今日は、戦国時代の1536年(天文5)に、伊達家14代稙宗(1488~1565年)が分国法の一つである「塵芥集」を制定した日ですが、新暦では5月5日となります。
「塵芥集(じんかいしゅう)」は、陸奥国の戦国大名伊達氏の制定した分国法で、前文、本文(171ヶ条)、中野宗時ら老臣12名の連署起請文がありました。形式・条文配列は、「御成敗式目」にならったもので、内容上も式目の影響が強くみられるものの、伊達氏の分国の実情に即したものもあり、刑事法規に特色がみられます。
第一条から七条までが神社、第八条から十五条までが寺院、第十六条から七十五条までが殺害、盗賊等の刑事法、第七十六条から九十一条までが土地法、第九十二条から一七一条までが売買、貸借、質入、婚姻、損害賠償等の規定となっていました。実際に使用されていたのは、1536年(天文5)~1570年(元亀元)までの約34年間で、以降は忘れ去られ、1680年(延宝8)に家臣である村田親重が伊達綱村に献上するまで、認知されずにいます。
分国法の中では最も条数が多いとされ、多岐かつ詳細で、伊達氏がその支配下にある中小領主間の紛争や領主層とその家来、百姓との間に生じる諸問題について、裁決判断の基準を示したものでした。
以下に、「塵芥集」を抜粋し、現代語訳を付しておきますので、ご参照下さい。
〇「塵芥集」(抜粋) 1536年(天文5年4月14日)制定 ( )内は筆者が付した条文番号
一(1) 神社の事 祭礼の事は、年の豊かなるにも、悪しき年にも、増滅なく、嘉例にまかせ、これを勤むべし。
一(2) 村里よりは、先規のごとく、祭のもの無沙汰なきに、神職かの伝供を貪り、怠りをなすに付けては、はやくかの職を改むべき也。
一(3) 造営の事、神領を塞げ候は、別当・神主修理をなすべし。無沙汰にいたつてはば、はやくかの職を改めかへべし。ただし大破のときは、時宜によるべし。若又神領なくば、その社の別当・神主の役として、勧進をもつて修理をなすべし。なを事ならずば、子細を披露のうへ、合力有べき也。
一(4) 神領の百姓、権門の威をかり、年貢別当抑留せしめば、成敗を加ふべきなり。
一(5) 神木の事、造営に付て切らば、是非にをよばず。自分の要用として、切り取売る事、罪科たるべし。買手又罪を同じくすべし。
一(6) 神社に付くる所帯の事、時の別当・神主みだりに売るべからず。売手・買手共にもつて罪科たるべし。又寄進いたす子孫、かの所帯競望せしめ、違乱にをよぶべからず。
一(7) 祭礼の頭役、代官をもつて相勤むべからず。衆徒中・神主・禰宜そのほか同然。
一(57) 盗賊に付て、親子の咎の事、親の咎は子にかけへし。たゝし子たりととも、遠き境、談合なすへきやうなくは、これをかけへらす。同子の咎親にかけへらす。たゝしひとつ家に候はゝ同罪たるへし。また時宜によるへきなり。
一(75) 人の家に火を付候事、ぬす人同罪たるへし。
一(77) 百姓、地頭の年貢所当相つとめす、他領へ罷去事。盗人の罪科たるへし。仍かの百姓許容のかたへ、申と届くるのうへ、承引いたさす候はゝ、格護候族同罪たるへきなり。
一(80) 百姓由緒の在家をしさり、他領にして、出作いたす事、かつてもって禁制たるへし、此は法度を背き、由緒の在家へ帰らすは、いま住むところの地頭、くたんの百姓ともにもつて、成敗を加ふへきなり。
一(87) 万人の飲み水として、流れを汲みもちゆるのところに、河上の人穢らわしき物を流し、不浄をゝこなふ事あるへからす、次に一人のために、其人の在所へ堰入、流れをとゝめ、飲み水に飢へさする事、罪科たるへし。
一(122) 先〃、より境なく、入会に刈り候山野の事、作場にいたし候に付て問符あり、しからは山は山、野は野、先規のことく作場をあひ止めへきなり、なを此旨を背き、強ゐて作場になす輩あらは、くたんの作場を理運の方へ付へきなり。
