ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

タグ:文化勲章

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 今日は、昭和時代前期の1942年(昭和17)に、物理学者戸塚洋二が生まれた日です。
 戸塚洋二(とつか ようじ)は、昭和時代前期の1942年(昭和17)3月6日に、静岡県富士郡吉永村(後の吉原市、現在の富士市)富士岡において生まれました。吉原市立穆清中学校、静岡県立富士高等学校を経て、東京大学理学部物理学科で学び、1965年(昭和40)に卒業します。
 理学部教授(当時)小柴昌俊氏門下の2期生として、東京大学大学院理学系研究科博士課程修了し、理学博士の学位を取得しました。その後、ハンブルクのドイツ電子シンクロトロン研究所で加速器実験について学び、1981年(昭和56)にカミオカンデ建設のために帰国します。
 1987年(昭和62)には、小柴氏らとともに、超新星から飛来するニュートリノを世界で初めて観測、この功績により、仁科記念賞を受賞、東京大学理学部教授に就任しました。1989年(平成2)にブルーノ・ロッシ賞(アメリカ天文学会)、1990年(平成3)には、井上学術賞を受賞します。
 1995年(平成7)に「グルーオン存在の確立」で、ヨーロッパ物理学会特別賞を受賞、東京大学宇宙線研究所附属神岡宇宙素粒子研究施設長に就任、1997年(平成9)には、東京大学宇宙線研究所長に就任しました。1999年(平成11)に「ニュートリノに質量があることの発見」で、朝日賞を受賞、2001年(平成13)には、「宇宙線物理学・素粒子物理学研究」で、紫綬褒章を受章しましたが、スーパーカミオカンデの光電子増倍管の70%を損失する大規模破損事故の責任をとり、東京大学を辞職しています。
 2002年(平成14)に「太陽ニュートリノによるニュートリノ振動の賞賛すべき実験的検証」で、アメリカ物理学会パノフスキー賞、藤原賞(藤原科学財団)を受賞、文化功労者となり、2003年(平成15)には、富士市名誉市民となり、ブルーノ・ポンテコルボ賞(ドゥブナ合同原子核研究所)を受賞、高エネルギー加速器研究機構長に就任しました。2004年(平成16)に文化勲章を受章、翌年に東京大学特別栄誉教授となり、2006年(平成18)には、日本学術振興会学術システム研究センター所長に就任しています。
 2007年(平成19)に「ニュートリノ振動現象及び質量発見」で、ベンジャミン・フランクリン・メダル、トムソン・ロイター引用栄誉賞を受賞したものの、2008年(平成20)7月10日に、多臓器不全のため、66歳で亡くなり、従三位が追贈されました。尚、翌年には、功績を記念して、平成基礎科学財団が「戸塚洋二賞」を創設しています。

<戸塚洋二の主要な著作>

・『陽子はこわれるか』(1986年)
・共著『新しい宇宙の探求』 (1990年)
・『現代の宇宙像・我が太陽と太陽からのニュートリノ』(1991年)
・『岩波講座 現代の物理学1 素粒子物理』(1992年)
・『がんと闘った科学者の記録』(2009年)

