ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

タグ:日本ペンクラブ

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 今日は、昭和時代中期の1947年(昭和22)に、志賀直哉が会長となって日本ペンクラブを再建した日です。
 日本ペンクラブ(にほんぺんくらぶ)は、ロンドンに本部をもつ国際ペンクラブの日本センターとして創立(初代会長:島崎藤村)され、正宗白鳥、徳田秋声などが参加したものです。国際連盟脱退後の外国への窓口の一つとして、外務省と国際文化振興会の斡旋で組織された経緯がありましたが、第二次世界大戦中は活動休止の状態となりました。
 戦後、1947年(昭和22)に志賀直哉を会長として再建され、翌年国際ペンクラブにも復帰し、川端康成が会長(以後1965年まで)となります。1957年(昭和32)には、アジアで初めて、第29回国際ペン大会を「東西両洋文学の相互影響」のテーマのもとに、日本で開催しました。
 1965年(昭和40)には、創立30周年を記念し、創立記念日(11月26日)が「ペンの日」に定められています。現在は、詩人、劇作家、随筆家、編集者、小説家のいずれかに該当する文筆業従事者によって組織され、言論の自由、表現の自由、出版の自由の擁護と、文化の国際的交流の増進を目的とするNGOとなってきました。
 2019年12月1日現在で、1,492人の会員を有し、会報『PEN』、英文誌『Japanese Literature Today』を発行、日本文学の翻訳リスト『Japanese Literature in Foreign Languages 1945-1995』などを作成して、積極的に日本文学を海外に紹介しています。

〇国際ペンクラブとは?

 1921年(大正10)に、イギリスの女性作家ドーソン・スコットの発意により、ジョン・ゴールズワージーらを中心として、文筆家の国際的な親善を通じて世界平和を実現するために、ロンドンで設立されます。正式名称は、「International Association of Playwriters, Poets, Editors, Essayists and Novelists」で、ペンP. E. N.クラブとも呼ばれてきました。
 創立当初は食事の会程度の規模でしたが、フランスペンクラブがつくられて以後、国際的な組織としての体裁を徐々に整えていきます。1923年(大正12)には、第1回の国際ペン大会がロンドンで開催され、初代会長にゴールズワージーが選ばれました。
 以後、第二次世界大戦中の中断はありましたが、毎年1回、各国センターの持ち回りで国際ペン大会を開催しています。「国際PEN憲章」を定め、表現の自由・人権の尊重・平和主義を掲げて、組織内に獄中作家委員会、平和のための作家委員会、翻訳・言語権委員会、女性作家委員会などを設けて活動してきました。

「国際PEN憲章」
1、文芸著作物は、国境のないものであり、政治的なあるいは国際的な紛糾にかかわりなく人々の間で共有する価値あるものたるべきである。
2、芸術作品は、汎く人類の相続財産であり、あらゆる場合に、特に戦時において、国家的あるいは政治的な激情によってそこなわれることなく保たれなければならない。
3、PENの会員たちは、諸国間の時理解と相互の尊敬のためにその持てる限りの影響力を活用すべきである。人間間、階級間、国家間の憎しみを取り除くことに、そして世界に生きる一つの人類という理想を護るために、最善の努力を払うことを誓う。
4、PENは、各国内及びすべての国の間で思想の交流を妨げてはならないという原則を支持し、会員たちはみずからの属する国や社会、並びに全世界を通じてそれが可能な限り、表現の自由に対する抑圧に反対することを誓う、PENは言論報道の自由を宣言し、平時における専制的な検閲に反対する。PENは、より高度な政治的経済的秩序世界への世界が必要としている進歩を成し遂げるには、政府、行政、司法制度に対する自由な批判が不可欠であると信ずる。なた自由は自制を伴うものであるが故に、会員たちが政治的個、意図的目的のための欺瞞の出版、意図的な虚構、事実の歪曲など言論不動にまつわる悪弊に反対することを誓う。

〇日本ペンクラブ歴代会長一覧

・島崎藤村(初代:1935~1943年)
・正宗白鳥(第2代:1943~1947年)
・志賀直哉(第3代:1947~1948年)
・川端康成(第4代:1948~1965年)
・芹沢光治良(第5代:1965~1974年)
・中村光夫(第6代:1974~1975年)
・石川達三(第7代:1975~1977年)
・高橋健二(第8代:1977~1981年)
・井上靖(第9代:1981~1985年)
・遠藤周作(第10代:1985~1989年)
・大岡信(第11代:198~1993年)
・尾崎秀樹(第12代:1993~1997年)
・梅原猛(第13代:1997~2003年)
・井上ひさし(第14代:2003~2007年)
・阿刀田高(第15代:2007~2011年)
・浅田次郎(第16代:2011~2017年)
・吉岡忍(第17代:2017~2021年)
・桐野夏生(第18代:2021年~)