一(123) 境相たゝさるの山の事、先規まかせたるへし、かくのことくの地、もし知行の儀あるなきの問符、相互に知行の年記をかんかへ、当所務廿一ヶ年過候者、沙汰を改むるにをよばす、しかるに一方は、年久しく所務のよし申、一方は、近き年無理に手を入らるゝ、非分のよし度々問符にをよふといへとも、押掠めらる、のゆへ年月を経る、さらに由緒なきにあらさるのよし訴訟を企つ、しかのことき輩、相互に申旨を糺しさくり、理の推す方へくたんの論所をつけ、ならひに、以前に蘇することく、非分の申出つる方の所帯の内を割き分け、かの論所ほと道理の方へ付へきなり。
一(131) 人に斬られ、人に殺され候返報として、他国の者を理を尽さず討つ事、これ有るべからず、かくの如くの沙汰あるのときは、てきの国の人を拘え置き、守護所へ披露いたすべし。(後略)
一(133) 合戦場にて、味方に討たれ候とも、討死同然たるべきなり。
一(139) 路次をゆきき人の、道のほとりの家垣を壊ち、松明になす事あるべからず。堂塔の事は申にをよばざる也。
一(140) 地下人、他所へ出上りの事、そのところをたのみ、栖をなし、他所へ罷り越え候はゝ、その地頷、又ハ地主に暇をこひ、罷り出てへきなり、たとひ親といひ、子といひ、のこし置くといふとも、其地主政所へ相ことハらす、他所へ荷物、其外運ひ送るのとき、その村中のもの出合ひ、かの出るところのもの相かゝへ候輩、さらにひか事にあらす、価い出迎ひの人衆、出上りのものひきつれ候者、うちとめ候共郷内のものを越度あるへからす、射たれ候族、数多候とも不運たるへきなり、たゝしい川上りの本人、かの在所へ帰りすみ候はゝ、射手の越度たるへきなり。
一(169) 田畠ならびに山野・屋敷等の境の事、先規まかせたるへし、然処古き境を改めわたくしに傍示をたて、訴訟を企つるのとき、本主論をなす事、非拠たるにあらす、仍両方申旨、これを糾明し、、非分の訴訟たらは、訴訟人の領地のうちを割き分け、論人の方に付へきなり。
※縦書きの原文を横書きに改め、句読点を付して、一部の平仮名を漢字に直してあります。
<現代語訳>
一(1) 神社の事・祭礼の事は、その年の作物が豊作でも、凶作でも、増滅なく、良い年の例に合わせ、実施するように勤めなければならない。
一(2) 村里より、先例のように祭りに対しての連絡がない時は、それが神職がいつもの供え物を私物化するとか、勤めを怠けることであれば、速やかに神職を解任すべきである。
一(3) 造営の事は、神領の人(全てを指揮すべき統括職)に支障があれば、別当・神主が代わりに修理を実施しなければならない。何も神領より指示がないようなこととなれば、神領の職を懐妊すべきである。 但し、大破したときは、時宜を見て処置すべきである。もしまた、神領がいない場合は、その社の別当・神主の役目として、寄付によって資金を集めて修理を実施すべきである。尚、うまくいかない場合は、詳細を公表した上で、さらなる支援を求めるべきである。
一(4) 神領職の家の百姓が権門の威を借りて、年貢等を納めなければ、処罰を加えるべきである。
一(5) 神木の事は、神社の造営用に神木を伐採する場合は問題ない。私的な目的で神木を伐採・販売する事は罪を科すべきである。買い手もまた同罪とすべきである。
一(6) 神社に付属する財産・家具の事は、その神社のその時に任命されている別当・神主はしかるべき根拠、理由もなく売るべきではない。売手・買手共に罪を科すべきである。また、先祖が寄付したからと言ってその子孫が、その財産・家具を我勝ちに欲しがって、秩序を乱すことにならないようすべきである。
一(7) 祭礼の頭役は、代理が務めてはならない。衆徒中・神主・禰宜その他も同様である。
