ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

タグ:斎藤隆夫

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 今日は、昭和時代前期の1936年(昭和11)に、第69帝国議会の衆議院で斎藤隆夫議員が軍部革正(粛軍)を要請する質問演説(粛軍演説)をし、軍部を批判した日です。
 粛軍演説(しゅくぐんえんぜつ)は、第69帝国議会の衆議院で斎藤隆夫議員が行った、広田弘毅内閣総理大臣と寺内寿一陸軍大臣に対する長時間の質問演説でした。二・二六事件における軍部の政治介入に反発し、前半の広田弘毅内閣総理大臣に対しては、実態が出来ていない理念だけの改革に対して異論を唱えます。
 後半の寺内寿一陸軍大臣に対しては、軍人の政治運動に対して厳しく批判し、軍部革正(粛軍)を強く要請すると同時に議会軽視の傾きのあった軍部に対し、厳しく迫りました。また、軍部に擦り寄っていく政治家に対しても、強烈な批判を浴びせています。
 この質問演説は1時間25分にも及び、都下の大新聞はいずれも第一面全部にそれぞれ大文字の標題を掲げ、演説中の粛軍に関する速記を満載して、議会未曽有の歴史的大演説であると激賞しました。その後、1940年(昭和15)2月の第75帝国議会では,東亜新秩序声明や汪兆銘政権樹立を軸とする「支那事変」処理政策を批判(反軍演説)、衆議院から除名されています。
 以下に、斎藤隆夫の「粛軍演説」を全文掲載しておきますので、ご参照下さい。

〇斎藤隆夫(さいとう たかお)とは?

 明治時代から昭和時代に活躍した弁護士・政治家です。明治時代前期の1870年(明治3年8月18日)に、兵庫県出石郡室埴村(現在の豊岡市)で生まれました。
 東京専門学校(現在の早稲田大学)行政科を卒業し、渡米してエール大学大学院で公法・政治学を学び、帰国後弁護士を開業します。1912年(明治45)5月、郷里より国民党所属で衆議院議員に初当選し、以後13回当選しました。
 戦前は、立憲国民党・立憲同志会・憲政会・民政党に所属し、硬骨な自由主義者で雄弁家として知られ、浜口雄幸内閣で内務政務次官となり、第2次若槻礼次郎内閣の法制局長官を経て、斎藤実内閣では再び内務政務次官を務めます。昭和時代に入るとファシズムに抵抗する議会活動を展開し、1935年(昭和10)1月24日の陸軍パンフレット・軍事費偏重批判演説、翌年5月7日の二・二六事件に対する粛軍演説、1940年(昭和15)2月2日の日中戦争解決に関する反軍演説は特に有名となりました。
 反軍演説で、軍部を怒らせて懲罰に付され、民政党を離党せざるを得なくなり、同年3月7日に帝国議会からも議員除名されますが、1942年(昭和17)の翼賛選挙では翼賛政治体制協議会の非推薦ながら最高点当選し、返り咲きます。太平洋戦争後は、日本進歩党を結成、第一次吉田内閣と片山内閣の国務大臣を務めましたが、1949年(昭和24)10月7日に東京において、79歳で亡くなりました。著作に『帝国憲法論』、『比較国会論』などがあります。

