ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

タグ:政党、団体

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 今日は、明治時代後期の1900年(明治33)に、「治安警察法」が公布された日です。
 この法律は、第二次山県有朋内閣時に制定されたもので、集会・結社・言論の自由の制限と社会運動、労働運動、農民運動の取締りなどを目的としたものでした。
 政治結社・集会の届出、女子、教員、学生、宗教者、軍人などの政治結社加入禁止を定め、集会での発言に対する制限や警察官の監視、解散権付与などを規定していたのです。
 この法律によって、結社を禁止された政党や労働組合などもあり、女子は結社ばかりか、集会に参加することも禁ぜられていたので、反対運動も根強く、1922年(大正11)になって、女子の政治集会参加禁止だけは削除されました。
 そして、太平洋戦争敗戦後の1945年(昭和20)11月21日に、GHQ(連合国最高司令部)の命令で廃止されたのです。
 下記に、1926年(大正15)改正後の条文を掲載しておきますので、ご参照ください。

〇治安警察法 (全文) 1900年(明治33)法律第36号 1926年(大正15)改正後の条文

第一条 政事ニ関スル結社ノ主幹者(支社ニ在リテハ支社ノ主幹者)ハ結社組織ノ日ヨリ三日以内ニ社名、社則、事務所及其ノ主幹者ノ氏名ヲ其ノ事務所所在地ノ管轄警察官署ニ届出ツヘシ其ノ届出ノ事項ニ変更アリタルトキ亦同シ

第二条 政事ニ関シ公衆ヲ会同スル集会ヲ開カムトスル者ハ発起人ヲ定ムヘシ
2 発起人ハ到達スヘキ時間ヲ除キ開会三時間以前ニ集会ノ場所、年月日時ヲ会場所在地ノ管轄警察官署ニ届出ツヘシ
3 届出ノ時刻ヨリ三時間ヲ過キテ開会セス若ハ三時間以上中断スルトキハ届出ハ其ノ効ヲ失フ
4 法令ヲ以テ組織シタル議会ノ議員選挙準備ノ為ニ選挙権ヲ行フヘキ者及被選挙権ヲ有スル者ニ限リ会同スル所ノ集会ハ投票ノ日ヨリ前五十日間ハ本条第二項ノ届出ヲ要セス

第三条 公事ニ関スル結社又ハ集会ニシテ政事ニ関セサルモノト雖安寧秩序ヲ保持スル為届出ヲ必要トスルモノアルトキハ命令ヲ以テ第一条又ハ第二条ノ規定ニ依ラシムルコトヲ得

第四条 屋外ニ於テ公衆ヲ会同シ若ハ多衆運動セムトスルトキハ発起人ヨリ十二時間以前ニ会同スヘキ場所年月日時及其ノ通過スヘキ路線ヲ管轄警察官署ニ届出ツヘシ但シ祭葬、講社、学生生徒ノ体育運動其ノ他慣例ノ許ス所ニ係ルモノハ此ノ限ニ在ラス

第五条 左ニ掲クル者ハ政事上ノ結社ニ加入スルコトヲ得ス
 一 現役及召集中ノ予備後備ノ陸海軍軍人
 二 警察官
 三 神官神職僧侶其ノ他諸宗教師
 四 官立公立私立学校ノ教員学生生徒
 五 女子
 六 未成年者
 七 公権剥奪及停止中ノ者
2 未成年者ハ公衆ヲ会同スル政談集会ニ会同シ若ハ其ノ発起人タルコトヲ得ス
3 公権剥奪及停止中ノ者ハ公衆ヲ会同スル政談集会ノ発起人タルコトヲ得ス

第六条 日本臣民ニ非サル者ハ政事上ノ結社ニ加入シ又ハ公衆ヲ会同スル政談集会ノ発起人タルコトヲ得ス

第七条 結社ハ法令ヲ以テ組織シタル議会ノ議員ニ対シテ其ノ発言表決ニ付議会外ニ於テ責任ヲ負ハシムルノ規定ヲ設クルコトヲ得ス

第八条 安寧秩序ヲ保持スル為必要ナル場合ニ於テハ警察官ハ屋外ノ集会又ハ多衆ノ運動若ハ群集ヲ制限、禁止若ハ解散シ又ハ屋内ノ集会ヲ解散スルコトヲ得
2 結社ニシテ前項ニ該当スルトキハ内務大臣ハ之ヲ禁止スルコトヲ得此ノ場合ニ於テ違法処分ニ由リ権利ヲ傷害セラレタリトスル者ハ行政裁判所ニ出訴スルコトヲ得

第九条 集会ニ於テハ重罪軽罪ノ予審ニ関スル事項ヲ公判ニ付セサル以前ニ講談論議シ又ハ傍聴ヲ禁シタル訴訟ニ関スル事項ヲ講談論議スルコトヲ得ス
2 集会ニ於テハ犯罪ヲ煽動若ハ曲庇シ又ハ犯罪人若ハ刑事被告人ヲ賞恤若ハ救護シ又ハ刑事被告人ヲ陥害スルノ講談論議ヲ為スコトヲ得ス

