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 今日は、平成時代の1994年(平成6)に、小説家・歌人中河与一が亡くなった日です。
 中河与一 (なかがわ よいち)は、明治時代後期の1897年(明治30)2月28日に、香川県阿野郡坂出町(現在の坂出市)において、代々の医家の父・与吉郎、母・多美の長男として生まれました。香川県立丸亀中学校(現在の県立丸亀高等学校)を経て、1919年(大正8)に早稲田大学高等予科文科に入学し、翌年には、同郷の歌人・林幹子と結婚します。
 1921年(大正10)に早稲田大学高等予科文科を卒業し、同大学英文科に進学し、「新公論」6月号に『悩ましき妄想』を発表しました。1922年(大正11)に歌集『光る波』を上田屋書店より刊行しましたが、早稲田大学を中途退学し、翌年には、金星堂編集部に勤務、菊池寛に認められて「文藝春秋」編集同人となります。
 1924年(大正13)に川端康成、横光利一、片岡鉄平、今東光、十一谷義三郎らとともに「文芸時代」を創刊、『刺繍(ししゅう)せられた野菜』(1924年)、『氷る舞踏場』(1925年)を発表し、新感覚派の旗手としてモダニズム時代を築きました。1928年(昭和3)に形式主義文学論争が始まり、1930年(昭和5)には、『形式主義芸術論』、『フォルマリズム芸術論』を刊行、雑誌「新科学的文芸」(「新科学的」と改題)を創刊(~1933年)します。
 1935年(昭和10)に『偶然と文学』、1936年(昭和11)に『愛恋無限』を刊行し、翌年には、この作品で、第1回北村透谷賞を受賞しました。1938年(昭和13)に代表作『天の夕顔』を刊行し、永井荷風の激賞を受けたものの、1939年(昭和14)には、『全体主義の構想』を刊行、「文芸世紀」を創刊(~1945年)し、厚生省諮問機関の労務管理調査委員に選ばれるなどして、民族主義に傾向き、軍国主義への協力を強めます。
 太平洋戦争後は、戦時中の活動が批判を浴び、ようやく1950年(昭和25)に、『失楽の庭』を刊行して、文壇に復帰しました。1957年(昭和32)には、谷崎潤一郎をモデルとした『探美の夜』、翌年に)、『続・探美の夜』を刊行して注目されます。
 1966年(昭和41)から『中河与一全集』全12巻の刊行を開始し、1967年(昭和42)に完結します。1976年(昭和51)には、勲三等瑞宝章を受章しましたが、1994年(平成6)12月12日に、神奈川県箱根町において、97歳で亡くなりました。

〇中河与一の主要な著作

・『刺繍(ししゅう)せられた野菜』(1924年)
・『氷る舞踏場』(1925年)
・『﨟(ろう)たき花』(1933年)
・『愛恋無限』(1935~36年)第1回北村透谷賞受賞
・『天(てん)の夕顔』(1938年)
・『失楽の庭』(1950年)
・『悲劇の季節』(1952年)
・『探美の夜』(1956~59年)

