ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

タグ:文化功労者

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 今日は、昭和時代前期の1943年(昭和18)に、政治学者・歴史学者五百籏頭眞の生まれた日です。
 五百籏頭眞(いおきべ まこと)は、昭和時代前期の1943年(昭和18)12月16日に、兵庫県西宮市において、神戸大学教授・五百籏頭眞治郎の5男(8人兄弟の6番目)として生まれました。私立六甲学院中学校・高等学校わ経て、1962年(昭和37)に、京都大学法学部に入学します。
 1967年(昭和42)に同大学を卒業し、大学院修士課程へ進み、1969年(昭和44)に修士課程(政治学専攻)を修了し、広島大学政経学部助手(政治史・外交史)となりました。1972年(昭和47)に講師、1976年(昭和51)に助教授、1977年(昭和52)に教授に昇任し、ハーバード大学客員研究員(~1979年)ともなっています。
 1981年(昭和56)に神戸大学法学部教授(日本政治史・政策過程論)に転じ、1985年(昭和60)に『米国の日本占領政策』で、サントリー学芸賞を受賞、1987年(昭和62)には、学位論文『米国の日本占領政策 : 戦後日本の設計図』を京都大学に提出して、法学博士の学位を取得しました。1990年(平成2)に『日米戦争と戦後日本』で第19回吉田茂賞を受賞、ロンドン大学客員研究員となり、1998年(平成10)に『占領期―首相たちの新日本』で、第16回吉野作造賞、1999年(平成11)には、共著『戦後日本外交史』で、第29回吉田茂賞を受賞しています。
 2000年(平成12)に神戸大学法学研究科・国際協力研究科教授となり、2002年(平成14)にハーバード大学客員研究員(~2003年)、2003年(平成15)には、日本学術会議会員となりました。2006年(平成12)に神戸大学法学研究科・国際協力研究科教授を辞め、防衛大学校長に就任、2009年(平成21)には、『歴史としての現代日本 五百旗頭真書評集成』で、第7回毎日書評賞を受賞しています。
 2011年(平成23)に「東日本大震災復興構想会議」議長となり、文化功労者に選ばれ、2012年(平成24)には、防衛大学校長を退任し、熊本県立大学理事長、公益財団法人ひょうご震災記念21世紀研究機構理事長に就任しました。2020年(令和2)には、宮内庁参与に任じられたものの、2024年(令和6)3月6日に、兵庫県神戸市内の病院において、急性大動脈解離のため80歳で亡くなり、従三位、瑞宝大綬章を追贈されています。

<五百籏頭眞の主要な著作>

・『政治史 2』(1984年)
・『米国の日本占領政策 戦後日本の設計図(上・下)』(1985年)サントリー学芸賞受賞
・『日米戦争と戦後日本』(1989年)第19回吉田茂賞受賞
・『秩序変革期の日本の選択「米・欧・日」三極システムのすすめ』(1991年)
・『占領期 首相たちの新日本』(1997年)第16回吉野作造賞受賞
・共著『戦後日本外交史』(1999年)第29回吉田茂賞受賞
・『戦争・占領・講和 1941~1955』(2001年)
・『歴史としての現代日本 五百旗頭真書評集成』(2008年)第7回毎日書評賞受賞
・『NHKさかのぼり日本史』 1巻(2011年)
・『日本は衰退するのか』(2014年)
・『大災害の時代』(2016年)