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

729年(神亀6)長屋王が謀叛の疑いで邸宅を包囲され自害する(新暦3月16日)詳細
1231年(寛喜3)第87代の天皇とされる四条天皇の誕生日(新暦3月17日)詳細
1386年(至徳3/元中3)室町幕府第4代将軍足利義持の誕生日(新暦3月12日)詳細
1823年(文政6)写真業創始者・写真家・画家下岡蓮杖の誕生日(新暦3月24日)詳細
1889年(明治22)黒田清隆内閣総理大臣が鹿鳴館において、地方長官らに対し超然主義演説をする詳細
1954年(昭和29)物理学者・冶金学者本多光太郎の命日詳細
1996年(平成8)小説家司馬遼太郎の命日詳細
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saotomemitsugu01
 今日は、平成時代の2008年(平成20)に、小説家早乙女貢の亡くなった日です。
 早乙女貢(さおとめ みつぐ)は、大正時代の1926年(大正15)1月1日に、中国・ハルビン市において、父・鐘ヶ江茂一の子として生まれましたが、本名は鐘ヶ江秀吉(かねがえ ひでよし)といいました。少年時代は体が弱かったせいもあり、15歳頃から小説家になることを志し、徴兵検査では肺浸潤のため不合格となります。
 太平洋戦争後の1946年(昭和21)に九州に引き揚げ、1948年(昭和23)に上京して、1952年(昭和27)頃には、横浜の山本周五郎の仕事場に編集者と訪ねたのを契機に師事するようになりました。1955年(昭和30)に『算盤武士』で、第6回講談倶楽部賞の選外佳作となり、その頃には、倶楽部雑誌新人賞受賞者の集まり「泉の会」に所属します。
 1956年(昭和31)に伊藤桂一、尾崎秀樹らと同人誌「小説会議」を創刊、1965年(昭和40)頃には、有馬頼義主催の「石の会」に参加しました。1966年(昭和41)に『鬼の骨』、1967年(昭和42)に『叛臣伝』で、直木賞候補となった後、1968年(昭和43)に『僑人の檻』で、第60回直木賞を受賞します。
 1974年(昭和49)に『おけい』で、1976年(昭和51)に『北条早雲』で、吉川英治賞候補となり、1988年(昭和63)には、『會津士魂』で、第23回吉川英治文学賞を受賞しました。一方で、日本ペンクラブ常任理事を務め、1984年(昭和59)の国際ペンクラブ東京大会では企画司会等を担当します。
 その後、各国で行われた国際ペンクラブの大会に参加し、1993年(平成5)には、日本ペンクラブ専務理事に就任しました。1995年(平成7)にブレッドでの国際作家会議、エルサレムでの日本文学フェスティバルに参加し、その後も各国で開催された国際ペン大会に代表として出席しています。
 趣味の絵画では、1984年(昭和59)に『江戸を歩く』原画等による個展、1985年(昭和60)に『會津士魂』出版記念個展「早乙女貢が描く会津の詩」、1995年(平成7)に「城下町を描く絵画展」などを開催し、1999年(平成11)に「政経文化画人展」に出品し、文部大臣賞を受賞しました。2003年(平成15)には、『わが師 山本周五郎』で、第16回大衆文学研究賞特別賞を受賞しましたが、2008年(平成20)12月23日に、神奈川県鎌倉市の病院において、胃癌のため82歳で亡くなっています。

〇早乙女貢の主要な著作

・『鬼の骨』(1966年)第56回直木賞候補
・『叛臣伝』(1967年)第58回直木賞候補
・『僑人の檻』(1968年)第60回直木賞受賞
・『おけい』(1974年)第8回吉川英治文学賞候補
・『血槍三代』(1974年)
・『北条早雲』(1976年)第11回吉川英治賞候補
・『會津士魂』(1985~88年)第23回吉川英治文学賞受賞
・『わが師 山本周五郎』(2003年)第16回大衆文学研究賞特別賞受賞