〇戸塚洋二関係略年表

・1942年(昭和17)3月6日 静岡県富士郡吉永村(後の吉原市、現在の富士市)富士岡において生まれる
・1954年(昭和29) 吉永村立吉永第一小学校を卒業する
・1957年(昭和32) 吉原市立穆清中学校を卒業、静岡県立富士高等学校へ入学する
・1960年(昭和35) 静岡県立富士高等学校を卒業する
・1965年(昭和40) 東京大学理学部物理学科を卒業する
・1972年(昭和47) DESY(ドイツ電子シンクロトロン)研究所へ長期出張、東京大学大学院理学系研究科博士課程修了し、理学博士の学位を取得する
・1981年(昭和56) カミオカンデ建設のために帰国する
・1987年(昭和62) 「超新星爆発にともなうニュートリノの検出の功績」で、仁科記念賞を受賞、東京大学理学部教授に就任する
・1989年(平成2) ブルーノ・ロッシ賞(アメリカ天文学会)を受賞する
・1990年(平成3) 井上学術賞を受賞する
・1995年(平成7) 「グルーオン存在の確立」で、ヨーロッパ物理学会特別賞を受賞、東京大学宇宙線研究所附属神岡宇宙素粒子研究施設長に就任する
・1997年(平成9) 東京大学宇宙線研究所長に就任する
・1999年(平成11) 「ニュートリノに質量があることの発見」で、朝日賞を受賞する
・2001年(平成13) 「宇宙線物理学・素粒子物理学研究」で、紫綬褒章を受章する
・2002年(平成14) 「太陽ニュートリノによるニュートリノ振動の賞賛すべき実験的検証」で、アメリカ物理学会パノフスキー賞、藤原賞(藤原科学財団)を受賞、文化功労者となる
・2003年(平成15) 富士市名誉市民となり、ブルーノ・ポンテコルボ賞(ドゥブナ合同原子核研究所)を受賞、高エネルギー加速器研究機構長に就任する
・2004年(平成16) 文化勲章を受章する
・2005年(平成17) 東京大学特別栄誉教授となる
・2006年(平成18) 日本学術振興会学術システム研究センター所長に就任する
・2007年(平成19) 「ニュートリノ振動現象及び質量発見」で、ベンジャミン・フランクリン・メダル、トムソン・ロイター引用栄誉賞を受賞する
・2008年(平成20)7月10日 多臓器不全のため、66歳で亡くなり、従三位が追贈される
・2009年(平成21) 平成基礎科学財団が功績を記念して「戸塚洋二賞」を創設する

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

803年(延暦22)征夷大将軍・坂上田村麻呂に志波城の築城が命令される(新暦4月1日)詳細
1297年(永仁5)鎌倉幕府により「永仁の徳政令」が出される(新暦3月30日)詳細
1337年(延元2/建武4)金ヶ崎の戦いで金ヶ崎城が落城、恒良親王が捕われ尊良親王が自害、新田義貞が敗走する(新暦4月7日)詳細
1945年(昭和20)「国民徴用令」等5勅令を廃止・統合し、新たに「国民勤労動員令」が公布される詳細
1946年(昭和21)憲法改正過程において、日本政府より「憲法改正草案要綱」 が発表される詳細
1967年(昭和42)日本航空が西回り世界一周路線の営業を開始する(世界一周記念日)詳細
1998年(平成10)奈良県のキトラ古墳で上下左右に向きを変えるCCDカメラの探査で、青龍、白虎、天文図が発見される詳細
2005年(平成17)新交通システムの一つで、日本初の実用磁気浮上式鉄道である、愛知高速交通東部丘陵線が開業する詳細
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ogatasadako01
 今日は、平成時代の2019年(平成31)に、国際政治学者緒方貞子が亡くなった日です。
 緒方貞子(おがた さだこ)は、昭和時代前期の1927年(昭和2)9月16日に、東京府東京市麻布区(現在の東京都港区)で、外交官・元フィンランド特命全権公使の父・中村豊一と母・恒子の長女として生まれました。1951年(昭和26)に聖心女子大学英文科を卒業し、ロータリー国際親善奨学生として渡米、1953年(昭和28)に、ジョージタウン大学国際関係論修士課程、1963年(昭和38)には、カリフォルニア大学バークレー校政治学博士課程を修了します。
 1965年(昭和40)に、国際基督教大学非常勤講師となり、1968年(昭和43)に、国連総会日本政府代表顧問、1974年(昭和49)には、国際基督教大学准教授となりました。1976年(昭和51) 国連日本政府代表部公使、1978年(昭和53)に、国連日本政府代表部特命全権公使、ユニセフ執行理事会議長、1979年(昭和54)には、外務省参与、日本政府カンボジア難民救済実情視察団団長となります。
 1980年(昭和55)に上智大学国際関係研究所教授、1981年(昭和56)に婦人問題企画推進会議委員、1982年(昭和57)に国連人権委員会日本政府代表、1983年(昭和58)には、国際人道問題独立委員会委員となりました。1987年(昭和62)に上智大学国際関係研究所長、1989年(平成元)に上智大学外国語学部長、1990年(平成2)には、国連人権委員会ビルマ人権状況専門官となります。
 1991年(平成3)に第8代国連難民高等弁務官に就任、1993年(平成5)にイタリア金の鳩平和賞、1994年(平成6)に自由賞、欠乏からの自由賞、1995年(平成7)にフィラデルフィア自由賞、1996年(平成8)にフェリックス・ウーフェ=ボワニ平和賞、1997年(平成9)にマグサイサイ賞平和・国際理解部門を受賞しました。2000年(平成12)に難民教育基金を設立、国連難民高等弁務官を退任、ソウル平和賞、2001年(平成13)に人間の安全保障委員会共同議長、アフガニスタン支援政府特別代表となり、フランス・スウェーデン・ロシア・ドイツ・イタリアで受章、文化功労者となります。
 2002年(平成14)にアフガニスタン復興支援国際会議共同議長となり、フルブライト賞を受賞、2003年(平成15)に文化勲章を受章、2004年(平成16)には、東京都名誉都民となりました。2005年(平成17)に世界市民賞、2006年(平成18)にフィリピンのラカンドゥラ勲章、2008年(平成20)にオランダのオラニエ・ナッサウ勲章を受章、2009年(平成21)には、後藤新平賞を受賞します。2011年(平成23)に人間の安全保障諮問委員会議長を退任し、人間の安全保障諮問委員会名誉議長に就任、聖マイケル・聖ジョージ勲章(DCMG)、キルギスの国家友好章を受章、2012年(平成24)には、国際協力機構 (JICA) 理事長を退任し、国際協力機構 (JICA) 特別顧問に就任、地球市民賞を受賞しました。
 2013年(平成25)にアステカ鷲勲章、シカツナ勲章を受章したものの、2019年(平成31)10月22日に、東京において、92歳で亡くなり、従三位を追贈されます。