〇五百籏頭眞関係略略年表

・1943年(昭和18)12月16日 兵庫県西宮市において、神戸大学教授・五百籏頭眞治郎の5男(8人兄弟の6番目)として生まれる
・1962年(昭和37) 六甲高等学校を卒業し、京都大学法学部に入学する
・1967年(昭和42) 京都大学法学部を卒業し、大学院修士課程へ進む
・1969年(昭和44) 京都大学法学研究科修士課程(政治学専攻)を修了し、広島大学政経学部助手(政治史・外交史)となる
・1972年(昭和47) 広島大学政経学部講師(政治史・外交史)となる
・1976年(昭和51) 広島大学政経学部助教授(政治史・外交史)となる
・1977年(昭和52) 広島大学法学部教授となり、ハーバード大学客員研究員となる
・1979年(昭和54) ハーバード大学客員研究員を辞める
・1981年(昭和56) 神戸大学法学部教授(日本政治史・政策過程論)となる
・1985年(昭和60) 『米国の日本占領政策』で、サントリー学芸賞を受賞する
・1987年(昭和62) 学位論文『米国の日本占領政策 : 戦後日本の設計図』を京都大学に提出して、法学博士の学位を取得する
・1990年(平成2) 『日米戦争と戦後日本』で第19回吉田茂賞を受賞、ロンドン大学客員研究員となる
・1998年(平成10) 『占領期―首相たちの新日本』で、第16回吉野作造賞を受賞する
・1999年(平成11) 『戦後日本外交史』で、第29回吉田茂賞を受賞する
・2000年(平成12) 神戸大学法学研究科・国際協力研究科教授を務める
・2002年(平成14) ハーバード大学客員研究員となる
・2003年(平成15) ハーバード大学客員研究員を辞め、日本学術会議会員となる
・2006年(平成12) 神戸大学法学研究科・国際協力研究科教授を辞め、防衛大学校長に就任する
・2009年(平成21) 『歴史としての現代日本 五百旗頭真書評集成』で、第7回毎日書評賞を受賞する
・2011年(平成23) 「東日本大震災復興構想会議」議長となり、文化功労者に選ばれる
・2012年(平成24) 防衛大学校長を退任し、熊本県立大学理事長、公益財団法人ひょうご震災記念21世紀研究機構理事長に就任する
・2020年(令和2) 宮内庁参与に任じられる
・2024年(令和6)3月6日 兵庫県神戸市内の病院において、急性大動脈解離のため80歳で亡くなり、従三位、瑞宝大綬章を追贈される

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1884年(明治17)彫刻家北村西望の誕生日詳細
1890年(明治23)東京市内と横浜市内の間で日本初の電話事業が開始する(電話創業の日)詳細
1907年(明治40)洋画家浅井忠の命日詳細
1932年(昭和7)東京市日本橋で白木屋大火災が起きる詳細
1966年(昭和41)国際連合総会で「国際人権規約」が採択される詳細
1971年(昭和46)全国4番目の地下鉄の札幌市営地下鉄初の北二四条駅~真駒内駅間(南北線)が開業する詳細
1972年(昭和47)全国5番目の地下鉄の横浜市営地下鉄初の伊勢佐木長者町駅~上大岡駅間(1号線)が開業する詳細
1988年(昭和63)洋画家小磯良平の命日詳細
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ogatasadako01
 今日は、平成時代の2019年(平成31)に、国際政治学者緒方貞子が亡くなった日です。
 緒方貞子(おがた さだこ)は、昭和時代前期の1927年(昭和2)9月16日に、東京府東京市麻布区(現在の東京都港区)で、外交官・元フィンランド特命全権公使の父・中村豊一と母・恒子の長女として生まれました。1951年(昭和26)に聖心女子大学英文科を卒業し、ロータリー国際親善奨学生として渡米、1953年(昭和28)に、ジョージタウン大学国際関係論修士課程、1963年(昭和38)には、カリフォルニア大学バークレー校政治学博士課程を修了します。
 1965年(昭和40)に、国際基督教大学非常勤講師となり、1968年(昭和43)に、国連総会日本政府代表顧問、1974年(昭和49)には、国際基督教大学准教授となりました。1976年(昭和51) 国連日本政府代表部公使、1978年(昭和53)に、国連日本政府代表部特命全権公使、ユニセフ執行理事会議長、1979年(昭和54)には、外務省参与、日本政府カンボジア難民救済実情視察団団長となります。
 1980年(昭和55)に上智大学国際関係研究所教授、1981年(昭和56)に婦人問題企画推進会議委員、1982年(昭和57)に国連人権委員会日本政府代表、1983年(昭和58)には、国際人道問題独立委員会委員となりました。1987年(昭和62)に上智大学国際関係研究所長、1989年(平成元)に上智大学外国語学部長、1990年(平成2)には、国連人権委員会ビルマ人権状況専門官となります。
 1991年(平成3)に第8代国連難民高等弁務官に就任、1993年(平成5)にイタリア金の鳩平和賞、1994年(平成6)に自由賞、欠乏からの自由賞、1995年(平成7)にフィラデルフィア自由賞、1996年(平成8)にフェリックス・ウーフェ=ボワニ平和賞、1997年(平成9)にマグサイサイ賞平和・国際理解部門を受賞しました。2000年(平成12)に難民教育基金を設立、国連難民高等弁務官を退任、ソウル平和賞、2001年(平成13)に人間の安全保障委員会共同議長、アフガニスタン支援政府特別代表となり、フランス・スウェーデン・ロシア・ドイツ・イタリアで受章、文化功労者となります。
 2002年(平成14)にアフガニスタン復興支援国際会議共同議長となり、フルブライト賞を受賞、2003年(平成15)に文化勲章を受章、2004年(平成16)には、東京都名誉都民となりました。2005年(平成17)に世界市民賞、2006年(平成18)にフィリピンのラカンドゥラ勲章、2008年(平成20)にオランダのオラニエ・ナッサウ勲章を受章、2009年(平成21)には、後藤新平賞を受賞します。2011年(平成23)に人間の安全保障諮問委員会議長を退任し、人間の安全保障諮問委員会名誉議長に就任、聖マイケル・聖ジョージ勲章(DCMG)、キルギスの国家友好章を受章、2012年(平成24)には、国際協力機構 (JICA) 理事長を退任し、国際協力機構 (JICA) 特別顧問に就任、地球市民賞を受賞しました。
 2013年(平成25)にアステカ鷲勲章、シカツナ勲章を受章したものの、2019年(平成31)10月22日に、東京において、92歳で亡くなり、従三位を追贈されます。