第十条 集会ニ於ケル講談論議ニシテ前条ノ規定ニ違背シ其ノ他安寧秩序ヲ紊シ若ハ風俗ヲ害スルノ虞アリト認ムル場合ニ於テハ警察官ハ其ノ人ノ講談論議ヲ中止スルコトヲ得

第十一条 結社、集会又ハ多衆運動ニ関シ警察官ノ尋問アリタルトキハ主幹者、会長、発起人ニ於テ又ハ警察官ノ主タル社員若ハ主タル会同者ト認ムル者ニ於テ之ニ答フヘシ
2 警察官署ハ制服ヲ著シタル警察官ヲ派遣シ政事ニ関シ公衆ヲ会同スル集会ニ臨監セシムルコトヲ得其ノ集会ニシテ政事ニ関セサルモノト雖安寧秩序ヲ妨害スルノ虞アリト認ムルトキ亦同シ此ノ場合ニハ発起人ニ於テ又ハ警察官ノ主タル会同者ト認ムル者ニ於テ警察官ノ求ムル席ヲ供スヘシ

第十二条 集会又ハ多衆運動ノ場合ニ於テ故ラニ喧擾シ又ハ狂暴ニ渉ル者アルトキハ警察官ハ之ヲ制止シ其ノ命ニ従ハサルトキハ現場ヨリ退去セシムルコトヲ得

第十三条 集会及多衆ノ運動ニ於テハ戎器又ハ兇器ヲ携帯スルコトヲ得ス但シ制規ニ依リ戎器ヲ携帯スル者ハ此ノ限ニ在ラス

第十四条 秘密ノ結社ハ之ヲ禁ス

第十五条 法令ヲ以テ組織シタル議会ノ議員議事準備ノ為ニ相団結スルモノニ対シテハ第一条及第五条ヲ適用セス

第十六条 街頭其ノ他公衆ノ自由ニ交通スルコトヲ得ル場所ニ於テ文書、図画、詩歌ノ掲示、頒布、朗読若ハ放吟又ハ言語形容其ノ他ノ作為ヲ為シ其ノ状況安寧秩序ヲ紊シ若ハ風俗ヲ害スルノ虞アリト認ムルトキハ警察官ニ於テ禁止ヲ命スルコトヲ得

第十七条 削除

第十八条 行政官庁ハ安寧秩序ヲ保持スル為必要ト認ムルトキハ戎器、爆発物又ハ戎器ヲ仕込ミタル物件ノ携帯ヲ禁スルコトヲ得

第十九条 第一条ニ違背シタル者ハ三十円以下ノ罰金ニ処シ第一条ノ届出ヲ為スモ実ヲ以テセサル者ハ五十円以下ノ罰金ニ処ス

第二十条 第二条第一項又ハ第二項ニ違背シタル者ハ二十円以下ノ罰金ニ処シ第二項ノ届出ヲ為スモ実ヲ以テセサル者ハ三十円以下ノ罰金ニ処ス

第二十一条 第四条ニ違背シタル者ハ二十円以下ノ罰金ニ処シ第四条ノ届出ヲ為スモ実ヲ以テセサル者ハ三十円以下ノ罰金ニ処ス

第二十二条 第五条又ハ第六条ニ違背シタル者ハ二十円以下ノ罰金ニ処ス第五条又ハ第六条ニ違背シ入社セシメタル者亦同シ

第二十三条 第八条第一項ノ制限若ハ禁止ノ命ニ違背シ又ハ解散ヲ命セラレタル後仍退散セサル者ハ二月以下ノ軽禁錮又ハ三十円以下ノ罰金ニ処ス
2 第八条第二項ノ禁止ノ命ニ違背シタル者ハ六月以下ノ軽禁錮又ハ百円以下ノ罰金ニ処ス

