今日は、明治時代前期の1881年(明治14)に、自由民権派の日刊新聞『東洋自由新聞』が創刊された日です。
『東洋自由新聞(とうようじゆうしんぶん)』は、東京で創刊された、フランス帰りの西園寺公望を社長とし、中江兆民を主筆に据えた、自由民権派の日刊新聞でした。フランス的な自由民権と君民共治を主張、社員に松田正久、相田正文、松沢求策、林正明らがいて、内外の報道記事も充実し、自由民権運動の中心的言論機関になろうとします。
しかし、華族出身の西園寺が中心となったことに驚いた政府は、太政大臣三条実美、右大臣岩倉具視を通して新聞との絶縁を迫ったものの拒否され、4月8日には、明治天皇から退社せよという内勅が出されて、ついに屈服し、翌日辞任に至りました。このいきさつを檄文にして配布した松沢は、逮捕されて懲役70日に刑に処され、資金提供者である稲田が手を引くと資金が欠乏します。
その結果、同紙は4月30日「東洋自由新聞顛覆す」の社説を掲げて、第34号で休刊となり、廃刊に至りました。
以下に、中江兆民が書いた『東洋自由新聞』第一号社説を掲載しておきますので、ご参照下さい。
〇『東洋自由新聞』第一号社説 中江兆民 1881年(明治14)3月18日付
吾儕[1]のこの新聞紙を発兌[2]するや、まさに以て海内[3]三千五百万の兄弟とともに共に向上の真理を講求[4]して、以て国家に報効[5]するあらんと欲せんとするなり。乃ち尋常紙上に記載する事件の首において次を逐ふて我儕[1]の所見を叙述し、以てあまねく可否を江湖[6]の君子に問んとし、ここにその目を掲するに左の数項の外に出でず。曰く自由の説、曰く君民共治[7]の説、曰く地方分権の説、曰く外交平和の説、曰く教育、曰く経済、曰く法律、曰く貿易、曰く兵制なり。これ固より一朝一夕の能よく尽す所にあらず、まさに日を積み月を累ねてまさに始て自ら尽して余りなきことを得べし。今や第一号を発するに臨み、先づ吾儕[1]社名の義を取る所の自由の説を述べて以て端を啓くといふ。
自由の旨趣その目二、曰くリベルテーモラル(即ち心神の自由)、曰くリベルテーポリチック(即ち行為の自由)なり。請ふ先づひろく自由の本義を説き、しかる後二者の自由に及ばむ。
それリベルテーの語はこれを訳して自主、自由、不羈独立[8]等といふ。しかれどもその意義の深微[9]に至りてはこの数語の能く尽す所にあらず。けだし古昔[10]羅馬[11]にありては政権を有する士君子即ちいはゆる良家子に当つるにこの称を以てして、以為らくわが天然に得る所の情性に従ふてその真を保つことを得る者独り以てこの称に当るべしと。意けだし此を以てその束縛[12]箝制[13]を受けたる奴隷囚虜[14]の属に別たんと欲するなり。
第一、リベルテーモラルとは我が精神心思の絶ゑて他物の束縛[12]を受けず、完然発達して余力なきを得るをいふこれなり。古人いはゆる義と道とに配する浩然[15]の一気は即ちこの物なり。内に省みて疚し[16]からず、自ら反して縮きもまたこの物にして、乃ち天地に俯仰[17]して愧怍[18]するなく、これを外にしては政府教門の箝制[13]する所とならず、これを内にしては五慾六悪の妨碍[19]する所とならず、活溌々[20]転轆々[21]として凡そその馳驁[22]するを得る所はこれに馳驁[22]し、いよいよ進みて少しも撓まざる[23]者なり。故に心思[24]の自由は我が本有[25]の根基[26]なるを以て、第二目行為の自由より始めその他百般自由の類は皆此ここより出で、凡そ人生の行為、福祉、学芸皆此より出づ。けだし吾人[27]の最もまさに心を留めて涵養[28]すべき所この物より尚なるはなし。
第二、リベルテーポリチックは即ち行為の自由にして人々の自らその処する所以の者、及びその他人とともにする所以の者皆この中にあり。その目を挙ぐ、曰く一身の自由、曰く思想の自由、曰く言論の自由、曰く集会の自由、曰く出版の自由、曰く結社の自由、曰く民事の自由、曰く従政の自由なり。
心思[24]の自由は天地を極め古今を窮めて一毫[29]増損[30]なき者なり。しかれども文物の盛否と人の賢愚[31]とに因り、その及ぶ所あるいは少差異なきこと能はず。行為の自由に至りては気候の寒熱、土壌の肥硬、風俗の淑慝[32]等に因り、その差異更に甚しき者あり。ああ心思[24]の自由なり行為の自由なりこれ豈少差異あるべけんや。しかして古より今に及ぶまで差異なきこと能はず。これ正に我儕の慷慨悲憤[33]する所以にしてこの新紙の設くる所以なり。けだし自由の物たる、これを草木に譬ふればなほ膏液の如し。故に人の干渉を恃み人の束縛を受るの人民は、なほ窖養[34]の花、盆栽の樹のその天性の香色を放ち、その天稟[35]十分の枝葉を繁茂暢達[36]せしむること能はずして、遽かに[37]これを見れば美なるが如きも、迫りてこれを眂る[38]ときは生気索然[39]として、かつて観るべき者あることなきが如し。もしそれ山花野艸[40]に至りてはこれに異なり、その香馥郁[41]としてその色蓊鬱[42]たり。隻弁[43]単葉といへども皆尽く霊活[44]ならざるなし。自由の人におけるその貴ぶべきことけだしかくの如し。