<主要な著書>

・『満州事変と政策の形成過程』(1966年)
・『日本における国際組織研究』(1982年)
・『難民つくらぬ世界へ』(1996年)
・『私の仕事――国連難民高等弁務官の十年と平和の構築』(2002年)
・『紛争と難民――緒方貞子の回想』(2006年)
・『満州事変――政策の形成過程』(2011年)
・『共に生きるということ――be humane』(2013年)

〇緒方貞子関係略年表

・1927年(昭和2)9月16日 東京府東京市麻布区(現在の東京都港区)で、外交官・元フィンランド特命全権公使の父・中村豊一と母・恒子の長女として生まれる
・1951年(昭和26) 聖心女子大学英文科を卒業し、ロータリー国際親善奨学生として渡米する
・1953年(昭和28) ジョージタウン大学国際関係論修士課程を修了する
・1963年(昭和38) カリフォルニア大学バークレー校政治学博士課程を修了する
・1965年(昭和40) 国際基督教大学非常勤講師となる
・1968年(昭和43) 国連総会日本政府代表顧問となる
・1974年(昭和49) 国際基督教大学准教授となる
・1976年(昭和51) 国連日本政府代表部公使となる
・1978年(昭和53) 国連日本政府代表部特命全権公使、ユニセフ執行理事会議長となる
・1979年(昭和54) 外務省参与、日本政府カンボジア難民救済実情視察団団長となる
・1980年(昭和55) 上智大学国際関係研究所教授となる
・1981年(昭和56) 婦人問題企画推進会議委員となる
・1982年(昭和57) 国連人権委員会日本政府代表となる
・1983年(昭和58) 国際人道問題独立委員会委員となる
・1987年(昭和62) 上智大学国際関係研究所長となる
・1989年(平成元) 上智大学外国語学部長となる
・1990年(平成2) 国連人権委員会ビルマ人権状況専門官(ビルマは現在のミャンマー)となる
・1991年(平成3) 第8代国連難民高等弁務官に就任する
・1993年(平成5) イタリア金の鳩平和賞を受賞する
・1994年(平成6) 国連難民高等弁務官に再任(任期5年)され、自由賞、欠乏からの自由賞を受賞する
・1995年(平成7) フィラデルフィア自由賞を受賞する
・1996年(平成8) フェリックス・ウーフェ=ボワニ平和賞を受賞する
・1997年(平成9) マグサイサイ賞平和・国際理解部門を受賞する
・1999年(平成11) 国連難民高等弁務官に再任(任期2年)され、朝日賞特別賞を受賞する
・2000年(平成12) 難民教育基金を設立、国連難民高等弁務官を退任、ソウル平和賞を受賞する
・2001年(平成13) 人間の安全保障委員会共同議長、アフガニスタン支援政府特別代表となり、フランス・スウェーデン・ロシア・ドイツ・イタリアで受章、文化功労者となる
・2002年(平成14) アフガニスタン復興支援国際会議共同議長となり、フルブライト賞を受賞する
・2003年(平成15) 文化勲章を受章する
・2004年(平成16) 東京都名誉都民となる
・2005年(平成17) 世界市民賞を受賞する
・2006年(平成18) フィリピンの旗ラカンドゥラ勲章を受章する
・2008年(平成20) オランダの旗オラニエ・ナッサウ勲章を受章する
・2009年(平成21) 後藤新平賞を受賞する
・2011年(平成23) 人間の安全保障諮問委員会議長を退任し、人間の安全保障諮問委員会名誉議長に就任、聖マイケル・聖ジョージ勲章(DCMG)、キルギスの国家友好章を受章する
・2012年(平成24) 国際協力機構 (JICA) 理事長を退任し、国際協力機構 (JICA) 特別顧問に就任、地球市民賞を受賞する
・2013年(平成25) アステカ鷲勲章、シカツナ勲章を受章する
・2019年(平成31)10月22日 東京において、92歳で亡くなり、従三位を追贈される