第二十四条 第九条ニ違背シ又ハ第十条ノ中止ノ命ニ違背シタル者ハ三月以下ノ軽禁錮又ハ十円以上五十円以下ノ罰金ニ処ス

第二十五条 第十一条第一項ノ尋問ニ答ヘス若ハ答フルモ実ヲ以テセス又ハ第二項ノ場合ニ於テ警察官ノ臨監ヲ拒ミ若ハ其ノ求ムル席ヲ供セサル者ハ五十円以下ノ罰金ニ処ス

第二十六条 第十二条ニ依リ退去ヲ命セラレタル後仍退去セサル者ハ一月以下ノ軽禁錮又ハ二十円以下ノ罰金ニ処ス

第二十七条 第十三条ニ違背シタル者ハ三月以下ノ軽禁錮又ハ五十円以下ノ罰金ニ処ス

第二十八条 秘密ノ結社ヲ組織シ又ハ秘密ノ結社ニ加入シタル者ハ六月以上一年以下ノ軽禁錮ニ処ス

第二十九条 第十六条ノ禁止ノ命ニ違背シタル者ハ一月以下ノ軽禁錮又ハ三十円以下ノ罰金ニ処ス

第三十条 削除

第三十一条 第十八条ノ禁ヲ犯シタル者ハ六月以下ノ重禁錮ニ処ス

第三十二条 本法ニ関スル公訴ノ時効ハ六箇月トス

第三十三条 集会及政社法ハ之ヲ廃止ス

                              「官報」より
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 今日は、大正時代の1926年(大正15)に、「労働農民党」(委員長:杉山元治郎)が結成された日です。
 この政党は、合法的無産政党として結成されたもので、1925年(大正14)12月1日の「農民労働党」の結社禁止後、日本農民組合(日農)、官業労働総同盟の提唱により再組織運動が行われて結実したものでした。
 大阪市西区で開かれた結成大会には、日農、日本労働総同盟(総同盟)、日本製陶労働同盟、日本労働組合総連合、東京市電自治会など七団体が参加して、綱領、規約、宣言を決め、委員長に杉山元治郎、書記長に三輪寿壮を選出しましたが、日本労働組合評議会、政治研究会、全日本無産青年同盟、全国水平社青年同盟の左翼四団体は排除されます。
 しかし、10月の第4回中央委員会で日農、日本製陶労働同盟を除く五団体が脱退し、左派へも門戸を開放することとなりました。
 そして、1926年(大正15)12月には右派が脱党して「社会民衆党」(委員長は安部磯雄)を結成、相前後して中間派が「日本労農党」(後の委員長が麻生久)を結成し、3つに分裂します。残ったメンバーは、委員長に大山郁夫、書記長細迫兼光を選出し、左派路線を確立しました。
 その後、議会解散請願運動、山東出兵に反対する対華非干渉運動、五法律制定要求運動などを活発に展開します。その結果、1928年(昭和3)2月の第1回普通選挙では、全国で無産政党最多の28万票を獲得し、水谷長三郎と山本宣治の2名の当選者を出しました。
 ところが、直後の三・一五事件で弾圧を受け、多くの党員・支持者が逮捕拘束され、4月10日に解散命令を受けます。
 翌年8月に「新労農党樹立の提案」を発表し、11月1日に大山を委員長に新しく結党しましたが、影響力は弱く、1931年(昭和6)7月には「全国労農大衆党」へ吸収されました。

〇労働農民党の綱領

一  われらは、わが国の国情に即し、無産階級の政治的、経済的、社会的解放の実現をめざす。
一  われらは、合法的手段により、不公正なる土地、生産、分配に関する制度の改革を期す。
一  われらは、特権階級のみの利害を代表する既成政党を打破し、議会の徹底的改造を期す。

〇労働農民党の宣言「無産階級の生活権の確立 議会政策により邁進」

 普通選挙の実施は我国の政治に一大革新の機会を斉した、それはただに少数特権階級の手に独占せられたる政治を多数民衆の前に解放したのみでなく、実に多年鬱積せる政治的、経済的弊害のためにまさに悲しむべき一大破綻の暴露をも避けがたきかを憂えしめたる我が国民の社会生活に尊ぶべき合法的手段による改造の希望を与え健全なる国民生活の樹立のために讚うべき新時代の黎光を予示するものである、われ等無産労働階級はこの千載一過の重大なる時期に当面して与えられたるわれ等の国民的責務につきて深く省察するとともに特に現代社会におけるわれ等の歴史的使命を自覚し、新に獲得したるわれ等の参政権を最大限度にまで有効に行使して国家の隆昌、社会生活の改造、人類文化の向上進歩のために寄与するところがあらねばならぬ、これ実にわれ等無産階級が自ら救う最善の道であるとともにまた実にわれ等の義務である、惟うに現時のわが国国民的民生活において最も憂うべき現象は貧富の懸隔日に益いちじるしく国民の最大多数を占むるわれ等無産階級即ち労働者、小作農民を首めとして幾百万の小農小商工業者、下層俸給生活者等の生活が全く経済的並に精神的安定を失いつつあることである、実に現在の国民生活の基底を悩ましつつある一切の社会的苦悶はこの経済的精神的生活の不安動揺のうちより醸成され、延いては人類文化の前程に拭うべからざる暗影を漂わしめつつあるのであるかくの如きは資本主義経済組織の発達による資本の蓄積集中に伴う必然の結果であって現代の全世界に共通する社会的一大疾患であるとともにわれ等が敢てわが政治経済の根本的整正、社会生活の改造を必要ありと主張するゆえんである、真に国家を愛するもの民柴を念うもの、人類栄達の文化と平和とに光輝あらしめんことを希うものは何人と雖もわれ等と思念を同じゅうして一日も速かに富の生産分配の公正を確立せんことを希求しつつあることを信ずるものであるさればわが労働農民党はその立党の根本精神を第一にわが無産階級の生活権の確立におき力を尽して国民最大多数の生活の安定を図るとともによってもってわが国運の無窮の隆昌と社会文化の無限の向上発達とに貢献せんことを期するものである、しかしてその手段としてはあくまで公明正大なる言論と合法的政治の運用即ち議会政策によりて邁進せんとするものである、近時わが国の議会は腐敗堕落その極に達し議員の言論は毫末の権威なく醜態百出して面をむくるに忍びざるものあるがために国民の多数は漸く議会に対する信頼を喪失したるとはいえかくの如きは全く特権階級のみによりて作られたる既成政党の罪であって必ずしも議会制度そのものの罪ではない、されば普選によりて新に参政権を獲得したるわれ等無産階級はわれ等の純潔なる参政権をあくまで公明正大に行使して先ず議会を革正し真にわが光輝ある議政の府たらしむることによりて必ずわが党の主張を貫徹せしめ得べきを信ずるものである、無産階級解放のためには理論としてはた行動として幾多の方策がある我等の主張するが如き議会政策は固より唯一の道程ではないしかしながらかの徒らに外国の理論又は行動を直訳して三千年の永き歴史と特殊の文化を有するわが国情を顧みざるが如き一部論者の矯激なる主張の如きはわれ等の絶対に賛成し能わざるものであるよってわれ等はここにわが党の綱領政策を定めて主義主張を天下に宣明するとともに広くわが全無産階級の同志諸君の直ちに来りてともに協同せんことを待望してやまざるものである。