☆斎藤隆夫「粛軍に関する質問演説」 1936年(昭和11)5月7日の第69帝国議会衆議院での演説

 我国の歴史に拭うことの出来ない一大汚点を添えたる彼の叛乱事件の後を承けて広田内閣が成立し、身を挺して国政一致の衝に当らるることは、吾々の最も歓迎する所であり、同時に国家の為に衷心より其成功を祈るものであります。
 広田首相は曩に大命を拝せられ、組閣に入るに先立って天下に向って一の声明書を発表して、将来に対する決意を明にせられたのでありまするが、其声明書を見ますると云うと、旧来の積弊を芟除し、庶政を一新し、確乎不抜の国策を樹立して、以て其実現を期す、昨日此所に於ての御演説に於きましても、此趣旨を敷衍せられて居るのでありまして、洵に我意を得たるものであるのであります。 御説の如くに今日我国内外の情勢を見ますれば、最早旧来陋習を追うて優柔不断の政治は許されない、速に此陋習を打破して一大革新を為すべき国家的、国民的、要求は澎湃として吾々の眼前に押寄せて来て居るのである。
 (拍手)
 それ故に今日何人が政治の局に立つと雖も、此決心と此覚悟を以て当らねばならぬことは当然の次第であります。 何より是迄歴代の政府に於きましても其考がなかったのではありますまい。 其証拠には何れの内閣も成立直後に於きましては、或は施政の方針を声明する、或は政綱政策を発表して、国民の前には政治の革新を誓いまするけれども、それ等の方針、それ等の政綱政策が全部は愚か、其幾分たりとも実行の跡を残さずして一両年経てば内閣は崩壊してしまうのであります。 是は何故であるかと言へば、畢竟するに総理大臣を初めとして、閣僚全体が真に今日我国内外の情勢を認識して、国政改革を断行するだけの熱意もなけれは気魄もない、勇気もなければ真剣味もない、唯目前に現わるる所の国務を弥縫して以て一日の安きを貪る、斯の如き弛緩せる政治状態が過去幾年かの間継続致しました結果、遂に今日の現状を惹起したのであります。
 此秋に方りまして広田首相が組閣の大命を拝せられ、敢然して国政改革の断行を誓わるるに当りましては、天下何人と雖も之を歓迎しない者はないのであります。併ながら翻って考えて見ますると云うと、国政の改革、国策の樹立、之を唱えることは極めて易いのでありまするが、之を行うことは中々困難であります。 固より是等の題目は今日初めて現われたのではない、又現内閣の新発明でも何でもない、従来政府之を唱え、政党之を唱え又有ゆる政治家が之を唱えて国民に向っては何かの期待を抱かせて居たのでありまするけれども、之を具体化して以て其の実行に着手したる者は殆ど見出すことが出来ないのである。 申す迄もなく政治は宣言ではなくして事実である。 百の宣言ありと雖も、一の実行なき所に於て政治の存在を認めることは出来ないのであります。
 (拍手)
 それ故に今日は斯る政治上の題目を繰返して、之に陶酔して居る秋ではない。 速に之を具体化して以て其実行に取掛るべき秋であります、故に私は此見地に立って是より現内閣施設の大要に付て御尋をするのでありまするから、其御積りを以て御聴取を願いたいのであります。
 先ず第一は革新政治の内容に関することでありまするが、-体近頃の日本は革新論及び革新運動の流行時代であります。 革新を唱えない者は経世家ではない、思想家ではない、愛国者でもなけれは憂国者でもないように思われて居るのでありまするが、然らば進んで何を革新せんとするのであるか、どう云う革新を行わんとするのであるかと云えば、殆ど茫漠として捕捉することは出来ない、言論を以て革新を叫ぶ者あり、文章によって革新を鼓吹する者あり、甚しきに至っては暴力に依って革新を断行せんとする者もありまするが、彼等の中に於て、真に世界の大勢を達観し、国家内外の実情を認識して、仮令一つたりとも理論あり、根底あり、実効性ある所の革新案を提供したる者あるかと云うと、私は今日に至る迄之を見出すことが出来ないのである。
 国家改造を唱えるが如何に国家を改造せんとするのであるか、昭和維新などと云うことを唱えるが、如何にして維新の大業を果さんとするのであるか、国家改造を唱えて国家改造の何たるかを知らない、昭和維新を唱えて、昭和維持の何たるかを解しない、畢竟するに生存競争の落伍者、政界の失意者乃至一知半解の学者等の唱える所の改造論に耳を傾ける何ものもないのであります。
 (拍手)
 而も此種類の無責任にして矯激なる言論が、動もすれば思慮浅薄なる一部の人々を刺戟して、此処にも彼処にも不穏の計画を醸成し、不逞の兇漢を出すに至っては、実に文明国民の恥辱であり、且つ醜体であるのであります
 (拍手)
 併し私は今日此処に於て斯くの如き革新論を批判せんとする者ではない。此壇上は斯の如き種顆の議論を試みる処ではないと云うことは十分に承知して居ります。私の目指す所は広田首相が抱懐せられて居る所の革新政治、其の内容を聴かんとする者であります。 便宜の為に政治革新の方法を二つの方面より御伺致します。 第一は政治機関の改革である。 即ち立法、行政、司法此三機関の構成に関する所の改革であります。 第二は是等の機関に依って運用せらるる所の実際政治に対する所の改革であります。
 先ず第一の政治機関の改革、其中の立法機関の改革に付て広田首相は何かの意見を持って居られるのでありますか、近頃貴族院改革と云う議論が現われて居りますが、是は主として貴族院議員の間に唱えられて居るのでありまして、政府の意見として現われたるものは聞かない、又衆議院の改革に付ても議論がございまするが、是亦政府の意見として現われたものはない、要するに広田首相は是等立法機関の改革に付て、何か手を著けられる御積りであるか、又手を著けられると云うならば、何か之に付いて相当の腹案があるかないか、之を一つ伺いたいのであります。
 次は行政機関の改革であります、吾々は随分長い間行政刷新、即ち行政機構の改革と云うことを聞かされて居る、例えば省の廃合であるとか、或は無任所大臣を新設する、其他中央地方の行政組織を根本的に改革して、之に依って行政を簡易化する、行政を刷新する、行政費を節約する、繁文褥礼の積弊を芟除する、斯う云う議論は随分長い間聞かされて居る、政府も之を唱えるし、政党も亦之を唱えるけれども、今日までそれが実行せられた例はないのであります。
 昨日総理大臣は此処に於て行政機構の改革をすると云うことを明言して居らるるが、本当に腰を入れて真剣にやる積りであるかないか、若しやるとするならば、何かそこに一つの腹案がなければならないのであるが、相当の腹案を握って居られるのであるかないか、司法機関の改革に付きましては、今日別に問題になって居りませぬ、後に運用に付て一言触れることがあるかも知れませぬ、詰り革新政治の第一義でありまする所の政治機関の構成に関する改革、之に付てどう云う御考を持って居られるのであるか、先ず之を承りたいのでありまするが念の為に一言注意をして置きます。 私は決して政府が改革をすると云う所の決意を聴かんとするのではないのであります。
 私の聴かんと欲する所のものは、改革の決意ではなくして、改革の方法であり、又改革の内容であるのであります。 改革をしたい考は持って居るけれども、まだ何等の腹案はない、是から調査をする。 例に依って委員でも設けて慎重審議して、それから後に改革をするかしないかを決める、そう云う御意見であるならば、別に御答は要らぬのであります。 私等は随分長い間そう云う答弁を聞かされて来たのであります。 此上同じような答弁を聴く所の忍耐力は持って居らない、既に改革をやると云う以上は其前に於て相当の輪廊が出来て居らなければならぬ。 内容は備って居らぬけれども改革をやると云う決意だけでは、吾々は承服することは出来ない。
 2.3. 制度よりは人の問題
此際一言致して置きますが、私の観る所に依りますと云うと、今日我国の政治機関、立法、行政、司法を通じて是等機関の根本に付て、甚しき改革を加える点は考えて居らないのであります。 御承知でもございましょうが、我国の政治組織は、明治維新以来欧米先進国の長を採り短を捨て、之に我国の歴史と国情を加味して作られたものでありまして、其後時代の進運に応じて度々改正を加えて、今日に至って居るのであります。 それ故に制度としては相当に完備して居りまして、之を何れの文明国の制度に比べても決して遜色はないのであります。 故に問題は制度の改革と云うよりか、寧ろ此制度を運用する人である
 (拍手)
 人が役に立たねば如何に制度の改革をした所が、決して其実績は挙がるものではないのであります。
 (拍手)
 例えば近頃無任所大臣を新設すると云う議論があるようでありまするが、是等のことも畢竟するに是までの大臣が役に立たぬからであります。 内閣大臣たるものは一方に於ては行政長官として、他の一方に於ては国務大臣として、大所高所より国家の現状を眺めて、国政燮理の任に当って居りましたならば、現行制度の下に於ては、国務の統一が取れない、予算分捕の弊に堪えない、斯う云う理由を以て新に無任所大臣を置くなどと云う議静が出て来る訳はない。 御覧なさい、今日の制度に於きましても、総理大臣は内閣の首班して国務を統一するに足るべき権限を完全に握って居るのであります。
 試に内閣官制を見ますると云うと、其第二条に於きまして、内閣総理大臣は各省大臣の首班として、行政各部の統一を保持す。 又第三条に於きましては、内閣総理大臣は須要と認むるときは、行政各部の処分又は命令を中止せしむることを得、内閣総理大臣は現内閣官制に於て、是だけの権限を授けられて居るのであります。 それで国務の統一が取れないと云うならば、それは制度の罪ではなくして、全く総理大臣其人の罪である。
 (拍手)
 或は予算分補の弊に堪えない、予算の争奪戦をやる、何んたる事であるか、毎年予算編成の時期になりますると云うと、斯の如き醜態を暴露するのは何が故であるか、畢竟するに政府の政策が決まらない、政治止の大方針が決まらないからである、若し政治上の大方針が決まって居りまするならば、各省大臣が勝手気儘に予算の要求を為すべき訳はない。 是等の弊害は現行制度の運用に依って、如何様にも芟除することが出来るのであります。 況や立憲政治は何処迄も責任政治でなくてはならぬ、内閣が政治の中心となって、全責任を負うて国政燮理の任に当る、若し力が足らないならば、其職を去るのみであります。
 然るに此道理を弁えずしては動もすれば自己の無能無力を補うが為に種々の工作をやる、畢竟するに弱体内閣の慣用手段でござりまして
 (笑声)
憲政の本義を紊り、人の為に官職を設け、国政を玩弄するの甚しきものでありまするからして
 (拍手)
 大いに戒めねばならぬのであります。 御断りを致して置きまするが、私は決して制度の改革に反対をする者ではない、改革すべき必要があるならば、速に改革をしなくてはならぬのでありまするが、唯近頃の改革熱に浮かされて、何か改革をしなくては面目が立たない、改革の名を得るが為に、強いて不自然なる改革をすることに付ては、私共は断乎として反対をするのであります。
 (拍手)
 次は実際政治の改革に関することでございまするが、是は極めて広汎に亙って重大なる問題でございまするが、此実際政治の改革に付て広田首相はどう云う経論を持って居られるのであるか、広田首相の声明を見ますると、旧来の積弊を芟除し、秕政を一新すると云うことでありまするが、若し旧来の政治に積弊があり、又秕政がありとするならば、前両内閣に歴任せられた所の広田首相の如きも、亦確に其責任の一端を負わねばならぬのでありまするが、私はそう云う責任論は決して致さないのであります。
 唯広田首相が認めて以て積弊と称し、又秕政と称するものは、主にどう云う点を指して居らるるのであるか
 (「そうそう」と呼ぶ者あり、拍手)
 何処を目標とし何処を狙って居るのであるか、是が明にならねば、如何に自ら苦心焦慮せられた所が、如何に駄馬に鞭打たれた所が、到底改革の実績を挙ぐることが出来るものではないのであります。
 (拍手)
 今日政治問題として最も重きを置かれて居る所のものは、言う迄もなく国防と財政でございまするが、国の内外を見渡しますると云うと、政府が改革の大斧鉞を揮わねばならぬ所のものは、中央地方を通じて、大小共に算えることの出来ない程沢山あるのであります。 例えば学制改革、昔々は随分と長い間学制改革を聞かされて居りまするが、今以て実行が出来て居らぬ、文部大臣は是まで口に学制改革を宣伝する。 或は其実行に手を著けたことがありますけれども、悉く失敗に帰して居る。
 御承知でもござりましょうが、学制改革は今日世界文明国に於て最も重大なる問題となって居るのであります、それは何処から来て居るかと云うと、詰り欧羅巴戦争から来て居る、欧羅巴戦争は十九世紀の文明、即ち旧文明、旧文化を根低から破壊し去って、其の欠陥と其弊害が遺憾なく暴露せられて居る、如何にして之を立直すことが出来るかと各国の識者、政治家が研究努力致した結果、其根本問題として一決致したる所のものは即ち教育方針の改革であるのであります。 文化の立直しは教育の立直しであると云うことに一決して、其中独逸の如きは三年を出でざる中に学制改革を断行した、殊に近時「ナチス」の政治の時代に至りましてから、一層青年教育にカを尽して、御承知の通りに青年の労働奉仕団と云うが如き特色を発揮して居ることは、世界周知の事実であるのであります。
 是は独逸ばかりではない、其外英吉利でも、仏蘭西でも、伊太利でも、欧羅巴の諸国は悉く―其国情に依って教育の精神と内容は違いますけれども、何れも独逸と相前後して学制改革を断行して、青年の教育に向って最も力を注いで居ることは御承知の通りである。 然るに我国の教育は如何なるものであるかと云うと、相変らず旧式教育を追うて居って、所謂過度の詰込主義に偏して、精神主義、人格主義を殆ど無視して居る、是が為に甚しきに至っては青年の教育までも害して中途に倒れる者がどれだけあるか分らぬ、斯う云う無理解なる、斯う云う時代遅れの教育を施して居りながら、是等の青年に向って将来の日本を背負って立てよ、所謂躍進日本の運命を担えと迫った所で、是が出来ることか出来ないことか、考える迄もないことである。
 昨日文部大臣は此処に於て従来の学問偏重の教育を廃して、人格主義の教育を施すと言われた、是は私も同感でありまするが、斯う云うことは、歴代の文部大臣からして度々聴いて居るのでありまするが、是が実行出来ぬ、学制改革と云うような大問題は、微々たる一大臣の力を以て出来るものではない
 (笑声)
 内閣全体政府全体の圧力を以て、之に向はなければ
 (「謹聴」と呼ぶ者あり)
 何時迄経っても是は解決することが出来ないと思うがどうであるか。
 或は裁判権の運用、是は、前の議会に於きましても一言述べたことでありますが、それは何であるかと云うと、我が日本の裁判が非常に遅れることであります。 凡そ世界文明国に於て我国の裁判程甚しく遅延する処はない、欧羅巴諸国の裁判がどう云う工合になって居るかと云うことは、時々現われる所の外国電報に依っても分るのであります。 前年亜米利加の大統領が狙撃せられた、幸に傷は負わなかった、或は墺太利の総理大臣が暗殺せられた、又近くは亜米利加の社会を聳動せしめた所の彼の「リンデー」の小児殺害事件、斯う云う事件でも犯人が発覚するや否や、一二週間を出でずして死刑の宣告をして、直ちに執行してしまうのであります。
 然るに我国の裁判はどうであるかと云うと、例えば天下知名の士が或処に於て殺害せられた、犯人は其場に於て捕えられた、犯罪の証拠は極めて歴然たるものがあるに拘らず、二年も三年もしないと云うと、一審の裁判すら済まないのである。 或る政治家の涜職事件の如きは八年懸って居るがまだ済まない。 斎藤内閣辞職の原因となりました所の彼の帝人事件の如きも、其後二年有余になりますけれども、まだ一審裁判所の事実審理すら済まない。 聞く所に依れば是まで百回以上の事実審理をやって、是からまだ二百回以上の事実審理、前後合せて三百回以上事実審理をやるにあらざれば、一審の判決を下すことが出来ないと云うが如き、吾々の常識を以てしては想像することが出来ないのであります。
 斯う云う裁判のやり方をして居って、どうして時代の要求に応ずることが出来るか
 (拍手)
 どうして此大切なる所の人権自由を保護することが出来るか、若し裁判の手続が複雑でありますならば、是は速に改めて簡易にするが宜しい、裁判官の数が足りない、金が無いと云うならば、金を要求し、又政府は金を出せば宜しいのであります。 或方面に於てはどしどし金を出すが、国民の大切なる所の人権自由を保護する此裁判所に於て、金が出せない訳はないのである。
 (拍手)
 或は又近頃各地に於て人権蹂躙の問題が起って居りますが、其事実を聞きますと、実に驚くべきものがある、所謂粛正選挙、選挙取締を励行することは極めて宜い事でありますが故らに……
 (「内務大臣どうした」「大臣の出席を求めます」と呼ぶ者あり)
 犯罪を製造するが為に法規を濫用して、濫りに人民の自由を拘束する、人民の自由を拘束するばかりではない、強いて虚偽の自白を求むるが為に之を虐待し、之を拷問し、或は人身に傷を負わせ甚しきに至っては拷問の結果、良民を死に至らしめたものがある
 (拍手)
 何たる野蛮の行為でありましょう
 (「政務官は居りますか」と呼ぶ者あり)
 苟も立憲政治の下に於きまして、殊に昭和の聖代に於てはあり得べからざる事であります、何れ此事は他の機会に於て吾々の同僚より、証拠を示して論争せられることと思いますから、私は此以上は申しませぬが、是等のことに付きましても、政府当局は真剣に其の事実を調査して、従来の弊害を一掃することに努める大責任を担って居るのであります。
 是は唯一二の例を示したのに過ぎないのでありますが、今日司法及び行政の行われます所の実際の有様を見ますと、斯の如き事例は天下到る処に累々として横わって居るのである、此の積弊を根抵より洗去ってしまうと云うのが、即ち政治革新の要諦であるのであります、時代の要求に応じて革新政治を標榜して起たれたる所の広田首相に於かれましては、無論今日の政治状態に付ては十分なる御理解があるには相違ありませぬが、此実際政治の改革に付て、どう云う考を持って居られるのであるか、細かしいことは必要ありませぬが、大体の抱負経論だけを伺って置けば宜しいのであります。
