ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

タグ:日本の歴史公園100選

oosakajyoukouen01
 今日は、昭和時代前期の1931年(昭和6)に、大阪城天守閣が鉄筋コンクリート造で復興され、大阪城公園が開園した日です。
 大阪城公園(おおさかじょうこうえん)は、大阪府大阪市中央区大阪城にある都市公園です。1924年(大正13)に、前身となる大阪城追手口(大手口)正面の大手前公園 (2.3ha) が開園、1928年(昭和3)には、大阪市長關一が天守再建を含む大阪城公園整備事業を提案し、昭和天皇の即位記念事業として整備が進められました。
 1931年(昭和6)11月7日に、大阪城天守閣が鉄筋コンクリート造で復興されると同時に、本丸を含む大阪城公園として開園しましたが、1945年(昭和20)8月14日の第8回大阪大空襲で大きな被害を受けます。大平洋戦争後の1948年(昭和23)8月25日に、占領軍による接収が解除され、建物の修理が進められ、大阪城公園の再整備が始まり、外堀を含む広域が公園地となりました。
 1953年(昭和28)に大坂城跡が国の史跡に指定され、1955年(昭和30)には、国の特別史跡になります。1990年(平成2)に日本さくら名所100選、1990年(平成2)に大阪みどりの百選、日本の都市公園100選、1997年(平成9)に大阪城天守が国の登録有形文化財に登録、2006年(平成18)に大阪城が日本100名城、日本の歴史公園100選、2006年(平成18)には、関西自然に親しむ風景100選に選定されました。
 2015年(平成27)に公園全体を、大阪城パークマネジメント共同事業体が指定管理者として管理運営するようになり、2019年(平成31)には、滞在型の都市公園へのリデザインが、2018年度グッドデザイン賞を受賞しています。総面積105.6haの広大な面積があり、大阪城天守閣をはじめとする歴史建造物を有するほか、約300本の桜を楽しめる西の丸庭園や、105品種1245本の梅の花が咲き誇る梅林など、四季折々の風情をめでる観光客でにぎわってきました。また、大阪城音楽堂や大阪城ホール、大阪国際平和センター、弓道場、修道館などの施設もあります。

〇大阪城公園関係略年表

・1924年(大正13) 前身となる大阪城追手口(大手口)正面の大手前公園 (2.3ha) が開園する
・1928年(昭和3)、大阪市長關一が天守再建を含む大阪城公園整備事業を提案し、昭和天皇の即位記念事業として整備が進められる
・1931年(昭和6)11月7日 大阪城天守閣が鉄筋コンクリート造で復興されると同時に、本丸を含む大阪城公園として開園する
・1945年(昭和20)8月14日 第8回大阪大空襲で大きな被害を受ける
・1948年(昭和23)8月25日 占領軍による接収が解除され、建物の修理が進められ、大阪城公園の再整備が始まり、外堀を含む広域が公園地となる
・1953年(昭和28)3月31日 大坂城跡が国の史跡に指定される
・1955年(昭和30) 6月24日 大坂城跡が国の特別史跡に指定される
・1961年(昭和36) 二の丸南曲輪へ中之島にあった豊國神社が遷座される
・1990年(平成2) 日本さくら名所100選に選定される
・1990年(平成2) 大阪府で開催された国際花と緑の博覧会を記念して、投票の結果に基づき、大阪みどりの百選に選定される
・1989年(平成元)7月28日 日本の都市公園100選に選定される
・1997年(平成9)9月 大阪城天守が国の登録有形文化財に登録される
・2006年(平成18)4月6日 大阪城が日本100名城(54番)に選定される
・2006年(平成18)10月27日 日本の歴史公園100選に選定される
・2006年(平成18) 関西自然に親しむ風景100選に選定される
・2015年(平成27) 公園全体を、大阪城パークマネジメント共同事業体(大和ハウス工業、讀賣テレビ放送、電通が出資する共同事業体)が指定管理者として管理運営するようになる
・2019年(平成31) 滞在型の都市公園へのリデザインが、2018年度グッドデザイン賞を受賞する