<主要な著書>

・『満州事変と政策の形成過程』(1966年)
・『日本における国際組織研究』(1982年)
・『難民つくらぬ世界へ』(1996年)
・『私の仕事――国連難民高等弁務官の十年と平和の構築』(2002年)
・『紛争と難民――緒方貞子の回想』(2006年)
・『満州事変――政策の形成過程』(2011年)
・『共に生きるということ――be humane』(2013年)

〇緒方貞子関係略年表

・1927年(昭和2)9月16日 東京府東京市麻布区(現在の東京都港区)で、外交官・元フィンランド特命全権公使の父・中村豊一と母・恒子の長女として生まれる
・1951年(昭和26) 聖心女子大学英文科を卒業し、ロータリー国際親善奨学生として渡米する
・1953年(昭和28) ジョージタウン大学国際関係論修士課程を修了する
・1963年(昭和38) カリフォルニア大学バークレー校政治学博士課程を修了する
・1965年(昭和40) 国際基督教大学非常勤講師となる
・1968年(昭和43) 国連総会日本政府代表顧問となる
・1974年(昭和49) 国際基督教大学准教授となる
・1976年(昭和51) 国連日本政府代表部公使となる
・1978年(昭和53) 国連日本政府代表部特命全権公使、ユニセフ執行理事会議長となる
・1979年(昭和54) 外務省参与、日本政府カンボジア難民救済実情視察団団長となる
・1980年(昭和55) 上智大学国際関係研究所教授となる
・1981年(昭和56) 婦人問題企画推進会議委員となる
・1982年(昭和57) 国連人権委員会日本政府代表となる
・1983年(昭和58) 国際人道問題独立委員会委員となる
・1987年(昭和62) 上智大学国際関係研究所長となる
・1989年(平成元) 上智大学外国語学部長となる
・1990年(平成2) 国連人権委員会ビルマ人権状況専門官(ビルマは現在のミャンマー)となる
・1991年(平成3) 第8代国連難民高等弁務官に就任する
・1993年(平成5) イタリア金の鳩平和賞を受賞する
・1994年(平成6) 国連難民高等弁務官に再任(任期5年)され、自由賞、欠乏からの自由賞を受賞する
・1995年(平成7) フィラデルフィア自由賞を受賞する
・1996年(平成8) フェリックス・ウーフェ=ボワニ平和賞を受賞する
・1997年(平成9) マグサイサイ賞平和・国際理解部門を受賞する
・1999年(平成11) 国連難民高等弁務官に再任(任期2年)され、朝日賞特別賞を受賞する
・2000年(平成12) 難民教育基金を設立、国連難民高等弁務官を退任、ソウル平和賞を受賞する
・2001年(平成13) 人間の安全保障委員会共同議長、アフガニスタン支援政府特別代表となり、フランス・スウェーデン・ロシア・ドイツ・イタリアで受章、文化功労者となる
・2002年(平成14) アフガニスタン復興支援国際会議共同議長となり、フルブライト賞を受賞する
・2003年(平成15) 文化勲章を受章する
・2004年(平成16) 東京都名誉都民となる
・2005年(平成17) 世界市民賞を受賞する
・2006年(平成18) フィリピンの旗ラカンドゥラ勲章を受章する
・2008年(平成20) オランダの旗オラニエ・ナッサウ勲章を受章する
・2009年(平成21) 後藤新平賞を受賞する
・2011年(平成23) 人間の安全保障諮問委員会議長を退任し、人間の安全保障諮問委員会名誉議長に就任、聖マイケル・聖ジョージ勲章(DCMG)、キルギスの国家友好章を受章する
・2012年(平成24) 国際協力機構 (JICA) 理事長を退任し、国際協力機構 (JICA) 特別顧問に就任、地球市民賞を受賞する
・2013年(平成25) アステカ鷲勲章、シカツナ勲章を受章する
・2019年(平成31)10月22日 東京において、92歳で亡くなり、従三位を追贈される