 次に国策の樹立に対して御尋ねを致したいと思う、広田首相の声明の中には、確乎不抜の国策を樹立して以て之を実現する、近頃国策と云う言葉が流行って居りまするが、一方に政策と云う言葉がある。 国策と政策とはどう違うのであるか、甚だ曖抹に用いられて居りまするが、私は今日言葉の詮議立ては致さない、併し国策と云う以上は、少くとも日本国家の進むべき大方針であるに相違ない、日本国家の進むべき大方針が、今日に於ても未だ決って居らぬ、是から研究して決めるなどと云うことは、私に取っては甚だ受取れない。
 私の観る所に依りますると云うと、国家の進むべき大方針は既に、明に決って居る、遠く遡って見まするならば、明治維新の皇謨に現われて居る所の開国進取、是が即ち日本国家の進むべき大方針でありまして、是が時代の進運に応じて拡張せられたる所のものが、即ち世界の平和と我が民族の発展であるのであります。 所が世界の平和と云うことが真に得らるべきものであるかないか、欧羅巴戦争が生み出しました所の国際連盟、世界平和を目的として居る所の国際連明も、国家競争の前には何等の威力も発揮することが出来ない。 如何なる条約も力の前には蹂躙せられてしまうことは、昔も今も変りない。
 今日国際関係を支配する所のものは、正義の掛声でもなければ、道義の観念でもない、昨日の世界を支配したるものが力であるが如く、今日の世界、明日の世界を支配するものも亦力である。 軍縮会議は見事に失敗に帰した。 各国は軍備の競争をやって、軍国主義を追うて進んで居る、其の結果どうなるかは推して知るべきのみであります、私は昨年此処に於て欧羅巴の空には微かに戦雲の閃が見えると申しましたが、今日は戦雲の閃どころではない、既に欧羅巴の一角に於ては戦争が勃発して、今や将に終結を告げんとして居る、戦争が始まれば、所謂弱肉強食、正義や人道の声は露程の効目もない、来年の此頃にはどう云う事が起って居るか分らぬ、故に私共は世界の平和などと云うようなことは、中々未だ期待して居らないのであります。
 吾々の望む所のものは広き世界の平和ではなくして其の一部でありまする所の此東亜の平和である、東亜の平和を維持することは、我が日本帝国の大方針であり、又大使命であり、又責任であるのであります。 歴代の政府も此処に於て屡々其趣意を述べて居る、広田首相も外務大臣として度々此壇上に於て力説せられて居るのであります。 所が東亜の平和が真に得らるべきものであるかないか、東亜の平和を維持する所の根拠が今日大磐石に確立して居るのであるか否や、之を私は疑うのである。
 吾々は近頃満蒙の国境或は其他の処に於て時々起りまする所の、彼の局部的の、又断片的の事件、斯う云うものに重きを置くものではない。 斯の如き事件は其場限り、如何様にも解決することが出来るでありましょうが、之を大局の上から見まして、東亜の平和を保持する所の外交上の大工作が行われて居るのであるか否や、之を私は聴きたいのであります。 広田首相は自主的、積極的外交と云うことを云って居られまするが、我国の外交が自主的でなくてはならぬことは当然であります。 積極的であると云う所に、相当の期待が掛けられて居るのであります。
 然るに今日吾々が東亜の天を眺めますると云うと、東亜の天は極めて静かであって、且つ明朗であると云う感じが起らない、現に広田首相も昨日此処に於て東亜の天は明朗を欠くと云うことを言うて居られるのであります。 広田首相が斯く申さるるのでありますから是は疑いない、何れにするも今日は逡巡躊躇して居るべき秋ではない。 所謂曠日弥久、日を曠しくして久しきに弥るべき秋ではない、大悟一番百年平和の基礎に向って積極的に外交上の大工作を施すべき秋ではないか。
 而して外交上の工作は必ずや事実の上に現われて来なくてはならぬ。 外交上の工作が事実の上に現れると云うことはどう云うことであるかと云うと、詰り国防計画の変更であるのであります。 一方に於ては軍備の競争をなして居りながら、他の一方に於て外交上の工作成功せりと言うものは悉く偽りである
 (ヒヤヒヤ)
 吾々はそう云う虚偽の外交を望まない、そう云う姑息的な、そう云う弥縫的な外交を望まない。 吾々の望む所のものは真実の外交である、精神的なる徹底せる外交であって、其の外交の結果が事実の上に於て現われて来なけれはならぬ、是以外に昔々の望む所の外交の何物もないのであります。
 然るに一方に於て軍備の競争をやる、彼が軍備を拡張すれば我も亦拡張する、我が拡張すれば彼も亦拡張する、彼が或る地点に防備を整えれば我も亦之に対抗する、斯う云う勢を以て進んで居りましたならば末はどうなるものであるか、其結果は推して知るべきのみである、国策の樹立を声明して、是が実現を期すると言われた所の広田首相に於きましては、此刻下の重大問題に付て、更に一歩を踏み出さるべきでないか、之を私は伺って置きたいのであります。
 尚お民族の発展及び国民生活等のことに付きまして御尋を致したい事でございますが、他の問題に付て御尋をする必要から、総理大臣に対する質疑は之を以て一時中止を致しまして、是より軍部大臣に向って御尋をして見たいことがあるのであります。
 二月二十六日帝都に起りました所の、彼の叛乱事件の経過に付きましては、昨日公開及秘密会を通じて、陸軍大臣より詳細の御説明があり、又之に対して吾々の同僚より質疑がございまして私は謹んで之を拝聴して居ったのであります。 然る所私白身の立場から申しますと、平素考えて居りますることに付て、どうしても少し聴かねばならぬことがある。 此の機会を逸すると更に他の機会を掴むことは甚だ困難でありまするから、今少しく時間を拝借致しまして、極めて大要に亙って此関係に於て質問することを許されたいのであります。
 御断りして置きまするが、私は今回の事件の為に、苟且にも軍に対して反感を懐く者ではない。 又軍部大臣を指弾せんとする者でもない。 殊に寺内陸軍大臣は此事件の跡始末をするが為に、又斯る事件を未来永久根絶するが為に、苦心努力して居られることは、十分知って居るのであります。 又或る一部の人々が妄想する如く、吾々は之に依って苟且にも反軍思想を鼓吹するとか、或は軍民離間を策するとか云うような、そう云う邪念は一切持って居らないのであります。 唯国家の将来に対して聊か憂うるの余り、敢て質問を致すのでありますから此点は誤解なからんことを予め御断りして置きます。
 凡そ何事に拘らず此の世に現われます所の事件の原因を質して見ますると、遠きものもあれば近きものもある。 所謂近因もあれば遠因もあるのでありまして、之を遡って究めますると、全く際限のないことでござりまするが、今回の事件の如きもそれと同様でござりまして、此事件が由って起りました所の原因を調べて見ますれは、現在の政治上、社会上、経済上、其外諸般の事情が伏在して居るに相違ござりませぬが、私は今回是れ等の事情を吟味するだけの時は持たないのでありますから、此事件の比較的直接の原因として認むべき二三の事実を指摘して、之に対して陸軍大臣の御答を求めて見たいと思うのである。
 其の第一は何であるかと云うと、軍人の政治運動に関することであります
 (拍手)
 満洲事件は国の内外に亘って非常な影響を及ばして居ることは、今更申す迄もないことでありまするが、其中に置きまして、青年軍人の思想上に於きましても或変化を与えたものと見えまして、其後軍部の一角、殊に青年軍人の一部に於きましては、国家改造論の如きものが台頭致しまして、現役軍人でありながら、政治を論じ政治運動に加わる者が出て来たことは、争うことのできない事実である。
 此傾向に対して是まで軍部当局はどう云う態度を取って居られるのであるか、之を私は聴かんと欲するのであります。 申す迄もなく軍人の政治運動は上御一人の聖旨に反し、国憲、国法の厳禁する所であります。 彼の有名なる明治十五年一月四日、明治大帝が軍人に賜りました所の御勅諭を拝しましても、軍人たる者は世論に惑わず、政治に拘らず只々一途に己が本分たる忠節を守れと仰出だされて居る。 聖旨のある所は一見明瞭、何等の疑を容るべき余地はないのであります。
 或は帝国憲法の起草者でありまする所の故伊藤公は、其憲法義解に於てどう云うことを載せて居られるかと云うと
「軍人は軍旗の下に在て軍法軍令を恪守し専ら服従を以て第一義務とす故に本章に掲くる権利の条規にして軍法軍令と相抵触する者は軍人に通行せず、即チ現役軍人は集会結社して軍制又は政治を論ずることを得ず。 政事上の言論著述印行及請願の自由を有せざるの類是なり」
 又陸軍刑法、海軍刑法に於きましても、軍人の政治運動は絶対に之を禁じて、犯したる者に付ては三年以下の禁錮を以て臨んで居る。 又衆議院議員の選挙法、貴族院多額納税議員互選規則を見ましても、現役軍人に対しては、大切なる所の選挙権も被選挙権も与えて居らないのであります。
 斯の如く軍人の政治運動は上は聖旨に背き国憲国法が之を厳禁し、両院議員の選挙被選挙権までも之を与えて居らない、是は何故であるかと言へば、詰り陸海軍は国防の為に設けられたるものでありまして、軍人は常に陛下の統帥権に服従し、国家一朝事有るの秋に当っては、身命を賭して戦争に従わねばならぬ、それ故に軍人の教育訓練は専ら此方面に集中せられて、政治・外交、財政、経済等の如きは寧ろ軍人の知識経験の外にあるのであります。 加之若し軍人が政治運動に加わることを許すと云うことになりますると云うと、政争の末遂には武力に愬えて自己の主張を貫徹するに至るのは自然の勢でありまして、事茲に至れば立憲政治の破滅は言うに及ばず、国家動乱、武人専制の端を開くものでありますからして、軍人の政治運動は断じて厳禁せねばならぬのであります
 (拍手)
 殊に青年軍人の思想は極めて純真ではございまするが又単純である、それ故に是等の人々が政治に干渉すると云うことは、極めて危険性を持って居るものであります。 私は前年彼の五・一五事件の公判筆記を読み、又自ら公判を傍聴致しまして、痛切に其感を深くした者であるのであります。 有体に申しますると云うと、法廷に於ける被告人等の態度は、極めて堂々たるものであったのであります。 犯罪の動機、犯罪の事実を何等包み隠さずして陳述する所は、流石青年軍人の面目実に躍如たるものがあったのであります。
 是は固より彼等の為したる事が決して破廉恥的の性質を有するものではなく、一に国家社会を思う所の熱情より迸りたる、所謂憂国慨世の国士的の行動でありまするからして、内に顧みて自ら疚しき所はないのみならず、難に臨んで卑怯千万の振舞をしてはならない軍人精神の発露としては当然のことであるのであります。 併しながら惜しむべきことは、如何にも其思想が単純でありまして、複雑せる国家社会を認識する所の眼界が如何にも狭隘であることである。 それは其筈でありましょう。 彼等は何れも二十二、三から三十才に足りない所の青年でございまして、軍事に関しては一応の修養を積んで居るには相違ありませぬが、政治、外交、経済等に付きましては、無論基礎的学問を為したることはなく、況や何等の経験も持って居らないのである。
 然るに是等の青年軍人が平素無責任にして誇張的でありまする所の言論機関の記事論説を読み、或は怪文書の如きものを手にする、或は一部の不平家、一部の陰謀家の言論に耳を傾け、或は処士横議の士と交わり、或は世の流言蜚語を信じて、如何なる考を起したかと云うと、今日の政党、財閥、支配階級は悉く腐敗堕落して居る、之を此儘に放任して置いたならば国家は滅亡してしまう、之を救うには彼の大化の革新に倣うて、日本国家の大改造をやるより外に途はない。 従来の外交は軟弱である、倫敦条約は屈辱である、 天皇親政、皇室中心の政治を行わねばならぬ、是が為には軍人内閣を捧へ拵ねばならぬ、直接行動に愬えねばならぬ。 犯罪の動機は何であるかと問わるると、権藤某の自治典範を読んで感動した、 北某の日本改造法案を読んで感激した、朝日某の斬好状を読んで刺戟された、其思想の単純であることは思い知らるるのであります。
 それでありまするから公判廷に於ける彼等の陳述を聴いて居りますると、悉く不徹底なことばかりであって、要点に達しているものは何等認めることは出来ない。 例えば倫敦条約は統帥権の干犯であると云うことを言うて居りますが、憲法上から見て何処が統帥権の干犯になるかと云うことは少しも究めて居らぬ、天皇親政、皇室中心の政治と云うようなことを言うが、一体どう云う政治を行わんとするのであるかと云うと、さっぱり分って居らぬ。
 唯或者が今日の政党、財閥、支配階級は腐って居ると言うと、一図に之を信ずる、倫敦条約は統帥権の干犯であると云うと、一図に之を信ずる、国家の危機目前に迫る、直接行動の外なしと言えば、一図に之を信ずる、斯の如くにして、軍人教育を受けて忠君愛国の念に凝り固まって居りまする所の直情径行の青年が、一部の不平家、一部の陰謀家等の言論を其儘鵜呑みにして、複雑せる国家社会に対する認識を誤りたることが、此事件を惹起すに至りたる所の大原因であったのであります
 (拍手)
 それ故に青年軍人の思想は極めて純真ではありまするが又同時に危険であります。 禍の本は総て此処から胚胎して居るのでありますから、此の思想を一洗するにあらざれば、将来の禍根を芟除することは到底申来ないと思って居りますが
 (拍手)
 陸軍大臣は此点に付てどう云う考を持って居られるのであるか、之を一つ承って置きたいのであります。
 それから次は是等の青年軍人の思想が或は陰謀となり、或は直接行動となって世に現われた其行動に対する軍部当局の態度であります。 第一は昭和六年に現われた所の所謂三月事件、第二は同年に現われました所の十月事件、此事件の内容は申しませぬが、事件の性質其ものは、其後に現われた所の五、一五事件及び今回の叛乱事件と同一のものでありまして同一の系統に属するものであるのであります。 然るに此両事件に対し、軍部当局は如何なる処置を執られたかと云うと、之れを闇から闇に葬ってしまって、少しも徹底した処置を執って居られないのであります。
 (拍手)
 凡そ禍は之を初に断切ることは極めて容易であります。 容易であると同時に、将来の禍を防ぐ唯一の途であるに拘らず、之を曖昧の裡に葬り去って、将来の禍根を一掃することが出来ると思う者があるならば、それは非常なる誤であるのであります。 昔の諺にも寸にして断たざれは尺の憾あり、尺にして断たざれば丈の憾あり、仮令一本と雖も之を双葉のときに伐取ることは極めて容易でありますが、其根が深く地中に蟠居するに至っては、之を倒すことは中々容易なことではない。
 彼の頼山陽が、中古政権が武門に帰したる其原因を論じて、歴代朝廷が源平二氏に対する所の姑息倫安優柔不断の態度を指摘して、異日搏噬壊奪の禍此に基くを知らずと喝破して居るが、事柄は違いますけれども、道理は同じであります。 若し彼の三月事件に付て、軍部当局が其原因を芟除して、所謂抜本塞源の徹底的の処分をせられたならば必らずや十月事件は起らなかっに相違ない
 (拍手)
 又遅れたりと雖も、十月事件に付て同様の処置をせられたならば、後の五・一五事件は必ず起らなかったに相違ない
 (拍手)
 此の両事件に対する軍部の態度が延いて五・一五事件を惹起するに至った大なる原因の一つであると私は考えて居る。
 更に進んで、五・一五事件に対する態度であります、苛も軍人たる者が党を結んで白昼公然総理大臣の官邸に乱入し天皇陛下の親任せらるる所の一国の総理大臣を銃殺する、国を護るが為に授けられたる所の兵器を以て、国政燮理の大任に当って居ります所の、国家最高の重臣を暗殺する、其罪の重大であることは固より申す迄もないことであります。
 (拍手)
 然るに此重大事件に対して、国家の裁判権は遺憾なく発揮せられて居るのであるか。
 当時海軍軍法会議に於きまして、山本検察官は畢生の力を揮うて堂々数万言の大論告を為した、即ち事件の重大性と、直接行動の許すべからざることを痛論して、動機の如何に拘らず国法を破ることは出来ない、軍紀は乱すことは出来ない、軍紀を紊り国法を破りたる者に対しては、法の命ずる制裁を加うることは国家の存立上万已むを得ないと論じて、其首魁と目せらるる三名に対して死刑の要求を為したのであります。
 (「ヒヤヒヤ」拍手)
 海軍刑法に依りますと、叛乱罪の首魁は死刑に処す、死刑一途でありまして選択刑は許されて居らないのであります。
 然るに此論告に対して如何なる事態が現われたかと云うと、或る一部に於きましては猛烈なる反対運動が起った。 監督の上司は之を抑制する所の力がない、山本検察官の身上には刻一刻と危険が迫る、多数の憲兵を以って検察官の住宅を取巻いて之を保護する、家族一同は遠方に避難する、斯う云う事態の下に於て、裁判の独立、裁判の神聖がどうして維持することが出来るか
 (拍手)
 果せる哉裁判の結果を見ますると、死刑の要求が十三年と十五年の禁錮と相成って居ります。 軽きは一年二年の懲役に処せられて而も執行猶予の宣告が附いて居るのであります。
 然るに同じ事件に関係して居ります所の民間側の被告に対してどう云う裁判が下されて居るかと見ますると、彼等は固より犬養首相の殺害の手を下したるものではない、唯或る発電所に爆弾を投じたけれども、是は未発に終って何等の結果を惹起して居らない、それにも拘らず、其首魁は無期懲役に処せられて居るのであります
 (拍手)
 同じ事件に連累して其為したる役目は違うと雖も、或者は一国の総理大臣を殺害したるにも拘らず、其人が軍人であり、且つ軍事裁判所に管轄せらるるが為に、比較的軽い刑に処せられ、或者は僅に発電所に未発の爆弾を投じただけであるにも拘らず、其人が普通人であり、普通裁判所の管轄に属する者であるが故に、重き刑罰に処せられた。
 申す迄もなく司法権は、天皇の御名に依って行われるのであります。 天皇の御名に依って行われる裁判は徹頭徹尾独立であり、神聖であり、至公至平でなければならないのであります。 然るに人と場所に依って裁判宣告に斯の如き差等を生ずる、是で国家裁判権が遺憾なく発揮せられたりと言うことが出来るか、是で刑罰の目的であります所の犯罪予防の効果を完全に収めることが出来るか、軍務当局者は真剣に考えなければならぬ所の重大問題であるのであります
 (拍手)
 要するに斯の如き次第でありまして、三月事件に対する軍部の態度が十月事件を喚び出し、十月事件に対する軍部の態度が五・一五事件を喚び出し、五・一五事件に対する軍部の態度が実に今回の一大不祥事件を惹起したのであると、斯様に私は観察を下して居るのでありますが、若し此観察に過ちがあれば正して戴きたいのであります。