☆中河与一関係略年表

・1897年(明治30)2月28日 香川県坂出町において、代々の医家の父・与吉郎、母・多美の長男として生まれる
・1903年(明治36) 母の郷里である岡山県赤磐郡に行き、大内小学校に入学する
・1910年(明治43) 坂出に帰り、香川県立丸亀中学校(現在の県立丸亀高等学校)に入学する
・1915年(大正4) 丸亀中学校を卒業する
・1916年(大正5) 京都市七条大宮に弟・四郎とともに暮らす。短歌の制作に熱中し、北原白秋主宰の「ザムボア」に数多く投稿。近所の夜学校「漢数学館」で数学を教える。年末、坂出に帰る
・1918年(大正7) 上京し、本郷美術研究所に通う
・1919年(大正8) 早稲田大学高等予科文科に入学する
・1920年(大正9) 同郷の歌人・林幹子と結婚する
・1921年(大正10) 早稲田大学高等予科文科を卒業し、同大学英文科に進学、「新公論」6月号に「悩ましき妄想」を発表する
・1922年(大正11) 歌集『光る波』を上田屋書店より刊行、早稲田大学を中途退学する
・1923年(大正12) 金星堂編集部に勤務、菊池寛に認められて「文藝春秋」編集同人となる
・1924年(大正13) 川端康成、横光利一、片岡鉄平、今東光、十一谷義三郎らとともに「文芸時代」を創刊する
・1925年(大正14) 『午前の殺人』(新潮社)を刊行する
・1926年(大正15) 『氷る舞踏場』(金星堂)を刊行、中国旅行で上海、蘇州、杭州、南京を巡る
・1927年(昭和2) 『恐ろしき花』(改造社)を刊行する
・1928年(昭和3) 形式主義文学論争が始まる
・1930年(昭和5) 『形式主義芸術論』(新潮社)、『フォルマリズム芸術論』(天人社)を刊行、雑誌「新科学的文芸」(「新科学的」と改題)を創刊(~1933年)、南洋方面の旅行に出発する
・1931年(昭和6) 『ホテルQ』(赤炉閣書房)、『海路歴程』(第一書房)を刊行する
・1933年(昭和8) 雑誌「翰林」を創刊(~1936)、『臘たき花』(第一書房)を刊行する
・1934年(昭和9) 『レドモア島誌』(改造社)、『ゴルフ』(昭和書房)、『熱帯紀行』(竹村書房)を刊行する
・1935年(昭和10) 『偶然と文学』(第一書房)を刊行する
・1936年(昭和11) 『愛恋無限』(第一書房)を刊行する
・1937年(昭和12) 『万葉の精神』(千倉書房)を刊行、『愛恋無限』により第1回北村透谷賞を受賞する
・1938年(昭和13) 『日本の理想』(白水社)、『天の夕顔』(三和書房)を刊行する
・1939年(昭和14) 『全体主義の構想』(作品社)を刊行、「文芸世紀」を創刊(~1945年)、厚生省諮問機関の労務管理調査委員に選ばれる
・1940年(昭和15) 『愛の約束』(人文書院)、『熱帯圏』(第一書房)を刊行する
・1943年(昭和18) 『旅人椰子』(講談社)を刊行する
・1944年(昭和19) 『日本文芸論』(講談社)を刊行する
・1948年(昭和23) 『天の夕顔』が新東宝で映画化される
・1950年(昭和25) 『失楽の庭』(中央公論社)を刊行する
・1952年(昭和27) 『悲劇の季節』(河出書房)を刊行する
・1957年(昭和32) 『美貌』(講談社)、『探美の夜』(講談社)を刊行する
・1958年(昭和33) 『誘惑の谷』(第二書房)、『続・探美の夜』(講談社)を刊行する
・1959年(昭和34) 『愛の漂泊者』(角川書店)、『探美の夜・完』(講談社)を刊行する
・1963年(昭和38) 『三人姉妹』(集英社)を刊行、エジプト、ヨーロッパ、インドを巡遊、『天の夕顔』(雪華社)を刊行する
・1966年(昭和41) 『中河与一全集』全12巻(角川書店)を刊行開始(~1967年)する
・1969年(昭和44) インド、ネパールを巡遊する
・1972年(昭和47) 『中河与一代表短編集』(読売新聞社)を刊行する
・1974年(昭和49) 『鏡に這入る女』(旺文社)を刊行する
・1975年(昭和50) 『雪にとぶ鳥』(読売新聞社)を刊行する
・1976年(昭和51) 勲三等瑞宝章を受章する
・1979年(昭和54) 『古都幻想』(村松書館)を刊行する
・1982年(昭和57) 『足と煙草』(宝文館出版)を刊行、蒲生久仁子と再婚する
・1994年(平成6)12月12日 神奈川県箱根町において、97歳で亡くなる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1568年(永禄11)武田信玄軍と今川氏真・北条氏政軍との間で薩埵峠の戦いが始まる(新暦12月30日)詳細
1898年(明治31)小説家黒島伝治の誕生日詳細
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1989年(平成元)漫画家田河水泡の命日詳細
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