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

794年(延暦13)桓武天皇が長岡京から山背国の新京に入京する「平安遷都の日」(新暦11月22日)詳細
1894年(明治27)庄内地震(マグニチュード7.0)が起こり、死者726人、負傷者8,403人が出る詳細
1926年(大正15)明治神宮外苑に絵画館・野球場・相撲場・児童遊園が完成して、外苑完成奉献式が行われる詳細
1937年(昭和12)詩人中原中也の命日詳細
1940年(昭和15)社会主義者西川光二郎の命日詳細
1945年(昭和20)GHQが「日本教育制度ニ対スル管理政策」を出す詳細
1983年(昭和58)国鉄特定地方交通線の廃止第一号として、北海道の国鉄白糠線がこの日限りで廃止となる詳細
2010年(平成22)囲碁棋士・23世本因坊坂田栄男 (本因坊栄寿) の命日詳細
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 今日は、平成時代の1989年(平成元)に、ドイツ文学者相良守峯が亡くなった日です。
 相良守峯(さがら もりお)は、明治時代後期の1895年(明治28)4月14日に、山形県鶴岡市若葉町において、相良守一の長男として生まれましたが、幼名は鈇太郎(おのたろう)と言いました。荘内中学校(現在の山形県立鶴岡南高等学校)を経て、1917年(大正6)に、旧制第四高等学校を卒業し、東京帝国大学文学部ドイツ文学科へ進みます。
 在学中の1919年(大正8)に坪田譲治、亀尾英四郎らと『地上の子』を発刊し、この頃に郡長の許可を得て守峯(もりお)と改名しました。1921年(大正10)に、東京帝国大学文学部ドイツ文学科を卒業し、早稲田大学理工科講師となり、翌年には、旧制水戸高等学校の教授となります。
 1924年(大正13)に、旧制第一高等学校教授に転任し、1930年(昭和5)には、文部省在外研究員としてドイツ・イタリア・アメリカに留学しました。帰国後、1933年(昭和8)に、東京帝国大学助教授となり、1940年(昭和15)には、木村謹治共編の『木村・相良独和辞典』を刊行します。
 1945年(昭和20)に、「独逸中世叙事詩研究」で、東京帝国大学より文学博士を得て、1947年(昭和22)には、東京大学教授に昇任し、日本独文学会創設とともに理事長(~1957年)に就任しました。1948年(昭和23)に、『ドイツ中世叙事詩研究』を刊行、1955年(昭和30)に、ドイツ連邦共和国功労勲章大功労十字章を受章、1956年(昭和31)には、東京大学を定年退官し名誉教授となり、慶應義塾大学教授に就任しています。
 1958年(昭和33)に、日本ゲーテ協会を再建し会長となり、1967年(昭和42)に勲二等瑞宝章を受章、1968年(昭和43)には、西ドイツゲーテ協会「ゲーテ賞碑金章」を受賞、文化功労者となりました。1969年(昭和44)に、京都外国語大学教授(~1976年)に就任し、鶴岡市名誉市民(第1号)となります。
 日本における中世ドイツ文学研究の基盤をつくった業績などにより、1985年(昭和60)に文化勲章を受章しましたが、1989年(平成元)10月16日に、東京都において、94歳で亡くなり、従三位と勲一等瑞宝章を追贈されました。

<相良守峯の主要な著作>

・訳書『グリム童話傑作集』3巻(1946~48年)
・『ドイツ中世叙事詩研究』(1948年)
・『ワーグナーの思想と芸術』(1948年)
・木村謹治共編、『木村・相良独和辞典』(1948年)
・『ゲーテ事典』(1950年)
・『ドイツ文法』(1951年)
・『ドイツ文学史』3巻(1954~62年)
・訳書『ファウスト』(1955年)
・訳書『ニーベルンゲンの歌』(1955年)
・編集『大独和辞典』(1958年)
・エッセイ集『茫々(ぼうぼう)わが歳月』(1978年)

