ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

タグ:新東京百景

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 今日は、大正時代の1926年(大正15)に、明治神宮外苑に絵画館・野球場・相撲場・児童遊園が完成して、外苑完成奉献式が行われた日です。
 明治神宮外苑(めいじじんぐうがいえん)は、東京都新宿区霞ヶ丘町・港区北青山(一部)に所在する緑地です。明治時代は、青山練兵場でしたが、1912年(明治45)に明治天皇が亡くなった時に、葬場殿が設けられ、大葬儀が行われました。その後、明治神宮が国費で造営(内苑)されるにあたって、記念施設として民間の献金により外苑として造成されます。
 1918年(大正7)6月1日に明治神宮外苑地鎮祭で着工されたものの、当初計画では聖徳記念絵画館、葬場殿址記念物、憲法記念館、陸上競技場の4施設のみとするものでした。1923年(大正12)の関東大震災により、造営作業は中断し、敷地を被災者に開放 救護施設を建設、翌年には計画が変更され、野球場、水泳場、相撲場も設けられることになります。
 1924年(大正13)10月25日に、先行して明治神宮競技場が竣功(戦後に国立競技場として建替)、第1回明治神宮競技大会(内務省主催)が開催されました。1926年(大正15)10月22日には、絵画館、野球場、相撲場、児童遊園が完成して、外苑完成奉献式が行われます。
 翌日から野球場開場記念試合として東京六大学紅白試合が行われ、その後は東京六大学リーグ戦の会場となりました。1931年(昭和6)に水泳場、1933年(昭和8)に相撲場併用バスケットボール場設備が出来、1936年(昭和11)には絵画館壁画が完成しています。
 太平洋戦争末期の1945年(昭和20)の東京大空襲の際に、野球場をはじめ、苑内樹木が被災、戦後はGHQによって接収され、メイジパークとして米将兵の運動場ともなりました。1952年(昭和27)にGHQの接収が解除され、米軍施設を引き継ぎ、中央広場は軟式球場として公開されます。
 1952年(昭和27)に「宗教法人法」の施行に伴い明治神宮外苑は宗教法人となりましたが、1956年(昭和31)に1964年の東京オリンピック開催のため、外苑競技場は国(文部省)に譲渡され、国立競技場に建て替えられました。その後、諸施設が設けられ、洋風庭園としても整備され、現在は面積約30万㎡で、聖徳記念絵画館、明治記念館、明治神宮野球場、明治神宮外苑アイススケート場、日本青年館などのスポーツ、文化施設があります。
 絵画館前へ通ずるイチョウ並木は、東京におけるもっとも美しい街路樹の一つとされ、1982年(昭和57)には「新東京百景」にも選定されました。

〇明治神宮外苑の主な施設

・聖徳記念絵画館 - 1926年竣工。明治天皇にまつわる幕末・明治期の政局を描いた絵画を中心に展示されている
・明治記念館 - 明治神宮による結婚式場として有名、大日本帝国憲法の草案を作った建物も残っている
・明治神宮野球場 - 東京ヤクルトスワローズの本拠地、また全日本大学野球選手権大会の舞台
・明治神宮外苑軟式グラウンド - 絵画館の正面にある野球場。
・明治神宮外苑にこにこパーク - 山やログハウスなど緑豊かな有料児童遊園(大人200円、子供50円)
・明治神宮外苑アイススケート場 - 一年中利用できる室内アイススケート場
・神宮外苑フットサルクラブ - 神宮外苑によるフットサルコート
・明治神宮外苑テニスクラブ - 神宮外苑によるテニスクラブ、1957年設立、室内と屋外の2つがある
・明治神宮外苑ゴルフ練習場 - 神宮外苑によるゴルフ練習場
・明治神宮バッティングドーム - 神宮にある全12打席のバッティングセンター
・日本青年館 - 宿泊・会議などもできる施設
・日本文化芸術研究センター - 2010年7月、京都造形芸術大学と東北芸術工科大学が共同で設置したサテライトキャンパス
・三井ガーデンホテル神宮外苑の杜プレミア - 2019年11月22日に開業した三井ガーデンホテルの1つ