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

794年(延暦13)桓武天皇が長岡京から山背国の新京に入京する「平安遷都の日」(新暦11月22日)詳細
1894年(明治27)庄内地震(マグニチュード7.0)が起こり、死者726人、負傷者8,403人が出る詳細
1926年(大正15)明治神宮外苑に絵画館・野球場・相撲場・児童遊園が完成して、外苑完成奉献式が行われる詳細
1937年(昭和12)詩人中原中也の命日詳細
1940年(昭和15)社会主義者西川光二郎の命日詳細
1945年(昭和20)GHQが「日本教育制度ニ対スル管理政策」を出す詳細
1983年(昭和58)国鉄特定地方交通線の廃止第一号として、北海道の国鉄白糠線がこの日限りで廃止となる詳細
2010年(平成22)囲碁棋士・23世本因坊坂田栄男 (本因坊栄寿) の命日詳細
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 今日は、平成時代の1989年(平成元)に、ドイツ文学者相良守峯が亡くなった日です。
 相良守峯(さがら もりお)は、明治時代後期の1895年(明治28)4月14日に、山形県鶴岡市若葉町において、相良守一の長男として生まれましたが、幼名は鈇太郎(おのたろう)と言いました。荘内中学校(現在の山形県立鶴岡南高等学校)を経て、1917年(大正6)に、旧制第四高等学校を卒業し、東京帝国大学文学部ドイツ文学科へ進みます。
 在学中の1919年(大正8)に坪田譲治、亀尾英四郎らと『地上の子』を発刊し、この頃に郡長の許可を得て守峯(もりお)と改名しました。1921年(大正10)に、東京帝国大学文学部ドイツ文学科を卒業し、早稲田大学理工科講師となり、翌年には、旧制水戸高等学校の教授となります。
 1924年(大正13)に、旧制第一高等学校教授に転任し、1930年(昭和5)には、文部省在外研究員としてドイツ・イタリア・アメリカに留学しました。帰国後、1933年(昭和8)に、東京帝国大学助教授となり、1940年(昭和15)には、木村謹治共編の『木村・相良独和辞典』を刊行します。
 1945年(昭和20)に、「独逸中世叙事詩研究」で、東京帝国大学より文学博士を得て、1947年(昭和22)には、東京大学教授に昇任し、日本独文学会創設とともに理事長(~1957年)に就任しました。1948年(昭和23)に、『ドイツ中世叙事詩研究』を刊行、1955年(昭和30)に、ドイツ連邦共和国功労勲章大功労十字章を受章、1956年(昭和31)には、東京大学を定年退官し名誉教授となり、慶應義塾大学教授に就任しています。
 1958年(昭和33)に、日本ゲーテ協会を再建し会長となり、1967年(昭和42)に勲二等瑞宝章を受章、1968年(昭和43)には、西ドイツゲーテ協会「ゲーテ賞碑金章」を受賞、文化功労者となりました。1969年(昭和44)に、京都外国語大学教授(~1976年)に就任し、鶴岡市名誉市民(第1号)となります。
 日本における中世ドイツ文学研究の基盤をつくった業績などにより、1985年(昭和60)に文化勲章を受章しましたが、1989年(平成元)10月16日に、東京都において、94歳で亡くなり、従三位と勲一等瑞宝章を追贈されました。