〇相良守峯関係略年表

・1895年(明治28)4月14日 山形県鶴岡市若葉町において、相良守一の長男として生まれる
・1913年(大正2) 荘内中学校(現在の山形県立鶴岡南高等学校)を卒業する
・1917年(大正6) 第四高等学校 (旧制)を卒業する
・1919年(大正8) 坪田譲治、亀尾英四郎らと『地上の子』を発刊する
・1921年(大正10) 東京帝国大学文学部ドイツ文学科を卒業し、早稲田大学理工科講師となる
・1922年(大正11) 水戸高等学校 (旧制)教授となり、従七位となる
・1923年(大正12) 正七位となる
・1924年(大正13) 第一高等学校 (旧制)教授となる
・1926年(大正15) 従六位となる
・1928年(昭和3) 正六位となる
・1930年(昭和5) 文部省在外研究員としてドイツ・イタリア・アメリカに留学する
・1931年(昭和6) 従五位となる
・1933年(昭和8) 東京帝国大学助教授となる
・1934年(昭和9) 勲六等瑞宝章を受章する
・1936年(昭和11) 正五位となる
・1938年(昭和13) 勲五等瑞宝章を受章する
・1940年(昭和15) 「木村・相良独和辞典」を刊行、紀元二千六百年祝典記念章を受章する
・1941年(昭和16) 従四位となる
・1944年(昭和19) 勲四等瑞宝章を受章する
・1945年(昭和20) 「独逸中世叙事詩研究」で、東京帝国大学より文学博士を得る
・1947年(昭和22) 東京大学教授、日本独文学会創設とともに理事長に就任する
・1948年(昭和23) 『ドイツ中世叙事詩研究』を刊行する
・1955年(昭和30) ドイツ連邦共和国功労勲章大功労十字章を受章する
・1956年(昭和31) 東京大学を定年退官し名誉教授となり、慶應義塾大学教授となる
・1957年(昭和32) 日本独文学会理事長を退任する
・1958年(昭和33) 日本ゲーテ協会を再建し会長となる
・1967年(昭和42) 勲二等瑞宝章を受章する
・1968年(昭和43) 西ドイツゲーテ協会「ゲーテ賞碑金章」を受賞、文化功労者となる
・1969年(昭和44) 京都外国語大学教授となり、鶴岡市名誉市民(第1号)となる
・1976年(昭和51) 京都外国語大学を退職する
・1985年(昭和60) 文化勲章を受章する
・1989年(平成元)10月16日 東京都において、94歳で亡くなり、従三位と勲一等瑞宝章を追贈される

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

669年(天智天皇8)政治家・藤原氏の祖藤原鎌足の命日(新暦11月14日)詳細
1279年(弘安2)『十六夜日記』の著者阿仏尼が鎌倉に向けて京を出立する(新暦11月21日)詳細
1878年(明治11)札幌市時計台が、旧札幌農学校(現在の北海道大学)の演武場として建設される詳細
1944年(昭和19)小磯国昭内閣により、「国内防衛方策要綱」が閣議決定される詳細
1945年(昭和20)GHQが「映画企業に対する日本政府の統制の撤廃に関する覚書」(SCAPIN-146)を出す詳細
国連食糧農業機関(FAO)が設立される詳細
1970年(昭和45)物理学者坂田昌一の命日詳細
1981年(昭和56)北炭夕張炭鉱(夕張新鉱)でガス噴出事故が起こり、死者93人、負傷者39人を出す詳細
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 今日は、昭和時代前期の1931年(昭和6)に、小説家・エッセイスト・政治評論家曽野綾子が生まれた日です。
 曽野綾子(その あやこ)は、昭和時代前期の1931年(昭和6)9月17日 東京府南葛飾郡本田町(現在の葛飾区立石)に父・町田英治郎、母・キワの次女として生まれましたが、本名は知寿子(ちずこ)と言いました。1934年(昭和9)に大森区田園調布に転居し、聖心女子学院に幼稚園から入って、ミッション教育を受けましたが、1945年(昭和20)に空襲が迫る中で、石川県金沢市に疎開し、金沢第二高等女学校(現在の石川県立金沢桜丘高等学校)に転校したものの、勤労動員令により、平野化学工場に配属されます。
 戦後の1946年(昭和21)に東京に戻り聖心女子学院に復学、1948年(昭和23)の夏には、箱根宮ノ下の富士屋ホテルに滞在してアルバイトまがいの手伝いをし、洗礼をうけました。1951年(昭和26)に、中河与一主宰の同人誌『ラマンチャ』(1951年5月号)に載った「裾野」が臼井吉見の目にとまり、第15次『新思潮』に加わり、在学中の1953年(昭和28)には、三浦朱門と結婚しています。
 1954年(昭和29)に、聖心女子大学英文学科を卒業、『遠来の客たち』が芥川賞候補にあげられ出世作となり、『バビロンの処女市』、『海の御墓』などで注目を集めました。以後、次々に作品を発表し、1969年(昭和44)に『生贄の島』、1970年(昭和45)には、『誰のために愛するか』を刊行し、ベストセラーとなり、有吉佐和子と共に脚光を浴びます。
 1972年(昭和47)に、NGO活動「海外邦人宣教者活動援助後援会」を開始し、1973年(昭和48)に、『太郎物語 高校編』、『太郎物語 大学編』を刊行、1979年(昭和54)には、ローマ教皇庁よりヴァチカン有功十字勲章を受章しました。1990年(平成2)に『天上の青』を刊行、1993年(平成5)に、日本芸術院恩賜賞を受賞、日本芸術院会員となり、1995年(平成7)には、日本財団の会長に就任(~2005年)します。
 1997年(平成9)にNGO海外邦人宣教者活動援助後援会(JOMAS)代表として読売国際協力賞を受賞、2003年(平成15)には、文化功労者となりました。2009年(平成21)に、日本郵政社外取締役に就任、2010年(平成22)に『老いの才覚』を刊行、2012年(平成24)には、菊池寛賞を受賞しています。多彩な活動を展開してきましたが、2025年(令和7)2月28日に、東京都内の病院において、老衰のため、93歳で亡くなりました。