☆明治神宮外苑関係略年表

・1912年(明治45)7月30日 明治天皇が亡くなる
・1912年(大正元)9月13日 旧青山練兵場(現在の明治神宮外苑)葬場殿にて大葬儀が行われる
・1914年(大正3) 明治神宮奉賛会創立準備委員会が結成され、旧青山練兵場を明治天皇を記念する公園施設(外苑)とすることとなる
・1918年(大正7)6月1日 明治神宮外苑地鎮祭で着工されたが、当初の開発計画では聖徳記念絵画館、葬場殿址記念物、憲法記念館、陸上競技場の4施設のみとする
・1919年(大正8) 工夫賃金が上昇して予算がひっ迫すると、全国各地の青年団が勤労奉仕として造営に加わることとなる
・1923年(大正12) 関東大震災により、造営作業は中断し、敷地を被災者に開放 救護施設を建設する
・1924年(大正13) 計画が変更され、野球場・水泳場・相撲場も設けられることになる
・1924年(大正13)10月25日 明治神宮競技場が竣功する(戦後に国立競技場として建替)
・1924年(大正13)10月30日 第1回明治神宮競技大会(内務省主催)が開催される
・1926年(大正15)10月22日 絵画館・野球場・相撲場・児童遊園が完成して、外苑完成奉献式が行われる
・1926年(大正15)10月23日 野球場開場記念試合として東京六大学紅白試合が行われる
・1926年(大正15)10月24日 東京六大学リーグ戦が開始される
・1931年(昭和6)5月9日 野球場改築工事が竣功し、アーケード型通路となる
・1931年(昭和6)6月19日 水泳場が竣功する
・1933年(昭和8)1月19日 相撲場併用バスケットボール場設備が奉献される
・1936年(昭和11)4月21日 絵画館壁画が完成し記念式が行われる
・1943年(昭和18)10月21日 明治神宮競技場で出陣学徒壮行会が挙行される
・1945年(昭和20)5月25日 東京大空襲のため、野球場をはじめ、苑内樹木が被災する
・1945年(昭和20)9月18日 GHQによって接収され、メイジパークとして米将兵の運動場となる
・1945年(昭和20)10月28日 戦後初の六大学野球OB戦が行われる
・1945年(昭和20)11月18日 全早慶戦が行われる
・1945年(昭和20)11月23日 野球場初のプロ野球試合、東西対抗戦が行われる
・1947年(昭和22)6月1日 大相撲夏場所が晴天の10日間開催される(国技館米国接収につき)
・1947年(昭和22)11月1日 憲法記念館を「明治記念館」として結婚式場を開館する
・1950年(昭和25)11月22日 プロ野球初の日本選手権試合、毎日対松竹が行われる
・1952年(昭和27)3月1日 新宿区より絵画館が「建造物の部」で文化財に指定される
・1952年(昭和27)3月31日 GHQの接収が解除され、米軍施設を引き継ぎ、中央広場を軟式球場として公開(当初2面)する
・1952年(昭和27)10月22日 「宗教法人法」の施行に伴い明治神宮外苑は宗教法人となる
・1953年(昭和28)2月3日 ゴルフ練習場が開場する(29.12.31まで野球場外野スタンド)
・1956年(昭和31)12月25日 外苑競技場を国(文部省)に譲渡、国立競技場となる(東京オリンピック開催のため)
・1957年(昭和32)4月1日 硬式テニスコート開場式が行われ、テニスクラブが発会する
・1959年(昭和34)6月21日 絵画館前角池を子供プールに使用する(かっぱ天国 36年まで)
・1960年(昭和35)3月25日 児童遊園が有料化され、こども電車が営業開始する(40年まで)
・1961年(昭和36)4月19日 第二球場が竣功する(相撲場跡地)
・1962年(昭和37)4月7日 神宮球場でのプロ野球公式戦使用を開始する(東映)
・1962年(昭和37)6月8日 野球場ナイター照明工事が竣功する