 大正十五年三月五日 労働農民党

〇中央委員のメンバー

【農民組合】山上武雄、荘原達、高崎正戸、清原一、西光万吉、須永好、三宅正一【総同盟】西尾末広、光吉悦正、松岡駒吉、麻生久【官業労働】村田宗次郎、川村保太郎、福田由太郎【総連合】坪井栄次郎、阪本孝三郎【司会同盟】井上朝次郎、入舟慎吾【自治会】浜田藤次郎、佐々木専治【製陶労働】木村愛次郎、林鶴之助
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 今日は、昭和時代中期の1947年(昭和22)に、マッカーサー(連合国軍最高司令官)が、翌日から予定されていた「2.1ゼネスト」の中止を命令した日です。
 「2.1ゼネスト」は、2月1日午前零時を期して官公庁労働組合を中心に計画された数百万人規模のゼネラル・ストライキのことでした。
 太平洋戦争後の急激なインフレで労働者の生活は困窮し、民間労働者は前年の十月闘争で賃上げをかちとりましたが、官公労働者の賃金は予算に縛られ、民間労働者の水準にはるかに及ばななかったのです。
 このような情勢の中で、官公庁労働者は、1946年(昭和21)11月に全官公庁労働組合共同闘争委員会を結成し、翌月の大会において、10項目の要求(越年資金の支給・最低賃金制の確立・俸給・諸手当の現金支給・勤労所得税の撤廃・総合所得税の免税点を3万円に引き上げ・労働関係調整法の撤廃・差別待遇の撤廃・団体協約の即時締結・寒冷地手当の支給・不当馘首反対)を決めて、政府に提出しました。
 しかし、政府は越年資金を承認した他は実質的に要求を拒否したため、日本労働組合総同盟(総同盟)、全日本産業別労働組合会議(産別会議)など全国労働組合懇談会主催で12月17日、皇居前広場で開かれた生活権確保・吉田内閣打倒国民大会には、官公労働者を含む50万人(主催者発表)が参加し、内閣打倒(倒閣)実行委員会の組織が決められます。
 これに対し、1947年(昭和22)1月1日、総理大臣の吉田茂は年頭の辞で「政争の目的の為にいたずらに経済危機を絶叫し、ただに社会不安を増進せしめ、生産を阻害せんとするのみならず、経済再建のために挙国一致を破らんとするがごときものあるにおいては、私はわが国民の愛国心に訴えて、彼等の行動を排撃せざるを得ない。」「しかれども、かかる不逞の輩がわが国民中に多数ありとは信じない。」と挨拶し、これは、いわゆる「労働組合不逞の輩」発言として労働組合側の反発を招くこととなりました。
 1月15日には、全国労働組合共同闘争委員会(全闘)が結成され、1月18日にゼネスト宣言(要求受け入れの期限は2月1日として、要求を容れない場合は無期限ストに入る)が政府に通告されます。
 さらに日本社会党、日本共産党などを含めた倒閣実行委員会も発足し、吉田内閣打倒、民主人民政府樹立の政治要求など30項目のスローガンも掲げられました。
 しかし、1月31日午後、マッカーサーはスト中止を命令し、伊井弥四郎全官公庁共闘議長らにスト中止指令をラジオ放送させ、ゼネストは不発に終わります。これは、GHQ(連合国総司令部)が労働運動に正面から介入した初めての事例となり、初期占領政策の転換を示すものとなりました。

〇共同要求10項目(12月3日)

(1)越年資金の12月15日までの支給。
(2)最低賃金制の確立。
(3)俸給・諸手当の現金支給。
(4)勤労所得税の撤廃。
(5)総合所得税の免税点を3万円に引き上げ。
(6)労働関係調整法の撤廃。
(7)差別待遇の撤廃。
(8)団体協約の即時締結。
(9)寒冷地手当の支給。
(10)不当馘首反対。

〇伊井弥四郎全官公庁共闘議長によるスト中止のラジオ放送(1月31日午後9時20分)

