソニー]歌手米米CLUB、作詞米米CLUB、作曲米米CLUB、編曲米米CLUB 中村哲
・第35回(1993年)無言坂[ポリドール]歌手香西かおり、作詞市川睦月、作曲玉置浩二、編曲川村栄二
・第36回(1994年)innocent world[トイズファクトリー]歌手Mr.Children、作詞桜井和寿、作曲桜井和寿、編曲小林武史 Mr.Children
・第37回(1995年)Overnight Sensation〜時代はあなたに委ねてる〜[エイベックス]歌手trf、作詞小室哲哉、作曲小室哲哉、編曲小室哲哉 久保こーじ
・第38回(1996年)Don't wanna cry[エイベックス]歌手安室奈美恵 小室哲哉(2)、作詞前田たかひろ、作曲小室哲哉(2)、編曲小室哲哉(2)
・第39回(1997年)CAN YOU CELEBRATE?[エイベックス]歌手安室奈美恵(2)、作詞小室哲哉(3)、作曲小室哲哉(3)、編曲小室哲哉(3)
・第40回(1998年)wanna Be A Dreammaker[エイベックス]歌手globe、作詞MARC 小室哲哉(4)、作曲小室哲哉(4)、編曲小室哲哉(4)
・第41回(1999年)Winter,again[アンリミテッド]歌手GLAY、作詞TAKURO、作曲TAKURO、編曲MASAHIDE・SAKUMA・GLAY
・第42回(2000年)TSUNAMI[ビクターEnt]歌手サザンオールスターズ、作詞桑田佳祐、作曲桑田佳祐、編曲サザンオールスターズ 弦編曲:島健
・第43回(2001年)Dearest[エイベックス]歌手浜崎あゆみ、作詞浜崎あゆみ、作曲CREA+D・A・I、編曲Naoto Suzuki
・第44回(2002年)Voyage[エイベックス]歌手浜崎あゆみ(2)、作詞浜崎あゆみ(2)、作曲CREA+D・A・I(2)、編曲島健(2)
・第45回(2003年)No way to say[エイベックス]歌手浜崎あゆみ(3)、作詞浜崎あゆみ(3)、作曲BOUNCEBACK、編曲HΛL
・第46回(2004年)Sign[トイズファクトリー]歌手Mr.Children(2)、作詞桜井和寿(2)、作曲桜井和寿(2)、編曲小林武史(2)・Mr.Children(2)
・第47回(2005年)Butterfly[エイベックス]歌手倖田來未、作詞倖田來未、作曲渡辺未来、編曲渡辺未来
・第48回(2006年)一剣[コロムビアMEnt]歌手氷川きよし、作詞松井由利夫、作曲水森英夫、編曲佐伯亮(2)
・第49回(2007年)蕾[ワーナー]歌手コブクロ、作詞小渕健太郎、作曲小渕健太郎、編曲コブクロ
・第50回(2008年)Ti Amo[エイベックス]歌手EXILE、作詞松尾潔、作曲Jin Nakamura・松尾潔、編曲Jin Nakamura
・第51回(2009年)Someday[エイベックス]歌手EXILE(2)、作詞ATSUSHI、作曲miwa furuse、編曲h-wonder
・第52回(2010年)I Wish For You[エイベックス]歌手EXILE(3)、作詞michico、作曲T. Kura? michico、編曲T. Kura
・第53回(2011年)フライングゲット[キングレコード]歌手AKB48、作詞秋元康、作曲すみだしんや、編曲生田真心
・第54回(2012年)真夏のSounds good ![キングレコード]歌手AKB48(2)、作詞秋元康(2)、作曲井上ヨシマサ、編曲井上ヨシマサ
・第55回(2013年)EXILE PRIDE〜こんな世界を愛するため〜[エイベックス]歌手EXILE(4)、作詞ATSUSHI(2)、作曲Sean “PHEKOO” POCHI
・第56回(2014年)R.Y.U.S.E.I.[エイベックス]歌手三代目 J Soul Brothers from EXILE TRIBE、作詞STY<STY・Maozon、編曲STY・Maozon
・第57回(2015年)Unfair World[エイベックス]歌手三代目 J Soul Brothers from EXILE TRIBE(2)、作詞小竹正人、作曲Mitsu.J、編曲Mitsu.J
・第58回(2016年)あなたの好きなところ[ソニー]歌手西野カナ、作詞西野カナ、作曲Carlos K. Yo-Hey、編曲Carlos K.
・第59回(2017年)インフルエンサー[ソニー]歌手乃木坂46、作詞秋元康(3)、作曲すみだしんや(2)、編曲APAZZI
・第60回(2018年)シンクロニシティ[ソニー]歌手乃木坂46(2)、作詞秋元康(4)、作曲シライシ紗トリ、編曲シライシ紗トリ
・第61回(2019年)パプリカ[ソニー]歌手Foorin、作詞米津玄師、作曲米津玄師、編曲米津玄師
・第62回(2020年)炎[ソニー]歌手LiSA、作詩梶浦由記・LiSA、作曲梶浦由記、編曲梶浦由記
・第63回(2021年)CITRUS[エイベックス]歌手Da-iCE、作詞工藤大輝・花村想太、作曲Kaz Kuwamura・中山翔吾、編曲中山翔吾・TomoLow

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

966年(康保3)三蹟の一人とされる能書家・歌人小野道風の命日(新暦967年2月9日)詳細
1278年(弘安元)藤原為氏が『続拾遺和歌集』(二十一代集の12番目)を撰上する(新暦1279年2月9日)詳細
1960年(昭和35)池田隼人内閣で「国民所得倍増計画」が閣議決定される詳細
1980年(昭和55)経済学者山田盛太郎の命日詳細
1987年(昭和62)小説家・児童文学者椋鳩十の命日詳細

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

↑このページのトップヘ