・1963年(昭和38)11月6日 水泳場新館増改築工事が竣功する(家族プール兼アイススケート場)
・1963年(昭和38)11月7日 アイススケート場が営業開始する
・1964年(昭和39)4月1日 神宮球場を国鉄球団(現在の東京ヤクルトスワローズ)の本拠地として使用開始する
・1964年(昭和39)7月23日 国旗掲揚塔が奉納される
・1964年(昭和39)10月10日 東京オリンピックが開会する
・1968年(昭和43)4月1日 絵画館学園が開校する(明治維新100年事業として)
・1968年(昭和43)8月3日 外苑円周道路においてサイクリングが開始される(日・祝日のみ使用 現在も実施中)
・1969年(昭和44)2月11日 「建国記念塔」が奉納される
・1970年(昭和45)11月6日 第一回明治神宮野球大会が開催される
・1971年(昭和46)5月25日 室内球技場が竣功する
・1972年(昭和47)8月13日 ゴルフ練習場が営業開始する
・1976年(昭和51)10月29日 野球場竣功50周年物故者慰霊祭が行われる
・1977年(昭和52)4月16日 打撃練習場が竣功する
・1978年(昭和53)1月10日 陶芸教室が竣功する
・1978年(昭和53)3月30日 野球場外野芝生席が改修される(椅子席となる)
・1978年(昭和53)10月10日 児童遊園内にトリム遊具が設置される
・1980年(昭和55)3月15日 電光式スコアボードが新設される(野球場)
・1980年(昭和55)8月1日 第一回神宮外苑花火大会が開催される(以降毎年実施)
・1982年(昭和57)3月17日 野球場透水性人工芝生敷設工事が竣功する
・1982年(昭和57)7月29日 キリンビアフェスタが開催される(児童遊園)以降「森のビアガーデン」として毎夏盛況を博す
・1982年(昭和57)10月1日 外苑フィギュア・スケートクラブが発会する
・1982年(昭和57)10月1日 「新東京百景」に選定される
・1990年(平成2)10月22日 聖徳記念絵画館夜間照明が竣功する
・1991年(平成3)3月8日 世界陸上が開催される(軟式球場サブトラックとして使用)
・1993年(平成5)3月27日 室内テニスコートが竣功する
・1994年(平成6)9月21日 アイススケート場通年営業開始
・1996年(平成8)12月26日 銀杏並木「新日本街路樹100景」に認定
・1997年(平成9)3月18日 フットサルコート竣功(軟式球場・水泳場)
・1997年(平成9)11月22日 第一回神宮外苑いちょう祭りが開催される(以降毎年実施)
・2002年(平成14)12月2日 明治神宮水泳場が閉場する
・2003年(平成15)4月25日 フットサル千駄ヶ谷コートが竣功する
・2003年(平成15)6月2日 絵画館が東京都選定歴史的建造物に指定される
・2006年(平成18) 社団法人ランドスケープコンサルタンツ協会関東支部は、「2016東京オリンピック招致に向けたランドスケープ提言」をまとめる
・2006年(平成18)11月4日 外苑創建八十年記念奉納試合が開催される(東京六大学選抜対東京ヤクルトスワローズ)
・2008年(平成20)3月6日 野球場リニューアル工事が竣功、人工芝全面張替、スコアボード全面LEDハイビジョン化、両翼拡張(91m→101m)される
・2015年(平成27)4月1日  都は指定の容積率を使い切っていない公園や緑地も多いため、神宮外苑地区の地権者と、街づくり(再整備)の検討に向けた基本覚書を交わす
・2018年(平成30)8月23日 都は新国立競技場を中心とした明治神宮外苑地区の再開発について、2020年以降の街づくり指針を有識者らが協議する検討委員会(座長・下村影男東京大学教授)は、大まかな将来像を示めす
・2018年(平成30)11月22日 上記を受けて都がまちづくり指針を発表する

