
1806年(文化3年)に択捉(えとろふ)を測量、1808年(文化5)には、カラフト探検を命ぜられ、松田伝十郎と共に北上し、6月20日ラッカに至り、カラフトの離島を確認しています。翌年に再度カラフト探検を命ぜられ北上、5月カラフトの北端ナニオーに至り、カラフトが離島であることを再確認し、6月にはアイヌのコーニらに同行し、海峡を渡り東韃靼に至り、デレンで満州仮府の役人と会いました。
1810年(文化7)に村上貞助の協力で、『北蝦夷島地図』、『北蝦夷分界余話』、『東韃地方紀行』を著し、1822年(文政5)には、松前奉行廃止伴ない、江戸に帰り普請役となっています。1824年(文政7)に、安房上総御前備掛手付となり、異国船渡来の噂を内偵のため、東北海岸を巡視し、1826年(文政9)には、天文方兼書物奉行高橋景保がシーボルトに対し、クルーゼンシュテルンの航海記と交換に、伊能忠敬の日本地図、間宮林蔵のカラフト地図を贈ることを約束しました。
1832年(天保3)に、シーボルト著『日本』で日本辺界略図の翻訳図に「間宮の瀬戸」の名を始めてヨーロッパに紹介されます。1842年(天保13)には、江戸幕府からカラフトおよび東韃靼地域の自製図模写を命ぜられましたが、1844年(天保15年2月26日)に、江戸本所外手町の寓居において、数え年65歳で亡くなりました。
現在、出身地の茨城県つくばみらい市に「間宮林蔵記念館」が建てられ、遺品や事績を知ることができるようになっています。
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
| 1776年(安永5) | 南画家・書家池大雅の命日(新暦5月30日) | 詳細 |
| 1818年(文化15) | 商人・測量家伊能忠敬の命日(新暦5月17日) | 詳細 |
| 1903年(明治36) | 福井県武生町明治の大火で、死者7名、重傷者2名、全焼1,057戸の被害を出す | 詳細 |
| 「小学校令」が改正され、教科書検定制から国定教科書制になる | 詳細 | |
| 1941年(昭和16) | 「日ソ中立条約」が締結(同年4月25日発効)される | 詳細 |
| 1945年(昭和20) | B-29爆撃機330機による城北大空襲(東京西部地域空襲)で、29.5平方kmを焼失、死者2,459人を出す | 詳細 |
| 1950年(昭和25) | 静岡県の熱海大火で、市街地の4分の1に延焼し、979棟が焼失する | 詳細 |
| 2001年(平成13) | 「配偶者暴力防止法」(平成13年法律第31号)が公布(施行は同年10月13日)される | 詳細 |
