ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

タグ:戦時猛獣処分

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 今日は、昭和時代前期の太平洋戦争下の1943年(昭和18)に、上野動物園で、空襲に備えて戦時猛獣処分になった猛獣の慰霊法要が実施された日です。
 戦時猛獣処分(せんじもうじゅうしょぶん)は、戦争時において動物園の猛獣が逃亡して被害を及ぼすのを未然に防止する目的で、殺処分することを言いました。日本では、太平洋戦争中の1943年(昭和18)以降に、日本各地の動物園で行われましたが、この措置は都道府県や市町村などの行政機関によって命じられたものです。
 東京の上野動物園では、1941年(昭和16)8月11日に、陸軍の指示に応えて、「動物園非常処置要綱」を作成し、空襲の危機が差し迫った場合の殺処分方針を決めていました。1943年(昭和18)8月16日に、新任の大達茂雄東京都長官から全猛獣の殺処分命令が下り、9月1日までにゾウ1頭を含む24頭の殺処分が済まされ、9月4日には、大達長官らが臨席して慰霊祭が執り行われています。しかし、その時点でゾウ2頭とヒョウ幼体1頭の殺処分は完了しておらず、9月11日にゾウ1頭とヒョウ幼体1頭、9月23日にゾウ1頭が死亡し、計14種・27頭の殺処分が完了しました。
 その後、サーカス団の猛獣も処分対象とされ、1944年(昭和19)前半からは、日本各地の他の動物園でも本格的に戦時猛獣処分が行われています。

〇東京都恩賜上野動物園の戦時猛獣処分関係略年表

<1939年(昭和14)>
・5月 全国動物園長会議で、研究課題の一つとして空襲時の猛獣脱走対策が挙げられる

<1941年(昭和16)>
・2月 ヒマラヤグマ3頭とツキノワグマ1頭が整理のために射殺される
・7月 陸軍東部軍司令部から上野動物園に対し、非常時における対策要綱を提出するように指示が出る
・8月11日 陸軍の指示に応えて、「動物園非常処置要綱」を作成し、空襲の危機が差し迫った場合の殺処分方針を決める

<1943年(昭和18)>
・8月11日 ゾウ1頭の殺処分が決まる
・8月13日 ゾウの餓死による殺処分が着手される
・8月16日 新任の大達茂雄東京都長官から全猛獣の殺処分命令が下る
・8月17日 ホクマンヒグマとツキノワグマ各1頭が薬殺される
・8月29日 ゾウ1頭が餓死する
・9月1日 この日までにゾウ1頭を含む24頭の殺処分が済まされる
・9月2日 戦時猛獣処分実施について公表される
・9月4日 大達長官ら臨席して慰霊祭が執り行われる
・9月11日 ゾウ1頭とヒョウ幼体1頭が死亡する
・9月23日 ゾウ1頭が死亡し、計14種・27頭の殺処分が完了する

☆東京都恩賜上野動物園で猛獣殺処分によって殺された動物一覧

・ホクマンヒグマ雌(3歳以上)─ 薬殺
・ホクマンヒグマ雄(推定6歳)─ 服薬、槍で刺殺
・ニホンツキノワグマ雄(9歳以上)─ 薬殺
・ニホンツキノワグマ雌(推定20歳)─ 絶食後、ロープで絞殺
・チョウセンクロクマ雄(推定15歳)─ 薬殺
・チョウセンクロクマ雌(3歳)─ 服薬、刺殺
・マレーグマ雄(推定9歳)─ 薬殺
・ホッキョクグマ雌(推定20歳)─ 飢餓死
・ホッキョクグマ雄(推定20歳)─ 絶食後、絞殺
・ライオン雌(8歳)─ 薬殺
・ライオン雌「カテリーナ」(推定16歳)─ 絶食、服薬、槍で刺殺
・ライオン雄「アリ」(16歳)─ 絶食後、薬殺
・ヒョウ雄「八紘」(1歳以上)─ 薬殺
・ヒョウ雌(推定11歳)─ 服薬失敗、ロープで絞殺
・ヒョウ雄(推定11歳)─ 薬殺
・クロヒョウ雄(推定12歳)─ 薬殺
・クロヒョウ雌(推定12歳)─ 服薬失敗、ロープで絞殺
・トラ雄(推定20歳)─ 薬殺
・チーター雌(推定15歳)─ 薬殺
・アメリカヤギュウ雌(19歳以上)─ ツルハシで撲殺
・アメリカヤギュウ雌(4歳)─ 撲殺
・ゾウ雄(9歳以上)─ 絶食後、餓死
・ゾウ雌「花子(ワンリー)」(年齢不明) ─ 絶食後、餓死
・ゾウ雄「トンキー」(年齢不明) ─ 絶食後、餓死
・ガラガラヘビ(年齢不明)─ 刺・絞殺、埋没
・ニシキヘビ雌(4歳以上)─ 絞・斬殺