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

794年(延暦13)桓武天皇が長岡京から山背国の新京に入京する「平安遷都の日」(新暦11月22日)詳細
1894年(明治27)庄内地震(マグニチュード7.0)が起こり、死者726人、負傷者8,403人が出る詳細
1937年(昭和12)詩人中原中也の命日詳細
1945年(昭和20)GHQが「日本教育制度ニ対スル管理政策」を出す詳細


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 今日は、明治時代後期の1903年(明治36)に、日本最初の洋風近代式公園として、東京の日比谷公園が開園した日です。
 日比谷公園(ひびやこうえん)は、東京都千代田区に所在する、日本最初の洋風近代式公園として開園された都市公園で、面積は約16.2haあります。江戸時代には、佐賀藩鍋島家、長州藩毛利家などの屋敷がありましたが、1871年(明治4)に取り壊されて、陸軍操練所(のちの日比谷練兵場)が設置されました。
 1888年(明治21)に日比谷練兵場は青山火薬庫跡(現在の明治神宮外苑)に移されると、内務省東京市区改正委員会において公園地としての利用が提案されます。翌年に日比谷公園を第一とする第四十九までの公園の整備を盛り込んだ市区改正が告示され、1893年(明治26)には、東京市が軍から払下げを受け、告示第六号により跡地は正式に日比谷公園と命名されました。
 東京市により設計案がいろいろと検討され、1901年(明治34)には、日比谷公園造園委員会が設置され、翌年に公園造成工事に着工、1903年(明治36)6月1日に開園を迎えます。公園内には洋風レストランの松本楼がオープンし、1905年(明治38)に野外音楽堂(現在の野外小音楽堂)、1908年(明治41)に日比谷図書館(現在の日比谷図書文化館)、1923年(大正12)に野外大音楽堂、1929年(昭和4)に日比谷公会堂が建設されました。
 一方で、1905年(明治38)9月5日にポーツマス日露講和条約に不平をもった群衆の日比谷焼打事件が起き、1922年(大正11)に普通選挙法促進のための尾崎行雄の演説が行われ、1923年(大正12)9月1日の関東大震災で被災し、小音楽堂が倒壊、松本楼が焼失、運動場には被災民が仮設住宅144軒が建てられ、被災者遺体の仮埋葬も行われ、1936年(昭和11)には二・二六事件で野戦重砲が置かれるなど日本の近代史の波にもまれています。太平洋戦争下の1942年(昭和17)に軍用地とされて松本楼は海軍省将校宿舎として利用され、1945年(昭和20)の敗戦後の占領下で、GHQの接収を受け「Doolittle Field(ドーリットル・フィールド)」と名づけられた軍用地となり、松本楼は米軍宿舎として利用され、1951年(昭和26)には、GHQの接収が解け、再整備が始まりました。
 その後、1950年(昭和25)に日比谷花壇ができ、1954年(昭和29)に大音楽堂が完成、1957年(昭和32)に日比谷図書館が再建、1961年(昭和36)には大噴水が完成するなど整備が進められます。尚、1982年(昭和57)に「新東京百景」、1989年(平成元)に「日本の都市公園100選」、2006年(平成18)には「日本の歴史公園100選」に選ばれました。