<曽野綾子の主要な著作>

・『黎明』(1955~56年)
・『リオ・グランデ』(1961年)
・『砂糖菓子の壊れるとき』(1965年)
・『生贄(いけにえ)の島』(1969年)
・『無名碑』(1969年)
・『誰のために愛するか』(1970年)
・『人間の罠(わな)』(1971~72年)
・『ある神話の背景』(1971~72年)
・『戒老録』(1972年)
・『太郎物語 高校編』(1973年)
・『太郎物語 大学編』(1973年)
・『虚構の家』(1974年)
・『幸福という名の不幸』(1975年)
・『不在の部屋』(1976~78年)
・『神の汚れた手』(1979~80年)
・『時の止まった赤ん坊』(1984年)
・『湖水誕生』(1985年)
・『天上の青』(1990年)
・『夢に殉ず』(1994年)
・『「いい人」を止めると楽になる』(1999年)
・『陸影を見ず』(1999~2000年)
・『老いの才覚』(2010年)
・『人間にとって成熟とは何か』(2013年)
・『人間の分際』(2015年)
・『夫の後始末』(2017年)

〇曽野綾子関係略年表

・1931年(昭和6)9月17日 東京府南葛飾郡本田町(現在の葛飾区立石)に父・町田英治郎、母・キワの次女として生まれる
・1934年(昭和9) 大森区田園調布に移る
・1945年(昭和20) 空襲が迫る中で、石川県金沢市に疎開し、金沢第二高等女学校(現在の石川県立金沢桜丘高等学校)に転校したものの、勤労動員令により、平野化学工場に配属される
・1946年(昭和21) 東京に戻り聖心女子学院に復学する
・1948年(昭和23) 夏、箱根宮ノ下の富士屋ホテルに滞在してアルバイトまがいの手伝いをし、洗礼をうける
・1951年(昭和26) 中河与一主宰の同人誌『ラマンチャ』(1951年5月号)に載った「裾野」が臼井吉見の目にとまり、第15次『新思潮』に加わる
・1953年(昭和28) 三浦朱門と結婚する
・1954年(昭和29) 聖心女子大学英文学科を卒業、『遠来の客たち』が芥川賞候補にあげられ出世作となり、『バビロンの処女市』、『海の御墓』などで注目を集める
・1969年(昭和44) 『生贄の島』を刊行する
・1970年(昭和45) 『誰のために愛するか』を刊行し、ベストセラーとなる
・1972年(昭和47) NGO活動「海外邦人宣教者活動援助後援会」を始める
・1973年(昭和48) 『太郎物語 高校編』、『太郎物語 大学編』を刊行する
・1979年(昭和54) ローマ教皇庁よりヴァチカン有功十字勲章を受章する
・1990年(平成2) 『天上の青』を刊行する
・1993年(平成5) 日本芸術院恩賜賞を受賞、日本芸術院会員となる
・1995年(平成7) 日本財団会長職となる(~2005年)
・1997年(平成9) NGO海外邦人宣教者活動援助後援会(JOMAS)代表として読売国際協力賞を受賞する
・2000年(平成12) 元ペルー大統領のアルベルト・フジモリが日本に長期滞在した折、自宅に私人として受け入れる
・2003年(平成15) 文化功労者となる
・2009年(平成21) 日本郵政社外取締役に就任する
・2010年(平成22) 『老いの才覚』を刊行する
・2012年(平成24) 菊池寛賞を受賞する
・2025年(令和7)2月28日 東京都内の病院において、老衰のため、93歳で亡くなる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1062年(康平4)源頼義が安倍貞任を厨川の柵で破り、前九年の役が終結する(新暦10月22日)詳細
1867年(慶応3)俳人・歌人正岡子規の誕生日(新暦10月14日)詳細
1868年(明治元)日本初の洋式燈台である観音崎灯台が起工する(新暦11月1日)詳細
1894年(明治27)日清戦争で、日本軍連合艦隊と清国軍北洋艦隊が黄海海戦を戦い、日本軍が勝って制海権を獲得する詳細
1938年(昭和13)俳人村上鬼城の命日(鬼城忌)詳細
1945年(昭和20)枕崎台風が枕崎に上陸、日本を縦断し、死者・行方不明者3,758人が出る詳細
満蒙開拓団の中で、瑞穂村開拓団集団自決が起き、495人が亡くなる詳細
1964年(昭和39)日本初の旅客用モノレールとなる東京モノレール(羽田空港~浜松町)が開業する詳細