「マッカーサー連合国最高司令官は、2月1日のゼネラルストライキを禁止されました。……このラジオ放送によって、明日のゼネストは極力防止するよう、各組合では万全の努力をつくしてください。マッカーサー連合国最高司令官の絶対命令とあれば、遺憾ながら中止せざるを得ません。声が涸れていてよく聞こえないかもしれないが、緊急しかも重要ですからよく聞いて下さい。私は今、マッカーサー連合国最高司令官の命により、ラジオをもって親愛なる全国の官吏、公吏、教員の皆様に、明日のゼネスト中止をお伝えいたしますが、実に、実に、断腸の思いで組合員諸君に語ることを御諒解願います。私は今、一歩後退、二歩前進という言葉を思い出します。私は声を大にして日本の働く労働者、農民のために万歳を唱え、放送を終わることにします。労働者、農民万歳! 我々は団結せねばならない!」
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 今日は、明治時代前期の1874年(明治7)に、板垣退助ら8名によって、「民撰議院設立建白書」が出された日です。
 これは、政府に対して最初に民選の議会開設を要望した建白書で、板垣退助、後藤象二郎、江藤新平、副島種臣、由利公正、岡本健三郎、古沢滋、小室信夫の8名が署名しました。
 自由民権運動の発端となった歴史的文書で、藩閥専制の弊害を批判し、国民が幸福を享受すべきことを訴えて、民撰議院(国会)の一日も早い開設を要請したものです。
 当時の政府などは時期尚早と反対しましたが、自由民権の考え方は、徐々に国民各層に浸透していくことになりました。

〇民撰議院設立建白書(全文)

 某等別紙奉建言候次第、平生ノ持論ニシテ、某等在官中屡及建言侯者モ有之候処、欧米同盟各国へ大使御派出ノ上、実地ノ景況ヲモ御目撃ニ相成、其上事宜斟酌施設可相成トノ御評議モ有之。然ルニ最早)大使御帰朝以来既ニ数月ヲ閲シ侯得共、何等ノ御施設モ拝承不仕、昨今民心洶々上下相疑、動スレバ土崩瓦解ノ兆無之トモ難申勢ニ立至侯義、畢竟天下輿論公議ノ壅塞スル故卜実以残念ノ至ニ奉存侯。此段宜敷御評議ヲ可被遂侯也。

明治七年一月十七日

                               高知縣貫屬士族  古 澤 迂 郎
                               高知縣貫屬士族  岡 本 健 三 郎
                               名東縣貫屬士族  小 室 信 夫
                               敦賀縣貫屬士族  由 利 公 正
                               佐賀縣貫屬士族  江 藤 新 平
                               高知縣貫屬士族  板 垣 退 助
                               東京府貫屬士族  後 藤 象 二 郎
                               佐賀縣貫屬士族  副 島 種 臣

 左 院 御中

 臣等伏シテ方今政権ノ帰スル所ヲ察スルニ、上帝室ニ在ラズ、下人民ニ在ラズ、而独有司(=維新政府顕官)ニ帰ス。夫有司、上帝室ヲ尊ブト曰ザルニハ非ズ、而帝室漸ク其尊栄ヲ失フ、下人民ヲ保ツト曰ザルニハ非ラズ、而政令百端、朝出暮改、政刑情実ニ成リ、賞罰愛憎ニ出ヅ、言路壅蔽、困苦告ルナシ。夫如是ニシテ天下ノ治安ナラン事ヲ欲ス、三尺ノ童子モ猶其不可ナルヲ知ル。因仍改メズ、恐クハ国家土崩ノ勢ヲ致サン。臣等愛国ノ情自ラ已ム能ハズ、乃チ之ヲ振救スルノ道ヲ講求スルニ、唯天下ノ公議ヲ張ルニ在ル而已。天下ノ公議ヲ張ルハ民撰議院ヲ立ルニ在ル而已。則有司ノ権限ル所アツテ、而上下其安全幸福ヲ受ル者アラン。請、遂ニ之ヲ陳ゼン。