<相良守峯の主要な著作>

・訳書『グリム童話傑作集』3巻(1946~48年)
・『ドイツ中世叙事詩研究』(1948年)
・『ワーグナーの思想と芸術』(1948年)
・木村謹治共編、『木村・相良独和辞典』(1948年)
・『ゲーテ事典』(1950年)
・『ドイツ文法』(1951年)
・『ドイツ文学史』3巻(1954~62年)
・訳書『ファウスト』(1955年)
・訳書『ニーベルンゲンの歌』(1955年)
・編集『大独和辞典』(1958年)
・エッセイ集『茫々(ぼうぼう)わが歳月』(1978年)

〇相良守峯関係略年表

・1895年(明治28)4月14日 山形県鶴岡市若葉町において、相良守一の長男として生まれる
・1913年(大正2) 荘内中学校(現在の山形県立鶴岡南高等学校)を卒業する
・1917年(大正6) 第四高等学校 (旧制)を卒業する
・1919年(大正8) 坪田譲治、亀尾英四郎らと『地上の子』を発刊する
・1921年(大正10) 東京帝国大学文学部ドイツ文学科を卒業し、早稲田大学理工科講師となる
・1922年(大正11) 水戸高等学校 (旧制)教授となり、従七位となる
・1923年(大正12) 正七位となる
・1924年(大正13) 第一高等学校 (旧制)教授となる
・1926年(大正15) 従六位となる
・1928年(昭和3) 正六位となる
・1930年(昭和5) 文部省在外研究員としてドイツ・イタリア・アメリカに留学する
・1931年(昭和6) 従五位となる
・1933年(昭和8) 東京帝国大学助教授となる
・1934年(昭和9) 勲六等瑞宝章を受章する
・1936年(昭和11) 正五位となる
・1938年(昭和13) 勲五等瑞宝章を受章する
・1940年(昭和15) 「木村・相良独和辞典」を刊行、紀元二千六百年祝典記念章を受章する
・1941年(昭和16) 従四位となる
・1944年(昭和19) 勲四等瑞宝章を受章する
・1945年(昭和20) 「独逸中世叙事詩研究」で、東京帝国大学より文学博士を得る
・1947年(昭和22) 東京大学教授、日本独文学会創設とともに理事長に就任する
・1948年(昭和23) 『ドイツ中世叙事詩研究』を刊行する
・1955年(昭和30) ドイツ連邦共和国功労勲章大功労十字章を受章する
・1956年(昭和31) 東京大学を定年退官し名誉教授となり、慶應義塾大学教授となる
・1957年(昭和32) 日本独文学会理事長を退任する
・1958年(昭和33) 日本ゲーテ協会を再建し会長となる
・1967年(昭和42) 勲二等瑞宝章を受章する
・1968年(昭和43) 西ドイツゲーテ協会「ゲーテ賞碑金章」を受賞、文化功労者となる
・1969年(昭和44) 京都外国語大学教授となり、鶴岡市名誉市民(第1号)となる
・1976年(昭和51) 京都外国語大学を退職する
・1985年(昭和60) 文化勲章を受章する
・1989年(平成元)10月16日 東京都において、94歳で亡くなり、従三位と勲一等瑞宝章を追贈される