(拍手)
 更に今回の事件に対しましては、色々御尋したいことがございますけれども、大体昨日の本会及び秘密会に於ける質問応答に依って分りましたから、唯一点だけ伺って置きたいことがあります。
 それは何であるかと云うと、此の事件に関係致しました所の青年将校は二十名であるのであります。 公表せられる所の文書に依ると二十名である、所が此以外により以上の軍部首脳者にして此事件に関係して居る者は一人も居ないのであらうか。
 (拍手)
 固より事件に直接関係はして居らぬでありましょう、併しながら平素是等の青年将校に向って或る一種の思想を吹込むとか、彼等が斯る事件を起すに当って、精神上の動機を与えるとか、或は斯る事件の起ることを暗に予知して居る、或は俗に謂う所の裏面に於て糸を引いて居る、斯う云う者は一人もなかったのであるか。私の観る所に依りますると云うと、世間は確に之を疑って居るのであります。
 陸軍大臣は過般の地方官会議に於きまして、左様なことを宣伝する者は反軍思想を鼓吹する者である。 非国民の軍民離間的態度であると云うて一蹴せられて居りまするが、斯様なことを故ら宣伝する者があるかないか、それは知りませぬ、併しながらそう云う疑を持って居る者は確にあるのであります。 而して其疑が無理であるかと云うと、そうでもないのである。
 例えば先程引用致しました所の山本検察官の論告に於て、斯う云うことがある
「凡そ事の成るは成るの日に成るに非ず、由って来る所があるのであります、本件も亦其由って来る所久しく、一朝一夕に起ったものではないのであります。 被告人古賀清志の当公廷に於ける陳述に依りますれば、古賀は某事件に参加したる経験に依りまして、今回被告人等の企図しましたる、戒厳にして宣告せらるるの情況に立至れる時は、当然、之を収拾して呉れる相当の大勢力の有するものであることを知り云々」
 或は
「尚お此機会に於て一言して置きたいことは、部下指導に関する上司の態度に付てであります。 此点に関し、本件発生当時某官憲が上司に提出したる意見書中に所見があります、日く、上司中往々彼等の所見に対し、極めて曖昧模糊たる態度を執り、彼等をして上司は其行動を認容し居りたるものの如く誤信せしめたるやの形跡なきに非ず」
「上司たる者、下給者を指導するに際し、明に是は是とし、非はこれを非として、其方向を誤まらざらしむる如く努むることが極めて必要である」
 山本検察官が神聖なる法廷に立って、斯の如きことを明言して居る、即ち古賀清志等が彼の五・一五事件を起して、彼等の計画する戒厳を宣告せしめたならば、何れの所よりか大勢力が現われ来て、之を収拾して呉れる、斯う云う確信を以て彼等は旗挙げをしたのである。 或は上司たる者は、部下の者に対しては事の是非曲直を明にして、彼等を迷はしめないようにしなくてはならぬに拘らず、言語及び態度の曖昧にして、何となく上司が彼等の行動を容認して居るかの如く誤解せしめて居ると云う事実を、四五年前の五・一五事件の公判に於て山本検察官が既に論じて居るのであります。
 故に斯の如き疑を起すと云う者は、唯非国民であるとか、或は軍民離間を策する者であるとか言うて一蹴しただけでは国民の疑は霄れるものではない。
 (拍手)
 若しそう云うことがあったならば、是は極めて重大事件であります。 故に事件の跡始末をするに付ては、先以て此方面からして洗い去るにあらざれば、事件の根本的清掃というものは断じて出来るものではないと思うのであります。
 (「ヒヤヒヤ」拍手)
 以上私が申述べました所のことを約言致しますると云うと、事件の原因は大体二つあります、即ち一つは青年軍人の思想問題である、又一つは事前監督及び事後に対する軍部当局の態度であります、近来青年軍人の一部、極めてそれは一小部分でございましょうが、一小部分の青年軍人の思想が、一種の反動思想に傾いて居ると云うことは事実であります。 時々起りまする所の事件の原因及び国民不安の原因は実に茲にあるのである。
 元来我国民には動もすれは外国思想の影響を受け易い分子があるのであります、欧羅巴戦争の後に放て「デモクラシー」の思想が旺盛になりますると云うと、我も我もと「デモクラシー」に趨る、其後欧州の一角に於て赤化思想が起りますると云うと、又之に趨る者がある、或は「ナチス」「ファッショ」の如き思想が起ると云うと、又之に趨る者がある、思想上に於て国民的自主独立の見識のないことはお互に戒めねばならぬことであります。
 (拍手)
 今日極端なる所の左傾思想が有害であると同じく、極端なる所の右傾思想も亦有害であるのであります、左傾と云い右傾と称しまするが、進み行く道は違いまするけれども、帰する所は今日の国家組織、政治組織を破壊せんとするものである、唯二つは愛国の名に依って之を行い、他の一つは無産大衆の名に依って之を行わんとして居るのでありまして其危険なることは同じことであるのであります。 我が日本の国家組織は建国以来三千年牢固として動くものではない、終始一貫して何等変りはない。 又政治組織は明治大帝の偉業に依って建設せられたる所の立憲君主制、是れより外に吾々国民として進むべき道は絶対にないのであります。
 (拍手)
 故に軍首脳部が宜く此精神を体して、極めて穏健に部下を導いたならば、青年軍人の間に於て怪しむべき不穏の思想が起る訳は断じてないのである。 若し夫れ軍部以外の政治家にして、或は軍の一部と結託通謀して政治上の野心を行わんとするが如き者が若しあるならば、是は実に看過すべからざるものであります。
 (拍手)
 苛も立憲政治家たる者は、国民を背景として正々堂々と民衆の前に立って、国家の為に公明正大なる所の政治止の争を為すべきである。 裏面に策動して不穏の陰謀を企てる如きは、立憲政治家として許すべからざることである。 況や政治圏外にある所の軍部の一角と通謀して自己の野心を遂げんとするに至っては、是は政治家の恥辱であり堕落であり、
 (拍手)
 又実に卑怯千万の振舞であるのである。 此点に付きましては軍部当局者に於きましても相当に注意をせらるる必要があるのではないかと思われる。
 其外事前の監督、事後の処置に対しては、私共現寺内陸軍大臣を絶対に信頼して居りまするからして、是等に付て質問をする所の必要はござりませぬが、要するに一刀両断の処置を為さねばならぬ
 (拍手)
 御承知でもござりましょうが、支那の兵法の六韜、三略の中にも
「怒るべくして怒らざれば奸臣起る、殺すべくして殺さざれは大賊現わる」
 私は全国民に、私は全国民に代って軍部当局者の一大英断を要望する者であります
 (拍手)
 尚最後に一言致して置きたいことは、此事件に対する国民の感情であります。 此事は各方面の報告に依って、固より軍部当局者は十分に御承知のことでござりましょうが、私の見る所に依りますると云うと、今回の事件に対しては、中央と云わず、地方と云わず、上下有ゆる階級を通じて衷心非常に憤慨をして居ります
 (拍手)
 非常に残念に思って居るのであります。 殊に国民的尊敬の的となって居られた所の高橋蔵相、斎藤内府、渡辺総監の如き、誰が見た所が温厚篤実、身を以て国に尽す所の陸下の重臣が、国を護るがため授けられたる軍人の銃剣に依って虐殺せらるるに至っては
 (拍手)
 軍を信頼する所の国民に取っては実に耐え難き苦痛であるのであります。
 (拍手)
 それにも拘らず彼等は今日の時勢、言論の自由が拘束せられて居ります所の今日の時代に於て、公然之を口にすることは出来ない。 僅に私語の間に之を洩し、或は目を以て之を告ぐる等、専制武断の封建時代と何の変る所があるか。
 (拍手)
 啻にそればかりでない、例えば今回叛乱後の内閣組閣に当りましても、事件に付て重大なる所の責任を担うて居られる所の軍部当局は、相当に自重せられることが国民的要望であるにも拘らず、或は其々省内には政党人入るべからず、其々は軍部の思想と相容れないからして之を排斥する。 最も公平なる所の粛正選挙に依って国民の総意は明かに表明せられ
 (拍手)
 之を基礎として政治を行うのが明治大帝の降し賜いし立憲政治の大精神であるに拘らず
 (拍手)
 一部の単独意志に依って国民の総意が蹂躙せらるるが如き形勢が見ゆるのは、甚だ遺憾千万の至りに堪えないのであります。
 (拍手)
 それでも国民は沈黙し、政党も沈黙して居るのである。 併ながら考えて見れば、此の状態が何時まで続くか、人間は感情的の動物である、国民の忍耐力には限りがあります。 私は異日国民の忍耐力の尽き果つる時の来らないことを衷心より希望するのであります。
 (拍手)
 満洲事件以来、国の内外に非常な変化が起りまして、世は非常時であると唱えられて居るのであります。 此非常時を乗切る物は如何なる力であるか、場合に依っては軍隊の力に依頻せねばならぬ。 併しながら軍隊のみの力ではない、又場合に依っては銃剣の力に保たねばならぬ、併し銃剣のみの力ではない、上下総ゆる階級を通じて一致和合したる全国民の精神的団結力
 (拍手「ヒヤヒヤ」)
 是より外に此難局を征服する所の何物もないのであります。
 (拍手)
 因より軍部当局は是位なことは百も千も御承知のことでござりましょうが、近頃の世相を見ますると云うと、何となく或る威力に依って国民の自由が弾圧せられるが如き傾向を見るのは、国家の将来にとって何に憂うべきことでありますからして
 (拍手)
 敢て此一言を残して置くのであります。
 重ねて申しまするが吾々が、軍を論じ軍政を論ずるのは即ち国政を論ずるのであります、決して是が為に軍に対して反感を懐くのではない、軍民離間を策する者でもなければ、反軍思想を鼓吹する者でありませぬからして、此誤解は一切除去せられて、時々起る所の――時々軍部の一角から起る所の反軍思想であるとか或は軍民離間であるとか云うような言辞に付ては、将来一層の御注意ありたい
 (拍手)
 私の質問は大体是位でございまするが、忌憚なく詳細に御答弁あらんことを希望致します。
 (拍手)