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 今日は、大正時代の1926年(大正15)に、半導体工学者西澤潤一が生まれた日です。
 西澤 潤一(にしざわ じゅんいち)は、大正時代の1926年(大正15)9月12日に、宮城県仙台市において、東北帝国大学教授だった、父・西澤恭助の長男として生まれました。宮城県仙台第二中学校、第二高等学校を経て、1945年(昭和20)に東北大学工学部電気工学科へ入学します。
 渡辺寧に師事して、半導体の研究を開始し、1948年(昭和23)に卒業後、同大学大学院特別研究生となり、1953年(昭和28)に修了後、同大学電気通信研究所助手となりました。1954年(昭和29)に助教授に昇任し、1960年(昭和35)に東北大学より工学博士を得て、1962年(昭和37)には、教授に昇任します。
 1965年(昭和40)に、「不純物不均一半導体」で科学技術庁長官奨励賞、翌年には、恩賜発明賞を受賞しました。1968年(昭和43)に財団法人半導体研究振興会半導体研究所長となり、1969年(昭和44)に「半導体デバイスの研究」で松永賞、翌年には、「半導体メーサー」で科学技術庁長官奨励賞を受賞します。
 1974年(昭和49)に「半導体及びトランジスタの研究」で日本学士院賞、1980年(昭和55)に「高輝度発光ダイオードの連続成長技術の開発について」で大河内記念技術賞を受賞、1983年(昭和58)に東北大学電気通信研究所長(~1986年3月)、文化功労者となりました。1989年(平成元)に文化勲章を受章、1990年(平成2)に東北大学名誉教授、東北大学総長に就任し、宮城県名誉県民、1995年(平成7)には、日本学士院会員となります。
 1997年(平成9)に東北自治総合研修センター館長、宮城大学名誉学長、1998年(平成10)に岩手県立大学学長、2000年(平成12)には、日本人初のIEEEエジソンメダルを得ました。2002年(平成14)に勲一等瑞宝章を受章、西澤の業績を記念してIEEE Jun-ichi Nishizawa Medalが創設され、2005年(平成17)には、首都大学東京学長、岩手県立大学名誉学長、上智大学特任教授となったものの、2018年(平成30)10月21日に、宮城県仙台市において、92歳で亡くなっています。

<西澤潤一の主要な著作>

・『闘う独創技術』(1981年)
・『愚直一徹 - 私の履歴書 -』(1985年) 
・『独創は闘いにあり』(1986年)
・『「十年先を読む」発想法』(1986年)
・『西澤潤一の独創開発論』(1986年) 
・『「技術大国・日本」の未来を読む』(1989年)
・『私のロマンと科学』(1990年)
・『独創教育が日本を救う』(1991年)
・『人類は滅亡に向かっている』(1993年)
・『東北の時代 - もはや一極集中の時代ではない』(1995年) 
・『教育の目的再考』(岩1996年) 
・『新学問のすすめ - 21世紀をどう生きるか』(1997年) 
・『背筋を伸ばせ日本人』(1999年) 
・『人類は80年で滅亡する』(2000年) 
・『教育亡国を救う』(2000年) 
・『赤の発見 青の発見』(2001年)
・『日本人よロマンを』(2002年)
・『戦略的独創開発』(2006年)
・『生み出す力』(2010年) 
・『わたしが探究について語るなら』(2010年)