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

669年(天智天皇8)政治家・藤原氏の祖藤原鎌足の命日(新暦11月14日)詳細
1279年(弘安2)『十六夜日記』の著者阿仏尼が鎌倉に向けて京を出立する(新暦11月21日)詳細
1878年(明治11)札幌市時計台が、旧札幌農学校(現在の北海道大学)の演武場として建設される詳細
1944年(昭和19)小磯国昭内閣により、「国内防衛方策要綱」が閣議決定される詳細
1945年(昭和20)GHQが「映画企業に対する日本政府の統制の撤廃に関する覚書」(SCAPIN-146)を出す詳細
国連食糧農業機関(FAO)が設立される詳細
1970年(昭和45)物理学者坂田昌一の命日詳細
1981年(昭和56)北炭夕張炭鉱(夕張新鉱)でガス噴出事故が起こり、死者93人、負傷者39人を出す詳細
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 今日は、大正時代の1926年(大正15)に、半導体工学者西澤潤一が生まれた日です。
 西澤 潤一(にしざわ じゅんいち)は、大正時代の1926年(大正15)9月12日に、宮城県仙台市において、東北帝国大学教授だった、父・西澤恭助の長男として生まれました。宮城県仙台第二中学校、第二高等学校を経て、1945年(昭和20)に東北大学工学部電気工学科へ入学します。
 渡辺寧に師事して、半導体の研究を開始し、1948年(昭和23)に卒業後、同大学大学院特別研究生となり、1953年(昭和28)に修了後、同大学電気通信研究所助手となりました。1954年(昭和29)に助教授に昇任し、1960年(昭和35)に東北大学より工学博士を得て、1962年(昭和37)には、教授に昇任します。
 1965年(昭和40)に、「不純物不均一半導体」で科学技術庁長官奨励賞、翌年には、恩賜発明賞を受賞しました。1968年(昭和43)に財団法人半導体研究振興会半導体研究所長となり、1969年(昭和44)に「半導体デバイスの研究」で松永賞、翌年には、「半導体メーサー」で科学技術庁長官奨励賞を受賞します。
 1974年(昭和49)に「半導体及びトランジスタの研究」で日本学士院賞、1980年(昭和55)に「高輝度発光ダイオードの連続成長技術の開発について」で大河内記念技術賞を受賞、1983年(昭和58)に東北大学電気通信研究所長(~1986年3月)、文化功労者となりました。1989年(平成元)に文化勲章を受章、1990年(平成2)に東北大学名誉教授、東北大学総長に就任し、宮城県名誉県民、1995年(平成7)には、日本学士院会員となります。
 1997年(平成9)に東北自治総合研修センター館長、宮城大学名誉学長、1998年(平成10)に岩手県立大学学長、2000年(平成12)には、日本人初のIEEEエジソンメダルを得ました。2002年(平成14)に勲一等瑞宝章を受章、西澤の業績を記念してIEEE Jun-ichi Nishizawa Medalが創設され、2005年(平成17)には、首都大学東京学長、岩手県立大学名誉学長、上智大学特任教授となったものの、2018年(平成30)10月21日に、宮城県仙台市において、92歳で亡くなっています。

<西澤潤一の主要な著作>

・『闘う独創技術』(1981年)
・『愚直一徹 - 私の履歴書 -』(1985年) 
・『独創は闘いにあり』(1986年)
・『「十年先を読む」発想法』(1986年)
・『西澤潤一の独創開発論』(1986年) 
・『「技術大国・日本」の未来を読む』(1989年)
・『私のロマンと科学』(1990年)
・『独創教育が日本を救う』(1991年)
・『人類は滅亡に向かっている』(1993年)
・『東北の時代 - もはや一極集中の時代ではない』(1995年) 
・『教育の目的再考』(岩1996年) 
・『新学問のすすめ - 21世紀をどう生きるか』(1997年) 
・『背筋を伸ばせ日本人』(1999年) 
・『人類は80年で滅亡する』(2000年) 
・『教育亡国を救う』(2000年) 
・『赤の発見 青の発見』(2001年)
・『日本人よロマンを』(2002年)
・『戦略的独創開発』(2006年)
・『生み出す力』(2010年) 
・『わたしが探究について語るなら』(2010年)