   斎藤隆夫著「回顧七十年」より

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1073年(延久5)第71代天皇とされる後三条天皇の命日(新暦6月15日)詳細
1858年(安政5)伊東玄朴ら蘭医83名の醸金で、江戸の上野にお玉ヶ池種痘所が設立される(新暦6月17日)詳細
1875年(明治8)日露が「樺太・千島交換条約」に調印する詳細
1988年(昭和63)文芸評論家山本健吉の命日詳細
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saitoutakao01

 今日は、昭和時代中期の1949年(昭和24)に、弁護士・政治家斎藤隆夫の亡くなった日です。
 斎藤隆夫(さいとう たかお)は、明治時代前期の1870年(明治3年8月18日)に、兵庫県出石郡室埴村(現在の豊岡市)で生まれました。東京専門学校(現在の早稲田大学)行政科を卒業し、渡米してエール大学大学院で公法・政治学を学び、帰国後弁護士を開業します。
 1912年(明治45)5月、郷里より国民党所属で衆議院議員に初当選し、以後13回当選しました。戦前は、立憲国民党・立憲同志会・憲政会・民政党に所属し、硬骨な自由主義者で雄弁家として知られ、浜口雄幸内閣で内務政務次官となり、第2次若槻礼次郎内閣の法制局長官を経て、斎藤実内閣では再び内務政務次官を務めます。
 昭和時代に入るとファシズムに抵抗する議会活動を展開し、1935年(昭和10)1月24日の陸軍パンフレット・軍事費偏重批判演説、翌年5月7日の二・二六事件に対する粛軍演説、1940年(昭和15)2月2日の日中戦争解決に関する反軍演説は特に有名となりました。反軍演説で、軍部を怒らせて懲罰に付され、民政党を離党せざるを得なくなり、同年3月7日に帝国議会からも議員除名されますが、1942年(昭和17)の翼賛選挙では翼賛政治体制協議会の非推薦ながら最高点当選し、返り咲きます。
 太平洋戦争後は、日本進歩党を結成、第一次吉田内閣と片山内閣の国務大臣を務めましたが、1949年(昭和24)10月7日に東京において、79歳で亡くなりました。著作に『帝国憲法論』、『比較国会論』などがあります。

〇斎藤隆夫の反軍演説とは?

 昭和時代前期の1940年(昭和15)2月2日に、第75帝国議会の衆議院本会議において、斎藤隆夫衆議院議員が民政党からの代表質問で、日中戦争(支那事変)に対する根本的な疑問と批判を提起し、米内光政首相を追及したものです。
 1938年(昭和13)末に当時の近衛文麿首相が表明した処理方針の持つ欺まん性を厳しく批判し、「東亜新秩序を唱える近衛声明で“支那事変”が解決できるというのは、現実を無視し聖戦の美名にかくれて国民的犠牲を閑却するものではないか、近く現れんとしている汪兆銘政権に、中国の将来を担うだけの力があるとは思われない、政府は国民精神総動員に巨額の費用を投じているが、国民にはこの事変の目的すらわからない」と述べて、政府が樹立工作を進める汪兆銘政権の統治能力に疑義を呈しました。そして、「唯徒に聖戦の美名に隠れ国民的犠牲を閑却し」、国際正義・道義外交・共存共栄など雲を掴むような文字を列べ立てて国家百年の大計を誤ってはならない、と演説します。
 これに対し、陸軍などが憤慨したため、小山松寿衆議院議長が職権で議事速記録から斎藤演説全体の3分の2程度、約1万字にも及ぶ、後半部分を削除しました。しかし、新聞各紙の一部地域向けにこの演説が全文掲載され、外電でも配信されて、世間に知られることとなります。
 斎藤は、懲罰委員会にかけられ、周囲からの議員辞職勧告に対して、「憲法の保障する言論自由の議会」での演説に対する速記録削除や自らの論旨を曲解した非難がもとで辞めるのは、「国民に対して忠なる所以ではない」と拒否しましたが、民政党は離党せざるを得なくなりました。その後、同年3月7日の衆議院本会議において斎藤の除名処分が議決され、衆議院議員も辞めさせられることとなります。

☆斎藤隆夫の反軍演説(全文)

