
緒方貞子(おがた さだこ)は、昭和時代前期の1927年(昭和2)9月16日に、東京府東京市麻布区(現在の東京都港区)で、外交官・元フィンランド特命全権公使の父・中村豊一と母・恒子の長女として生まれました。1951年(昭和26)に聖心女子大学英文科を卒業し、ロータリー国際親善奨学生として渡米、1953年(昭和28)に、ジョージタウン大学国際関係論修士課程、1963年(昭和38)には、カリフォルニア大学バークレー校政治学博士課程を修了します。
1965年(昭和40)に、国際基督教大学非常勤講師となり、1968年(昭和43)に、国連総会日本政府代表顧問、1974年(昭和49)には、国際基督教大学准教授となりました。1976年(昭和51) 国連日本政府代表部公使、1978年(昭和53)に、国連日本政府代表部特命全権公使、ユニセフ執行理事会議長、1979年(昭和54)には、外務省参与、日本政府カンボジア難民救済実情視察団団長となります。
1980年(昭和55)に上智大学国際関係研究所教授、1981年(昭和56)に婦人問題企画推進会議委員、1982年(昭和57)に国連人権委員会日本政府代表、1983年(昭和58)には、国際人道問題独立委員会委員となりました。1987年(昭和62)に上智大学国際関係研究所長、1989年(平成元)に上智大学外国語学部長、1990年(平成2)には、国連人権委員会ビルマ人権状況専門官となります。
1991年(平成3)に第8代国連難民高等弁務官に就任、1993年(平成5)にイタリア金の鳩平和賞、1994年(平成6)に自由賞、欠乏からの自由賞、1995年(平成7)にフィラデルフィア自由賞、1996年(平成8)にフェリックス・ウーフェ=ボワニ平和賞、1997年(平成9)にマグサイサイ賞平和・国際理解部門を受賞しました。2000年(平成12)に難民教育基金を設立、国連難民高等弁務官を退任、ソウル平和賞、2001年(平成13)に人間の安全保障委員会共同議長、アフガニスタン支援政府特別代表となり、フランス・スウェーデン・ロシア・ドイツ・イタリアで受章、文化功労者となります。
2002年(平成14)にアフガニスタン復興支援国際会議共同議長となり、フルブライト賞を受賞、2003年(平成15)に文化勲章を受章、2004年(平成16)には、東京都名誉都民となりました。2005年(平成17)に世界市民賞、2006年(平成18)にフィリピンのラカンドゥラ勲章、2008年(平成20)にオランダのオラニエ・ナッサウ勲章を受章、2009年(平成21)には、後藤新平賞を受賞します。2011年(平成23)に人間の安全保障諮問委員会議長を退任し、人間の安全保障諮問委員会名誉議長に就任、聖マイケル・聖ジョージ勲章(DCMG)、キルギスの国家友好章を受章、2012年(平成24)には、国際協力機構 (JICA) 理事長を退任し、国際協力機構 (JICA) 特別顧問に就任、地球市民賞を受賞しました。
2013年(平成25)にアステカ鷲勲章、シカツナ勲章を受章したものの、2019年(平成31)10月22日に、東京において、92歳で亡くなり、従三位を追贈されます。
1965年(昭和40)に、国際基督教大学非常勤講師となり、1968年(昭和43)に、国連総会日本政府代表顧問、1974年(昭和49)には、国際基督教大学准教授となりました。1976年(昭和51) 国連日本政府代表部公使、1978年(昭和53)に、国連日本政府代表部特命全権公使、ユニセフ執行理事会議長、1979年(昭和54)には、外務省参与、日本政府カンボジア難民救済実情視察団団長となります。
1980年(昭和55)に上智大学国際関係研究所教授、1981年(昭和56)に婦人問題企画推進会議委員、1982年(昭和57)に国連人権委員会日本政府代表、1983年(昭和58)には、国際人道問題独立委員会委員となりました。1987年(昭和62)に上智大学国際関係研究所長、1989年(平成元)に上智大学外国語学部長、1990年(平成2)には、国連人権委員会ビルマ人権状況専門官となります。
1991年(平成3)に第8代国連難民高等弁務官に就任、1993年(平成5)にイタリア金の鳩平和賞、1994年(平成6)に自由賞、欠乏からの自由賞、1995年(平成7)にフィラデルフィア自由賞、1996年(平成8)にフェリックス・ウーフェ=ボワニ平和賞、1997年(平成9)にマグサイサイ賞平和・国際理解部門を受賞しました。2000年(平成12)に難民教育基金を設立、国連難民高等弁務官を退任、ソウル平和賞、2001年(平成13)に人間の安全保障委員会共同議長、アフガニスタン支援政府特別代表となり、フランス・スウェーデン・ロシア・ドイツ・イタリアで受章、文化功労者となります。
2002年(平成14)にアフガニスタン復興支援国際会議共同議長となり、フルブライト賞を受賞、2003年(平成15)に文化勲章を受章、2004年(平成16)には、東京都名誉都民となりました。2005年(平成17)に世界市民賞、2006年(平成18)にフィリピンのラカンドゥラ勲章、2008年(平成20)にオランダのオラニエ・ナッサウ勲章を受章、2009年(平成21)には、後藤新平賞を受賞します。2011年(平成23)に人間の安全保障諮問委員会議長を退任し、人間の安全保障諮問委員会名誉議長に就任、聖マイケル・聖ジョージ勲章(DCMG)、キルギスの国家友好章を受章、2012年(平成24)には、国際協力機構 (JICA) 理事長を退任し、国際協力機構 (JICA) 特別顧問に就任、地球市民賞を受賞しました。