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1336年(建武3)足利尊氏が室町幕府の基本的な政治方針「建武式目」を制定(新暦12月10日)詳細
1849年(嘉永2)大坂に緒方洪庵が種痘を行う為の除痘館(種痘所)を開設する(新暦12月21日)詳細
1854年(嘉永7)豊予海峡地震が起き、大きな被害が出る(新暦12月26日)詳細
1889年(明治22)劇作家・演出家・小説家・俳人久保田万太郎の誕生日詳細
1909年(明治42)映画監督・脚本家山中貞雄の誕生日詳細
1922年(大正11)学生連合会(社会科学研究会の連合組織)が結成される詳細
1944年(昭和19)小磯国昭内閣により、「老幼者妊婦等ノ疎開実施要綱」が閣議決定される詳細
1983年(昭和58)奈良県高市郡明日香村のキトラ古墳で玄武の壁画が発見される詳細
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

hibiyakouenmap01

 今日は、明治時代後期の1903年(明治36)に、日本最初の洋風近代式公園として、東京の日比谷公園が開園した日です。
 日比谷公園(ひびやこうえん)は、東京都千代田区に所在する、日本最初の洋風近代式公園として開園された都市公園で、面積は約16.2haあります。江戸時代には、佐賀藩鍋島家、長州藩毛利家などの屋敷がありましたが、1871年(明治4)に取り壊されて、陸軍操練所(のちの日比谷練兵場)が設置されました。
 1888年(明治21)に日比谷練兵場は青山火薬庫跡(現在の明治神宮外苑)に移されると、内務省東京市区改正委員会において公園地としての利用が提案されます。翌年に日比谷公園を第一とする第四十九までの公園の整備を盛り込んだ市区改正が告示され、1893年(明治26)には、東京市が軍から払下げを受け、告示第六号により跡地は正式に日比谷公園と命名されました。
 東京市により設計案がいろいろと検討され、1901年(明治34)には、日比谷公園造園委員会が設置され、翌年に公園造成工事に着工、1903年(明治36)6月1日に開園を迎えます。公園内には洋風レストランの松本楼がオープンし、1905年(明治38)に野外音楽堂(現在の野外小音楽堂)、1908年(明治41)に日比谷図書館(現在の日比谷図書文化館)、1923年(大正12)に野外大音楽堂、1929年(昭和4)に日比谷公会堂が建設されました。
 一方で、1905年(明治38)9月5日にポーツマス日露講和条約に不平をもった群衆の日比谷焼打事件が起き、1922年(大正11)に普通選挙法促進のための尾崎行雄の演説が行われ、1923年(大正12)9月1日の関東大震災で被災し、小音楽堂が倒壊、松本楼が焼失、運動場には被災民が仮設住宅144軒が建てられ、被災者遺体の仮埋葬も行われ、1936年(昭和11)には二・二六事件で野戦重砲が置かれるなど日本の近代史の波にもまれています。太平洋戦争下の1942年(昭和17)に軍用地とされて松本楼は海軍省将校宿舎として利用され、1945年(昭和20)の敗戦後の占領下で、GHQの接収を受け「Doolittle Field(ドーリットル・フィールド)」と名づけられた軍用地となり、松本楼は米軍宿舎として利用され、1951年(昭和26)には、GHQの接収が解け、再整備が始まりました。
 その後、1950年(昭和25)に日比谷花壇ができ、1954年(昭和29)に大音楽堂が完成、1957年(昭和32)に日比谷図書館が再建、1961年(昭和36)には大噴水が完成するなど整備が進められます。尚、1982年(昭和57)に「新東京百景」、1989年(平成元)に「日本の都市公園100選」、2006年(平成18)には「日本の歴史公園100選」に選ばれました。