「支那事変処理に関する質問演説」1940年(昭和15)2月2日

 支那事変が勃発しましてからすでに二年有半を過ぎまして、内外の情勢はますます重大を加えているのであります。このときに当りまして一月十四日、しかも議会開会後におきまして、阿部内閣が辞職して、現内閣が成立し、組閣二週間の後において初めてこの議会に臨まるることに相成ったのであります。総理大臣をはじめとして、閣僚諸君のご苦心を十分にお察しするとともに、国家のために切にご健在を祈る者であります。
 米内首相は組閣そうそう天下に向って、現内閣の政策を発表せられたのでありまして、我々は新聞を通じてこれを承知致しておるのであります。しかしその政策と称するものは、ただわずかに題目を並べたに過ぎないのでありまして、諸般の政策はこの帝国議会において陳述すると付け加えてあります。 それ故に昨日のご演説を拝聴致したのでありまするが、相変らず抽象的の大要に過ぎないのでありまして、これによって、国政に対する現内閣の抱負経綸を知ることはもちろん出来ない。しかしながら私は今日この場合において、これらの問題、即ち第一は支那事変の処理、第二は国際問題、第三は国内問題、これらの三問題全部を通じて質問を致す時間の持合せもありませぬから、この中の中心問題でありまするところの支那事変の処理、これについて私の卑見を述べつつ主として総理大臣のご意見を求めてみたいのであります。
 支那事変の処理は申すまでもなく非常に重大なる問題であります。今日我国の政治問題としてこれ以上重大なるところの問題はない。のみならず今日の内外政治はいずれも支那事変を中心として、この周囲に動いているのである。それ故に我々は申すに及ばず、全国民の聴かんとするところももとよりここにあるのであります。一体支那事変はどうなるものであるか、いつ済むのであるか、いつまで続くものであるか、政府は支那事変を処理すると声明しているが如何にこれを処理せんとするのであるか。国民は聴たんと欲して聴くことが出来ず、この議会を通じて聴くことが出来得ると期待しない者は恐らく一人もないであろうと思う。
 さきに近衛内閣は事変を起こしながらその結末を見ずして退却をした。平沼内閣はご承知の通りである。阿部内閣に至って初めて事変処理のために邁進するとは声明したものの、国民の前には事変処理の片鱗をも示さずして総辞職してしまった。現内閣に至って始めてこの問題をこの議会を通して国民の前に曝け出すところの機会に到来したのであります。これにおいて私は総理大臣に向って極めて率直にお尋ねをするのである。支那事変を処理すると言わるるのであるが、その処理せらるる範囲は如何なるものであるか、その内容は如何なるものであるか、私が聴かんとするところはここにあるのであります。
 私の見るところを直言致しまするならば、元来今回の事変につきましては、当初支那側は申すに及ばず、我が日本におきましても確かに見込み違いがあったに相違ないのであります。即ち我国より見まするならば、その初めは所謂現地解決、事変不拡大の方針を立てられたのでありまするが、その方針は支那側の挑戦行為によって立ちどころに裏切られ、その後事変は日に月に拡大し、躍進に躍進を重ねて遂に今日の現状を見るに至ったのであります。支那側の見込み違い、これは言うを要しないのであります。
 ここにご参考のために引用すべき文書があります。これは昨年十二月十三日、内閣情報部より発行せられたるところの「週報」でありまするが、この中に「支那事変を解決するもの」と題して支那派遣軍総司令部報道部長の名をもって一つの論文が掲載せられているのである。この中に如何なることが現われているかと見ると、「そもそもこの戦争は、支那人、ことに蒋介石の日本に対する認識不足と、その日本の実力誤算から出発し、また日本の支那に対する研究不足と認識不足とによって始められ、また深められて来た」云々と記載されてある。
 即ちこのたびの事変は支那が日本に対するところの認識不足、また日本が支那に対するところの認識不足、この二つの原因によって始められ、またこれが深められたものに相違ない。しかしながら翻って考えて見ますると、たとえこの認識不足なしといえども、日支両国の間におきましては早晩一大事変か起こらざるを得ないその禍根が、いずれの所にか隠れておった、その機運が熟しておった、それがかの北支の一角蘆溝橋における支那側の不法射撃、この事実に触れて外部に爆発したに過ぎないのでありまして、これは仕方がない、所謂運命であります。両国間にわだかまるところの運命でありますから、これは仕方 がない。
 しかしながらその後事変はますます進展して、彼我の勢力ならびに勝敗の決も明かになりました以上は、なるべく速やかにこの事変を収拾する、そうして出来るならば再びかくのごとき事変か起こらないように、日支両国の問に横たわる一切の禍根を斐除して、もって和平克復を促進することは独り日本の政治家の責任であるのみならず、実に支那の政治家の責任であると私は思うのであります、ただ□題はどうしてこれらの禍根を取り除くことが出来るか、どうしたならば将来の安全を保障することが出来るか。我々は支那の立場を考うるとともに、主として日本の立場を考えねばならぬのである。
 そこでまず第一に我々が支那事変の処理を考うるに当りましては、寸時も忘れてならぬものがあるのであります。それは何であるか、他のことではない。この事志気を遂行するに当りまして、過去二年有半の長きに亘って我が国家国民が払いたるところの絶大なる犠牲であるのてあります。即ちこの間におきまして我が国民が払いたるところの犠牲、即ち遠くは海を越えてかの地に転戦するところの百万、二百万の将兵諸士を初めとして、近くはこれを後援するところの国民か払いたる生命、自由、財産その他一切の犠牲は、この壇上におきまして如何なる人の口舌をもってするも、その万分の一をも尽すことは出来ない のであります。(拍手)
 しかもこれらの犠牲は今日をもって終りを告げるのではない。将来久しきに亘る、今後幾年に亘るかということは、今日何人といえども予言することが出来ない状態にあるのてあります。実にこのたびの事変は、名は事変と称するけれども、その実は戦争である。しかも建国以来未だかつて経験せざるところの大戦争であります。したがってその犠牲の大なるとともに、その戦果に至ってもまた実に驚くべきものがある。昨日もこの議場において陸軍大臣のお話がありました通り、今日の現状をもって見まするならば、我軍の占領地域は実に日本全土の二倍以上に跨っているのであります。
 しかしてこれらの占領は如何にしてなされたものであるか。 いずれも忠勇義烈なる我が皇軍死闘の結果である。即ちこれがためには、十万の将兵は戦場に屍を埋めているでありましょう。これに幾倍する数十万の将兵は、悼ましき戦傷に苦しんでいるでありましょう。百万の皇軍は今なお戦場に留まってあらゆる苦難と闘っているに相違ない。かくして得られたるところのこの戦果、かくして現われくるところのこの事実、これを眼中に置かずしては、何人といえども事変処理を論ずる資格はない。(「ヒヤヒヤ」拍手)
 諸君もご承知のごとく、我国はかつて四十余年前に支那と戦った。三十余年前にロシアと戦った。これらの戦いはいずれも国運を賭したる戦いであったに相違はございませぬが、今回の戦いと比べまするならば、その規模の大なること、その犠牲の大なること、日を同じくして語るべきものではない。しかるにこれらの戦いは、如何なる条件をもって、和平克復を見るに至ったかということは、歴史がこれを明記しておりまするから、ここに述ぶる必要はない。それ故にこれを過去の歴史に鑑み、またこれを東亜における大日本帝国の将来に鑑み、これを基礎として、もって事変処理の内容を充実するにあらざれば、出征の将士は言うに及ばず、日本全国民は断じてこれを承知するものではない。(「ヒヤヒヤ」拍手)政府においてその用意があるかないか、私が問わんとするところはここにあるのであります。
 米内首相は事変処理については、すでに確乎不動の方針が定められておる、かく声明せられているのでありまするが、その方針とは何であるか、所謂近衛声明なるものであるに相違ない。即ち昨年十二月二十二日に発表せられたところの近衛声明、これが事変処理に関する不動の方針であることは、申すまでもないことであります。ところが私は元来この近衛声明なるものに向っては、いささか疑いを抱いているのであります。この際誤解を防ぐがためにお断りをしておきます。きっぱりとお断りをしておきまするが、私は今にわかに近衛声明に反対をする者ではない。さりとて賛成をする者でもない。賛成をするか反対をするかは、政府の説明を聴いてしかる後において考えるつもりであります。(拍手)
   今日は質問であります。質問は読んで字のごとく疑いを質すのである。それ故にこの考えをもってご聴取を願いたいのであります。 近衛声明の中にはどういうことが含まれているかと見ますると、大体五つの事柄が示されているのであります。
その一つは支那の独立主権を尊重するということである。
 第二は領土を要求しない、償金を要求しないということである。
 第三は経済関係については、日本は経済上の独占をやらないということである。
 第四は支那における第三国の権益については、これを制限せよというごときことを支那政府には要求しない。
 第五は防共地域であるところの内蒙付近を取り除くその他の地域より、日本軍を撤兵するということであります。この五つが近衛声明に含まれているところの要項である。
 しかしてこの声明はただ日本のみに対する声明でなければ、また支那のみに対する声明でもない、実に全世界に対するところの声明でありまするから、如何なることがあってもこれを変更することが出来るものではない。絶対にこれは変更を許さないのである。もしかりそめにもこれを変更するがごときことがありますならば、我国の国際的信用は全く地に墜ちてしまうのであります。ただそればかりではない。ご承知のごとくかの汪兆銘氏、同氏はこの近衛声明に呼応して立ち上ったのである。
 即ちこの近衛声明を本として、和平救国の旗を押し立てて、新政権の樹立に向って進んで来ているのである。その後同氏はしばしば声明書を発表しておりまするが、その声明書を見ますると、徹頭徹尾近衛声明を文字通り額面通りに解釈をしているのである。即ち同氏がしばしば発表しましたところの声明書、その声明書に現われているところの文句を、そのまま取って来て総合しますると、こういうことになるのであります。
 「近衛声明のごとくてあったならば支那にとっては別に不和益はない。日本はこの声明によって全く侵略主義を挺棄したのである。日本はこれまで侵略主義をとっておったが、近衛声明によって侵略主義を挺棄したのであるというている。日本が侵略主義を挺棄したということは、即ち軍事上においては征服を図らず、経済においては独占を考えないということである。かくのごとく日本が戦争中において反省したる以上は、中国もまた深く自ら反省するところがあって、一日も速やかに和平を実現せねばならぬ、しかしてかくのごとき和平は絶対、に対等の立場において結ばねばならぬ。戦勝者がもつ敗者に対する態度は一切拗棄すべきである。したがって和平条件は決して支那国家の独立自由を害するものではないから、何人といえども和平の実現を拒むことは出来ない」
 声明書に現われておりまするところの文句をそのまま取って総合すると、かくのごときものになるのである。そうしてこの声明を発表して爾来一年有余の間、和平運動のために進んで来ているのであります。それですらご承知の通り支那民衆、ことに蒋介石一派よりは実に言うに堪えざるところの攻撃を受け迫害せられながら、身を挺して和平運動のために進軍して来ているのであります。それ故に同氏の立場から見れば徹頭徹尾この声明をば裏切ることは出来ない。もしこれを裏切るかごときことかありましたならば、和平運動、ひいては新政権の樹立は根本から崩壊せられてしまうのである。
 ここにおいて私は政府に向ってお尋ねをするのである。支那事変処理の範囲と内容は如何なるものであるか。重ねて申しまするが、支那の独立主権は完全に尊重する。支那の独立主権を完全に尊重する以上は、将来支那の内外政治に向ってはかりそめにも干渉がましきことは出来ない。もし干渉がましきことをなしたならば、支那の独立主権はたちどころに侵害せられるのである。領土は取らない、償金はとらない。支那事変のためにどれだけ日本の国費を費やしたかということは私はよく分りませぬ。しかしながらただ軍費として我々がこの議会において協賛を致しましたものだけでも、今年度までに約百二十億円、来年度の軍費を合算致しますると約百七十億円、これから先どれだけの額に上るかは分らない。二百億になるか三百億になるか、それ以上になるか一切分らない。それらの軍費については一厘一毛といえども支那から取ることは出来ない。ことごとく日本国民の負担となる。日本国民の将来を苦しめるに相違ない。
 また経済開発については、決して日本のみが独占をしない。支那の経済開発ということが叫ばれておりまするが、これも日本だけが独占をすべきものではない。第三国権益を制限するがごときことは支那政府に向っては要求しない。これまで我国の政治家は国民の前に何と叫んでおったか。このたびの支那事変は、支那より欧米列国の勢力を駆逐する、欧米列国の植民地状態、第三国から搾取せられているところの支那を解放して、これを支那人の手に戻すのであると叫んでおったのでありますが、これは近衛声明とは全然矛盾するところの一場の空言であったということに相成るのであります。
 その他占領地域より日本軍全部を撤兵するというのである。残る所に何かあるか、それが私には分らないのであります。ことに日本軍の撤兵については、汪兆銘氏が如何なることをいうておるかというと、第一次声明の中にこういうことが現われている。 近衛声明において特別重要なる点は日本軍の支那からの撤兵である。そうしてその撤兵は全部が急速にかつあらゆる方面において一斉に行われねばならぬということである。即ち撤兵は、全部が急速に、あらゆる方面において、一斉に行われねばならぬということである。ただ提案せられたるところの日支防共協定の存続期間に限って、日本軍の駐屯すべき所謂特定地区はただ内蒙の付近のみに制限せられなければならない。
 かように汪兆銘氏は声明しておりまするが、これを近衛声明と対照しますると、少しも間違いはないのであります。しかる以上はこれより新政権を一欲に和平工作をなすに当りましては、支那の占領区域から日本軍を撤退する、北支の一角、内蒙付近を取り除きたるその他の全占領地域より日本軍全部を撤退する、過去二年有半の長きに亘って内には全国民の後援のもとに、外においては我が皇軍が悪戦苦闘して進軍しましたところのこの占領地域より日本軍全部を撤退するということである。
 これが近衛声明の趣旨でありますが、政府はこの趣旨をそのまま実行するつもりでありますか。これを私は聴きたいのであります。総理大臣は言うに及ばず、軍部大臣においてもこの点についてご説明を煩わしておきたい。
 次に事変処理については東亜の新秩序建設ということが繰り返されております。この言葉は昨日以来この議場においてもどれだけ繰り返されているか分らない。元来この言葉は事変の初めにはなかったのでありますが、事変後約一年半の後、即ち一昨年十一月三日近衛内閣の声明によって初めて現われたところの言葉であるのであります。東亜の新秩序建設ということはどういうことであるか。昨日外務大臣のお言葉にもあったように思いますが、近頃新秩序建設ということはこの東洋においてばかりではない。ヨーロッパにおいても数年来この言葉が現われているのであります。
 しかしながらヨーロッパにおける新秩序の建設というものは、つまり持たざる国が持てる国に向って領土の分割を要求する、即ち一種の国際的共産主義のごときものでありますが、その後の実情を見ますると全然反対である。即ちずいぶん持てるところの大国が持たざるところの小弱国を圧迫する、迫害する、併呑する、一種の弱肉強食である。ここに至ってヨーロッパにおける新秩序建設の意味は全く支離滅裂、実に乱暴極まるものであります。しかしヨーロッパのことはどうでもよろしい。ヨーロッパにおける新秩序の建設などは、我々において顧みる必要はない。この東亜における新秩序建設の内容は如何なるものがあるか。これも近衛声明及びこれに呼応したるところの汪兆銘氏の声明を対照してみますると、新秩序建設には確かに三つの事柄か含んでいる。それは何であるか。
 第一は善隣友好ということである。
 第二は共同防共である。
 第三は経済提携であります。
これがこれまでの公文書に現われているところの新秩序建設の内容でありまするが、政府の見るところもこれに相違ないのであるか。新秩序建設ということが朝野の間においてしばしば謳われているのでありまするが、その新秩序建設の実体は以上述べたる三つのことに過ぎないのであるか。なおこの他に何ものがあるのであるか。なければ宜しい、あるならばそれを聴きたい。あっても言えないと言わるるならばそれでも宜しい。とにかくこれほど広く、これほど強く高調せられているところの戦争の目的であり犠牲の目的であるところの東亜新秩序建設の実体について、政府の見るところは何であるか。これを承っておけば宜しいのであります。
 これに関連してお尋ねをしておきたいことがある。ここに昨年12月11日付をもって発表せられたる「東亜新秩序答申案要旨」というものがある。これは興亜院において委員会を設けて審議せられたるところのその答申案であります。これを見まするというと、我々にはなかなか難しくて分らない文句が大分並べてある。即ち皇道的至上命令、「うしはく」に非ずして「しらす」ことをもって本義とすることは我が皇道の根本原則、支那王道の理想、八紘一宇の皇謨、なかなかこれは難しくして精神講話のように聞えるのでありまして、私ども実際政治に頭を突込んでいる者にはなかなか理解し難いのであります。(拍手)
 しかしそれは別と致しまして、一体近頃になって東亜新秩序建設の原理原則とか精神的基礎とか称するものを、特に委員会までも設けて研究しなくてはならぬということは一体どういうことであるか、東亜新秩序建設はこの大戦争、この大犠牲の目的であるのであります。しかるにこの犠牲、この戦争の目的であるところの東亜新秩序建設が、事変以来約一年半の後において初めて現われ、さらに一年の後において特に委員会までも設けてその原理、原則、精神的基礎を研究しなくてはならぬということは、私どもにおいてはどうも受け取れないのであります。(拍手)この点は総理大臣に限らず、興亜院の総裁で宜しいのでありますから、何故興亜院においては特に委員会までも設けて、こういうことの研究に着手せられたのであるか、これを聴いておきたいのでありまず。
  
 (以下官報速記録より削除せられたる部分)
  