2013年(平成25)にアステカ鷲勲章、シカツナ勲章を受章したものの、2019年(平成31)10月22日に、東京において、92歳で亡くなり、従三位を追贈されます。
<主要な著書>
・『満州事変と政策の形成過程』(1966年)
・『日本における国際組織研究』(1982年)
・『難民つくらぬ世界へ』(1996年)
・『私の仕事――国連難民高等弁務官の十年と平和の構築』(2002年)
・『紛争と難民――緒方貞子の回想』(2006年)
・『満州事変――政策の形成過程』(2011年)
・『満州事変――政策の形成過程』(2011年)
・『共に生きるということ――be humane』(2013年)
〇緒方貞子関係略年表
・1927年(昭和2)9月16日 東京府東京市麻布区(現在の東京都港区)で、外交官・元フィンランド特命全権公使の父・中村豊一と母・恒子の長女として生まれる
・1951年(昭和26) 聖心女子大学英文科を卒業し、ロータリー国際親善奨学生として渡米する
・1953年(昭和28) ジョージタウン大学国際関係論修士課程を修了する
・1963年(昭和38) カリフォルニア大学バークレー校政治学博士課程を修了する
・1965年(昭和40) 国際基督教大学非常勤講師となる
・1968年(昭和43) 国連総会日本政府代表顧問となる
・1974年(昭和49) 国際基督教大学准教授となる
・1976年(昭和51) 国連日本政府代表部公使となる
・1978年(昭和53) 国連日本政府代表部特命全権公使、ユニセフ執行理事会議長となる
・1979年(昭和54) 外務省参与、日本政府カンボジア難民救済実情視察団団長となる
・1980年(昭和55) 上智大学国際関係研究所教授となる
・1981年(昭和56) 婦人問題企画推進会議委員となる
・1982年(昭和57) 国連人権委員会日本政府代表となる
・1983年(昭和58) 国際人道問題独立委員会委員となる
・1987年(昭和62) 上智大学国際関係研究所長となる
・1989年(平成元) 上智大学外国語学部長となる
・1990年(平成2) 国連人権委員会ビルマ人権状況専門官(ビルマは現在のミャンマー)となる
・1991年(平成3) 第8代国連難民高等弁務官に就任する
・1993年(平成5) イタリア金の鳩平和賞を受賞する
・1994年(平成6) 国連難民高等弁務官に再任(任期5年)され、自由賞、欠乏からの自由賞を受賞する
・1995年(平成7) フィラデルフィア自由賞を受賞する
・1996年(平成8) フェリックス・ウーフェ=ボワニ平和賞を受賞する
・1997年(平成9) マグサイサイ賞平和・国際理解部門を受賞する
・1999年(平成11) 国連難民高等弁務官に再任(任期2年)され、朝日賞特別賞を受賞する
・2000年(平成12) 難民教育基金を設立、国連難民高等弁務官を退任、ソウル平和賞を受賞する
・2001年(平成13) 人間の安全保障委員会共同議長、アフガニスタン支援政府特別代表となり、フランス・スウェーデン・ロシア・ドイツ・イタリアで受章、文化功労者となる
・2002年(平成14) アフガニスタン復興支援国際会議共同議長となり、フルブライト賞を受賞する
・2003年(平成15) 文化勲章を受章する
・2004年(平成16) 東京都名誉都民となる
・2005年(平成17) 世界市民賞を受賞する
・2006年(平成18) フィリピンの旗ラカンドゥラ勲章を受章する
・2008年(平成20) オランダの旗オラニエ・ナッサウ勲章を受章する
・2009年(平成21) 後藤新平賞を受賞する
・2011年(平成23) 人間の安全保障諮問委員会議長を退任し、人間の安全保障諮問委員会名誉議長に就任、聖マイケル・聖ジョージ勲章(DCMG)、キルギスの国家友好章を受章する
・2012年(平成24) 国際協力機構 (JICA) 理事長を退任し、国際協力機構 (JICA) 特別顧問に就任、地球市民賞を受賞する
・2013年(平成25) アステカ鷲勲章、シカツナ勲章を受章する
・2019年(平成31)10月22日 東京において、92歳で亡くなり、従三位を追贈される
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
| 794年(延暦13) | 桓武天皇が長岡京から山背国の新京に入京する「平安遷都の日」(新暦11月22日) | 詳細 |
| 1894年(明治27) | 庄内地震(マグニチュード7.0)が起こり、死者726人、負傷者8,403人が出る | 詳細 |
| 1926年(大正15) | 明治神宮外苑に絵画館・野球場・相撲場・児童遊園が完成して、外苑完成奉献式が行われる | 詳細 |
| 1937年(昭和12) | 詩人中原中也の命日 | 詳細 |
| 1940年(昭和15) | 社会主義者西川光二郎の命日 | 詳細 |
| 1945年(昭和20) | GHQが「日本教育制度ニ対スル管理政策」を出す | 詳細 |
| 1983年(昭和58) | 国鉄特定地方交通線の廃止第一号として、北海道の国鉄白糠線がこの日限りで廃止となる | 詳細 |
| 2010年(平成22) | 囲碁棋士・23世本因坊坂田栄男 (本因坊栄寿) の命日 | 詳細 |



