
この美泉は、養老の滝か、あるいは養老神社境内の菊水泉であったと伝えられてきました。行幸の際に行宮が造られたとされますが、その場所は不明です。
以下に、このことを記した『続日本紀』養老元年(717年)11月17日の条を掲載しておきますので、ご参照下さい。
715年(和銅8)に一品に昇叙し、715年(霊亀元)には、皇太子である甥の首皇子(後の聖武天皇)がまだ若いため、母・元明天皇から譲位を受け、第44代とされる天皇として即位しました。その治世の前半は母・元明上皇と藤原不比等、その死後は長屋王が政権を担当しています。
その中で、養老への改元、「養老律令」の編纂開始(717年)、国内の治安をはかるため初めて按察使を任命(719年)、隼人反乱に際し大伴旅人を派遣(720年)、『日本書紀』の奏上(720年)、田地の不足を解消するために「百万町歩開墾計画」を命じ(722年)、「三世一身法」の制定(723年)など、律令体制の強化・浸透をはかりました。724年(神亀元)に首皇子(聖武天皇)に譲位し、太上天皇となりましたが、後見的な立場に就いています。
728年(天平元)に長屋王の変が起き、長屋王が自害し、光明立后が実現しました。740年(天平12)に藤原広嗣の乱が起きると、聖武天皇を護り、743年(天平15)に聖武天皇が病気がちで職務がとれなくなると、天皇を擁護する詔を出したりしています。しかし、747年(天平19)暮れに発病し、翌年4月21日に奈良平城京において、数え年69歳で亡くなり、佐保山陵に火葬(2年後に奈保山西陵に改葬)されました。尚、『万葉集』に少なくとも五首の歌が収載されています。
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