〇西澤潤一関係略年表

・1926年(大正15)9月12日 宮城県仙台市において、東北帝国大学教授だって父・西澤恭助の長男として生まれる
・1943年(昭和18) 宮城県仙台第二中学校を卒業する
・1945年(昭和20) 第二高等学校を卒業する
・1948年(昭和23) 東北大学工学部電気工学科を卒業する
・1953年(昭和28) 東北大学大学院特別研究生修了、東北大学電気通信研究所助手となる
・1954年(昭和29) 東北大学電気通信研究所助教授となる
・1960年(昭和35) 東北大学より、工学博士を得る
・1962年(昭和37) 東北大学電気通信研究所教授となる
・1965年(昭和40) 「不純物不均一半導体」で科学技術庁長官奨励賞を受賞する
・1966年(昭和41) 「不純物不均一半導体」恩賜発明賞を受賞する
・1968年(昭和43) 財団法人半導体研究振興会半導体研究所長となる
・1969年(昭和44) 「半導体デバイスの研究」で松永賞を受賞する
・1970年(昭和45) 「半導体メーサー」で科学技術庁長官奨励賞を受賞する
・1971年(昭和46) 「合金拡散法によるシリコン可変容量ダイオードの開発」で大河内記念技術賞を受賞する
・1974年(昭和49) 「半導体及びトランジスタの研究」で日本学士院賞を受賞する
・1975年4月15日、「静電誘導電界効果トランジスタの開発」で科学技術功労賞、「新しい三極管特性を有する高性能トランジスタ」で電子通信学会業績賞、「位置の制御装置」で東北地方発明賞宮城県支部長賞を受賞、「完全結晶と静電誘導トランジスタ」で紫綬褒章を受章する
・1980年(昭和55) 「高輝度発光ダイオードの連続成長技術の開発について」で大河内記念技術賞、「連続液相成長による半導体デバイスの製造方法及び製造装置」で特許庁長官奨励賞を受賞する
・1982年(昭和57) 「高輝度発光ダイオードの連続製造技術」で井上春成賞を受賞する
・1983年(昭和58) 東北大学電気通信研究所長(~1986年3月)、文化功労者(半導体工学)となり、「SIT(静電誘導トランジスタ)の開発と光通信の基本3要素」でIEEEジャック・A・モートン賞を受賞する
・1984年(昭和58) 「光通信と半導体の研究」で朝日賞を受賞する
・1986年(昭和58) 「pinダイオード、静電誘導トランジスタなどを発明したほか光通信技術の応用発展に寄与」で本田賞を受賞する
・1989年(平成元) 再び、東北大学電気通信研究所長(~1990年3月)となる
・1989年(平成元) IOCG(国際結晶成長機構)ローディス賞を受賞する
・1989年(平成元) 文化勲章を受章する
・1990年(平成2) 東北大学名誉教授、東北大学総長に就任し、宮城県名誉県民となる
・1995年(平成7) 日本学士院会員となる
・1996年(平成8) 「材料科学の独創的研究と半導体工学の発展および光通信の先駆的業績と多大な貢献」で大川賞を受賞する
・1997年(平成9) 東北自治総合研修センター館長、宮城大学名誉学長となる
・1998年(平成10) 岩手県立大学学長となる
・1999年(平成11) 東北大学電気系同窓会会長となる
・2000年(平成12) IEEE エジソンメダルを得る
・2002年(平成14) 勲一等瑞宝章を受章、西澤の業績を記念してIEEE Jun-ichi Nishizawa Medalが創設される
・2005年(平成17) 首都大学東京学長、岩手県立大学名誉学長、上智大学特任教授となる
・2018年(平成30)10月21日 宮城県仙台市において、92歳で亡くなる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1242年(仁治3)第84代の天皇とされる順徳天皇の命日(新暦10月7日)詳細
1571年(元亀2)織田信長による比叡山の焼き討ちが起きる(新暦9月30日)詳細
1821年(文政4)国学者塙保己一の命日(新暦10月7日)詳細
1868年(明治元)明治新政府が江戸幕府の洋学教育研究機関「開成所」を「開成学校」として復興する(新暦10月27日)詳細
1872年(明治5)新橋駅~ 横浜駅間で日本最初の鉄道が完成し、鉄道開業式典が行われる(新暦10月14日)詳細
1887年(明治20)日本画家堅山南風の誕生日詳細
1913年(大正2)「都新聞」で中里介山の長編時代小説『大菩薩峠』の連載が開始される詳細
1963年(昭和38)松川事件で、最高裁が検察側による再上告を棄却し、被告17名全員の無罪が確定する詳細
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