〇日比谷公園関係略年表

・1871年(明治4) 日比谷・霞が関の旧武家地一帯に陸軍操練所が設置される
・1885年(明治18) 日比谷練兵場と改称される
・1888年(明治21) 日比谷練兵場は青山火薬庫跡、現在の明治神宮外苑に移される
・1888年(明治21)11月 内務省東京市区改正委員会において古市公威と芳野世経により公園地としての利用が提案される
・1889年(明治22) 日比谷公園を第一とする第四十九までの公園の整備を盛り込んだ市区改正が告示される
・1893年(明治26) 東京市が軍から払下げを受け、告示第六号により跡地は正式に日比谷公園と命名され、東京市により設計案が出される
・1894年(明治27)6月 日本園芸会が小平義近による甲乙案、田中芳男による丙案という三案を提出したが、不採用となる
・1897年(明治30) 公園改良取調委員会が設置される
・1898年(明治31) 長岡安平による案が検討されるが、不採用となる
・1899年(明治32)8月 辰野金吾による案が検討されたが、不採用となる
・1900年(明治33) 東京市吏員5名が案を提出するが、不採用となる
・1901年(明治34) 辰野金吾により本多静六が推挙され、石黒忠悳、福羽逸人、小沢圭次郎等とともに日比谷公園造園委員会が設置される
・1902年(明治35)4月 公園造成工事が着工される
・1903年(明治36)6月1日 開園を迎え、公園内には洋風レストランの松本楼がオープンする
・1905年(明治38)8月 野外音楽堂(現在の野外小音楽堂)が竣工する
・1905年(明治38)9月5日 ポーツマス日露講和条約に不平をもった群衆の日比谷焼打事件が起こる
・1908年(明治41) 正三角形の日比谷図書文化館(旧、日比谷図書館)が設立される
・1922年(大正11) 普通選挙法促進のための尾崎行雄の演説が行われる
・1923年(大正12) 野外大音楽堂が完成
・1923年(大正12)9月1日 関東大震災で被災し、小音楽堂が倒壊、松本楼が焼失、運動場には被災民が仮設住宅144軒が建てられ、被災者遺体の仮埋葬も行われ
・1924年(大正13) 仮設住宅が撤去される
・1929年(昭和4) 日比谷公会堂が設立される
・1936年(昭和11) 二・二六事件では野戦重砲が置かれる
・1942年(昭和17) 太平洋戦争下で軍用地とされ、松本楼は海軍省将校宿舎として利用される
・1945年(昭和20) 戦後占領下で、GHQの接収を受け「Doolittle Field(ドーリットル・フィールド)」と名づけられた軍用地となり、松本楼は米軍宿舎として利用される
・1951年(昭和26) GHQの接収が解け、再整備が始まる
・1950年(昭和25) 東京都知事・安井誠一郎の要請により帝国ホテル内の植木屋芳梅園が日比谷公園に出店し、日比谷花壇となる
・1954年(昭和29) 大音楽堂が完成する
・1957年(昭和32) 日比谷図書館が再建される
・1961年(昭和36) 大噴水が完成する
・1971年(昭和46) 沖縄返還運動により松本楼が全焼する
・1973年(昭和48) 松本楼が再建される
・1982年(昭和57) 児童園とプールが廃止されて健康運動広場となる
・1982年(昭和57)10月1日 「新東京百景」に選ばれる
・1983年(昭和58) 大・小音楽堂が建替えられる
・1989年(平成元)7月28日 「日本の都市公園100選」に選定される
・2006年(平成18)10月27日 「日本の歴史公園100選」に選定される
・2011年(平成23)7月1日 東京都から千代田区へ移管された日比谷図書館が「日比谷図書文化館」として開館する
・2018年(平成30)11月23日 ランニングの拠点と飲食店を併設した「スポーツステーション&カフェ」が開館する
・2018年(平成30)12月26日 都が2033年の開園130周年に向け、「グランドデザイン」を発表する

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

980年(天元3)第66代の天皇とされる一条天皇の誕生日(新暦7月15日)詳細
1837年(天保8)生田万の乱が失敗し、国学者生田万が自刃する(新暦7月3日)詳細
1875年(明治8)日本初の気象台「東京気象台」が設置され、気象と地震の観測が開始される(気象記念日)詳細
1957年(昭和32)自然公園法」が制定される

詳細

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 今日は、昭和時代中期の1949年(昭和24)に、「新宿御苑」が国民公園となり一般に利用が開放された日です。
 新宿御苑(しんじゅくぎょえん)は、東京都新宿区と渋谷区にまたがる環境省所管の国民公園で、面積約58.3ha、外周約3.5kmの広大な面積があり、「日本庭園」、「イギリス風景式庭園」、「フランス式整形庭園」を組み合わせ、樹木数は1万本を超え、多くの温室植物を集めた大型温室もあり、旧洋館御休所(国指定重要文化財)、旧御涼亭(東京都選定歴史的建造物)、旧新宿門衛所、旧大木戸門衛所などの貴重な建物も残されてきました。もともとは、江戸時代中期の1772~80年(安永年間)に信州高遠藩主内藤家の下屋敷として築造され、当時は玉川上水が引かれ玉川園と呼ばれていましたが、明治維新後の1872年(明治5)に大蔵省所管の農業振興を目的とした内藤新宿試験場となります。
 果樹、野菜、養蚕、製茶などの指導農場の役割を果し、1877年(明治10)には、試験場内に獣医学、農学、農芸化学、農芸予科の4科を置いた本格的な農事修学場が開校(後移転し東京大学農学部の前身)しました。1879年(明治12)に宮内省所管となり、皇室の御料地、農園の新宿植物御苑となり、花卉、野菜、果樹の温室栽培が行われ、「日本の園芸農業の発祥地」と言われるようになります。
 1901年(明治34)から5ヶ年計画で庭園への改造に着手、1906年(明治39)5月に洋式庭園が完成し、新宿御苑として開園、明治天皇臨席のもと、開苑式が行われました。1917年(大正6)に初の観桜会の開催(戦後は「桜を見る会」)、1927年(昭和2)に大正天皇の大喪の礼が行われ、1929年(昭和4)に初の観菊会が開催(戦後は「菊を観る会」)されるなど皇室行事に利用されるようになります。
 太平洋戦争末期の1945年(昭和20)に空襲を受け、施設がほぼ全焼(旧御休所と旧御凉亭等は現存)しました。戦後、一時東京都の所管となり、都立農業科学講習所となりましたが、1949年(昭和24)には廃止され、同年5月21日に国民公園となり一般に利用が開放されます。
 その後、1971年(昭和46)に環境庁 (現環境省) の所管となり、1989年(平成元)には、昭和天皇の大喪の礼が行われました。尚、1982年(昭和57)に「新東京百景」、1990年(平成2) に「日本さくら名所100選」、1999年(平成11)に「美しき日本―いちどは訪れたい日本の観光遺産」、2007年(平成19)に「日本の歴史公園100選」に選定されています。