〇日比谷公園関係略年表

・1871年(明治4) 日比谷・霞が関の旧武家地一帯に陸軍操練所が設置される
・1885年(明治18) 日比谷練兵場と改称される
・1888年(明治21) 日比谷練兵場は青山火薬庫跡、現在の明治神宮外苑に移される
・1888年(明治21)11月 内務省東京市区改正委員会において古市公威と芳野世経により公園地としての利用が提案される
・1889年(明治22) 日比谷公園を第一とする第四十九までの公園の整備を盛り込んだ市区改正が告示される
・1893年(明治26) 東京市が軍から払下げを受け、告示第六号により跡地は正式に日比谷公園と命名され、東京市により設計案が出される
・1894年(明治27)6月 日本園芸会が小平義近による甲乙案、田中芳男による丙案という三案を提出したが、不採用となる
・1897年(明治30) 公園改良取調委員会が設置される
・1898年(明治31) 長岡安平による案が検討されるが、不採用となる
・1899年(明治32)8月 辰野金吾による案が検討されたが、不採用となる
・1900年(明治33) 東京市吏員5名が案を提出するが、不採用となる
・1901年(明治34) 辰野金吾により本多静六が推挙され、石黒忠悳、福羽逸人、小沢圭次郎等とともに日比谷公園造園委員会が設置される
・1902年(明治35)4月 公園造成工事が着工される
・1903年(明治36)6月1日 開園を迎え、公園内には洋風レストランの松本楼がオープンする
・1905年(明治38)8月 野外音楽堂(現在の野外小音楽堂)が竣工する
・1905年(明治38)9月5日 ポーツマス日露講和条約に不平をもった群衆の日比谷焼打事件が起こる
・1908年(明治41) 正三角形の日比谷図書文化館(旧、日比谷図書館)が設立される
・1922年(大正11) 普通選挙法促進のための尾崎行雄の演説が行われる
・1923年(大正12) 野外大音楽堂が完成
・1923年(大正12)9月1日 関東大震災で被災し、小音楽堂が倒壊、松本楼が焼失、運動場には被災民が仮設住宅144軒が建てられ、被災者遺体の仮埋葬も行われ
・1924年(大正13) 仮設住宅が撤去される
・1929年(昭和4) 日比谷公会堂が設立される
・1936年(昭和11) 二・二六事件では野戦重砲が置かれる
・1942年(昭和17) 太平洋戦争下で軍用地とされ、松本楼は海軍省将校宿舎として利用される
・1945年(昭和20) 戦後占領下で、GHQの接収を受け「Doolittle Field(ドーリットル・フィールド)」と名づけられた軍用地となり、松本楼は米軍宿舎として利用される
・1951年(昭和26) GHQの接収が解け、再整備が始まる
・1950年(昭和25) 東京都知事・安井誠一郎の要請により帝国ホテル内の植木屋芳梅園が日比谷公園に出店し、日比谷花壇となる
・1954年(昭和29) 大音楽堂が完成する
・1957年(昭和32) 日比谷図書館が再建される
・1961年(昭和36) 大噴水が完成する
・1971年(昭和46) 沖縄返還運動により松本楼が全焼する
・1973年(昭和48) 松本楼が再建される
・1982年(昭和57) 児童園とプールが廃止されて健康運動広場となる
・1982年(昭和57)10月1日 「新東京百景」に選ばれる
・1983年(昭和58) 大・小音楽堂が建替えられる
・1989年(平成元)7月28日 「日本の都市公園100選」に選定される
・2006年(平成18)10月27日 「日本の歴史公園100選」に選定される
・2011年(平成23)7月1日 東京都から千代田区へ移管された日比谷図書館が「日比谷図書文化館」として開館する
・2018年(平成30)11月23日 ランニングの拠点と飲食店を併設した「スポーツステーション&カフェ」が開館する
・2018年(平成30)12月26日 都が2033年の開園130周年に向け、「グランドデザイン」を発表する

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

980年(天元3)第66代の天皇とされる一条天皇の誕生日(新暦7月15日)詳細
1837年(天保8)生田万の乱が失敗し、国学者生田万が自刃する(新暦7月3日)詳細
1875年(明治8)日本初の気象台「東京気象台」が設置され、気象と地震の観測が開始される(気象記念日)詳細
1957年(昭和32)自然公園法」が制定される

詳細

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

shinjyukugyoen01

 今日は、昭和時代中期の1949年(昭和24)に、「新宿御苑」が国民公園となり一般に利用が開放された日です。
 新宿御苑(しんじゅくぎょえん)は、東京都新宿区と渋谷区にまたがる環境省所管の国民公園で、面積約58.3ha、外周約3.5kmの広大な面積があり、「日本庭園」、「イギリス風景式庭園」、「フランス式整形庭園」を組み合わせ、樹木数は1万本を超え、多くの温室植物を集めた大型温室もあり、旧洋館御休所(国指定重要文化財)、旧御涼亭(東京都選定歴史的建造物)、旧新宿門衛所、旧大木戸門衛所などの貴重な建物も残されてきました。もともとは、江戸時代中期の1772~80年(安永年間)に信州高遠藩主内藤家の下屋敷として築造され、当時は玉川上水が引かれ玉川園と呼ばれていましたが、明治維新後の1872年(明治5)に大蔵省所管の農業振興を目的とした内藤新宿試験場となります。
 果樹、野菜、養蚕、製茶などの指導農場の役割を果し、1877年(明治10)には、試験場内に獣医学、農学、農芸化学、農芸予科の4科を置いた本格的な農事修学場が開校(後移転し東京大学農学部の前身)しました。1879年(明治12)に宮内省所管となり、皇室の御料地、農園の新宿植物御苑となり、花卉、野菜、果樹の温室栽培が行われ、「日本の園芸農業の発祥地」と言われるようになります。
 1901年(明治34)から5ヶ年計画で庭園への改造に着手、1906年(明治39)5月に洋式庭園が完成し、新宿御苑として開園、明治天皇臨席のもと、開苑式が行われました。1917年(大正6)に初の観桜会の開催(戦後は「桜を見る会」)、1927年(昭和2)に大正天皇の大喪の礼が行われ、1929年(昭和4)に初の観菊会が開催(戦後は「菊を観る会」)されるなど皇室行事に利用されるようになります。
 太平洋戦争末期の1945年(昭和20)に空襲を受け、施設がほぼ全焼(旧御休所と旧御凉亭等は現存)しました。戦後、一時東京都の所管となり、都立農業科学講習所となりましたが、1949年(昭和24)には廃止され、同年5月21日に国民公園となり一般に利用が開放されます。
 その後、1971年(昭和46)に環境庁 (現環境省) の所管となり、1989年(平成元)には、昭和天皇の大喪の礼が行われました。尚、1982年(昭和57)に「新東京百景」、1990年(平成2) に「日本さくら名所100選」、1999年(平成11)に「美しき日本―いちどは訪れたい日本の観光遺産」、2007年(平成19)に「日本の歴史公園100選」に選定されています。