 夫人民、政府ニ対シテ租税ヲ払フノ義務アル者ハ、乃チ其政府ノ事ヲ与知可否スルノ権理ヲ有ス。是天下ノ通論ニシテ、復喋々臣等ノ之ヲ贅言スルヲ待ザル者ナリ。故ニ臣等窃ニ願フ、有司亦是大理ニ抗抵セザラン事ヲ。今民撰議院ヲ立ルノ議ヲ拒ム者曰、我民不学無智、未ダ開明ノ域ニ進マズ、故〔ニ〕今日民撰議院ヲ立ル尚応サニ早カル可シト。臣等以為ラク、若果シテ真ニ其謂フ所ノ如キ乎。則之ヲシテ学且智而急ニ開明ノ域ニ進マシムルノ道、即民撰議院ヲ立ルニ在リ。何トナレバ則今日我人民ヲシテ学且智ニ開明ノ域ニ進マシメントス、先其通義権理ヲ保護セシメ、之ヲシテ自尊自重、天下ト憂楽ヲ共ニスルノ気象ヲ起サシメズンバアル可カラズ。自尊自重、天下ト憂楽ヲ共ニスルノ気象ヲ起サシメントスルハ、之ヲシテ天下ノ事ニ与ラシムルニ在リ。如是シテ、人民其固陋ニ安ジ、不学無智自ラ甘ンズル者未ダ之有ラザルナリ。而シテ今其自ラ学且智ニシテ自其開明ノ域ニ入ルヲ待ツ。是殆ド百年河清ヲ待ツノ類ナリ。甚シキハ則、今遽カニ議院ヲ立ルハ是レ天下ノ愚ヲ集ムルニ過ザルノミト謂ニ至ル。噫何自傲ノ太甚シク、而其人民ヲ視ルノ蔑如タルヤ。有司中智巧固り人ニ過グル者アラン。然レ共安ンゾ学問有識ノ人世復諸人ニ過グル者アラザルヲ知ランヤ。蓋シ天下ノ人如是蔑視ス可ラザルナリ。若シ将タ蔑視ス可キ者トセバ、有司亦其中ノ一人ナラズヤ。然ラバ則均シク是不学無識ナリ。僅々有司ノ専裁ト人民ノ輿論公議ヲ張ルト、其賢愚不肖果シテ如何ゾヤ。臣等謂フ、有司ノ智亦之ヲ維新以前ニ視ル、必ラズ其進シ者アラン。何トナレバ則、人間ノ智識ナル者ハ必ラズ其之ヲ用ルニ従テ進ム者ナレバナリ。故ニ曰ク、民撰議院ヲ立ツ、是即チ人民ヲシテ学且智ニ、而シテ急ニ開明ノ域ニ進マシムルノ道也。

 且夫政府ノ職、其宜シク奉ジテ以テ目的トナス可キ者、人民ヲシテ進歩スルヲ得セシムルニ在り。故ニ草昧ノ世、野蛮ノ俗、其民勇猛暴悍、而シテ従フ所ヲ知ラズ。是時ニ方ツテ、政府ノ職固リ之ヲシテ従フ所ヲ知ラシムルニ在リ。今我国既ニ草昧ニ非ラズ、而シテ我人民ノ従馴ナル者既ニ過甚トス。然ラバ則、今日我政府ノ宜シク以テ其目的トナス可キ者、則民撰議院ヲ立テ、我人民ヲシテ其敢為ノ気ヲ起シ、天下ヲ分任スルノ義務ヲ弁知シ、天下ノ事ニ参与シ得セシムルニ在リ。則闔国ノ人皆同心ナリ。

 夫政府ノ強キ者、何ヲ以テ之ヲ致スヤ。天下人民皆同心ナレバ也。臣等必ラズ遠ク旧事ヲ引イテ之ヲ証セズ、且昨十月政府ノ変革ニ就イテ之ヲ験ス。岌々乎其危哉。我政府ノ孤立スルヤ何ゾヤ。昨十月政府ノ変革、天下人民ノ之ガ為メニ喜戚セシ者幾カアル。啻之ガ為メニ喜戚セザルノミナラズ、天下人民ノ茫トシテ之ヲ知ラザル者十ニシテ八九ニ居ル。唯兵隊ノ解散ニ驚ク而已。今民撰議院ヲ立ルハ則政府人民ノ間、情実融通、而相共ニ合テ一体トナリ、国始メテ可以強、政府始メテ可以強キナリ。

 臣等既ニ天下ノ大理ニ就イテ之ヲ究メ、我国今日ノ勢ニ就イテ之ヲ実ニシ、政府ノ職ニ就イテ之ヲ論ジ、及昨十月政府ノ変革ニ就イテ之ヲ験ス。而臣等ノ自ラ臣等ノ説ヲ信ズルコト愈篤ク、切ニ謂フ、今日天下ヲ維持振起スルノ道、唯民撰議院ヲ立而シテ天下ノ公議ヲ張ルニ在ル而已。其方法等ノ議ノ如キ、臣等必ラズ之ヲ茲ニ言ハズ。蓋シ十数枚紙ノ能ク之ヲ尽ス者ニアラザレバ也。但臣等窃ニ聞ク、今日有司持重ノ説ニ藉リ、事多ク因循ヲ務メ、世ノ改革ヲ言フ者ヲ目シテ軽々進歩トシ、而シテ之ヲ拒ムニ尚早キノ二字ヲ以テスト。臣等請、亦弁之ゼン。

 夫軽々進歩卜云フ者、固リ臣等ノ所不解、若果シテ事倉猝ニ出ル者ヲ以テ軽々進歩トスル乎、民撰議院ナル者ハ以テ事ヲ鄭重ニスル所ノ者ナリ。各省不和而変更ノ際、事本末緩急ノ序ヲ失シ、彼此ノ施設相視ザル者ヲ以テ軽々進歩トスル乎、是国ニ定律ナク、有司任意放行スレバナリ。是二者アラバ、則適ニ其民撰議院ノ立ズンバアル可カラザルノ所以ヲ証スルヲ見ルノミ。夫進歩ナル者ハ天下ノ至美ナリ、事々物々進歩セズンバアル可カラズ。然ラバ則、有司必ラズ進歩ノ二字ヲ罪スル能ハズ。其罪スル所、必ラズ軽々ノ二字ニ止ラン。軽々ノ二字、民撰議院卜曾テ相関渉セザル也。