〇新宿御苑関係略年表

・1772~80年(安永年間) - 信州高遠藩主内藤家の下屋敷として築造される?
・1872年(明治5) - 大蔵省所管の農業振興を目的とした内藤新宿試験場となる
・1873年(明治6) - 新宿試験場の業務は、大久保利通を内務卿とする内務省の勧業寮に引き継がれる
・1875年(明治8) - 試作した外国果樹が結実し、選抜した優良品種を各地に送る
・1877年(明治10) - 栽培植物数も3,000種を超え、110平方メートルの西洋式温室が完成する
・1877年(明治10) - 試験場内に獣医学、農学、農芸化学、農芸予科の4科を置いた本格的な農事修学場(のちに農学校に改名)が開校する
・1879年(明治12)5月 - 宮内省所管となり、皇室の御料地、農園の新宿植物御苑となる
・1901年(明治34) - 5ヶ年計画の庭園への改造に着手する
・1904年(明治37) - 展示用の菊の栽培が始まる
・1906年(明治39)5月 - 洋式庭園が完成し、新宿御苑として開園、明治天皇臨席のもと、開苑式が行われる
・1917年(大正6)4月 - 初の観桜会の開催(戦後は「桜を見る会」)される
・1921年(大正10) 東京都立新宿高等学校の敷地として一部が下賜される
・1927年(昭和2)2月 - 大正天皇の大喪の礼が行われる
・1929年(昭和4)11月 - 初の観菊会の開催(戦後は「菊を観る会」)される
・1945年(昭和20)5月 - 空襲を受け施設がほぼ全焼する(旧御休所と旧御凉亭は現存)
・1946年(昭和21) - 都の農業科学講習所用地として、一時東京都の所管となり、都立農業科学講習所高等部が発足する
・1947年(昭和22)12月 - 閣議決定によって、皇居外苑、京都御苑と共に「国民の慰楽、保健、教養等、国民福祉のために確保し、平和的文化国家の象徴」として運営していくことが決定し、大蔵省から厚生省に所管が移る
・1949年(昭和24)3月 - 都立農業科学講習所は廃止される
・1949年(昭和24)4月1日 - 「国民公園新宿御苑」と名称が改められる
・1949年(昭和24)5月21日 - 国民公園となり一般に利用が開放される
・1971年(昭和46)7月 - 環境庁 (現環境省) の所管となる
・1982年(昭和57)10月1日 - 東京都によって「新東京百景」に選定される
・1989年(平成元)2月 - 昭和天皇の大喪の礼が行われる
・1990年(平成2) - 「日本さくら名所100選」に選定される
・1999年(平成11) - 「美しき日本―いちどは訪れたい日本の観光遺産」に選定される
・2006年(平成18)4月 - 植物園自然保護国際機構(BGCI)による「植物園の保全活動に対する国際アジェンダ」に登録される
・2007年(平成19)2月5日 - 「日本の歴史公園100選」に追加選定される
・2012年(平成24)11月 - 大温室がリニューアルオープンする

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

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720年(養老4)舎人親王らが『日本書紀』30巻と系図1巻を完成し撰上する(新暦7月1日)詳細
1575年(天正3)長篠の戦い織田信長徳川家康連合軍が武田勝頼軍を破る(新暦6月29日)詳細
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