〇新宿御苑関係略年表

・1772~80年(安永年間) - 信州高遠藩主内藤家の下屋敷として築造される?
・1872年(明治5) - 大蔵省所管の農業振興を目的とした内藤新宿試験場となる
・1873年(明治6) - 新宿試験場の業務は、大久保利通を内務卿とする内務省の勧業寮に引き継がれる
・1875年(明治8) - 試作した外国果樹が結実し、選抜した優良品種を各地に送る
・1877年(明治10) - 栽培植物数も3,000種を超え、110平方メートルの西洋式温室が完成する
・1877年(明治10) - 試験場内に獣医学、農学、農芸化学、農芸予科の4科を置いた本格的な農事修学場(のちに農学校に改名)が開校する
・1879年(明治12)5月 - 宮内省所管となり、皇室の御料地、農園の新宿植物御苑となる
・1901年(明治34) - 5ヶ年計画の庭園への改造に着手する
・1904年(明治37) - 展示用の菊の栽培が始まる
・1906年(明治39)5月 - 洋式庭園が完成し、新宿御苑として開園、明治天皇臨席のもと、開苑式が行われる
・1917年(大正6)4月 - 初の観桜会の開催(戦後は「桜を見る会」)される
・1921年(大正10) 東京都立新宿高等学校の敷地として一部が下賜される
・1927年(昭和2)2月 - 大正天皇の大喪の礼が行われる
・1929年(昭和4)11月 - 初の観菊会の開催(戦後は「菊を観る会」)される
・1945年(昭和20)5月 - 空襲を受け施設がほぼ全焼する(旧御休所と旧御凉亭は現存)
・1946年(昭和21) - 都の農業科学講習所用地として、一時東京都の所管となり、都立農業科学講習所高等部が発足する
・1947年(昭和22)12月 - 閣議決定によって、皇居外苑、京都御苑と共に「国民の慰楽、保健、教養等、国民福祉のために確保し、平和的文化国家の象徴」として運営していくことが決定し、大蔵省から厚生省に所管が移る
・1949年(昭和24)3月 - 都立農業科学講習所は廃止される
・1949年(昭和24)4月1日 - 「国民公園新宿御苑」と名称が改められる
・1949年(昭和24)5月21日 - 国民公園となり一般に利用が開放される
・1971年(昭和46)7月 - 環境庁 (現環境省) の所管となる
・1982年(昭和57)10月1日 - 東京都によって「新東京百景」に選定される
・1989年(平成元)2月 - 昭和天皇の大喪の礼が行われる
・1990年(平成2) - 「日本さくら名所100選」に選定される
・1999年(平成11) - 「美しき日本―いちどは訪れたい日本の観光遺産」に選定される
・2006年(平成18)4月 - 植物園自然保護国際機構(BGCI)による「植物園の保全活動に対する国際アジェンダ」に登録される
・2007年(平成19)2月5日 - 「日本の歴史公園100選」に追加選定される
・2012年(平成24)11月 - 大温室がリニューアルオープンする

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

二十四節季二十四節季の8番目小満の日です詳細
720年(養老4)舎人親王らが『日本書紀』30巻と系図1巻を完成し撰上する(新暦7月1日)詳細
1575年(天正3)長篠の戦い織田信長徳川家康連合軍が武田勝頼軍を破る(新暦6月29日)詳細
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

↑このページのトップヘ