 私はこれより一歩を進めまして少し私の議論を交えつつ政府の所信を聴いてみたい。政府においてはこういうことを言われるに相違ない。また歴代の政府も言うている。何であるか。このたびの戦争はこれまでの戦争と全く性質が違うのである。このたびの戦争に当っては、政府はあくまでも所謂小乗的見地を離れて、大乗的の見地に立って、大所高所よりこの東亜の形勢を達観している。そうして何ごとも道義的基礎の上に立って国際正義を楯とし、所謂は紘一宇の精神をもって東洋永遠の平和、ひいて世界の平和を確立するがために戦っているのである故に、眼前の利益などは少しも顧みるところではない。これが即ち聖戦である。 神聖なるところの戦いであるという所以である。
 かような考えを持つておらるるか分らない。現に近衛声明の中には確かにこの意味が現われおるのであります。その言はまことに壮大である。その理想は高遠であります。しかしながらかくのごとき高遠なる理想が、過去現在及び将来国家競争の実際と一致するものであるか否やということについては、退いて考えねばならぬのであります。(拍手)いやしくも国家の運命を担うて立つところの実際政治家たる者は、ただ徒に理想に囚わるることなく、国家競争の現実に即して国策を立つるにあらざれば、国家の将来を誤ることがあるのであります。(拍手)
 現実に即せざるところの国策は真の国策にあらずして、一種の空想であります、まず第一に東洋永遠の平和、世界永遠の平和、これは望ましきことではありまするが、実際これが実現するものであるか否やということについては、お互いに考えねばならぬことである。古来いずれの時代におきましても平和論や平和運動の止むことはない。宗教家は申すに及ばず、各国の政治家らも口を開けば世界の平和を唱える。また平和論の前には何人といえども真正面からして反対は出来ないのであります。しかしながら世界の平和などが実際得られるものであるか、これはなかなか難しいことであります。
 私どもは断じて得られないと思っている。十年や二十年の平和は得られるかも知れませぬが、五十年百年の平和すら得られない。歴史家の記述するところによりますると、過去三十五世紀、三千四百幾十年の間において、世界平和の時代はわずかに二百幾十年、残り三千二百幾十年は戦争の時代であると言うている。かくのごとく過去の歴史は戦争をもって覆われている。将来の歴甕は平和をもって満たさるべしと何人が断言することが出来るか。(拍手)
 のみならずご承知の通りに近世文明科学の発達によりまして、空間的に世界の縮小したること実に驚くべきものである。これを千年前の世界に比較するまでもなく、百年前の世界に比較するまでもなく、五十年前の世界に比較しましても実に別世界の懸か起こらざるを得ないのである。この縮小せられたる世界において、数多の民族、数多の国家か対立している。そのうえ人口は増加する。生存競争はいよいよ激しくなって来る。民族と民族との間、国家と国家との間に競争が起こらざるを得ない。しかして国家間の争いの最後のものが戦争でありまする以上は、この世界において国家が対立しておりまする以上は、戦争の絶ゆる時はない。平和論や平和運動がいつしか雲散霧消するのはこれはやむを得ない次第であります。
 もしこれを疑われるのでありますならば、最近五十年間における東洋の歴史を見ましょう。先ほど申し上げました通りに、我国はかつて支那と戦った。その戦いにおいても東洋永遠の平和が唱えられたのである。次にロシアと戦った。その時にも東洋永遠の平和が唱えられたのである。また平和を目的として戦後の条約も締結せられたのでありまするが、平和が得られましたか。得られないではないか、平和が得られないからして今回の日支事変も起こって来たのである。
 また眼を転じてヨーロッパの近状を見ましょう。ご承知の通りに二十幾年前にヨーロッパはあの通りの大戦争をやった。五か年の間、国を挙げて戦った戦争の結果はどうなったか。敗けた国はいうに及ばず、勝った国といえども徹頭徹尾得失相償わない。その苦き経験に顧みて、戦争などはやるものでない。およそこの世の中において戦争ほど馬鹿らしきものはない。それ故に未来永久、この地球上からして戦争を絶滅する。その目的、その理想をもって国際連盟を作った。我か日本も五大強国の一つとしてこれに調印しているのであります。平和は得られましたか。国際連盟の殿堂はどうなっているか。民族の発展慾、国家の発展慾は、紙上の条約などでもって抑制することが出来るものでない。十年経ち、二十年経つ間においてまたもや戦争熱が勃興して来る。ヨーロッパの現状は活きたる教訓を我々の前に示しているのであります。
 ある者は言うている、このたびの戦争は「ベルサイユ」条約が因である、「ベルサイユ」条約においてドイツに向って苛酷なるところの条件を課したから、その反動として今回の戦争が起こったのであるとこう言うている。一応の理窟であるに相違ない。しかしなから[ベルサイユ」条約がなかったならば戦争は起こらなかったと誰が断言することか出来るか。第一ヨーロッパ戦争の前におきましては「ベルサイユ」条約はなかったのでありますけれども、戦争は起こったのである。
 即ち人間の慾望には限りがない、民族の慾望にも限りがない。国家の慾望にも限りがない。屈したるものは伸びんとする。伸びたるものはさらに伸びんとする。ここに国家競争が激化するのであります。なおこれを疑う者があるならば、さらに遡って過去数千年の歴史を見ましょう。世界の歴史は全く戦争の歴史である。現在世界の歴史から、(発言する者多し)戦争を取り除いたならば、残る何物があるか。そうして一たび戦争が起こりましたならば、もはや問題は正邪曲直の争いではない。是非善悪の争いではない。徹頭徹尾力の争いであります。強弱の争いである。強者が弱者を征服する、これが戦争である。正義が不正義を贋懲する、これが戦争という意味でない。先ほど申しました第一次ヨーロッパ戦争に当りましても、ずいぶん正義争いが起こったのであります。ドイツを中心とするところの同盟側、イギリスを中心とするところの連合側、いずれも正義は我に在りと叫んだのでありますが、戦争の結果はどうなったか。正義が勝って不正義が敗けたのでありますか。そうではないのでありましょう。正義や不正義はどこかへ飛んで行って、つまり同盟側の力が尽き果てたからして投げ出したに過ぎないのであります。今回の戦争に当りましても相変らず正義論を闘わしておりますが、この正義論の価値は知るべきのみであります。つまり力の伴わざるところの正義は弾丸なき大砲と同じことである。(拍手)羊の正義論は狼の前には三文の値打もない。ヨーロッパの現状は幾多の実例を我々の前に示しているのであります。
 かくのごとき事態でありますから、国家競争は道理の競争ではない。正邪曲直の競争でもない。徹頭徹尾力の競争である。(拍手)世にそうでないと言う者があるならばそれは偽りであります、偽善であります。我々は偽善を排斥する。あくまで偽善を排斥してもって国家競争の真髄を掴まねばならぬ。国家競争の真髄は何であるか。曰く生存競争である。優勝劣敗である。適者生存である。適者即ち強者の生存であります。強者が興って弱者が亡びる。過去数千年の歴史はそれである。未来永遠の歴史もまたそれでなくてはならないのであります。(拍手)
 この歴史上の事実を基礎として、我々が国家競争に向うに当りまして、徹頭徹尾自国本位であらねばならぬ。自国の力を養成し、自国の力を強化する、これより他に国家の向うべき途はないのであります。(拍手)
 かの欧米のキリスト教国、これをご覧なさい。彼らは……。

  (「もう宜い」「要点要点」と叫び、その他発 言する者多し)
議長(小山松寿君) 静粛に願います。

 斎藤隆夫君(続)彼らは内にあっては十字架の前に頭を下げておりますけれども、ひとたび国際問題に直面致しますと、キリストの信条も慈善博愛も一切蹴散らかしてしまって、弱肉強食の修羅道に向って猛進をする。これが即ち人類の歴史であり、奪うことの出来ない現実であるのであります。この現実を無視して、ただいたずらに聖戦の美名に隠れて、国民的犠牲を閑却し、曰く国際正義、曰く道義外交、曰く共存共栄、曰く世界の平和、かくのごとき雲を掴むような文字を列べ立てて、そうして千載一遇の機会を逸し、国家百年の大計を誤るようなことかありましたならば

 (小田栄君「要点を言え、要点を」と叫び、その他発言する者多し)
議長(小山松寿君)静粛に願います、小田君に注意致します。
  
 斎藤隆夫君(続)現在の政治家は死してもその罪を滅ぼすことは出来ない。私はこの考えをもって近衛声明を静かに検討しているのであります。即ちこれを過去数千年の歴史に照し、またこれを国家競争の現実に照して
 