☆早乙女貢関係略年表

・1926年(大正15)1月1日 中国・ハルビンにおいて、父・鐘ヶ江茂一の子として生まれる
・1946年(昭和21) 九州に引き揚げる
・1948年(昭和23) 上京する
・1949年(昭和24) 『暁闇』で、第1回『叡智』懸賞小説で佳作となる
・1952年(昭和27)頃 横浜の山本周五郎の仕事場に編集者と訪ねたのを契機に師事する
・1955年(昭和30) 『算盤武士』で、第6回講談倶楽部賞の選外佳作となる
・1955年(昭和30)頃 倶楽部雑誌新人賞受賞者の集まり「泉の会」に所属する
・1956年(昭和31) 伊藤桂一、尾崎秀樹らと同人誌「小説会議」を創刊する
・1965年(昭和40)頃 有馬頼義主催の「石の会」に参加する
・1966年(昭和41) 『鬼の骨』で、第56回直木賞候補となる
・1967年(昭和42) 『叛臣伝』で、第58回直木賞候補となる
・1968年(昭和43) 『僑人の檻』で、第60回直木賞を受賞する
・1974年(昭和49) 『おけい』で、第8回吉川英治文学賞候補となる
・1976年(昭和51) 『北条早雲』で、第11回吉川英治賞候補となる
・1984年(昭和59) 国際ペンクラブ東京大会では企画司会等を担当する
・1988年(昭和63) 『會津士魂』で、第23回吉川英治文学賞を受賞する
・1993年(平成5) 日本ペンクラブ専務理事に就任する
・1995年(平成7) ブレッドでの国際作家会議、エルサレムでの日本文学フェスティバルに参加する
・2003年(平成15) 『わが師 山本周五郎』で、第16回大衆文学研究賞特別賞を受賞する
・2008年(平成20)12月23日 神奈川県鎌倉市の病院において、胃癌のため82歳で亡くなる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1496年(明応5)第105代の天皇とされる後奈良天皇の誕生日(新暦1497年1月26日)詳細
1613年(慶長18)徳川秀忠により、「伴天連追放之文(禁教令)」が公布される(新暦1614年2月1日)詳細
1874年(明治7)洋画家和田英作の誕生日詳細
1912年(大正元)北炭夕張炭鉱(第二斜坑ほか)で爆発事故が起こり、死者216人、負傷者13人を出す詳細
1942年(昭和17)大日本言論報国会(会長:徳富蘇峰)が結成される詳細
1958年(昭和33)東京タワーの完工式が行われる詳細
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nihonpenclub01

 今日は、昭和時代前期の1935年(昭和10)に、日本ペンクラブが発足した日で、「ペンの日」ともされています。
 日本ペンクラブ(にほんペンクラブ)は、ロンドンに本部をもつ国際ペンクラブの日本センターとして創立(初代会長:島崎藤村)され、正宗白鳥、徳田秋声などが参加しました。国際連盟脱退後の外国への窓口の一つとして、外務省と国際文化振興会の斡旋で組織された経緯がありましたが、第二次世界大戦中は活動休止の状態となります。
 戦後、1947年(昭和22)に志賀直哉を会長として再建され、翌年国際ペンクラブにも復帰し、川端康成が会長(以後1965年まで)となりました。1957年(昭和32)には、アジアで初めて、第29回国際ペン大会を「東西両洋文学の相互影響」のテーマのもとに、日本で開催します。
 1965年(昭和40)には、創立30周年を記念し、創立記念日(11月26日)が「ペンの日」に定められました。現在は、詩人、劇作家、随筆家、編集者、小説家のいずれかに該当する文筆業従事者によって組織され、言論の自由、表現の自由、出版の自由の擁護と、文化の国際的交流の増進を目的とするNGOとなっています。
 2012年12月17日現在で1,758人の会員を有し、会報『PEN』、英文誌『Japanese Literature Today』を発行、日本文学の翻訳リスト『Japanese Literature in Foreign Languages 1945-1995』などを作成して、積極的に日本文学を海外に紹介してきました。

〇国際ペンクラブとは?

 1921年(大正10)に、イギリスの女性作家ドーソン・スコットの発意により、ジョン・ゴールズワージーらを中心として、文筆家の国際的な親善を通じて世界平和を実現するために、ロンドンで設立されます。正式名称は、「International Association of Playwriters, Poets, Editors, Essayists and Novelists」で、ペンP. E. N.クラブとも呼ばれてきました。
 創立当初は食事の会程度の規模でしたが、フランスペンクラブがつくられて以後、国際的な組織としての体裁を徐々に整えていきます。1923年(大正12)には、第1回の国際ペン大会がロンドンで開催され、初代会長にゴールズワージーが選ばれました。
 以後、第二次世界大戦中の中断はありましたが、毎年1回、各国センターの持ち回りで国際ペン大会を開催しています。「国際PEN憲章」を定め、表現の自由・人権の尊重・平和主義を掲げて、組織内に獄中作家委員会、平和のための作家委員会、翻訳・言語権委員会、女性作家委員会などを設けて活動してきました。