凡そこの二個の自由は見今[45]衣冠[46]文物の最と夸称[47]する欧米諸国にありては、これを保有すること果して何らの層に至れるや。またその諸国の中いづれか最も高層に至れるや。いづれか最も下層に居るや。また本邦を把りてこれを比するときはそのいづれに擬するを得るや。これ皆我儕のまさに号を逐ふて論述せんと欲する所なり。古徳[48]言ふあり、任重ふして道遠しと。また曰く、斃れて後已む[49]と。我儕の任ずる所もまた甚重からずや。斃れて後已む[49]に至りては固より我儕の薺甘[50]する所なりといへども、独り恐らくは真理の終に獲べからざることを。切に冀くは世の閎覧[51]博物の君子、指教[52]を吝まず[53]我儕の足らざるを補ひ、以て世に益するあらば幸甚。
【注釈】
[1]吾儕:わがせい=自称。対等の相手に対して自身をいう場合に用いる。
[2]発兌:はつだ=書籍・新聞などを発行すること。
[3]海内:かいない=四海の内。国内。
[4]講求:こうきゅう=物事を深く調べ求めること。十分に研究すること。
[5]報効:ほうこう=功を立てて、恩にむくいること。
[6]江湖:こうこ=世の中。世間。一般社会。
[7]君民共治:くんみんきょうち=君主と、人民の代表者である議会とが、共同で国の政務に当たること。君民同治。
[8]不羈独立:ふきどくりつ=他の束縛を受けず、自力で物事を行なうこと。
[9]深微:しんび=奥深く微妙なこと。また、そのさま。
[10]古昔:こせき=むかし。いにしえ。往昔。
[11]羅馬:ろーま=ローマ。
[12]束縛:そくばく=まとめてしばること。しばり捕らえること。
[13]箝制:かんせい=自由にさせないこと。自由を奪うこと。
[14]囚虜:しゅうりょ=敵にとらわれること。また、その人。虜囚。捕虜。
[15]浩然:こうぜん=心などが広くゆったりとしているさま。
[16]疚し:やまし=良心がとがめる。後ろめたい。
[17]俯仰:ふぎょう=うつむくことと仰ぐこと。転じて、たちいふるまい。起居動作。
[18]愧怍:きさく=罪をおそれ恥じる。
[19]五慾六悪の妨碍:ごよくろくあくのぼうがい=人間の欲望による妨害の意味。
[20]活溌々:かっぱつぱつ=魚がはねるように勢いのよいさま。気力にあふれ、きわめて勢いのよいこと。また、そのさま。
[21]転轆々:てんろくろく=車がスムーズに回転するさま。
[22]馳驁:ちぶ=馳せりおごる。
[23]撓まざる:たわまざる=飽きて疲れない。心がくじけない。
[24]心思:しんし=こころ。思い。考え。
[25]本有:ほんゆう=生まれながらに備えていること。固有。生得。
[26]根基:こんき=ねもと。根底。
[27]吾人:ごじん=わたくし、我々。
[28]涵養:かんよう=水が自然に染み込むように、無理をしないでゆっくりと養い育てること。
[29]一毫:いちごう=1本の細い毛すじ。転じて、わずか。寸毫。
[30]増損:ぞうそん=ますこととへらすこと。増減。
[31]賢愚:けんぐ=かしこいこととおろかなこと。かしこい人とおろかな人。
[32]淑慝:しゅくとく=よいことと悪いこと。よしあし。善悪。
[33]慷慨悲憤:こうがいひふん=世の有様や、自己の運命などについていきどおり、嘆き悲しむこと。悲憤慷慨。
[34]窖養:こうよう=あなぐらで養う。
[35]天稟:てんぴん=生まれつきの才能。天性。てんりん。
[36]暢達:ちょうたつ=のびのびしていること。また、そのさま。
[37]遽かに:にわかに=急にあわてふためいて。あわただしく。また、すみやかに。すばやく。
[38]眂る:みる=見る。まっすぐと視線を向けて見る。
[39]索然:さくぜん=心ひかれるものがなくて興ざめするさま。空虚なさま。
[40]野艸:やそう=山野に自生する草。野の草。
[41]馥郁:ふくいく=香気の盛んにかおるさま。よいかおりのいっぱいに漂っているさま。
[42]蓊鬱:おううつ=草木が盛んに茂るさま。
[43]隻弁:せきべん=一つの花びら。
[44]霊活:れいかつ=活気のあること。機敏なこと。また、そのさま。
[45]見今:げんこん=今の時代。
[46]衣冠:いかん=衣服と冠。
[47]夸称:こしょう=誇張して言う。
[48]古徳:ことく=昔の徳の高い人。いにしえのひじり。
[49]斃れて後已む:たおれてのちやむ=死んだあとでやっと終わる。死ぬまで、けんめいに努力して途中でくじけない。
[50]薺甘:せいかん=なずなに甘んじる。
[51]閎覧:こうらん=広くみる。
[52]指教:しきょう=さし示して教えること。指導。
[53]吝まず:おしまず=もの惜しみをしない。けちらない。
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