
伊藤信吉(いとう しんきち)は、明治時代後期の1906年(明治39)11月30日に、群馬県群馬郡元総社村大字元総社(現在の前橋市元総社町)において、農家だった父・伊藤実太郎、母・みねの長男として生まれました。高等小学校を卒業後、1923年(大正12)に、群馬県庁商工課に勤務するようになり、翌年には、萩原朔太郎を訪ね知遇を得ます。
1928年(昭和3)に県庁を退職し上京し、草野心平の詩誌「学校」に参加しましたが、いったん帰郷し、翌年に再び上京し、プロレタリア詩人会に参加しました。1931年(昭和6)に、全日本無産者芸術団体協議会(ナップ)に加盟し、雑誌「ナップ」「プロレタリア詩」等に作品を発表したものの、翌年には、「治安維持法」違反容疑で検挙され、プロレタリア文学運動から退きます。
1933年(昭和8)に第一詩集『故郷』を刊行、1936年(昭和11)に、最初の文芸評論『島崎藤村の文学』を刊行、都新聞宇都宮支局員となり移住し、1939年(昭和14)には、吉田健一らと「批評」を創刊しました。1941年(昭和16)に、都新聞を退社し、報知新聞社に勤務、1942年(昭和17)に、萩原朔太郎が死去すると、小学館版『萩原朔太郎全集』の編集を担当、報知新聞社を退社、財団法人交通協力会へ入社し、『陸輸新報』の編集に携わります。
大平洋戦争後、1946年(昭和21)に、交通労働研究所を設立し『交通労働』の発行に携わり、1949年(昭和24)には、新日本文学会系の『新日本詩人』の第1号の編集にも関与しました。1964年(昭和39)に、萩原朔太郎研究会が発足すると会長となり、1967年(昭和42)には、日本現代詩人会の会長(~1969年)、中央大学文学部兼任講師(~1975年)となります。
1974年(昭和49)に『ユートピア紀行』で、第2回平林たい子文学賞を受賞、1976年(昭和51)には、第二詩集『上州』を刊行しました。1977年(昭和52)に『萩原朔太郎』で、第28回読売文学賞(評論・伝記部門)、1978年(昭和53)に、『天下末年 伊藤信吉詩集』で、第9回多喜二・百合子賞、1980年(昭和55)には、『望郷蠻歌・風や天』で、第30回芸術選奨文部大臣賞を受賞しています。
その後も、1992年(平成4)に高橋元吉文化賞、1993年(平成5)に『上州おたくら 私の方言詩集』で、第2回丸山豊記念現代詩賞を受賞、1996年(平成8) 群馬県立土屋文明記念文学館の初代館長に就任しました。1997年(平成9)に『監獄裏の詩人たち』で、第48回読売文学賞(随筆・紀行部門)、1999年(平成11)に平成10年度日本芸術院賞、恩賜賞、2002年(平成14)には、『老世紀界隈で』で、第17回詩歌文学館賞(現代詩部門)を受賞しましたが、同年8月3日に、東京において、肺炎のため、95歳で亡くなっています。
1928年(昭和3)に県庁を退職し上京し、草野心平の詩誌「学校」に参加しましたが、いったん帰郷し、翌年に再び上京し、プロレタリア詩人会に参加しました。1931年(昭和6)に、全日本無産者芸術団体協議会(ナップ)に加盟し、雑誌「ナップ」「プロレタリア詩」等に作品を発表したものの、翌年には、「治安維持法」違反容疑で検挙され、プロレタリア文学運動から退きます。
1933年(昭和8)に第一詩集『故郷』を刊行、1936年(昭和11)に、最初の文芸評論『島崎藤村の文学』を刊行、都新聞宇都宮支局員となり移住し、1939年(昭和14)には、吉田健一らと「批評」を創刊しました。1941年(昭和16)に、都新聞を退社し、報知新聞社に勤務、1942年(昭和17)に、萩原朔太郎が死去すると、小学館版『萩原朔太郎全集』の編集を担当、報知新聞社を退社、財団法人交通協力会へ入社し、『陸輸新報』の編集に携わります。
大平洋戦争後、1946年(昭和21)に、交通労働研究所を設立し『交通労働』の発行に携わり、1949年(昭和24)には、新日本文学会系の『新日本詩人』の第1号の編集にも関与しました。1964年(昭和39)に、萩原朔太郎研究会が発足すると会長となり、1967年(昭和42)には、日本現代詩人会の会長(~1969年)、中央大学文学部兼任講師(~1975年)となります。
1974年(昭和49)に『ユートピア紀行』で、第2回平林たい子文学賞を受賞、1976年(昭和51)には、第二詩集『上州』を刊行しました。1977年(昭和52)に『萩原朔太郎』で、第28回読売文学賞(評論・伝記部門)、1978年(昭和53)に、『天下末年 伊藤信吉詩集』で、第9回多喜二・百合子賞、1980年(昭和55)には、『望郷蠻歌・風や天』で、第30回芸術選奨文部大臣賞を受賞しています。
その後も、1992年(平成4)に高橋元吉文化賞、1993年(平成5)に『上州おたくら 私の方言詩集』で、第2回丸山豊記念現代詩賞を受賞、1996年(平成8) 群馬県立土屋文明記念文学館の初代館長に就任しました。1997年(平成9)に『監獄裏の詩人たち』で、第48回読売文学賞(随筆・紀行部門)、1999年(平成11)に平成10年度日本芸術院賞、恩賜賞、2002年(平成14)には、『老世紀界隈で』で、第17回詩歌文学館賞(現代詩部門)を受賞しましたが、同年8月3日に、東京において、肺炎のため、95歳で亡くなっています。