 尚早キノ二字ノ民撰議院ヲ立ルニ於ケル、臣等啻ニ之ヲ解セザル而已ナラズ、臣等ノ見正ニ之卜相反ス。如何トナレバ、今日民撰議院ヲ立ツモ、尚恐クハ歳月ノ久シキヲ待チ而後始メテ其十分完備ヲ期スルニ至ラン。故ニ臣等一日モ唯其立ツコトノ晩カランコトヲ懼ル。故ニ曰、臣等唯其反対ヲ見ル而已。

 有司ノ説又謂フ、欧米各国今日ノ議院ナル者ハ一朝一夕ニ設立セシノ議院ニ非ラズ、其進歩ノ漸ヲ以テ之ヲ致セシ者ノミ故、我今日俄ニ之ヲ模スルヲ得ズト。夫レ進歩ノ漸ヲ以テ之ヲ致セシ者、豈独リ議院ノミナランヤ、凡百学問技術機械皆然ルナリ。然ニ彼レ数百年ノ久シキヲ積ンデ之ヲ致セシ者ハ、蓋シ前ニ成規ナク皆自ラ之ヲ経験発明セシナレバナリ。今我其成規ヲ択ンデ之ヲ取ラバ、何企テ及ブ可カラザランヤ。若我自ラ蒸気ノ理ヲ発明スルヲ待チ然後我始メテ蒸気機械ヲ用ルヲ得可ク、電気ノ理ヲ発明スルヲ待チ然後我始メテ電信ノ線ヲ架スルヲ得可キトスル乎、政府ハ応ニ手ヲ下スノ事ナカル可シ。

 臣等既ニ已ニ今日我国民撰議院ヲ立テズンバアル可カラザルノ所以、及今日我国人民進歩ノ度能ク斯議院ヲ立ルニ堪ルコトヲ弁論スル者ハ、則有司ノ之ヲ拒ム者ヲシテ口ニ藉スル所ナカラシメントスルニハ非ラズ。斯議院ヲ立、天下ノ公論ヲ伸張シ、人民ノ通義権理ヲ立テ、天下ノ元気ヲ鼓舞シ、以テ上下親近シ、君臣相愛シ、我帝国ヲ維持振起シ、幸福安全ヲ保護センコトヲ欲シテ也。請、幸ニ之ヲ択ビ玉ンコトヲ。

                  国立公文書館蔵『諸建白書 明治七年従一月至四月』より

 *縦書きの原文を横書きに改め、段落を分けて句読点を付してあります。

<現代語訳>(一部のみ)

民撰議院設立建白書

(前略)

 私ども謹んで現在の政権のありようを考えてみますのに、上は皇室にもなく、下は人民にもなく、ただ政府の官僚に独占されている状況に有ります。そもそも官僚が上の皇室を尊敬していないとはいわない。しかし、皇室はしだいにその尊栄を失っています。また、下の人民の安全を保たないとはいいませんが、法律・命令があまりにも多く、コロコロと変り、政策はコネによって決定され、有司に気に入られれば褒美がもらえ、嫌われれば罰せられる。言論の自由は封殺されており、困苦の実情を訴えることもできません。このような状況で天下が治まることを望むのは、身の丈三尺ほどの子供でも不可能だとわかります。旧習にこだわって改めなければ、おそらく国家は土砂が崩壊するようになるでしょう。私どもは愛国の心情を止めることが出来ず、この国家の危急を何とか回避しようと考え考究いたしましたところ、日本中の意見を集めて政治に活かすしかないと結論いたしました。そのためには、つまり民選の議員による議会を設立する以外にありません。すなわち、官僚の権力を制限しえてこそ、国民上下の者が安全と幸福を享受できるでしょう。次にこの事情を述べましょう。

 そもそも人民の中で政府に租税を払う義務をもつ者は、とりもなおさず、その政府のことに関与し、その是非を論ずる権利を持っています。これは天下の通論で、私どもがあれこれ余計なことを云う必要もないことです。ゆえに私どもは切に、官僚がこの道理に抵抗しないことを願います。今、民選の議員による議会を設立する建議を拒むものが言うのには、我が民は学問が足らず、無知で、文明も開けていないので、今すぐ民選の議員による議会を設立するのは、時期尚早であるあると、私どもが思いますますに、もしほんとうにその言う通りでありますならば、我が民をして学問を高め、知識を広め、そして、文化の向上に進ませる道は、まさに民選の議員による議会を設立することなのであります。

(後略)
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 今日は、明治時代後期の1901年(明治34)に日本最初の社会主義政党である「社会民主党」(現在の社会民主党とは異なる)が結成された日です。
 「社会民主党」は、日本初の社会主義政党ですが、翌々日(5月20日)に結成を届け出たものの、治安警察法により届出当日に禁止され、宣言書を載せた「万朝報」、「労働世界」、「東京横浜毎日新聞」等も発禁処分とされました。
 この党の創立者は、安部磯雄、片山潜、幸徳秋水、木下尚江、河上清、西川光二郎の6名で、以下の8項目からなる党の理想と、28項目からなる綱領を含んだ「社会民主党宣言書」を発表したのです。
 これらの創立者たちは、直後に綱領を変えて「社会平民党」を結成しましたが、これも禁止されました。その後、社会主義運動は、社会主義協会や平民社に継承されていくことになります。