「国際PEN憲章」
1、文芸著作物は、国境のないものであり、政治的なあるいは国際的な紛糾にかかわりなく人々の間で共有する価値あるものたるべきである。
2、芸術作品は、汎く人類の相続財産であり、あらゆる場合に、特に戦時において、国家的あるいは政治的な激情によってそこなわれることなく保たれなければならない。
3、PENの会員たちは、諸国間の時理解と相互の尊敬のためにその持てる限りの影響力を活用すべきである。人間間、階級間、国家間の憎しみを取り除くことに、そして世界に生きる一つの人類という理想を護るために、最善の努力を払うことを誓う。
4、PENは、各国内及びすべての国の間で思想の交流を妨げてはならないという原則を支持し、会員たちはみずからの属する国や社会、並びに全世界を通じてそれが可能な限り、表現の自由に対する抑圧に反対することを誓う、PENは言論報道の自由を宣言し、平時における専制的な検閲に反対する。PENは、より高度な政治的経済的秩序世界への世界が必要としている進歩を成し遂げるには、政府、行政、司法制度に対する自由な批判が不可欠であると信ずる。なた自由は自制を伴うものであるが故に、会員たちが政治的個、意図的目的のための欺瞞の出版、意図的な虚構、事実の歪曲など言論不動にまつわる悪弊に反対することを誓う。

〇日本ペンクラブ歴代会長一覧

・島崎藤村(初代:1935~1943年)
・正宗白鳥(第2代:1943~1947年)
・志賀直哉(第3代:1947~1948年)
・川端康成(第4代:1948~1965年)
・芹沢光治良(第5代:1965~1974年)
・中村光夫(第6代:1974~1975年)
・石川達三(第7代:1975~1977年)
・高橋健二(第8代:1977~1981年)
・井上靖(第9代:1981~1985年)
・遠藤周作(第10代:1985~1989年)
・大岡信(第11代:198~1993年)
・尾崎秀樹(第12代:1993~1997年)
・梅原猛(第13代:1997~2003年)
・井上ひさし(第14代:2003~2007年)
・阿刀田高(第15代:2007~2011年)
・浅田次郎(第16代:2011~2017年)
・吉岡忍 (第17代:2017年~)

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1906年(明治39)南満洲鉄道株式会社が設立される詳細
1957年(昭和32)東京都奥多摩町に上水道・発電用の小河内ダムが完成する詳細
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 今日は、明治時代後期の1903年(明治36)に、小説家・評論家立野信之の生まれた日です。
 立野信之(たての のぶゆき)は、千葉県市原郡五井町(現在の市原市)で生まれ、旧制の私立関東中学校へ入学しました。在学中からから「国民文学」などに短歌を投稿しましたが、中退して農業をし、20歳で市原郡五井町役場に就職しています。
 一方、同人誌「簇生」、「千葉文化」、「新興文学」などの発行をしていましたが、1924年(大正13)に連隊に入営しました。2年後除隊し、1928年(昭和3)に、軍隊経験を元に書いた短編小説『標的になつた彼奴(あいつ)』、『軍隊病』で作家デビューします。
 プロレタリア文学の新しい領域の反戦的な作品として注目され、プロレタリア作家としての地位を築き、同年『戦旗』編集委員となり、1930年(昭和5)には、日本プロレタリア作家同盟書記長となりました。しかし、同年に「治安維持法」違反で検挙され、翌年獄中で転向を表明して執行猶予となります。
 その後は、転向文学の先駆けといわれる『友情』(1934年)、『流れ』(1936年)などを発表しました。太平洋戦争後は、現代史に取材した小説を書き継ぎ、二・二六事件を題材にしたノンフィクション小説『叛乱(はんらん)』(1952~53年)で、第28回直木賞を受章します。
 文壇活動としては日本ペンクラブの運営に深く関わり、幹事長、副会長などを歴任、1966年(昭和41)まで専務理事を務めました。芸術院会員ともなりましたが、1971年(昭和46)10月25日に、東京において、68歳で亡くなっています。

〇立野信之の主要な著作

・小説『標的になつた彼奴(あいつ)』(1928年)
・小説『軍隊病』(1928年)
・評論『プロレタリア文学の新しき前進方向』
・評論『創作方法に於ける唯物弁証法』(1931年)
・小説『友情』(1934年)
・小説『流れ』(1936年)
・小説『叛乱(はんらん)』(1952~53年)第28回直木賞受章
・小説『太陽はまた昇る――公爵近衛文麿』(1953年)
・小説『黒い花』(1955年)
・小説『明治大帝』(1956~58年)
・小説『赤と黒』(1959年)
・小説『壊滅』(1961年)
・小説『昭和軍閥』(1963年)
・小説『日本占領』(1964年)

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1803年(享和3)蘭学者・医師前野良沢の命日(新暦11月30日)詳細
1980年(昭和55)ラムサール条約」が日本国内で発効する詳細



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