一(57) 盗賊について、親子の罪科の事は、親の罪はその子にかける。但し、子でもあっても、遠隔地に住んでいたり、打合せができないようであれば、親の罪を子にかけてはならない。同様に、子の罪をその親にかけてはならない。但し(親子が)同じ家に住んでいるのであれば同罪とする。また、伊達氏の政治的・法的な意志・判断によるべきである。
一(75) 人の家に火を付ける事は、盗人と同罪とするべきである。
一(77) 百姓が領主への年貢・雑税を納入せずに他領へ逃散する事は、盗人と同じ罪科に処する。その逃亡農民を受け入れている者に連絡して、引渡しを要求しても承知しないときには、かくまっている者を逃亡農民と同罪とするべきである。
一(80) 百姓が本来の住居を出て、他領で耕作する事は、以前から禁止である。この決まりに違反して、本来の住居へ帰らなかった場合は、現住地の領主と決まりに違反した百姓を共に処罰するべきである。
一(87) 万人の飲み水を汲み取る場所に、川上に住む人が汚物を流し、そこを汚染させてはならない。次に、個人の屋敷へ水を流し入れ、水流を堰き止めて、他の人を飲み水に飢えさせることは罪である。
一(122) 以前から境界がない入会地について、そこを田畑にしようとして訴訟になることがある。この場合、山は山、野は野とし、先例に従って、田畑にすることは止めるべきである。尚、この決まりに違反して、強引に田畑にしようとする者がいれば、所有に関して道理のある者にその土地を付与するべきである。
一(123) 境界がない山の事は、先規に従いなさい。このような土地の知行をめぐる訴訟が発生した場合は、相互の知行年数を考慮し、それが21年以上経過していたら、知行者を改める必要はない。しかし、一方は、その土地を21年以上知行してきたと主張し、もう一方は、それは無理に入手した土地であると主張し、頻繁に争いが起こる。そして、後者が、その土地は相手に盗み取られたために年月が経過しているので、こちらのほうが土地に対する由緒があると主張し、訴訟を企てることがある。このような者については、相互の主張し、道理のある者へ訴訟対象地を付与するべきである。そして、前条で定めたように、道理のなかった者の所領の一部の訴訟対象地分の土地を道理のある者へ与えるべきである。
一(131) 人に斬られ、人に殺された仕返しとして、他国の者を理を尽さないで討つ事は、これは有ってはならない、このような事件があるのときは、敵の国の人を捉えおいて、守護所へ報告すること。(後略)
一(133) 合戦場において、味方に討たれたといっても、討死と同然とするべきである。
一(139) 道を行く人が、道端の家の垣根を破壊して松明にしてはならない。ましてや(寺院の)堂塔は言うまでもないことである。
一(140) 地下人(百姓)が他領へ転出する事は、現住する地域に一旦居住した以上、他領に出る際は、現住地の領主または地主に、主従関係の解消を申請してから転出しなさい。もし、親や子を現住する地域に残しておいたが、居住していた地域の地主政所(農業経営・所領支配に関する事務処理を行う機関)に転出を申請しなかったとする。そうすると、他領へ荷物などを送る際に、居住していた村の者が、申請しないで転出しようとした者を拘束した場合、それは道理に適っている。したがって、転出先の地域の者が、転出しようとした者を現住していた地域に引き戻した場合、居住していた地域の者が、転出しようとした者を討ったとしても、罪はないものである。
一(169) 田畑や山野、屋敷などの境界の事は、先規に従うべきである。従って、以前からの境界を改め、私的に境界を示す標識を立て、訴訟を企てた場合、本来の土地所有者が反論することは道理に反することではない。よって、両方の主張を吟味し、道理に適っていない訴訟であると判明した場合は、原告の領地の一部を没収し、訴えられた側に付与するべきである。
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