☆社会民主党宣言書 1901年(明治34)5月18日

 如何にして貧富の懸隔を打破すべきかハ実に二十世紀に於けるの大問題なりとす。彼の十八世紀の末に当り仏国を中心として欧米諸国に伝播したる自由民権の思想ハ、政治上の平等主義を実現するに於て大なる効力ありしと雖も、爾来物質的の進歩著しく、昔時の貴族平民てふ階級制度に代ふるに富者貧者てふ、更に忌むべき恐るべきものを以てするに至れり。抑も経済上の平等ハ本にして政治上の平等ハ末なり。故に立憲の政治を行ひて政権を公平に分配したりとするも、経済上の不公平にして除去せられざる限ハ人民多数の不幸ハ依然として存すべし。是我党が政治問題を解するに当り全力を経済問題に傾注せんとする所以なり。

(中略)
 
 今日の政党なるものは全く富者に使役せらる所のものにして決して多数人民の意志を代表するものにあらず。今や国民の多数を占むる労働者小作人は無学無識にして、殆ど富者の一顧にも価せざるべしと雖も、彼等は実に財富の生産者なるが故に、将来の社会組織に於て重要なる地位を占むるに至るべきは論を待たず。而して彼等をして其得べき地位を得せしむるは、即ち社会全体の利福を増進する所以なりとす。我党は茲に多数人民の休戚を負ふて生れたり。然れども貧民を庇護して富者を敵とするが如き狭量のものにあらず。而して其志す所は我国の富強を謀るにあれども、然も外国の利益を犠牲に供して顧みざるが如き唯我的のものにあらず。若し直□に其抱負を言へば我党は世界の大勢に鑑み、経済の趨勢を察し、純然たる社会主義と民主主義に依り、貧富の懸隔を打破して全世界に平和主義の勝利を得せしめんことを欲するなり。故に我党は左に掲ぐる理想に向かって着々進まんことを期す。

1.人種の差別、政治の異同に係わらず、人類は皆同胞なりとの主義を拡張すること。
2.万国の平和を来すためには先ず軍備を全廃すること。
3.階級制度を全廃すること。
4.生産手段として必要なる土地及び資本を悉く公有とすること。
5.鉄道、船舶、運河、橋梁のごとき交通手段はこれを公有とすること。
6.財産の分配を公平にすること。
7.人民をして平等に政権を得せしむること。
8.人民をして平等に教育を受けしめる為に、国家は全く教育の費用を負担すべきこと。

 別に左の如き綱領を定めて実際の運動を試むべしと云ふにあり。
1、全国の鉄道を公有すること。
2、市街鉄道、電気鉄道、瓦斯事業凡て独占的性質を有するものを私有すること。
3、中央政府、各府県、各市町村の所有せる公有地を払い下げることを禁ずること。
4、都市に於ける土地は挙げて其都市の所有とする方針を採ること、若しこれを速に実行する能はざる場合には、法律を設けて土地兼併を禁ずること。
5、専売権は政府にてこれを買い上げること。即ち発明者に相当の報酬を与へ、而して人民には廉値に其発明を使用せしむること。
6、家賃はその家屋の幾分以上を徴収する能はずとの制限を設くること。
7、政府の事業は凡て政府自らこれに当り、決して一個人若くは私立会社に受 負はしめざること。
8、酒税、醤油税、砂糖税の如き消費税は之を全廃し、之に代ふるに相続税、所得税及び其他の直接税を以てす。
9、高等小学校を終る迄を義務教育年限とし、月謝を全廃し、公費を以て教科 書を支給すること。
10、労働局を設置して、労働に関する一切の事を調査せしむること。
11、学齢児童を労働に従事することを禁ずること。
12、道徳健康に害ある事業に婦人を使役することを禁ずること。
13、少年及び婦女子の夜業を禁ずること。
14、日曜日の労働を廃し、日々の労働時間を八時間に制すること。
15、雇主責任法を設け労働者が服務中負傷した場合には雇主をして相当の手当てを為さしむること。
16、労働組合法を設け労働者が自由に団結することを公認し、且つ適当の保 護を与ふること。
17、小作人保護の法を設くること。
18、保険事業は一切政府事業と成すこと。
19、裁判入費は全く政府の負担とすること。
20、普通選挙法を採用すること。
21、公平選挙法を採用すること。
22、選挙は一切直接且つ無記名とすること。
23、重大なる問題に関しては一般人民をして直接に投票せしむるの方法を設くること。
24、死刑を全廃すること。
25、貴族院を廃止すること。
26、軍備を縮小すること。
27、治安警察法を廃止すること。
28、新聞条令を廃止すること。
我党は此の如く社会主義を経とし民主主義を緯として其の旗幟を明白にせり
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