〇西澤潤一関係略年表

・1926年(大正15)9月12日 宮城県仙台市において、東北帝国大学教授だって父・西澤恭助の長男として生まれる
・1943年(昭和18) 宮城県仙台第二中学校を卒業する
・1945年(昭和20) 第二高等学校を卒業する
・1948年(昭和23) 東北大学工学部電気工学科を卒業する
・1953年(昭和28) 東北大学大学院特別研究生修了、東北大学電気通信研究所助手となる
・1954年(昭和29) 東北大学電気通信研究所助教授となる
・1960年(昭和35) 東北大学より、工学博士を得る
・1962年(昭和37) 東北大学電気通信研究所教授となる
・1965年(昭和40) 「不純物不均一半導体」で科学技術庁長官奨励賞を受賞する
・1966年(昭和41) 「不純物不均一半導体」恩賜発明賞を受賞する
・1968年(昭和43) 財団法人半導体研究振興会半導体研究所長となる
・1969年(昭和44) 「半導体デバイスの研究」で松永賞を受賞する
・1970年(昭和45) 「半導体メーサー」で科学技術庁長官奨励賞を受賞する
・1971年(昭和46) 「合金拡散法によるシリコン可変容量ダイオードの開発」で大河内記念技術賞を受賞する
・1974年(昭和49) 「半導体及びトランジスタの研究」で日本学士院賞を受賞する
・1975年4月15日、「静電誘導電界効果トランジスタの開発」で科学技術功労賞、「新しい三極管特性を有する高性能トランジスタ」で電子通信学会業績賞、「位置の制御装置」で東北地方発明賞宮城県支部長賞を受賞、「完全結晶と静電誘導トランジスタ」で紫綬褒章を受章する
・1980年(昭和55) 「高輝度発光ダイオードの連続成長技術の開発について」で大河内記念技術賞、「連続液相成長による半導体デバイスの製造方法及び製造装置」で特許庁長官奨励賞を受賞する
・1982年(昭和57) 「高輝度発光ダイオードの連続製造技術」で井上春成賞を受賞する
・1983年(昭和58) 東北大学電気通信研究所長(~1986年3月)、文化功労者(半導体工学)となり、「SIT(静電誘導トランジスタ)の開発と光通信の基本3要素」でIEEEジャック・A・モートン賞を受賞する
・1984年(昭和58) 「光通信と半導体の研究」で朝日賞を受賞する
・1986年(昭和58) 「pinダイオード、静電誘導トランジスタなどを発明したほか光通信技術の応用発展に寄与」で本田賞を受賞する
・1989年(平成元) 再び、東北大学電気通信研究所長(~1990年3月)となる
・1989年(平成元) IOCG(国際結晶成長機構)ローディス賞を受賞する
・1989年(平成元) 文化勲章を受章する
・1990年(平成2) 東北大学名誉教授、東北大学総長に就任し、宮城県名誉県民となる
・1995年(平成7) 日本学士院会員となる
・1996年(平成8) 「材料科学の独創的研究と半導体工学の発展および光通信の先駆的業績と多大な貢献」で大川賞を受賞する
・1997年(平成9) 東北自治総合研修センター館長、宮城大学名誉学長となる
・1998年(平成10) 岩手県立大学学長となる
・1999年(平成11) 東北大学電気系同窓会会長となる
・2000年(平成12) IEEE エジソンメダルを得る
・2002年(平成14) 勲一等瑞宝章を受章、西澤の業績を記念してIEEE Jun-ichi Nishizawa Medalが創設される
・2005年(平成17) 首都大学東京学長、岩手県立大学名誉学長、上智大学特任教授となる
・2018年(平成30)10月21日 宮城県仙台市において、92歳で亡くなる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1242年(仁治3)第84代の天皇とされる順徳天皇の命日(新暦10月7日)詳細
1571年(元亀2)織田信長による比叡山の焼き討ちが起きる(新暦9月30日)詳細
1821年(文政4)国学者塙保己一の命日(新暦10月7日)詳細
1868年(明治元)明治新政府が江戸幕府の洋学教育研究機関「開成所」を「開成学校」として復興する(新暦10月27日)詳細
1872年(明治5)新橋駅~ 横浜駅間で日本最初の鉄道が完成し、鉄道開業式典が行われる(新暦10月14日)詳細
1887年(明治20)日本画家堅山南風の誕生日詳細
1913年(大正2)「都新聞」で中里介山の長編時代小説『大菩薩峠』の連載が開始される詳細
1963年(昭和38)松川事件で、最高裁が検察側による再上告を棄却し、被告17名全員の無罪が確定する詳細
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kodairakunihiko01
 今日は、平成時代の1997年(平成9)に、数学者小平邦彦の亡くなった日です。
 小平邦彦(こだいら くにひこ)は、大正時代の1915年(大正4)3月16日に、東京市において、農政官僚だった小平権一の長男として生まれました。東京府立第五中学(現在の都立小石川中等教育学校)、(旧制第一高等学校を経て、1935年(昭和10)に、東京帝国大学理学部数学科へ入学します。
 1938年(昭和13)に数学科卒業後、同大学物理学科へ再入学し、1941年(昭和16)に物理学科を卒業後、同学科講師となりました。1942年(昭和17)に東京文理大学理学部数学科助教授、1944年(昭和19)には、東京帝国大学理学部物理学科助教授となります。
 1949年(昭和24)に、論文:「Harmonic fields in Riemannian manifolds(リーマン空間に於ける調和場)」で、東京大学より理学博士号を得、プリンストン高等研究所研究員となり、1952年(昭和27)には、プリンストン大学数学科准教授となりました。1954年(昭和29)に国際数学者会議において、「調和積分論」で、フィールズ賞を受賞、1955年(昭和30)に、プリンストン大学数学科教授となり、1957年(昭和32)には、日本学士院賞を受賞、文化勲章を受章しています。
 1962年(昭和37)に、ジョンズ・ホプキンズ大学数学科教授となり、1965年(昭和40)には、スタンフォード大学数学科教授、日本学士院会員となりました。1967年(昭和42)に日本へ帰国し、翌年には、東京大学理学部数学科教授となり、1975年(昭和50)には、東京大学を定年退官し、学習院大学理学部教授となり、「複素多様体の理論特に変形理論と複素解析曲面論の研究」で、藤原賞を受賞しています。
 1984年(昭和59)に、イスラエルのウルフ財団よりウルフ賞数学部門を受賞、1985年(昭和60)に学習院大学理学部教授を辞め、1987年(昭和62)には、勲一等瑞宝章を受章しました。1990年(平成2)らに、京都市開催の国際数学者会議で組織委員長を務め、固有値問題、代数幾何学、群論など広範囲にわたる業績を上げてきたものの、1997年(平成9)7月26日に、山梨県の病院において、82歳で亡くなっています。
 尚、2019年(平成31)には、日本数学会が小平邦彦賞を設立し、第1回授賞式が行われました。