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1702年(元禄15)武士・尾張藩士・国学者・俳人横井也有の誕生日(新暦10月24日)詳細
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1913年(大正2)政治家田中正造の命日詳細
1975年(昭和50)詩人壺井繁治の命日詳細
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 今日は、昭和時代前期の1943年(昭和18)の太平洋戦争下において、 東京都が上野動物園に戦時猛獣処分を指令した日です。
 戦時猛獣処分(せんじもうじゅうしょぶん)は、戦争下で動物園において猛獣が逃亡し、被害を出すのを未然に防止するために、殺処分したことでした。太平洋戦争時には、1941年(昭和16)7月に、陸軍東部軍司令部より要請があって、東京上野動物園は同年8月11日に、『動物園非常処置要綱』を作成して提出します。
 これは、万が一空襲があった場合の非常処置をこと細かく記載したもので、猛獣危険度により、「第一種」であるライオン・虎・熊・象等から、一番危険度の低い「第四種」カナリア・亀などに分類されて記されていました。そして、動物の処置の時期について、「第一期の防空下令・第二期の空襲の時に処置の準備を完了させ、 第三期の空襲による爆撃火災の危険近接したる時、近接の程度に応じて第一・第二種動物を順次処置し、更に危険のおよぶ時は第三種動物も順次処置す」と定められます。
 1942年(昭和17)4月18日には、ドーリットル空襲(日本本土に対する初空襲)があり、その後もアメリカ軍の攻勢が続き、首都圏への空襲の危険が増大していきました。その中で、1943年(昭和18)8月16日に東京都は、『動物園非常処置要綱』に基づき、空襲で壊れた獣舎から逃げ出した動物が人間を襲うおそれや食糧難を理由に、上野動物園に対して飼育動物の殺処分命令を出します。
 これによって、翌17日~9月23日の間に猛獣処分が行われ、ライオンやトラ、ヒョウ、クマ、ゾウなど14種27頭が薬殺や餓死により殺処分されました。他にも、天王寺動物園・京都市動物園・仙台市動物園・福岡市記念動物園などで多くの動物が殺処分されています。

〇東京都恩賜上野動物園で動物の非常処置により殺処分された動物一覧

・ホクマンヒグマ雌(3歳以上)─ 薬殺
・ホクマンヒグマ雄(推定6歳)─ 服薬,槍で刺殺
・ニホンツキノワグマ雄(9歳以上)─ 薬殺
・ニホンツキノワグマ雌(推定20歳)─ 絶食後,ロープで絞殺
・チョウセンクロクマ雄(推定15歳)─ 薬殺
・チョウセンクロクマ雌(3歳)─ 服薬,刺殺
・マレーグマ雄(推定9歳)─ 薬殺
・ホッキョクグマ雌(推定20歳)─ 飢餓死
・ホッキョクグマ雄(推定20歳)─ 絶食後,絞殺
・ライオン雌(8歳)─ 薬殺
・ライオン雌「カテリーナ」(推定16歳)─ 絶食,服薬,槍で刺殺
・ライオン雄「アリ」(16歳)─ 絶食後,薬殺
・ヒョウ雄「八紘」(1歳以上)─ 薬殺
・ヒョウ雌(推定11歳)─ 服薬失敗,ロープで絞殺
・ヒョウ雄(推定11歳)─ 薬殺
・クロヒョウ雄(推定12歳)─ 薬殺
・クロヒョウ雌(推定12歳)─ 服薬失敗,ロープで絞殺
・トラ雄(推定20歳)─ 薬殺
・チーター雌(推定15歳)─ 薬殺
・アメリカヤギュウ雌(19歳以上)─ ツルハシで撲殺
・アメリカヤギュウ雌(4歳)─ 撲殺
・ゾウ雄(9歳以上)─ 絶食後,餓死
・ゾウ雌「花子(ワンリー)」(年齢不明) ─ 絶食後,餓死
・ゾウ雄「トンキー」(年齢不明) ─ 絶食後,餓死
・ガラガラヘビ(年齢不明)─ 刺・絞殺,埋没
・ニシキヘビ雌(4歳以上)─ 絞・斬殺

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

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