<伊藤信吉の主要な著作>
・第一詩集『故郷(こきょう)』(1933年)
・評論集『島崎藤村(とうそん)の文学』(1936年)
・『現代詩の鑑賞』上下(1952年、1954年)
・『高村光太郎』(1958年)
・『ユートピア紀行』(1974年)第2回平林たい子文学賞受賞
・第二詩集『上州』(1976年)
・『天下末年 伊藤信吉詩集』(1977年)第9回多喜二・百合子賞受賞
・『萩原朔太郎』(1977年)第28回読売文学賞(評論・伝記部門)受賞
・『望郷蠻歌・風や天』(1979年)第30回芸術選奨文部大臣賞受賞
・『上州おたくら 私の方言詩集』(1993年)第2回丸山豊記念現代詩賞受賞
・『監獄裏の詩人たち』(1996年)第48回読売文学賞(随筆・紀行部門)受賞
・『老世紀界隈で』(2001年)第17回詩歌文学館賞(現代詩部門)受賞
〇伊藤信吉関係略年表
・1906年(明治39)11月30日 群馬県群馬郡元総社村大字元総社(現在の前橋市元総社町)において、農家だった父・伊藤実太郎、母・みねの長男として生まれる
・1923年(大正12) 群馬県庁商工課に勤務する
・1924年(大正13) 萩原朔太郎を訪ね知遇を得る
・1928年(昭和3) 県庁を退職し上京し、草野心平の詩誌「学校」に参加する
・1929年(昭和4) 再び上京し、プロレタリア詩人会に参加する
・1931年(昭和6) 全日本無産者芸術団体協議会(ナップ)に加盟し、雑誌「ナップ」「プロレタリア詩」等に作品を発表する
・1932年(昭和7) 「治安維持法」違反容疑で検挙され、プロレタリア文学運動から退く
・1933年(昭和8) 第一詩集『故郷』を刊行する
・1936年(昭和11) 最初の文芸評論『島崎藤村の文学』を刊行、都新聞宇都宮支局員となり移住する
・1939年(昭和14) 吉田健一らと「批評」を創刊する
・1941年(昭和16) 都新聞を退社し、報知新聞社に勤務する
・1942年(昭和17) 萩原朔太郎が死去すると、小学館版『萩原朔太郎全集』の編集を担当、報知新聞社を退社する
・1946年(昭和21) 交通労働研究所を設立し『交通労働』の発行に携わる
・1949年(昭和24) 新日本文学会系の『新日本詩人』の第1号の編集にも関与する
・1964年(昭和39) 萩原朔太郎研究会が発足すると会長となる
・1967年(昭和42) 日本現代詩人会の会長となり、中央大学文学部兼任講師となる
・1969年(昭和44) 日本現代詩人会の会長を辞める
・1973年(昭和48) 「小選挙区制に反対する詩人の会」を結成して代表となり、横浜市へ移住する
・1974年(昭和49) 『ユートピア紀行』で、第2回平林たい子文学賞を受賞する
・1975年(昭和50) 中央大学文学部兼任講師を辞める
・1976年(昭和51) 第二詩集『上州』を刊行する
・1977年(昭和52) 『萩原朔太郎』で、第28回読売文学賞(評論・伝記部門)を受賞する
・1978年(昭和53) 『天下末年 伊藤信吉詩集』で、第9回多喜二・百合子賞を受賞する
・1980年(昭和55) 『望郷蠻歌・風や天』で、第30回芸術選奨文部大臣賞を受賞する
・1992年(平成4) 高橋元吉文化賞を受賞する
・1993年(平成5) 『上州おたくら 私の方言詩集』で、第2回丸山豊記念現代詩賞を受賞する
・1996年(平成8) 群馬県立土屋文明記念文学館の初代館長となる
・1997年(平成9) 『監獄裏の詩人たち』で、第48回読売文学賞(随筆・紀行部門)を受賞する
・1999年(平成11) 平成10年度日本芸術院賞、恩賜賞を受賞する
・2002年(平成14) 『老世紀界隈で』で、第17回詩歌文学館賞(現代詩部門)を受賞する
・2002年(平成14)8月3日 東京において、肺炎のため、95歳で亡くなる
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
| 1204年(元久元) | 公家・歌人藤原俊成の命日(新暦12月22日) | 詳細 |
| 1888年(明治21) | 日本とメキシコがアジア以外では初の対等条約となる「日墨修好通商条約」に調印する | 詳細 |
| 1908年(明治41) | 駐米大使高平小五郎と米国国務長官エルフ・ルートが交換覚書「高平・ルート協定」に調印する | 詳細 |
| 1938年(昭和13) | 御前会議において、「日支新関係調整方針」が決定される | 詳細 |
| 1945年(昭和20) | 「ララ物資」第一便としてミルク・衣類など450トンが横浜港に到着する | 詳細 |
| 1947年(昭和22) | 「職業安定法」が公布(施行は同年12月1日)される | 詳細 |
| 1955年(昭和30) | 社会運動家・政治学者大山郁夫の命日 | 詳細 |
| 1992年(平成4) | 安芸灘諸島連絡架橋(安芸灘とびしま海道)を構成する豊浜大橋<543m・3径間連続トラス橋>が開通する | 詳細 |