〇小平邦彦の主要著作

・『解析入門 I-IV』(1976年、1977年、1979年)
・『複素解析 I-III』(1977年、1978年)
・『複素多様体論 I-III』(1979年、1981年)
・『幾何のおもしろさ』(1985年)
・『幾何への誘い』(1991年)
・『怠け数学者の記』(1986年)
・『ボクは算数しか出来なかった―小平邦彦・私の履歴書』(1987年)

☆小平邦彦関係略年表

・1915年(大正4)3月16日 東京市において、農政官僚だった小平権一の長男として生まれる
・1935年(昭和10) 東京帝国大学数学科へ入学する
・1938年(昭和13) 東京帝国大学数学科卒業後、同大学物理学科へ入学する
・1941年(昭和16) 東京帝国大学物理学科を卒業後、同学科講師となる
・1942年(昭和17) 東京文理大学理学部数学科助教授となる
・1944年(昭和19) 東京帝国大学理学部物理学科助教授となる
・1949年(昭和24) 論文:「Harmonic fields in Riemannian manifolds(リーマン空間に於ける調和場)」で、東京大学より理学博士号を得、プリンストン高等研究所研究員となる
・1952年(昭和27) プリンストン大学数学科准教授となる
・1954年(昭和29) 国際数学者会議において、「調和積分論」で、フィールズ賞を受賞する
・1955年(昭和30) プリンストン大学数学科教授となる
・1957年(昭和32) 日本学士院賞を受賞、文化勲章を受章する
・1962年(昭和37) ジョンズ・ホプキンズ大学数学科教授となる
・1965年(昭和40) スタンフォード大学数学科教授となり、日本学士院会員となる
・1967年(昭和42) 日本へ帰国する
・1968年(昭和43) 東京大学理学部数学科教授となる
・1975年(昭和50) 東京大学を定年退官し、学習院大学理学部教授となり、「複素多様体の理論特に変形理論と複素解析曲面論の研究」で、藤原賞を受賞する
・1984年(昭和59) イスラエルのウルフ財団よりウルフ賞数学部門を受賞する
・1985年(昭和60) 学習院大学理学部教授を辞める
・1987年(昭和62) 勲一等瑞宝章を受章する
・1990年(平成2) 京都市開催の国際数学者会議で組織委員長を務める
・1997年(平成9)7月26日 山梨県の病院において、82歳で亡くなる
・2019年(平成31) 日本数学会が小平邦彦賞を設立し、第1回授賞式が行われる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1651年(慶安4)軍学者・慶安の変の首謀者由比正雪が自害する(新暦9月10日)詳細
1825年(文政8)江戸中村座で鶴屋南北(四代目)作の『東海道四谷怪』が初演さされる(新暦9月8日)詳細
1881年(明治14)劇作家・演出家小山内薫の誕生日詳細
1940年(昭和15)第2次近衛内閣によって国家の政策の基本方針である「基本国策要綱」が閣議決定される詳細
1945年(昭和20)ポツダム会談(ドイツのポツダムで開催)で協議の上、ポツダム宣言が出される詳細
1963年(昭和38)経済協力開発機構(OECD)が日本の加盟を承認(正式加盟は翌年4月28日)する詳細
1981年(昭和56)全国8番目の地下鉄として、福岡市地下鉄初の天神駅~室見駅間(1号線)が開業する詳細
1992年(平成4)将棋棋士・15世永世名人大山康晴の命日詳細
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