 (発言する者多し)
議長(小山松寿君)静粛に願います。
  
 斎藤隆夫君(続)かの近衛声明なるものが、果して事変を処理するについて最善を尽したるものであるかないか。振古未曽有の犠牲を払いたるこの事変を処理するに適当なるものであるかないか。東亜における日本帝国の大基礎を確立し、日支両国の間の禍根を一掃し、もって将来の安全を保持するについて適当なるものであるかないか。これを疑う者は決して私一人ではない。(拍手)
 いやしくも国家の将来を憂うる者は、必ずや私と感を同じくしているであろうと思う。それ故に近衛声明をもって確乎不動の方針なりと声明し、これをもって事変処理に向わんとする現在の政府は、私が以上述べたる論旨に対し逐一説明を加えて、もって国民の疑惑を一掃する責任があるのであります。(拍手)
 私はさらに進んで重慶政府と、近く現われんとするところの新政府との関係についてお尋ねを致したいのであります。昨年八月、阿部内閣が成立致しました当時においては、汪兆銘氏を首班とするところの新政府は今にも現われんとするがごとき噂か立てられたのてありますが、それかだんだんと延引して今日に至っているのである。しかし聞くところによれば、いよいよ近くその成立を見んとするのでありますから、これは日支両国のためにまことに慶賀に堪えないことであります。我国はさきに蒋政権を撃滅するまでは断じて戈を敢めない、国民政府を対手にしては一切の和平工作をやらないと宣言している。しかる以上は新たに生るるところの新政府、これを援けてもって和平調整をなざねばならぬ。これについては誰一人として反対する者はないのであります。
 しかしながら退いて考えて見ますると、一体この新政府はどれだけの力を持って現われるのであるか。これが私どもには分らないのであります。申すまでもなくいやしくも国際間において、また国際法上において、政府として立ちまする以上は、内に向っては国内を統治するところの実力を備え、外に向っては国際義務を履行するところの能力を有するこの内外両方面の条件を兼備するものにあらざれば、政府として立つことも出来ねば、政府としてこれを承認することも出来ないはずであります。その実力とは何であるか、即ち兵力であります、軍隊の力であります。如何に法制を整えても、如何に政治機構を打ち建てても、また如何に文章口舌に巧みでありましても、兵力を有せざる政府の威令が行われるわけがない。ことにこれを支那歴朝創業の跡に顧みましても、旧王朝を滅して新王朝を創業する、旧政権を倒して新政権を建設する者は、ことごとく武人であります。即ち兵馬の間に天下の権を握らざる者はないのである。
 かの孫逸仙が革命事案に向って一生の精力を傾倒したにかかわらず、その業が成らず志を得ずして終に最後を遂げたのは何が故であるか。つまり彼が武人にあらず、武力を有しなかったからであります。これに反して彼の後輩でありまするところの蒋介石が、一時なりとも支那を統一したのは何か故であるか。彼が武人であって武力を有しておったからであります。ことに近頃支那の形勢を見渡しまするというと、我軍の占領地域であり同時に新政権の統轄地域であるところにおいてすら、匪賊は横行する、敗残兵は出没する、国内の治安すら完全に維持することが出来ない。加うるに新政府と絶対相容れざるところのかの重慶政府を撃滅するにあらざれば、新政府の基礎は決して確立するものではない。それ故に新しき政府を打ち建てる第一の条件は何といっても兵力でありまするが まさに現われんとするところの新政府にはその力があるのであるかないのであるか、これについてご説明を煩わしたいと思うのであります。
 次に新政府が現われましたならば、我国は何としてもこれを承認せざるを得ないのであります。これを承認すると同時に、この新政府の発展に向っては極力これを支持せねばならぬのである。支持すべきことをすでに声明せられている以上は、この声明をどこまでも履行しなければならない。即ちこれがためには政治上においても、軍事上においても、また経済上においても、その他あらゆる犠牲を払ってこの新政府を援けねばならぬのである。そうして新政府を援けて将来名実ともに完全なる独立政府としたその後において、我国との関係が極めて円満に持続せらるるものであるかないか、これも大切なる問題であるのであります。我々は決して新政府を疑う者ではない。殊に汪兆銘氏を初めとして、身を挺して和平救国のために奮闘しているところのかの支那の政治家諸氏に対しては、衷心より敬意を払う者であります。
 しかしながら、国の異なるに従って国民性にも違いがある。これは仕方がない。現に汪兆銘氏は一昨年の暮に重慶脱出以来しばしば声明書を発表して、蒋介石に向って和平勧告をしたのでありまするが、蒋介石はこれを一蹴して顧みない。そこで昨年の七月には断然として蒋介石に向って絶縁状を送っている。しかるにもかかわらずつい最近一月の十六日でありまするか、それこそ辞を卑くし、言葉を厚くして蒋介石に向って停戦講和の通電をうっている。これは支那の政治家において初めて出来ることでありまして、我々日本の政治家においては想像も及ばないことである。それ故に新政府を援助することは宜しいが、新政府の将来に向って決して盲目であってはならない。これについて総理大臣はどういう考えを持っておられるのであるか、これを一つ承っておきたいのであります。
 次に新政府が出来た後において重慶政府との関係はどうなるものであるか、これにつきましては前内閣の阿部首相は新聞を通じて、こういう意見を述べておらるるのであります。即ち新政権が出来たならば、新政権は重慶政府に向って働きかけるであろう。新政権樹立の趣旨が徹底したならば、重慶政府も一緒になって和平救国の途に就くであろう。こういう意見を述べておられるのであります。しかしてこれは決して前阿部首相一人のみの意見ではない。今日政府の要人の中には、確かにこの意見を持っている人があるのであります。これが私には分りかねるのである。新政権と重慶政府、どう考えてもこれが将来一致するものであるとは思えないのであります。なぜに一致しないか。ご承知の通り重慶政府は徹頭徹尾、容共抗日をもってその指導精神となし、これを基として長期抗戦を企てているのである。しかるにこれに反して新政府は反共親日をもって指導精神となし、それをもって新政府の樹立に向って進んでいるのである。
 この氷炭相容れざる二つのものがどうして一緒になることが出来るか。我々においてはどうもこれは想像がつかない。しかしてこれはただ理窟ばかりの問題ではなくして支那の現状を見ましてもかようなことは到底想像することが出来ないのである。ことに先ほど申しましたように、蒋介石を徹底的に撃滅するにあらざれば断じて戈を敢めない。この鉄のごとき方針が確立して、これをもってあらゆる作戦計画が立てられているべきはずであるのであります。先ほど引用致しましたところの文書の中におきましても、確かにその意味は現われているのである。
 「即ち新政府が出来たところが蒋介石は決して兜を脱がない、重慶政府が屈服しない限りは日本軍はあくまでも重慶征伐に向って進軍するのである。汪兆銘は日本の重慶征伐に便乗して戦うのである」これが軍部の方針であるに相違ないのであります。しかるに前内閣の首相及び政府の要人はかくのごとき気楽なる考えを持っておる。支那事変処理の根本方針について政府と軍部との間において何か意見の相違があるらしくも思えるのであります。これは前内閣のやったことてありまして、現内閣のやったことではないのでありまするが、しかし支那事変の処理については前内閣の方針を踏襲すると言われたところの現内閣の総理大臣は、これについても相当のお考えがあるには相違ないと思いまするから、この点も併せて伺っておきたいのであります。
 次に重慶政府に対する方針、重ねて申しまするが、蒋政権を撃滅するにあらざれば断じて戈は敢めない、蒋介石の政府を対手としては一切の和平工作はやらない、この方針は動かすべからざるものでありまするが、その後蒋介石は敗戦に次ぐに敗戦をもってして、今日は重慶の奥地に逃げ込んで、一地方政権に堕しているとはいうものの、今なお大軍を擁して長期抗戦を豪語し、あらゆる作戦計画をなしているように見受けられるのであります.もとよりこれについては我方におきましても確乎不抜の方針が立てられているに相違ありませぬが、しかし前途のことは測り知ることが出来ない。しかるに一方においてはどこまでも新政権を支持せねばならぬ。あらゆる犠牲を払ってこれを支持せねばならぬ、即ち一方においては蒋介石討伐、他の一方においては新政権の援助、我国はこれよりこの二つの重荷を担うて進んで行かなければならぬのでありますか、これが我か国力と対照して如何なる関係を持っているものであるか、私ども決して悲観するものではない。悲観するものではないが、これが人的関係の上において、物的関係の上において、また財政経済の関係において如何なるものであるかということは、国民が聴たんとするところであると思うのであります。(拍手)
 それ故にこの点につきましては総理大臣は申すに及ばず、関係大臣において出来得る限りの説明を与えられたい。我々はもとより言えないことを聴こうとするのではない。外交上、軍事上、その他経済財政の関係におきましても、言えないことがあることは能く承知しているのでありますから、言えないことを聴かんとするのではない。この議場において言えるだけの程度において、なるべく詳しくご説明を願いたいと思うのであります。
 最後に支那全体を対象として、今後の形勢について政府の意見を聴いておきたいことがある。申すまでもなく支那は非常な大国であります。その面積におきましても日本全土の十五倍に上っている、五億に近い人口を有している。我国の占領地域が日本全土の二倍半であるとするならば、まだ十二倍半の領土が支那に残されているのであります。この広大なるところの領土に加うるに、これに相当するところの人口をもってして、これを統轄するところの力を有する者でなければ、支那の将来を担って立つことは出来ない。近く現われんとするところの新政府はこれだけの力があるのであるか。私ども如何に贔屓目に見ましても、この新政府にこれだけの力があるとはどうも思えないのであります。
 そうするとどうなるのでありますか。もし蒋介石を撃滅することが出来ないとするならば、これはもはや問題でない。よしこれを撃滅することが出来たとしても、その後はどうなる。新政府において支那を統一するところの力があるのでありますか。あると言わるるならばその理由を私は承っておきたい。もしその確信がないとせらるるならば、支那の将来はどうなるか。各所において政権が分立して、互いに軋瞭して摩擦を起こす。新秩序の建設も何もあったものではないのであります。(拍手)
 そうしてかくのごとき状態が支那に起こるのは何が基であるかというと、つまり蒋政権を対手にしては一切の和平工作をやらない、即ち一昨年の一月十六日、近衛内閣によって声明せられましたところの爾来国民政府を対手にせず、これに原因しているものではないかと思うが、政府の所見は如何であるか。
 しかしてもし今後この方針を固く守って進みますならば、表面においても裏面においても、公式非公式を問わず、一切重慶政府を対手としてはならないのである。また我国がこれを対手とすることが出来ないのみならず、近く現われんとするところの新政権も、断じて重慶政府を対手にすることは出来ないはずなのであります。我が日本は対手にしはしないが、新政府はこれを対手にしても宜いということは、これは言われない。なぜならば新政府に対しては日本は干渉はしないが指導するのである。即ち新政府に対して日本は指導的立場に立っているのでありまするから、もし新政府が重慶政府に向って何か交渉の途を開くと仮定致しまするならば、これは誰が見たところが日本の指導に基づくものに相違ないと思う。また思われても仕方がないのであります。そうすると支那の将来はどうなるものでありますか。いつまで経ってもこの現状をば精算することは出来ないと思われるのでありまするが、政府はこの点についてどういうお考えを持っておられるのでありますか、これもあわせて伺いたいのであります。(拍手)
 私の質問は大体以上をもって終りを告げるのでありまするが、最後において一言を残して、あわせて政府の所信を質しておきたいことかある。改めて申すまでもござりませぬが、支那事変は実に建国以来の大事件であります。建国以来二千六百年、この間において我国は幾度か外国と事を構えたことはありまするけれども、今回の事変のごとくその規模の広大なるもの、その犠牲の大なるものはないのであります。したがってこの事変が如何に処理せられ如何に解決せらるるかということは、実に我が日本帝国の興廃の岐るるところであります。事変以来今日に至るまで我々は言わねばならぬこと、論ぜねばならぬことはたくさんあるのでありまするが、これは言わない、これは論じないのであります。我々は今日に及んで一切の過去を語らない、また過去を語る余裕もないのであります。一切の過去を葬り去って、なるべく速やかに、なるべく有利有効に事変を処理し解決したい。これが全国民の偽りなき希望であると同時に、政府として執らねばならぬところの重大なる責任であるのであります。(拍手)
 歴代の政府は国民に向ってしきりに精神運動を始めている。精神運動は極めて大切でありまするが、精神運動だけで事一翼の解決は出来ないのである。いわんやこの精神運動が国民の間にどれだけ徹底しているかということについては、この際政府としても考え直さねばならぬことがあるのではないか。(拍手)
 例えば国民精神総動員なるものがあります、この国費多端の際に当って、ずいぶん巨額の費用を投じているのでありまするが、一体これは何をなしているのであるかは私どもには分らない。(拍手)
 この大事変を前に控えておりながら、この事変の目的はどこにあるかということすらまだ普く国民の問には徹底しておらないようである。([ヒヤヒヤ』拍手)聞くところによれば、いつぞやある有名な老政治家か、演説会場において聴衆に向って今度の戦争の目的は分らない、何のために戦争をしているのであるか自分には分らない、諸君は分っているか、分っているならば聴かしてくれと言うたところが、満場の聴衆一人として答える者がなかったというのである。(笑声)
 ここが即ち政府として最も注意をせねばならぬ点であるのである。 ことに国民精神に極めて重大なる関係を持っているものであって、歴代の政府が忘れているところの幾多の事柄があるのであります。例えば戦争に対するところの国民の犠牲であります。いずれの時にあたりましても戦時に当って国民の犠牲は、決して公平なるものではないのであります。即ち一方においては戦場において生命を犠牲に供する、あるいは戦傷を負う、しからざるまでも悪戦苦闘してあらゆる苦難に耐える百万、二百万の軍隊がある。またたとえ戦場の外におりましても、戦時経済の打撃を受けて、これまでの職業を失って社会の裏面に蹴落される者もどれだけあるか分らない。しかるに一方を見まするというと、この戦時経済の波に乗って所謂殷賑産業なるものが勃興する。あるいは「インフレーション」の影響を受けて一攫千金はおろか、実に莫大なる暴利を獲得して、目に余るところの生活状態を曝け出す者もどれだけあるか分らない。(拍手)戦時に当ってはやむを得ないことではありますけれども、政府の局にある者は出来得る限りこの不公平を調節せねばならぬのであります。
 しかるにこの不公平なるところの事実を前におきながら、国民に向って精神運動をやる。国民に向って緊張せよ、忍耐せよと迫る。国民は緊張するに相違ない。忍耐するに相違ない。しかしながら国民に向って犠牲を要求するばかりが政府の能事ではない。(拍手)これと同時に政府自身においても真剣になり、真面目になって、もって国事に当らねばならぬのではありませぬか。(「ヒヤヒヤ」拍手)
 しかるに歴代の政府は何をなしたか。事変以来歴代の政府は何をなしたか。
 (「政党は何をした」[黙って聞け」と叫ぶ者あり)
 二年有半の間において三たび内閣が辞職をする。政局の安定すら得られない。こういうことでどうしてこの国難に当ることが出来るのであるか。畢竟するに政府の首脳部に責任観念が欠けている。(拍手)身をもって国に尽すところの熱力が足らないからであります。畏れ多くも組閣の大命を拝しながら、立憲の大義を忘れ、国論の趨勢を無視し、国民的基礎を有せず、国政に対して何らの経験もない。しかもその器にあらざる者を拾い集めて弱体内閣を組織する。国民的支持を欠いているから、何ごとにつけても自己の所信を断行するところの決心もなければ勇気もない。姑息倫安、一日を弥縫するところの政治をやる。失敗するのは当り前であります。(拍手)
 こういうことを繰り返している間において事変はますます進んで来る。内外の情勢はいよいよ逼迫して来る。これが現時の状態であるのではありませぬか。これをどうするか、如何に始末をするか、朝野の政治家が考えねばならぬところはここにあるのであります。我々は遡って先輩政治家の跡を追想して見る必要がある。日清戦争はどうであるか、日清戦争は伊藤内閣において始められて伊藤内閣において解決した。日露戦争は桂内閣において始められて桂内閣が解決した。当時日比谷の焼打事件まで起こりましたけれども、桂公は一身に国家の責任を背負うて、この事変を解決して、しかる後に身を退かれたのであります。伊藤公といい、桂公といい、国に尽すところの先輩政治家はかくのごときものである。しかるに事変以来の内閣は何であるか。外においては十万の将兵が殖れているにかかわらず、内においてこの事変の始末をつけなければならぬところの内閣、出る内閣も出る内閣も輔弼の重責を誤って辞職をする、内閣は辞職をすれば責任は済むかは知れませぬが、事変は解決はしない。護国の英霊は蘇らないのであります。(拍手)私は現内閣が歴代内閣の失政を繰り返すことなかれと要求をしたいのであります。
 事変以来我が国民は実に従順であります。言論の圧迫に遭って国民的意思、国民的感情をも披瀝することが出来ない。ことに近年中央地方を通じて、全国に弥漫しておりますところのかの官僚政治の弊害には、悲憤の涙を流しながらも黙々として政府の命令に服従する。政府の統制に服従するのは何がためであるか、一つは国を愛するためであります。また一つは政府が適当に事ぶるを解決してくれるであろうこれを期待しているがためである。
 しかるにもし一朝この期待が裏切らるることがあったならばどうであるか、国民心理に及ぼす影響は実に容易ならざるものがある。(拍手)しかもこのことが、国民が選挙し国民を代表し、国民的勢力を中心として解決せらるるならばなお忍ぶべしといえども、事実全く反対の場合が起こったとしたならば、国民は実に失望のどん底に蹴落とされるのであります。国を率いるところの政治家はここに目を着けなければならぬ。
 繰り返して申しまするが、事変処理はあらゆる政治問題を超越するところの極めて重大なるところの問題であるのであります。内外の政治はことごとく支那事変を中心として動いている。現にこの議会に現われて来まするところの予算でも、増税でも、その他あらゆる法律案はいずれも直接間接に事変と関係をもたないものはないでありましょう。それ故にその中心でありまするところの支那事変は如何に処理せらるるものであるか、その処理せらるる内容は如何なるものであるかこれが相当に分らない間は、議会の審議も進めることが出来ないのである。私が政府に向って質問する趣旨はここにあるのでありまするから、総理大臣はただ私の質問に答えるばかりではなく、なお進んで積極的に支那事変処理に関するところの一切の抱負経綸を披瀝して、この議会を通して全国民の理解を求められんことを要求するのである。(拍手) 私の質問はこれをもって終りと致します。(拍手)
  
 (発言する者あり)
 議長(小山松寿君)野溝君にご注意致します。
 (国務大臣米内光政君登壇)
 国務大臣(米内光政君)お答致します、
  
 支那事変処理に関する帝国の方針は確乎不動のものであります。政府はこの方針に向って邁道せんとするものてあります。戦争と平和に関するご意見は能く拝聴致しました、以下具体的問題についてお答を致します。
 支那側の新中央政府に関する帝国の態度は如何、こういうご質問であります。汪精衛氏を中心とする新中央政府は、東亜新秩序建設につきまして、帝国政府と同じ考えを持っておりますから、帝国と致しましては、新政府が真に実力あり、かつ国交調整の能力あるものであるということを期待致しまして、その成立発展を極力援助せんとするものであります。(拍手)
 その次に新政府樹立後、これと重慶政権との関係は如何というご質問でありまするが、新政府が出来上りまして、差当り重慶政府と対立関係となるということは、やむを得ないものと考えておりまするが、重慶政府が翻意解体致しまして新政府の傘下に入ることを期待するものであります。次に国内問題でありまするが、政府は東亜新秩序建設の使命を全うせんがために、鞏固なる決意のもとに手段を尽して断乎時局の解決を期している次第であります。この興亜の大事案を完成しまするためには、労務、物資、資金の各方面に亘りまして、戦時体制を強化整備致しまして、国家の総力を挙げて、本問題処理のために総合集中することが肝要てありまして、これがために真に挙国一致、不抜の信念に基づきまする国民の理解と協力とを得ることが必要であると存ずるのであります、(拍手)

    斎藤隆夫著「回顧七十年」より

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